俺とミハイルの告白……いや、ディープキス動画は世界中に拡散され。
ついには、テレビでも報道されてしまった。
あれから、3日経った。
ミハイルの姉、ヴィクトリアにバレてしまったが怖い。
毎日、震えあがっている。
俺を殴るぐらいで、彼女の気が済むだろうか?
ヴィクトリアは、両親を交通事故で失って以来、身を粉にしてミハイルを育てきたという。
その愛情は俺よりも遥か上……いや、かなり歪んでいる。
性教育もめっちゃ適当に教えているため、弟の成長は小学生以下で止まっている。
「だが、そこがカワイイ! 早く結婚して、ミハイルを素っ裸にしたいっ!」
ひとり、自室で叫び声を上げる。
興奮のあまり、学習デスクを拳で叩いてしまった。
「ふ、ふぇ……ふぇ~ん!」
訂正がある。
今はひとりではなかった。
最近、生まれたばかりの妹。やおいがそばにいたことを。
「すまん、やおい。お兄ちゃんが悪かった」
ベビーベッドから、そっとやおいを抱き上げ、背中をさすってやる。
「ふぇ~! 受け、受けぇ~!」
これが無かったら、可愛い赤ん坊なのだが……。
泣き止まない妹を見て、仕方なく中洲のばーちゃんに習った育児法を試してみる。
パソコンを起動して、BLアニメで検索。
とある動画がヒットしたので、サムネイルをクリックすると。
『やめろっ! てめぇ、いい加減にしねぇとぶっ飛ばすからな!』
金髪のヤンキーが、顔を真っ赤にして怒鳴る。
『だから? 僕は性に対して、正直なんだ? いつも僕をいじめてるじゃん。させてよ』
どうやら、いじめっ子の方が、真面目な少年に襲われているようだ。
『調子こいてんじゃねぇ! あとでフルボッコだぞ、てめぇ!』
『いいよ? その代わり、僕を楽しませてね』
『あ、やめ……ちゅき』
なんなんだ、この作品は。
いじめっ子のくせして、受け入れるなよ……。
だが、俺の妹はご満悦のようだ。
「うひひひ……」
気持ちの悪い笑い方だなぁ。
※
母さんが実家である中洲から、妹を連れて帰ってきたのは良いが。
未だに、お産のダメージが残っているようで、寝込む日々が続いている。
仕方ないので、俺がやおいの面倒を見ることが多い。
また泣き出したので、BLアニメを検索しようと思ったが、やめた。
泣き方が違う。
これは腹を空かせた時だ。
やおいを抱きかかえて、リビングへ向かう。
テーブルには、常時やおい用に哺乳瓶と粉ミルクが置いてある。
哺乳瓶に粉ミルクを入れて、お湯を注ぐ。
粉が溶けだしたら、キッチンの蛇口から水を流し、瓶を冷ます。
何度か繰り返しているうち、適温かな? と自身の頬に当てようとしたその時。
「おい、まだ熱いだろ?」
背後に誰かが立っている。
「え……?」
恐る恐る振り返って見ると、そこには大柄の男が立っていた。
身長は180センチほどか。
黒く長い髪を首の後ろでくくっている、輪ゴムで。
黄ばんだタンクトップに、ボロボロのジーンズ。
ホームレスに間違えてしまいそうな、この汚いおっさん。
俺の父親、新宮( しんぐう ) 六弦( ろくげん ) だ。
突然の帰宅に驚く俺を無視して、六弦は作りかけのミルクが入った哺乳瓶を取り上げる。
「まだ冷めてないだろ? 俺のやおいたんがやけどしちゃうぜ」
とミルクを冷ます親父。
お前の大事な娘なら、今までなにをやっていたんだ。
育児放棄ってレベルじゃないだろ。
やおいが履いている紙おむつも、今作っているミルクだって、俺が印税で購入したものだ。
都合のいい時だけ、父親づらしやがる……。
※
テーブルのそばにあるイスへ腰を下ろす六弦。
そして、俺からやおいを受け取ると、慣れた手つきでミルクを飲ませ始めた。
というか、父親に抱っこされたの、初めてじゃないか?
「おぉ~ かわいいなぁ、やおいたんわ」
鼻の下を長くする親父を見て、苛立ちを隠せない。
「なあ、いきなり帰ってきて……一体何の用だ?」
どうせまた、俺に金を無心してくるのだろう。
「おい……タク。そんな言い方ないだろ? 俺がお前たちの顔を見たくて、帰ってきたらダメなのか?」
即答でダメだ! と言いたいところだが、ここは自分を押し殺す。
「……」
「なんだよ? 父親が帰ってきて喜んでくれるのは、やおいたんだけかよ?」
いや、やおいはただミルク欲しさに、お前に抱っこを許しているだけだ。
飲み終わったら、さっさと出ていけ。
「まあ、冗談はここまでにしてだな……タク。お前、結婚するんだろ?」
「なっ!? なんで知っているんだ?」
「なんでって、あれだけニュースを流されちゃ、俺も黙って見ていられないぜ。親だからな。子供の祝福を願わないバカがどこにいる?」
「親父……」
ちょっと、目頭が熱くなってしまう。
こんなクソ親父でも、人の心が残っていたのか。
「俺もさ、父親らしいこと。あんまりタクに出来なかっただろ。でも結婚ぐらい応援させて欲しいんだ。だからニュースを見たら、居ても立っても居られなくてな……深夜バスで帰ってきたんだ」
と親指を立てて、ニカッと笑う。
「じゃあ、俺のために帰ってきたとでも、言うのかよ?」
「もちろんだ。俺が誰か忘れたか? ヒーローだぜ。人を救うのが大好きだから、やっている職業だけど。その前に、お前たち家族を一番大事にしている男だ。タクの結婚、全力で応援させてくれ!」
今までこんなことを、親父に言われたことないから、言葉が見つからなかった。
でも、六弦が嘘を言っているようには見えない。
心の底から俺を応援したい……。
息子を助けるために、帰ってきてくれたんだ。
「お、親父……ありがとう」
気がついたら、その言葉が口から漏れていた。
こんな奴に言うことじゃないのに。
「バカ野郎、気にすんな。ところで、相手の家に結婚の挨拶は行ったか?」
「……まだ行けてないんだ。でも今度、挨拶へ行くつもりだよ」
「おお、そうか。なら丁度良かった。こいつを持ってきた甲斐があったぜ」
そう言うと、つぎはぎだらけのリュックサックから、細長い箱を取り出す。
かなり汚れていて、テーブルの上に置くと、箱から土埃がぽろぽろと落ちてきた。
「なんだよ、この汚い箱は?」
「タク、お前知らないのか。この有名なウイスキーを?」
「これが酒? そんなものを相手に持っていたら、怒られるだろ」
「バカ野郎! お前は酒を飲まないから、このウイスキーの凄さを知らないんだ! 良いから持っていけ! 『すみ酒』って奴だ。絶対なにかの役に立つからよ。お前のために、こいつを持ってきたんだ」
と汚い箱を俺に押しつける。
仕方なく受け取るが、持って行くつもりはない。
だって、ヴィッキーちゃん。怒ってるもん。
こんな汚いの持って行ったら、殺される……。
「よく分からないけど、とりあえず、もらっておくよ」
「おお! 絶対に持っていけ! これさえあれば、どんな厳しい親でも結婚を許してくれるさ!」
酒を飲めない親なら、どうするんだ?
「ところで、この酒。親父が買ったのか?」
「いいや。だいぶ前に震災があった地域で、とある会社のおっさんを助けたんだ。そしたら、お礼にとくれたんだ。『ザ・メッケラン』の60年ものだぜ?」
お前が買ったんじゃないのかよ……。
どこまでも、他力本願な野郎だ。
親父と結婚の話をしている間に、妹のやおいがミルクを飲み終え、居眠りを始めていた。
そのまま寝かせると、逆流してミルクを吐きだすので、やおいの顎を親父の肩にのせる。
「ほれ、ほれ。やおいた~ん。寝るんでちゅよ~」
一定のリズムで背中を叩く。
しばらくすると、クリーンヒットしたようで、赤ん坊とは思えないぐらい大きな声でげっぷする。
「ぐえええ!!!」
酔っぱらったおっさんの声だな。
「あら、六さん。帰ってたの……?」
振り返ると、やつれた寝巻き姿の母さんが立っていた。
「お、琴音ちゃん! ただいま!」
「おかえりなさい、六さん!」
お互い見つめ合うと、全てを投げ捨てて、抱きしめ合う。
つまり、生まれたばかりの妹。やおいを俺に押しつけて、嫁と熱い口づけを交わすのだ。
ディープキスで。
しんどっ!
