気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


「倉石さん、どうしてここに?」

 その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。

「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」
「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」
「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」

 どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。
 白金から、その許可を得たいのか?

「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」
 酷い言われようだ。
 あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。

「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」
 倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。
「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」
 僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。

 これには俺も黙って、見ていられなかった。
 もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。

「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」

 しばらく沈黙が続く。
 恐る恐る、頭を上げてみると……。
 鬼のような形相で睨む白金がいた。

「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」
「こんのっ……」

 最後までガキだな、白金は。
 でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。

「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」

 と思っていたが、そこまで言われる義理はない。
 むしろ激しい苛立ちを覚えている。

「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」
「なんですって! ウンコ作家のくせして!」

 結局、最後までケンカ別れになってしまった。

  ※

 その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。
 BL編集部は、すぐ上の階だ。

 チンという音と共に、ドアが開くと。
 そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。
 各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。

 入口には、大きな垂れ幕を掲げており。
『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』
 と書いてあった。

 俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。
 全員、大人しそうな女性。
 黒髪に眼鏡の人が多く感じる。

 しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。
 頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。

「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」
「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」
「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」

 みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。
 まるで盛りのついた猫だ。
 怖すぎっ!

 しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。

「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」

 そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。

「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」
「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」
「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」

 どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!
 人の嫁をネタにするな!

 落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。

「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」
「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」
「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」

 倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。
 分厚い壁で覆われた一室。
 ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。

 部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。
 ゲゲゲ文庫とは大違い。
 見るからに豪華で、座り心地も良さそう。

 柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。
 どこから、こんな金が……。

 倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。

「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」
「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」

 自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。

「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」
「は?」
「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」

 真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。
 さすがの俺もブチ切れそうになった。

「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」
 思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。
 
「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」
「うう、それはそうです……」

 そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。

「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」
「え? ウソでしょ?」
「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」

 俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。
 BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。
 母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。
 その俺が……BL作家になるだと?
 笑わせるぜ。

 ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。
 何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。

「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」
 それを聞いた、俺は即答する。
「やります! なんでも書きます!」
「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」
「え……何でですか?」

 俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。

「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」
 こんな怖い倉石さん、初めてだ。
「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」
「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」
「う、ウソでしょ……」

 俺が取材して手に入れたネタ……いや、ヒロインたちとの思い出。
 一年間、頑張って書いてきた作品。“気にヤン”だが……。
 BL作品として売り出すには、女キャラを排除しろと倉石さんは言う。

 しかし、それではあまりにもサブヒロイン達が不憫だ。

「倉石さん……BL編集部で拾ってもらえるのは嬉しいのですが。やはりサブヒロインは女でも、必要じゃないですか?」
 それを聞いた途端、倉石さんの目つきが鋭くなる。
「は? なんで? メインヒロインが男なら、サブヒロインも男じゃないと、BLじゃないわ」
 めっちゃ冷たい声で、圧をかけてくるやん。
 こんなに怖い人だったけ?

「あの……何度も言っていますが、俺が書いているのは実際に起きた出来事です。例えば、ミハイルが女装してアンナになる理由も、サブヒロインにあります。彼女たちに対抗するため、女の子に変身したんです」
 俺がそう説明すると、倉石さんは顎に手をやり、唸り声をあげる。

「う~ん。そういうことなの……つまり女装男子とか、男の娘系ね。それは別の作品として需要があるかも」
 どうやら納得してくれたようだ。
 安心したところで、再度倉石さんに確認を取る。

「分かって頂けましたか?」
「それは理解できたわ。でも、うちの編集部で出すなら、完全にリメイクする必要があるわ」
「へ?」
「BLならば、徹底的に女人禁制の世界じゃないと! これは鉄板よ!」
「はぁ……」

 なんか似たようなことを、母さんが言っていたような。

「さっきも言ったけど、サブヒロインを男に性転換したら成立すると思うのよ……例えば、赤坂 ひなたちゃんってボーイッシュな女子高生は、リキくんみたいな短髪のマッチョにしてね」
「えぇ……」
「あとほら、ミハイルくんにそっくりな幼馴染のマリアちゃんは、心臓手術のついでに、肉体改造をして少年兵として戦争に行くのよ」
「それで、どうなるんですか?」
「戦いが終わり、帰還したところで伝説の傭兵になった『マイケル』は、幼馴染の出版を耳にして帰国するの! そしてミハイルくんと対峙するわけ!」
 マイケルって誰だよ。
「あの、それってBLの世界になってます?」

 結局、倉石さんとの話は、終始平行線で決着が着くことはなかった。
 仕方ないので、既存の作品である“気にヤン”はとりあえず、そのまま放置。
 改めて、俺とミハイルだけのラブストーリー?
 というより、二人の日常を淡々と描くことになった。

 対抗馬がいなくなったので、盛り上がりに欠けると思ったが。
 倉石さんは満足そうだった。

「琢人くん、これからのあなたは今まで以上に、困難な道を辿ると思うわ」
「俺がですか?」
「ええ……ゲイであることもカミングアウトしたし、何より結婚するのだから。二人の生活を維持するために、お金が必要だわ」
「まあ、それは色んな人に言われてますから」
 笑って話を逸らそうとしたら、倉石さんがガラス製のローテーブルを拳で叩く。

「そんな気持ちじゃダメよ! あなたは分かってない! まだ学生だから自覚がないの。もう結婚すると誓ったのだから、今までの自分を、考えを捨てなさい! 生きていくためには何でもするの……例えばミハイルくんとの営みも、包み隠さずネタにしてお金に変えるのよ!」

 目が血走っている。
 怖すぎだろ……。

「い、営みって、それはさすがに……パートナーであるミハイルも、嫌がると思いますし」
 そう言って断ろうとしたら、すっと手の平を差し出す倉石さん。
「出して」
「え? なにをですか?」
「ミハイルくんの電話番号よ」
「なっ!?」

 この人、まさかミハイルを編集部に呼び出して、裸の写真とか撮るつもりじゃ……。

「私がミハイルくんから許可を取ればいいでしょ? 今ここで彼に電話をかけて!」
「え……今からですか?」
「当たり前でしょ!」

 仕方なく、俺はスマホのアドレス帳から、ミハイルの名前をタップすることに。

 彼にしては珍しく、ベルの音が何度も繰り返される。
 出ないなら、それに越したことはないのだが……。
 しばらくすると、いつもの元気なミハイルの声が聞こえてきた。

『もしもし、タクト☆ どうしたの?』
「あ、悪い。何か忙しかったんじゃないのか?」

 何か用事があるなら、それを口実に電話を切ろうとしたが。
 なぜか、彼は口を濁す。

『そ、その……ちょっと集中していて、電話に気がつかなかったの』
「ひょっとしてスイーツ作りか? なら切ってもいいぞ?」
『ち、違うんだ……この前、タクトと博多駅でしたじゃん?』
「は? なにを?」
『忘れたの? キスだよ……動画サイトで見ていたの。思い出したら、ドキドキして。あの時のタクト……凄かったから☆』

 いかん、そんなことを電話越しに言われたら。
 俺まで興奮してきた。
 特に股間が……。

 だが、未来の嫁とのイチャイチャタイムは、倉石さんにより強制的に止められてしまう。
 
「琢人くんっ! 早いところ変わってもらえる?」
 一気に興奮が冷めてしまった。

「あ、すみません……。ミハイル、ちょっと編集部のお姉さんと話せるか? 俺とお前の話を元に、作品にしたいそうだ」
『お姉さんって誰? どういう関係なの?』
 今度は勘違いしたミハイルが、ドスのきいた声で尋ねる。

「違うよ、ミハイル。ほのかのお友達だ」
『あ、ほのかと同じ病気なんだね☆ なら安心☆』
 酷い偏見だ。
 とりあえず、倉石さんと代わる。

「はじめまして、ミハイルくん。私BL編集部の倉石というんだけどねぇ。琢人くんとミハイルくんが結婚するじゃない?」
 わざと大きな声で話しているような気がする。
 その証拠に、何度かこちらに目をやる。

『う、うん……結婚するって約束したよ』
 応接室が静かなせいか、彼の声がこちらまで聞こえてくる。

「それでね、今後二人の結婚生活を支えるために、お金が必要じゃない。ミハイルくんがタクトくんとラブラブしているところをね。小説やマンガにしたいんだけど、どうかしら?」
『えぇ!? オレとタクトが、ラブラブするところを?』

 やはり驚いている。
 さすがに二人の私生活まで、ネタにはしたくないだろう。

「ためらう気持ちもわかるわ。でもね、ミハイルくん。二人の作品が有名になれば、抑止力にもなるわよ?」
『よく、しりょくってなに?』
「琢人くんに邪魔な虫……そうね。女どもが寄って来なくなるわ。だって二人のラブラブ作品は実話なんだから。全世界に知らしめてやるのよ! ゲイとして!」
『そっか。他の女の子が寄らなくなるのは、安心かも……』
 納得するなよ、ミハイル。

