時が流れるのも早くて……今年、2020年も終わりを迎える。
今日は、12月31日。大晦日だ。
クリスマス・イブをアンナと仲良く過ごし、学校は冬休みで、仕事も無い。
毎日家の中で、だらだらと過ごしていた。
だが、母さんだけは何時になく、忙しそうだ。
母さんが経営している、美容院のせいではない。
もう年末だから、お店は休み。
プライベートなことだ。
俺にとって、その姿は毎年恒例のことだが……。
推しのサークルの情報を、インターネットで仕入れ。
卑猥な薄い本を、同人販売サイトで大量に予約。
これだけでも、数十万円は溶かしている。
しかし、母さんのBLに対する情熱は、とどまることがなく。
推してなくても、新規のサークルや同人作家を漁りまくるのだ。
新たな芽は潰す。のではなく、愛でる。
これが母さんのモットーだ。
年末年始に、美容院を休むのは、家族といるためではない。
同人誌を漁るために、店を閉めるのだ……。
リビングでノートパソコンをカチカチといじる母さん。
眼鏡を光らせ、笑みを浮かべている。
「ふふふっ……今年の冬も期待のルーキーちゃんがいっぱいね。ポチっておくわ♪」
俺はただコーヒーのおかわりを、マグカップへ注ぎに来たのだが。
嫌なものを見てしまった。
相変わらず、目がガンぎまっていて、麻薬中毒者のよう。
恐ろしい。
きっと徹夜で、BLを漁っているからだろう。
こういう時の母さんは怖いので、声はかけず。コーヒーポットからマグカップに注ぎ、黙って立ち去る。
自室に戻り、机の上にマグカップを置く。
机の上に置いているモニターを、眺める。
今年はアホみたいに、写真や動画を撮ったから、フォルダーを分けるのに苦労する。
まあ主に、アンナのものだが。
しかし、1枚だけ例外がある。
それは……この前、彼に頼んで、学校内で撮ったものだ。
廊下の壁にもたれ掛かり、こちらへ潤んだ瞳を向ける金髪の少年。
古賀 ミハイル。
たった1枚しか、撮れなかったが……。
俺は時々、この写真をクリックしてしまう。
画像を拡大し、彼の美しいエメラルドグリーンへ吸い込まれそうになる。
アンナの写真を眺める時よりも、なぜか恥ずかしい。
妹のかなでは、現在、受験勉強による疲労から、二段ベッドの下で爆睡中。
今なら、人の視線を気にせず、彼を眺めることが出来る。
なぜだろう……。
この写真を眺めていると、すごく落ち着く。
あいつが俺の隣りで、笑っているような……。
男が野郎の写真をずっと眺めているなんて、気持ち悪いよな。
でも、かれこれ2時間も、モニターに映るミハイルを見つめていた。
その時だった。
机に置いていたスマホが振動で、カタカタと音を上げる。
思わず、ビクついてしまう。
着信名は、先ほどまで見つめ合っていた相手だ。
「もしもし?」
『あっ、タクト☆ 今なにかしてた?』
彼の問いに、悪意は感じないが。
今もモニター越しに映る彼を見つめているため、罪悪感みたいなものを感じる。
「べ、別に……何もしてないぞ?」
『そうなんだ☆ あのさ、後で真島に行ってもいいかな?』
「え? いいけど、どうしてだ?」
『あのね、今お正月の料理を作ってるの☆ お雑煮とか、おせち料理とか』
「ほう。大変だな」
『毎年やっていることだから、大丈夫だよ☆ タクトん家はおせち料理、お母さんが作んないの?』
もちろん、この質問も悪意はない。
我が家が逸脱しているから、こんな世間話も出来ないだけだ。
「母さんはおせちとか、作らないよ。昔は作っていたんだがな……今は同人サイト巡りで、それどころじゃないんだ」
言っていて、めっちゃ恥ずかしい!
『ふ~ん。じゃあ、オレが作ったのを、持って行っても良いよね?』
「へ?」
『夕方ぐらいにそっちへ持って行くから☆』
「いや……それは悪いよ」
断ろうとしたが、ミハイルに「大丈夫だよ」と笑われた。
『それよりさ、タクトってお雑煮に“かつお菜”は、入れるタイプ?』
「か、かつお?」
お雑煮に、かつおだと……。
かつお節か、それとも、カツオのたたきか。
う~む。なぜお雑煮に入れるんだ? わからん。
『かつお菜だよ☆ 福岡なら入れる家が多いでしょ?』
「へ? かつお、な? 初耳だ、知らん」
『なんで知らないの!? 福岡に住んでいるなら、タクトも知っておきなよ!』
めっちゃ怒られた。
意味が分からん。
「すまん。母さんが10年以上、お雑煮とか作らないから、覚えていないんだ。とりあえず、ミハイルが美味いと思うなら、入れてくれ」
俺がそう言うと、彼はすごく嬉しそうだった。
『ホント!? じゃあ、入れておくね☆ 全部作ったら、また連絡するよ☆』
「おう……」
通話を終了した後も、しばらく俺の脳内は、カツオでいっぱいだった。
餅とカツオの刺身を挟んで、汁にぶち込むのだろうか?
