お祈りも済んだことだし、あとは絵馬とか、おみくじをするぐらいだ。
しかし、どこも人が多く……。
1つのことをやるために、数十分も消費するのは、ちょっと面倒。
だから本殿から出て、出店を回ることにした。
ちょうど、腹も減ってきたし。
その提案に、アンナは手を叩いて喜ぶ。
「お正月の屋台って食べたことないの~ 楽しみぃ~☆」
「そうか。まあお正月だからって、特別じゃないぞ? 夏祭りと変わらないんじゃないか?」
俺がそう言うと、アンナは俯いてしまう。
「アンナ……あんまりお祭りとか行ったことないから……毎年、ミーシャちゃんと一緒にお店の手伝いしていたから」
いかん、墓穴を掘ってしまったようだ。
「そ、そうか。まあ、俺もここ10年以上は経験してないから、安心しろ。ほれ、あのデカい綿あめが見えるか?」
と1つの屋台を指差してみる。
子供向けに販売している、綿あめ屋。
今、放送している幼児向けのアニメや特撮のキャラが、ビニールにプリントされた大きな綿あめ。
その中には、アンナが大好きなボリキュアもいた。
「あ、ボリキュアだぁ!」
「そうだ。こういうのは、昔からあってだな……」
言いかけて、俺は思い出してしまった。
忘れていた……辛い過去の記憶を。
『おかあたん。綿あめが欲しい~』
『タクくん。あれより、もっと良い綿あめをお母さんが作ってあげるわよ』
『ホント!? わぁい~!』
そして、帰宅後。
母さんが持ってきたのは、巨大な綿あめだったが……。
裸体のリーマンが、びしょ濡れにされていた卑猥なもの。
しかし、無知だった俺は「おいしい」と喜び。
母さんに「嬉しい! おかあたん、大好き!」と抱きついていた。
「はぁはぁ……なにが『大好きだ』……我が子を洗脳しやがって」
激しいフラッシュバックで、我を忘れ、拳に力が入る。
「タッくん? どうしたの? なにか綿あめで、嫌な思い出でもあったの?」
心配して俺に身を寄せるアンナ。
振り袖姿の彼女を目にしたことで、理性を戻せた。
過去におきた出来事へ、怒りを向けることなど、ナンセンスだ。
今を楽しもう。
「す、すまんな。俺も正月なんて随分、楽しめていなかったからさ」
「そうなんだ……じゃあ、今年からアンナとお正月を楽しもうね☆」
ニコッと微笑み、緑の瞳を輝かせる。
彼女さえ、俺の隣りにいてくれるなら、汚れた過去など乗り越えて見せるぜ。
※
早速、綿あめ屋さんで、ボリキュアをゲットしたアンナは、嬉しそうに笑う。
「大きい~ 白い~☆」
人目など気にせず、その場でビニール袋から、綿あめを手で掴み。食べ始める。
「あま~い☆ あ、タッくんも食べる?」
「いや……俺は」
気を使ってくれているのは、わかるのだが。
素手で食べているから、彼女の手や口元は、汚れていた。
後々が面倒だからと断ろうとしたら、怒られてしまう。
「ダメだよ! ちゃんとお正月らしいことをしようよ!」
「悪い……じゃあ、頂くよ」
「はい☆ 半分こね☆」
アンナは手を袋に入れると、しっかり半分になるよう、綿あめを分けてくれた。
こんなに食えないよ。
「ありがとな……」
胃が痛くなりそう。
※
その後、アンナと色んな屋台を回った。
じゃがバターに大きなイカ焼き。
焼きそばに、たこ焼き。
フランクフルト。回転焼きなど……。
彼女の腹を満たすまで、1時間以上かかった。
「あ~ 美味しかった☆ デザートが無くて寂しいけど……」
えぇ……。綿あめと回転焼きはデザートとして、カウントされないの?
相変わらずの暴食ぶりにドン引きしていたら、アンナの身体に異変が起きた。
「へっちゅん!」
随分と控えめで、可愛いくしゃみだと思った。
「どうした? 風邪でも引いたのか?」
「ううん……きっと、外でずっと立ち食いしちゃったからだと思う。身体が冷えちゃって」
言いながら、自身の肩をさするアンナ。
これは見ていて、さすがにかわいそうだと思ったので。
俺は着ていた羽織を脱ぎ、彼女の肩に着せてあげる。
「え、タッくんが寒いでしょ? いいよ、気にしなくて」
断ろうとするアンナを、俺はきつく注意する。
「ダメだ。ちゃんと着ておけ。俺なら大丈夫だ。この着物はウール製だから、そんなに寒くない」
「そ、そっか……なら甘えちゃおうかな」
頬を赤くし、俺の着ていた羽織りを大事そうに両手で抑える。
「タッくんの匂いがする。暖かい☆」
え? そんなに臭かったかな?
「嫌じゃないのか」
「うん☆ タッくんのお家って感じがする☆」
「……」
なんか、それ。
うちがBLまみれで臭そうって、思われているような。
だが、俺はこの時。大事なことを忘れていた。
すれ違う人々の声で、それに気がつく。
「おい。あれってさ。BLだろ?」
「なんで、男が背中にイッてるイラストをのっけているんだよ……キモすぎ」
「あの子。なんなのよ! めっちゃ神がかっているじゃん! どこで売っているのあれ?」
最後、ただの腐女子じゃねーか。
それから、俺はずっと我慢するのみであった。
可愛いアンナを暖めるため、自分の羞恥心など無視しなければ。
お正月から、最悪な展開だよ!
やっぱうちの環境だと、こういうのからは、逃れられないのかな……。
ばーちゃんがデザインしたBLイラストのせいで、辺りにちょっとしたギャラリーが出来てしまった。
俺を見ているわけではない。
あくまでも、俺の背中。
着物の中でイカされた漢に、注目が集まっている。
その人だかりを見て、アンナも驚いていた。
「え? なにこれ……みんながこっちを見てる」
「すまん。どうやら、俺の着物が気になるようだ。ほら、背中にばーちゃんが、イラストを刺しゅうしたからさ……」
彼女に背中を見せてやると、「あぁ~」と納得していた。
「タッくんのおばあちゃんって器用だもんねぇ。すごいよ~ マネできな~い☆」
あなたは真似しなくていいです。絶対に。
最初の頃は、ノンケじゃなかった……一般の人々。
耐性のない人たちが、それを見て言葉を失ったり。吐き気を催すこともあった。
しかし、噂を聞きつけた一部の女性陣が、スマホを持って撮影会を始めやがる。
「すごい! 神絵師!」
「これ……どこかで見たことなかったけ?」
「Oh my God!! Isn't that a phoenix?」
(なんてことだ! あれはフェニックスじゃないのか?)