「でしょっ! “気にヤン”はアンナちゃんがモデルだけど、今回のBL作品は全く違うの! ただただ二人が愛し合う作品。いわば協同制作ねっ!」
『オレなんかで良いの?』
「もちろんよっ! 私たちBL編集部は、二人の結婚を祝福しているわ! もし邪魔な女がいるなら、私に言って! ブッ殺してあげるから!」

 なんて恐ろしいことを言っているんだ、倉石さん。
 BLになると、人が変わるから怖いんだよな。

『あの……邪魔じゃないけど。でもタクトの中で、マリアとかひなたとか……また優しくするんじゃないかって。怖い時があるかな』
「なるほど。ミハイルくんの不安は排除しないとダメね。夫となる琢人くんには、きっちりと! 落とし前をつけてもらわないと、ねっ!」
 と俺を睨む倉石さん。
 
 
 電話を切ったあと、BL編集長から初の業務命令が下された。
「琢人くんっ! ミハイルくんが不安を抱えているんだから、排除しなさい! 全サブヒロインへ結婚を報告し、契約を解除してきなさい! 『俺は女を愛せない』とっ!」
「……」

 別にそんなこと、誰も言ってないよ。
 俺はミハイルしか、愛せないだけだって……。

「琢人くん、作品名なんだけど。もうこちらで勝手に決めているんだけど。いいかしら?」
「まあ、いいですけど」
「シンプルに『タクトくんとミハイルくん』がいいと思うの♪」

 まんまやないか。
 ていうか、本名が使われるのか……。
 しかし、あの動画で名前はバレてるし、いいか。

「わかりました。大丈夫です」
「ホント? 良かったぁ♪ あとね、ペンネームも改名しようと思うの。さすがにBL作家が、DO・助兵衛じゃ下品だもの」
 名前まで変えられるのか。
 ていうかBLもある意味、下品な部類では?

「じゃあ、どういう名前なら良いんですか?」
「実はそれも前から、考えているのよ~ 今回の作品は二人の日常を、赤裸々に描く本物のBL小説でしょ? だから、古賀 アンナというペンネームがぴったりよっ♪」
 それを聞いて、俺は大量の唾を吹き出す。

「ブフッーーー!」
 まさか……俺に女装させるつもりか?

「偽りでもアンナちゃんは、二人が作り上げた愛の原形でしょ? もったいないと思うの、このまま捨てるには……。琢人くん自身が告白の時、『男のミハイルが良いと』断言してしまったし」
「確かにそうですが……なぜ俺がアンナの名前を継ぐのですか?」
「だってほら、今回はミハイルくんからもしっかり許可を得て、二人のおせっせを描くからさ。つまり共同ペンネームね♪」
「なるほど……俺たちの名前ってことですか」

 それなら、良いかもな。
 アンナという美少女は、今後リアルでも会うことは無いかもしれない。
 俺としても、寂しく感じていたところだ。
 思い出として、彼女の名前を使うってのも一つの手だな。


「ところで、琢人くん。話は変わるのだけど、あなたこの前、交通事故を起こしたんでしょ?」
「ええ、どうしてそれを知っているんですか?」
「ガッネーから、話を聞いたのよ」
「そうですか……それがどうしたんです?」
 俺がそう問いかけると、倉石さんの目つきが鋭くなる。

「琢人くんって、今も新聞配達をやれてるの?」
 ギクッ! 全てを見透かされているような気がした。

「いえ……あの事故が原因で、クビになりました……」
「やっぱりね。じゃあ、尚のことお金が必要でしょ?」
「はい、おっしゃる通りです……」

 その場でうなだれる俺を見て、倉石さんはローテーブルの上に、1枚の書類を置く。

「琢人くんがいくら人気作家でも、すぐにお金は払えないわ。だけどうちで雇うことなら、出来るわよ」
「へ?」
 俺は耳を疑った。

「将来、有望なBL作家をこんなところで潰したくないの。だから、うちの編集部でバイトとして、雇ってあげる」
「マジですか!?」
「ええ、やる事は私のお手伝いぐらいしか無いけど……」

 渡りに船とは、このことだ!
 バイトでもありがたい。

「じゃあ、よろしくお願いいたします! 何でもやらせてください!」

 そう言って契約書に、サインを書こうとしたら、倉石さんに釘を刺される。

「いいの? そこに琢人くんの名前を書けば、片道切符よ?」
「どういう意味ですか?」
「あなたには、将来ここの正社員になってもらいたいの」
「しゃ、社員ですか?」
「ええ……いくら売れている作家でも、不安定な職業でしょ? だから兼業作家でいてほしいの。社員になれば、安定した収入で暮らしていけるじゃない」
「なるほど……」
 倉石さんの説明を聞いて、理解したと思った俺はボールペンに手を取るが……。
 ビシッと平手で叩かれてしまう。

「話はまだ終わってないわよ。社員になるためには、最低限の資格が必要なの。採用基準は簡単、大卒よ。つまり、琢人くんはまだ高校生だけど。卒業後には大学へ進学してもらうわ!」
「え……俺、進学するつもりなんて、無いですよ?」

 いきなり大卒の資格がいると聞いて、持っていたボールペンを手放す。
 冗談じゃない。
 あんなバカ高校でも、辞めようかと迷っていたのに……。

「琢人くん! あなただけの問題じゃないでしょ? 愛するミハイルくんのために、大学ぐらい出なさい。たった4年頑張れば、正社員になれるのだから!」
「でも……」
「じゃあ、可愛いミハイルくんを大学に行かせる? あなたはそれでいいの!?」
 おバカなミハイルじゃ、入試試験で挫折するだろうな。
 仕方ない。覚悟を決めるか……。

「わかりました。高校を無事に卒業したら、大学を目指します! どんなアホ大学でも良いんですよね?」
「ええ、いいわよ~ 大卒じゃないと給料も安いしね♪」

 はぁ……結婚が決まって、浮かれていたけど。
 高校が終わっても、またガッコウか。

  ※

 晴れて俺はBL編集部から、古賀 アンナとしてデビューが決まり。
 また倉石さんにバイトで雇ってもらうことになった。
 当分、金の心配は無いだろう。
 高校を卒業するまでは……。

 各書類に、自身の名前を書いたことで全て契約が成立した。

「嬉しいわぁ~ 琢人くんがうちの編集部に来てくれてぇ~♪」
「ははは……よろしくお願いいたします」
「そんなに固くならないでよ~ もう人気者でしょ? アンナ先生は♪」
「……」
 これから、そう呼ばれると思うと辛いな。

 応接室から出ると、倉石さんが編集部にいた女性陣を集める。

「みんな~! 聞いてぇ、琢人くん……いや古賀 アンナ先生が、今日からうちで連載することになったから、仲良くしてねぇ!」

「「「は~い♪」」」

 誰も俺が、アンナという名前に違和感を持つことなく、受け入れてくれる。
 むしろ、男としては見てくれない。

 たくさんの女性に囲まれて。

「アンナちゃんは、ここのデスク使って」
「お菓子とか好き?」
「こっそりでいいから、ミハイルくんのキス。味を教えて欲しいな♪」

 などと、完全に女子会のノリになっている。

  ※

 とりあえず、今日は特に仕事がないので。
 また改めてプロットや設定を、書いて来て欲しいと倉石さんに頼まれた。
 それとは別に、BL編集部が刊行している雑誌でエッセイを書いて欲しいと頼まれた。
 例の動画騒ぎで、腐女子の人たちが興味津々らしい。主に俺の恋愛観など。

 忙しくなりそうだ……。

 帰り際、倉石さんに声をかけられる。

「あ、待って。琢人くん!」
「へ?」

 振り返ると、大きな紙袋が目に入った。
 どこかで見たことがあるような……。

「これ、持って帰って」
「なんです、それ?」
「ガッネーから頼まれてね。預かっていたのよ」
「白金から?」
「私も中身は知らないわ。でも琢人くんには大事なものだって……。ちょっと前に『私に何かあったら』って深刻な顔して持ってきたのよ。きっと“気にヤン”の連載に不安を感じていたんじゃないかしら?」

 まさかっ!? これは赤坂 ひなたの家に宿泊した時、パパさんから頂いた300万円。
 白金のやつ……俺がアンナの正体を告白した時から、ちゃんと後のことを考えていたのか。
 だから、倉石さんに預けていたのか。
 クソッ……ロリババアのくせして、らしくないことしやがる。

