一年。僕に告げられた残りの時間だ。十八にして、癌が発覚した。しかし、絶望はしなかった。実感がないというのもあるが、僕は生に執着がなかった。死にたいとは思っていないが、強く生きたいとも思っていない。だからなのか、余命宣告を受けた時も何も感じなかった。反対に親は泣き崩れた。一人息子が余命宣告されたのだ。その感情はわかる。それでも僕はしょうがないとしか思わなかった。
僕は昔から感情が希薄だった。何をしても、何を与えられても興奮することがなかった。覚えている限り、怒ったことなど一度もない。他人に関心がないと言われればそれまでだが、何をしてもつまらない。女性にも興味を持てなかった。クラスの男子は女子のことで騒いでいるが、僕にはどうでもよかった。
 こうして、今までつまらない人生を送ってきたが、それもあと一年で終わる。これからどうしようかと考えても何も思いつかない。両親は残りの人生やりたいことをしなさい、と言ってくれたが、何もやりたいことがない。そこまで考えると、生まれた意味まで考えてしまうが、それは堂々巡りになりそうなのでやめる。
「めんどくさい……」
 僕は考えることを放棄し、残りの人生を使って、経験したことのないことをすることにした。それなら、経験したか、してないかで振り分けられる。
 ノートを取り出し、経験したことのないことを思いつくだけ書いていく。バンジージャンプ、スカイダイビングなど遊びのことから、ドラゴンフルーツや枇杷など食べたことのないものまで書いた。そして、最後から二番目に人殺しと書いた。これは普通に生きていたら経験することはないだろう。だが、僕はあと一年で死ぬ。だから、僕ノートに書いたことを実行していこうと決めた。順番は書いた順だ。
 そうして、アルバイトで貯めたお金と親の金を使って、書いたことを経験していった。親は金持ちなので、書いたことは経験しやすかった。
 三ヶ月ほどそうやって過ごしたある日、僕は船に乗っていた。離島に行って、島の暮らしというものを経験するためだ。船から島が見えるくらいになった頃、僕は甲板に出た。そこには、一人の女性がいるだけだった。女性は海をじっと見ていた。黒い髪が風で揺れている。潮風でベタつくだろうな。そう考えていた時、女性が片足を欄干にかけ、身を乗り出した。海に飛び込もうとしているのがわかった。僕は驚きはしたが、助けようとは思わなかった。女性が振り返る。僕からの距離でもわかるくらい泣いていた。女性は僕と目が合うと、驚いたようにじっとこちらを見ていた。しばらく見つめ合う。すると、女性は欄干を降り、僕のほうに歩いてきた。そして、不機嫌そうに言う。
「どうして止めないの」
「止めてほしかった?」
 僕が聞き返すと、女性は驚いたようだった。そして、訝しげに首を傾げる。
「止めてほしくはないけど、普通は止める」
「あっそ」
 僕が興味なさそうに返事すると、女性はポカンとした。しばらくすると、クスクスと笑い出した。
「人殺し」
 女性は笑いながら、僕を非難した。僕は人殺しをしたかったのは事実だが、この場合は見殺しと言うのではないか、と見当違いなことを考えていた。だが、結果的に目の前にいる女性は死んでいない。
「君は死んでいないだろ」
「死んでほしかった?」
「どうでもいい。君の好きにしていいよ」
 僕がそう言うと、女性はまた笑い出した。笑いが収まると、女性は手を差し出した。
「私は暁美夜(あかつきみよ)。あなたの名前は?」
久留和雅人(くるわまさと)
 僕は差し出された手を取らずに名乗った。美夜は気にした様子もなく、僕の隣に来る。そして、静かな声で言う。
「あなた、私を殺してくれない?」
予想外の提案だった。僕は少し返答に困ったが、ノートに書いたことを隠す必要もない。
「人殺しになる予定はあるけど、今は嫌だ」
 美夜の大きな瞳がさらに大きくなった。予想外の返事だったのだろう。理由が知りたそうだったので、僕は余命宣告を受けたこと、ノートに書いたことを話した。順番も話したので、美夜は納得したようだった。
「そのノート見せて」
 美夜は好奇心を隠さなかった。僕は言われた通り、ノートをカバンから出して美夜に渡した。美夜は黙ってノートを捲る。読み終わり、ノートを返しながら、僕に質問した。
「恋をしたことはあるの?」
 僕は黙るしかなかった。恋をしたことはない。それなのに、ノートには書いていない。完全に忘れていた。僕が首を横に振ると、美夜は満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、ノートに書いて」
「嫌だ。もう順番が決まっているんだ」
 僕がそう言うと、美夜はつまらなさそうな顔をした。僕はそれを無視し、美夜に訊いた。
「もう死ななくていいの?」
 美夜は複雑そうな顔をしたが、いいと言った。そして、ノートを指差しながら、言い放った。
「人殺しの順番がきたら、私を殺して」
 僕は少し迷ったが、こんな利害が一致することhないと思い、了承した。
 ちょうど離島に着いたため、僕たちは連絡先を交換し、別れた。
 僕は島の暮らしを一ヶ月楽しんだ。近所の人たちは優しく、快適に過ごせた。あまり大きな島ではないのに、美夜の姿は一度も見なかった。しかし、僕が帰る日になって、港に現れた。
「ここから出ていくの?」
「もともと一ヶ月しかいない予定だった」
 今日の美夜はフードを深く被っているため、表情がわかりにくかった。荷物を持っていないところを見ると、同じ船に乗るわけではないらしい。そこで、ふと疑問に思った。
「どうして君は今日、僕が船に乗ることを知っていたの?」
「あなたのことをこっそり観察していたからね」
全然気がつかなかった。だが、その行動が怖いとも不快だとも思わなかった。僕にとっては、そうか、で終わる話だった。
「君はずっとここで暮らすの?」
そう尋ねると、美夜は寂しそうな顔をした。
「私はここを出ていけないの」
 僕は意味を理解することができなかった。
来ることはできるのに、出てはいけない。何か事情があるのだろうか。疑問に思ったが、それ以上を訊いてはいけない気がしたので訊かなかった。簡単に別れの挨拶をして、僕が船に乗り込もうとした時、美夜が不安そうに呟いた。
「約束、忘れないでね」
 僕は頷き、船に乗り込んだ。船から港を見たが、もうそこに美夜の姿はなかった。