ミハイルらしき人物から、何度か反応はあったが……。
肝心の本人が、学校へ来ることはない。
彼がいないスクリーングなんて、何も楽しくない。
俺の方こそ、そう感じてしまう。
第二回目の試験も、ミハイルのことで頭がいっぱいだった。
そのため、問題を解く余裕など無い。
延々と、空欄を『ミハイル、ミハイル、ミハイル……』と埋めていく。
自分の出席カードにまで、古賀 ミハイルと書いてしまったらしい。
代理で試験を、受けている状態。
見かねた宗像先生が「今日はもういいから、帰れ!」と、俺を教室から追い出してしまう。
後からテストを郵送するから、気持ちの整理がついたら提出するように言われた。
俺はもう抜け殻だ……。
アイツが隣りにいないと、何も出来ない人間なんだな。
※
それから1ヶ月が経ったころ。
俺の体重は、5キロ近く減ってしまう。
固形物を何も口にしていないから……。
ただ、色々と試してみたところ、一つだけ食べられるものがあった。
博多銘菓の『白うさぎ』だ。
去年の夏。
別府温泉に旅行へ行った時、偶然ミハイルの股間を見てしまった。
彼の股間は、“パイテン”で手乗りぞうさん……いや、可愛らしいうさぎさんだった。
それを思い出した俺は、インターネットで箱買い。
夜な夜な自室で一人、学習デスクに座ると。
二台のモニターに、たった1枚しかないミハイルの写真をコピーさせ、ウインドウを10個も並べて表示させる。
それを眺めながら、マシュマロ生地の白うさぎを口に放り込む。
「甘い……ミハイルの……」
と写真の中の彼を、見つめるのだ。
特にデニムのショーパン。チャックの辺りを。
食事は取れないが、この白うさぎならば、口に入る。
もう30箱は空けたと思う。
そんなことをしていると。
机の上に置いていたスマホが、振動で揺れる。
まさかと思い、画面を確認すると、ため息が漏れた。
電話をかけてきた相手が、期待外れだから。
「も、もしもし……」
体重が一気に落ちたこともあってか、声を出すのがやっとだ。
『へ? DOセンセイの電話番号であってますよね? なんかゾンビみたいな声なんですけど』
「悪かった……な」
突っ込む元気すら無い。
『一体、どうしたんですか? 死期が近いんですか? ところで、頼んでいた原稿はどうなりました? もう一ヶ月近く待っているんですよ!』
「実は……全然書けてない」
相変わらず、スランプ状態に陥っていた。
俺はミハイルに絶交宣言をされて以来、小説を書くことが出来なくなった。
速筆だけが売りだったのに……。
ED作家になってしまった。
『えぇ!? 早出しのDOセンセイにしては珍しい! どうしてですか? ひょっとして、アンナちゃんとケンカでもしました?』
「そ、それは……」
宗像先生やここあのように、事情を知らない白金にどう説明したらいいものか。
俺が困っていると、白金の方から先に答えてくれた。
『話し方から察するに、どうやらスランプ状態のようですね……。そうだ、明日。久しぶりに打ち合わせをしましょう! 博多社で。DOセンセイが必ず元気の出る朗報を用意していますので!』
「はぁ……」
『未完成でも良いので、原稿も持って来てくださいね! ブチッ!』
相変わらず、電話の切り方が雑な奴だ。
~次の日~
俺は言われた通り、天神にある博多社へと向かった。
よろよろとビルの中に入る俺を見て、受付男子の一が駆けつける。
肩を貸してくれ、エレベーターまで連れて行ってくれた。
「だ、大丈夫ですか? 新宮さん、フラフラですよ」
「ああ……」
心配そうに上目遣いで、俺を見つめる。
この隣りが、アイツだったら、どれだけ満たされるのだろう……。
俺は断ったが、どうしても心配だからと一緒にエレベーターへ乗り込む。
ボタンも彼が押してくれ、スマホで白金に連絡を取る。
「もしもし? あ、あの新宮さんの具合が悪いので、すぐに来てください!」
「……」
俺も随分と、弱くなったものだ。
編集部へ着くと、担当編集の白金が待っていた。
変わり果てた俺の姿を見て、驚きを隠せない。
「え、本当にDOセンセイですか!? ミイラみたい……」
「……それより、打ち合わせだろ?」
「そうですけど……」
あのアホな白金でさえ、この姿を見て言葉を失っていた。
一は、白金に俺を託して、その場を去っていく。
ただ帰りも心配だから、声をかけてくれと言われた。
今の俺は、よっぽどやつれて見えるようだ。
※
辺りを見回す元気はなかったが、編集部は今まで見たことないぐらい、活気づいていた。
見知らぬ若い社員が書類を持って、社内を走り回っている。
「それで……今回の打ち合わせってのはなんだ?」
かすれた声で、問いかける。
「あ、DOセンセイに、ずっとご報告したいことがあったんですよ!」
「報告? お前の結婚が決まったのか? 詐欺にあってないか?」
「違いますよっ! “気にヤン”のアニメ化が決まったんです!」
「は?」
「おめでとうございます。DOセンセイの作品が、動くアニメになるんですよ♪」
「……」
実感が湧かない。
俺の小説が、アニメ化だと?
「それからですね。もう一つ、ビッグニュースがあるんですよ!」
「はぁ……」
「ヒロインのアンナ役に、YUIKAちゃんが起用されるんです! すごくないですか!?」
「え、何が?」
まともに食事を取っていないせいか、ちゃんと内容が頭に入ってこない。
「何がじゃなくて。あのYUIKAちゃんが、DOセンセイのヒロインに、命を吹き込んでくれるんですよ! 嬉しくないんですか!? 永遠の推しでしょ?」
「あぁ……そう言えば、そうだったな」
「ちょっと! なにサラッと話を流しているんですか!? 夢だったでしょ。アニメ化した暁には、アフレコ現場に行って。YUIKAちゃんとツーショットを撮るのが!」
「そんなことも、あったな……」
激しい温度差に、戸惑を隠せない白金。
「えぇ!? ちょっと、どうしたんですか!? YUIKAちゃんのために、一ツ橋高校へ入学し、ラブコメを書き始めたんでしょ!」
「そうだったけ……あんまり覚えてないや……」
「ま、マジで言ってます? 頭がおかしくなってません?」
白金に指摘されるまで、気がつかなかった。
今の俺は……頭の中がミハイルでいっぱい。
他の人間が、入り込む余地など無いことに……。
もうYUIKAちゃんのことでさえ、興味を持てない。
常に頭の中は、泣き顔のミハイルでいっぱい。
早くアイツに会いたい……でも会えない。
俺は、捨てられたから。
「……」
アニメ化の話を聞いても、全く盛り上がらない俺に、白金はうろたえてしまう。
「ちょ、本当にどうしたんですか? DOセンセイの推しでしょ? 以前は『YUIKAちゃんの犬になりたい』とか、ほざいてたのに……」
「今は別に……」
「おかしいですよ。童貞のくせして、なに格好つけてんですか? 似合わないですよ」
普段なら、口ゲンカを始めるところだが、そんな元気はない。
「いいよ。なんでも」
「センセイ……」
落ち込んでいる俺を見て、白金は話題を変えようと必死だ。
とりあえず原稿を見せて欲しいと言われ、リュックサックからノートパソコンを取り出す。
デスクの上にパソコンを置いて起動すると、テキストファイルを開く。
そして、白金にモニターを向けると。
別に頼んでもないのに、俺が書いた原稿を、声に出して読み上げる。
「……その時、ミハイルは叫んだ。『オレの白うさぎを食べたな! 許さないぞ!』しかし俺も引けない。『ミハイルがおてんてんを見せたから悪いんだ。もうお前の白うさぎしか食べられないんだ!』……って、これ。誰の話ですか?」
ヤベッ。白うさぎばかり食べていたから、作品にまで影響を及ぼしている。
でも、これ以上偽るのにも、疲れてきた……。
空腹で頭がしっかり回っていないこともあったが。
「そいつ、ミハイルは……俺のダチで。そして、アンナだ」
気がついた時には、白金に真実を話していた。
ちゃんと、相手の目をしっかりと見て……。
「なっ!? み、ミハイルくんって……確か一ツ橋高校の?」
「白金も一回、会ったことがあるだろう。ほら、お前が高校に来て、宗像先生と事務所で“気にヤン”の設定を4人で話し合ったとき」
「あの時の、ハーフの男の子……?」
「そうだ。ミハイルが、女装した姿がアンナだ」
アンナの正体を聞いた白金は、驚きのあまり口を大きく開き、固まってしまう。
「……」
数分間の沈黙のあと、ようやく白金の身体が動いた。
小さな手で拳を作り、デスクを思い切りブッ叩く。
「なんてことをしてくれたんですか! 今や“気にヤン”は、少年たちの間で大人気のラノベであり、マンガなのです!」
俺の顔面めがけて、大量の唾を吐き出す白金。
どんどんヒートアップしていく。
「前にも言いましたよね!? ラノベの読者は、大半が童貞のティーンエイジャーで。汚れを知らないピュアな少年です! そのヒロインが女装男子でしたとか……かなり偏ったラブコメですよっ! なんでそんな子をメインヒロインにしたんですか?」
その問いに、俺はまっすぐ答えた。
「一番、可愛かったからだ……」
「可愛かったって……DOセンセイはゲイだったんですか? だとすると、読者の性癖を大きく歪めることになってしまいますよ。それこそ、アンナちゃんというキャラは、既に二次創作まで作られています。使っちゃった編集部の社員はどうなるんですか? ファンがそっち界隈に旅立っちゃいますよ!?」
人の女で、使うなよ……。
でも謝っておくか。
「悪い……」
「センセイ。私はノンケ向けのラブコメを書いて欲しくて、一ツ橋高校を勧めたんですよ?」
「俺も最初は、そのつもりだったさ……」
ていうか。俺ってゲイとして扱われてる?