「思い出しました。確かに俺が白金に預けたものです……」
「やっぱりそうなの? じゃあ返しておくわね♪」

 紙袋を受け取ると、俺はエレベーターへ乗り込んだ。

 目頭が熱い。
 あんな別れ方になったけど……白金。
 今までありがとう。

 でも一応、現金の状態が気になって、紙袋の中身を確認する。
『赤坂饅頭』という和菓子の箱が3つ入っていた。
 ひなたパパは、俺を婿養子にしたかったからな……。
 箱の蓋を開けると、福沢諭吉の上にメモ紙が入っていた。

『DOセンセイへ。ホストクラブで遊んだら、30万円ぐらい使っちゃいました。なので、今や人気作家のDOセンセイなら安いと思い。ひなたパパに返す時は、ご自身で補填されてくださいな♪』

 メモ紙をグシャグシャにして、俺は叫んだ。

「あんのロリババアーーー!!!」

 今年に入って色々あったから、あまりスクリーングに行けてなかったが……。
 俺の身体も回復したし、ミハイルも戻ってくれた。

 だからまた俺たち二人で、スクリーングへ通うことにした。
 以前のように、同じ時間の列車で待ち合わせて。
 もう二人は付き合っているし、婚約状態だ。

 古賀 アンナという、L●NEアカウントは消滅したが。
 代わりに、ミハイルという名前が追加された。
 告白して以来、頻繁にメッセージのやり取りしている。

 地元の真島(まじま)駅のホームに立ち、今から電車に乗ると彼に伝える。
 すると数秒も経たないうちに返信が届く。

『わかった☆ 隣りの席を空けといてよ☆』

 その愛らしい文章を見て、思わずニヤけてしまう。

 電車へ乗り込むとしばらく窓の風景を眺める。
 ここまで来るのに、本当に長かった……。
 辛かったけど、ちゃんと今がある。

 真島駅から二駅離れた場所。
 彼の住む、席内(むしろうち)駅に列車が到着した。

 プシューという音と共に、自動ドアが開いた瞬間。
 甲高い声が聞こえてくる。

「おっはよ~! タクト☆」

 嬉しそうに微笑む一人の少年。
 白のタンクトップに、デニムのショートパンツ。
 足元は動きやすそうなスニーカー。

 金色の美しい髪は、もう短くなってしまったが……。
 それでも、彼の美貌は健在だ。
 小顔だからハンサムショートも似合うし、持ち前の大きなエメラルドグリーンが眩しい。

 俺を見つけると、すぐに隣りへと座り込む。
 太ももをビッタリとくっつけて。
 そして、上目遣いで話しかけるのだ。

「タクト☆ 久しぶりだね☆ あ、でも……オレ毎日、動画を見ていたから。あんまり時間を感じないかな☆」
 と照れてしまうミハイル。
 自身の小さな唇に手を当てて、思い出しているようだ。

 ヤベっ! 俺まで思い出してしまう。
 こんな目の前に、未来の嫁が座っているのに……何もしないだと!?
 何とか彼に言い聞かせて、キスできないだろうか。

 じっとミハイルの唇を、上から眺めていると。
 彼に不審がられる。

「あれ? タクト、どうしたの? なんか今日は静かだね?」
 首を傾げる姿すら、小動物みたいで可愛い。
「す、すまん……久しぶりにミハイルと会えて、嬉しくてな」
「ホント? オレも嬉しいよ☆ タクトに早く会いたかったもん☆」
 今の一言で、俺に火がついてしまった。
 ミハイルの肩を強く掴み、動けないようにする。

 一瞬、ビクッと肩を震わせていたが……なんとなく、俺が考えていることを察知したようだ。

「タクト……」

 ピンク色の唇が輝いている。

 日曜日の朝だし、小倉行きだから。乗客は少ないほうだが……。
 それでも何人か若者が、同じ列車に座っている。

 しかし、俺は博多駅で大勢の人々に見られながら、キッスをした男だ。
 これぐらい、もうなんてことないぜ。

 ミハイルの背中に手をやり身体を俺に寄せる。
 嫌がる素振りも見せず、従順に動きを合わせてくれた。
 そっと瞼を閉じて、待ってくれている……。

 もう一度、あの時を再現しようとしたその時だった。
 ミハイルがそっと俺から離れてしまう。

「ごめん、タクト……今のオレには、しない方がいいよ……」
「え?」
「あの日。博多駅で告白してくれた時、すごく嬉しかった。今でも胸がドキドキする……」

 頬を赤くして、地面に視線を落としてしまう。
 なんだ? 恥ずかしいだけなのか。

「それがどうしたんだ?」
「と、止まらないんだよ……」
「何が?」
「“あの日”が止まらないの!」
「……」

 忘れていた。
 ミハイルの性知識は、お子ちゃまレベルだったことを。

 その後、彼から詳しい説明を聞いたが。
 どうやら、俺が原因のようだ。
 博多駅で告白した後、抱きしめてキッスを交わす……それもディープキスを10分間も。

 それ以来、毎日夢に出て来るらしい。
 お花畑の中を、俺と仲良く手を繋いで歩いていると、いきなり迫られてしまい……濃厚キスが始まる。
 というシーンが、脳内で延々と繰り返されるそうだ。

 そんな夢ばかり見るから“あの日”が増えてしまう。
 月に1回レベルの“男の子の日“が、週に2回も起きるとか?
 
 だから「今のオレは汚れている……」と落ち込んでいた。
 いや、むしろピュアすぎでしょっ!?
 
「もうオレにキッスしない方がいいよっ!」
 と涙ぐむミハイルくん。
 ヤバい、そんな顔をされたら、尚のこと襲いたくなる……。

「ごほんっ! ミハイル、落ち着け。今、お前に起きている現象は、男なら自然なことだ」
 正直16歳の男子高校生なら、異常だと思うが……。
「ホントにっ!?」
「ああ……」
「そっかぁ~☆ なら悪いことしてなかったんだぁ~ 良かったぁ☆」
 ちょっと、そんなことで善悪の区別をつけていたら、俺なんか極悪人だよ。

「別に悪いことじゃないさ……むしろ男なら、成長したことを喜ぶべきだと思うぞ?」
「そうなの? でも、あんまり回数が多いと困るよぉ……あ! そう言えば、前にタクトへ相談した時、言ってたよね?」
「へ?」
「ほら、『制御できる方法がある』って☆」
 緑の瞳を輝かせて、俺の答えを待つミハイル。
 上目遣いだから、どうしても誘われているような錯覚を覚える。

 制御できる方法だと?
 そんなの教えなくても、自然と覚えるもんだろう。
 だが、無垢なミハイルなら仕方ないか……。

 しかし、どうやって教える?
 そうなるとお互いが、裸にならないと。
 
 はっ!? そう言えば、一ツ橋高校の近くにボロいラブホテルがあったな。
 一時間ほど、ご休憩と称して、彼に恋の課外授業を始めるべきか?
 手取り足取り使って……そのままベッドイン。

 いかん、妄想するだけで股間が爆発寸前だ。
 結婚する前に、ミハイルの全てを知り尽くしてしまいそう。
 それは俺の紳士道に反する行為。

 仕方なく彼には、その場しのぎの嘘をついておくことにした。

「いいか、ミハイル。俺は今18歳だ」
「うん☆ 知ってるよ☆」
「だが、お前はまだ16歳だな?」
「そうだけど?」
「ならば、まだ教えることは出来ない。制御する方法はな、18歳を越えてからじゃないとダメなんだ! よく18歳未満禁止という、赤いのれんを見るだろう? あれはそういうことだ。法律で決められているのだ!」
 ごめん……ミハイル。
 俺は小学生で覚えたけど。

 取ってつけたようなウソだが、知識のない彼は驚いていた。
「えぇ!? そうなの!? じゃや18歳まで、このままなの!?」
「うむ……対処法としては、俺とのキスを思い出さないこと、動画も見ないこと。あとはお前の好きな、ネッキーやスタジオデブリのアニメを見まくることだ」
「そんなぁ~ タクトとのキス動画は好きだから、何度も見ちゃうよぉ」
 と口を尖がらせる。

「仕方あるまい。今できることはそれぐらいだ」
 悪い、ミハイル。
 結婚の準備ができたら、とことん身体に教えてやるからな。
 いや毎日、俺が絞り出してやろう……。

  ※

「ところで、ミハイル。さっき言っていた動画の件だが……かなりバズっているらしいな。現段階で500万回再生されていると聞いた。それで姉のヴィッキーちゃんも見たのかな?」
 一番、危惧していることだ。
 なんせ可愛い弟を女装させて、密会していたことをずっと黙っていたからな。
 疑われる度に、どうにかごまかしていたが……。

「あ、それなら大丈夫だと思うよ☆」
「どうしてだ?」
「ねーちゃんって、ネットとか見ないタイプなんだ☆ お酒しか興味ないし。でもたまにテレビぐらいなら見るかな? あの動画はテレビで放送されないでしょ?」
「そういうことか……」

