早紀が私の方に笑みを向けるその裏で、突撃されてからずっと掴んでいる肩に力がこもる。骨に突き立てられた指圧で顔を歪めると、ぼそっと耳元で呟かれた。

「私、まだ怒ってるんだからね」

 もう数週間も時間が経っているのにまだ根に持っているらしい。反論しようと口を開こうとすれば、肩に食い込んだ指がどんどん沈んでいく。
 早紀は平然を装って、また高嶺先輩に笑みを向ける。

「先輩、私も一緒に行っていいですか? ちぃばっかりずるいもん!」
「……だってさ。どうする?」

 高嶺先輩は後ろで未だしかめっ面の香椎先輩に問う。

「どうするもなにも、佐知(・・)だけで十分だろ」

 ――え?
 空耳が聞こえた気がする。いやいや、まさか香椎先輩が私の名前を呼ぶわけがない。
 すると、高嶺先輩が大きなため息をついた。

「桑田さんだっけ? そういうことだからごめんね」
「え? なんで?」
「一応部活での公欠だからさ。桑田さんは入ってないでしょ?」
「でもちぃだって入ってないですよね?」
佐知(・・)は仮入部中だから。公欠扱いだよ」

 早紀に負けないくらい、清々しい笑顔で返される。話についていけない私は早紀と高嶺先輩を交互に見ることしかできない。

「ちぃばっかりずるいです!」
「どうして?」
「ちぃは何もできない子なのに、私がついていないと……」
「……しょうがないなぁ」

 やれやれ、と肩を落とす。
 諦めて連れて行ってくれるのかと察した早紀がぱぁっと顔を明るくした瞬間、高嶺先輩は早紀から私を強引に引き剥がした。

 早紀がずっと掴んでいた肩の圧迫感から解放されると、先輩が「昼飯はお弁当?」と聞いてくる。

「今日は購買……です」
「じゃあいいね。香椎と先に行っててよ。俺はお話してから行くから」

 普段温厚な高嶺先輩が怒っているところを、今まで見たことがない。いつも笑って流すタイプだから、笑顔に反して似合わない低い声が響くと、後ろで見ていた香椎先輩もビクッと肩を震わせた。

「え、えっと……」
「早く」
「は、はいぃ! 先輩、行きましょう!」

 慌てて香椎先輩に駆け寄って腕を引っ張る。一刻も早くここから立ち去らなければならない気がしたのだ。

 どのクラスも授業中の中、廊下を駆け抜けて非常階段に非難する。息を整えながら、掴んでいた先輩の腕を離す。先輩もふぅ、と大きく息を吐いた。

「お前……桑田とかという奴と中学から一緒なの?」
「はい……苦手なんですけど、ね」

 もう隠す必要がない。私は早紀の印象を初めて口にした。今頃高嶺先輩と何の話をしているのか、心配で仕方がない。それを察したのか、香椎先輩は「大丈夫」だと言う。

「高嶺に対抗できる奴はいねぇから。俺が一番分かってる」
「……それって、大丈夫じゃないですよね」
「さっさと行くぞ、佐知」
「は、はい……ってなんで名前なんですか!?」
「別に。ただのマウント」

 香椎先輩が非常階段を降り始める。これ以上聞いても答えてくれないと察して、渋々後を追う。方向はいつもの第八美術室だ。

「何するんですか? 材料がどうとか……」
「俺が描いてた絵、覚えてるか?」
「……まさか」

 私が引きつった表情をすると、香椎先輩はニヤリと笑った。