「……そうか、奴が現れたか」

 酒場での乱闘後、宿の一室に戻ったふたり。
 狙い通りだと、作戦の成功にワインを傾けるフレイム。

「私の策に狂いはなかった。では、今夜にでも奴を探し出し戦闘にかかる。きっと奴も私を探しているだろうしな」

 あれほど飲んだにもかかわらず、酒を飲む勢いは衰えることを知らない。
 顔を紅潮させるどころか平気な様子で飲んでいる。

「……あんまり飲むと体に毒よ?」

 窓から街の様子を見ていたイリスに忠告を受ける。
 彼女は終始顔をこちらには向けなかったが、声の調子から呆れているようにも感じた。

「人間は不健康に生き不健康で死ぬ。いかなる時代になっても、どんな生き方をしても、これだけは避けられん。よってやめん」

 したり顔でワインをひと飲み。
 フレイムの中ではすでに勝利への設計図が組みあがっているらしい。
 ワインをグラスに注ぐその手を、止める気配はなかった。

 だが、イリスにとってはそんなことは最早どうでもよかった。
 
 突如として右手が震える。
 ぬらつく血が刀にこびりつく風景が何度も想起した。

 血の海に佇む自分が虚空を見つめている様が脳裏から離れない。
 ここにきてイリスは神託者を斬りたくてたまらなくなったのだ。

「君もご苦労だった、今夜から忙しくなる。ゆっくりと休むがいい」

「そうね。……ちょっと街の方へ出るわ」

「ん? そうか。……夜までには帰ってくるのだぞ? 君にもしっかりと働いてもらわねばならんからな」

 そう釘を刺したフレイムの脇を、イリスは顔を合わせることなく部屋から出た。
 
「様子が変だった……。血でも騒いだかな? イリスが神託者を斬れば、パプォリオも黙ってはおるまいが……。昼からやるのはリスクが高いと言うたのに」

 ワインを飲み干し、窓際へと移る。
 真昼の街の賑わいが更に大きくなる中、イリスの姿を人ごみの中に見つけた。
 その姿は美しくもあり、逆に触れるものすべてを斬り刻まんとする幽鬼のような殺気を醸し出している。


 案の定、イリス・バージニアはその刀を抜くことになる。
 
「ねぇお兄さんたち、楽しいコト、やらない?」

 自らが神託者であることをいいことに路地裏で非異能者にたかるところを見つけたイリスは、そう告げると一気に抜刀。

 神託者が力を発動させるその手前で一閃が走る。
 零縮地を使うまでもない。

 抜き即斬の一刀は容赦なく相手の皮と臓腑を切り裂いていく。

「げぇ、なんだコイツ!」

「殺せ! じゃないと……ぎゃあああ!!」

 まず脛をへし斬り動きを封じてから次の相手へ。
 平刺突で喉を貫き、横一閃で一気に引き裂く。

(足りない……)

 噴出する血に、悲鳴をあげる神託者たち。
 袈裟斬り、横薙ぎと一刀にて必殺する。

(血が足りない……。神託者で街を、大地を、海を、空を。染め上げるにはまだまだ足りないッ!!)