そして、燃え上がる二人はそのまま、母さんの寝室へと消えていった。
ドアが閉まると、ベッドの軋む音が家中に響き渡る。
『あああ! いいわっ、六さん!』
『琴音ちゃん、俺の子供を産んでくれるか!?』
『六さんの子供なら、いくらでもぉ!』
もう産むなよ……。
あんた、産後間もないだろ。
母さんの喘ぎ声と共に、やおいがまたげっぷする。
「ぐえええ!!!」
もう嫌だ、この家。
まさか、またこのスーツを着るとは……。
一ツ橋高校へ入学する時、親父から借りたスーツだ。
親父の方が背が高いから、ガバガバだけど。
今日はミハイルとの結婚を許してもらうため、先方へ挨拶に行くのだ。
形だけでもしっかりしないとな。
髪型も洗面台に置いてあったポマードで、ビシっと決める。
オールバックというやつだ。
思わず、鏡に映る自分に見とれてしまう。
「う~む。マフィア映画の幹部ってところかな」
顎に手をやり、ポーズをとると。
背後から声が聞こえてくる。
「幹部じゃなくて、チンピラにもなれなかった陰キャですわね。映画ならすぐ撃ち殺されて終わりですわ」
振り返ると、妹のかなでが立っていた。
赤ん坊のやおいを抱っこしながら。
「かなでか……驚かせるなよ。俺は今から結婚の挨拶に行くんだぞ?」
「おにーさま。なんでそんな余裕たっぷりなんですの? 相手側はミーシャちゃんとの恋愛さえ、許してないんでしょ?」
「そ、それは……」
「はぁ……やっぱり、何も考えていないのですね。いいですか? 普通の恋愛結婚でも、お二人は反対されること間違いないですよ。だって未成年でしょ」
そう言われたら、そうだ。
告白した時は、ミハイルを逃がしたくない想いで、勢いからプロポーズした。
いくら高校を卒業してから……という約束があっても、あのキス動画が問題だ。
「う……でも、本人であるミハイルは、俺と一生を共に過ごすことを誓ってくれた。どんな困難も今の俺たちなら、乗り越えられるさ!」
しかし、それを聞いたかなでは鼻で笑う。
「わかってませんね。お二人が熱々なのはいいことですけど。結婚というものは他人同士が、まったく生き方の違う家族が一つになるということですわ。猫の子をもらうわけじゃないですの。ミーシャちゃんだって、家族がいるんです。そこを理解しないと、おにーさまがひとりで突っ走っているだけですわね」
クソ、こいつなんて相手もいないのに。
妙に現実味のある話し方だ。
「じゃあ、どうすれば良いんだ?」
「簡単ですわ。ミーシャちゃんのご家族に認めてもらうことです。でもそれが一番、難しいですわ。おにーさまの人間性、収入など。それにご家族との相性ですわね」
「……」
どれも絶望的じゃないか。
可愛い弟を女装させて、好き勝手なことをしたし。
収入は、今でこそあるが……一時的な印税のみ。
BL編集部のバイトをやらせてもらっているが、二人で暮らすには無理がある。
あと、姉のヴィッキーちゃんとの相性は、良いのだろうか?
「ま、何回も何回も相手に怒鳴られて……。時には殴られ、蹴とばされても、諦めずに挨拶へ行きまくることですわ。恋愛と一緒のことですよ?」
「今の俺なら大丈夫さ。ミハイルがついているからな!」
と拳を作ってみたが、赤ん坊のやおいがぶち壊す。
「受けっ! 受けっ!」
「……」
だから、お前のお兄ちゃんは、バリバリの攻めだと言っているだろ。
※
日取りは事前にミハイルと決めていた。
姉のヴィクトリアは、あの報道を見て以来、元気がなく。
長年、地元で人気の洋菓子店なのに、休業が続いているらしい。
よっぽどショックだったのだろう。
可愛い弟が女装して、プロポーズされる動画が世界中に知れ渡ってしまった。
しかも、ミハイルはそれを受け入れている……。
俺たちの恋愛における最大の弊害は、姉のヴィッキーちゃんかもしれない。
列車に揺られること数分、目的地である席内( むしろうち ) 駅へたどり着く。
改札口を出ようとしたところで、すぐに彼の姿が目に入る。
ミハイルだ。
「タクト~! 久しぶりだね☆」
エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、微笑む。
丈の短いタンクトップだから、おへそは丸出し。
ショートパンツも、ダメージ加工のデニムだから、ところどころ穴が開いている。
男性用とはいえ、彼のおパンツが見えてしまう。
今日は赤ですね……ゴクリ。
「よお、ミハイル」
改札口を抜けると、彼はすぐに、俺と腕を組みたがる。
絶壁の胸が肘にあたり、興奮してしまう。
「ねぇ、最近。なんで連絡くれないの? さびしいじゃん」
と上目遣いで唇を尖がらせる。
「そ、それはその……妹のやおいが帰って来てお世話とか。あと今日の挨拶で、色々と考えていたんだ」
「そうだよね、ごめん。なんかタクトが告白してくれてから、ずっと胸のドキドキが止まらなくて……」
今度はちょっと涙目になってしまった。
ヤベッ、かわいすぎる。
この辺にホテルないかな?
ちょっとご休憩してから、挨拶したらダメかな……。
※
そんなイチャイチャタイムは、すぐに消え失せる。
駅から数分で、席内商店街が見えてきたからだ。
伝説のヤンキー、古賀 ヴィクトリアが営むパティスリーKOGAがあるのだが。
本日もシャッターが降りたまま。
「なあ、ミハイル。ヴィッキーちゃんの様子はどうだ?」
「う、うん……なんか毎日、おかしいんだ。仕事もしないし、ずっとお酒ばかり飲んでいるの。それでね、オレが少しでも外へ行こうとしたら、怒り出すんだ。スーパーへ買い物に行くだけなんだよ?」
「……」
完全に嫁入り前のダメ親父じゃないか。
「とにかく、オレが離れないようにずーっと『お酒のつまみを作れ』ってうるさいんだ。別にオレは作るの、好きだから良いんだけど」
「そうか……」
一体、どうなることやら。
ミハイルに案内され、店の裏側に回る。
少し錆びた外付け階段をのぼると、玄関が見えた。
随分と年季の入ったドアらしいから、毎回ヴィッキーちゃんが蹴りまくっていたっけ。
馬鹿力のミハイルは余裕の顔で、カチャンと開けているが。
「じゃあ、どうぞ☆ タクト☆」
「おお……おじゃましまーす」
家に入った瞬間、異様な臭いで充満していることに気がつく。
酒くさい……。
きっと換気もしていないのだろう。
なんか息苦しいな。
とりあえず、紳士靴を脱いで、ミハイルと共にリビングへ向かう。
奥で待っていたのは、下着姿であぐらをかく金髪の女性。ヴィクトリア。
彼女の前には、大きなローテーブルがあり、ミハイルが作ったと思われる料理が並んでいた。
そして後ろの壁には、ストロング缶とウイスキー瓶が大量に重ねられている。
「すぅ……すぅ……」
どうやら居眠りしているようだ。
よく見れば、目の下に大きなくまがある。
俺に対する怒りも強いようだが、心配なんだろうな。
「あ、ねーちゃん。またそんな格好で寝ている。もう起きてよ! タクトがわざわざ家に来てくれたんだよ?」
ミハイルとしては気を遣って、起こしてくれたのだろうが。
恐怖でしかない。
このあと、起きる出来事が。
「んん……ミーシャ。どこ行ってたんだ?」
まだ寝ぼけている。
「どこって、ねーちゃんが呼んだから、タクトを連れて来たんだよっ!」
そう言って俺を指差すミハイル。
今まで瞼を擦っていたヴィクトリアだが、突然目を見開き、睨みつける。
「てめぇ……クソ坊主。よくあたいん家に来られたな」
ドスのきいた声で、俺を脅す。
しかし、悪いのは間違いなくこちらの方だ。
大事な弟を女装させて、1年以上も騙していたから。
謝罪の言葉よりも前に、俺は床に土下座することを選んだ。
頭をぐりぐりと床へねじ込みながら。
これが俺の誠意だ。
「あ、あのこの度は、誠に申し訳ございませんでした! 俺のわがままでミハイルを、色んなことに付き合わせて……」
「……」
ヴィッキーちゃんの顔は見えないが、黙って話を聞いてくれているようだ。
「でも、俺は本気なんです! ミハイルとの恋愛だけは、誰にも譲りたくありません! 今日はお姉さんのヴィッキーちゃんにも、それを知って欲しくて来ました」
言い終えるころ、ゆっくりと顔を上げる。
顔を赤くしているミハイルが、黙って俺を見つめていた。
しかし、問題はその隣りだ。
口を大きく開き、汚物を見るような目つきで、上から俺を見つめる。
怖すぎるっぴ!
