イリスは街中を歩く。
 あれだけの騒ぎがあって尚、この輝きと人々の声は治まるところをしらない。
 繁華街ゆえのうるささが彼女をさらに気怠くしていく。
 
「……カジノなんてやって、なにが面白いのかしら」

 ひと際輝く建物に吸い寄せられていく人々を見ながら、溜息をひとつ。
 同時に、後方から気配を感じ取る。

「……アンタたちは?」

「アンタの凶行を止めに来たって言えばいいか?」

 振り向けば、そこにいたのは勇者一行だ。
 大方、復讐にでもきたのだろうと思った。
 しかし、その後ろにいた人物に、表情を変える。

「フレイム、アンタなにやってんの!?」

「見てわからないか? 縄で縛られている」

「勘違いはやめとくれよ? コイツが縛れって言ったんだ。……雰囲気づくりにって」

 リャンがどんよりした顔で答える。
 こんな奴に負けたのか、とイリスは心底思った。

 人の性癖にあれこれ口出しする気はないし、それは個々の自由だ。
 だが、時と場面を考えろと彼にひと言言いたい。

「なんで、アンタが勇者ご一行様と一緒にいるのかは聞かない。いや、考えるのも面倒」

「賢明だな。……あと、これは私の趣味じゃあない。あくまで雰囲気づくりだわかったな?」

 イリスはフレイムを無視する。
 そんな中、マルクはしっかりとイリスを見据えて、1歩近づいた。

「この人は返してやる。だから、俺の話を聞いてくれ」

「……伺いましょう」

 遺言としてね、と小さくつぶやき、イリスはマルクの言葉に耳を傾ける。

「ロイドを殺したことは、正直許せない。でも俺は、それでもアンタの間違いを正したい」

「へぇ……」

「アンタがなんの恨みがあって、神託斬りなんてやるのかはわからねぇ! だが、それが過去からくるものだったら、今すぐにでもやめるべきだ!」

 心からの言葉。
 人を思いやるその熱は、感情まかせの説得に重く宿った。
 マルク・ザイルテンツァーは本気でイリスを改心させるつもりだ。

「ほかに理由があったとしても、これ以上罪を重ねるのは間違ってる! 俺はそんな君を助けたいんだッ!」

 その言葉を聞いた瞬間、イリスの肩がピクリと反応する。
 ハンナ、リャン、そしてアイリもマルクとともにイリスへと熱い視線を投げかけていた。
 ――――アナタもきっとやり直せる、と。
 
(ふむ、さすがは勇者レイド。この少年の恐ろしいところは、その言葉に一切の嘘偽りがないところだな。すべての言葉が本心からくるものだ)
  
 そのうしろで、フレイムは冷静に分析する。 
 彼らの動きや配置、そして、イリスの挙動の一切までを見逃さぬように。
 イリスが彼に対しどういった動きや感情を見せるかがやはり見所だ。

(まるで、美しい戯曲の詩でも聞いているかのような……。大抵の者は、彼の言葉に心を揺さぶられてしまうだろう)

 フレイムの見る限り、今はマルクのペースであると感じた。
 イリスはずっと佇んだままだ。
 
「だから、もう神託斬りなんてやめろ! なにかあるのなら、俺も一緒に考えてやる! だから……」

 マルクは叫び続けた。
 感情任せの、人情と慈愛に溢れた平和への謳を。

 しかし、イリスは動かない。
 じっと彼を、そして取り巻きである彼女らを見据えている。

「……どうしてもやめないってんなら。相手になる!」

 マルクの右手に、光が収束する。
 それは剣をかたどり、街の光に負けないほどの輝きを放った。

「……神託名『エクスカリバー』。心の闇を取り払い、浄化する聖光の剣だ」

 炎、幻影の次は光の剣。
 マルクは両手でしっかりとエクスカリバーを握りしめ構えた。

 攻撃力はないに等しい、とカフェで言っていたのをフレイムは思い出す。
 恐らく、浄化に特化した神託能力なのだろう。

(さぁイリス。お前のアレクサンド新陰流でどう捌く?)

 レイドが構えたのを見て、イリスは1歩前へ出る。
 そして、刀の柄に右手を添えた。
 次の瞬間。

「なッ!?」

 音もなく、影もなく、そして気配もなく。
 彼女の姿が忽然と消えた。
 今いるこの空間から姿を消したのだ。

(こ、これはまさか……!)

 ただひとり、彼女の動きを認識し、その現象の正体に気づいた者がいた。 

「――――零縮地(ぜろしゅくち)、だとぉ……?」

 フレイム・ダッチマンである。
 彼はまたもや、イリスという存在に舌を巻いた。

 零縮地。
 それは、瞬間移動にも等しい妙技。
 音も気配もない、無音静寂を保ったままに相手の懐に潜り込むことが出来る移動法。
 
 中でも、1番恐ろしいのが零縮地からなる斬撃であり、それを零斬(ぜろぎり)と呼ぶ。

 殺気はおろか太刀筋すら相手に感知させず、急所をえぐることの出来る恐ろしい技だ。
 この斬撃を見切れるのは、同じく零縮地を習得した者以外にありえない。

(……ガキが覚えていい技じゃあないだろう。これも、憎悪からなる進化の賜物であると?)