ん? 最後の人って、外国人か?
あ、そうか。きっと遠い国から、日本へ旅行に来たというのに……。
お正月から汚いものを見せられて、ショックを受けたんだろう。
悪いことをしたなと、振り返ってみると……。
背の高い白人男性がこちらを指差して、口を大きく開いていた。
かなり驚いている様子で、隣りにいたパートナーの女性の肩を激しく揺さぶる。
何が起きた分からない金髪の女性が、男性の指さす方向に視線を合わせると。
「It's God……」
(神だ……)
二人して、手で口を塞ぎ。お互いの顔を確かめている。
一体、何が起きたんだ……と思っていたら。
白人の男性が、こちらに近づいてくる。
「あの……チョット。良いデスか?」
カタコトだが、日本語を話せるようだ。
「はい? なんでしょう?」
「そ、その……着物デスが。どこで買ったのデスか?」
「へ?」
「ワタシたちは、アメリカから旅行に来ました。クリスマスをコミケで祝おうとしたからデス」
「はぁ……」
なんだよ。アメリカからやって来たオタクくんじゃん。
ったく、ビビらせんなよ……。
「あなたの着物。フェニックスのデスよね?」
「え、フェニックス……?」
それを聞いて、すぐに察した。
ばーちゃんの和服って、海外のお客さんにも売っているんだった!
店の名前も『腐死鳥』だし……。
※
白人男性の彼から、ばーちゃんのブランドが、母国で大人気だと教えてもらった。
粋な着物に卑猥なイラストが、プリントされているのが斬新で。バカ売れしているらしい。
それで、彼の隣りに立っている女性は、アメリカの腐女子らしく。
コミケのあと、初詣に筥崎宮へ来たら、俺の着物に目がいったそうだ。
やっぱアメリカにもいるのか……腐女子って。
「それで、どこに行けば。買えますデスか?」
彼氏の方は日本語を話せるようだが、彼女さんは無理みたいだ。
ニコニコと笑ってはいるが、俺の答えを黙って待っている。
「あ、えっとですね……」
俺が孫だということは伏せて、説明を始める。
中洲川端の商店街に行けば、ど真ん中にあるし。
看板も派手に『腐死鳥』と書いてあるから、間違えることはない。と伝えた。
それを教えると、彼氏さんは大喜び。
「ありがと、ございます! あなたはホントーに優しいデスね! わたしたち、ついてます! BL界のシテンノウがひとり。”キクのモンドコロ”に会えるのデスから!」
それを聞いた俺は、頭が真っ白になる。
「え……あの、今BL界の四天王って言いました?」
「ハイ! アメリカでも有名なインフルエンサーなのデェス! BLグッズを作らせたら、世界一の人デス!」
「……」
BL界の四天王。
もう一人は、うちのばーちゃんだった……。
聞いてもいないのに、彼氏さんはスマホを取り出し、自身のフォローしているインスタを見せてくれた。
確かに『腐死鳥 phoenix』という名前で活動している。
しかしだ……四天王の名前だよ。
娘がケツ穴 裂子。
母親が、菊の紋所って酷すぎだろ。
ただの下ネタじゃねーか!
ツボッターで検索したら、すぐにヒットした。
フォロワーも500万人を超える、世界的な有名人。
我が家から、どんだけの恥部を晒す気なんだ……。
これ以上、デジタルタトゥーばかり、生み出すのは止めて欲しい。
「はぁ……」
うなだれる俺とは対照的に、アンナは嬉しそうだ。
「タッくんのおばあちゃん。有名人なんだね☆ なんだか自分のように嬉しいな☆」
「ははは……そ、そうだね……」
アンナの前では、気丈に振舞っていたが。
どうしても、気持ちの整理がつかず。
彼女に一言。「トイレに行きたい」と伝えて、その場を離れる。
トイレの個室に駆け込むと、ひとりで壁を殴りながら、泣き叫ぶ。
「クソがぁっ! なんで、俺ばかりこんな目にっ!」
このあと、落ち着くために、30分を要した。
色々と問題はあったが……。
アンナとの初詣は、どうにか無事に終わりを迎えた。
故郷である真島駅へ列車がつくと、和服姿の彼女に手を振る。
「またな、アンナ」
「うん☆ 今日すごく楽しかったよ。改めて、今年もよろしくね☆」
「ああ、また今年もたくさん取材しような」
バイバイとは言わず、お互い笑顔で手を振る。
別れが惜しいけど……少しぐらいは我慢しないとな。
彼女が乗る列車は発車し、その姿が小さくなるまで、手を振り続けた。
「さ、俺もそろそろ帰るか」
ここでアンナとの余韻を、楽しむつもりだったが……。
我が家へ帰るってことはまだ親父がいるんだ。
もう夕方だし、さすがに夫婦の時間。終わってるよね?
※
自宅の裏側に回り込み、玄関のドアに手をやる。
恐る恐るドアノブを回すと、中から男の声が聞こえて来た。
「あぁ~ いいよぉ~ 琴音ちゃん!」
親父の声だ……まさか、商売道具である美容院を使って、プレイ中なのか?
