「さて、ミラ。我々は一端、港街の方へと戻る。だが、あそこは今サキュバス狩りで盛りきっている。どう考えても入った瞬間にゲームオーバーだ」
「そうですか……あの、私は構いませんわ。街の外で……人々の見つからないところで待っておりますので」
「はぁ? 別にいいじゃない。襲い掛かってきたならアンタの体術でぶっ飛ばせばいいのよ」
「ダメです! 平和的ではありません!」
イリスはミラの平和思考に頭を抱える。
頭に血が昇っていたとはいえ、それでも寸部の狂いなく殺す気で放った斬撃。
それを完全に見切り、受け止め、果ては自分を捻じ伏せてしまったのだ。
一種のもったいなさを感じるイリスであった。
「……でも、よく決断したわね。フレイムの提案受け入れたのはいいけど、アタシは人斬り……言うところの殺人鬼。そんな奴と一緒にいたいなんて、アンタもどうかしてんじゃない?」
イリスはミラを茶化すように顔を近づける。
ミラの顔が一瞬曇った。
やはりか、とイリスはミラの心にくすぶる、自分への猜疑心を見抜く。
だが、ミラは一呼吸置いた後、イリスの肩を掴み、しっかりと彼女の目を見て告げた。
「確かに、アナタといることはこの上なく恐ろしいことです。ですが、逃げるわけにはいきません……」
「え、えっと……なにに?」
「決まっています! アナタの更生です! いつまでも孤独に怯えている場合ではありません。私は、私の使命を果たします!」
「ちょっと待って。アタシの更生ってなによ? アタシは別にそういうの求めてないんですけど」
そっぽを向くイリスに、ミラの怒涛の説教。
そんな彼女たちの顔を、面白そうに交互に見るフレイム。
イリスは、早く止めろと視線でフレイムに訴えかけた。
肩を竦めながらもその意思を汲み取り、ともかくこの洞窟から出ることにする。
外界への道中、ミラは何度かサキュバスの街の方を振り返った。
その表情に名残惜しさ、そして悲しみと寂しさであふれていた。
外からの光が差し込むくらいにまで出口に近づくと、覚悟を決めたように歩調を速くする。
「ん~……ッ、やっぱり外はいいわね。風が気持ちいいわ」
イリスが軽く伸びをする。
ミラは太陽の光に目を細め、手で目元を覆う影を作っていた。
「さて、馬車を待たせている。御者には金を握らそう。そうすればサキュバスとて乗せてはもらえるだろう」
「あ、あの、そんなことをなさらずとも、飛ぶことなら出来ますし……」
「えぇい、君は控えめなのか大胆なのかわからん奴だな。いいかね、君は晴れてこのフレイム・ダッチマンの同行者となったのだ。同行者である以上、遠慮は無用だ。わかったらさっさと行くぞ」
そうして、3人はうまく馬車に乗ることが出来た。
「い、意外にすんなりと……」
「でしょ? コイツ金持ちだからこういうの得意なの」
うつらうつらと向かいで腕を組みながら寝ているフレイムの足を、爪先で小突く。
「あの、イリス。少し気になったことがあるのですが……」
「なに? 言っとくけどアタシのことをどうこういうのは……」
「違いますわ。その、ダッチマン卿のことです。彼は、叡智の果実を求めてらっしゃるのですよね?」
「……それがなに?」
自分のことではないとわかると、少し安心したように、イリスは視線だけをミラに向ける。
「なぜ、彼は叡智の果実を?」
「……食べるためじゃないの?」
イリスが答えると、ミラは静かに首を横に振る。
「叡智の果実は、確かに食した者に知恵と力を与えます。それが超能力、今でいう神託です。ですが、彼は既に神託者……なぜ今さらそんなものを求めるのかな、と」
「……? 食べてまた新しい神託でも手に入れるんじゃあないの? ま、そうなってもアタシはブッタ斬るだけよ。アタシはそれまでの同行者だから」
フンッと鼻を鳴らし、眠りにつくフレイムを睨むイリス。
だが、ミラは腑に落ちないといった顔だった。
(フレイム・ダッチマン……、思った以上に謎の多い人物のようですね。もしも、……もしも食べることが目的でないなら……、一体彼は叡智の果実になにを見出しているのでしょうか)
そうこうしている間に、馬車は街へとつく。
日は既に沈みかけ、街は夜の賑わいが生まれつつあった。
「……ついたか。ふむ、ミラよ、とりあえず君のその格好は目立つ。こんなこともあろうかとサキュバスの街から持ってきたこのローブを着るがいい。あと、翼は確か魔力かなにかで消せるんだったな。それも一応やっておくといい」
「……お心遣い、感謝いたしますわ」
「さ、行きましょ」
人ごみをかき分けながら、宿への道のりを進む。
ミラはローブについていたフードを深くかぶりふたりのうしろを歩く。
彼女はこれ以上ないまでに緊張していた。
フードの中から外を覗くたびに、何度か行き交う人々と目が合う。
その度に、心臓が跳ね上がりそうになった。
(……サキュバスを、殺す街)
不安で呼吸が乱れる。
そんなとき、ふと手に強い感触が伝わった。
イリスが前を見ながらも、ミラの手を掴み引っ張っているのだ。
彼女がなぜこのような行動を起こしたのか、それはわからない。
前を向いているため、表情は読み取れない。
だが、そのちょっとした気遣いが、ミラはうれしかった。
(……ったく、神託殺しにこんなことさせないでよ)
(仕方あるまい、プレッシャーに圧し潰されて妙なことされるのも面倒だ。それに、君、あのミラというサキュバスに、なにか思うところがあるんじゃあないのか?)