 ヴィッキーちゃんが、アナログ人間で安心はしたが。
 しかし、例の動画は異常なほどに再生回数が伸びている。
 テレビ局の人が、使わないことを祈ろう……。

 列車に揺られること30分ほど、目的地である赤井駅へ到着する。
 気がつけば季節は変わり、もう夏の青空になっていた。
 日差しが強く、眩しい。

 一ツ橋高校へ向かうため、二人して国道を歩くことに。

「なあ、ミハイル」
「ん? なに☆」
「実は……今日のスクリーングで、みんなに全てを告白しようと思うんだ」
「えっ!? こ、告白?」
 告白という二文字に、目を丸くするミハイル。

「そうだ。この前の倉石さんが電話で言っていたろ? サブヒロインになったモデルへ結婚を報告するって話」
「なんだ、そういう意味か……」
 どうやら誤解していたようで、俺の説明を聞いて安心する。

「ミハイル、お前。不安なんじゃないか?」
「え、何が?」
「お前はいつも俺のことを、優しい人間と……表現する。だから、今日他の女子に会うことが、怖いんじゃないのか?」

 俺としては未来の嫁である、ミハイルに気を遣っているだけだ。
 他の女子に未練はない。
 今はミハイルを、第一に考えているつもりだ。
 だから、もう間違いは起こしたくない……彼にちゃんと説明をしておきたかった。

 しばらく黙り込んだあと……彼は頷く。
「いいよ……オレ、信じているから。タクトのこと」
 そうは言っているが、目に涙を浮かべている。
 細い肩を震わせて。

「ミハイル、無理はするな。俺も嘘はつかないと決めた。お前ももっと素直になれ」
「う……うん。やっぱり、怖いかも。もう取材をしないって言ったら、ひなたとマリアは襲い掛かってくるかもしれないし」

 そんな猿じゃないんだから。
 でも、ミハイルがこう言ってくれたんだ。
 俺もその気持ちに応えたい。

「わかった、こうしよう。彼女たちと話している時、ずっとそばにいてくれ。そうしたら、なにも起こらないだろ?」
「それは悪いよ。だって、ひなたもマリアも嫌だったけど。タクトへの気持ちは本物だと思うから」
「ミハイル……」

 仕方なく、彼女たちへ契約の解除を報告する際は、近くでこっそりとミハイルが見守ってくれることになった。

  ※

 校門をくぐり抜けると。通称、心臓破りの地獄ロードが見えてきた。
 またこの長い坂道を登らないと、行けないと思うと。通学するのが嫌になってくる。
 でも、今は隣りにミハイルがいてくれる。

 気がつけば、俺たちは手を繋いで坂道を登っていた。
 こんな何もない場所でも、デートコースになってしまうとは。
 登り終える頃には、互いに見つめ合って笑い合う。

 だが、そんな甘いひと時も一瞬で終わりを迎える。
 坂道のてっぺんに、鬼のような形相をした女が立っていたからだ。

「こらぁ~! 貴様ら、久しぶりに学校へ来たと思ったら、もうイチャイチャしやがってぇ……」
 と唇を嚙みしめるのは、担任教師の宗像 蘭先生だ。
 顔を真っ赤にして、俺たちを睨みつける。

「宗像先生……」
「センセー、ごめんなさい」
 
 ツカツカと音を立てて、こちらへ向かってくるので。
 俺たちは殴られると思い込み、瞼を閉じてしまう。
 しかし、予想とは反して。先生は俺たちを両手で優しく包み込んでくれた。

「お前ら……本当に良かった。あのまま二人が離ればなれになるんじゃないかって、私は心配だったんだぞ」

 涙を流しながら、俺たちを強く抱きしめる宗像先生。
 やっぱり心配させてしまったか……。

「すみません。今日から復学しますんで」
「お、オレも退学はしないで、卒業までがんばりますっ!」

 それを聞いた先生は、態度を一変させる。

「そうなのか? ならもう心配ないな……。というか、新宮っ! お前な、私は古賀に素直な気持ちを伝えろと助言したが。あんな街中でディープキスしろとは言ってないぞ、バカ者! 我が校にもクレームの嵐だっ!」

 ミハイルだけ解放され、俺は無駄にデカい乳で圧迫される。
 鳥肌、立ってきた。

「ぐへっ……あの時は、ああするしか無くて」
「純朴な古賀にいやらしいことを覚えさせやがって! 新宮、お前は卒業するまで大量の補習が必要だっ!」
「そ、そんな……」
「当たり前だっ! もう春学期も終わりなんだから、勉強に専念しろ!」

 なんで俺だけなの……。

  ※

 宗像先生から洗礼を受けたあと、俺たちは校舎へと向かった。
 いつも通り、裏口から玄関に入って、下駄箱で上履きに履き替える。
 そして教室棟の二階へ上がっていく。

 本来ならば、朝のホームルームを行う2年生の教室へ入るのだが……。
 全日制コースである、三ツ橋高校の制服を着た女子生徒が、扉の前を塞いでいた。

 小柄な女子だ。
 ピンク色に染め上げた長い髪を、後頭部で1つに丸くまとめている。
 通信制コースの生徒なら、校則など皆無なので、見慣れた光景だが。
 化粧もバッチリ決めているギャル……。

「あ、スケベ先生! ちょりっす」
 と胸元で小さくピースしてみせる。
「おお……ちょりっす」

 “気にヤン”のコミカライズを担当してくれたピーチこと、筑前(ちくぜん) (ぴーち)だ。
「スケベ先生、打ち切りのこと聞きました。残念っすね……」
 つけまつげが、アホみたいに長いから、瞬きする度にバサバサとうるさい。

「それに関してだが……俺のせいですまないことをした、ピーチ」
「いえ、自分はノーダメージなので、大丈夫っす!」
「ん? どういうことだ?」
「スケベ先生と同じく、BL編集部に拾ってもらえたので。ちなみに、聖書(ばいぶる)にぃにも引き抜かれたっす。“気にヤン”は悲しい終わり方でしたが、結果的にはみんな人気も出て、スケベ先生のこと、ありがたく思っているっす!」
「そうなのか……」

 ピーチの話では、“気にヤン”に関わったクリエイターは良くも悪くも、例の動画騒ぎで注目が集まったらしく。
 知名度が上がったことで、倉石さんが声を掛けたとか。

 コミカライズを担当してくれたピーチは、引き続き俺のBL小説のマンガを描くことになり。
 また兄のトマトさんは、元々男らしいイラストを描くのが得意だったため。
 俺からは離れるが、別の女性作家を担当するらしい。
 女性には描けない……汗だくつゆだくの男臭いイラストも需要がある、らしい。

 もう何でもありだな。

 しかし、俺もここまで騒ぎがデカくなるとは思わなかった。
 それにこんな形で、彼女の筆を止めてしまうのは、本意ではない。
 深々と頭を下げて、謝ることにした。

「ピーチ、今まで色々とすまなかった!」
「い、いえ……自分はそこまでダメージ受けてないんで。むしろ、スケベ先生の……いやアンナちゃん先生のことを深く知れるから、これからが楽しみっす!」

 ん? いま俺のことをアンナちゃんって言った?

「本当にいいのか?」
「マジっす! 自分はウェブ小説時代からの推しなんで! 同性愛も全然OKっす! かわいいミハイルくんをもっと忠実に描きたいっす!」
 と表現されたことで、隣りに立っている本人は顔を真っ赤にしている。

「……オレのこと、写真みたいに描いてくれてありがとね」
「いえいえ、自分もお二人の動画を見て、感動したっす!」

 と和やかに話が進んでいるのだが、一つ気になる点がある。
 それは、ピーチの背後に立っている物体だ。

 日焼けした三ツ橋高校の女子生徒なのだが……顔がパンパンに腫れ上がっている。
 黒髪のショートカットで、活発そうなのは伝わってくるが。
 ハチに刺されたように、目が腫れている。
 膨れ上がった瞼のせいで、瞳が確認できない。

「なあ、ピーチ……お前の後ろに立っている子って誰だ?」
「え? ああ、ひなたちゃんでしょ? 今日、元気ないんす」

 ファッ!?
 この物体が、あのひなただと!?

