次の日の朝早くにふたりは目覚め、行動を起こす。
馬車で4時間。
正確には、まともに動く馬車を探すのに2時間。
目的の山の麓に到着したのが更に2時間。
「誰かが荷馬車を斬りまくらなければ……」
「いつまで蒸し返してんのよ。ほら、ついたわ」
岩肌をむき出した巨山がふたりの前にそびえ立つ。
山頂には不穏な雲が陰り、今にも邪悪な存在が舞い降りてきそうな雰囲気だ。
いつか幼いとき、絵本の中で見た竜の住む山。
ただそびえるだけで不気味そのものの顕現であるかような。
ずっと見ていると、心の内の暗い部分からなにかが這い出てきそうな気分になる。
「この山の頂上に、登るってわけね」
「……勇気があるな君。だが低酸素低体温で死にたいのなら、まず、サキュバスの縄張りである"洞窟"に入ったあとにしてくれるとありがたいのだが?」
思わず2度見した。
フレイムは流し目でイリスを嘲笑っている。
てっきり登るとばかり思って内心張り切っていたイリスは、恥ずかしそうに咳払いをひとつ。
「ならそうだと早くに言いなさいよ」
「あの山に行くと言っただけだ。登るとは一言も言ってない。……ほら行くぞ」
湿り気のある風が、ふたりの衣服をはためかせる。
じっとりと肌に絡む熱がわずかに鼓動を早めた。
そんな中周囲に警戒を払いつつ、サキュバスの根城へと乗り込む。
石造りの舗装された道が、洞窟までの進路を安全に導いてくれた。
だがそれが逆に新たな猜疑心をあおる
(静かすぎる。ここまで罠や奇襲があるでもなし。……このまま行けば、安全に洞窟につくだろう。……では、騎士団の連中は一体どうした? もしや、サキュバスたちとの戦いで全滅したのか? だとしたら余計におかしい。そのあとの警戒のために見張りも置かんとは……)
(妙ね、もしかしたらと思ったのだけど。……血の臭いが全くしない。騎士団が遠征した割には、戦場跡であるこの場所に、全然危険が感じられないなんて……)
道のりの不可解さに首を傾げながらも探索の足は止まらない。
沈黙のまま進んでいくと、洞窟の入り口が見えてきた。
道中とは違い、穏やかな風が流れてくる。
真夏と思えない涼しさを孕んだ肌触りの良い心地よさだ。
だが、それが余計に不安だった。
「……入るぞ」
「うん」
物音を立てないよう岩壁に沿って歩き出す。
要所要所に松明が燃え、明るさには困らない。
進んでいくと、壺や椅子、壊れた食器など、生活用品がちらほら目に映った。
サキュバス達はどうやら人間と似たような生活体系ををとっているらしい。
「意外に文化的ね……」
「洞窟の中に家や宮殿を建てているそうだ。すごい技術力だな。……だが、それだけに、この静けさは不気味だな」
進めど進めど、人っ子ひとり現れない。
たまに野ネズミがコソコソと脇を通り抜ける程度だ。
かれこれ20分ほど歩いているが、依然としてサキュバスの姿は見えない。
「……ねぇ、もしかして場所を間違えてるとか?」
「たわけ。サキュバスの巣窟はまさしくここだ。……ホラ、彼女等の"街"が見えてきたぞ?」
岩陰からそっと向こう側を覗いてみる。
石造りの家々に、市場やカフェのような場所。
最奥にはピラミッドのような形をした宮殿が重苦しく佇んでいた。
まるで古代遺跡であるかのようだ。
本当にどこにでもありそうな、街の光景である。
だが、それだけだ。
活気が見られないというレベルではない。
そもそも住民がいない
「……静かね」
「それどころじゃあないぞ……サキュバスはどこへ行った?」
街に入り、分かれて探索を始めた。
まずは家の中。
ゆっくり入り確認するが誰もいない。