「……坊主。とりあえず、死ね」
「へ?」
何かが左のほおをかすった。
手で押さえて見ると、熱を帯びていた。
ねっとりとした感触に違和感を感じ、手の平を見ると、赤い血が流れている。
その後、背後でパリンっ! と何かが割れる音が聞こえてきた。
振り返ると、ウイスキー瓶が壁に衝突して、砕け散っている。
「てめぇ! あたいの可愛いミーシャを人形にしやがって! 頭かち割ってやるから、こっちに来やがれ!」
両手にウイスキー瓶を持ち、ローテーブルに片脚をのせるヴィクトリア。
それを抑えるのは、弟のミハイルだ。
「ねーちゃん! やめて! タクトはオレの大事な人なの!」
「じゃあ、なにか? あたいはどうでもいいってか!?」
ヴィッキーちゃんが落ち着くまで、1時間以上かかった。
怒り狂ったヴィッキーちゃんは、ウイスキー瓶を部屋中に投げ飛ばし、全て粉々に割ってしまった……。
ミハイルの説得もあり、どうにか落ち着きを取り戻したが。
依然と俺を睨んでいて鼻息が荒い。
蛇に睨まれた蛙のように、俺は黙って正座するのみだ。
「ねーちゃん。タクトの話を聞いてあげてよ! ほら、こうやってスーツまで着てくれたんだよ?」
「……それがどうした? あたいが知りたいのは、なぜミーシャが女の格好を、させられていたかってことだ。それもあたいが一番嫌いなブリブリ女になっ!」
と語気を強める。もちろん、俺を睨んで。
確かに彼女の言う通りだ。
俺たちの恋愛や結婚の前に、そちらの説明が先かもしれん。
「そ、それに関してですが……すみません。俺のわがままです……ミハイルが先に告白してくれたんですが。俺が『男とは付き合えない』『女だったら付き合える』と言ってしまったことで、ミハイルが真に受けて、女装して女の子として振舞ってくれたんです」
と説明し終えたところで、ヴィッキーちゃんの反応を見ると。
怒り狂うかと思ったら、驚きのあまり固まっていた。
「なっ……そんなことで、女の格好をしていたのか?」
「はい。俺が悪いんです……最初からミハイルを受け入れる覚悟がなかったので」
「じゃあ、ミーシャがよく女物の服や下着を買っていたのも、化粧品が部屋にあったのも、坊主のためだってか?」
「そうです」
「意味がわからん。男同士だろ……じゃあ、あれか。なんか知らない薄いエロ本。男同士のマンガ。あれも関係あるのか?」
そこだけは完全否定しておく。
「それは全然、関係ありません。ただの趣味だと思います」
「……」
一年間も隠していたので、情報量が多すぎたようだ。
ヴィッキーちゃんは混乱しているようで、黙り込んでしまった。
※
怒りよりもショックが強かったようで、頭を抱え込むヴィッキーちゃん。
それを見たミハイルは再度、話し合いを試みる。
俺とミハイルが並んで座り、ローテーブルを挟んで、反対側にヴィクトリア。
「訳がわからん……。大体ミーシャ、お前はそいつが最初から好きだったのか?」
そう指摘されると、彼の頬は一気に赤く染まる。
「う、うん! その入学式でタクトに『可愛い』って言われてから……」
弟の素直なカミングアウトに、驚きを隠せない姉。
口を大きく開いて、ミハイルの顔を指差す。震えながら。
「たったそれだけで、男を好きになったのか? それはつまり同性愛っていうやつだろ? あたいは親父とお袋が死んで、本当にお前を大事に育ててきたんだぞ。なのに、女装してまで坊主と付き合いたかったのか?」
「ごめん……オレは女装しても、しなくても本気だったよ。ねーちゃん」
「なっ!?」
ついに言ってしまったな。
俺があれこれいうより、弟に告白された方がよっぽど辛いだろう。
黙り込むヴィクトリアを見て、俺は好機と見た。
隣りに座るミハイルへ耳打ちし、俺に合わせるように頼む。
お互いの顔を見つめ合い、頷くと座り直し、正座になる。
「あのっ! 弟さんを色々と傷つけたことは否定できません。でも、俺の気持ち……いや俺たちの気持ちは一緒です! それは今後、二人で一緒に生きること。結婚です! ミハイルの唯一の家族、ヴィクトリアさんにだけは、それを認めて欲しいんです。お願いします!」
そう言って、俺が頭を下げると、続けてミハイルも自身の姉に気持ちをぶつける。
「ねーちゃん。オレ、本当にタクトが大好きなんだ! オレたちを、結婚を許して欲しいの!」
深々と頭をさげる彼を、隣りから覗いて見たが涙を流していた。
どれだけ、時間が経ったのだろう。
ヴィッキーちゃんは沈黙を貫き、何も答えてくれない。
「だ、大事な弟だったんだ……父さんと母さんが事故で死んだ時は、絶望したよ。このまま、どこかへ逃げようかとも思った。でもまだ幼いミーシャが、あたいのスカートの裾を掴んできたから、踏みとどまることが出来た。親父が残した店を死にもの狂いで、盛り上げようと頑張った……つもりだった」
顔を上げると、ヴィッキーちゃんの瞳は涙でいっぱいだった。
「それがどうしたっ!? その弟がどこぞの知らない野郎と結婚だと? だいたい、坊主は男のミーシャが好きだと、ほざきながら、女装させていたじゃねーか! ミーシャの気持ちを無視して。自分の欲望のため、性を否定してるじゃねーか!」
返す言葉が見つからない。
彼女の言っていることは、紛れもない事実。
俺は男のミハイルと付き合うことが怖くて、女のアンナを、安心を選んだ……。
「そんな奴に、結婚なんて許すわけないだろっ! とっと帰れ、このクソ野郎!」
「……すみません」
「いいから、早く帰れ! 帰らないと坊主をぶっ飛ばすぞ!?」
「はい」
分かっていたことだ。
今日は帰ろう……あくまでも、今日はだ。
また何度でも、挨拶に来たら良い。
ヴィッキーちゃんが音を上げるまで、持久戦だ。
立ち上がり、深々と頭を下げると。俺はその場から立ち去る。
去り際にヴィッキーちゃんが叫ぶ。
「ミーシャ、塩をまけ!」
だがこちらも負けるわけにはいかない。
いつか必ず、ミハイルを頂く。
覚悟を決めて、玄関へ向かい、紳士靴を手に取ると。
慌ててミハイルが追いかけてきた。
「た、タクト! もう帰っちゃうの?」
「ああ、仕方ないさ。今日は帰るけど、まだあきらめてない。次を考えている」
「タクト……オレもねーちゃんに認めてもらうように、頑張るよ!」
互いの顔を見つめ合い、揺るがない愛を確かめる。
「そう言えば、タクト。なんか忘れ物があるよ?」
「へ?」
「このなんか重たい、紙袋だよ」
と彼が差し出すまで、存在を忘れていた。
親父がくれた『すみ酒』とかいうやつだ。
これさえあれば、どんな厳しい親でも結婚を許してくれる……とかほざいてたな。
どこがだよ、とツッコミたいぜ。
「ああ、それな。親父が用意してくれてさ。結婚を認めてもらえるようにって、『すみ酒』ていうらしいんだ。今回は受け取ってもらえなかったけど」
悔しさから、歯を食いしばる。
「そうなんだ……タクトのお父さんも、オレたちを応援してくれているんだ」
実の姉に反対されたことが、よっぽど辛かったのだろう。
目に涙をいっぱい浮かべている。
そして追い打ちをかけるように、リビングからヴィクトリアの叫び声が聞こえてきた。
「な~にが、すみ酒だ。バカヤロー! そんな安酒でミーシャと交換か? 絶対受け取るか! さっさと帰れ、コノヤロー!」
酷い言われようだな。
でも、大事な弟のことだ。
時間をかけて、ヴィッキーちゃんに認めてもらうよう、頑張ろう。
ゆっくり立ち上がると、ミハイルから紙袋を受け取る。
「ミハイル。今日はこんな形になってしまったけど、また挨拶に来るから」
「うん……待ってるね、タクト☆」
その一言で、心に火がついたぜ。
何度でもやってみせる、今の俺たちなら乗り越えられる。
必ず。
愛する未来の嫁に背中を向けて、カッコよく立ち去ろうとした……その時だった。
「あ、ちょっと待ってタクト」
「え?」
「そのお酒ってウイスキーなの?」
意外な質問に、アホな声が出てしまう。
「う、うん……そう聞いたけど。どうしてだ?」
「だってさ。せっかくタクトのお父さんが用意してくれたんだから。もらっておこうかなって。今のねーちゃん、あんなに怒っているけど、ウイスキーは大好きだから☆」
「そういうことか……いや、気持ちは嬉しいんだがな。すみ酒ってのは、結婚を許してもらえる前提で相手に渡すものらしい。だからヴィッキーちゃんが反対している間は、あげたくても渡せないんだ」
俺がそう説明すると、彼はうなだれてしまう。
「そっか……」
「ま、まあ、いつか渡せる時がくるよ。なんか親父が言うには、『ザ・メッケラン』の60年ものらしくてさ。ウイスキー好きなヴィッキーちゃんなら、喜んでくれるさ……」
言い終えた瞬間、背後に人影を感じた。
右手が妙に軽いなと思ったら、持っていた紙袋が無い。
「あれ? 酒が……」
と言いかけている際中だが、背中にプニンと気色の悪い感触が伝わる。
コレは宗像先生に近い、巨乳ってやつでは……。
「どこへ行く!? 我が家族よ!」
そう言って強く抱きしめるのは、先ほどまで、俺を罵倒していたヴィッキーちゃんだ。
「え……?」
「先ほどまでの無礼を許せ……。1回は反対しておかないと格好がつかないだろ、姉としてな。許そう、ミーシャとの結婚を。坊主に任せた、いやタクトよ」
「……」
嘘だろ?
たかが、ウイスキーの1つで愛する弟を渡すのか。
「わーい! やったー! ありがとう、ねーちゃん☆」
「ハハハッ! あたいは最初から、タクトなら許すつもりだったさ。女装でも何でも好きにしろ!」
ヴィクトリア、最低な姉貴だった。
「よぉ~し、ミーシャ! 今から婚約パーティーだ♪ もつ鍋を作ってくれ! いつもの倍以上なっ!」
「うん! オレ、いっぱい作るよ☆ タクトとねーちゃんのために☆」
どうして、こうなったのだろう……。
あれだけ反対されていたが、ウイスキーの一本で鬼のヴィッキーちゃんは結婚を許してしまった。
むしろ「早くミハイルを連れて行け」「二人はどこで住むんだ?」などと。俺たちを急かしてくる始末。
帰るはずだった俺も、ヴィッキーちゃんによって、リビングへと戻され。
婚約成立の宴会が始まるのであった。
まあヴィクトリアからすれば、早く親父が用意した酒を飲みたいのだろう。
ミハイルがかわいそう……ウイスキーに負けたもん。
※
一時間ほど経ったころ、ヴィッキーちゃんはベロベロに酔っぱらっていた。
ミハイルは俺の隣りに座って、鍋をつつく。
「タクト? おかわり、いる?」
「いや……もういいよ」
ヴィクトリアに無理やり、食べさせられたからな。
腹が痛い。
「うぇ~ お前ら、幸せになれよぉ~ 不幸になったらぶっ飛ばすからな……タクト」
どちらにしろ、このお姉さんは俺をぶっ飛ばすつもりなんだろ。
だが弟のミハイルは、嬉しそうに微笑んでいる。
「ふふ、ねーちゃん。うれしそう。ここ最近、元気なかったもん。やっぱりあれかな? タクトが来てくれたからじゃない?」
と上目遣いで話しかけてくる。
「まあ……安心してくれたのかもな」
「そうだね☆ これでタクトと安心して、結婚式をあげられるね☆」
ん? 今ミハイルのやつ、変なことを言っていなかったか?
結婚式を挙げる……冗談だろ。
「あ、タクトさ。今のオレ、どう思う?」
そう言って、自身の短い髪を触る。
「え? 別に良いんじゃないか? ショートも似合っていると思うぞ」
「そ、そう意味じゃないよっ! 長い髪に戻した方がいいかなってこと!」
いきなりなんだ? そりゃポニーテールの頃も好きだったが……。
まあ長い髪の方が、今後も女装しやすいよな。
そういう意味なのか。
「う~む。俺としては正直、どちらでもいいかな。確かにミハイルのイメージって、ポニーテールだったが。ケンカして短く切った時は驚いたけど……今じゃその髪型もカワイイって思うぞ」
俺の答えに、顔を真っ赤にして怒り始めるミハイル。
「ち、違うよっ! そういうことじゃないじゃん! 結婚式を挙げるなら、ウェディングドレスを着るでしょ? なら長くした方が似合うじゃん!?」
「……は?」
ちょっと待てよ。
結婚式、ウェディングドレスだと?