「やっぱりの琴音ちゃんが一番だわ~」
「もう六さんたら、いつもそう言ってくれるけど。他の人に浮気してないの?」
「するわけないだろ……こんなテクは琴音ちゃんだけなんだから、ああっ!」
親父の喘ぎ声を聞いた俺は、即座に店の中へと駆け込む。
そこは腐っても、普段お客さんが、母さんに髪を整えてもらう場所だから。
「おい! あんたら、いい加減にしろよ!」
威勢よく、怒鳴り込んだのは良かったが。
俺が目にした光景は、予想していたものとは全然違う。
母さんが痛いBLエプロンを着て、親父の長い髪をハサミで切っていたから……。
「おう、タク。おかえり。アンナちゃんだっけ? 初詣どうだった?」
ケロっとした顔で、そう言う親父。
「ああ……うん。楽しかったよ」
「そうか。なら良かったぜ。俺の着物も似合ってんじゃねーか。へへへ、初孫を期待してっからな!」
このクソ親父。
アンナとは、お孫さんを作れません。
そのあと、母さんから事情を聞くと。
どうやら親父は、普段髪を切らないらしい。
ヒーロー業が忙しく。金もないため。
長い髪は放置して、ああなったようだ。
そして、もう一つ。
夫婦の間にルールがあるようで、母さん以外の美容師には、髪を切らせないそうだ。
だから、たまに帰って来た時。
母さんがしっかり短く整えるのだとか。
でも、また帰ってくるころには、肩まで伸びているだろう。
変わった夫婦だな。
※
部屋に戻り、着物を脱いで、部屋着に着替える。
パソコンを起動し、今日収穫した和服アンナの写真を整理する。
「またフォルダが、一つ増えてしまったな……」
これで脳内における「あ~れ~」劇場が楽しめるというものだ。
そう思うと、笑いが止まらない。
鼻息を荒くしながら、モニターを眺めていると、机の上に置いていたスマホが鳴り始める。
相手がアンナだと思い込んでいた俺は、名前も確認せず、電話に出る。
「もしもし? アンナか? 今日は楽しかったな」
『……』
ん? どうしたんだ。黙り込んでいる。
「おい、アンナ。どうした? やはり身体を冷やしたのか?」
『身体を冷やしたですって……?』
普段、優しく話してくれる、愛らしいアンナの声ではなかった。
今にも凍てついてしまいそうな、冷えきった声。
「え……アンナじゃないのか?」
恐る恐る、スマホを耳から離し、画面を確認したら。
着信名はマリアだった。
気がついた時には、もう既に遅かった。
『身体を冷やしたって……タクト。あなた、まさか元旦から、ラブホテルへ行っていたの!?』
酷い誤解をされてしまったようだ。
「ち、違うぞ! 断じて、そんなことはしていない! その……アンナとは、初詣に行っていただけだ」
『初詣ですって? どうせ、あのブリブリアンナだから、露出度の高いミニスカとかで行ったんでしょ?』
アンナに対するイメージって、そんなにアホっぽいの?
ちゃんと、和服を着ていたけどなぁ……。
「と、ところでマリア。一体、何の用だ?」
俺がそう問うと、彼女は怒りを露わにする。
『なにがですって!? それは、タクト。あなたがやった大罪のことに決まってるでしょ!』
随分、興奮しているようだ。声が震えている。
「え? 俺がマリアに? なにかしたのか?」
『とぼけないで、ちょうだい!』
「いや……本当に言っている意味が、わからないのだが」
マリアの怒っている理由がわからないので、謝罪するにもできない。
その態度が、更に彼女を興奮させてしまう。
『まだわからないの!? あなた、去年ラブホテルに2回も行ったそうじゃない!?』
「え!? なんで……そのことを」
『全部、タクトの小説に書いてあったわよ! 忘れたの!?』
「あ……」
ヤベッ、去年に同時発売された”気にヤン”の2巻と3巻のことだ。
3巻はただの腐女子が成り上がるだけだから、放っておいて……。
問題は、2巻だ。
2巻の内容は、サブヒロインである赤坂 ひなたをメインキャラとして、登場させた。
見せ場として俺が、三ツ橋高校の福間 相馬から、彼女を助け出し。
事故とはいえ、ラブホテルに入るというシーンがある。
まあ、ラストにアンナと一緒にコスプレパーティーをするのだが……。
「その、あれはちょっと色々あってだな……」
『タクト。言ったわよね? ホテルでそういうこと、したことはないって。あれは嘘だったの!?』
これは、しくじった……。
作品をリアルに仕上げるため、起きた出来事を細かく書いたつもりだ。
しかし、それが墓穴を掘ってしまうとはな。
だが、俺はひなたやアンナと、大人の関係に至っていない。
あくまでも、ラブホテルへ入っただけだ。
だって、まだ童貞だもん。お尻の処女は、リキに奪われたけど……。
「待ってくれ、マリア。確かにラブホテルへ行ったことを黙っていたが……何もしていない。ひなたは事故で、アンナとは取材だ」
言っていて、苦しい弁解だと思った。
『ラブホテルへ行って、何もしないカップルなんているの?』
「そ、それは、比較する相手がいないから、分からんが……」
『ふ~ん……』
電話の向こう側で、眉間にしわをよせるマリアの顔が想像できる。
『まあ、いいわ。なにもしていないようだし……』
「そ、そうか! なら今度、どこかへ取材に……」
と言いかけたところで、マリアが俺の声を遮る。
『そうね。婚約者である私を差し置いて、ラブホテルへ行ったことは許さないわ。だから、記憶の改ざんをしましょう』
「へ?」
『明日、私とラブホテルへ行きましょう♪』
「ウソでしょ……」
もちろん、拒否権はなかった。
まだ”三が日”の二日目だというのに。
朝早くから、電車に乗りこみ……博多へと向かっている。
今回の目的は、取材なのだろうか?
正直、博多にこだわらなくても、良い場所だ。
だって、ラブホテルだもの。
田舎でもあるだろうに。
去年、俺がひなたやアンナとラブホテルへ行った……と作品に書いてしまったため。
マリアが例の如く。記憶の改ざんを行うため、三度同じホテルへ行くことになった。
なにが楽しくて、童貞が3回もラブホテルへ行くんだ……。
そう思いながら博多駅の中央広場へと向かう。
説明は不要だと思うが、一応……黒田節の像で、待ち合わせすることになっている。
ジーパンのポケットから、スマホを取り出すと。
何件かメールが入っていた。
ミハイルからだ。
『タクト。お正月を楽しんでる? オレはね、今勉強しているの☆ ほら、もうすぐ一ツ橋高校の期末試験じゃん? だから、返却されたレポートを頑張って覚えているの☆』
「ぐっ!?」
その文章を見た瞬間、胸に激しい痛みを覚える。
罪悪感からだ。
アホのミハイルが、お正月だというのに。
期末試験の勉強だと!?
昨年と違い、めっちゃ真面目になってる。
きっと……俺と一緒に卒業したいから、苦手な勉強を頑張っているんだろう。
まあ、天才である俺は、あんな動物園の試験なんて、予習復習する必要はない。
しかし、そんな頑張っているミハイルを思うと。
今から行く場所に、ためらいを感じる。
とりあえず、ミハイルのメールに返信を送ることにした。
『正月から偉いな。そんなに頑張っているなら、今度の試験は良い結果になるかもな』
それに対して、すぐに彼から返事が届く。
『ホント!? じゃあ、頑張る☆ タクトはなにしているの? 勉強?』
いかん、この回答に失敗すれば、ミハイル……いや、アンナがホテルへ襲撃に来るはずだ。
それだけは阻止せねば……事件になりかねない。
言葉を選び、慎重にメッセージを打ち込む。
『俺はミハイルが作ったお雑煮とおせち料理で、お腹がいっぱいだ。それでちょっと休んでいる』
うむ。これならば、彼が不快な思いをしない。
尚且つ、マリアの存在も隠せる。
『そっか~☆ タクトがひとりで食べちゃったんだぁ☆ じゃあまた来年も作るよ☆ お腹を横にして休んだ方がいいよ。またね、タクト☆』
「よし……今回は大丈夫だ」
小さく拳を作って、勝利を確信する。
いや、恐怖が薄れたにすぎない。
背後からマリアを刺す……恐れがあったからな。
※
「ごめんなさい。待たせでしょ?」
視線を上げると、ひとりの少女が目の前に立っていた。
金色の長い髪に、宝石のような碧い瞳。
こちらをじっと見つめて、笑みを浮かべる。
待っていた人間が、俺だと分かったからだろう。
「いや、そこまで待ってないさ。マリア」
彼女の名前を口に出すと、嬉しそうにする。
「ふふふ。ごめんなさいね。ちょっと寝ぐせが直らなくて……」
「ほう。俺は別に髪型なんて、気にしないが」
「私が気にするのよ! タクトって本当にデリカシーがないわね!」
笑ったと思ったら、怒ったよ……。
なんで?
