花火をした日以来、美夜はスッキリした表情をしていた。いつも通り、暇だと呼びつけては世間話をする日々が続いていた。だが、それも今日で終わりだ。ついに約束の日になったのだ。その日もいつも通り美夜と話をして、僕は家に帰った。今晩の準備はできている。だが、僕の心の準備だけができていない。美夜を殺したくない。美夜は自分が死ぬことを罰だと言った。美夜は死を望んでいる。人が死ぬということの重大さを痛感した。美夜が死んでいるのを想像しただけで恐ろしいと感じる。僕はなんて約束をしてしまったのだろう。後悔をしていると、約束の時間になってしまった。僕は重い足取りで神社に向かった。神社に着くと、美夜がすでに待っていた。
「遅いよ」
 そう言いながらも、美夜は穏やかに笑っていた。僕が何も言わずにいると、美夜が僕の手を引っ張って賽銭箱の前まで連れて行く。そして、僕たちは向かい合った。浮かない顔をしていたのだろう。美夜が僕の頬に触れた。
「緊張してる?」
 頷くと、美夜も当たり前だとでもいうように頷いた。
「早くしよ」
 そう促され、僕はカバンからナイフを取り出し、美夜nの心臓の位置に定める。
「言い残したことある?」
「じゃあ、雅人くんに一言」
 美夜はそう言うと、一つ深呼吸した。そして、満面の笑みで言う。
「楽しかったよ、ありがとう」
 それを聞いた瞬間、僕の感情が溢れた。約束という名のもと、心の奥にしまい込もうとした感情が。
 僕はナイフを持つ手を下ろした。
「死なないで」
 僕が震えながら言うと、美夜は目を見張った。そして、困ったように笑う。
「約束でしょう」
「でも、嫌なんだ。君を殺したくない」
「私は罰を受けなければならないの。そして、お母さんに謝りたい」
「わかってる!」
 僕の目からは涙が溢れた。そのまま泣きじゃくっていると、美夜はナイフを持っている僕の手を握った。そして、僕の手からナイフを離すと、そのまま自分の胸の前に持っていく。
「やめろ!」
 僕は咄嗟にナイフを持っている美夜の手を払った。ナイフが地面に落ちる。美夜はしばらく固まっていたが、悲しそうに笑った。
「ごめんね」
 そう言って、鳥居のほうに走り出す。僕は慌てて後を追いかけた。
「待って!」
 病気の体では、走ることもままならない。それでも僕は懸命に足を動かした。鳥居をくぐり、道路を走る。美夜が走る先には海がある。止めなければ、と思った。それでも距離はなかなか縮まらない。すると、反対に渡ろうと思ったのか、美夜が道路に飛び出した。その瞬間、美夜が光に包まれた。僕はありったけの力を使い、道路に飛び出し、美夜の体を思い切り突き飛ばした。次の瞬間、強い衝撃を受けて、地面を転がった。車に轢かれたのだ。痛みで意識が朦朧とする中、美夜の声が聞こえた。何を言っているのかわからないが、無事らしい。僕は安心した。もう目を開けられない。それでも、最後の力を振り絞る。
「み……よ……」
 さようなら。生きて。
 そうして、僕は暗闇に沈んでいった。


 その女受刑者は一冊のノートを大切に持っていた。暁美夜。母親を殺害し、遺棄した罪を犯した犯罪者。その暁美夜が持っているノートは何度も読まれた形跡がある。ノートには食べ物やレジャースポーツが箇条書きで書かれている。人殺しや死という物騒なことも書いてあった。しかしその最後には小さく一文字だけ、恋。
 暁美夜は懐かしそうにその文字を見つめるのだった。