テーブルにはいちごジャムがたっぷり塗られたパン。
ぬるくなったコーヒーに、開かれたまま放置された本。
日常風景に浮かぶ朝の光景のようだった。
「……朝食、だな。リビングに荒らされた形跡は見られない。……突然姿を消した、のか?」
寝室や台所、家の至る所を探すが、この家の主は見つからない。
諦めて外へ出ると、違う場所を探索していたイリスが駆け寄ってきた。
「ダメ、どこにもいないわ。血痕も争いの跡も、なにひとつない。もぬけの殻よ」
洞窟内の無人の街でふたり。
妙な静けさと、ほんのりとした明るさが、嫌な予感を胸中に巡らせた。
松明が一瞬揺らめく。
同時に冷や汗が額より流れ出た。
「よく聞けイリス。家の中に争った形跡もなく、移動したと思われる痕跡もない。彼女等の日常だったであろう朝の営み、それのみを残して自分たちは姿を消したのだ。……こんなことあり得るか?」
「……にわかには信じがたいわね。となれば最後、あの宮殿を探ってみるほかなさそうよ」
最奥にある宮殿。
種族の威信を象徴するかのように、サキュバスの彫刻がいくつも建っている。
厳かな雰囲気と重鈍な空気が、無人の街で更なる存在感を放っていた。
「気をつけろ。もしかしたら、この現象の黒幕が、あの中にいるかもしれん」
イリスは黙って頷く。
フレイムを先頭に、イリスは鯉口を切りながら前進した。
――――サキュバス宮殿内部。
内部の装飾や物品はすべて綺麗に整っており、争いの形跡は見られない。
とりあえず玉座の間へと行こうとした、次の瞬間。
ガタンと、右側にあるドアの向こうから物音が聞こえた。
「……サキュバスの生き残りか、果ては……」
「ふん、誰だろうと、斬ればいいだけの話よ」
その扉の前に立ち、耳を澄ませる。
それ以上の物音は聞こえない。
ゆっくりと扉を開き中を覗き見ると、部屋の隅に"なにか"がいた。
馬車で4時間。
正確には、まともに動く馬車を探すのに2時間。
目的の山の麓に到着したのが更に2時間。
「誰かが荷馬車を斬りまくらなければ……」
「いつまで蒸し返してんのよ。ほら、ついたわ」
岩肌をむき出した巨山がふたりの前にそびえ立つ。
山頂には不穏な雲が陰り、今にも邪悪な存在が舞い降りてきそうな雰囲気だ。
いつか幼いとき、絵本の中で見た竜の住む山。
ただそびえるだけで不気味そのものの顕現であるかような。
ずっと見ていると、心の内の暗い部分からなにかが這い出てきそうな気分になる。
「この山の頂上に、登るってわけね」
「……勇気があるな君。だが低酸素低体温で死にたいのなら、まず、サキュバスの縄張りである"洞窟"に入ったあとにしてくれるとありがたいのだが?」
思わず2度見した。
フレイムは流し目でイリスを嘲笑っている。
てっきり登るとばかり思って内心張り切っていたイリスは、恥ずかしそうに咳払いをひとつ。
「ならそうだと早くに言いなさいよ」
「あの山に行くと言っただけだ。登るとは一言も言ってない。……ほら行くぞ」
湿り気のある風が、ふたりの衣服をはためかせる。
じっとりと肌に絡む熱がわずかに鼓動を早めた。
そんな中周囲に警戒を払いつつ、サキュバスの根城へと乗り込む。
石造りの舗装された道が、洞窟までの進路を安全に導いてくれた。
だがそれが逆に新たな猜疑心をあおる
(静かすぎる。ここまで罠や奇襲があるでもなし。……このまま行けば、安全に洞窟につくだろう。……では、騎士団の連中は一体どうした? もしや、サキュバスたちとの戦いで全滅したのか? だとしたら余計におかしい。そのあとの警戒のために見張りも置かんとは……)
