「俺はノンケだ……間違いなくノーマルで、天才な男」
ひとり、天井を見上げながら、呟く。
もう病院の個室ではない。
我が家に無事、帰宅できたのだ。
その証拠に自室の天井は、入院前と変わらず、ミハイルの写真で覆われていた。
どこに目をやっても、必ず男のミハイルがいる。
しかし、敢えて言おう。
「ノンケだ!」
と天井に向かって叫ぶ。
宗像先生から教わった……。
俺が誰を一番好きかということ。至ってシンプルな話だ。
一方で先生は、俺がゲイを否定している事も考慮した上で。
世間体など気にするな、と言いたかったのだと思う。
それからだ。
肩の荷が下りた気がして、何もかもが前向きに進み始めたのは。
病院食も毎食、全て完食できるようになったし。
ついでに宗像先生が持ってくるアンナの手料理も、半分以上貰って食べていた。
俺が元気になってきたところを見て。宗像先生からリハビリと称して、激しい筋トレを強いられた。
腕立て伏せ、腹筋。背筋にスクワットを各30回、一日3セット。
片脚が折れた状態でも、やらされた。
「相手に想いを伝えられるぐらい、強靭な肉体を手に入れるのだ!」
と昭和的な考えで、スパルタ教育されてしまった……。
俺はようやく回復した……いや、強い男に生まれ変わったのだ。
身体を鍛えたことにより、考え方も変化する。
自分はあくまでもノンケだが、好きになった人間がたまたま男だった。
という考えを受け入れることにより、前へ進める。
ならば、あとは簡単だ。
ジーパンのポケットからスマホを取り出し、相手に電話をかける。
『……もしもし?』
弱々しい声だ。心配させてしまったからな。
「久しぶりだな、アンナ」
『タッくん!? げ、元気にしていたの? 宗像先生が全然、会わせてくれなかったから……』
俺が退院したことは、家族と先生以外知らない。
敢えて、情報を制限したのだ。
しっかりとお互いの間で、ケリをつけるまで、接触することは禁止する。
そう宗像先生に厳しく注意された。
でも、今は違う。ちゃんと準備が整ったから。
「悪かったな、アンナ。色々とあったが、ちゃんと無事に退院できたんだ。弁当も毎日ありがとう」
『良かった……本当に……』
受話器の向こう側から、すすり泣く声が聞こえてくる。
「その礼も兼ねて……いや、やはり正直に言うよ。明日、久しぶりに取材しないか?」
『え? 取材……』
「ダメか?」
『ううん、ダメじゃないよ。でも、退院したばかりなのに、大丈夫なの?』
「心配するな。むしろ元気が有り余っているぐらいだからな、ハハハっ!」
『そう、なんだ……わかった。じゃあ、明日博多で会おうね』
「ああ」
電話を切ったあと、俺はなんとなく手ごたえを感じ、拳を作っていた。
ここまでは、計画通りだ。
あとは、本番次第。もうあんな不幸が続くことのないように……。
※
デート当日、博多駅の中央広場へ向かった。
春の間はほとんど、病院で過ごしていたので。久々に人ごみを見て、懐かしさを感じていた。
1年前のデートを。
いつも通り、黒田節の像で彼女を待つ。
俺のファッションは相変わらず、タケノブルーのTシャツに、ジーパン。
入院をきっかけに筋トレを続けているから、ちょっとサイズが小さく感じる。
「タッくん~!」
「ん?」
甲高い声が聞こえてきたので、そちらに視線を向けると。
そこには、ツインテールの金髪美少女が立っていた。
肩あきの白いブラウスで、胸元にはいつもより大きなリボンがデザインされている。
ボトムスは珍しく、ブルーのミニスカート。
こちらもウエストにリボンが二つ並んでいる。
初夏にピッタリの色合いだ。
可愛い……。
久しぶりに見た彼女を見て、言葉を失う。
「……」
「タッくん? どうしたの? まだ脚が痛むの?」
緑の瞳を潤わせて、俺の顔を覗き込む。
「あ、悪い……久しぶりに会えて嬉しくてな。やっぱりアンナは、いつ見ても可愛いなと思って」
つい本音がポロリと口からすべってしまう。
「そんな、タッくんたら……」
案の定アンナは顔を真っ赤にして、視線を地面に落としてしまう。
「はははっ! 今日はアンナに日頃の感謝を込めて、デートしたくてな。いっぱい博多で楽しもう! とりあえず、カナルシティに行かないか? イチ押しの映画があって……」
と言いかけた瞬間、彼女が俺の胸に飛び込んできた。
「うう……本当に心配したんだから。タッくんが死んだんじゃないかって、すごく怖かった! 毎日、毎日神様にお祈りしていたんだよ!」
顔は見えないが、どうやら泣いているようだ。
「すまん、アンナ。なかなか連絡も取れず……」
「もう絶対に、遠くへ行かないで。タッくんのいない世界なんて、いらない!」
「ああ、そうだな」
※
しばらくアンナを慰めること20分。
彼女も落ち着いてきたので、再度今日の目的地であるカナルシティへ向かうことに。
はかた駅前通りを二人で歩きながら、俺は今日のデートプランを説明する。
「今日はな。とある有名な映画を観ようと思うんだ。アンナも聞いたことないか? 恋愛映画の名作『大パニック』を」
「アンナ、知らない……」
どうもテンションが低いな。
「俺も昔、DVDで観たけどすごい映画なんだ! 上映時間が3時間を越える超大作なんだが、そんな時間も忘れてしまうぐらい楽しめる作品でな。今回、リマスター版を劇場で観られるんだ」
「そうなの。でもタッくんにしては、珍しいね」
「へ?」
「だって、いつもは恋愛映画とか観ないんでしょ? タケちゃんの映画ばかり、観ている気がするよ?」
「それは……」
痛いところを突かれてしまった。
彼女の言う通りだ。
俺は普段から、恋愛映画なぞ好んで観ることはない。
今回のデートだから、敢えて選んだ作品だ。
「タッくん。何か隠してない?」
「か、隠してないぞ! 心配するな、俺は入院してしまったが、この通り。見事強くなって帰ってきたのだ!」
とTシャツの袖をまくり、少し膨らんだ上腕二頭筋を見せつける。
だが、彼女の反応はいまいちだ。
「なんか、タッくんらしくない……前のタッくんの方が良かった」
えぇ……強い男の方が良くね?
「そうか? 宗像先生に鍛えられて、今度こそアンナを守れる男に……」
言いかけたところで、彼女に遮られる。
「望んでない! アンナはそんなこと、望んでないもん! ただタッくんと一緒にいたいだけ」
「アンナ……」
う~む、どうも今日のデートは、空回りしているような。
「それから、タッくん。忘れてない?」
「え?」
「今日ってタケちゃんの新作映画『作家レイジ 最終章』の公開日だよ。そっちを観なくてもいいの?」
うわっ、マジで知らなかった。
この数日間、今日のことで頭がいっぱいだったからな。
「ああ……今日は観なくていいよ。アンナと一緒に楽しめる作品を観たいからな」
「やっぱり変だよ。あのタッくんが、タケちゃんを選ばないなんて……」
「はははっ、そうかな……」
ヤバい。計画通りに事が進められるかな?