※
ついにアンナの正体がミハイルであることを、編集の白金にバラしてしまった。
アニメ化も決まっている人気作品だったので……。
それを聞いた白金は、顔を真っ赤にして怒っていた。
「もう~! なんで、そんな大事なことを黙っていたんですか!? せめて小説の発売前に、教えてくださいよっ!」
「……言いたくても、言えなかったんだ。俺が可愛いと思った子が、男だなんて」
ミハイルに絶交された今となっては。こうやって彼のことを、話すことに恥などない。
むしろ後悔している。
もっと、俺が素直になれていたら……と。
白金は首を横に振りながら、ため息をつく。
「はぁ……ま、DOセンセイは恋愛経験が皆無だし。若いから一過性の気持ちもあるでしょう。しかしですね、読者に対して嘘をつくのは、良くないですよ!」
「すまん。今からアンナは、男だと発表すべきか?」
「ダメですっ! 嘘に嘘を重ねるようなものです。こうしましょう……とりあえず、連載が終了するまでは、アンナちゃんはメスってことで♪」
「……本当に、それで良いのか?」
「大丈夫ですよ♪ 読者は童貞ですから、気がつきませんよ♪」
こいつが一番、読者をバカにしているような……。
「ところで、アンナちゃんが男だと分かった以上。私からDOセンセイに聞きたいことがあります!」
「え?」
「他のヒロイン達ですが……野郎ばかりってことは、ないでしょうね!?」
これには、俺も唾を吹き出す。
「な、ないに決まっているだろ……アンナだけだ」
「本当ですか? お股をちゃんと確認してます?」
「出来るわけないだろ……」
「怪しいですねぇ。DOセンセイは童貞ですから、ちょっと可愛いければ騙せそうですよ?」
「……」
なんとも失礼な疑惑を持たれたものだ。
結局、白金がアンナのことは、今まで通り女という設定で貫けと言うので。
黙って従うことに。
またこの事は、二人の間で秘密にしましょうと言われたから……。
俺は既に何人か、事情を知っている人間がいると答えた。
妹のかなでと宗像先生。それにミハイルの親友、花鶴 ここあだ。
そう説明すると、白金は一瞬険しい顔をしたが……。
「じゃあ、その人達まで! しっかり話を留めてください!」
と久しぶりに業務命令を出してきた。
「了解した」
「お願いしますよ! 私の昇格とボーナスが、かかっているんですから!」
こいつは金のためなら、何でもするな。
最後に、今の状態を伝える。
小説を書けなくなった理由を。
俺がミハイルを抱きしめたことから、始まったケンカ。
絶交宣言。
女装したアンナとは、もう取材が困難であること。
「だから俺は、もう小説を。ラブコメを書けなくなってしまったんだ。アンナと取材なんて出来ないし。最近じゃ、食事も取れない有り様だ」
「……DOセンセイ。あの、それって痴話げんかですよね?」
「へ?」
「男同士だから、私にはよくわからないのですが……。とりあえず、今起きている出来事を忘れないうちに、文字にしてください。倦怠期みたいなもんでしょ? あ~、聞いていてイライラするわぁ。早く付き合えよ、クソがっ!」
「……」
なんか宗像先生と、同じ反応なんだが?
じゃあ俺は、どうしたら……。
ヒロインであるアンナが、男だと分かった以上。
このままアニメ化するには、不安要素が多すぎると白金は頭を抱える。
とりあえず、原作は売れているので、設定は女の子のまま……。
またアンナ役にYUIKAちゃんを、起用することも保留にするらしい。
可愛い女の子としてオファーしたのに。正体が女装男子だとバレたら、役とは言え、炎上しかねない。
俺を元気にするため、博多社まで呼んだ白金だったが。
結局、何の解決にも至らず。
アニメの話さえ、ボツになりそうだ。
なんだったら白金の方が、ダメージが大きく見える。
「ま、まあ……DOセンセイ。どうにか、ミハイルくん。いや、アンナちゃんとしっかり仲直りしてください」
青ざめた顔で、視線は床に落ちている。
「善処してみる……」
覇気のない声で呟くと、その場を去った。
※
何度かミハイルに、連絡を取ろうと電話をかけてはみた。
しかし電源を切っているようで、出てくれない。
メールも同様だ。
仕方がないので、今度はアンナのL●NEに、メッセージを送ってみたが。
既読マークすらつかない。
完全に、心を塞いでいるようだ。
最初こそ、宗像先生に言われた通り、SNSを使い。
楽しんでいる自分を演じ、発信していたが……。
俺自身が耐えられなくなり、今は放置している。
毎日、あの日を思い出す。
ミハイルに、絶交された日のことを……。
俺があの時、ちゃんとアイツの想いに答えることが出来たら。
今でも二人仲良く学校へ、行けたのだろうか?