「新宮センパイ……久しぶりです……」
「あ、久しぶり」

 これから、彼女に契約解除を報告するのか。
 なんか言いづらい。

「センパイ……本当だったんですね。ミハイルくんとの関係……」
 と俺の隣りを指さすひなた。
 パンパンに腫れた顔で、静かに話すから恐怖を感じる。
 
 ただならぬ気配を感じたのか、ミハイルが俺の背中に隠れてしまった。
「なんか、今日のひなた。怖いよ……」

 そりゃそうだろな。
 俺が叫んだ愛の告白は、博多中に響き渡った。
 福岡市に留まらず、インターネットを通じて日本中に……いや、世界中でバズっているらしい。

 赤坂 ひなたというサブヒロインは、俺が一ツ橋高校へ入学したと同時に、登場した現役の女子高生だ。
 色んな場所で、たくさん取材してくれた。
 時にはキスする寸前まで至った関係……。
 好意を感じていないと言えば、嘘になる。

「なあ、ひなた。ちょっと話をしないか?」
「はい……私も、センパイと二人で話がしたかったんです」

 こんなに憔悴しきったひなたは、初めて見た。
 だが優しくしてはダメだ。ミハイルのために。

  ※

 ピーチと別れて、ひなたと二人きりになれる場所を探す。
 
 思いつくのは人気のない3階だ。
 休日だから、三ツ橋高校の生徒はいない。
 
 誰もいない教室に入って、ゆっくり話してもいいが。
 ミハイルが後ろから、こっそりとこちらを眺めているので、廊下で話すことにした。

「ひなた……その、もう動画は見たんだよな?」
「はい、見ました。アップロードされてから、何度も何度も見ています。あんなに男らしい新宮センパイは、初めてだと思いました。でも、フラッシュモブよりダサいとも感じました。相手に断られたら、地獄絵図だなって」

 なんか、めっちゃディスってない!?
 人生最大の告白を……。

「そ、そうか。なら話は早い……俺はアンナ、いやミハイルと一生を共にすることを選んだ。だから、もうこれ以上、ひなたと取材できない。今まで書いていたラブコメも、打ち切りになってしまったし」
「わかってます……そこまで言わなくても」
「え?」

 瞼が腫れているから、瞳は確認できないが。
 ポロポロと涙を流している。

「信じたくなかった! 新宮センパイが、ゲイだなんて!」

 ん? どういうことだ?
 彼女の話し方からすると、俺がノンケじゃないと感づいていたのか。

「ひなた。一体なにを言って……」
「最初から全部知ってましたよっ! 新宮センパイがミハイルくんに夢中だってこと!」
 ファッ!?

「ま、待て。ひなた……ミハイルじゃなくて、女役のアンナだろ?」
「そんなウソは、すぐにバレてますっ!」
「えぇ……」
「私だって、最初は信じられなかった。センパイにアンナちゃんっていう、可愛い女の子が現れて。確かに写真を見た時は、ミハイルくんのいとこだと勘違いしましたよ? でも実際に会ったら、どう考えても男でしたよっ!」

 アンナちゃんという設定。
 最初から正体がバレていたようです……。

「じゃあ、なぜ……女の子のアンナとして、接してくれたんだ?」
「だって……かわいそうだなって、思ったからですよ。それに今の世の中、LGBTQとか色々あるじゃないですか? 新宮センパイだって、恋愛未経験の男子だから。一過性の気持ちだと思ってました」

 全部、見透かされていた!
 超恥ずかしい!

「そ、それなのに、どうして俺のことを?」
「だって! 私だってセンパイを想う、気持ちは本物だからですよ! 初めて女の子として優しく扱ってくれて、好きだって思ったんです! 負けたくなかった……」
「悪い、ひなた。傷つけてしまって」

 頭を下げる余裕も無かった。
 ずっと泣き続ける彼女を見ていたら……。

  ※

 10分以上は経っただろうか?
 ようやく涙が枯れてきた頃、俺はあることを思い出した。
 リュックサックから、大きな紙袋を取り出し、ひなたに差し出す。

「そ、その……今までありがとう、ひなた。お前が色んな所へ取材に連れて行ってくれたから。良い作品に仕上がったんだと思う。報酬……というか、気持ちだ。これを受け取ってくれないか?」
 そう言って、彼女に紙袋を手渡す。

 膨れ上がった目だから、ちゃんと瞼が開いているか分からないが。
 じーっと紙袋の中を見ているようだ。

「……なんです、これ?」
「あ、あの……俺の好きなお菓子だ。博多銘菓『白うさぎ』だよ」
「それはわかってます。私が聞いているのは、もう一つの方。パパが経営している『赤坂饅頭』が3つも入ってるんですけど?」
「いっ!?」

 ヤベッ!
 ひなたパパから貰った現金300万円も、一緒に紙袋の中に入ってた……。

「箱の中にお金が見えるんですけど。これも私への報酬ですか?」
「ち、違うぞ! それはひなたのパパさんが、前に俺へくれたんだ……仲良くしてくれって。だから返そうと」
「つまり、パパがセンパイを、お金で買おうとしたってことですか?」
「まあ……親だから、ひなたに何かをしたかったんじゃないか」
「最低っ!」

 重たい空気が流れる。
 どう、別れを告げたらいいものか……と困っていたら。
 沈黙を破ったのは、ひなただった。

「報酬って……そんなのいらないです。私が欲しかったのは、新宮センパイだけでしたから」
「悪いがそれは無理だ……。でもひなたなら、きっといい人がすぐ見つかると思うぞ? 可愛いし、動物が好きだろ? ちょっとガサツな所もあるが、ショートカットも似合ってるし……」
 と喋っている途中で、急にひなたが距離を詰めて、俺をじっと見つめる。

「ひなた?」
「センパイ……最後まで口が悪いですね」

 気がつけば、俺の視線は窓の向こうだ。
 青い空が見える。キレイだなぁと感動している場合ではない。

 なぜなら、頬に激痛が走っているからだ。
 咄嗟に左手で押さえると、熱を感じる。

 相変わらず、素早いビンタ。
 ひなたとの出会いも、これが始まりだった。
 何かと彼女は、俺の頬を叩く人間……。

 視線を戻すとひなたが、涙を浮かべて叫んでいた。

「そんなに報酬をあげたいなら、これぐらい準備してくださいよっ!」
「え?」

 何を思ったのか、ひなたは俺のTシャツの首元を掴んで、引っ張る。
 一瞬、バランスを崩して、倒れそうになったが……。
 彼女がそうさせなかった。

 小さな唇で、俺をキャッチしたから。
 叩いてない頬に、ひなたがキッスしたのだ。

「……え?」
「もう、これでおしまいです! いいでしょ? 思い出なんだから!」
「あ、その……」
「さよならっ! ミハイルくんとお幸せに!」
 そう言うと、彼女は背中を向けて走り去って行く。

 
「これで良かったのか……あっ!」

 足元に残された、紙袋に気がつく。
 ひなたのやつ、お菓子と現金を忘れてやがる。
 今からでも追いかけようと、紙袋を手に持つと、足音が近づいてきた。

「あのっ! そのお金はご祝儀なんで、お二人の結婚に使ってください! どうせパパはあげるつもりでしたからっ! それじゃ!」
「えぇ……」

 マジで貰っていいのか?

  ※

 一人、廊下に取り残された俺は、放心状態に陥っていた。
 女の子をあんなになるまで、傷つけてしまった……と後悔している。
 それならもっと早くに、ミハイルを選べば良かった。
 と考えているうちに、その本人がご登場。

 顔を真っ赤にして、涙を浮かべている。

「タクトぉ~! やっぱり、優しくしたじゃん! ほっぺチューぐらい避けてよ!」
 うわっ、めっちゃ怒ってる。
 どうしよう……。

「いや、ひなたも泣いてたしさ。これぐらいなら……良いかなって」
「良くない! すぐにタクトの汚れを落としてやるっ!」

 興奮したミハイルは、俺でも手がつけられない。
 馬鹿力で俺を床に押し倒し、馬乗りになると……。

「オレがキスマークつけて、タクトのほっぺをキレイにするんだ!」
 と叫び、ひなたがキスした頬に、自身の小さな唇を押しつける。

 確か年末もマリアにされたからと、アンナモードで同じことを試みていたが……。
 中身は一緒だ。

「ちゅっ、んちゅ……ちゅっ! あれ? つかない」

 今までの俺だったら、このまま彼が満足するまで黙って我慢していただろう。
 しかし、一度『あの味』を知った男ならば、もう理性を保っていらない。
 
「ミハイル。悪いが、そこからどいてくれ……」
「なんでっ!? 逃げる気なの? オレ、怒ってるんだよ!」
「いや……逃げる気など無い。逆に俺の方がキスしたくてたまらないんだ」

