「ダッチマン卿、アナタには善良の意思がないのですか!」

「うるせぇ」

「うるさくない!!」

 結局捕まったフレイムは、ミラの説教を延々と聞かされ悪態をついていた。
 早く終われと言わんばかりと貧乏ゆすりを始めるフレイムにミラはさらに語気を荒くする。

「私がどれほど恐ろしかったか理解できますか!? できないでしょう!? それなのにアナタは私を置いてけぼりにしようとして……人間として、恥ずかしくないのですか!」

「……」

「なんでだんまりを決め込むんですか! ちゃんと! 私の! 目を! 見て!」

 身体つきは一級品。
 だが、どうも自分とは反りが合わない。

 フレイムは、人生のままならなさを改めて実感した。
 まぁ彼の場合、反りが合おうが合わなかろうが、美女であれば容易に抱こうとするのだが。

「がっかりしたのは……こっちのほう、ですッ!」

 身を震わせながら涙ぐむミラ。
 鬱陶しいとは思うがいやはや。
 これは中々に嗜虐心をそそられるじゃあないか、と内心思う。

「ふん、淫靡の化身が随分と女々しいものだ。サキュバスは加虐思考者が多いと思っていたが……」

「そ、それは偏見です! 私はそういうのではありません!」

「ほう、では、1度たりとも男を求めたことがないと? 男を支配し、絞り出そうとしたことも?」

 この問いに、ミラの表情が真っ赤に染まる。
 人間の生娘の反応とほとんど変わらない。
 まぁもっともこの洞窟に男はいないのだから求めようにも求められないのだが。

「ふ、不埒です!」

「サキュバスがそれを言うのか……」

「そういうのはもっとお互いのことをよく知り、さらなる愛情を深める行為として、尊重のもと行うことであり、男性を餌のように虐げるためにする行いではありません!」

「真面目か君は……」

「そ、それに……、そういう行為をする前にですね……。まず段階というモノがあって……その……文通をしたり、たまの出会いにはお茶をしたりして親睦を深めること数十年かけて……。あぁ! ダメ! 言うだけでも恥ずかしい!!」

「ポンコツか貴様ァーーーーッ!! あと交際のスパン長すぎだボケ!」

 イリスがいない今、この空気をおさめられる者はいない。
 絶世の美女を前に、ここまで頭が痛くなるとは。
 叡智の果実のこともあり、フレイムの気分は少し低落気味だった。

 ここにないとすれば、最有力候補である()()()()()

「くっ……、ともかくここを出ましょう。アナタのお仲間もきっと待ちぼうけをくらっているはずです」

「そうだな、もう行こう、うん、さっさと行こう」

 今度はどこに放置しようか。
 そればかり考えながら、出口を探す。
 
 すると、ふたりの耳にかすかな音色が聞こえてくる。
 それは、ミラにとってトラウマそのもの。
 ――――ハープの弦が奏でる音色だ。

「……まさか、今になって黒幕が現れたか?」

「そんな……嫌、イヤぁ……」

 フレイムの後ろでガタガタと身を震わせ始めるミラ。
 小さく後ずさりを始め、忙しなく周りを見渡し始める。
 
「待て、むやみやたらに動くな。そうなればたちまち狙い撃ちされるぞ?」

「動くなですって!? 急いで出口に向かわなければ皆死にますわ!」

 そう言うと、半狂乱状態でフレイムの脇を駆けていく。
 耳を両手でふさぎ、一心不乱に走った。

「クソ女め……。だが、奴が動き回ることで、演奏者の位置特定が可能になるやもしれん」

 ミラの行動を逆手に取り、索敵に専念する。
 彼女とは適度な距離を保ちながら、陰から陰へと移動していく。

(音が近いな。おそらくこの演奏者の目的は生き残りのサキュバスの駆逐。もしかしたら、昨日のサキュバスの処刑に立ち会っていたのかもしれん)

 サキュバスと行動を共にしていた人間。
 恐らく、自分達も駆逐対象になっている可能性が高い。
 戦闘の覚悟はすでに出来ている。
 次の物陰へと移ろうとした、次の瞬間。 

「きゃあああああああああ!!」

 ミラの悲鳴が響く。
 無数の黒い腕が彼女を捉えようとしていた。
 腕を掴まれ、脚に絡みつき、口を覆われ、美しい胴体にベタベタとその掌が張り付いていく。

「ふん、捕まったか。さて、演奏者は……、いた(・・)




