さて、時間は遡り、宮殿の物置にて。
今まさにカイウスを斬り裂かんとしていたイリスの前に、ミラが立ちふさがっていた。
「そこを……、どけぇええ!!」
「行かせは、しない!」
邪魔をするミラに容赦なく振り下ろされようとする片手上段。
ミラは怯えることなく、振り下ろされる前に薙ぎ気味に右手刀を繰り出す。
イリスの右腕とミラの右腕がぶつかった直後、ミラは左足を1歩前に。
同時に、右手でイリスの右手首を掴み、左手で二の腕を掴んで、下から押し上げる。
「ぐがっ!?」
「はぁあ!!」
イリスの手首をひきつつ、円を描くように地面へ伏せさせ、右腕を捻りあげる。
ギリギリと軋む痛みで刀を落とすと、ミラの組み付きでイリスは瞬く間に動きを封じられた。
「今の内です。カイウス君、アナタはこの洞窟から脱出なさい!」
「ミラおねえさん……ッ!」
「早くッ!」
ミラの叫びと共にカイウスは脇目も降らず外へと駆けだしていった。
「痛ッ! この……なに余計なことしてくれてんのよ。この腕、ほどけぇ!!」
「いいえ、このままアナタを拘束させていただきます! このままだと、カイウス君の身が危ないですわ!」
絶対に放すまいと技の力を強めていった。
ミラはカイウスを助けたいと、誰よりも願っていた。
「こんの……いい加減にッ、しろぉ!」
「コラ! 暴れないで!」
イリスが力任せに身をよじり始める。
普通の人間ならまだしも、彼女の驚異的な身体能力にミラの技が崩れ始めた。
だが、技をかけられている以上、こうして無理に動こうとすれば、並以上の拘束力からくる痛みは絶大だ。
「ぐがぁあ!!」
(な、なんて力ッ!? 抑え、きれない!)
ものの数分で振り払われ、近くの荷物に叩きつけられた。
ミラは激痛で顔を歪めたが、イリスもまた苦痛に喘いでいる。
ミラの柔術、その拘束から無理に出ようとした反動により、腕に激痛がまとっているのだ。
「ハァ、ハァ……、邪魔、すんなぁ!!」
刀を拾い上げると、すっぽ抜けないように両手で握りしめ、脇構えからの一閃。
頭に血は昇っていてはいたが、ミラの首目掛けて、正確な軌道で振るう。
「甘いッ!」
「なにッ!?」
ミラはその太刀筋を完全に見切ったうえで白刃取り。
その行動にイリスは肌が泡立つ。
腕の立つ者、数多く相手にすれど、こんな芸当をされたのは彼女が初めてだ。
まるで万力で挟まれたかのように刀がビクともしない。
「このような荒事はもうおやめなさい。でなければ、この刀を圧し折ります!」
「アンタまで変な発想しないでよそういうのはフレイムで手一杯なの!!」
「脅しではありません! サキュバスとて魔物。鋼の1つや2つくらいなんとでも! ……あの子の無事のためならッ……!」
ミラの真っ直ぐな視線。
イリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼女の視線と心根にやりにくさを感じた。
簡単にいえば苦手意識だ。
――まるで本当に母親に怒られているような、そんな気持ちが。
もういいと言わんばかりに拮抗していた力をゆるめ、ミラの手から刀を離させる。
「……勝手にしなさい」
「ありがとうございます……わかってくれて」
そう言うや、ミラは近づきイリスの右腕に魔力を込めた両手をあてる。
突然の行動にイリスは一瞬驚いた。
ミラに先ほどの敵意はない。
むしろ慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
そればかりか……。
「動かないでください。今、回復を施しますので」
「え……、あ、あぁ、どうも……」
右腕の痛みがひいていく。
先ほどの動かしにくさはない。
だが、当たり前のようにこのような行動を起こす彼女に、イリスは酷く困惑していた。
「もう、あんなことしないでくださいね」
「アンタ、頭おかしいんじゃない? 自分を殺そうとした相手を回復させるなんて」
「確かにそうかもしれません。でも、アナタはやめてくれました。……殺気をまといし敵対者と和合する……これほどに良い考え方がありますか?」
「甘いわね……隙を見て殺すかもしれないわよ? アンタもあのガキも」
「そのときは……私が全力で止めますわ。この間合いで下手な動きができないことぐらい、アナタならわかるでしょう?」
