(二本も切れてしまうなんて……)

 バイオリンにかかった汚物――どうやら生ごみを、手で払いのけながらエリスは苦悶した。

 演奏中にバイオリンの弦が切れたことは、今までにもあった。

 しかし、一度に二本も切れたことはなかった。

 さりげなく左右の舞台袖に目をやってみたが、代わりのバイオリンを用意したり、幕を下ろそうという動きは見られなかった。ただじっと、舞台上のエリスの動向を見守っているだけである。

 どうやら、自力でこの場を切り抜けるしかないらしい。エリスには、このまま舞台袖に引っ込むという選択肢もあったが、もとよりその考えは頭になかった。

 以前エリスは、弦が二本切れた状態で、演奏を続けたという熟練のバイオリン奏者の話を聞いたことがあった。エリスの腕前は、まだまだ熟練の域には達していないが、やるしかなかった。

 



 結果、エリスは生ごみに塗れ、二本の弦を失った状態のバイオリンで最後まで弾ききった。

 演奏としては無様なもので、とても人に聞かせられる代物ではなかった。

 エリスが演奏を終えても、舞台袖に入っても、誰一人として拍手をする者はいなかった。その場にいた全員が、エリスの気迫に圧され、言葉を失っていたのである。




 舞台袖に入ったエリスを待ち受けていたのは、ルードヴィッヒだった。

「一緒に来るんだ」

 ルードヴィッヒは、エリスの腕を掴むと、有無を言わせずエリスを引きずるようにして出口に向かって歩き始めた。途中、同じくその場にいたロイに向き直り、

「ロイ、君もだ」

 とロイにも同行を求めた。

 ロイは弾かれたように、ルードヴィッヒとエリスの後を小走りで追いかけた。

 場に居合わせた一同は、ただただ黙ってエリスたち三人の背中を見送ることしかできなかった。

 わずか数分の、あっという間の出来事であった。




 ルードヴィッヒに引きずられるままやって来たのは、生徒会の建物だった。

「君はここで見張りをしていてくれ。誰か来ても、決して中には入れないように」  

 建物に入る前、ルードヴィッヒはロイにそう言いつけた。そして、ロイの返事を聞く前にエリスを連れ、足早に中に入ってしまった。

「ここを使ってくれ」

 ある部屋の前でルードヴィッヒは立ち止まり、ドアを開けた。

 そこは、浴室であった。