一体、ミハイルのやつ何を言っているんだ。
俺たちは男同士、法的に認められるかは別として。
同性婚なのだから、ウェディングドレスなんて必要ないだろ。
それに……俺は結婚式なんて考えていない。
頭を整理し終えたところで、彼に自身の気持ちを伝える。
「ミハイル、勘違いしているぞ。俺は結婚したいとは言ったが……結婚式を挙げるつもりはないぞ? 告白の時と同じく。二人の中で誓約を立てれば、それでいいんだ」
そう言うと、彼はこの世の終わりのような顔で、俺を見つめる。
「ウソ……? 結婚式しないの?」
「ああ、する必要ないだろ。俺たち二人だけの問題だ」
「じゃあ、タクトは……オレがウェディングドレスを着ているところ、見たくないの?」
「どういうことだ? ドレスってことは、女が着るものだろ? つまりアンナになって、ドレスを着るのか? それなら式を挙げる必要性あるか。別にコスプレでも良いだろ」
「……」
うつむいて、黙りこんでしまうミハイル。
「俺はミハイルと結婚するんだ。男ならウェディングドレスは、着られないんじゃないのか? したことないから、よくわからんが……」
「……カッ」
ぽつりと小さな声で、何かを呟くミハイル。
「は?」
急に顔を上げたと思ったら、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「タクトのバカッ! 結婚したいって言ってくれたから、楽しみにしてたのにっ!」
「え……?」
「タクトなら、見たいって言ってくれると思ってたのに。オレがバカだったよ!」
「ちょっと待て……一体どういう意味……」
言いかけている際中で、彼に遮られる。
「もういい! この話は終わりっ!」
「……」
それ以来、ミハイルが結婚式やドレスの話をすることはなかった。
※
いざ結婚が決まり、甘々なカップルの生活が待っていると思ったが。
そんな暇は、全然ない。
毎日新しい生活に、慣れるので精一杯だ。
俺はBL編集部で倉石さんと一緒に、色んな会議や作家さんとの打ち合わせ。
たまに本屋へ顔を出して、BLコーナー担当の女性スタッフに自己紹介したり……。
バイトとは思えないぐらい忙しい毎日。
色んな人間の顔を覚えるのに苦労する。
ヘトヘトになって、帰宅したころ。一ツ橋高校のレポートを作成する。
他にも新しく転生した小説家、『古賀 アンナ』として、BL作品の原稿も仕上げ。
動画で話題になったことで、編集部からインタビューを受け、エッセイを書いたり。
恋人のミハイルとデートすることは、なかなか実現できなかった。
別に結婚式の話で、仲が悪くなったわけじゃない。
彼自身も今後のために、仕事をするようになったから、忙しいのだ。
宗像先生が出資して、オープンしたオーガニック専門のカフェ。
店長は見た目がシャブ中の売人みたいなおじさん。
夜臼( やうす ) 太一( たいち ) 先輩だ。
ちなみに一ツ橋高校に在籍してるので、アラフォーだが現役男子高校生。
その夜臼先輩が経営するカフェで、ミハイルは働くことになった。
主に先輩が仕入れてきたオーガニック食品で、スイーツやコーヒーなどを販売している。
身体にも優しく太りにくいと主婦層に、人気のあるショップ。
そんな毎日を送っていると、あっという間に一年が過ぎてしまう。
ミハイルとも会えない日々が続いている。
寂しいが今は未来のため、がむしゃらになって働くべきだと、自分に言い聞かせている。
まあ、唯一会えると言ったら、一ツ橋高校のスクリーングなのだが……。
ここ数ヶ月は、俺の仕事が土日も入っており、遅刻や欠席が多い。
だがある日、編集部で雑務をこなしていると、倉石さんに呼び止められた。
「琢人くん。あなた、そろそろ受験勉強は大丈夫なの?」
あ、ヤベっ……すっかり忘れていた。
「えっと、まだ何もしてないです……」
「はぁ……それじゃ正社員になれないでしょ? 今日はもういいから、学校の先生と相談してきなさい」
「すみません、お疲れ様です」
編集部を出ると、そのまま天神経由で、一ツ橋高校がある赤井駅へと向かう。
今の俺は、高校生と思えない姿をしている。
自分で買った紳士服に革靴。頭はポマードでセットしたビジネスマン……。
まあ倉石さんに言われて、やっているに過ぎないけど。
~40分後~
久しぶりに見た長い坂道、通称心臓破りの地獄ロードは、どこか小さく見えた。
あんなにキツいと嫌がったこの坂道でさえ、懐かしさを感じる。
この一年、駆け足で過ごしてきたからかもしれない。
校舎が見えて来たところで、裏口に入る。
一ツ橋高校の玄関をくぐると、すぐに下駄箱が見えた。
上履きに履き替えて、階段を登った先。右手に小さな扉がある。
ここが一ツ橋高校の事務所だ。
ドアノブを回そうとした瞬間。
反対側で誰かが、扉を開く。
「「あ」」
目の前に立っていたのは、ポニーテールの美少女……ではなく、男のミハイルだ。
ちょっと見ないうちに、髪型が変わっている。
以前より、もっと髪が長く伸びていた。
事務所の入口で、お互い見つめあって、固まること数秒。
最初に話しかけてきたのは、ミハイルからだ。
「そ、その……タクト。久しぶりだね☆ 元気にしてた?」
「おお……元気だったさ。忙しくてな。いつもスクリーング、ひとりで寂しくないか?」
「うん、寂しいけど。我慢できるよ☆ あと、もう少しで卒業だし……」
「そうか。実は今日、ちょっと宗像先生に用があってさ。それで寄ったんだ」
俺がそう言うと、ミハイルはどこか寂しそうな顔をする。
「だと思った」
「悪いな。先生は今、事務所にいるか?」
「うん、いるよ☆ 奥でいつもみたいにコーヒーを飲んでいる。じゃあオレはお邪魔だから……」
そう言うと、彼は俺に背を向ける。
きっと、無理しているんだろう。
この小さな背中をすぐにでも、抱きしめてやりたいたんだが……。
今はダメだ。
でも、その代わりに。
「待てミハイル!」
「え?」
「その……今の髪型、似合っているよ。すごく」
たった一言だというのに、一気に顔色が明るくなり、嬉しそうに微笑む。
「ホント? ふふ、タクトはショートが好きかと思ってたから、不安だったんだ」
俺はその笑顔を見て、決意した。
大学の受験なんてさっさと片づけて、ずっとこいつのそばにいることを。
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最終章 卒業と旅立ち
大学ってのは麻雀を覚えて、焼酎を飲むところだよ?
ミハイルと別れて、事務所の奥へと進む。
先ほど彼が教えてくれた通り、宗像先生はいつものように一人がけのソファーで、コーヒーを飲んでいた。
着ている格好も、以前と変わらずタイトなワンピース。胸元がざっくり開いていて、2つのメロンが丸見え。キモッ。
「あの、宗像先生。今、良いですか?」
実に数ヶ月ぶりの再会に、ちょっと緊張してしまう。
「ん? おお、新宮か……久しぶりだな。いっちょ前にスーツなんか、着やがって」
と言いつつも、先生は嬉しそうだった。
すぐに反対側のソファーへ、座るよう促す。
俺がソファーに腰を下ろすと、何も言ってないのに、近くにあった棚からインスタントコーヒーを取り出し、マグカップに入れる。
ポッドからお湯を注ぐと、「ほれ」と言って差し出す。
正直、飲みたくないが、黙って受け取ることに。
宗像先生が座り直したところで、話を始める。
「それで、今やスーツが似合ってきた新宮さんが、何の用だ? スクリーングも欠席が目立つな……まあ、古賀のこともあるから。どうにか目をつぶっているが……」
いきなり、痛いところを突かれた。
先生の言う通り、今の俺はBL編集部が忙しくて、学校にほとんど来られていない。
「それに関しては、感謝しかないです……。今日は進路のことで、相談がありまして」
「ほう。進路相談ねぇ……遅くないか? もう3年生になって、半年以上経つのに」
「ちょっと仕事が忙しくて、忘れてました。ははは」
「笑いごとじゃないだろ? まあ、我が校なら良くあることだ。で、新宮はどうしたいんだ? このまま就職かと思っていたが」
俺も就職したいよ、本当は。
「その……今働いている博多社の正社員になる条件が、大学を卒業していることなんです。だから、大学へ進学しようと思っているのですが。出来れば、学費の安い国立が良いと思うんですけど……」
と言いかけたところで、宗像先生が態度を一変させる。
顔を真っ赤にさせて、股をおっぴろげる。これは先生が怒っている時、よく起こる現象だ。
「新宮……お前、今国立志望と言ったか?」
「はい、先生も知っていると思いますが。俺とミハイルは高校を卒業後、結婚……まあ同棲しようと思っています。ですので、なるだけ学費は安くしたいと思って……」
話せば話すほど、先生の顔は険しくなっていく。
「本気で言っているのか? 今3年生で夏も終わる時期だぞ? この一ツ橋高校に通っている新宮が、国立の大学へ進学するだと……無理に決まっているだろ、このバカモンっ!」
なぜか怒られてしまった。
「そ、そんなにダメなんですか? 確率とか……」
「ゼロだっ! 新宮、お前は何もわかっておらん! 我が校は偏差値なんてものが存在しない。だから比較のしようがないのだ。そもそも本校へ入学した生徒の中で、進学するものは10人もいないだろう」
そうだった……卒業率よりも、中退する奴らが多すぎる高校だった。
やる気のないおバカが多いから。
火のついた宗像先生は、更にマシンガントークが続く。
「大体だな! 最初から国立を狙っている生徒は、入学と同時に予備校へ通ったりして。別の勉強をしている。言いたくはないが、我が校の授業は中学生以下だぞ? 新宮の学力が低いとは思わないが、そんな学校で3年間勉強しても、何の足しにもならん! 受験勉強なら、もっと早く対策しておかないと不可能だ!」
「……」
積んだ……と思ったが。
宗像先生はため息を吐いた後、近くのデスクにあった冊子を取り、俺に差し出す。
何かのパンフレット?