 どストレートな告白に、顔を真っ赤にするミハイル。

「なっ!?」

 力が緩んだことを確認すると、すぐさま立ち上がり、彼をお姫様抱っこする。
 そして、近くにあった誰もいない教室へと入って、ドアの鍵をかける。

 互いの身長差を考慮して、教室の後ろにある棚の上にミハイルを座らせると。
 彼の両手を背後の黒板に叩きつけ、強引に唇を奪う。

「んんっ……」

 その後、理性を取り戻したのは、一時間目が終了するチャイムの音を聞いた頃だ。

 初めて授業をサボってしまった、かもしれない……。
 しかし、その原因はこいつにあるだろう。

 ミハイルの小さな唇が、たまらなく美味いからだっ!
 まあ正しくは、彼のお口の中……舌先だが。
 我を忘れてしまった俺は、何度もディープキスを繰り返してしまう。

 チャイムの音が流れるまで、ミハイルを貪りつくすほど、自分を止めることが出来なかった。
 ようやく正気を取り戻したが、彼の方は心ここにあらずといった顔つき。

「ああ……タクトのべろって、タコさんみたい。8つあるんだ、きっと。デヘヘヘ☆」

 とアヘ顔で、よだれを垂らしている状態だ。

 なんということだ!?
 これではまるで、俺がミハイルを無理やり襲ったと、勘違いされそう……。
 
 とりあえず、彼が二時間目の授業を受けられる状態にしよう。

  ※

 まだミハイルは、ひとりで歩ける状態じゃない。
 だから俺がおんぶして、二階の教室まで連れていく。

 ホームルームはもう終わっているから、宗像先生は事務所に戻っているはずだ。
 勢いよく、教室の扉を開く。

 すると、なぜか教壇に宗像先生の姿があった。
 
「おう、お前ら。遅かったな?」
「あ、あれ? 宗像先生は二時間目の授業、担当じゃないでしょ?」
「ああん? 担当の教師が病気で休んだから、急遽、私が担当するようになったのだ。なんか文句でもあるか?」
「いえ……」
 クソっ! 休むなよ。こんな時に……。

 仕方なく、いつも通り俺とミハイルの席へと向かう。
 まだミハイルは、トリップしている際中だ。
 ヘラヘラとしまりの無い顔で、ぶつぶつ独り言を呟く。

「あはは☆ タクト、すごいね☆ ベロベロが止まらない、オレ壊れちゃいそう~☆」

 もう壊れているよ……。

 とりあえず、彼を隣りの席に下ろすと。
 急に背後から、誰かがミハイルを抱きしめる。

「ミーシャ! おかえり~ 会いたかったっしょ♪」

 赤髪のギャル、花鶴 ここあだ。
 涙を流しながら、喜んでいる。
 だが当の本人は、まだ現実世界へ帰っていない。

「うへへへ☆ タクトはタコさん♪ まだするの? 仕方ないなぁ~☆」
 よだれを垂らしながら、天井を見上げている。

 異変に気がついたここあが、咄嗟にミハイルの肩を掴み、俺から引き離す。
「ねぇ! オタッキーさ、告白の動画を見て感心したけど。もう変なことをミーシャに教えてるの!? 最低っしょ!」
 鋭い。
「あ、いや……誤解だ。ちょっとミハイルと仲良くしていたら、興奮したみたいでな」
 自分でも言いながら、否定していない事に気がつく。
 
「仲良しって、無理やりミーシャをヤッたんしょっ!? 最低じゃん!」
 友情を第一に考えるここあだ。
 心配から取り乱してしまう。

 ざわつき始める教室内。

「うおっ、新宮のやつ。マジだったのか……」
「授業中に校内でするとか、最強メンタルじゃね?」
「つまり以前の彼は、同性愛者であることを隠していた為、消極的だったのでは? カミングアウトした今、男ならどこでも行為に及ぶモンスターと化した……」

 そこまで節操のない男じゃない。
 勝手に人を考察するな。

 騒ぎを止めるため、宗像先生が叫び声を上げる。

「静かにせんか、貴様ら! 人の恋路だ。外野がとやかく言う筋合いは無いだろう!」

 おっ、宗像先生にしては、ナイスフォロー。
 と感心しているのも束の間。
 先生は鋭い目つきで、俺を睨みつける。

「だがな。本校では認めてないんだよ……新宮」
「え、何がですか?」
「バカヤロー! 入学式の時に説明したろっ! 喫煙は既定の場所なら認める。また飲酒も働いている生徒がいるから、大目に見ているが……淫行だけは許してないんだよっ!」
「……」
 そんなことを認める学校は、この世に無いと思うが。

「やっと、復学したと思ったらこれか? あんなに可愛い古賀をアヘ顔になるまで、立てなくなるほど無理やりするとは……見損なったぞ、新宮っ!」
「ち、違いますって」
「いいや! お前は卒業するまで、しばらく古賀と離れていろ! 花鶴、お前が守ってやれ」
「あーしに任せてください、宗像センセー!」

 俺の意見は一切、無視され。ここあがミハイルを保護することなってしまった。

「デヘヘ☆ タクトはオレが好き♪ 誰にも止められないんだよ~☆」

 早く正気を戻してくれ、ミハイル!

  ※

 俺がミハイルに近寄ることを、ここあが警戒していたため。
 しばらく彼と話すことは出来なかった。

 授業が終わっても、周囲からの視線がグサグサと刺さるのが分かる。
 居心地が悪いからとりあえず、教室を出ることにした。

 廊下をひとりで歩いていると、後ろから声をかけられる。

「琢人くん! 待ってよ~!」

 振り返ると、ショートボブの眼鏡女子。
 北神 ほのかが立っていた。

 かなり焦っていたようだ。
 その場で腰を屈めて、肩で息をしている。

 相変わらずのファッションで、白いブラウスに紺色のプリーツが入ったスカート。
 以前、中退した全日制の高校で着ていた制服らしいが。

「ほのか、久しぶりだな。どうした? そんなに急いで」
「だって……はぁはぁ。琢人くんの動画を見て以来、この気持ちを早く伝えたくて……」
「は? ほのかの気持ち?」

 俺が首を傾げていると。
 息を整えたほのかが、眼鏡を光らせる。

「そうよ! 琢人くん、ありがとう! ゲイだということを、カミングアウトしてくれて!」
 唐突の出来事だったとは言え、憤りを隠せずにはいられない。

「あぁっ!?」
 柄にもなく、ドスのきいた声を出してしまった。
 
「だってさ、おかしいと思っていたんだよ! ミハイルくんを女装させたり、なんかコソコソしてたから。でも、あの動画を見てやっと気がついたの! 二人は最初から、尊いパートナーであることにっ! やっぱり私の第一印象は当たってたのね! 最高のネタ提供に感謝するわ!」

 苛立つ俺のことなぞ、無視してマシンガントークを繰り広げるほのか。

 まあ、でも……こいつも一応サブヒロインのひとりだからな。
 礼だけは、言っておくか。

「なあ、ほのか。お前も知っているんだろ? 俺のライトノベル、“気にヤン”が打ち切りになったのを?」
「うん! それで実録ゲイ小説を書くことになったんでしょ!?」
 鼻息荒くして、顔を近づけてくるからイラっとする。

「そっちは、おいおいだがな……。でも、ほのかもサブヒロインのひとりだったんだ。礼を言いたい」
 そう言って頭を下げる。

「いやいやっ! こちらこそ、大量のネタ提供に感謝しているよ! 私こそ、二人に報酬を払いたいぐらいよっ!」
「え?」
「だって、さっきも3階の教室で、濃厚キスを見せてくれたじゃない?」
「……」
 耳を疑った。
 今、こいつ『見せてくれた』と言ったよな?

「1時間目の授業をサボってまで、ミハイルくんとの『駅弁ファ●ク』に没頭していたかったんでしょ? 鍵まで閉めてたもの!」
「なっ!?」
「しっかり、スマホで録画しておいたわよっ!」
 盗撮していたのか。
 
 一応、ほのかのスマホを確認してみると……。
 彼女の言う通り、俺がミハイルを棚の上に座らせて、両手を押さえているため。
 そう見えなくはない。
 ミハイルの白い両脚は、俺の腰辺りで左右に分かれているし……。

「大丈夫よっ! 私は尊い二人を見守りたいだけなの! 悪質なネット民みたいに、おもちゃにしないわ! この動画も家のパソコンに保存するだけ、資料として!」
「……」

 でも、どうせ倉石さん達と共有するんだろ?
 もっと悪質な人間に感じるわ……。

 こうして、腐女子のほのかという、サブヒロインの契約は解除された。

 二人目のサブヒロイン、北神 ほのかとも契約を解除できた。
 ……というか、本人は何とも思っていないだろう。

 教室にはまだミハイルが残っているが、トリップしている際中だ。
 彼が正気を取り戻すまでは、意思疎通が取れない。
 今はただ待つことにしよう……。

 もしまたキスをしたくなったら、10分以内に抑えないとな。
 そんなことを考えながら、ひとり廊下を歩いていると。
 トイレの近くで、何やら人だかりが出来ていた。

「ねぇねぇ、あすかちゃん。テレビに出るって本当なの?」
「ドラマ化で主演って、すごくない!?」
「同じ高校に芸能人がいるなんて……考えられないよぉ」

 たくさんの女子生徒が、一人の少女を囲んでいる。
 姿はよく見えない。

 芸能人? そんな奴がこの高校にいたっけ?
 首を傾げながら、男子トイレへと入っていく。

 小便器の前に立ち、ズボンのチャックを下ろす。
 瞼を閉じて、数秒間リラックスしていると……。
 となりにも生徒が並んだようだ。
 鼻息を荒くしながら、用を足している。
 かと思ったが、違う。
 何も音が聞こえてこない。