後悔だけが残り、何もやる気が出ない。
前回の試験が実質、最後のスクリーングだった。
あとは、終業式のみ。
一ツ橋高校は単位制の高校だ。編入して、半年で卒業する生徒も多い。
だから終業式と合同で、卒業旅行を行う。
去年、みんなで別府温泉へ旅行に行ったのは、そのためだ。
ある日、宗像先生から電話がかかってきて。
『新宮。終業式に必ず来るんや! 今回は大阪に行くんやで! 食いだおれやで!』
と誘われたが……。
ミハイルが来ないなら、意味がない。
俺は初めて、高校をサボってしまった。
~それから時は経ち~
もう俺には、限界だった。
この終わらない毎日が……。
白うさぎを食べられるとは言え、体重は下がる一方だ。
空腹により、思考が上手くまとまらない。
小説を書く以前に、日常生活に支障をきたすレベル。
気がつけば、俺もミハイルと同じ行動を取っていた。
退学届……。
これを宗像先生に渡して、終わりにしよう。
そう決断したのは、季節が変わり、春になったころ。
2年生になったばかり。
今期、1回目のスクリーングの日。
本当なら、教科書や体操服で、リュックサックはパンパンに膨れ上がるはずだ。
しかし、俺が中に入れたのは、一枚の封筒のみ。
軽くなったリュックサックを背負うと、リビングへ向かう。
「あら、おにーさま。おはようございます♪」
妹のかなでが、テーブルに並べられた朝食を、美味そうに食べていた。
玉子焼きに鮭。納豆と味噌汁。大盛りの白飯。
実に健康的な食事。最後にこんなご飯を食べたのは、何時だろう……。
俺とは対照的で顔色も良く、新しいセーラー服は持ち前の乳袋で破れそうだ。
高校生になって、更に胸が巨大化したような。
猛勉強の末、かなでは見事、国立の名門校に合格した。
福岡県内では、トップレベル。
いつも男の娘ゲーで興奮している変態だが、偏差値が70越えという結果が出ているので。
実力なんだろうな……。
「か、かなで……。お前、今日は高校、休みじゃないのか?」
「そうですけど。高校の友達と天神で待ち合わせしてますの♪」
日曜日に天神で、級友と遊ぶだと?
こいつが? 高校デビューってやつか。
「な、なるほど……。気をつけてな」
「気をつけるも、なにも。インテリぶったJKを沼に落とすだけですから♪ “オタだらけ”で薄い本を買い漁るのですわ!」
「……」
うちの妹のせいで、優等生が腐ってしまうのか。
かわいそうに……。
「それより、おにーさま。最近ご飯を食べませんのね? 一体どうしてです?」
「ちょっと色々あって……」
ミハイルに振られたから、ショックでとは言えん。
「何か悩み事のようですね。でも、ご安心くださいな。今日あたり必ず良いことが、起こりそうですよ♪」
「え?」
妙に自信たっぷりのかなでを見て、まさか……とは思ったが。
ミハイルは今、携帯電話の電源を切っているし。
※
地元の真島駅から、小倉行きの列車に乗り込み。
一ツ橋高校がある赤井駅へと向かう。
本当なら、2駅離れた席内駅で。
「おっはよ~☆ タクト☆」
と一人のショーパンの少年が、駆け込んでくるのだが。
なにも起こらない。
ため息を漏らして、赤井駅にたどり着くまで、待つことに。
駅から15分ほど歩いた先に、名物である心臓破りの地獄ロードが見えてきた。
もう慣れたと思っていたが、久しぶりにこの坂道を歩くと。
足が鉛のように重く感じた。
リュックサックには、何も入れてないのに。
誰かが俺の肩を引っ張っているような……。
息遣いも荒くなる。
「はぁ……はぁ……」
今日で終わりだ。
もうこの坂道とも、お別れ。
俺にはやっぱりガッコウなんて、居場所は似合わない。
宗像先生に怒られても良いから、退学届を出して。
さよならだ。
自分にそう言い聞かせて、坂道を登る。
登り切ったところで、強い風が吹きつけた。
今のやせ細った身体では、立っていることさえ困難だった。
ふらつくとバランスを崩し、俺はそのまま坂道へ転げ落ちる……。
そう思った瞬間、誰かが優しく背中を押してくれた。
「危ないよ☆」
この声は、まさか。
そんなことは……ありえない。
だって、俺を捨てたはずだ。
「タクトはやっぱり、オレがいないとダメだな☆」
そう言って、エメラルドグリーンを輝かせるアイツ。
胸に空いた大きな穴が、やっと塞がった気がする。
彼の顔を確認しようと、振り返る。
「み、ミハ……?」
後ろに立っていたのは、俺が待っていたアイツじゃなかった。
桜の花びらが舞い散る坂道で、優しく微笑むのは。
胸元に大きなピンクのリボン、フリルのワンピースをまとった女の子。
カチューシャにも、同系色のリボンがついている。
美しい金色の長い髪を、肩から流していた。
「タッくん。おはよう☆ こんなところから落ちたら大変だよ☆」
「あ……アンナ? なぜ、お前がここに?」
「ふふっ。なんでだろね☆」
「タッくん、久しぶりだね☆」
「……アンナ。どうして?」
俺の隣りに立つ金髪のハーフ美少女は、間違いなく本物だ。
幻影などではない。
その証拠に、2つのエメラルドグリーンを輝かせている。
しかし、なぜ?
「あのね、ミーシャちゃんが教えてくれたの☆」
「ミハイルが?」
目の前に本人がいると言うのに、驚いてみせる。
だって俺は、アイツに絶交されたから……。
もう二度と会ってくれない。そう思っていた。
「うん☆ なんかSNSを見ていて、タッくんがどんどん痩せているから。心配なんだって」
「そ、そうか……ミハイルが、俺を心配してくれたのか……」
安心したところで、どっと気が抜ける。
その場で、地面に倒れ込んでしまった。
するとアンナが慌てて、俺のそばに駆け寄る。
「タッくん!? 大丈夫? やっぱり食べてないから、元気がないんだよ……アンナが作ってきたから、あそこで食べよ」
「え?」
アンナに手を引かれて向かった先は、一ツ橋高校の校舎。
玄関の近くに、ベンチが1つだけある。
ベンチの下には、錆びたペンキ缶が置いてあった。
ここは、宗像先生がスクリーングの時だけに、設ける喫煙所だ。
ヤンキーだけが、利用する場所なのだが……。
今朝は誰も使っていない。
きっと、朝が弱い……というか、やる気がないからだろう。
「さ、タッくん。ここに座って。また倒れちゃうよ?」
「ああ……でも、俺は学校へ来たんだ」
そう断ろうとしたが、アンナの馬鹿力で強制的に座らせられる。
「ダメだよっ! 今のタッくんは、栄養不足で危ないんだから!」
「わ、悪い」
とりあえず、ベンチの隣りにリュックサックを置いて。
彼女に言われるがまま、黙ってベンチで休憩することに。
アンナは持参してきた、かごバッグの中をごそごそと探している。
そこで、俺はようやく気がついた。
髪が長いことに。
この前ミハイルに会った時は、ショートカットへばっさりと短くしていたのに。
彼女の横顔をまじまじと眺めていると、アンナが視線に気がつく。
「どうしたの? 何かアンナの顔についている?」
「いや……髪型が変わってないなって」
「なに言っているの? アンナは最近、美容室とか行ってないよ?」
「そ、そうか……じゃあ、気のせいだな」
ひょっとして、ヅラか?
※
「さ、タッくん。朝ごはんを作ってきたからねぇ☆」
そう言って、弁当箱の蓋を開けるアンナ。
中には、色とりどりの具材が挟まれたサンドイッチが、ギッシリと詰まっていた。
おしゃれなワックスペーパーで、1つずつ包まれている。
最初に渡されたのは、卵サンド。
手に持つと、まだ冷たい。
彼女が持ってきた弁当箱をよく見ると、保冷剤が目に入った。
傷まないように……アンナの優しさを感じる。
「いただきます……」
恐る恐る、ひと口かじってみる。
正直、怖かった。
なにも受けつけない毎日だったから、アンナの食事でも吐き出してしまうのでは?
という恐れがあった。
「……っくん。うまい」
それを隣りで聞いたアンナは、パーッと顔を明るくさせる。
「良かったぁ~! まだまだおかわりがあるから、食べてね!」
「ああ、ありがとう。アンナ、これなら食べられそうだ……」
「うん☆ 魔法瓶に温かいトマトスープを入れているから、それも出すね☆ 身体がぽかぽかするよ☆」
そう言って、コップにスープを注ぐアンナ。
彼女が言う通り、まだ温かいようだ。湯気が立っている。
ふと、アンナの横顔を見つめると、緑の瞳に涙を浮かべていた。
サンドイッチを頬張りながら、呟く。
「アンナ……」
「タッくん。もっともっといっぱい食べてね☆ これからちゃんと食べられるまで、アンナが作ってあげるから!」
「すまん」
ん? 食べられるまで?