(は? いきなりなにを……)
(ミラという名前を聞いた瞬間、君の表情が面白い具合に反応したからね。きっと君の過去に準ずるなにかがあるんじゃあないかと思ってね)
小声で交わすイリスとフレイムの会話。
イリスはフレイムの言葉に一瞬殺意を巡らせた。
いくらフレイムと言えど、自分のあの"過去"を弄っていいわけがない。
約束などもういい、斬り捨てようと思った瞬間、フレイムがまた語り掛ける。
(今君は右手を使ってミラの手を引いている。私を斬ろうとするのなら左手を使うわけだが、抜刀に時間がかかりそうだな? 抜いている間に君の首を圧し折ることが容易になってしまうなぁ)
(…………ッ)
ミラの手を握っている手を強めつつ、殺気を掻き消した。
(賢明な判断感謝する。そして謝罪しよう。そうか……君にとって過去の話はタブー中のタブーらしいな)
(……次はないわよ)
ギスギスとした空気が流れるふたりを見ながら、ミラはイリスの手を強く握り返す。
それに驚いたイリスがミラに視線を向ける。
ミラは、イリスに対し、ニコリと笑んで見せた。
その笑みに、ピクリと反応するイリス。
だが、そっぽを向くように前へと視線を戻す。
「……イリス」
ミラは小さく呟いた。
ミラは、あの物置でイリスの残虐性と真正面から向かい合った
そして、自分の無力をも知った。
だからこそ思う。
自分にできることはないか……、イリスを含む全ての救われるべき存在を、救うことを。
「さて、宿屋についたぞ。ミラも泊まれるよう手続きをしてくる」
「はぁ~、つっかれた。というか、アタシ今日1日誰も斬ってないんじゃあない?」
「ほう、それはすごいな。君のことだから、こうして歩いている間に神託者を幾人か殺したのではないかと思ったぞ?」
(……手ぇ握ってたのに出来るわけないでしょ)
手続きを終え、部屋に戻る。
帰省によって戻ってきた部屋の中、といった感覚がイリスに巡った。
「さて、今日はご苦労である。食事を摂りに行こう。今宵は歓迎会でも開こうではないか」
「そんなお気遣いなく……」
「ちょっと歓迎会ってなによ? アタシそういうのなかったんだけど?」
「私のことを殺したくて仕方がない君が、歓迎会を求めるとは……最近の若者は理解できん」
「は? 貰えるもんは貰っとくのがアタシの主義よ。さぁ、アタシの歓迎会もしなさい」
「偉そうに言うな。まぁ……かまわんが。さてミラ、今宵は君と……ついでにイリスの歓迎会だ。是非とも参加をしてくれ」
「……ふふふ、わかりました」
夜の帳が落ち始め、街に様々な色の光が満ち始める。
3人は宿を出て、店を探した。
フレイムは周りを見渡しながら、イリスは半ば気だるそうに欠伸をしながら。
そしてミラは、そのふたりを見ながらフードの中で微笑む。
3人の行く道を街の光が照らした。
同時に、日中は目立たぬ影の部分がそれに比例し濃く彩る。
まるで彼らの後をせせら笑いながらついていくように。
「そうですか……あの、私は構いませんわ。街の外で……人々の見つからないところで待っておりますので」
「はぁ? 別にいいじゃない。襲い掛かってきたならアンタの体術でぶっ飛ばせばいいのよ」
「ダメです! 平和的ではありません!」
イリスはミラの平和思考に頭を抱える。
頭に血が昇っていたとはいえ、それでも寸部の狂いなく殺す気で放った斬撃。
それを完全に見切り、受け止め、果ては自分を捻じ伏せてしまったのだ。
一種のもったいなさを感じるイリスであった。
「……でも、よく決断したわね。フレイムの提案受け入れたのはいいけど、アタシは人斬り……言うところの殺人鬼。そんな奴と一緒にいたいなんて、アンタもどうかしてんじゃない?」
イリスはミラを茶化すように顔を近づける。
ミラの顔が一瞬曇った。
やはりか、とイリスはミラの心にくすぶる、自分への猜疑心を見抜く。
だが、ミラは一呼吸置いた後、イリスの肩を掴み、しっかりと彼女の目を見て告げた。
「確かに、アナタといることはこの上なく恐ろしいことです。ですが、逃げるわけにはいきません……」
「え、えっと……なにに?」