今日のマリアも、ファッションは普段と変わらず。
黒を基調としたシンプルなデザインのワンピースを着ている。
胸元には、白い大きなリボン。
細くて長い脚は、白のタイツで覆われている。
まあ真冬なので、上着として、ファーコートを羽織っているが。
しかし、あれだな。
アンナとは違い、なんというか色合いがシンプルで、つまらない。
それでいて、毎度同じ服を着ているような……。
俺はその疑問をマリアにぶつけてみた。
「なあ……気になることがあるのだが、聞いてもいいか?」
「え? タクトが私に質問なんて……珍しいわね。良いわよ、なんでも聞いて♪」
そう言って、胸を張るマリア。
ノーブラだから、トップが透けてしまいそう。
「あのさ。お前ってなんで毎回、同じ服を着ているんだ? 1着しか持ってないのか?」
俺がそう言った瞬間、整った彼女の顔がグシャっと歪む。
「はぁっ!? 私がそんな貧乏に見えるの!? 失礼ね! こう見えて、アパレルブランドの社長よ! ファッションには気を使っているわ!」
また怒られてしまった。
「しかしだな……俺から見るに、同じ色のワンピースを、着ているように見えるのだが」
「それは、タクトの目が腐っているからよ! 分かる人には分かるの!」
確かに俺は、ファッションには疎い。
でも、素人から見ても、同じ服にしか見えない。
「じゃあ……同じように見えても、全然違うファッションなのか?」
「そうよ! こう見えて、私は自分でデザインした服を着ているの。モデルもやっているわ。だから宣伝も兼ねて人気の商品を、自ら着て歩いて回るのよ」
「つまり、今一番人気な商品だから、着ているということか?」
「ええ。今着ている服も全て、売れているベスト5から決めたわ!」
「なるほどな……」
でも、その考えだと。
売れ行きによって、自身のコーディネートがランキングで固定されるんだろ?
じゃあ、変動がない限り、同じ服じゃんか。
なんか前にもこんな話を、誰かとしたような……。
あ、退学した制服を大量に購入し、着回している北神 ほのかと話した時か。
俺は年がら年中、タケノブルーだけ着ているから、関係ないね。
このブランドだけで良し。俺はマリアと違う。
「また……ここに来てしまったのか」
思わず、口にしてしまう。
だって去年から、何回お世話になったことか……。
俺がいつも食べている、とんこつラーメン屋。博多亭の目の前にあるビル。
恥ずかしくて、ホテルの名前を確認する余裕はなかったが。
今日、マリアから教えてもらい、初めてその名を知る。
ラブホテル、チャンバラごっこ。
そっち界隈も入室OKということだろうか?
まだ入口の前だが、もう雰囲気が違う。
こう、なんというか……ピリっとした空気というか。
う~ん。この中でカップルが裸同士、ガチンコバトルを繰り広げているからか?
自動ドアの前に立ったものの、なかなか中に入らない俺を見て、マリアが痺れを切らす。
「タクト? なんで入らないの?」
「いや……この前は偶然とか、事故に近いものだったから……緊張しちゃって」
俺がそう言うと、彼女は「情けないわね」と首を横に振る。
「今日はもう、私がネットで予約しているから、いいのよ! ほら、早く」
マリアに手を引っ張られ、ホテルの中へ入ることに。
※
彼女が言った通り、ネット上で部屋を予約しているようで。
最上階のフロアをほぼ貸し切り状態。
いわゆるVIPルーム。休憩だけで、1万円もする。
それでも、マリアは躊躇なく、この部屋を選んだ。
こだわる理由は、以前俺がアンナと利用したから……。
俺が財布を出す前に、気がつくとマリアは受付に声をかけていた。
「すいません。予約していた冷泉ですが、一泊お願いします」
「かしこまりました。宿泊のご利用ですね?」
「はい」
受付で支払いを済ませようとするマリアを見て、俺はすかさず止めに入る。
「お、おい! なんで、宿泊するんだ? 休憩で良いだろ?」
「え? なんでよ? ホテルなんだから、一泊するに決まっているじゃない」
「それは普通のホテルだろ……」
ダメだ、この人。
ラブホテルというものを理解していない。
一応、マリアもお嬢様だからな。
ご休憩て意味を知らないのも、仕方ないか……。
エレベーターに乗り込み、最上階へと向かう。
ここまでのマリアは、至って自然体というか、余裕たっぷりといった感じだった。
しかし、肝心の部屋へたどり着き、ドアノブを回すと、大人の空間が彼女を一気に飲み込んでしまう。
豪華なシャンデリアに、鏡張りの天井と壁。
なぜかスロット機が2台。それに大型テレビが1台。
ベッドの近くには、謎のスイッチがたくさん並び。
そして、ティッシュと“大事なもの”が置いてある……。
「「……」」
二人して、部屋の真ん中で固まってしまう。
アンナの時は、勢いだったからな。
「へ、へぇ~ 大したことないじゃない……ラブホテルと言っても」
そう強がっているが、声が震えまくっている。
「なあ、マリア。今からでも良いから、やめないか? もっと10代の恋人らしい……初詣とかに変更しないか?」
俺がそう言うと、彼女の整った顔がグシャっと歪む。
「イヤよ! ここでアンナと遊んだんでしょ? 作品にも書いてあったわ。コスプレとジャグジーが気持ちよかった☆ ってね!」
「あれは……」
「フンッ! 良いわ。あのブリブリ女との違いを見せてあげる!」
ここは黙って、彼女の言うことを聞こう。
~10分後~
「はい、タクト。お口を開けてぇ。あ~ん♪」
「あーん」
「どう? 美味しい?」
「うん……まあまあだね」
大人のホテルへ来たのだから。
女のマリアが小さなお口を開けると、思っていたが……。
彼女が用意してきた弁当のおかずを、無理やり、口の中に放り込まれる。
白くてやわらかい……目玉焼きだ。
ベッドの上に二人で仲良く、膝と膝をくっつけ座っている。
しかし、やっていることと言えば、別にラブホテルで行うことではない。
公園で良いレベル。
「ほら~ タクト。まだまだ、お代わりがあるからね♪」
「……」
そのお代わりが問題なんだよ。
弁当箱にビッシリ詰められた白米……の上には、大きな目玉焼きが、4つ並んでいる。
他におかずは、何もない。
黄身以外、全部真っ白。
マリア曰く、目玉焼きに関してはプロレベルだそうだ。
作り始めて早10年以上……半熟、完熟。サニーサイドアップやターンオーバー。
どれも失敗することなく、綺麗に焼き上げることが可能らしい。
なんだろう……すごいデジャブを感じる。
あ、俺じゃん。
俺も玉子焼きしか、作れない。
似た者同士だ。
しかし、スペックで言えば、男のミハイルが勝っている。
