「まず、叡智の果実とはなんなのかを、説明せねばなるまい」
 
 フレイムは前屈気味に座り直し、イリスとの視線を合わせる。

「簡単な説明として魔術教会が取り扱っているブリガンティア教典第48章の『魔術師の楽園』に、その存在が明らかとなっている」

「魔術師の楽園?」

 フレイムは、イリスの怪訝な顔に構わず、説明を続ける。

「かいつまんで説明するぞ? ――最早、神話の時代に匹敵するであろう時代。世界の彼方に、選ばれた魔術師のみが永住を許される楽園があった。楽園の奥には大樹があり、そこを統治する魔術の神イシスが、その宿り子である叡智の果実を守っていた」

 イリスは可能な限り想像を膨らました。
 兎に角、世界のどこかにその楽園があり、お目当てがあると自分なりに理解する。

「だがある日、そこに男と女の、ふたりの旅人が現れる。魔術師たちは歓迎し、彼らをもてなした。……だが、それがまずかった」

 聞かされた話を要約するとこうだ。
 その楽園にひどく興味を抱いた旅人ふたりは大樹まで歩み寄り、イシスが神々の集会でいないことをいいことに、たったひとつしかない叡智の果実を食べてしまったというのだ。

 その結果、彼らは"超能力"を得た。
 これが人類最古の神託者とされている。

「……で、それを知った魔術師たちが大激怒。ふたりを楽園から追い出したってわけね」

「そうだ」

「……それだったら、宝物なんてもうないじゃない。とうの昔に胃の中で消化されちゃってるわ」

 確かに宝なのではあろうが、その教典の中で既に食べられているのならどうしようもない。

 それにイリスにとっては、かなりの眉唾な話である。
 だが目の前の男は、全く確信のないモノを追い求めるような人物には見えなかった。

 彼が求めるということは、きっとなにかある。

 しかし、それがわからない。
 彼の話は雲をつかむような感じだ。

「ふ、そう混乱するな。ちゃんと教えてやる……。楽園から追放されたふたりは、密かにあるものを持ち出した。それこそが、私の求めるモノに直結する。――――種だよ」

「種……? 果実の種を持ち去ったの?」

「そうだ。彼らは……種をこの世界の"どこか"に埋め込み、その木を育てたという」

 そして今も尚、その木は存在し、叡智の果実を実らせているという伝説だ。
 
「神に託された力、なんていうけど、実際は神からかすめ取った力ね。……ますます切り刻みたくなったわ」

「ふふふ、期待しているよ。腕を上げたら、また私にでも挑みたまえ。……話を戻そう。私は、長年にわたりその伝説を研究している。そして、ようやくいくつか目星はついたのだ。あとはそこへ順に行くだけ。情報を集めながらな」

 ニヤリと不敵に笑んで見せるフレイムの顔には、確信に満ちた者が見せる輝きがあった。
 イリスもまた、その話に興味がわいてくる。

 神託斬り稼業における、ほんの余興程度にしか考えてはいなかったが、とりあえずはこの男に着いていこうとは思った。

「さて、概要についてはこれでいいかな?」

「……お宝探しのお手伝い、ね。別にそれ以上は詮索するつもりはないし、いいよ」

 殺しを止めるなとは言われていない。
 むしろ、してもいいと言われている。

 この男は大金持ちだ。
 旅費などはきっとこの男が出してくれるだろう。

 そして、最後は……。
 心の中でそうほくそ笑む。

「さて、小難しい話はここまでだ。デザートの続きでもいかがかな?」

「えぇ、喜んで」

 そう言ってふたりとも立ち上がった直後。
 ホテルの灯火が一斉に消える。
 緊張と静寂が漂う中、地上の慌ただしさが耳に届いた。

「今我々がいる階からでも、ある程度なら見えそうだな。……あれは、兵士だ。この国の武装だ」

 鎧をまとった大勢の兵士たちが、ホテルの出入り口を押さえていた。
 まいったな、とフレイムは苦い顔をする。
 一方、イリスは部屋の扉まで素早く移動し、扉に耳を当てる。

(廊下からはなにも聞こえない。宿泊客のざわめきも、従業員の喧騒も……)