手に取って見ると、何やら見慣れたマークが目立っている。
『五ツ橋( いつつばし ) 大学。2023年度入学案内』
「これって……」
「我が一ツ橋高校と、同じ系列の大学だ。私立だがそこなら、一発で合格できるぞ。ちなみに私が卒業した大学だ」
なぜか自慢げに語る宗像先生。
「マジっすか!?」
「ああ、私が推薦を出してやる。新宮は真面目だったしな。それに学費なども、かなり安くなるぞ」
「えっ!? 学費まで?」
なんという神対応。
「そりゃそうだろ? グループの創立者は一ツ橋高校を、可愛がっていたからな。本校の出身者というだけで、大学での費用は安くしてくれる。他にも海外留学など、色んなコースも好待遇だ」
つまり先生が出してくれた情報をまとめると、同じ系列ということで、推薦なら一発合格。
そして学費まで安くしてくれる。
最高じゃん!
この大学なら、さっさと卒業できるし。
拒む理由なんて無い。
「じゃあ、俺。ここにしても良いですか?」
「もちろんだとも。実は新宮、お前にはずっと大学を進めたかったんだ。でもお前、嫌がっていただろ?」
「まあ……そうでしたね。でも、今はミハイルがいるので」
「だよな。じゃあ早速、願書を書くか?」
「はい!」
とんとん拍子で話は進み、ローテーブルの上に書類を並べる宗像先生。
「じゃあな、ここにサインをしてくれ。それでお前の入学は確定したようなものだ。今まで我が校が推薦した生徒で、落ちたやつは誰もいないからな、ハハハっ!」
「そう、なんですね……」
この書類に俺の名前を書けば、入学は決まる……しかし、そんな簡単に決めてもいいのか?
4年間、ここへ通うんだぞ?
もう一度、宗像先生へ確認してみる。
「先生、あの……大事なことを聞き忘れていましたが。この五ツ橋大学ってどこにあるんですか?」
「そうだったな、キャンパスは全国に数か所あるが。新宮は作家だろ? なら文学部に入ればいいだろう。えっと……文学部のあるキャンパスはっと」
宗像先生は改めてパンフレットを開き、キャンパスの場所を探し始める。
しばらくすると、とある場所で指が止まった。
「お、これか。東京だな」
その名前を聞いて、俺は思わずソファーから立ち上がり、叫び声をあげる。
「えぇーっ! 東京っ!?」
当然、宗像先生は耳を塞いで、眉間に皺を寄せる。
「うるさい奴だな……別に良いだろ? 東京でも」
「い、嫌ですよっ! 福岡から離れるなんてっ! ようやくミハイルと結婚できるのに……」
何百キロも離れた都会に暮らし、4年間も離ればなれになるなんて。
「なんだ、新宮。お前、社会人になるってのに、恋人と離れるのが寂しいってか?」
「そ、そりゃ……さびしいですよ。ヴィッキーちゃんに結婚を許されたとはいえ、1年以上、あいつとは会えないことが多くて。あと半年ぐらい我慢すれば、一緒に暮らせることだけを糧に頑張っているんですから……」
弱音を吐く俺を見て、先生は深いため息をつく。
「はぁ……女々しい奴だな。4年間ぐらい、大したことないだろ?」
「絶対に嫌です……もう離れたくないんです……」
気がつくと、目頭が熱くなっていた。
「なんだ、しばらく見ないうちに、弱くなっちまったな。新宮」
「すみません……。けど、今も自分を抑えるのに必死なんです。ミハイルと会ったら、ずっと離れたくないって、あいつを縛ってしまいそうで……」
「お前、本当に気持ち悪くなったな……。一応、忠告しておくが、ここは高校の事務所だぞ?」
「……」
先生の言う通りだ。恋愛相談に来たのではない。
「あの、福岡にキャンパスはないんですか?」
「無いな。熊本に1つあるが、文学部はない。農学部だ」
熊本か……別に通えない距離じゃないが。
今の生活に支障をきたしたくない。
「じゃあ、五ツ橋大学への入学は難しそうです……俺には合いません」
そう言うと、先生は険しい顔で俺を睨みつける。
「合いませんって……お前、それじゃ正社員になれないだろ? どうやって大学を探すんだ?」
「わかりませんが、福岡で俺のレベルでも入れそうなところを探します……」
そう言うと、改めて先生に頭を下げる。
一応、真面目に考えてくれたし。
ソファーから立ち上がり、事務所を去ろうとしたその時、先生に引きとめられる。
「ちょっと待て! まだ他にも方法はあるっ!」
「え……本当ですか?」
「ああ、出来れば新宮には、五ツ橋大学へ進んで欲しかったが。仕方あるまい。日葵( ひまり ) が通っていた、この大学なら良いんじゃないか?」
と1つのパンフレットを差し出す。
『木の葉( このは ) 大学 2023年度入学案内』
この大学、聞いたことあるぞ。
けっこう近場にあったような……。
ん? パンフレットの下に小さく何か書いてある。
『夜間コース』
なんだこれ?
「先生、この大学って」
「うむ……勤労学生ならば、皆ここを選ぶ。夜間大学ってやつだ! 学費もかなり安いぞ!」
と親指を立てて、笑う宗像先生。
夜間大学ってことは、日中働いたあと、深夜まで勉強すんのかな。
しんどそう……。
宗像先生が出した代案は、福岡市内に存在する私立の大学。
木の葉大学、夜間コース。
「先生、なんで夜間大学なんですか?」
「そりゃ、敷居が低いからな。我が一ツ橋高校は通信制だし、各生徒の偏差値が極端だ。だから測定不能。東大を目指す生徒もいれば、少年院から出たり入ったりする輩もいる」
そう考えると、すごい高校だな……。
「だから、昼間働いている生徒には、夜間大学を進めている。一ツ橋高校と比べたら、勉学は難しいだろうが、毎日講義を受けていれば、4年で卒業できるだろう。仮にまた通信制の大学へ入るとしよう。しかし、我が校とは段違いだ。レポートの審査も厳しく、すぐに返却されることも多いと聞く。また卒業するには、6年以上……いや8年は見た方が良い。新宮、お前はどちらを選ぶ?」
「それは……」
昼間にめちゃくちゃ働いて、疲れたところで夜にお勉強。
キツそう……でも、4年間で卒業できるのは助かる。
対して、通信制は今のように、好きな時に勉強できるが。
一ツ橋高校と違い、そう甘くない。
8年間も通うとか、狂気の沙汰だ。
ふとミハイルの顔を思い浮かべる。
これ以上、あいつに辛い思いをさせたくない。
いや、俺だってすごくさびしい。
「俺は……最短コースで大学を卒業したいですっ! だから夜間大学を選びたいと思います!」
「よく言った! なら話は早い。さっさと願書を書いて、小論文でも練習することだな」
聞き慣れない言葉に、うろたえる。
「え? 小論文? なんです、それ?」
その問いに、先生は鼻で笑う。
「大したことないさ。推薦入学は、基本的に面接と小論文をやるんだよ。だからって特に意味はない。あんなのもの、試験官が真面目に読むと思うか? 100人以上の下らない文章だぞ? 適当でいいんだよ、テキトーで!」
「ウソでしょ……?」
※
宗像先生はああ言っていたけど、どうしても心配だったので、独学で何枚も用紙に書いてみることにした。
受験する際、制限時間もあるから、タイマーで計ったり。
先生が当てにならないので、なぜかBL編集部の倉石さんに小論文を持って行き、見てもらう。
何度か注意を受けたが、大体の形にはなってきた。
それから数か月後。
季節は冬になり、俺は木の葉大学のキャンパスへ向かい、受験へ挑むことに。
面接をする際、何人かの男子生徒と一緒に並んで座ったが……めっちゃ浮いていた。
周りは学ランや高校のジャケットを着たピチピチの18歳だもの。
俺だけ一人、スーツにネクタイのビジネスマン。しかも年上の20歳。
問題の面接も、簡単な質問をされるだけで、すぐに終わり。
あとは小論文を書いて提出すれば、試験は終了。
年を越した頃、メールにて合格の通知が届いた。
これにて進学の件は、一件落着と言ったところか?
※
大学も合格したし、あとは新生活のため、二人の愛の巣……じゃなかった。
新居を探すことになった。
やはり料理やスイーツ作りが好きなミハイルには、こだわりがあるだろうと、電話で誘ったが……。
『あ、ごめん。オレ、ちょっとやることがあってさ……タクトが好きに選んでいいよ☆』
これには驚いた。
ようやく二人の時間を作れるというのに。
仕方ないので、俺一人でアパートを探すことにした。
不動産屋に色んな物件へ連れていかれ、説明を受けたがさっぱり分からない。
とりあえず、家賃が安くて、キッチンは広い方が良いとリクエストしたところ。
地元である真島の近くを紹介された。
築30年以上経っているが、最近リフォームしたばかりだから、内装は綺麗らしい。
今後、結婚してから、またお金が貯まったら、家でも建てるかもしれない。
仮住まいならば、ここでいいやと妥協した。
実家から引っ越して、一人暮らしを始めたが……。
肝心のミハイルは、全然遊びに来てくれない。
なぜだ?
薄い壁のアパートだが、ここならば密室なんだぞ!?
一人用だけど、布団も畳にひける……。
早く合体しよう!
そんな望みもむなしく、何もない毎日をひとりで過ごすだけ。
自炊もしないから、三食カップ麺のみ。
お湯を沸かして注ぎ、麺をすする……の繰り返し。
あとはBL小説を書いたり、新人の漫画家さんの原稿をチェックしたり……。
なに、この静かすぎる愛の巣!?
しびれを切らして、ミハイルへ電話をかけてみる。
『あ……タクト。ごめん、ちょっと忙しくてさ。電話を切ってもいいかな?』
「なっ!?」
あのミハイルが、俺との電話を切るだと?
まさか、俺が嫌いになったとか……。
もしやマリッジブルーでは?