どういうことだ?
※
まだ弁当を食べている際中だが、そろそろ生徒たちが校舎に集まってきた。
普段はヤンキーが、タバコを吸っている喫煙所なので。
悪目立ちしていた。
すれ違う生徒たちの視線が、気になったのか。
アンナは慌てて、ベンチから立ち上がる。
「ご、ごめん。タッくん! アンナ、やることがあったの! ちょっと2階の事務所に行かなきゃ……」
「へ?」
「タッくんはまだ食べていてね☆ 食べられるなら全部食べるんだよ!」
「お、おう……」
卵サンドを食べ終え、今度はレタスサンドを味わっている。
非常に美味い。
レストランに出していいレベルだ。
「じゃあ、またあとでね☆」
そう言うとアンナは、一ツ橋高校の玄関へと走り去る。
「……」
一人取り残された俺は、温かいトマトスープをすする。
「っはぁ~」
青空の下で愛妻弁当を、食べられるとか。
幸せだなぁ……って、何を気取っているんだ俺。
部外者であるアンナが、なぜこの一ツ橋高校に来たんだ?
しかも、2階の事務所へ向かった。
わ、分からん……。
彼女に言われたからではないが、とりあえずアンナの作った弁当は残さず、キレイに全部食べた。
空になった弁当箱を持って、俺も校舎の中に入り、2階へと上がる。
今日から俺は、2年生になったので。
教室も隣りのクラスへと移動することになった。
ちなみに教室棟の2階は、3クラスしかない。
だから、真ん中のクラスへ移ったってことだ。
教室のドアを開くと、既にホームルームが始まっていた。
遅れて入ってきた俺を見て、宗像先生がギロっと睨む。
「新宮! 進級したばかりなのに、遅刻か!? たるんでいるぞ!」
えらく機嫌が悪そうだ。
「す、すみません……食事を取っていたので」
「な~にが食事だっ! 終業式をサボりやがって! 去年の単位を全部はく奪しちまうぞっ! 早く席に着け!」
「はい……」
ていうか、俺。
本当は今日、退学届を出しに来たんだけどな。
いつもの癖で、教室に入ってしまった。
前のクラスと同じ位置にある、席へ着くと。
後ろから、肩を突かれる。
「ねぇねぇ……」
振り返ると、赤髪のギャル。花鶴 ここあが座っていた。
専属絵師のトマトさんは、なぜか床で正座している。
ここあに怒られているのかと思ったが、「ブヒブヒ」言いながら、彼女の太ももを拝んでいるので。仲は良いのだろう……。
「どうした? ここあ」
「オタッキーさ。その後どう? ミーシャは戻ってきそう?」
「それなんだが……」
言いかけた瞬間、宗像先生が怒鳴り声を上げる。
「こらぁっ! 新宮と花鶴、私語は慎め! 額にナイフを投げちまうぞ、バカ野郎!」
「す、すみません……」
だから、いつまでそのネタを引きずっているんだよ……。
「ええ……話が逸れた。ごほんっ! 古賀 ミハイルについてだが、事情があって遠くへ引っ越すことになった」
宗像先生の話を聞いた俺は、驚きのあまり席を立つ。
「そ、そんな……ウソでしょ? 先生っ!?」
立ち上がった俺を注意せず、宗像先生は黙って首を横に振る。
ただ、人差し指を唇に当てていた。
黙って見ていろってことか。
「古賀は休学となるが、いとこの女子が編入してくることになった。お前たちと同じ2年生だ。仲良くしてやれ」
「まさか……」
「おいっ! そろそろ良いぞ。教室に入って来い!」
先生が手招きすると、教室の扉がガラっと音を立てる。
現れたのは、先ほど俺に愛妻弁当を作ってきてくれた美少女だ。
「初めまして。古賀 アンナです☆ 皆さん、今日からよろしくお願いします☆」
礼儀良く、おじぎをする金髪のハーフ美少女。
「な、なんで……?」
ミハイルじゃなくて、アンナが戻ってきたのかよ。
アンナが自己紹介を終えると、生徒たちがざわめき始める。
無理もない。
男のミハイルが、急に遠くへ引っ越し……。
女として、別人のアンナが編入してきたのだから。
その場で立ち尽くす俺に、アンナが手を振る。
「タッくん~☆」
これには、周りの生徒たちも驚きを隠せない。
だって俺たち二人は、仮にとはいえ、彼氏彼女の関係みたいなものだから。
何も言わなくても、友達以上の関係に見えるだろう……。
そこへ宗像先生が「静かにせんかっ!」と一喝し、場をなだめる。
生徒たちが静かになったところで、アンナに「新宮の隣りに座れ」と促す。
コツコツと音を立てて、優雅に歩いて見せるアンナ。
よく見れば足もとは上靴ではなく、ヒールが高いローファーだ。
大きなリボンがついた可愛らしいデザイン。
完全に、デートモード。
嬉しそうに、俺の隣の席へ座るアンナ。
「タッくん。今日からよろしくね☆」
「あ、ああ……」
この時、心の中で2つの強い気持ちがぶつかり合っていた。
それは安心感と寂しさ。
目の前に元となるミハイルがいるのに、女として振舞うアンナ。
せっかく俺のために、学校へ編入してくれた彼女には悪いが……。
「そこは、ミハイルの場所だ」と思ってしまった……。
※
ホームルームが終わると、宗像先生が俺を呼びつける。
「新宮! ちょっと話がある。一人で事務所へ来いっ!」
「は、はい……」
話し方からして、きっとお説教だろう。
次の授業まであまり時間がないのだが、とりあえず、事務所へ向かう。
って、教科書を一冊も持って来なかった奴が、何を言ってんだか……。
事務所へ入ると、宗像先生が不味そうなコーヒーを用意して、俺を待っていた。
またアレを飲まされるのか。
「なにを突っ立っておるか? 早くソファーに座れ」
「はい」
俺は二人掛けのソファーへ腰を下ろし、反対側のソファーにガニ股で座る宗像先生。
こういう時の先生は、絶対に怒っている。
興奮のあまり、太ももを閉じないから、今日も紫のレースが丸見え。
しんどい。
「……新宮。一体どうしてこうなったんだ? 私は古賀を呼び戻せ、と言ったはずだが。なぜ女装したブリブリのアンナが編入したんだ?」
「えっと、それは俺にもわかりません……ずっと連絡が取れなくて……」
そう答えると、宗像先生は深いため息をつく。
「はぁ……どうせ、お前たちの歪んだ愛情表現のせいだろ?」
「え、どういうことですか?」
「数日前のことだ。急に古賀から私に電話がかかってきてな。遠くへ引っ越すから、代わりにいとこを編入させてくれと言われたんだ」
「ミハイルがですかっ!?」
「当たり前だ……。でもその本人は引っ越していないよな? 現に今も女装してクラスにいるのだから」
「うっ……」
何も言い返せなかった。
「去年の運動会を覚えているか?」
「あ、はい……ミハイルがMVPを獲ったんですよね」
「うむ。その時に私が何でも願いを叶えてあげると、約束したろ? あれを使ったんだ古賀は」
「?」
俺が黙って首を傾げていると、宗像先生が代わりに答えてくれた。
「わからんか? ヒソヒソ声だったからな。古賀はあの時『オレのいとこをいつか編入させてください』と私に頼んだのだ」
「なっ!?」
「私もその時は、女装する趣味とか知らなかったから、了承したが。まさかこんな形で利用されるとはな……」
「じゃあ……アンナは女の子として、編入したんですか?」