 フレイムは見切っていた。
 実は彼もまた零縮地を修める者であるのだ。

 普段は使わない、使う必要がない。
 だが、自分以外の者が実戦で使っているところは初めて見た。

 イリスの動き、その太刀筋。
 フレイム・ダッチマンでさえ、これぞ神速と言わざるを得ないほどの腕だった。

 その手順として、まずこうだ。
 イリスは零縮地でレイドを通り抜け、ハンナの首に一刀。
 ハンナの首をはね、その勢いで隣のリャンの腹を斬り、その胴と首を切り離す。
 最後にアイリ。
 縦一文字の斬撃で、体ごとペンダントの十字架は真っ二つに割れる。

 そして血が噴き出す前に、素早くそのか細い首に白刃を滑らした。
 3人は悲鳴を上げることなく、死へと落ちたのだ。

 
「……?」

 マルクは突然消えたイリスに唖然としていた。
 そして、後ろの方で金属音とが聞こえる。

 鍔鳴りの音だ。
 それに続いて、重いものが地面に落ちる音も聞こえた。

「アイ、リ……?」

 レイドはゆっくりと後ろを振り向く。
 そこは地獄と化していた。

「あぁぁ、あぁぁぁああ! あぁぁぁあああああ!!」

 首なし胴が3つ。
 それぞれ並ぶように倒れていた。
 さっきまで普通に笑いあっていた彼女たちは、もう物言わぬ肉塊と化していたのだ。

 抜刀の際の音も、肉を裂く音も、なにも聞こえなかった。
 そして、その惨状のど真ん中で噴射する鮮血で顔を真っ赤に染めたイリスが立っていたのだ。

「うわあぁぁああああ!! なんで! どうして!? うわあああ!!?」

 彼の叫び声とともに、周りからも悲鳴が飛ぶ。
 多くの人々が一目散に逃げ去ろうとしていた。
 
「やった……やりやがった。イリス……この神託斬りめ、神託の血肉を啜る女狼め! 勇者の言葉は、人でなしには届かなかったらしいぞ、フハハハハハ!!」

 フレイムは狂喜した。
 怪異殺しの極意や零縮地など、最凶を修めた彼女に。
 最早救いようがない、彼女のどこまでも加速していく憎悪に。
 
「なんで……なんで殺したんだァ!!」

 マルクの怒声は、イリスだけでなく、フレイムにも向けられた。
 エクスカリバーを握る手に力をこめ、斬りかかる。

「うおおおああああああ!!」

 力任せの袈裟斬り。
 その姿に、先程のオーラは見られない。

 悲しみと怒りに身を任せる鬼だ。
 そう、まるでイリスのよう。

「すぅぅ……ッ!」

 右足を前に、左足を後ろに肩幅ほどの間隔。
 納めた刀を抜き、上段に振り上げ、呼吸を整える。

「うらぁああ!!」

「フッッ!!」

 神託の剣『エクスカリバー』と怪異殺しの極意による斬撃がぶつかる。
 勝敗は明白だった。

 神託はおろか、恐らく魔術もまた同じく斬り裂けるであろうイリスの剣技。
 マルクの神託は、真っ二つに斬り裂かれ弾け消える。

 イリスの白刃は、勢いのままマルクの身体を無慈悲に斬り裂いた。

「――――ッ!?」

 自分の鮮血が舞う。
 そんな現実が信じられないというような顔で、地面に倒れふすマルク。
 瀕死のマルクを見下ろすイリス。

 その瞳は冷たくも無ければ温かくもない。
 少なくとも、それはもう人間が宿す眼光ではなかった。

「……憎いでしょう、アタシが?」

「……ぐっ、な、なに、を」

「その憎しみを背負って、ここで野垂れ死になさい。兵士が来る前には、出血多量で死ぬでしょうし」

 そう言って踵を返すイリス。

「ま、ま……て……」

 必死に、動きが緩慢になった腕を伸ばす。
 だがそれが届くはずもなく、マルク・ザイルテンツァーの意識は闇へ落ちていった。

「すばらしいぞ! さすがはイリス。このフレイム・ダッチマン、君への考え方を改めねばならんらしい」

「あら、そ。それより、早くこの国から出ましょう。急ぐんでしょ?」

「国外脱出なら任せておけ。この国の信用できる業者を知っている。……それよりも、縄斬ってくれ」

 イリスは面倒くさそうに縄を斬ってやる。
 フレイムはのびのびと腕を動かし、血行循環を促していった。
 
「む……?」

 仰向けに倒れる魔術師ハンナの首なし胴、その胸(バスト)。
 ほのかに温もりの残る体に山をつくる女の丸み。

 興奮を覚えたフレイムは、それに、ゆっくりと手を伸ばそうとする。
 だが、イリスに殺気を向けられた。

「…………アンタの性癖にどうこう言うつもりはないけど、アタシの前でそういうことしたら、斬り刻むわよ?」

 物惜しそうに手を引っ込めるフレイム。
 気を取り直し、ふたりは港へと急いだ。
 港へ着くや、フレイムはひとりの業者と会い、挨拶もそこそこに、金を握らせ船を用意させた。

 混乱の渦の中、ふたりはその業者の船に乗り夜の海へと消えていったのだ。