『ホントにごめんね。今やることが多いの。新居もタクトに任せきりで、悪いと思ってるよ?』
「なら……1回ぐらい、新居へ遊びに来ないか?」
家に入れてしまえば、こちらのものだ。
こんな時のために布団は、万年床( まんねんどこ ) だぜ。
『行きたいけど……どうしても、やらないといけないことがあるの。それが終わるまでは無理かな』
「え……」
シンプルに傷つく。
『じゃあね、タクト。ごめんけど、しばらく電話はかけてこないで』
「……」
マジで、俺。捨てられるのかな?
新居まで用意したんだぜ……。
※
2023年、3月4日。
とうとう、この日がやってきた。
一ツ橋高校の卒業式。
校舎の裏にある駐車場は、桜が舞い散り、少し風が冷たい。
当然ミハイルも誘ったが、遅れるからと断られてしまった……。
俺って本気で嫌われてるの?
一人とぼとぼと歩いていると、小さな白い建物が見えてきた。
3年前と同じ光景。
『第31回 一ツ橋高校 春期 卒業式』
その巨大な看板の前に立つと、深いため息を吐く。
これで終わりか……。
なんだか、あっけない高校生活だったな。
「よぉ! 主役のお出ましだな!」
入口の前で怪しく微笑むのは、おぞましい2つのメロンを抱えた女。
腕を組んで、仁王立ちしている。
「宗像先生、おはようございます……」
「なんだ? そのやる気の無い声は? 男だろ! もっとシャキッとせんかっ!」
性差別、反対。
「いや、卒業式なのに……ミハイルがまだ来ないんですよ」
「だぁはははっははは! そんなことを心配しているのかっ! 大丈夫だろ、ちゃんと来るさ。女々しいこと言ってないで、さっさと会場へ入れっ!」
そう言うと、宗像先生は容赦なく、俺の背中を蹴とばし会場へぶち込む。
気力のない俺は、そのままボールのようにコロコロと転がり、途中で柱にぶつかり制止した。
頭と両脚だけで身体を支えているので、3つん這いと表現すべきか?
あれ、なにこのデジャブ……。
すると近くに座っていた女子生徒が、近づいてきた。
「大丈夫? 琢人くん……ひょっとして、昨晩ミハイルくんにヤラれまくって、足腰がガクガクなのかな♪」
「あぁん!?」
柄にもなく、キレてしまった。
見上げるとそこには、眼鏡をかけたナチュラルボブの腐女子。
北神 ほのかが立っていた。
3年前に初めて出会った時、こいつに助けてもらったが、こんな卑猥なことを平然という奴だったか?
ほのかの手を借りて、立ち上がると。
既に会場の中は、生徒たちでいっぱいだった。
普段はやる気のないヤンキー男子も、スーツ姿でビシッと決めている。
ただ中のシャツが色付きで、ホストみたい。
女子は、煌びやかな振り袖や袴。それにドレスを着ている者まで。
なんだよ……こいつら。
入学式の時は、ラフな私服だったのに、卒業式は格好つけるのか?
「琢人くん、ところでミハイルくんとは、仲良くしているの?」
「ああ……忙しくて、あまり会えてないけどな」
ふと、ほのかの着ている振り袖に目をやると。
裸体の美少年たちが、汗だくになって絡み合っている刺繍が入っていた。
これ、うちのばーちゃんに依頼してないか?
ドン引きしていると、後ろから大きな声で、俺の名前を呼ばれた。
「おーい! タクオ! 久しぶりじゃねーか!」
振り返ると、高身長にガタイの良いスキンヘッド。
千鳥 力が立っていた。
「リキか……久しぶりだな」
「なんだよ、元気ねーじゃん!」
俺が話す前に、ほのかが勝手に答えてしまう。
リキの太い腕に抱きついて。
「あれらしいよ。ミハイルくんに会えなくて、元気ないんだって♪」
「なるほど、倦怠期ってやつか? タクオ、大丈夫だよ。お前たちなら、何でも乗り越えられるさ!」
と親指を立てるナイスガイ。
こいつら、こんなに仲良かったけ? えらくイチャついてるが。
しかし、それよりも気になるのは、リキの着ているスーツだ。
ほのか同様、ダンディなおじ様たちが裸体で、『どすこい』しちゃってるんだけど……。
壁一面にかけられた紅白幕。
ステージの上には、『ご卒業おめでとうございます! 教師一同』とある。
生徒たちは学籍番号で、席が決められているため。
1番という呪われたナンバーを手にした俺は、文字通り最前列で、学園のお偉いさんとお見合い状態だ。
よく知らんが、一ツ橋高校の本校。東京からわざわざ福岡へ来てくれたらしい。
かなり年配の老人……杖を持って、何やらもごもごと言っている。
人が多すぎて後ろの方は確認できないが、どうやら家族も出席しているみたいだ。
たぶん、我が家からは誰も参加していないと思う……放任主義なので。
宗像先生が咳ばらいをしながら、ステージ隣りの司会席と思われる机へと向かう。
マイクを掴み、位置を調整する。
「あー あー、テステス……」
もう二度と見たくない、懐かしい光景ですな。
「それでは、全員揃ったようなので。ただいまより、第31回一ツ橋高校、通信制コース。春期卒業式を始めます」
いや、俺の隣りが空いたままなんだけど?
まだミハイルが来てないのに……。
しかし宗像先生はそんなことを無視して、式を始める。
「えー、最初にお伝えしたいことがあります……。それは本日の生徒たちに対する、卒業証書、授与の件です。訳あって、短縮させて頂きます。本校から名誉校長が来て頂きましたが、生徒を代表して、夜臼 太一くんが卒業証書を受け取ります」
一体どういうことだ?
普通こういう時って、校長から一人ひとり直接、卒業証書をもらえるもんだろ。
宗像先生に名前を呼ばれた夜臼先輩が、元気よく立ち上がる。
身体をカチコチにさせて、ステージ上に向かう。
ていうか、今日の式に参加しているってことは、夜臼先輩はついに卒業できたのか?
ちょっと泣けるぜ……。
壇上には先ほど見かけた老人が、身体をふるふると震わせて、夜臼先輩を待つ。
「ふぇ~ 夜臼 太一くん。一ツ橋高校、いや我が五ツ橋学園へ20年近く通い学んだこと。その勤勉な姿に私たちは感動しました……よって、あなたへ卒業証書と共に、総長賞を差し上げます」
総長賞とかいう訳のわからない賞状と、ガラス製の小さなトロフィーを受け取る夜臼先輩。
目には涙をいっぱい浮かべている。
まあ……20年も高校行ってればね。
「あ、ありがとうございます! 家宝にさせていただきます!」
続けて、卒業証書も受け取ると、夜臼先輩は改めて深々と頭を下げる。
この間、体感にすると数分……。
司会席から驚きの言葉が発せられる。
「えー、名誉校長。ありがとうございました。これにて、第31回一ツ橋高校。通信制コース、春期卒業式を終了します」
ファッ!?
早すぎる。まだ始まったばかりじゃないか!
驚きのあまり、その場で固まる俺とは対照的に、辺りにいたお偉いさん方は席を立ち始める。
「今年の福岡校は早かったですな」
「まあ、どうですか? 中洲( なかす ) 辺りで一杯?」
「ふぇふぇ……福岡のキャバクラは、レベルが違いますからのう」
あの爺さんも参戦するのか。
ていうか、なに。この卒業式!?
※
辺りにいた一ツ橋高校の関係者や教師たちも、パイプイスを畳んで直し始めた。
生徒たちも黙って、それを手伝う。
壁一面にかかっていた、紅白幕も下げられ、大きなガラス窓から日差しが差し込む。
マジで終わりなの?
ひとりで困惑していると、目の前に大きな男が現れた。
リキ先輩だ。
「タクオ、ちょっと来い!」
何やらおっかない顔で、こちらを見つめている。
「は? どうしてだ? 卒業式が終わったなら、俺たちも帰るんだろ?」
「バカ言うなよ! お前には、まだやることが残っているじゃねーか!」
めっちゃ怒ってるやん。
どうしたの、リキ先輩たら……。
「一体、何を言って……」
言いかけている際中で首根っこを捕まれ、強引にステージ裏へと連れて行かれる。
舞台幕の中に入ると、そこには一人のバニーガール……じゃなかったバニースーツを着た男の子が立っていた。
コスプレ好きの住吉 一だ。
俺の顔を見て、なぜか「ひっ!」と悲鳴をあげる。
「あ、あの……新宮さん。服を脱いでくれますか?」
答えようとしたが、リキが乱暴に地面へ落としたため、尻もちをついてしまった。
「いてて……なんなんだよ、お前ら」
理解が追いつかない俺に対し、二人は何も答えてくれず、とにかく服を脱げと言う。
当然それを拒むと、ムキになったリキが、力まかせに俺のスーツをビリビリに破ってしまう。
「ふ~! ふ~! タクオが悪いんだぜ? 言うことを聞かないから……」
人をパンツ一丁にさせて、酷い言いようだ。
まさか、この二人。グルになって俺を前からも、後ろからも襲う気かっ!?
「新宮さん。ごめんなさい……だけど、こうしないとダメだから。目をつぶっていてください」
「え……」
リキの大きな手によって、視界がブラックアウトしてしまう。
一体、何が起きているんだ?
微かに聞こえてくる一の声を頼りに、頭の中で想像してみる。
「んしょんしょ……新宮さんのは、結構ノーマルサイズだから、これでいいかな?」
何やらゴソゴソと音が聞こえてくる。
「大丈夫だって、一。タクオの尻なら初めてでも余裕で入るだろ?」
ファッ!?