「ま、そういうことだな」
と肩をすくめて見せる先生。
ていうか、あんたが願いを断れば良かったじゃん……。
※
アンナが編入してきたことは、全く予想できなかった。
まだ頭の中は混乱している。
しかし、少しずつ。彼……ミハイルが望んでいることが見えてきた気がする。
俺と絶交する際、ミハイルは男の自分を選んだことに傷つき、怒っていた。
女のアンナではなく、素の彼を抱きしめ、キッスまでしようとした俺に。
つまり逆ならば、ミハイルは傷つかなったのかもしれない。
女装した状態……完璧な女の子。アンナならば。
「先生……ミハイルを、いやアンナを女子として、編入させたんですよね?」
「そりゃそうだろ? だってお前らが作った設定だし……それに古賀を取り戻すには、嘘を突き通さないとなぁ」
「でも、中身はあくまでも、男のミハイルですよ? トイレとか、更衣室とか一体どうする気ですか?」
「うむ……私もそれは悩んだが、大丈夫だろう。便所は3階の職員用を使えば良い。スクリーングは日曜日だから、他の女性教員は使用しない。私ぐらいだ。逆にどんな下着をつけているのか、覗いてやろうと思っている」
ふざけろ。見ていいのは、俺だけだ。
「そ、そんな……無理があるでしょ?」
「無理なもんか。私はお前ら生徒たちが、一番だと言っているだろ! 更衣室も時間をずらして使わせたら良い。その辺はちゃんと配慮してやるから大丈夫だ。それよりも……いつまで持つか? って話じゃないのか?」
宗像先生はそう言うと、鋭い目つきで俺の顔を睨みつける。
「え?」
「あのな。私はお前ら二人とも、心配なんだよ……。女装して恋愛ごっこをするのも結構だ。しかし、新宮。そのやせ細った身体はなんだ?」
薄くなった胸板を、人差し指で小突かれてしまう。
「こ、これは……最近、食欲がなくて。でも、さっきアンナが作ってくれたサンドイッチを食べられましたよっ!」
それを聞いた先生は、鼻で笑う。
「フンッ。アンナね……どっちでも良いが、この前古賀に振られたのが原因だろ?」
「はい……」
「新宮、お前。あれから何キロ瘦せた?」
「えっと……3キロぐらいですかね、ははは」
笑ってごまかそうとしたら、更に宗像先生を怒らせてしまう。
「なめるな! 10キロ近く痩せたんだろ!? 何年教師をやっていると思うんだ! 見ればわかるっ!」
「すみません……その通りです。今52キロぐらいです……」
「ほれみろ。言わんこっちゃない! ちなみに身長はどれぐらいある?」
「え、170センチですけど?」
俺がそう答えると、宗像先生は自身のスマホを取り出し、何かを検索し始めた。
「おい……お前は、シンデレラになりたいのか?」
「え? なんのことですか?」
「身長が170センチで、体重が52キロだと“シンデレラ体重”になるんだよっ! 女の私より細くなりやがって!」
「はぁ……」
なんだ、ただの嫉妬か。
しかし……ミハイルがいなくなっただけで、俺はここまで落ちてしまうのか。
「でもな、新宮。冗談じゃないが……シンデレラってのはさ。午前零時で魔法がとけちまう、お姫様だよな?」
「はぁ……」
「結局のところ、お前が作り上げた幻想だろ? 古賀 アンナっていう女は」
「そ、それは……」
言葉につまる俺に対し、宗像先生はそっと肩に触れる。
「私は心配なんだ。急に痩せちまう新宮と、自分を女だと言い張る古賀がな」
先生の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「宗像先生……」
「お前がかけた魔法だろ? なら王子様の新宮が、古賀を解き放ってやれ」
「解き放つって……どうやってするんですか?」
「そんなものは簡単だ! スカートをめくって男だということを、クラスのみんなに教えてやれ。そして、そのままお前が襲えばいいだろ♪」
「……」
できるわけないだろ、そんなこと。
聞いた俺が、バカだった。
※
とりあえず宗像先生から事情を聞いて、ホッとしたいうか。
ミハイルの考えを、理解できた気がする。
要は、女であるアンナだけを見て欲しいってことだろう。
事務所を出て、廊下を歩いていると。
二年生の教室が何やら騒がしい。
窓から中を覗くと、たくさんの男子生徒がアンナを囲んでいる。
みんな別人だと思い込んでいるようだ。
「アンナちゃん。この前はマジでサンキューな! おかげでほのかちゃんとイブを過ごせたよ。でも一ツ橋高校へ来るなんて、奇遇だね」
と話しかけるのは、スキンヘッドの千鳥 力だ。
幼なじみだと気がついてない。
「ううん☆ ほのかちゃんと仲良くなれて、アンナも嬉しいよ。取材の効果が出たみたいだね☆」
「おお! 取材もバリバリやってるぜ! この前なんか、ネコ好きおじさんと出会いのバーに行ってきてさ……」
ちょっと、リキ先輩たら。どんどん界隈の深いところまで、取材しているじゃない。
とりあえず放っておこう。
教室の扉を開こうとした瞬間。
ガラっと中から、開けられてしまう。
目の前に立つのは、ギャルのここあ。
腕を組んで、俺を睨んでいる。
「あんさぁ……ちょっと、廊下で話そうよ」
「お、おう」
きっとアンナのことだろう。
とりあえず、教室に入るのは諦めて、彼女の話を聞くことに。
「ねぇ、どうして。ミーシャじゃなくて、女装したアンナが学校へ来たの?」
「いや……この前も話したが、俺が抱きしめたり……色々とあって。女装した姿を見てほしいみたいだ。ミハイルは」
「は? 言っている意味が分かんないんだけど?」
「まあ、そうだろな……」
俺は宗像先生が話してくれた内容を、ここあにも説明した。
すると、ここあは難しい顔で考えこむ。
「え? マジで頭が混乱するんだけど……女役だから、カワイイ自分を見てってこと?」
「そんなところだ」
「ふぅ~ん。でもさ、それって元はと言えば、オタッキーのせいじゃん!」
と俺の胸に人差し指を突き刺す。
「うっ……」
何も言い返せない。
「オタッキーさ。わがままだよ! ミーシャも欲しがって、女役まで欲しいなんて! ミーシャがかわいそう!」
気がつくと、ここあの瞳は涙でいっぱいだった。
一日に二人も女を泣かすなんて……最低だ。
「わ、悪い……」
とここあをなだめようとした瞬間。
廊下の奥から、誰かがこちらへ近づいてきた。
「え? ケンカ?」
眼鏡女子の北神 ほのかだ。
えらく怯えた顔をしている。
「あ、ほのか。違うぞ! こ、これは……」
上手く言い訳できない俺を見かねて、ここあが代弁してくれた。
「違うんよ。ほのかちゃん……オタッキーにミーシャの相談をしてたの。急に引っ越したていうじゃん? だから寂しくてさ」
アホなここあにしては、ナイスなフォローだ。
これで女装の話やアンナの正体を隠せる。
「ミーシャって……ミハイルくんのことでしょ? 引っ越してなんか、してないでしょ」
これには、俺とここあも驚きを隠せない。
「「え?」」
「今も教室の中で、リキくんと仲良く話しているじゃん。なんかアンナとかいう、謎の設定で先生に紹介された時は、ビックリしたけど……」
まさか……バレているの?