(妙ね、もしかしたらと思ったのだけど。……血の臭いが全くしない。騎士団が遠征した割には、戦場跡であるこの場所に、全然危険が感じられないなんて……)
道のりの不可解さに首を傾げながらも探索の足は止まらない。
沈黙のまま進んでいくと、洞窟の入り口が見えてきた。
道中とは違い、穏やかな風が流れてくる。
真夏と思えない涼しさを孕んだ肌触りの良い心地よさだ。
だが、それが余計に不安だった。
「……入るぞ」
「うん」
物音を立てないよう岩壁に沿って歩き出す。
要所要所に松明が燃え、明るさには困らない。
進んでいくと、壺や椅子、壊れた食器など、生活用品がちらほら目に映った。
サキュバス達はどうやら人間と似たような生活体系ををとっているらしい。
「意外に文化的ね……」
「洞窟の中に家や宮殿を建てているそうだ。すごい技術力だな。……だが、それだけに、この静けさは不気味だな」
進めど進めど、人っ子ひとり現れない。
たまに野ネズミがコソコソと脇を通り抜ける程度だ。
かれこれ20分ほど歩いているが、依然としてサキュバスの姿は見えない。
「……ねぇ、もしかして場所を間違えてるとか?」
「たわけ。サキュバスの巣窟はまさしくここだ。……ホラ、彼女等の"街"が見えてきたぞ?」
岩陰からそっと向こう側を覗いてみる。
石造りの家々に、市場やカフェのような場所。
最奥にはピラミッドのような形をした宮殿が重苦しく佇んでいた。
まるで古代遺跡であるかのようだ。
本当にどこにでもありそうな、街の光景である。
だが、それだけだ。
活気が見られないというレベルではない。
そもそも住民がいない
「……静かね」
「それどころじゃあないぞ……サキュバスはどこへ行った?」
街に入り、分かれて探索を始めた。
まずは家の中。
ゆっくり入り確認するが誰もいない。
テーブルにはいちごジャムがたっぷり塗られたパン。
ぬるくなったコーヒーに、開かれたまま放置された本。
日常風景に浮かぶ朝の光景のようだった。
「……朝食、だな。リビングに荒らされた形跡は見られない。……突然姿を消した、のか?」
寝室や台所、家の至る所を探すが、この家の主は見つからない。
諦めて外へ出ると、違う場所を探索していたイリスが駆け寄ってきた。
「ダメ、どこにもいないわ。血痕も争いの跡も、なにひとつない。もぬけの殻よ」
洞窟内の無人の街でふたり。
妙な静けさと、ほんのりとした明るさが、嫌な予感を胸中に巡らせた。
松明が一瞬揺らめく。
同時に冷や汗が額より流れ出た。
「よく聞けイリス。家の中に争った形跡もなく、移動したと思われる痕跡もない。彼女等の日常だったであろう朝の営み、それのみを残して自分たちは姿を消したのだ。……こんなことあり得るか?」
「……にわかには信じがたいわね。となれば最後、あの宮殿を探ってみるほかなさそうよ」
最奥にある宮殿。
種族の威信を象徴するかのように、サキュバスの彫刻がいくつも建っている。
厳かな雰囲気と重鈍な空気が、無人の街で更なる存在感を放っていた。
「気をつけろ。もしかしたら、この現象の黒幕が、あの中にいるかもしれん」
イリスは黙って頷く。
フレイムを先頭に、イリスは鯉口を切りながら前進した。
――――サキュバス宮殿内部。
内部の装飾や物品はすべて綺麗に整っており、争いの形跡は見られない。
とりあえず玉座の間へと行こうとした、次の瞬間。
ガタンと、右側にあるドアの向こうから物音が聞こえた。
「……サキュバスの生き残りか、果ては……」
「ふん、誰だろうと、斬ればいいだけの話よ」
その扉の前に立ち、耳を澄ませる。
それ以上の物音は聞こえない。
ゆっくりと扉を開き中を覗き見ると、部屋の隅に"なにか"がいた。