「ふぅー! ふぅー!」

 俺は瞼を閉じているから、相手の顔が見えないが。
 すごく興奮しているようだ。

「ねぇ……ちょっと、無視するんじゃないわよ」

 ん? オネエ言葉なのか?
 まあ、今時。珍しい喋り方ではあるまい。

 尿切れが悪いなと考えていたら、また隣りの奴が話しかけてきた。

「ちょっと! アタシがわざわざ話しかけてあげてんだから、こっちを向きなさいよ! タクヒト!」
 最後の名前でようやく、目を開いた。
 俺のことを『タクヒト』と言い間違えるのは、一人しかいないからだ。
 ゆっくりと相手の顔を見つめる。
「お前……あすかか?」

 そうだ、すっかり忘れていた。
 三人目のサブヒロイン、自称芸能人の長浜 あすかだ。
 艶がかった長い黒髪。そして、眉毛の上で綺麗に揃えたぱっつん前髪。
 日本人形みたい。

「アタシがあすかじゃなかったら、誰になるのよっ!?」
 ゴスロリの赤いドレスを着て、俺を睨んでいる。
 相変わらず、自己主張の激しい女だ。
「すまん、気がつかなかったんだ……」
「あんたねっ! この芸能人であるアタシを置いて、トイレに行くとか。バカじゃないの!?」
「いや……ここ男子トイレなんだけど?」
 尿切れが悪いので、今もチャックは閉じていない。
 つまり丸見え状態なのだが、あすかはお構いなしだ。

「アタシは芸能人だからいいの!」
「関係ないだろ……」
「関係なくない! タクヒトはアタシのガチオタなんだから、黙っていうことを聞けばいいの!」

 怒りを通り越して、呆れている。
 そして、排尿中に声をかけるのは、マジでやめてほしい。
 生きた心地がしない。

  ※

 とりあえず、手を洗ってから男子トイレを出ることに。
 もちろん、女子のあすかも連れてだ。

 初めて会った時も、男子トイレに侵入してきたからな。
 他の生徒たちが被害を受けていたら、トラウマで退学しかねない。

 人気の少ない廊下に向い、改めて彼女の話を聞く。

「それで……トイレまで入って来て、何か用があったんじゃないのか?」
 俺がそう問いかけると、急にしゅんと縮こまる。
 
「あ、あの……お、お礼を言いたかったのよ! でも、タクヒトったら。ここ最近学校に来なかったでしょ?」
「まあな、交通事故とか……色々と忙しくてな。それでお礼ってなんのことだ?」
「忘れたの? タクヒトが書いてくれた自伝小説よっ! 今、売れに売れて、自費出版なのに100万部を超えたらしいの!」

 すっかり忘すれていた……。
 長浜 あすかという芸能人も、頼まれて書いた小説も。

「そ、そうなんだ。良かったな」
「なによ、その反応? 嬉しくないの!?」
「だって俺はゴーストライターだし、売上もあすかや事務所の社長のもんだろ?」
「でも、タクヒトが頑張って書いてくれたのは、事実でしょ!」
「否定はしないが……」
 頼まれて書いたものだし、特に思い入れが無いのも事実だ。

「じゃあ、喜びなさいよね! あんたとアタシの合作よ! おかげでテレビドラマ化が決まったのよ? ローカル放送だけどね!」
「ほう」
 ローカルねぇ……。
 鼻で笑うと、あすかがそれを見逃すことはない。
「今、バカにしたわね! 全国的にも人気なのよ? おばあちゃんの家を改築するために、頑張る孫アイドルとして!」
「……」

 そうだった。それを聞いたら、また涙腺が崩壊しそう。
 あすかというアイドルは、幼い頃に両親に捨てられ、おばあちゃんに育てられた少女。
 また、おばあちゃんを愛するがあまり、ボロい家を改築することが夢だったのだ。
 そのために、アイドルとしてブレイクする必要がある。

「それでね、アタシの本を読んだ全国のおじいちゃん、おばあちゃんが感動したらしいわ。『あすかちゃんみたいな孫が欲しかった』とか、『推しにしたいけど、演歌歌手がいい』とかね!」

 やっぱり、かわいそうなあすかちゃん。というテーマが受けたのか?
 そりゃ高齢者は、泣くよな……。
 てか、同情で売れたのでは?

 もうあすかというより、おばあちゃんの方が人気じゃね?
 俺はそこに気がつき始めたが、あすかは構わず、自慢話を続ける。

「それでね、講演会の依頼が殺到しているのよっ! どんな風に育てたら、あすかちゃんみたいになれるかってね!」
「うぅ……」
 辛すぎて涙が溢れる。
「別に泣くほどじゃないでしょ? でも、タクヒトに感謝しているわ……そのおばあちゃん家の改築費が、無事に貯まったから」
 珍しく、頬を赤らめて視線を床に落とす。
 
「そうか。なら良かったな、あすかも芸能人として人気が出たし、おばあちゃん家もリフォームできるんだ。ボットン便所をウォシュレットトイレへグレードアップできるじゃないか」
 これでおばあちゃんの膝にも、負担がかからないだろう。
「そっちの夢は叶えられたけど……芸能人としては、まだまだよっ! だいたい、ガチオタのあんたがアタシより、バズってんどうすんのよ? 一般人のくせして、博多駅で大々的なパフォーマンスをしちゃってさ! 」
「いや……あれは、仕方なくだ。あれは、事故に近いものだ。むしろ、バズって欲しくない映像だ」
 
 俺がそう説明しても、あすかは納得がいかないようだ。
 顔を真っ赤にさせて床をダンダンっと踏み始める。

「なによ? 人気が出て天狗になってるの!? タクヒトが言ったんじゃない? 動画アプリの『トックトック』を使って踊ればバズるって!」
「あ……」

 そう言えば、こいつが所属しているアイドルグループ。
 もつ鍋水炊きガールズの事務所に呼ばれた際、売れるにはどうしたらいいか? と双子みたいなアイドル。
 右近充(うこんじゅ) 右子(みぎこ)ちゃんと左近充(さこんじゅ) 左子(ひだりこ)ちゃんに、アドバイスを求められた。
 
 ダンスも歌も、トークも下手。
 しかし、あのアプリを使えば、素人でも簡単にバズれる傾向がある。
 特に肌を露出すれば……。
 と彼女たちに教えていた。

「あれから、アタシたちはみんなで中学校の時に着ていた制服や体操服、ブルマとか水着を着て、踊りまくったわよ! でも全然、再生回数が伸びないし……腰振りダンスのしすぎで、ヘルニア手術をする羽目になったわ!」
 どんだけ踊ったんだ?
「す、すまん……。上手くアドバイスできなくて」
「でも、右子と左子が二人で撮った日常の動画はなんでか、バズったのよ! 『気取らない二人が可愛い』とか『この二人だけを見ていたい』とか。意味わかんないわっ! センターはアタシなのに!」

 それは、視聴者の意見が一番当たっているのかも。
 センターのあすかは、自己主張が激しいが。いざ本番になると、ド緊張の素人レベルだし。
 でも、右子ちゃんと左子ちゃんは、質素な顔だけど控えめなところが、愛らしい。

「結局、もつ鍋水炊きガールズは事実上の解散よっ! 右子と左子だけ、独立したユニットを組んで、『トックトック』で活動しているわ……でも、アタシだって負けないんだからね! 今回のドラマで女優として、売れてみせるわ!」
「そ、そうか……」
「ていうか、タクヒトってさ。ゲイならゲイだって、最初から言いなさいよっ! ノーマルだと思って少し好意を抱いていたのに!」
 と頬を赤くするあすか。
 今さらだよな……。
「すまん」
「別に差別する気はないわっ! ただゲイでも推し変だけは、許さないからねっ! これからは夫婦でアタシを推しなさい!」
 ふざけるな、俺の嫁は俺だけが推しなんだ。
 
 まあ色々あったけど、あすかもちゃんと前へ進めている気がするので、良しとしよう。
 サブヒロインとしては、小説に描く機会がなかったけど……。
 とりあえず、おつかれさま。

 ミハイルが正気を取り戻したのは、午前中の授業が全て終わった昼休みだった。
 俺を警戒していたここあも、ようやく彼を解放してくれた。

「タクト。オレ、なにをしていたのかな? なんか記憶がないんだけど?」
 記憶が無いのなら、好都合かもな。
「ああ……きっと廊下で滑って転んだ時、頭を打ったからだろう」
「そうなんだ。でも、なんかベロがしびれているんだよね。タクトは知らない?」
「知らんな」
 嘘ついて、ごめん。
 また思い出して、トリップされると困るからな。