「なあ、マリア。お前、本当に目玉焼きしか作れないのか?」
「ええ。もちろんよ。勉強や闘病生活で忙しかったから、これしか作れないの」
「そ、そうか……」
アンナのことは、黙っておこう。
色々とかわいそうだ。
「タクト。そろそろ飽きてきたでしょ? 味を変える? しょうゆとソース。塩コショウも用意しているわよ♪」
「じゃあ……しょうゆで」
「私と一緒じゃない~ 良かったぁ。白米にはしょうゆが合うわよね♪」
「うん……」
このあと、目玉焼きの食い過ぎで、吐きそうになった。
マリアによる記憶の改ざん。
それは俺が体験した過去を、自らの手で変える。
いや、消してしまいたい……という彼女の願望だ。
しかし俺という人間は、起きた出来事を、忘れることが出来ない。
衝撃が強ければ、強いほど永遠に記憶から消すことは、不可能。
昨年、このラブホテルでアンナと楽しんだコスプレパーティー。
最高だった……。
今でも、あの時に撮影した写真や動画は、パソコンで楽しんでいる。
あれを越える映像は、なかなかお目にかかることはない……。
『だって、どうせそのメイドさんもかなりのミニだからパンツ見えちゃいそうだし……水着なら見えても平気だから……』
ベッドに腰を下ろし、膝を組むマリア。
片手には、ついこの前発売した俺の作品。“気にヤン”の2巻を持ち。
当時のセリフを音読し、再現しようとしている。
『ならば、依頼しよう。俺は見たい』
『じゃ、じゃあちょっと待ってて……』
俺とアンナの会話を読み上げたところで、マリアの整った顔がグシャっと歪む。
「バッカじゃない! これ、性行為をしていないだけで、ほぼ大人の関係よ! あなたたち、付き合ってもないのに……こんな卑猥な行為をしてたいの!?」
怒りの矛先は、俺に向けられてしまう。
「ま、まあ……この時はその。あれだ。初めての体験で、どうにかしていた……というか」
「じゃあ、なんで。タクトはのりのりでコスプレを撮影しまくったのよ!? 事実なんでしょ?」
「うん……」
確かに、彼女の言う通りだ。
起きた出来事を、ほぼ忠実に小説として発表しているから、嘘偽りはない。
「じゃあ、私もアンナみたいなコスプレをしたら、タクトはドキドキして……。興奮するってわけね!?」
「え?」
「ブリブリ女に興奮できたのだから、婚約者の私がメイドさんになれば、タクトは興奮のあまり、襲い掛かるわ!」
「はぁ……」
俺ってそんなイメージを持たれているの?
マリアも何気に酷いな。
※
怒りのあまり、我を忘れるマリア。
しかし、ここは彼女の言う通りにしないと、満足してくれないだろう。
とりあえず、以前に利用したコスプレを、フロントに電話して、部屋に持ってくるように頼んだ。
だが、アンナという存在は、レベルが違う。
あくまでも、架空の人物であり、俺が理想とする女子……。
それをミハイルが、完璧に演じている。
普段から、恥ずかしがる彼が、女装することで。
積極的な性格になり、俺の望むまま、カノジョとして振る舞う。
だからこそ、過激なコスプレも着られたのだと思う。
俺はそれを知っているから、不安に感じ。
マリアに「無理はしないでくれ」と伝えたが、興奮している彼女には、火に油を注ぐようなものだ。
「大丈夫よ! モデルをやっている私が、着られない服なんてないわ!」
~10分後~
チャイムが鳴り、ドアを開けると、ハンガーを2つ持った陰気なおばさんが立っていた。
「どうぞ……」
ボソッと呟くと、足早に去っていく。
ハンガーを受け取った俺は、部屋に戻り、マリアに手渡す。
「これが、アンナが着たコスプレだ」
ハンガーは2つとも、薄い布で覆われていた。中を確認できない。
しかし、俺は昨年見ているから、中身を知っている。
「ふ~ん。これがね、ちょっと中を見て良いかしら?」
「ああ……」
マリアは、ハンガーをベッドの上に2つ並べてみる。
しかし、布を取った瞬間。顔の色が真っ青になってしまう。
「な、なによ。これ……」
「メイドさんと、スクール水着の90年度版だ」
と俺が説明してみる。
それを聞いたマリアの肩は、小刻みに震えていた。
「これをアンナが着たの……?」
「ああ。間違いない」
「クッソ、ビッチじゃない!」
「……」
だってそういうホテルだもの。
大人の関係になるところだから、興奮を高めるグッズだし。
プライドの高いマリアだ。
確かに彼女の言いたいことも分かる。
メイド服はサテン製で、ピンクのフリフリ。
かなりのミニ丈だから……履いたら、パンツが見えてしまうだろう。
それもあって、アンナはスクール水着を、中に着ていたのだ。
「こ、こんな……ミニだと。外を歩けないじゃない!?」
「いや、室内で着るものだから」
俺の的確なツッコミに怯むマリア。
「じゃあ、どうしたらいいのよ? 結婚前なのに、タクトへ全てを捧げたらいいの?」
誰もそんなことは、言ってないのだがな……。
マリアも、想像力が豊かだ。
咳払いをした後、アンナがやったことを説明する。
「あくまでも経験談だが……中にスクール水着を着れば、見えても安心。らしいぞ」
「そ、それをあのブリブリ女が言ったのね……いいわ! 上等よ! 私だって着こなしてみせるわ!」
そう言うと、マリアは2つのハンガーを持って、奥の更衣室へ向かった。
マジであれを再現するのか……。
~20分後~
「ま、待たせて……ごめんなさい」
更衣室の扉が、スッと開く。
そこには、昨年出会った可愛らしいメイドさんが立っていた。
アンナと瓜二つ。
頭には、プリム。
胸元がザックリと開いたミニ丈メイド服。
太ももを覆うオーバーニーソックス。
完璧な再現。
唯一、違うところは瞳の色。
エメラルドグリーンではなく、ブルーサファイア。
「ど、ど、どう……?」
「ああ。似合っているよ」
顔を真っ赤にさせて、俯いている。
視線をこちらに合わせることが、できないようだ。
よっぽど、恥ずかしいのだろう。
「そ、それで……このあと、どうするの?」
「えっと、俺がスマホで撮影するから、ポーズをとってほしい」
「どういうポーズ?」
俺が身振り手振りで、アンナがやったポーズを説明する。
お辞儀をして。
『おかえりなさいませ、旦那様』
ネコのポーズをして。
『にゃ~ん☆』
「ま、こんな感じだな」
「……」
俯いたまま、小さな肩を小刻みに震わせるマリア。
「じゃあ、撮影するか。とりあえず、メイドさんから……」
と言いかけたところで、マリアが頭につけていたプリムを、床に叩きつける。
「バッカじゃないの! こんなアホ丸出しの女を、私がやれるわけないでしょ! 極めて不愉快よ!」
「……」
じゃあ、昨年の俺たちは、アホだったんでしょうか?