「な、なにを言っているんだ、ほのか。あの子はミハイルのいとこだぞ。紛れもない女の子だ」
ここあも俺の話に合わせる。
「そうそう! 双子ってぐらい似ているけど、全然違うって!」
俺たちの話を聞いて、ほのかは真顔で答える。
「いや、どう考えてもミハイルくんでしょ? 女装しているけど……」
「「……」」
よりにもよって、腐女子のほのかにバレてしまった。
担当編集の白金にこれ以上、関係者を増やすなと言われていたのに……。
※
もうバレてしまったことは、仕方ないので。
ほのかにも、ミハイルが女装をする理由を簡単に説明した。
そのうえで協力してほしいと、ここあと頭を下げる。
「そっかぁ。なるほどねぇ……そんな趣味があったんだぁ~ うーん、琢人くんって受けだと思ってたのに、バリバリ攻めだったとは」
そう言うと、眼鏡を怪しく光らせる。
「あ、あの……ほのか? なんか勘違いしていないか?」
「私のことなら大丈夫よっ! ミハイルくんの女装も黙っておくわ。二人で好きにヤッちゃっていいわ! 校内でも無理やりするんでしょ!?」
「……」
やっぱり言わなければ、良かった。
腐女子のネタにされちゃう。
「いやぁ~ 琢人くんが弱みを握って、女装させる鬼畜プレイが好きとか……盲点だったわ! 忘れないうちにペンタブで漫画にしよっと♪」
もう勝手にしてくれ……。
とりあえず、三人の中で話はついたので。
教室へ戻ることに。
相変わらず、たくさんの男子生徒がアンナを囲んでいた。
女装した途端、ミハイルを見る目が違う。
なんというか……いやらしい目つきに感じる。
俺は強い憤りを感じていた。
「あ、タッくん~☆ 戻ってきたんだ☆」
アンナの声がなかったら、こいつらをぶっ飛ばしているところだ。
「ああ……待たせたな」
自分の席に座り、次の授業。数学の準備をしようとした瞬間。
思い出す。なにも教科書を持って来ていないことに。
「タッくん、どうしたの?」
「その……今日の教科書を、全部忘れて……」
「なら、アンナと一緒に読もうよ☆」
そう言うと彼女は、机をピッタリとくっつけて、教科書を広げる。
「これで一日、一緒にいられるね☆」
「あ、ああ……」
無意識にやっていると思うが、肘と肘がくっつく距離感。
間接的とはいえ、久しぶりにアンナの肌に触れられて、嬉しかった。
その証拠に……最近、無反応だった股間が、ギンギンに盛り上がってしまう。
これで一日を過ごすのか……本当に持つかな?
女の子として、初めての授業を受けることになったアンナ。
なぜか単位が認められて……2年生という扱い。
全部、宗像先生が仕組んだものだ。
「どうせ、中身は一緒なんだから、単位も一緒でいい」
すごく適当なやり方。
じゃあ、十年以上も通っている妻子持ちでアラフォーの夜臼先輩にも、単位をあげて欲しいものだ。
そんなことを考えていると、一時限目の教師が入ってきた。
「は~い。じゃあ数学Ⅰを始めますよぉ~」
若い男性教師で、前年度に受けていた教科と同じ人だ。
ちなみに、今年度から『数学Ⅰ』になる。
動物園レベルの高校なので、去年受けていた教科は『数学Ⅰ入門編』だ。
Ⅰの前があることに、驚きはしたが……。
「なんかドキドキしてきたよ。アンナ、お勉強が苦手だし……」
と弱音を吐くアンナ。
中身は、あのミハイルだからな。苦労するだろう。
「まあ、そんなに構えなくて良いと思うぞ? この高校はレベルが低いし」
「それはタッくんが頭良いからでしょ。アンナには無理だよ」
あの……褒められているのに、全然嬉しくないんですけど。
※
男性教師がマジックを使って、ホワイトボードに数式を書いてみせる。
そして「この問題をノートに書いて。解けたら僕のところまで持って来て」と生徒たちに指示する。
自力で問題を解き、教師のところまで持って行く……という行為は、一ツ橋高校の生徒からすると、ハードルが高いらしい。
みんな困惑していた。
アンナも同様だ。
「え、えぇ……どうしよう? あんな問題、解けないよぉ~」
「別に間違えても良いから、提出すればいい。怒られることはないさ」
「でもぉ~」
と頬を膨らませるアンナ。
カワイイ……俺が教えてあげたい。
~20分後~
数学Ⅰと言っても、昨年習った入門編の延長だ。
小学生レベルが、中学生へ進級したようなもの。
天才の俺はサクッと問題を解いて、教師に提出。
全問正解したので、あとはのんびりと授業が終わるのを待つ。
俺以外に問題を解けたのは、おかっぱ頭の双子。日田兄弟。
それと床で、勉強するトマトさんぐらいだ。
あとの生徒たちは、みんなノートと睨めっこ。
唸り声をあげてフリーズしている。
「ダメだよ……わかんない」
アンナのノートを覗いたが、まだ一問も解けていない。
俺が教えるわけにもいかないし、ここは黙って見守ろう。
そう考えていると……。
何やら辺りから、女子の笑い声が聞こえてくる。
「あ、そっか~♪ 簡単だぁ!」
「でしょ? 次の問題もね、こうして……」
教師が生徒にヒントでも教えている。と思ったのだが。
鼻の下を伸ばして、嬉しそうに女子生徒の肩に触れる。
「ここはこう」
「すご~い、先生!」
忘れていた。
この教師、昨年の期末試験で女子にだけ、堂々と解答を教えていたゲス野郎だ。
男子は放っておいて、女子限定で答えを教えまくる。
当然、アンナの番になると……。
「あ、きみ。全然解けてないじゃ~ん。ハーフで可愛いのにねぇ~」
いやらしい目つきで、アンナを上から下まで眺める。
舌なめずりをしながら。
「す、すみません……私、数学とか英語は苦手で」
別に意識していないと思うが。アンナは座っているため、自ずと上目遣いになる。
あの美しいエメラルドグリーンの瞳で。
これには、教師も興奮してしまう。
「ふふ……そんなに気にしなくてもいいよ。僕は君みたいな子に教えるのが楽しいから、教師をやっているんだ♪」
何を思ったのか、アンナの頭を撫で回す。
「ぐっ!」
怒りのあまり、シャーペンの芯を折ってしまった。
このまま立ち上がって、ゲス野郎を殴ろうかと思ったが。
後ろの席にいた、ここあに感づかれ、肩を掴まれる。
(オタッキー。気持ちはわかるけど、ダメだよ。正体がバレちゃう)
(りょ、了解……)
「アンナちゃんって言うんだぁ。きみ2年生なの? こんな可愛い子なら、覚えているけどなぁ♪」
左手で彼女の頭を撫で回し、右手で一緒にペンを持つ。
完全に、密着状態。
あ~、ぶっ殺してやりてぇ!
しかし、アンナの単位がかかっている。ここは堪えよう……。
※
結局、その後も数学の教師は、終始アンナにべったりで。
他の女子生徒でさえ、放置。
完全にえこひいきした状態で、授業は終わってしまった。
アンナ自身は、答えを教えてくれたことに感謝していたが。
俺は今からでもあのゲス野郎を、窓から突き落としてやりたかった。
それから午前中の授業を、色々と受けたが。
やはり、アンナだけ異常に優しく。特別な待遇を受けていた。
特に男性の教師からは……。
ミハイルが女装しただけなのに、こんなにも態度が変わるもんかね?
なんか、とても複雑な気分だった……。
俺のカノジョ役が可愛いのは知っているし、たくさんの生徒や教師から、優しくされるのも嫌ではない。
でも……それだけの人たちから、視線を集めるということは。常に俺が気を張っていないとダメだ。
男のミハイルだったら、こんなことはなかったのに。
そうか。アイツなら、俺だけを見ていてくれて。
他の人間が、寄ってくることもなかったのか……。
昼休みに入り、アンナへ「お昼を一緒に食べないか?」と誘ったが。
「ちょ、ちょっと……お手洗いに」
と3階へ行ってしまった。
そうか。宗像先生がアンナ用に、3階の職員用トイレを貸してくれたんだ。
なるほどね。というか、女装している時は、個室なのだろうか?