 イリスの様子からすべてを察したフレイムは、ひとつの結論を出す。

「……どうやら、私たち以外の客や従業員はみな避難したらしい……。と、なると、ターゲットは私か君だ」

「そうかもね」

 フレイムに素っ気なく答え、壁に掛けてあった倭刀と、鎧を身に着ける。
 イリスにとっては慣れっこだ。

 以前、野宿していたらいきなり騎士たちに襲われたこともある。
 この程度の騒ぎで、冷静さを欠くタマではない。

 イリスがすべての準備を終えてたとき、フレイムがやや遠慮がちに訊ねてくる。

「なぁイリス、君にすべてを押し付けるという訳ではないが1つ聞きたい」

「なに? 手短にね」

「おそらく、この兵士たちは君を嗅ぎつけてやってきたんだろうが……」

「なによ、言いたいことがあるのならはっきり言って。おそらくでなくとも、多分アタシを追ってきたのよ」

 イリスは肩を竦めて見せ、フレイムの顔をじっと見る。
 そうか、と言ってフレイムは続けた。

「一応聞いておきたい。……30人殺しのほかに、一体なにやらかした?」

「あぁ、そんなこと?」

 拍子抜けした顔でイリスはフレイムに笑みかける。
 フレイムもつられて、冗談っぽく少し笑んで見せた。

「偶然通った勇者ご一行様のひとりが、アタシにチャチャいれてきたから、ぶった斬ってやったの」

 イリスの言葉に一瞬黙るフレイム。

「……あぁ、そいつは最高だ。道理でたったひとりの人斬りに、あの規模の兵士を導入してくるわけだ」

「トラブルまで持ち掛けてくる旅の連れって、早々にクビにしたほうがよくない?」

「いいや、私の性に合ってる。気に入ったぞ、イリス・バージニア」

 そうこうしている内に、兵士たちはホテル内へとなだれ込んでいく。
 あと数分もしないう内に、自分達のいる部屋までやってくるだろう。

 だが、フレイムもイリスも特に焦りはしない。
 イリスに至ってはその兵士すら皆殺しにする気満々だ。

「レディ。血沸き肉躍るのは勝手だが、今は逃げることが先決だ」

「なに? 臆病風にでも吹かれたの?」

 イリスは、ほくそ笑みながら挑発する。
 だが、それすら気にも留めず、フレイムはいきなり窓をカチ割った。

「戦う場所と時期は見定めろ。常に戦って勝つことのみが勝負ではない。逃げれそうなら逃げるべきだ」

 そう言って諭すと、イリスを手招きする。
 割れた窓から強風がなだれこんだ。

 イリスは思わず目を細めると同時に、これから起こる行動を察した。

「こっから飛び降りる気!?」

「なんだ? 臆病風にでも吹かれたか?」
 
「いやいやいや、でも、ねぇ、いくらなんでも高すぎない?」

「これくらいが丁度いいんだ。そら、しっかりつかまれ!!」
 
 そう言っていきなりイリスの腰に右手をまわし、がっしりと抱きしめた。

「ちょ、フレイム! 待って、離して……ッ!」

「飛ぶぞぉぉおおおおおお!!!」

 まるで子供のようにはしゃぎながら、軽やかなジャンプで窓の外へ。
 勢いよく飛んだ体は、徐々に重力に従い、加速しながら下へと落ちていく。

「ちょっとダメ! スカートが……ッ!」

「おやコレは失敬。だが高い所から落ちればスカートがそうなるのは、致し方ないことだ、うん」

「見てんじゃないわよ! どうすんのよ、もうすぐ地面に叩きつけられるわ!」

 ふたりが落ちてくることに気づいた地上の兵士たちは、慌てふためきながら救助用の特殊マットを敷こうとしているが、間に合いそうもない。
 
「チッ、ターゲットが飛び降りることをあまり視野に入れていないな? 無能のカスどもめ」

「あんな高いところから飛び降りるなんて、誰も想像しないわよ!」

「安心しろ、プランB発動だ。……君、かなり痛いのは平気か?」

「……は?」

「聞き返しはイエスと捉えるぞ! ――――Missing-F!」

 半ば強引な作戦発動に、イリスは更に狼狽する。
 加えて神託の発動。

 イリスは、なにをするのかと思考を巡らした。
 そして、プランBの正体にいきつく。

「ファイヤァァアアアアアア!!!」

「ちょっとやめなさいバカやめろ!」

 現れた2体の幻影。
 あらゆる状況下でもベストな破壊力を発揮できる幻影のパンチが、イリスとフレイムを襲う。
 ふたりは勢いよく、地面ではなく海の方へと吹っ飛んでいった。
 
「ぐぅ、さすがは自分の幻影……一撃が重い」

 宙を高速で飛ぶ中、フレイムは腕をさする。
 発案者であったため、防御行動はすぐさまできた。
 それでも、自身の能力の力にダメージを負ったのだ。

「おぉ、イリス。大丈夫か?」

「…………」

「なんと……。吹っ飛びながら、気絶している」

 イリスは対処が間に合わず、もろに腹部に直撃を得た。
 白目を向き、脱力した姿勢で進行方向へと飛ぶ。

「ともあれ作戦は成功だ……あとはこのまま……」

 チラリと前方を見る。
 このとき、フレイムはたった1つの過ちに気づいた。

「あぁ……まずい」

 フレイムの進行方向には石造りの建物。
 自分を吹っ飛ばしたときの、角度調整を誤ったのだ。

 当然もう1度進行方向を変えることなどできず、壁を突き破り、建物の室内へ直撃した。

 一方、イリスはそのまま海の方へと吹っ飛んでいく。
 イリスが意識を取り戻したのは、海面間近の距離だった。

「……もう好きにして」

 すべてを諦めたイリスは、平石による水切りのように、海面に叩きつけられ、ブクブクと沈んでいった。