「……」
無言でその場に立ち尽くすメイドさん。
やはり、プライドの高いマリアでは、コスプレパーティーは無理だったようだ。
アンナを越える記憶はきっと、作れないだろう……。
黙り込む彼女を見て、そう考えていると。
どうやら、俺の視線に気がついたようで、眉間にしわを寄せる。
こちらをギロっと睨み、叫ぶ。
「つ、次よ! 確か小説では、お風呂に入っていたわよね!?」
「ああ……アンナの時は、あそこのジャグジーへ一緒に入ったな」
俺がそう言うと、マリアの整った顔がグシャっと歪む。
「アンナの時は……ですって!? まるで、あの女が上みたいな言い方ね!」
まずい。墓穴を掘ってしまった。
「いや、そういう訳じゃなくて……」
「フンッ! 私だってタクトを興奮させられるわ! 見てなさい!」
なんで、俺が年がら年中、発情期の動物みたいな扱いになってんの……。
※
小説というか……実際に昨年、起きた出来事を忠実に再現するため。
マリアは、奥にある更衣室へと向い、メイド服を脱ぐことに。
中に着ている、スクール水着になるようだ。
俺はと言えば、部屋の中央に向かって、ジャグジーの前へ立ち。
全ての服を脱ぐ。
生まれたばかりの姿ってやつだ。
これは、あの時。アンナがお風呂に入ろうと誘ってくれて。
俺が水着を持ってないから「バスタオルで腰を隠したら?」と言われたからだ。
当時のように、近くにあったタオルを手に取り、腰に巻いてみる。
良い感じで、股間を隠せたと思い。
可愛らしいハート型のジャグジーへと、お先に浸かってみる。
ジャグジーの裏には、ガラス越しに中庭が見える。
緑と花々が堪能でき、この中に入ったカップルは、そのまま……。
といきたいところだが、今回は無理だ。
相手は男……はっ!? 違う。アンナにそっくりだから、勘違いしていた。
マリアは正真正銘の女子だ。
そう思うと、なんだか緊張してきた。
~10分後~
「お、お待たせ……」
頬を赤くした金髪の美少女が、目の前に立っている。
今は、廃止されたスクール水着。1990年代初期のタイプ。
「ああ……」
その姿に、俺は言葉を失っていた。
透き通るような白い肌。細くて長い脚。
金色の長い髪は、お湯に浸からないよう、頭の上で一つに纏めている。
「私も入っていい?」
「もちろんだ」
少し身体をずらし、マリアが入りやすいように、余裕をあける。
すると、彼女の太ももが目の前を通り過ぎていく。
横から見ただけだが……。生まれて初めて、女の子の股間を直視したような気がする。
意外と、ふっくらしているんだな。
ちょっと待てよ!?
アンナがスク水を着た時は、かなりお股に食い込んでいたのに、ツルペタだったぞ!
男なのに……。
だが、女のマリアがふっくらしているだと。
何故だ……取材だからと、ヌードになってもらい、確認するのは、無理だ。
「う~む」
ひとり、唸りながら、考え込んでいると。
お湯に浸かったマリアが、自身の胸を手で隠していた。
そして、眉間にしわを寄せる。
「ねぇ、さっきからずっと、視線が怖いのだけど? 私の大事なところばかり見てない?」
「あ、いや……そのキレイな肌だなと思って」
笑ってごまかそうとしたが、鋭いマリアには感づかれてしまう。
「タクト。ひょっとして……アンナと比較してるの?」
「そ、それは……」
ここで嘘をつけば、絶対あとでブーメランが返ってくる。
本当に思ったことだけを、言葉にしよう。
俺は人差し指を立てて、豪快に叫んだ。
「マリアのお股って……けっこう膨らんでいるんだな!」
これなら、褒めていることになるだろう。
「……タクト。極めて、不快なのだけど。じゃあ、なに。私がデリケートゾーンに、気を使っていない女子だと言いたいの?」
怒らせてしまった。
「す、すまん」
「フンッ!」
どれが、正解だったんだろう。
にしても、なぜアンナのお股は、ツルペタだったんだ?
わからん……まさか、マリアの方が男なのかな。
※
最初こそ、会話というか。口ゲンカをしていたが。
しばらくすると、マリアは黙り込み、視線を合わせてくれなくなった。
俺は怒っているからだと、思っていたが。
全然、目を合わせてくれない彼女に、もう一度謝罪を試みる。
「なあ。マリア悪かったよ……そろそろ仲直りしてくれないか?」
「……」
視線は、ずっと湯船の中。
顔を赤くして、返事もない。
「おい、どうしたんだ? 風呂の湯加減が悪いのか?」
「……」
全然話してくれないので、俺は敢えて彼女に身を寄せ、顔を覗き込む。
すると、マリアは何を思ったのか、自身の顔を両手で隠してしまった。
「こ、こっちへ来ないで!」
強気な彼女にしては、随分と弱々しい声だった。
「へ?」
「わ、悪気はないのよ……でも、どうしても無理なの!」
「なにがだ?」
「タクトのお股!」
「え……」
彼女に言われて、自分の股間を確認したが。
タオルはちゃんと腰に巻かれている。
はみ出ていない。
なのに、マリアはこれに拒絶反応を起こしている。
「マリア。どういうことだ?」
「わ、私……パパの股間すら、あまり見たことがないの! だから、いくらタオル越しとはいえ。タクトのお股があると思うと……恥ずかしくて、直視できないわ!」
「そうなんだ……」
普段から積極的な彼女だから、もっとグイグイ来るのかと思ったが。
中身はめっちゃピュアな女子だった。
この反応が普通なんだろうな。
アンナは、あくまでも女装男子だから……。
去年、一緒にアイツと仲良くお風呂へ入ったけど。
あの時はめっちゃ楽しくて、興奮できたな。
俺がバグっているのかな……。
ラブホテルまで、俺を連れ込んだマリアだったが……。
肝心のドキドキさせる映像は、見せられずにいた。
むしろ、ピュアで奥手な女の子と感じる。
まあ俺的には、好感を持てるタイプだけど。
マリア自身は己の不甲斐なさに、憤りを感じているようだ。
肩を小刻みに震わせて、碧い瞳に涙を浮かべている。
「……ぐすん。せっかくタクトと二人きりなのに、何も出来ていないわ。記憶の改ざんが……」
まだこだわっているのか?