座ってするのかな……。
いかん、想像したら興奮してきた。
※
20分経っても、教室に戻ってこない。
これはさすがにおかしいだろうと、俺は心配になって、3階へと上がる。
職員用トイレの前で、数人の男子生徒が誰かを囲んでいた。
制服を着ているから全日制コース、三ツ橋高校の生徒だろう。
「ねぇ~ いいじゃ~ん。L●NEぐらい教えてよ~」
「そんなフリフリの服って、どこで売ってんの?」
「ハァハァ……きみさ。モデルのMALIAに似てない? だとしとら、許せないんだぶ~! よくも男とラブホテルへ行ったな! 貢いだ金を返せだぶ~!」
最後の奴、色んな意味でヤバいよ。
しかもマリアに貢いだって……レディースファッションを購入したのか?
「イヤッ!? 離して! アンナはタッくんとしか、L●NEしないの!」
よく見れば、捕まっているのは伝説のヤンキーこと、金色のミハイルじゃないか。
本当に女装したら、みんなから女の子として見られるんだね……。
設定が悪いんだよな……。
俺のために、非力な女子を演じているため、自慢の馬鹿力で対応できない。
体重が激減した俺ひとりで、あの3人相手に勝てるかな……。
女装した途端、可愛い女の子としてチヤホヤされるアンナ。いや、ミハイル。
今も目の前で全日制コースの男子高校生から、ナンパされている……。
困ったものだ。
しかし、どう出るか?
きっと部活の練習に来ているような、活発な男子たちだ。
やせ細った俺では、3人も相手に出来るだろうか……。
助けるのを、躊躇していると。
「イヤッ! やめて!」
と悲鳴が上がる。
これには俺も咄嗟に身体が反応し、間に入り込む。
「お前らっ! いい加減にしろ! この子は俺の大事な連れだ!」
格好つけて、彼女の前に現れたのはいいが……。
やはり3人相手は、無理がありそうだ。
改めて見ると、アンナを囲んでいる男子生徒は全員が高身長。
180センチ以上はある。
上から睨みつけられて、恐怖から縮こまってしまう。
「は? 誰、お前……ちょっとこの子に聞きたいことがあるんだけど?」
「そうだよ。質問ぐらい良いだろが!?」
「本当にラブホテルへ行ったのか、知りたいんだぶ~!」
と、とりあえず、最後の方にだけ答えます。
真実は、両方のヒロインと行きました。
でも、一線は越えてないので、セーフです。
なんて、考えていると。
アンナが俺の背中に隠れる。
「タッくん……この人たちが、アンナの身体を触ろうとしたの」
それを聞いた俺は、先ほどまでの恐怖なぞ吹き飛ぶ。
「貴様らっ! やって良い事と悪い事があるだろ!? 同意なく、女の子の身体に触れるのは犯罪だっ!」
俺だってあんまり触れてないのに……。
「は? 触ろうとしたんじゃなくて、見たかったんだよ。そのワンピースのブランド」
「え、ブランド?」
「おお……妹が最近、失恋してよ。そういう可愛いブランドでも着たら、今度は成功するのかと思ってよ」
と頭をかいてみせるお兄ちゃん。
なんだ……ただのシスコンか。
※
妹想いのお兄さんに話を聞くと。
ずっと片想いをしていた妹さんが、中学を卒業するまで勇気を持てず。
告白できないまま、相手が海外へ旅立ってしまったらしい。
でも、1年間の留学を終えたら、戻って来るようだ……。
そこで、アンナの可愛らしいファッションを目にしたお兄さんは、ブランド名が知りたくなったそうだ。
帰国した際に、妹がその服を着たら、勇気が出るかもと。
恥ずかしくて、ちゃんとアンナへ伝えられなかったそうだ。
それを知ったアンナは、安心する。
スマホでブランドを検索して、お兄さんに色々と教えていた。
なんだったんだ……この茶番は?
ただ俺が現れてから、お兄さんの視線は、ずっとこちらへ向けられていた。
まさか、シスコンでゲイなのか?
アンナから色々と教わって、恥ずかしそうに頭を下げるお兄さん。
去り際に「二人だけで話そう」と腕を掴まれ、少し離れた場所へ向かう。
口説かれるのかな、と身構えていたら……。
「あのさ、お前って。今恋わずらいしていないか?」
「なっ!?」
「やっぱり……そうなんだな。一目で分かったよ。うちの妹と同じだからな」
「え……?」
お兄さんから事情を聞くと、妹さんは大好きな彼がいなくなってから。
一切の食事を受けつけず……10キロ近く痩せたそうだ。
正に、今の俺じゃん。
「悪いことは言わない。相手がいるうちに、想いは伝えた方がいいぜ? 妹はなんでか、“白うさぎ”しか食えなくなってよ……見てられねぇよ」
「……」
なんか、俺が乙女みたいじゃん。
相手なら、目の前にいるんだけどなぁ……。
※
そのあと、無事に解放された俺たちは、教室に戻り。
アンナが作ってくれた弁当を仲良く食べた……というか、食べさせてもらった。
俺がまだフラつくからと心配した彼女が、わざわざお箸でおかずを「あ~ん」してくれる神対応。
正直、浮いていた。
急にアンナという美少女が、俺のカノジョ役として現れたこと。
そして、俺にベタ惚れだということも。
他の男子生徒たちはイチャつく俺たちを見て、舌打ちをしたり、睨みつけたり……。
居心地が悪いったら、ありゃしない。
昼休みに入って、20分ぐらい経ったあと。
アンナが教室の掛け時計を見て、慌て始める。
「っけない! 次の授業、体育だった!」
「へ?」
「ごめん、タッくん。アンナ、ちょっと先に着替えないと。お弁当、全部食べて来てね!」
「おお……」
そうか。宗像先生が更衣室の時間をずらすと言っていたな。
まったく、不憫だな。
男のミハイルなら、一緒に着替えられたのに……。
アンナに言われた通り、しっかりと愛妻弁当を残さず食べ終えた。
急にたくさんのおかずと白米を、胃袋に放り込んだから。
ちょっと、お腹はビックリしていたが……。
しかし、感じるぞ。
みなぎる愛の力を……。
チャイムが鳴る前に、俺も校舎を出て、武道館へと向かう。
なんか心配だった。女装した彼は、モテるからな。
それに俺自身、早く彼女の元へ行きたかった。
武道館へ入ると、地下へ降りる。
更衣室は左右に分かれて、2つある。
一年前のスクリーングで、全日制コースの女子。
赤坂 ひなたが着替えているところを目撃したのが、懐かしい。
今回は、間違いなど起こすまいと、アンナが更衣室から出て来るのを待つ。
アンナと仲良く体育かぁ……。
色んな意味で、密着できる楽しい授業になりそう。
~10分後~
女子更衣室の扉が、開く音がした。
俺が想像していた装いとは、正反対の少女が現れる。
長い金色の髪は、三つ編みのツインテールで女子力高め。
トップスは、ピンクのポロシャツで。ボトムスはプリーツの入ったミニスカート。
シューズも可愛らしいピンク。
「あ、タッくん。来てたんだ☆」
「おう……ちょっと心配でな。また絡まれてないかって」
「心配してくれたの? 嬉しい☆」
可愛い……。
ていうか、これで運動するのかって服装だ。
完全に見せる前提で、用意してきたな。
「なあ、アンナ?」
「ん? なあに、タッくん」
「その……そんな丈の短いスカートで大丈夫か? 今日の授業は何か知らんが、運動するんだぞ」
俺がそう言うと、彼女はクスクスと笑い始める。
「タッくんたら、心配性なんだから☆ 大丈夫、中には“ペチコート”を履いているよ」
「ぺち……なんだって?」
聞いたことのない言葉に、首を傾げていると……。
何を思ったのか、アンナがスカートの裾を詰まんで見せた。
「お、おい……」
「大丈夫だって☆」
彼女の言う通り、スカートをたくし上げても、パンティーが露わになることは無かった。
フリルがふんだんに使われた、薄い生地のズボンを履いている。
いわゆる、見せパンってやつかな?
