宗像先生はああ言ってたけど……。
 ミハイルが、教室の扉を開くことはなかった。

 朝のホームルームが始まり、今日が期末試験だと先生が説明を始める。
 しかし俺はそんなこと、どうでも良かった。
 彼が今どこでなにをやっているか……そればかり考えていた。

 上の空で、試験を受ける。
 天才の俺からすれば、こんな動物園のテストなど、お茶の子さいさい……。
 と思って数時間、試験を受けていると。宗像先生に呼び出されてしまう。

「おい。新宮! ちょっと来い」
 休み時間に入ったところで、廊下へ連れ出された。
「なんですか……」
 かすれた声で答える。
「何って……お前、真面目に試験を受けているのか?」
「受けてますけど。何か問題でも?」
 俺がそう言うと、宗像先生は頭を抱えて、ため息をつく。

「お前なぁ……他の先生からも、苦情が相次いでいるんだよ。この答案用紙、ふざけているのか?」
「え……?」
「前期に満点を取った新宮とは、思えん回答だよ」

 宗像先生が俺の顔面に突き付けたのは、先ほどまで書いていた答案用紙たち。
 英語、国語、現代社会。
 しかし、俺の書いた答えは、教科関係なく、同じことばかりを書いていた。

『ミハイル。ミハイル。ミハイル……』

 自分の名前まで、古賀 ミハイルと書くほど、重症だった。

「これを、俺が書いたんですか?」
「当たり前だろ! 新宮、体調が悪いなら、別日に試験を受けるか? 今日のお前はおかしいぞ! 期待のルーキーなのに!」
「すみません……」

 いつもなら言い返すところだが、そんな元気も出ない。

  ※

 結局、そんな調子で試験を受けていたから、全ての答案用紙に、ミハイルという名前を書きまくったらしい。
 俺としては、無意識のうちにやっていたことだから、悪気はない。
 
 気がつけば、昼休みに入った。
 午前の試験が終わったことにより、みんなホッとしたようで、顔が明るくなっていた。
 あとは体育を2時間受ければ、単位が貰えるから。
 
 近くにいたリキと、腐女子のほのかが談笑していた。

「去年のクリスマス。マジで楽しかったよね。ほのかちゃん」
「うん。また来年も一緒に過ごそうよ~ リキくんって、ノンケぽいのに。男レイヤーにモテるからさ~ 私的にもラッキーみたいな♪」
「そんな褒められると、恥ずかしいよぉ」

 褒めてないだろ……。
 でも、なんか良い感じになっていて、安心したよ。
 理由がどうあれ、このまま行けば。二人は付き合えるかもしれん。

 みんな教室の中で、弁当を広げて、昼食を楽しむ。
 去年より、生徒たちが仲良さげに感じた。
 入学して1年も経つのだから、コミュニティが出来上がって、当然か。

 突然、教室の扉が勢いよく開いた。
 僅かな希望を胸に、入って来る人間を待っていると……。

「おっはにょ~♪」
 アホそうな声が、教室中に響き渡る。すぐに誰か判明した。
 ミハイルの幼馴染でもあり、ギャルのここあ。
「もうお昼ですよ。ぶひっ、ここあさん」
 と金魚のフンみたいにくっつくのは豚……じゃなかった。
 俺の専属絵師、トマトさんだ。

 こいつらも見ない間に、偉く距離感が縮まっているな。
 
「てかさ。冬休みに行った温泉、超楽しかったしょ♪」
 え……ウソでしょ?
 ここあがトマトさんと温泉旅行に。
「た、楽しかったでしゅ! 家族風呂でしたから、水着で一緒に入れましたもんねぇ」
「ねぇ~♪ 夜もバイキングをたくさん食べて、リフレッシュできたし~ ベッドもふかふかでぇ」

 まさかの一泊旅行かよ。
 こいつら、もうヤッちゃったのかな?
 たった一か月で、こんなにも仲良くなるもんなのか。

 俺だけが置いてかれたような、気がする……。

  ※

 両カップルが、お互いのイチャ自慢をし始めた。俺は蚊帳の外。
 というか、たぶんだけど。視界に入っていない。
 ミハイルという存在が、隣りにいないせいだろう。
 空気のような扱いだ。

 耐えきれなくなった俺は、教室を出て廊下を歩くことにした。
 別に意味はない。
 ただ、ひとりになりたかった。

 あいつらがカップルとして、仲良くなったことに対して。
 嫉妬なんて気持ちは、抱いていない。
 むしろ、喜ばしいことだと感じている。
 一応、ダチだから。

 それよりもミハイルが、この場にいないことが何よりも辛い。
 まさかと思うが、あの報道により、自殺なんてしないよな?

 廊下の床は寒さにより、上靴を履いていても、足もとが冷えきってしまう。
 ふと窓を開けて、外の景色を眺める。
 目の前の駐車場を、一人の少年が歩いていた。

 こんな中途半端な時間に、誰だろう?
 全日制コースの連中は、制服を着ているから、一発で分かる。
 しかし、この少年は違う。私服だ。

 ショートダウンを羽織って、デニムのショートパンツを履いている。
 フードで頭を隠しているため、顔は確認できない。

 気がつけば、一ツ橋高校の入口へと向かっていく。
 なるほど……俺たちと同じ通信制コースのヤンキーか。
 試験だってのに、やる気がないやつだ。
 全くヤンキーという生き物は、理解できないな。
 単位が欲しいんじゃないのか?

 階段を上る音が聞こえてきた。
 きっと、先ほどのヤンキーだろう。
 二階に上がって、教室へ向かってくるだろう……そう思っていたら、違った。

 宗像先生がいる事務所の方から、バタンという音がした。
 ひょっとして、今の時期だから新年度の入学希望者かな?

 一人で妄想を膨らませていると。
 事務所から、叫び声が聞こえてきた。
 宗像先生の声だ。

「おい、待て! 話は終わってないぞ! 戻ってこい!」

 普段からテキトーな先生にしては、えらく必死な声だと感じた。
 それだけ、相手を引き留めたいのだろう。

 気になった俺は、事務所の方へと足を進める。
 すると、一人の少年が、階段を駆け下りていく。
 先ほどとは違い、フードを外している。
 だから横顔を、確認することが出来た。

 宝石のような美しい瞳。エメラルドグリーンには、涙を浮かべている。
 小さな唇をグッとかみしめ、何かを我慢しているように見えた。
 金色の髪は、首元でバッサリ切られたハンサムショート。
 前髪は左右に分けている。

 ずっと一緒にいたから、その違いが分からなかった。
 あいつは、いつもポニーテールを揺らせて、元気な笑顔を見せてくれる……。
 そんな……かけがえのない存在。

「み、ミハイル!?」

 やっと正体が分かったところで、俺はその名を叫んでいた。
 彼は一瞬だけ、身体の動きを止めたが、振り返ることもなく。
 その場から、走り去ってしまう。

「そんな……」

 小さくなっていく彼の後ろ姿を、俺はただ見つめることしか、出来なかった。
 俺のせいだと、思ったから……。