確かに、アンナのコスプレパーティーを越える記憶は、作れていないが。
童貞の俺が、ラブホテルへ3回も来ている時点で、充分レアな思い出だと思うけど?
ベッドの上で、バスローブを纏ったマリアが座っている。
かなり落ち込んでいるようだ。
俺は少し距離を取り、近くの冷蔵庫からブラックコーヒーを取り出して、喉を潤わせる。
何とも気まずい空間だ。
これが、あと半日以上あると思うと、苦でしかない。
別に俺が、マリアを無理やり襲ったわけでもないのに……なぜか罪悪感が残る。
※
コーヒーを飲み終え、ゴミ箱へ空き缶を持って行こうとしたら、急にマリアが顔を上げる。
「そうだ! タクト、あれならできるわよ!」
と自身の胸を叩くマリア。
「アレ? なんのことだ?」
「ふふん。きっとこのテクニックは、ブリブリアンナじゃ出来ないわよ」
妙に自信があるな。
まあ、元気が出たことは良い事か。
「なにをするんだ?」
「それはね……抜くのよ! タクトの太いのを、思い切り!」
俺は、マリアがラブホテルへ来て、頭がおかしくなったのかと思った。
「抜くって……お前。まさか……」
「そのまさかよ! 私の指ってすごいんだから! 必ずタクトを抜きまくって、気持ち良くさせてあげるわ!」
「ウソ……」
急に下ネタ全開になったマリアを見て、言葉を失ってしまう。
俺とは対照的に、彼女は興奮気味に語り始める。
「タクトって最近、抜いてないでしょ?」
「あ、いや……人並みには……」
「ウソよ♪ 顔を見たら分かるわ。そういうことは、女の子に任せるものよ♪」
初めて聞いたんですけど。
自家発電は、己が手でするから、って意味だと思うんだけど。
女の子がしてくれるものなの?
「そ、それはダメだ……俺たち、まだそういう関係じゃ……」
優しく断ろうとしたが、マリアは首を横に振る。
「いいえ! 絶対に抜かせて。大丈夫、痛くしないわ! 私、こう見えてたくさんの人を、抜きまくっているのよ」
まさかのビッチ発言である。
「なんで……?」
「パパがよく言うのよ。『マリア。そろそろ抜いてくれ』って。だから、私が毎晩抜いてあげているの♪」
「……」
俺以上に、ヤバい家庭がいた!?
~20分後~
「どう? タクト。気持ち良いでしょ?」
「あ、ああ……」
確かにマリアのテクニックは、最高だった。
ベッドの上で、膝枕をしてくれる神対応。
そして、銀色の道具を手に持ち、俺の額に触れる。
ブツン……と何かが引きちぎれる、音がした。
最初は痛かったけど、しばらくすると、気持ち良く感じられるようになった。
なんだか、眠たくなってくる。
確かに、これは昇天すると言っても、過言ではない。
「もう~ タクトったら、相当溜めてたわねぇ? 抜きがいがあるってもんだわ♪」
そう言って、ピンセットで俺の眉毛を抜く。
彼女が表現する「抜く」とは、毛を抜くことだ。
俺が想像していたような、卑猥な行為はなにもない。
マリアのパパさんが、夜な夜な抜いてほしいと、リクエストするのも分からんでもない。
だって、気持ちが良いもの。
「ねぇ、タクトって眉毛を抜くの、初めてでしょ~」
「ああ……こんなに気持ちが良いなんて……うっ!」
最初こそ、チクッと痛みが走るけど。
その後の快感ったら、やめられない。
「ほぉら、見てごらんなさい。こんなに溜めていたのよ♪」
そう言って、手の甲を見せてくれる。
彼女の白い手に、たくさん並ぶ眉毛たち。
黒い毛虫みたいで、気持ちが悪い。
「うわっ……」
「男の人って、眉毛あまりいじらないものね。今度から定期的に、私がメンテしてあげるわ♪」
「ああ……」
この時、俺は半分以上、意識がなかった。
眠たくて仕方がなかった。瞼が重たい。
気がつけば、夢の中へと入っていた。
『あはは☆ タクト~ こっちだって~☆』
お花畑の前をミハイルが走っている。
デニムのショートパンツを履いていた。今日もその小尻がたまらない。
俺は一生懸命、彼の元へ追いつこうと必死だ。
『ま、待てよ。ミハイル!』
『嫌だよー! だって、タクトが悪いことしてるもん!』
『悪いことってなんだよ?』
急に立ち止まるミハイル。
俺はやっとのことで、彼の元へたどり着く。
そして、ミハイルの肩を掴んだ瞬間。
彼の姿が、一瞬にして変わってしまう。
『タッくん……なんでラブホテルへ、マリアちゃんと行ったの?』
女装したアンナに変身していた。
顔色が悪く、自慢のエメラルドグリーンは輝きを失せている。
『そ、それは……』
『なんで、アンナとミーシャちゃんを裏切ったの?』
『違うんだ……聞いてくれ!』
必死に弁解しようとするが、アンナは静かに首を横に振る。
そして、幽霊のように、ゆっくりとその姿が透明になり、消えて行く。
『待ってくれ! アンナ!』
俺が止めても、彼女は黙って背中を見せる。
最後に一言だけ、アンナはこう呟いた。
『ごめん。もう無理かも……』
「待てっ! アンナ!」
宙に手の平を伸ばし、彼女を引き留めようとした。
しかし、目の前にあるのは、見慣れない天井。
そうだ……今は、マリアとラブホテルへ来ていたんだ。
眠っていたのか?