まさか、リキのやつ、まだ俺を狙っていたのか。
「ですよね♪ ちょっとキツくても、新宮さんなら喜んでくれますもんね」
いや……キツいのは無理。
しばらくすると、リキが手を離してくれた。
目の前には、ニコニコと微笑む一。
「うわぁ! カッコイイですよぉ~ やっぱりサイズ合ってましたね、リキさん」
「おお~ マジで似合っているぜ、タクオ! ちょっと感動してきたわ……」
なぜか目に涙を浮かべるリキ。
「二人とも……一体、何をしたんだ?」
俺がそう問うと、一が嬉しそうに答えてくれた。
「頼まれていたんです。新宮さんのタキシードを……僕が作らせていただきました」
「へ?」
視線を下に落とすと、確かに先ほど着ていたスーツより、豪華なジャケットにパンツ。蝶ネクタイ付で全身、真っ白。
この格好は、まるで……。
俺が首を傾げるていると、リキが後ろから背中を押してくる。
「ほれほれっ、主役はさっさとステージに戻るんだな」
「ちょっ! やめろよ……」
リキに言われるがまま、会場に戻ると。
先ほどまで、卒業式だった場所とは思えないぐらい色が変わっていた。
今着ているタキシードと同様のカラー。全てが白に染まっている。
生徒たちが座っていた席も、白い木製の長イスに変えられている。
左右に並べられた座席の間には、同系色の布が敷かれていた。
バージンロードってやつか。
そして俺のすぐ前には、見慣れた顔が並んでいた。
卒業式に参加していなかった、うちの家族。
親父と母さん、二人とも綺麗に着飾っている。
普段汚い格好をしている六弦のくせして、モーニングコートなんか着ている。
母さんも黒の留袖。
もちろん、妹たちも座っている。
通っている高校の制服を着たかなでと、幼いやおいを抱っこするばーちゃんまで。
まあやおいは、ばーちゃんにBLマンガを読ませてもらっているのだが……。
「よぉ! タク、待ってたぜ!」
「親父……なんで、ここに?」
俺の問いに、目を丸くして答える。
「なんでって……呼ばれたからだろ? お前の結婚式に」
「はっ!? 結婚式?」
その言葉に動揺していると、司会席からアナウンスが流れる。
「え~! 新郎の琢人くんは、ステージに上がるようにっ!」
振り返ると、宗像先生がこちらを睨んでいた。
顎をクイッと動かし、無言の圧をかけてくる。
黙ってステージへ上がれということか……。
「じゃあ、タクオ。俺たちは後ろで見ているから、しっかり男を見せろよなっ! あの動画以上を期待しているぜ!」
と親指を立てるリキ。
俺ひとり残して、一と後ろの席へ去っていく。
よく見れば、後方の席には親交のある生徒たちが座っていた。
花鶴 ここあ。千鳥 力。トマトさん、妹のピーチ。日田の兄弟。
それに腐っている職場仲間と、編集長の倉石さんまで。
どうして……みんな集まっているんだ?
まだ頭が混乱しているが、とりあえず宗像先生が怖いので、従うことに。
ステージへ上がるため、階段を登る。
そこで待っていたのは、ひとりの白人男性。
金髪のガッチリした中年。
見たところ、牧師のようだ。
「ドーモ。今日はよろしくデス。結婚式を任せられたロバートと申しマ~ス」
とニッコリ笑って見せる。
ん? この白人、どこかで見たことあるような……。
あっ! 別府温泉で宗像先生を娼婦として一晩買った変態だ!
「ミス・蘭に頼まれて、今日は牧師をやりマ~ス♪」
「……」
牧師ってチェンジできないのかな?
先ほどまで行われていた卒業式が……。一瞬にして、結婚式会場へと変わってしまった。
ステージの上では、自称牧師のロバートがニコニコ笑って立っている。
右手に聖書を持って……。
ドМの変態おじさんに、持たせていいものだろうか?
このチャペル? らしき会場。
どうやら宗像先生と生徒たちが、作ってくれたようだ。
ロバート牧師の背後には、十字架が飾られている。ダンボール製の。
「あの……宗像先生、これって一体?」
未だに状況が掴めないので、司会席に立っている先生へ質問してみる。
「見りゃわかるだろ? 結婚式を始めるんだよ」
「結婚式って、誰がそんなこと頼んだんですか? 俺は望んでませんよっ!」
「あぁん? 人がせっかく用意してやったのに、文句を言うのか? お前は。一ツ橋高校の教師や生徒たちみんなで、頑張ったんだ! 感謝しろ、バカヤロー!」
「そ、それは……」
ふと振り返ってみると、クラスメイトたちが寂しそうな顔でこちらを見つめていた。
先生の言う通り、かもしれないな。
「あとな、ロバートは牧師をやるために、わざわざアメリカから来たんだぞ? 彼にも礼を言え!」
知らんがな、それに彼は本当に聖職者なのか?
俺の代わりに、ロバート牧師が英語で先生をなだめる。
「That’s okay. No worries! I just want your body」(大丈夫、気にしないで。僕は君の身体が欲しいだけさ)
なんだ、宗像先生が恋しくて来日しただけか。
「あぁ? 日本語使えったろ? まあいいや。ホテルは予約しているから、そこで話を聞いてやる」
「Yes!」
話は噛み合っていないが、ロバート的にはやる気マンマンのようだ。
アホらし……。
※
「じゃあ、そろそろ花嫁……じゃなかった花婿? あ~! もう、めんどくさい! とりあえず、入場だっ!」
先生の投げやりな紹介と共に、会場の灯りが全て消えてしまう。
真っ白だった空間が、一気に暗闇に染まった。
何も見えないと困っていたところを、一筋の光りが差し込む。
目の前のバージンロードから会場の入口まで、一直線に照らしている。
その先に見えるのは、二人の人影。
ひとりは黒いモーニングコートを着た……女性?
金色のポニーテールが輝いている。それにコートを着ても、膨れ上がる巨乳。
あれはもしかして、ヴィッキーちゃんか!?
ということは、隣りに立っているあの子は……ミハイル!
ヴィッキーちゃんとは対照的な色、白で統一している。
顔はベールで隠されているから、分からないが。
あの華奢な体格は、彼で間違いないだろう。
ウェディングドレス……ではなく、パンツと言うべきか。
一般的なドレスとは違い、ひらひらしたフリルやスカートなどは一切、排除されている。
その代わり、肌の露出が激しい。
ノースリーブにショートパンツ、所々に花柄レースの刺繍が入っている。
持ち前の白く美しい両脚を揃えて、ブーケを手に持つ。
どこからともなく、音楽が流れてきた。
『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』
あまりに、場にそぐわない曲だったので、その場でずっこけてしまった。
しかし、俺とは対照的に、入場してきた二人は至って冷静だ。
すました顔をして、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
バージンロードを歩くその姿は、正しくこの世に舞い降りた天使。
こちらへ近づいて来て、気がついたことだが。
ミハイルの足元は、厚底の白いローファーだ。紳士向けの。
以前、結婚式の話をした際、俺がミハイルに言ったからなのか?
ドレスは女が着るもの。男は着ない。
だから、わざわざ男のミハイルが着られる服を……。
ひとりでぼーっと考えこんでいたら、いつの間にか、目の前にヴィッキーちゃんが立っていた。
眉間に皺を寄せて、俺を睨みつける。
「てんめ……なに、さっきからジロジロ見てんだよ」
とドスの聞いた声で脅す。
くしくも3年前の春。初めてミハイルに言われたセリフだ……。
顔だけなら、弟のミハイルと変わらない美人なのに。
弟より怖い。
結婚を許してもらえたはずなのに、何故か謝ってしまう。
「す、すみません……」
「この野郎、クソ坊主! お前、結婚の挨拶から顔出さないじゃねーか? あのウイスキーぐらいで、弟をやると思ったのか!?」
今から結婚式を始めるんじゃないのか?
花嫁を連れて来た、お父さん代わりでしょ。
困った俺はミハイルに視線をやるが、本人は無言を貫く。
たぶん、自身を姉のヴィッキーちゃんが、俺へ託すのを待っているのだろう。
そんな窮地から助けてくれたのは、意外な人物だった。
「あの~ アンナちゃんのお母さんですよね?」
事情をよく知らない親父が、出しゃばってきた。
当然、ブチギレるヴィッキーちゃん。
「あぁん!? 誰が母親だっ!? あたいはまだピチピチの独身だ! それにこいつはアンナじゃなくて、ミーシャ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るヴィッキーちゃんを見ても、物怖じせず。
ヘラヘラと笑いながら、頭を下げる親父。
「すみませぇ~ん。知りませんでして……あ、ところで、先ほどの話なんですが。あの『すみ酒』じゃ足りないですよね? 今日は祝いの席ですので、式が終わったら一杯どうですか?」
まさかとは思ったが、ヴィッキーちゃんの顔つきが、一気に柔らかくなる。
「えぇ、嫌だな~ 琢人くんのお義父さんたら。その酒ってウイスキーですか?」
「もちろんですよ。さすがに『ザ・メッカラン』の60年ものは無理でしたがね。『山々崎( やまやまさき ) 』の50年ものなんていかがでしょう?」
「……」
しばしの沈黙の後。
長年親代わりをしてきたヴィッキーちゃんだが、可愛い弟を簡単に手放してしまう。
「ほれ、あげる」
と俺にミハイルを託してくれた。
酒さえあれば、どうにかなるんだな。
※
ようやく俺の左腕に、辿り着いたミハイル。
ベールであまり顔は見えないが、それでもエメラルドグリーンの輝きは隠せないようだ。
俺にしか聞こえないように、耳元でささやく。
「遅れてごめんね……タクト。このドレス……じゃなかったスーツを作るのに、時間がかかって」
「なっ!? じゃ、じゃあ……しばらく会えなかった理由って?」
「うん☆ ずっとこれを作ってたから。ちゃんと間に合わせたくて☆」
そういうことだったのか。
「でも、俺は……」
言いかけたところで、ミハイルが俺の唇を人差し指で塞ぐ。
今気がついたが、手にウェディンググローブをはめている。
「いいじゃん☆ 今日の結婚式は、オレがみんなに相談したから、準備してくれたんだよ? 甘えよう☆」
「みんなって?」
「ここにいる全員だよ。みんな、オレたちの結婚を祝いたいって、用意してくれたの☆ タクトには黙っていたから、ごめんね」
俺はもう一度、後ろを振り返ってみた。
みんな嬉しそうに笑っている。
ミハイルの言ったことが本当なら、ここまで準備するのに相当な時間と、金を使ったはずだ。
俺たちのために……。
「お~い! もういいか!? さっさと結婚式、やるぞ。新郎新婦?」
司会席に目をやると、宗像先生がやる気のない顔をして、式のプログラム表を手で叩いていた。
あんな顔をしているけど、先生も俺のために、牧師まで用意してくれた……。
卒業式を短縮して、結婚式の方を優先してくれたし。
やっぱり、俺。この高校を選んで良かった。
愛するミハイルに、友達想いの級友たち。
それに生徒を一番に、行動してくれる先生。
みんなありがとう……。
目頭が熱くなってきたけど、必死にこらえる。
泣くなら今じゃない。この結婚式が終わってからが良い。
覚悟を決めて、司会席にいる宗像先生へ向かって叫ぶ。
「すみません! 準備ならもう出来ました! 結婚式を始めてくださいっ!」
気がつくと、口角が上がっていた。
すると宗像先生が、眉間に皺を寄せる。
「なんだ? ニヤニヤと笑って気持ち悪い……さっさと式を終わらせろ。私も新宮のお父さんが用意してくれた『山々崎』を早く飲みたいんだ。みんな打ち上げが待ち遠しいんだよっ!」
「……」
前言撤回、最低な高校でした。
僕の学歴で、唯一の汚点になります……。
まずはロバート牧師が、俺たちふたりに対して、愛の誓いを確かめる。
俺は練習もしてないので、一発勝負だ。
かなり緊張する……。
「琢人くん。あなたはここにいる、ミハイルくんを……」
よく映画とかで聞いたことのあるセリフ。
俺の人生でこんなこと、絶対に起きないだろうと思っていた。
ちょっと、感動していたら……。
「攻める時も、受けの時も……また痔になっても、マンネリ化しても」
思わず、その場でずっこけるところだったが。
ミハイルが腕を組んでいるので、転ばずにすんだ。
「パートナーとして愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
即答でYESと言いたいところだが、一部のセリフを受け入れたくない。
でも、ここはロバート牧師の言う通りにしよう。
「は、はい……誓います」
その答え方に、ロバートが苛立つ。
眉間に皺を寄せ、再度誓いを確認する。
「タクトくん? 絶っ対に誓いマスね!?」
めっちゃ怒ってる、ドMのくせして。
「誓います! 永遠にっ!」
するとロバートは嬉しそうに微笑む。
「オーケー」
次はミハイルの番。
俺の時とは違い、ちゃんとした誓いの言葉だった。
『病める時も、健やかな時も……』という、おなじみのやつだ。
当然、ミハイルもYESと即答し、無事に誓いが成立したのであった。
というか、なぜ俺だけ、あんな誓いを立てられたの?