イリスは黙った。
黙ってミラの治療を受ける。
自分を痛めつけた奴を庇うだけにあきたらず、襲い掛かってきた相手に回復を施すなど、イリスからしたら常軌を逸した行為に見えた。
だが、目の前にいるこのサキュバス、ミラは本気だ。
これが自分のやるべきことと、一切の迷いなく行っている。
イリスは、一種の恐怖心を覚えた。
自分を傷つけようとした相手を許そうとするなど、ましてや慈悲を与えようとするなど通常ではありえない。
あり得るはずがないのだ。
「……さて、回復したわけだけど。どうすんの? あのガキ、追いかけるんでしょ?」
「えぇ、……カイウス君、無事だといいのですが」
「やけにアイツの肩を持つわね」
「……まだ、小さい子供です。あまりいい環境にいたわけではないようですし……でも、きっとわかりあえます。だから、今は私を信じてください」
ミラの真剣な眼差しに、イリスは少し考える。
カイウスが子供であれ、イリスにとっては『男』であり『神託者』。
それも、壮絶な過去を再現するかのような乱暴をしようとした子供でもある。
それだけでもイリスにとって殺すには十分すぎる理由だ。
「……チャンスをあげる。でも、失敗したら即殺すから」
強い口調でそう忠告する。
こんなことは初めてだった。
神託者の為にこんな条件を出すなど、今までであれば考えもしなかったことだ。
まさか、自分はミラに心を許し始めている?
そう考えるも、すぐに振り払った。
(クソ……最近ペースが乱されっぱなしね。こうなったのも……フレイムのせいよ。もういい、全部アイツのせいにしてやる!)
ふたりはカイウスを追いかけた。
ミラはまるで迷子になった息子を探すように必死な形相で、カイウスの名を叫びながら駆け抜ける。
イリスは半ば嫌そうについていった。
ミラはああはいうが、やはりイリスの中では鬱屈としたものが残っている。
そして、前話のフレイムとカイウスの会合まで時間軸は進む。
「……"お姉ちゃん"と言ったな? つまり、君が彼女の弟……カイウスというわけか」
「…………」
カイウスは呆然と、姉の変わり果てた姿を見ていた。
両膝を突き、後方にアーチを描くように体を反らせている死体。
アーチの頂上にある胸を天に突き上げ、白目を向かせて死に絶える姉。
フレイムの問いには答えない。
その代わりに、頬を伝う涙があった。
私生活で、あれほど痛い目にあったにも関わらず脳裏に浮かぶのは、自分のことをずっと守ってきてくれた姉の、一時の微笑みだった。
なぜそれが浮かび続けるのか、理由はわからなかった。
「彼女は、私を殺そうとした。ゆえに私が殺した。この判断に私は一片の罪悪感も感じていない。……さてどうする? 君にとって、私は愛する者を殺した怨敵そのものだ。……判断しろ、今、自分がどうしたいのかを」
フレイムはカイウスを見下ろす。
その眼光に一切の慢心も油断もない。
カイウスの判断を待つ。
「……おじさん」
「おじさんではない。……なんだ?」
「……お姉ちゃんを倒すくらいだから、きっと僕じゃ敵わない。きっと、神託を使っても」
「そうか。ならばどうするのだ?」
「逃げたって、きっとあの刀を持った女の人に殺される」
「……ほう、イリスに出会ったか。とすればもう無理だな。アイツは狙った獲物は必ず食い殺す狼のような女だ」
「アナタじゃ、止められないの?」
「止めれるだろうが、止める気はない。君を助けてもなんのメリットもないからな。……むしろ、今ここで殺しておいた方が、後々禍根を残さなくていいかもしれん」
その答えに、カイウスはフッと笑みを零した。
涙は枯れ、ポッカリと空いた心には、姉の優しかった部分の思い出がずっと行き来している。
そして、カイウスは転がっていたガラス片を握りしめ、一気にフレイム目掛け駆け抜けた。
歯を食いしばり、鬼のような形相で叫び、ナイフ代わりにとガラス片で突きにかかる。
心の片隅にいつも残っていた姉への愛情と家族の絆がそうさせた。
「……良い、実にいい憎悪だ。そうだとも。生温い善などかなぐり捨て、荒ぶる己の魂を鎮めるために、その刃を振るうといい。――――答えよう、理不尽と愛への渇望に苦しみ続けた小さな君よ。その涙に、答えよう」
そして、凶拳はまだ幼い少年の身体に炸裂する。
