俺がロックばかり聴いている事を知っているこいつに、『すっげぇよかった!!』なんて言えない。


そんな素直な感想を言えば、昨日みたいに大爆笑されること間違いなしだ。


「お前さ、最近リナ姫テレビで見ない理由知ってる?」


突然の言葉に、俺は「は……?」と、瞬きを繰り返した。


「色々噂んなってることあるじゃん? その中でさ、ちょっと気になるヤツ見つけたんだよな」


芸能ニュースにはほとんど取り上げられなくなったリナの話題だけれど、ネット上では未だに適当な憶測が続いているみたいだ。


「なんだよ」


俺は少しだけドキドキしながら、話を進めた。


「リナ姫入院してんじゃないかって噂」


「えっ……!?」


思わず目を見開いて聞き返す。


「リナ姫の父親、どっかのデカイ病院の委員長らしくて。そこの病院に入れられてるとかなんとか」


「へ……へぇ」
リナの父親が病院の委員長?


それが本当だとしたら、ここはリナパパの病院?


んな、まさか――。


「そ、その噂に信憑性はあんのかよ」


「信憑性? そんなもんあるワケねぇだろ。ネット上の話しだぞ」


そう言って、ヒロシが笑う。


じゃぁいちいち俺にそんな話を聞かせてんじゃねぇよ! ハラハラしただろうがよ!!


「一部では借金返済しきれなくて身売りしたとか」


「もういい」


リナなら充分に歌で借金返済できるだろうが。


ちょっと考えればわかるのに、無名の書き込みはどこまでもエスカレートしていくもの。


信じるほうも信じるほうだ。


バカらしくなって俺は読みかけの本に手を伸ばした。


だけど……。


このヒロシの話をもっと真剣に聞いていればよかったのだと、すぐに後悔することになる――。
ラセン階段を軽快に下りていく俺。


カンカンカンと、リズムを刻む松葉杖。


これってさ、ある意味すごくいいリハビリになってると思うんだよな。


気分もノリノリで昼間聴いたリナの曲を口ずさむ。


今日はいてくれるかな?


毎日は、さすがに来ないかな?


そんな事を思いながら立ち入り禁止の扉を開ける――。


「こんばんは」


すると、すぐに少し遠くからリナの声が聞こえてきた。


「こ、こんばんは」


途端に緊張して背筋を伸ばす俺。


今日も、いた――。
一気にテンションが盛り上がり、顔がニヤケる。


それを必死に隠しながら、ゆっくりとフェンスの向こうの彼女に近づいた。


「今日は花柄なんだね」


俺が言うと、彼女は小さく頷いた。


白いワンピースじゃなくて、クリーム色をした花柄のワンピースだったのだ。


「今日はオシャレをして来ました」


照れくさそうに言う彼女に俺の心臓はドキンッとはねる。


お……おしゃれ?


そ、それってもしかして……俺に会うから……?


そう思ってみて、慌てて否定する。


そんな事、あるワケがない。


あの歌姫だぞ?


俺なんか到底手の届かない存在だ。


こうして話をしているのは、ただの偶然が引き起こした奇跡なんだ。


どちらかが退院すると、もう二度とない事なんだ。


「どうしました?」


「い、いや、別に……」


「でも、顔が赤いですよ?」


フェンスの網の間から、細い彼女の手が俺の頬に触れる。
見た目とは裏腹に少し熱いくらいの彼女の手の平。


柔らかくて、華奢な感覚が頬に焼きつく。


小首をかしげて「熱があるんじゃないですか?」と聞いてくる彼女から、俺は咄嗟に後ずさりして離れていた。


その瞬間、彼女は驚いたような顔をして、「ごめんなさい……」と、俯いてしまう。


や、やばい。


リナに触れられた事で驚いただけなのに、妙な勘違いをさせてしまったようだ。


「あ、あのさ。デビューアルバムの中に入ってる『ラブリーキス』って歌! あれ、いいよね。俺すっげぇ好き」


話題と空気を変える為に、俺は今日聴いて覚えたばかりの曲を話題に出した。


「え……?」


「可愛い曲だよね」


そう言うと、俯いていた彼女は顔を上げて、少し頬を赤らめて嬉しそうに微笑んだ。


「本当ですか?」


「あぁ。あれ、リナちゃんが自分で作詞作曲したんだろ? すげぇなぁって、感心した」
「あの曲、私が始めて自分で作った曲なんです。音楽に興味を持ち始めた中学生の頃に……」


「うっそ!? あれ中学生の時に作ったの?」


「はい」


「マジで!? 絶対才能あるよリナちゃん!!」


お世辞とかじゃなくて。


言葉を探ったワケでもなくて、本心からそう言った。


「あのさ、よかったら……」


「はい……?」


「『ラブリーキス』歌ってくれない?」


「え?」


リナは驚いたように俺を見つめて、「ここで、ですか?」と、聞いてきた。


「うん。誰も聞いてないし。それに……リナちゃん、歌いたいんじゃないかなって、思って」


時々テレビで見ていた彼女の姿を思い出す。


どんな曲を歌う時も、心から歌詞を込めて歌っているリナ。


切ない歌詞の時に涙を流し、楽しい歌詞の時は笑顔になる。


この子、歌が大好きなんだなって思ってたんだ。


「歌っても……いいですか?」


「もちろん」


俺は笑顔で頷いた――。
《甘いキスの味知ってる?


ハチミツみたいに甘くって レモンみたいにすっぱくて


だけどね


その味は人それぞれ


経験した人にしかわからない 甘い甘いキスの味


苦い苦い喧嘩のあと 必ずやって来るあなたのキス


少しぎこちなくて ごめんね って囁かれてるみたいで


可愛くて 全部許しちゃうあたし


あなたからの ラブリーキス》


どこまでもどこまでも聞こえそうな、透き通った彼女の歌声。


テンポのいい可愛いメロディが、リナにはよく似合っている。


歌い終わった彼女は大きく深呼吸をして、頬を紅潮させて俺を見た。


「さすが歌姫」


拍手を送ると、リナはワンピースを裾をつまんで「ありがとう」と、お辞儀をした。


俺はミニライブを見終わった気分で、俺だけが彼女の歌を聴いたのだと思うと感動して涙腺が緩んでしまっていた。
「ごめんなさい、こんなの聞かせちゃって」


気分が落ち着いた彼女が、クスクスと笑いながらそう言ってきた。


「どうして?」


謝る必要がどこにあるのかわからなくて、俺はリナを見た。


「だって、歌詞もメロディも幼すぎて……」


そう呟き、リナはまた笑う。


どうやら、この歌で昔の自分を思い出して笑えているらしい。


「そんな事ないよ。中学生のリナだからこそ作れたんだよ」


「……ありがとう」


この歌詞を書いたときは、初恋もキスもまだだったの。


だからこの曲は、私の理想の塊よ。


リナはそう言って、窓から月を見つめた。
その横顔がすごく綺麗で、引き込まれる。


「今は?」


「え?」


「今なら、どんな歌詞を書くの?」


「今……は……」


呟き、言葉を切る彼女。


しばらく真剣な表情で考えていたけれど、結局首をふって「わからない」と、小さく返事をした。


「じゃぁさ、こういうのどう?」


俺は、フェンスの網目からそっと彼女の髪に触れた。


細くてサラサラで、近くで見ると少し茶色かかった髪。


彼女は髪先に触れられたのがくすぐったかったのか、こちらを向いた。


フェンスをはさんで、2人の距離は10センチ。


「『ラブリーキス2』」


俺はそう言って、フェンス越しに彼女の唇を奪ったんだ――。