光輝は小野の演説原稿のコピーを広げ、『(未定)』となっている場所を指差す。

「ほらここ。それに言ってたじゃん。みんな、彼女がどんなやつか知らないんだって」
「どうしようかね」
「いいんじゃないですか?」

 不意に口をついた言葉に驚いたのは満でも冬木でも光輝でもなく、言葉を発した張本人である香だった。説明を求める三人の視線に、初めてここにきたときのこと、校閲部に出会ったときのことを思い出す。

「だって、先生に言ったってもみ消されちゃうんだったら、みんなの前で言って、会長にさせないようにする方が……」

 香の言葉にかぶせるように冬木は深く溜息を吐く。

「バカだとは思っていたが光輝以上にバカだったとはな」
「は?」
「いいか。誰かを傷つける正しさなんて、正しさとは言えないんだよ」

 それはいつかのように真に迫る言い方だった。

「……正しさ正しさってうるさいな」

 しかし、あのときのように香は黙っていられなかった。

「正しいとか正しくないとか、そんなの私たちにわかるわけないじゃん! じゃあタバコ吸ってる生徒の演説を校閲するあんたって悪者の仲間じゃん!」
「悪者? お前、柊霧子のことを悪者だって決めつけているんじゃないか?」
「何で? 未成年が喫煙するのは犯罪じゃん!」
「お前が実際に、柊霧子が喫煙したところを見たのか?」
「それは……」

 口ごもる香に対し、冬木は奥歯を噛み締め、静かに言葉をかける。

「憶測だけで判断するな」
「私は……」
「それに贔屓だなんだと言っているが、お前こそ昔馴染みの小野のことを贔屓しているんじゃないか?」
「そんなことない! 私は悔しいの!  親のおかげで贔屓される柊さんが報われて、毎日頑張ってる優斗くんが報われないなんて。それこそ正しくないじゃん!」

 一息に言い切ると、香は踵を返し、朝日館を飛び出した。
 背後で響く扉にぶら下がった鈴の乾いた音色が聞こえなくなるまで香は夢中で走った。だけどスタミナのない香の体はすぐに脇腹が痛くなり、角を何度か曲がった後は走るのをやめた。足を止めた瞬間、ぶわっとあちこちから汗が噴き出す。頬を伝う汗を袖で拭いながら、香はネガティブに苛まれていた。

「やっちゃった……」