とりあえず、身体を起こそうとしたその時。違和感を感じる。
両腕がベッドの柵に、縛られていたからだ。
それもドラマで見るような、銀色の手錠。
「誰がアンナですって?」
声の方向に視線を合わせると、鬼の形相でこちらを睨んでいるマリアがいた。
しかも、俺の股間の上にまたがっている。
完全にマウントを取られていた。
「えっと……これは、なんのプレイ?」
一体、このあと。俺はどうなるんだ。
処女の次は、童貞を奪われるのか……。
「タクト……あなたったら、いつもいつも。アンナのことしか、考えていないの!?」
文字通り、俺にマウントを取ったマリアが、上から睨みつける。
逃げたいところだが、両手が手錠で拘束されているため、身動きがとれない。
脚は、自由に動かせるようだが……。
この手錠を外さないと、どうにもならない。
「ま、マリア……この手錠を外してくれないか? なんで、こんなことをするんだ?」
「絶対に嫌よ! あなたが……あなたが悪いんじゃない! う、うわぁん!」
怒ったと思ったら、急に泣き出した。
一体、どうしたんだ?
普段から強気の彼女にしては、珍しい。
「ヒック……」
「泣いているのか?」
「私だって……女の子なのよ……」
そう言うと、マリアは俺の胸に飛び込む。
きっと泣いている顔を、見せたくないからだろう。
「マリア。すまんが泣いている……傷ついた理由を教えてくれないか? 説明してくれないと分からん」
「ばかっ! 気がついてよ。私の気持ちに……」
そんなエスパーじゃないんだから。
分かるかよ……。
※
しばらく、俺の胸で泣き続けるマリアだったが。
落ち着きを取り戻したようで、顔を上げると、枕の上にあったティッシュボックスを手に取る。
鼻をチーンとかみ、涙も拭く。
まるで、子供のようだな。
俺は手錠をかけられているから、一切手を貸せないが。
丸めたティッシュをゴミ箱に投げ捨てると、マリアは再び、俺の元へ戻ってきた。
俺の腹に跨り、ゆっくりと腰を曲げる。
「タクト。私、正直悔しいの」
「へ?」
優しく俺の頬に触れるマリア。
両手で大事そうに撫でる彼女は、とても穏やかな顔つきだ。
「あの女。アンナよ。私だって、あなたに認めてもらうため。手術だって、美容だって……それこそ、ペドフィリア体型を維持するのには、苦労したわ」
「……」
まだその体型を維持しているのか。
あんまり無理すんなよ。
「帰国してタクトが小説家として、デビューしたから。すぐ結婚できると思ったのに。気がついたら、私そっくりのヒロインがあなたを奪った……」
「いや、アンナは、ちょっと違う理由で……」
と言いかけている最中に、マリアが叫ぶ。
「それよ! どう考えてもタクトの中で、特別な存在になっているもの!」
「……」
しまった。ここは黙って彼女の考えを聞くべきか。
「悔しい……。うらやましいとも思っているわ。だって……どんなに頑張ってもあんなこと、私にはできないもの」
そう言って、指をさした方向には、先ほどまで着ていたメイド服とスクール水着が。
まあ……マリアの性格じゃ、無理だろうね。
「私だって、アンナみたいに素直な性格だったら……きっとタクトを夢中にできるんでしょうね」
気がつくと、マリアは自身の額を、俺の額に重ねていた。
彼女のおでこから、熱を感じる。きっと泣いたからだろう。
目の前に二つ並ぶ、ブルーサファイア。
なんてキレイな瞳だろう。
「絶対、あなたを奪われたくない……私にとって、タクトはヒーローだもの……」
と言いかけたところで、瞼を閉じるマリア。
「おい。マリア?」
「……すーすー」
寝ちゃったよ。
ていうか、このあと俺は一体どうしたらいいの?
手錠があるし、マウントを取られた状態なんだけど。
~3時間後~
あれから、マリアはすぐ俺から離れてくれた。
いや正しくは、転げ落ちたと言うべきか。
なぜならば、マリアの寝相は相当に酷かった。
今も俺の隣りで、ゴロゴロとベッドの上で運動会を繰り広げている。
左右に行ったり来たり。
「ぐはっ!」
真ん中で寝ている俺の身体目掛けて、全身でタックルされる。
ミハイルと同等の馬鹿力だから、既に俺の身体は青あざでいっぱい。
その痛みに耐えるのも、怖いが。
彼女の寝顔も呪いがかかったようで、恐怖しかない。
白目をむいて、口を大きく開けている。
起きているわけじゃないのに、瞼が全開でホラー映画のようだ。
「すーすー……」
寝息が聞こえてくるので、やはり夢の中だろう。
マジで怖いよ。マリアの寝顔。
※
一睡も出来なかった。
マリアの寝相によるタックルも痛かったが、何回か脚をバタバタとさせて、かかと落としを食らったから……。
寝ているからわざとじゃないが、股間ばかり狙われた。
あまりの激痛に、泡を吹き出すところだったぜ。
ラブホテルでは、プライバシーを守るため? なのか。窓は全て謎の板で覆われている。
そのため、外の景色は確認することができない。
だが、きっと夜は明けているだろう。
外から、ゴミ収集車の「グイーン」という機械音と、作業員の声が聞こえてきた。
隣りで白目を向いているマリアに声をかける。
「おい、マリア! いい加減、起きろ! もう朝だぞ!」
何度か彼女に声をかけたが……なかなか起きてくれなかった。
憶測だが、マリアも一応、社長だ。
また徹夜で仕事を頑張っていたのかもしれない。
「……う、うぅん」
ようやく気がついたようだ。
しかし、まだ瞼は全開で、白目。
怖すぎ!
「マリア。朝だぞ。そろそろ起きて手錠を外してくれ! トイレにも行きたいし」
「あ、タクト……ごめんなさい。私ったら、寝ていたのね」
ここで、白目がぐりんとブルーサファイアへと入れ替わる。
意識を取り戻したマリアだったが、昨晩、取り乱したことを今更になって、恥ずかしくなったようだ。
頬を赤くしたと思ったら、枕を抱えて、顔を隠してしまう。
「た、タクト。私の寝顔とか見た? よだれとか垂らしてない?」
そんな可愛らしい女の子じゃなかったよ。
ホラー映画を見ているようだ……とは言えんな。
「ああ……よだれなんか、垂らしていなかったぞ」
俺がそう言うと、ホッとしたようで、嬉しそうに微笑む。
「良かったぁ。タクトにそんな恥ずかしいところを見られていたら、お嫁にいけないもの」
「……」
結構すごいものを見せてくれたよね。
じゃあ、もうお嫁に行けなくていいのかな?