 脛を斬られ、倒れ伏す神託者の胸をひと突き。
 瞬く間に路地裏は血の海と化した。
 先ほどの非異能者は惨状に気を失っている。

「……あと、何人斬ろうかしら」

 自分でも歯止めが効かないくらいに殺気と斬った相手の血が漏れ出す。
 これこそが、今自分が見たかった世界だ。
  
 この世界において、神託者は非異能者より格上とされている。
 すなわち、異能の力を持つ者は持たざる者よりも優先されるということだ。

 ある異能団体は『異能者にあらずんば人に非ず』と言ったほどに。
 
 金持ちであるなら兎も角、金も力もない非異能者にとっては、この世は地獄だ。
 国が定めた法律など、ほとんどが異能者優位で役に立たない。

 そんな中で、自分は刀で無情の剣を振るっている。
 法や秩序をなぎ倒す一陣の風だ。

「……馬鹿みたい」

 世界の在り方に彼女は唾を吐く。
 血振りをし納刀しようとしたそのとき。

「お嬢さん、アナタは……"天国"を信じますか?」

 目の前に立っていた。
 神父服の男は聖書のような物を持ち、白い歯を覗かせ笑う。
 間違いない、目の前に立つのはイリスとフレイムが追っていたあの人物。

「パプォリオ・ルネッサンス……」

「おや、私の名をご存知とは。ふふふ、光栄です。しかし、そんなことはどうでもいい。もう1度聞きます。――――アナタは、楽園を信じますか?」

 血の海に足を浸し、ベチャベチャと音を立てながら歩み寄る神父パプォリオ。
 笑顔を絶やさず、ただひたすら楽園はあるかと問い続けてくる。

「……アンタ、人選ミスってんじゃない? "神託斬り"に楽園勧めるなんて……、嫌でも地獄に落としたくなるじゃない」

「神託斬り? あぁ、お嬢さん……例の人斬りだったのですか。ふふふ、ならば実に好都合だ」

 パプォリオは髪をかき上げ満面の笑みで、"楽園"について語る。
 
「楽園とはアナタのような救いようがない魂こそ行くべき場所なのですよ」

「はぁ?」

「地上に安息などない。力や富のある者のみが自分の居場所を作り、アナタのような醜い魂が彷徨う羽目になる」

「ご挨拶ね。それで? アナタは私に、楽園の行き方を教えてくれるのかしら?」

 イリスの反応にゾクゾクと体を震わせる。
 それは性的興奮を催した男性の反応に似ている、とイリスは感じ取った。

 はっきり言えば気持ちが悪い。
 フレイムを待つまでも無い、ここで叩き斬る。 

「その通りです。アナタのようなお可哀想な方は、我が神託『ブラック・パレード』で楽園へと誘って差し上げます!」

 次の瞬間。
 そこらに転がっていた木片やガラス片が、イリスの急所目掛け飛翔する。
 それらすべてを軽々と弾き飛ばし右八相の虎伏の構えをとった。

「……念力系の能力かしら?」

「そんなチンケなものではありませんよ。誰もが救われる美しい神託です」

 フレイムとはまた違う不気味さを感じ取る。
 しかも、言っていることの異常さだ。
 殺す力を救いの力と同一に考えている。
 神託者だけでなく、魔術師にもこういった思考をもつ者は珍しくない。
 
(これ以上ベラベラしゃべらせても、イライラするだけだし……)

 斬撃を放とうとした、そのとき。
 パプォリオはなにを思ったのか、上空高く飛び上がり、高らかに笑い出す。

「そうやすやすと斬られてなるものですか! アナタは、私のオススメの殺し方で、楽園へお連れしましょう!」

 同時に響くのは、路地裏に反響するけたたましいばかりの、"馬の鳴き声"。

「な、なに……なんなの?」

 どんどん近づいてくる。
 前方から気配を感じた。

 曲がった道から現れたのは、なんと荷馬車だ。
 路地裏の狭い通路で車部分をメチャメチャにしながら、イリスに突っ込んでくる。

 それも1台ではない、後ろから数え切れないほどの荷馬車が駆けてきた。

「クソッタレ……、面倒臭い能力ね!」

 イリスは逃げるように駆ける。 
 荷馬車達は、容赦ない追撃を仕掛けた。

 そのさまをパプォリオ・ルネッサンスは、屋根の上に立ち、神の如く見下ろす。

「私から逃げられると思ったら大間違いです。神託名『ブラック・パレード』。この神託は主のご意思そのもの」

 ククク、と含み笑いを浮かべながら、逃げるイリスを堪能する。

「狙われたら最期、どこまでもアナタを殺しにいく神の祝福……フゥーハハハハハハ!」

 抑えきれない高揚が、笑い声となって街中に響いた。