今まさにカイウスを斬り裂かんとしていたイリスの前に、ミラが立ちふさがっていた。
「そこを……、どけぇええ!!」
「行かせは、しない!」
邪魔をするミラに容赦なく振り下ろされようとする片手上段。
ミラは怯えることなく、振り下ろされる前に薙ぎ気味に右手刀を繰り出す。
イリスの右腕とミラの右腕がぶつかった直後、ミラは左足を1歩前に。
同時に、右手でイリスの右手首を掴み、左手で二の腕を掴んで、下から押し上げる。
「ぐがっ!?」
「はぁあ!!」
イリスの手首をひきつつ、円を描くように地面へ伏せさせ、右腕を捻りあげる。
ギリギリと軋む痛みで刀を落とすと、ミラの組み付きでイリスは瞬く間に動きを封じられた。
「今の内です。カイウス君、アナタはこの洞窟から脱出なさい!」
「ミラおねえさん……ッ!」
「早くッ!」
ミラの叫びと共にカイウスは脇目も降らず外へと駆けだしていった。
「痛ッ! この……なに余計なことしてくれてんのよ。この腕、ほどけぇ!!」
「いいえ、このままアナタを拘束させていただきます! このままだと、カイウス君の身が危ないですわ!」
絶対に放すまいと技の力を強めていった。
ミラはカイウスを助けたいと、誰よりも願っていた。
「こんの……いい加減にッ、しろぉ!」
「コラ! 暴れないで!」
イリスが力任せに身をよじり始める。
普通の人間ならまだしも、彼女の驚異的な身体能力にミラの技が崩れ始めた。
だが、技をかけられている以上、こうして無理に動こうとすれば、並以上の拘束力からくる痛みは絶大だ。
「ぐがぁあ!!」
(な、なんて力ッ!? 抑え、きれない!)
ものの数分で振り払われ、近くの荷物に叩きつけられた。
ミラは激痛で顔を歪めたが、イリスもまた苦痛に喘いでいる。
ミラの柔術、その拘束から無理に出ようとした反動により、腕に激痛がまとっているのだ。
「ハァ、ハァ……、邪魔、すんなぁ!!」
刀を拾い上げると、すっぽ抜けないように両手で握りしめ、脇構えからの一閃。
頭に血は昇っていてはいたが、ミラの首目掛けて、正確な軌道で振るう。
「甘いッ!」
「なにッ!?」
ミラはその太刀筋を完全に見切ったうえで白刃取り。
その行動にイリスは肌が泡立つ。
腕の立つ者、数多く相手にすれど、こんな芸当をされたのは彼女が初めてだ。
まるで万力で挟まれたかのように刀がビクともしない。
「このような荒事はもうおやめなさい。でなければ、この刀を圧し折ります!」
「アンタまで変な発想しないでよそういうのはフレイムで手一杯なの!!」
「脅しではありません! サキュバスとて魔物。鋼の1つや2つくらいなんとでも! ……あの子の無事のためならッ……!」
ミラの真っ直ぐな視線。
イリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼女の視線と心根にやりにくさを感じた。
簡単にいえば苦手意識だ。
――まるで本当に母親に怒られているような、そんな気持ちが。
もういいと言わんばかりに拮抗していた力をゆるめ、ミラの手から刀を離させる。
「……勝手にしなさい」
「ありがとうございます……わかってくれて」
そう言うや、ミラは近づきイリスの右腕に魔力を込めた両手をあてる。
突然の行動にイリスは一瞬驚いた。
ミラに先ほどの敵意はない。
むしろ慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
そればかりか……。
「動かないでください。今、回復を施しますので」
「え……、あ、あぁ、どうも……」
右腕の痛みがひいていく。
先ほどの動かしにくさはない。
だが、当たり前のようにこのような行動を起こす彼女に、イリスは酷く困惑していた。
「もう、あんなことしないでくださいね」
「アンタ、頭おかしいんじゃない? 自分を殺そうとした相手を回復させるなんて」
「確かにそうかもしれません。でも、アナタはやめてくれました。……殺気をまといし敵対者と和合する……これほどに良い考え方がありますか?」
「甘いわね……隙を見て殺すかもしれないわよ? アンタもあのガキも」
「そのときは……私が全力で止めますわ。この間合いで下手な動きができないことぐらい、アナタならわかるでしょう?」