「ね? これなら大丈夫でしょ☆」
「ううむ……」
合法的にスカートの中を見られて、嬉しいし可愛いんだけど。
ブルマを堂々と履いていたミハイルが恋しいと、思ってしまうのは何故だろう。
アンナと仲良く体育を、受けられると思ったが……。
俺の考えが甘かった。
彼女は今、女子として高校に通っている。
ということは、当然みんなから、ひとりの女性として扱われるのだ。
今日は珍しく、武道館を利用することが許された。
広々と運動が出来ると知った宗像先生は、男女別々になって、バレーボールの試合を行うと発表した。
俺たちは黙って従うしかない。
最初こそ、仲良く並んで立っていたが……。
アンナも寂しそうに「じゃあ、またね」と女子のコートへ去っていく。
彼女を見かけたここあが、声をかける。
「ねぇ、あーしたちと組もうよ。絶対勝てるから♪」
以前会った時、その正体を疑われたので、アンナはたじろいでしまう。
「べ、別に組まなくても……ひとりでやれるよ?」
そんな言い訳が、通用するわけもなく。
「な~に、言ってんの♪ バレーは一人じゃ無理っしょ。それにね、オタッキーからアンナちゃんのことを、守るように頼まれてんの♪」
「タッくんが!?」
さすが、ここあだ。
これなら、彼女の警戒心を解ける。
「だから、二人でオタッキーに頑張ってるところを見せてあげようよ♪」
「うん☆ ありがとう、ここあちゃん☆」
どうやら、仲良くやれそうだな。
※
男子もそれぞれグループを作って、早速試合をすることに。
やる気のない俺は、日田兄弟の片割れに混ぜてもらった。
相手チームには、やる気満々のリキがいる。
それを見てすぐに負けると思った。
こちらは、陰気な真面目グループだし……。
体育の時だけ、超やる気が出るヤンキーたちに勝てるわけがない。
さっさと負けて終わらせよう。
そう思っていたが。
どうしても、隣りのコートが気になる……。
「えいっ!」
フリフリのミニスカートを履いた女の子とは思えない、豪速球が相手コートに投げ込まれる。
対戦していた女子生徒が、恐怖から固まってしまうほどの。
だが、それより心配なのは……。
彼女のファッションだ。
ジャンプする度に、見せパンとはいえ。
白いフリルがひらひらと、目立ってしょうがない。
武道館の隅で筋トレをしていた、全日制コースの男子生徒たちから歓声があがる。
「見ろよ、あのハーフ。パンツ丸見えだぜ」
「マジかよ……可愛いじゃん。あんな子、一ツ橋にいたっけ?」
「とりあえず、ローアングルで撮影してきます」
最後のふざんけんな。
撮るにしても、ちゃんと顔も撮ってやれ。
俺なら、そうする。
試合そっちのけで、アンナばかり眺めていたら。
隣りに立っていた日田が、叫び声を上げる。
「新宮殿! 危ないでござる!」
「へ?」
視線を正面に戻すと、目の前にはぐるんぐるん回転しているバレーボールがあった。
避けようと思った時は、すでに遅く。
顔面に直撃した俺はそのまま、床に倒れてしまった。
※
「大丈夫? タッくん、ねぇ。起きてよ!」
誰かが、俺を呼んでいる。
頬にぷにんと、柔らかい感触が伝わってくる。
これは、太ももか?
つまり膝枕をしてくれている……アンナに違いない。
瞼をパチッと開くと、そこにいたのは。
「おう! 起きたじゃねーか、タクオ!」
「……」
スキンヘッドの老け顔。リキくんでした。
なんで、こいつが膝枕をしてんだよ!
一刻も早く離れたかったので、身体を起こそうとしたが。
リキに止められる。
「おい! かなり鼻血も出てたし、まだ寝とけよ!」
「わ、わかった……」
仕方なく、リキ先輩の膝で休むことにした。
武道館の隅で、男二人が仲良く膝枕。
非常に誤解されやすい風景だが……。
リキは気にする様子もなく、女子のコートで活躍するアンナを見て笑っていた。
「良かったな、タクオ」
「え? なんのことだ?」
「アンナちゃんだよ。お前、ミハイルがいなくなって、元気なかったじゃん。でもあの子が代わりに入ってくれかたら。これからも、タクオは学校に来られるだろ?」
「そ、それは……」
「俺が言うのもなんだけどさ……二人とも好き同士なんだろ? 付き合ったらどうだ?」
「いやぁ……」
返す言葉が見つからなかった。
リキに悪意はない。
彼は女の子として、アンナを見ている。
元となるミハイルのことを知らないから、言えることだ。
でも、仮に俺がその選択肢から選んだとして。
本当に彼女……いや、彼は受け入れてくれるのだろうか?
※
結局、体育の授業は2時間ずっと、リキの膝の上で休んでいた。
鼻血も止まらなかったし。
まあアンナが楽しそうに、バレーボールをしていたから、良かったか。
着替えを済ませ、校舎に戻る。
帰りのホームルームが始まる前、隣りに座っていたアンナが声をかけてきた。
「タッくん。大丈夫だった? なんかリキくんのボールが当たったって聞いたけど」
「ああ……問題ない。ちゃんとリキが、休ませてくれたからな」
「ごめんねぇ~ アンナ、試合に夢中で……」
「気にするな。俺がよそ見をしていたせいだ。誰が悪いわけでもない」
試合中にあなたのパンチラが、気になっていたとは言えんからな。
「そっか。あのね、ホームルームが終わったら一緒に帰ろうよ☆ 二人で☆」
「え……?」
当たり前のように言われたので、驚いてしまう。
「もしかして、アンナと一緒は嫌かな?」
「そんなことないぞ! 嬉しいさ。帰ろう、二人で!」
「フフッ、嬉しい☆」
そうか。今日から女の子と一緒に帰るんだ。
夢にまで見たシチュエーション。
学校帰りに、可愛い彼女と制服デート。
あ、うちの高校は私服だ……。
それでも、男なら誰しもステータスを感じて良い場面だろう。
こんな金髪のハーフ美少女から、誘われるなんてさ。
でも……なんで、こんなに寂しいんだ?
アンナによって埋められた胸の穴が、徐々に広がっていく気がする。
心臓に針が刺さっているような……痛みを感じる。
帰りのホームルームを終えると、アンナが言った通り、二人で仲良く駅まで歩く。
彼女は終始、ご機嫌だった。
「次のスクリーングが楽しみだなぁ☆ 今度はお洋服、何にしよう? 私服だから、選べるのが良いよね☆」
「まあな……」
「あ、そうだ。明日、タッくん家へご飯を持っていくね☆」
「え?」
「約束したでしょ? これからタッくんが食べられるまで、ずっとアンナがご飯を作るって☆」
とウインクしてみせる。
非常に嬉しい提案だったが、どうしても俺には……気になることがある。
それは、アイツがいつ帰ってくるかだ。
「あ、アンナ……その引っ越したんだろ? ミハイルは……」
「うん。なんかやりたいことがあるらしくて。遠くへ行っちゃったの」
「そうか。あいつ……ミハイルは、いつ帰って来るのか、分かるか?」
俺の質問に、彼女はとても困っていた。
だって、本人は目の前にいるのだから……。
「え、えっとね……かなり遠いから、なかなか帰って来られないと思うよ? たぶん1年……ひょっとしたら、2年ぐらい戻ってこないかも」
「2年!? そんなにか?」
「多分、だけどね……」
引きつった笑顔のアンナを見ていて、辛くなる。
1年以上、戻らないということは……自分を消す覚悟でアンナに変身したのか。
もう二度と一緒に、学校へ通うことは無いのか?
これも、俺のせいなんだな……ミハイル。