「ま、いっか☆ タクト、お昼ごはんはまだだよね? オレ、たくさん作ってきたからさ。一緒に食べよ☆」
「もちろんだ」

 お互いの机をピッタリとくっつけると、ミハイルが大きな弁当箱を取り出す。
 相変わらず、たくさんのおかずで埋め尽くされていた。
 彼の愛を感じる。

 二人して手を合わせて、「いただきまーす」と叫んだところで、ジーパンのポケットから振動が伝わってきた。
 スマホが鳴っているようだ。
 誰だろうと、ジーパンから取り出すと。

 着信名は、マリア。

「あ……」

 忘れていた、最後のサブヒロイン。
 いや、ミハイルが唯一ライバル視していた最強のヒロインだ。
 冷泉(れいせん) マリア。

 実は前々から計画していたのだ。
 今日、1日で全てのヒロインたちに結婚を報告し、契約を解消しようと。
 マリアは10年前からの長い付き合い。
 それに彼女は命をかけてまで、俺との約束を守ろうとした女の子。
 簡単に諦めてくれるとは思えない。

 でも、愛するミハイルのためだ。
 俺は事前に彼女へメールにて、『話がある』と今日の午後に会おうと約束していた。
 ただスクリーングが終わる、夕方だったのだが。

「電話に出ないの? タクト」
 とミハイルに言われるまで、固まっていた。
「ああ……実は相手はマリアからなんだ」
 彼女の名前を口から出すと、ミハイルも顔が凍りつく。
「え? もしかして、マリアに会うの?」
「そりゃ、マリアにも直接会わないとな……」

 とりあえず、電話に出ることにした。
「もしもし?」
『タクト。ごめんなさい、まだスクリーングの際中でしょ? ちょっと急遽、予定が入ってね……』
 強気な彼女にしては、随分と覇気のない声だった。
「え? じゃあ会えないのか?」
『そうね。タクトとは、しばらく会えないかも……』
「しばらく? ど、どういうことだ? ちゃんと説明してくれ!」
『もうタイムリミットなの……あと一時間後には福岡を出るのよ』
「福岡を出る? どこへ行くんだ?」
『アメリカよ……』
「なっ!?」

 言葉を失う俺に、優しく話しかけるマリア。
『珍しくあなたからメールが届いて、すぐに理解できたわ。結婚の話でしょ? それから私たちの関係は終わり……と伝えたいのよね。でも、ごめんなさい。タクトの顔を見たらまた泣きそう……。その前にサヨナラしたかったの』
「……」

 しまった、事前に予定を組んだのがまずかったか。
 逆にマリアから気を使ってもらうとは。
 でも、このまま彼女と顔も見ないで、電話で別れを告げていいものだろうか?

 それはダメだっ!
 ここで、しっかり彼女に自分の気持ちを伝えないと絶対に後悔する。

「一時間後だな?」
『え?』
「空港にいるんだろ? 搭乗まであと一時間なら、まだ間に合うかもしれない」
 そう言い終えるころには、俺は席から立ち上がり、リュックサックを背負う。
『ちょっと、タクト。無理よ……やめて』
「いいや。最後ぐらい顔を見て、話がしたい」
『タクト……あなたって人は』
 受話器の向こう側で、すすり泣く声が聞こえる。

「じゃあ、福岡空港でな」
『……』

 無言の回答をYESと見なした。
 ひとり教室から出ようとする俺を見て、ミハイルが慌てて止めに入る。

「ちょっとタクト! どこへ行くの?」
「マリアのところだ。今からアメリカへ行くそうだ。しばらく会えない、だから最後に顔を見ようと思ってな……」
「そうなんだ……マリア、アメリカに戻るんだね」
 一番憎んでいたはずの存在だが、日本から離れることを聞いて、なぜか寂しそうな顔をしていた。

「ミハイル、お前も来るか?」
「え、いいの?」
「だって近くにいないと、また不安になるだろ?」
「うん☆」

 彼が作ってくれた弁当は、口惜しいがここあに渡して。
 俺たちは学校から飛び出て、タクシーで福岡空港へ向かうことにした。
 
 ~約50分後~

 タクシーの運転手を急かして、ギリギリ空港のロータリーへ到着した。
 ミハイルが気をきかせ、「料金を払っておくから」と車から俺を押し出す。

 スマホを片手にマリアの姿を必死に探す。
 彼女がアメリカへ旅立つと言っていたから、国際線のターミナルビルへ向かい、カウンターにいたお姉さんへ声をかける。

「あ、あのっ! アメリカ行きってどこから出ますかっ!?」
「え? アメリカ行き……でございますか? そのような便はありませんが」
 ヤベッ、細かい目的地を聞いてなかったわ。
「その……冷泉 マリアという名前で呼び出し……いや、もう時間がないか、クソっ!」
 と焦りから、床を蹴ってしまう。
 
 そんな俺を見て、受付のお姉さんが優しく声をかける。
「お客様、失礼ですが……お話からきっと、探していらっしゃる相手の方は国際線ではなく。国内線に乗るのではないですか?」
「え?」
「あの、福岡空港から直行便で、アメリカへ向かうことは無いと思うので……たぶん、羽田空港へ向かうのだと思います」
「……」
 またしくじった。

 受付のお姉さんに礼を言うと、国内線のターミナルビルへと急ぐ。
 二階へ上がる階段を登っていると、見慣れた姿の少女が目に入る。

 黒を基調とした、シンプルなデザインのワンピース。
 胸元には、白い大きなリボン。
 細くて長い脚は、白のタイツで覆われている。
 
 その姿を見た途端、俺は叫んでいた。

「マリアッ!」

 振り返る金髪の少女……。
 しかし、その瞳は確認できなかった。
 なぜなら、黒いサングラスをかけているから。

「タクト……」

 俺の声に反応した彼女は、一瞬動揺したように見えたが。
 手にしていたキャリーバッグを、床に投げ捨てる。
 そして、俺めがけて飛び込んできた。

 避けるという選択肢もあったが、ここは黙ってマリアを受けとめることにした。
 もう最後だから。

「間に会ったな、マリア」
「バカッ! あなたにこんな顔を見せたくないから、黙って行こうとしたのに……」

 そうは言うが、彼女の両手は俺の背中を離さない。
 むしろ、抱きしめる力はどんどん強くなっていく。

 サングラスをかけているから、わからないが。
 きっと例の動画を見て、ひなたのように泣いていたのだろう。
 だから、俺に顔を隠しているのか。


 胸の中に顔をうずめて、すすり泣くマリア。
「一分で良いから、このままでいさせて……」
「ああ」
 ここまで来て、これを拒むことは出来ない。
 時間も限られているし。

「でも……私、逃げるためにアメリカへ旅立つわけじゃないからね」
「え?」
「もう一度、自分を磨くために日本から離れることにしたの。まだ信じていないもの……タクトが同性愛者だって」
「……」
 返す言葉が見つからない。
「それに、タクトがいくらアンナ……いえミハイルくんと結婚をしたとしても、私は永遠の愛だと思えない。同性愛って、あまり長く続かないって聞くし」

 俺はそれを聞いて、思わず彼女を引き離す。
 サングラス越しだが、彼女の瞳をじっと見つめる。

「マリア、俺は本気だ。男のミハイルと一生を共にしたいと誓った。だから、そんなことは絶対にないっ!」
「……そう。なら、証明してよね? 私が諦めの悪い女だって知っているでしょ。毎年、福岡に戻って、あなたたちが別れていないか……確かめてあげるわ」

 彼女は俺の胸を人差し指で小突くと、怪しく微笑む。
 しかし、これは去勢を張っているだけだ。
 認めたくないだけで、本当は傷ついている。
 
 ここは、優しくするのではなく、敢えて彼女の挑発に応えるべきだろう。
 
「望むところだっ! 毎年確かめてくれ、俺とミハイルの愛が永遠であることを必ず、証明してやる!」

 俺が言い切るころには、彼女の顔から笑みが失せ、唇が震え出す。
 涙をこらえているようだ。

「じゃあ、一分経ったから……さよなら、タクト。大好きよ」

 背中を向けるマリア。
 これが最後の別れだと思うと、寂しい……。
 咄嗟に彼女の手を掴んでみたが、振り払われてしまう。

「マリア……」
「やめておきなさい、みじめなだけよ。それにさっきから、後ろであなたの大事なパートナーが、こちらを見張っていることに、気がついてないの?」
「え?」

 振り返ると、近くのソファーに隠れているミハイルに気がつく。
 涙目でこちらを睨んでいる。

「ふぅ~! ふぅ~!」

 今にもこちらへ飛び掛かってきそうだな。
 もうマリアを追いかけることはせず、未来の嫁を優しく抱きしめることにした。
 
 こうして……最強のヒロインは、日本から旅立っていった。