※
結婚式のプログラムを知らされていない俺は、次にどんなことを行うか。知るわけもなく……。
きょろきょろと辺りを見回していると、隣りに立つミハイルが俺の袖をくいっと掴む。
「大丈夫だよ☆ オレに合わせて」
「ああ……」
そんな俺を見て呆れたのか、宗像先生が深いため息をついたあと、こう言った。
「では、リングガールの入場です」
きっとプログラムを順次、説明するから安心しろということなのだろうが……。
リングガールってなんだ?
今から際どい水着姿のお姉ちゃんが、入場するのか。とアホな妄想をしていたら。
会場奥の入口に、ひとりの少女が立っていた。
先ほどミハイルが歩いていた、ヴァージンロードの上を。
小学生ぐらいの女の子だ。
白いドレスを着て、頭に花冠をかけている。
手には網かご。
徐々にこちらへ近づいてくると、その子に違和感を感じる。
それは顔つきだ……。
遠目で見れば、女の子だが。よく見れば、しっかり成人した女性。
いや、もう30歳を迎えたのに、独身のかわいそうなアラサー。
俺の元担当編集。白金 日葵だ。
「はい。お二人の結婚指輪を、届けに来ましたよ」
と網かごを差し出す白金。
自ら望んでやっているようには見えない。
その証拠に、舌打ちをつく。
「チッ……なんで、私がこんなことをしないといけないんだか」
顔を歪めて、神聖なヴァージンロードへ唾を吐き捨てる。
これには俺もブチギレそうだったが、みんなやミハイルの前だ。
怒りをこらえて、白金に礼を言う。
「悪いな、白金。ありがとう」
そう言って、カゴを受け取る。
「フンッ! 私より先に結婚なんてしやがって、クソウンコ作家のくせに!」
ダメだ。祝いの席でキレてはいかん。堪えろ。
「は、はは……まさか白金まで、結婚式に参加してくれるとはな」
「別に私は参加したくなかったのですけどね。DOセンセイじゃなかった。“アンナ”センセイのお父さんが『山々崎』を飲ませてくれるって聞いたもんで」
お前も結局、酒かよ……。
どうなってんの? 初代、伝説のヤンキーたちは。
※
白金が持ってきた網かごには、2つのプラチナリングが入っていた。
黙って受け取ったけど、この結婚指輪は誰が用意したんだ?
俺はミハイルに告白する時、渡したのは婚約指輪であって、結婚指輪じゃない。
ロバートに「どうゾ、お互いの指に差し込んで下サイ」に促されたが……。
こちらが用意したものじゃないから、怪しんでしまう。
後で多額のお金を、請求されるのではないかと。
俺が指輪を睨んで固まっていると、ミハイルがそれを見て、クスクス笑う。
「フフフッ、早く指輪を入れてよ☆」
と細い指を差し出す。
「え……でも、これ。誰が買ったんだ? 俺は買ってないのに……」
「タクトって結構、心配性だよね。こんな時ぐらい信じてよ☆」
「?」
「オレが買った……ていうか、作ったの☆ 二人分ね☆」
「つ、作っただと!? ミハイルはそんなチートスキルを、持ち合わせていたのかっ!?」
あれだろ?
異世界に飛ばされた主人公が、鉱山で希少な鉱石を掘り出し。
コツコツと貯めたスキルポイントを使い、鍛冶スキルに全振りする。スローライフ的な……。
とひとりで、次回作の主人公は金髪ハーフの美少年が、異世界でエルフより可愛くなるストーリーを考えていたら。
ミハイルが俺のおでこを、人差し指でデコピンする。
「いでっ!」
「考えすぎだってば。福岡に工房があってね、そこの先生に教えてもらいながら、作ったんだよ☆ ちょっと歪んじゃったけどね」
「そういうことか……」
「お店で買った方がキレイだけど。作ったら少し安くなるし、何より世界で2つだけのリングだもん☆ タクトが可愛い婚約指輪をくれたから、結婚指輪はオレが作りたかったんだ☆」
「……」
その言葉を聞いて、今までの自分を呪った。
ミハイルがこの数ヶ月、会えないと言っていた理由は、全て今日のため。
俺が結婚式を断ったから、ひとりで宗像先生や友達に相談して、式を用意し。
指輪まで自分で作ってくれた……。
なら、ミハイルの気持ちにしっかりと応えるべきだ。
それからの俺は、素早かった。
指輪交換をさっさとすませ、司会の宗像先生や牧師であるロバートの言葉も無視して、ミハイルにこう囁く。
「ベールを上げたいから、腰を屈めてくれ」
「う、うん……」
その場でミハイルが、ゆっくりと腰を屈めるのを確認すると。
俺は彼の頭にかかったベールを、両手で上げていく。
ベールを上げると、ミハイルが瞼を閉じて待っていた。
俺が「もういいぞ」と言うと、ゆっくり瞼を開き、腰を伸ばす。
厚底のローファーを履いているとはいえ、俺たちには身長差がある。
どうしても、彼の方が上目遣いになってしまう。
2つのエメラルドグリーンを輝かせて、微笑むミハイル。
薄紅色の唇は、どこか艶がかっているような気がした。
ひょっとして何かリップを塗っているのか?
「お待たせ、タクト☆」
「ミハイル……」
とても長い時間。すれ違っていたような気がする。
やっとこいつの顔を、見ることが出来た。
それだけで、心が満たされていく。
もう……ダメだ。我慢できん。
「それでは、誓いのキスを……」
とロバートが最後までセリフを言う前に、俺はミハイルを抱きしめていた。
もうお互いが離れないように、強くきつく。
「た、タクト?」
「愛している……ミハイル」
「オレもだよ。でも、このままじゃ、誓いのキスが出来な……」
ミハイルの小さな唇を、力づくで奪う。
こんな強引なキスをするはずじゃなかったのに。
久しぶりに見た彼が可愛すぎて、理性が吹っ飛んでしまった。
彼が逃げられないように、右手で頭を抑え、腰に左手を回す。
「んんっ……」
誰かは分からないが、悲鳴のような歓声が上がる。
そりゃ、そうだろう。
俺は誓いどころか、かなりディープなキスを堪能しているのだから。
ミハイルの舌先を探すことで、頭はいっぱい。
もちろん、彼が拒むことはないが。少し恥ずかしがっているように感じる。
腰に回していた手の位置も、次第に下りていく。
彼が一生懸命作ったウェディングスーツ。
触れたことで、ようやく気がついた。
この生地はきっとフェイクレザーだろう。つるつるのスベスベ。
撫で回すのに最適。いや、揉みしだくのが良い!
~10分後~
「んちゅ……じゅばじゅば……ぶちゅっ、ちゅ~!」
誓いのキスにしては、あまりに長い接吻だった。
おまけにミハイルの小尻を、撫で回しては揉みまくる……を繰り返していた。
しかし、それを黙って見ている大人たちではない。
誰かが固い筒で、俺の頭を引っぱたく。
「長いっ! さっさとやめんかっ! 初夜なら後にしろ、バカモン!」
後頭部をさすりながら、ミハイルから離れると。
顔を真っ赤にした宗像先生が、結婚式のプログラムを丸めて立っていた。
「すみません……つい」
「つい、じゃない! お前、このあと式をどうすんだ!?」
宗像先生が指差す方向に目をやると、ミハイルがまた『トリップ』していた。
「うへへへ☆ タコさんのタクトだぁ~ だから、オレのお尻も触ってきたんだぁ。くすぐったいよぉ~」
「……」
ミハイルが正気を取り戻すのに、30分を要した。