「決まっています! アナタの更生です! いつまでも孤独に怯えている場合ではありません。私は、私の使命を果たします!」
「ちょっと待って。アタシの更生ってなによ? アタシは別にそういうの求めてないんですけど」
そっぽを向くイリスに、ミラの怒涛の説教。
そんな彼女たちの顔を、面白そうに交互に見るフレイム。
イリスは、早く止めろと視線でフレイムに訴えかけた。
肩を竦めながらもその意思を汲み取り、ともかくこの洞窟から出ることにする。
外界への道中、ミラは何度かサキュバスの街の方を振り返った。
その表情に名残惜しさ、そして悲しみと寂しさであふれていた。
外からの光が差し込むくらいにまで出口に近づくと、覚悟を決めたように歩調を速くする。
「ん~……ッ、やっぱり外はいいわね。風が気持ちいいわ」
イリスが軽く伸びをする。
ミラは太陽の光に目を細め、手で目元を覆う影を作っていた。
「さて、馬車を待たせている。御者には金を握らそう。そうすればサキュバスとて乗せてはもらえるだろう」
「あ、あの、そんなことをなさらずとも、飛ぶことなら出来ますし……」
「えぇい、君は控えめなのか大胆なのかわからん奴だな。いいかね、君は晴れてこのフレイム・ダッチマンの同行者となったのだ。同行者である以上、遠慮は無用だ。わかったらさっさと行くぞ」
そうして、3人はうまく馬車に乗ることが出来た。
「い、意外にすんなりと……」
「でしょ? コイツ金持ちだからこういうの得意なの」
うつらうつらと向かいで腕を組みながら寝ているフレイムの足を、爪先で小突く。
「あの、イリス。少し気になったことがあるのですが……」
「なに? 言っとくけどアタシのことをどうこういうのは……」
「違いますわ。その、ダッチマン卿のことです。彼は、叡智の果実を求めてらっしゃるのですよね?」
「……それがなに?」
自分のことではないとわかると、少し安心したように、イリスは視線だけをミラに向ける。
「なぜ、彼は叡智の果実を?」
「……食べるためじゃないの?」
イリスが答えると、ミラは静かに首を横に振る。
「叡智の果実は、確かに食した者に知恵と力を与えます。それが超能力、今でいう神託です。ですが、彼は既に神託者……なぜ今さらそんなものを求めるのかな、と」
「……? 食べてまた新しい神託でも手に入れるんじゃあないの? ま、そうなってもアタシはブッタ斬るだけよ。アタシはそれまでの同行者だから」
フンッと鼻を鳴らし、眠りにつくフレイムを睨むイリス。
だが、ミラは腑に落ちないといった顔だった。
(フレイム・ダッチマン……、思った以上に謎の多い人物のようですね。もしも、……もしも食べることが目的でないなら……、一体彼は叡智の果実になにを見出しているのでしょうか)
そうこうしている間に、馬車は街へとつく。
日は既に沈みかけ、街は夜の賑わいが生まれつつあった。
「……ついたか。ふむ、ミラよ、とりあえず君のその格好は目立つ。こんなこともあろうかとサキュバスの街から持ってきたこのローブを着るがいい。あと、翼は確か魔力かなにかで消せるんだったな。それも一応やっておくといい」
「……お心遣い、感謝いたしますわ」
「さ、行きましょ」
人ごみをかき分けながら、宿への道のりを進む。
ミラはローブについていたフードを深くかぶりふたりのうしろを歩く。
彼女はこれ以上ないまでに緊張していた。
フードの中から外を覗くたびに、何度か行き交う人々と目が合う。
その度に、心臓が跳ね上がりそうになった。
(……サキュバスを、殺す街)
不安で呼吸が乱れる。
そんなとき、ふと手に強い感触が伝わった。
イリスが前を見ながらも、ミラの手を掴み引っ張っているのだ。
彼女がなぜこのような行動を起こしたのか、それはわからない。
前を向いているため、表情は読み取れない。
だが、そのちょっとした気遣いが、ミラはうれしかった。
(……ったく、神託殺しにこんなことさせないでよ)
(仕方あるまい、プレッシャーに圧し潰されて妙なことされるのも面倒だ。それに、君、あのミラというサキュバスに、なにか思うところがあるんじゃあないのか?)