イリスは黙った。
黙ってミラの治療を受ける。
自分を痛めつけた奴を庇うだけにあきたらず、襲い掛かってきた相手に回復を施すなど、イリスからしたら常軌を逸した行為に見えた。
だが、目の前にいるこのサキュバス、ミラは本気だ。
これが自分のやるべきことと、一切の迷いなく行っている。
イリスは、一種の恐怖心を覚えた。
自分を傷つけようとした相手を許そうとするなど、ましてや慈悲を与えようとするなど通常ではありえない。
あり得るはずがないのだ。
「……さて、回復したわけだけど。どうすんの? あのガキ、追いかけるんでしょ?」
「えぇ、……カイウス君、無事だといいのですが」
「やけにアイツの肩を持つわね」
「……まだ、小さい子供です。あまりいい環境にいたわけではないようですし……でも、きっとわかりあえます。だから、今は私を信じてください」
ミラの真剣な眼差しに、イリスは少し考える。
カイウスが子供であれ、イリスにとっては『男』であり『神託者』。
それも、壮絶な過去を再現するかのような乱暴をしようとした子供でもある。
それだけでもイリスにとって殺すには十分すぎる理由だ。
「……チャンスをあげる。でも、失敗したら即殺すから」
強い口調でそう忠告する。
こんなことは初めてだった。
神託者の為にこんな条件を出すなど、今までであれば考えもしなかったことだ。
まさか、自分はミラに心を許し始めている?
そう考えるも、すぐに振り払った。
(クソ……最近ペースが乱されっぱなしね。こうなったのも……フレイムのせいよ。もういい、全部アイツのせいにしてやる!)
ふたりはカイウスを追いかけた。
ミラはまるで迷子になった息子を探すように必死な形相で、カイウスの名を叫びながら駆け抜ける。
イリスは半ば嫌そうについていった。
ミラはああはいうが、やはりイリスの中では鬱屈としたものが残っている。
そして、前話のフレイムとカイウスの会合まで時間軸は進む。
「……"お姉ちゃん"と言ったな? つまり、君が彼女の弟……カイウスというわけか」
「…………」
カイウスは呆然と、姉の変わり果てた姿を見ていた。
両膝を突き、後方にアーチを描くように体を反らせている死体。
アーチの頂上にある胸を天に突き上げ、白目を向かせて死に絶える姉。
フレイムの問いには答えない。
その代わりに、頬を伝う涙があった。
私生活で、あれほど痛い目にあったにも関わらず脳裏に浮かぶのは、自分のことをずっと守ってきてくれた姉の、一時の微笑みだった。
なぜそれが浮かび続けるのか、理由はわからなかった。
「彼女は、私を殺そうとした。ゆえに私が殺した。この判断に私は一片の罪悪感も感じていない。……さてどうする? 君にとって、私は愛する者を殺した怨敵そのものだ。……判断しろ、今、自分がどうしたいのかを」
フレイムはカイウスを見下ろす。
その眼光に一切の慢心も油断もない。
カイウスの判断を待つ。
「……おじさん」
「おじさんではない。……なんだ?」
「……お姉ちゃんを倒すくらいだから、きっと僕じゃ敵わない。きっと、神託を使っても」
「そうか。ならばどうするのだ?」
「逃げたって、きっとあの刀を持った女の人に殺される」
「……ほう、イリスに出会ったか。とすればもう無理だな。アイツは狙った獲物は必ず食い殺す狼のような女だ」
「アナタじゃ、止められないの?」
「止めれるだろうが、止める気はない。君を助けてもなんのメリットもないからな。……むしろ、今ここで殺しておいた方が、後々禍根を残さなくていいかもしれん」
その答えに、カイウスはフッと笑みを零した。
涙は枯れ、ポッカリと空いた心には、姉の優しかった部分の思い出がずっと行き来している。
そして、カイウスは転がっていたガラス片を握りしめ、一気にフレイム目掛け駆け抜けた。
歯を食いしばり、鬼のような形相で叫び、ナイフ代わりにとガラス片で突きにかかる。
心の片隅にいつも残っていた姉への愛情と家族の絆がそうさせた。
「……良い、実にいい憎悪だ。そうだとも。生温い善などかなぐり捨て、荒ぶる己の魂を鎮めるために、その刃を振るうといい。――――答えよう、理不尽と愛への渇望に苦しみ続けた小さな君よ。その涙に、答えよう」
そして、凶拳はまだ幼い少年の身体に炸裂する。