 演奏者の正体は若い女性だった。
 片目が隠れるほどにボリュームのある長い髪に、蛇のように絡みつく目付き。
 祭りの仮面のように、吊り上がった口角。
 黒いドレスをまとい、手にはハープを抱きながらミラに近づいていく。

「あら、あらあらあら~~? ちょぉっと心配になってきてみたら、やっぱりいたわぁ。女の形をした薄汚いゴミがッ」

 ねっとりとミラに笑みかける女。 
 だが、その目は獲物を前にした蛇だ。
 その女から感じるのは、侮蔑、そして憎悪。

「私のかわいいかわいい弟がねぇ。私に言ったの。……『サキュバスに会いたい!』って、キラキラした目で私に言うのよ? かわいい弟のためなら、なんでもしてあげたい。なんでも買ってあげたい。でも、サキュバスなんていう、汚い欲望の化身に合わすなんていけないわ! あの子は穢れちゃいけないの……。いつまでも清らかで美しくなくちゃあいけないの。わかるかしら?」

 ミラを見下ろし、唾を吐き捨てる。
 
「わかるわけないわよねぇ? 年中発情して頭が沸騰してるアンタたちに。家族愛が分かるわけないわよねぇ? えぇ、わかるはずがないですとも。……そこのアナタもそうは思わない?」

 女は殺意と共に、フレイムの方へと視線を向ける。
 どうやら、すでに認知していたようだ。
 そのまま、フレイムは歩み寄る。

「見事な力だな。そのサキュバスは殺すのか?」

「うふふ、変なこと言わないでぇ? 確かに私の"神託"で絞め殺したり、圧し殺したりはできるけど……そういうのは教育上よろしくないわ」

 向き合うふたりに闘気の渦が立ち込める。
 女はわざとらしくナヨナヨしてみせているが、今すぐにでも殺したいという気迫が隠しきれていないほどに漏れていた。

「私の名はエーディン。神託『セイレーン』の能力によって、このハープの音色を媒体に異次元の腕を操り、どんなものでも異次元空間へと引きずり込む。……それは、アナタも例外ではなくてよ?」

 そっとハープに手を添える。
 旋律を奏でながら、サキュバスたちを異次元空間に葬った際の顔を、フレイムはふと思い描いてみた。
 
「素晴らしい神託だ。……なるほど、君に狙われた地点で、すべては君の掌の上ということか」

「そういうことよ。……そういえばアナタ、随分とこのサキュバスと仲良くしてたわね? これはもう有罪確定ね。異次元空間永遠の旅にご招待してあげる」

「クレーム不可避な企画だな……。私なら企画書段階で破り捨てる以前に殴り飛ばしている案件だ。……異次元空間には今も囚われのサキュバスたちが?」

 エーディンはクスクスと笑う。
 言葉にはしないが、この女のことだ。
 死よりも残酷な仕打ちをしているに違いない。

「安心してぇ。ちゃぁんと催し物も用意してるわぁ。サキュバスの前にね、団体様(・・・)を入れてあるの。その団体様が、サキュバスたちの相手をしてるわぁ。……殺し合って最後まで生き残った団体を、外の世界に出してあげるってね? ま、今はどうなってるか知らないけど」

「ハハハ、それはいいビックイベントだ。大いに盛り上がっているだろうな?」

 フレイムとエーディンは、世間話でもしているかのようにゲラゲラと笑っている。
 そんなふたりの会話を聞いていたミラの目から、涙が零れ落ちた。

 大切な仲間たちが、恐怖の中で殺し合っている。
 そう思うと、慈愛の心が傷付かずにはいられない。
 
(私では……誰も救えないのですか? ……主よ、私たちは、救われる価値のない生き物なのですか? 確かに、私たちは人間にとって、邪な存在なのでしょう。……ですが、互いに歩み寄ろうという意志をもってはならぬなど、一体誰が決めたのです。理解しあってはいけないのですか? そのために動くことは、人間だけに許された特権なのですか?)

 ミラの涙が地面を濡らしていく。
 自分もまた、地獄へと送られるのだろう。
 折角手に入れた信仰さえも失いかけた、その直後。
 
「……ふーん、サキュバスって、そういう風にも泣くんだ」

 宙を走る鋭い閃光が、異次元の腕を次々と滑り、それに沿って細切れになっていく。
 解放されたミラの瞳に映ったのは、ひとりの少女。

 残心と納刀、そして深呼吸。
 煌めく蒼鎧に、亜麻色の髪。
 川の流れのように、緩やかにはためく布地。
 ――――イリス・バージニア。

「アナタは……」

「苦労したわ、アナタたち探すの」

 跪くミラを一瞥した後、エーディンのほうに身体を向けた。