(は? いきなりなにを……)
(ミラという名前を聞いた瞬間、君の表情が面白い具合に反応したからね。きっと君の過去に準ずるなにかがあるんじゃあないかと思ってね)
小声で交わすイリスとフレイムの会話。
イリスはフレイムの言葉に一瞬殺意を巡らせた。
いくらフレイムと言えど、自分のあの"過去"を弄っていいわけがない。
約束などもういい、斬り捨てようと思った瞬間、フレイムがまた語り掛ける。
(今君は右手を使ってミラの手を引いている。私を斬ろうとするのなら左手を使うわけだが、抜刀に時間がかかりそうだな? 抜いている間に君の首を圧し折ることが容易になってしまうなぁ)
(…………ッ)
ミラの手を握っている手を強めつつ、殺気を掻き消した。
(賢明な判断感謝する。そして謝罪しよう。そうか……君にとって過去の話はタブー中のタブーらしいな)
(……次はないわよ)
ギスギスとした空気が流れるふたりを見ながら、ミラはイリスの手を強く握り返す。
それに驚いたイリスがミラに視線を向ける。
ミラは、イリスに対し、ニコリと笑んで見せた。
その笑みに、ピクリと反応するイリス。
だが、そっぽを向くように前へと視線を戻す。
「……イリス」
ミラは小さく呟いた。
ミラは、あの物置でイリスの残虐性と真正面から向かい合った
そして、自分の無力をも知った。
だからこそ思う。
自分にできることはないか……、イリスを含む全ての救われるべき存在を、救うことを。
「さて、宿屋についたぞ。ミラも泊まれるよう手続きをしてくる」
「はぁ~、つっかれた。というか、アタシ今日1日誰も斬ってないんじゃあない?」
「ほう、それはすごいな。君のことだから、こうして歩いている間に神託者を幾人か殺したのではないかと思ったぞ?」
(……手ぇ握ってたのに出来るわけないでしょ)
手続きを終え、部屋に戻る。
帰省によって戻ってきた部屋の中、といった感覚がイリスに巡った。
「さて、今日はご苦労である。食事を摂りに行こう。今宵は歓迎会でも開こうではないか」
「そんなお気遣いなく……」
「ちょっと歓迎会ってなによ? アタシそういうのなかったんだけど?」
「私のことを殺したくて仕方がない君が、歓迎会を求めるとは……最近の若者は理解できん」
「は? 貰えるもんは貰っとくのがアタシの主義よ。さぁ、アタシの歓迎会もしなさい」
「偉そうに言うな。まぁ……かまわんが。さてミラ、今宵は君と……ついでにイリスの歓迎会だ。是非とも参加をしてくれ」
「……ふふふ、わかりました」
夜の帳が落ち始め、街に様々な色の光が満ち始める。
3人は宿を出て、店を探した。
フレイムは周りを見渡しながら、イリスは半ば気だるそうに欠伸をしながら。
そしてミラは、そのふたりを見ながらフードの中で微笑む。
3人の行く道を街の光が照らした。
同時に、日中は目立たぬ影の部分がそれに比例し濃く彩る。
まるで彼らの後をせせら笑いながらついていくように。