二十七歳。元は、東京ビバルディの選手で、サッカーをしながらアルバイトでモデルをしていた。背が高く、ファッション雑誌の表紙にまでなったことがある。
 しかし、バーニーズ事務所の遊び人の芸能人に騙されたショックで男嫌いになり、地元大阪に帰り、児童養護施設の職員をしながら、外注の部活指導員をしていた。
 いつも、上下そろいの、緑色のジャージ姿。
 真夏の今は、白いブラジャーが見えるほどチャックを胸元まで下ろしている。体にぴったりしたジャージなので、大きく突き出した胸でジッパーが弾け飛んでしまいそうだ。
 喉元のど真ん中に大きなホクロがある。いつも、その喉もとにあるホクロを隠すように、ハート形をした大きなロケットペンダントをしていた。
 たこ焼き屋は、格差社会の底辺層に位置する彼女たちが、手っ取り早く一年分の部費を稼ぐための夏休み限定のアルバイトだった。学費はタダだが、部費は自腹で払わなくてはいけないから、児童養護施設の者は、小学生でも高学年になるとアルバイトをする。
 しかも、夏休みは三ヶ月に延長されていた。
 普通の家庭の子供は、旅行や塾に行ったが、底辺層の子供はアルバイトに明け暮れる。
 人手不足の日本では児童労働が認可され、昔の新聞少年みたいに、小学生が宅配をするようになった。
 ゆっくり動く宅配ロボットなんて、通行人から邪魔にされ、突き飛ばされるので、結局役に立たなかったのだ。ヤンキーや悪ガキの間で、「タクロボ倒し」も流行った。
 いかに内臓監視カメラの目をごまかしてタクロボを倒すかという、悪ふざけの遊びだ。
 なにしろ宅配ロボは、一度倒れると、自力では起き上がれない。
 捕まっても、「ただぶつかっただけ、わざとじゃない」と言い訳出来るように、いかに自然に倒すのがミソだった。宅配ロボット一台につき、監視員が一人つく、という、おかしな事態になり、小さな荷物限定で、児童による宅配アルバイトが認可されたのだった。
 飲食店やコンビニは、ロボットによる無人化が進んでいたから、生身の人間がやる店は珍しい。直接コミニケーション出来る、人間臭さのある屋台は、何処でも人気がでた。
 この屋台は、たこ焼きを、美少女がミニスカを履いて焼いていたからなおさらだった。
 そのたこ焼き屋台に、上空から高周波音とともに猛烈な強風が吹きつけた。