分からん……。
ミハイルと電話で話してから、数時間経った。
もう18時を越えたから、窓の向こう側は暗くなっている。
真冬だし、この時間帯でも、夜に近い。
心配になって、彼に電話をかけてみるが。
何度かけても出てくれない。
なんか嫌われること、したかな……。
首を傾げながら、自室のテレビをつけてみる。
『それでは、今年もこれで終わりです! タウンタウンが送る。絶対笑えTV二十四時間!』
もう、そんな時期か……。
去年は、一ツ橋高校に入学するため、中学校の教科書で猛勉強していたから、見られなかったもんな。
結局、願書を出して、すぐ合格したから、意味がなかったんだけど。
ボーっとお笑い番組を眺めていると、部屋の扉がガチャンと音を立てて開く。
振り返ると、そこには、妹のかなでが立っていた。
連日の受験勉強で、顔色が悪い。
かなで曰く、勉強するのは苦ではない。
それよりも男の娘同人ゲームを、封じられていることが、何よりも辛いそうだ。
頬もこけている。
「おにーさま……ちょっといいですか?」
力ない声だった。
ここまで来ると、さすがに兄として、心配だ。
「おお……大丈夫か? かなで」
「え? なにがですの? かなでのことなら、問題ありません。脳内で男の娘をぐっしょぐっしょに濡らして……股間のタンクが無くなるまで、撃ちまくっていますわ」
「そ、そうか……」
禁断症状から、いつか近所のショタッ子に手を出さないか、不安だ。
無理やり、女装させたりとか……。
「それで、俺に用ってなんだ?」
「あ、そうでしたわ。お客様がお見えですよ」
「え? 俺にか?」
「はい……ミーシャちゃんです」
「なっ!?」
それを聞いた俺は、部屋から飛び出す。
リビングを通り抜け、急いで階段を駆け下りた。
店は閉めているから、裏口の扉を開けると、一人の少年が立っていた。
ニコニコと微笑んで、俺の顔を見つめる。
「タクト! 持ってきたよ!」
「み、ミハイル……」
両手には、大きな風呂敷で包まれた圧力鍋。
そして背中には、これまた巨大なリュックサックを背負っている。
クリスマス・イブを一緒に過ごしたアンナの時とは違い、服の色合いが落ち着いている。
黒のショートダウンに、ブラウンのショートパンツ。
足もとは、スニーカー。
アンナの時の方が可愛いのに、なんなんだ? このときめきは……。
ギャップ萌え、とでもいうのか?
それにショートパンツの素材がフェイクレザーだから、以前学校で触れなかった悔いがある。
このまま部屋に連れ込んで……いや、ダメだ。
理性を取り戻すんだ、俺。
素のミハイルに見惚れていると、彼が距離をつめて、俺の顔を覗き込む。
低身長だから、自然と上目遣いになる。
「どうしたの? タクト?」
相変わらず、エメラルドグリーンの瞳が輝いて見える。
「うう、その……」
「なんか調子悪いの?」
更に顔を近づけて、俺の目をじっと眺める。
わざとやっているわけじゃないから、俺の方が負けてしまう。
クソ。だから、ミハイルモードは嫌いなんだ……。
恥ずかしさを紛らわすため、彼の持っているものを指差す。
「なあ、ところでその鍋がお雑煮か?」
「ん? あ、そうだよ☆ かつお菜がちゃんと入っていて、お餅もたくさん入れたからね☆ お母さんとかなでちゃんも、みんなで食べてよ☆」
「そうか。悪いな」
魚のかつおをぶち込むのが、福岡流なんだな。
よく分からんが……。
ミハイルから鍋を受け取って、とりあえず、店のローテーブルへ一旦置くことにした。
持ってみたが、かなり重たい。
5人分はあるんじゃないか?
よく持ってきたな……。
「ところで、なんで電話に出てくれなかったんだ?」
俺がそう言うと、「あ、いけない!」と言って、慌て出す。
「ごめん! オレが料理するのに結構、時間がかかってさ……。タクトに色々食べて欲しかったから、いろんなものを作ってたら、スマホも気がつかなくて」
「そういうことか……なら、気にするな。じゃあ、後ろのリュックにもあるのか?」
彼のリュックサックを指差すと、ミハイルは嬉しそうに微笑む。
「そうだよ☆ 待ってて、今出すから!」
お雑煮だけでも、充分嬉しかったのだが……。
料理が得意なミハイルだ。
俺の想像を超える料理の数々が、リュックサックから飛び出てくる。
「まずはおせち料理ね、ハイ☆」
とスナック感覚で、重箱を取り出すミハイル。
三段だろ、これ? 買ったら相当するだろ……。
「あと、タクトって、“ぬか漬け”は食べられる?」
「へ?」
「だから、ぬか漬けだよ。知らないの?」
「いや。知ってはいるが……」
「じゃあ、好きなの?」
「まあ……」
俺がそう答えると、ミハイルは手を叩いて喜ぶ。
「良かったぁ☆ ぬか漬けをたくさん持ってきたから、食べてくれる? きゅうりとナスにニンジン。ピーマンも入れたよ☆」
おばあちゃんかよ……。
なんで、16歳の男子高校生が、ぬかに漬けていやがるんだ?
「お前が漬けたのか?」
「そうだよ? 死んだかーちゃんから、ずっと受け継いでる“ぬか”なんだ☆」
「えぇ……」
重い! そんな死んだお母さんの分まで、想いが込められているなんて。
食いづらい。
「あとね……」
まだあるの? もういいよ。
「黒豆と“がめ煮”を作り過ぎちゃったから、おすそ分けね☆」
そう言って、大きな深皿を2つ取り出す。
ミハイルが作ってくれたお雑煮とおせち料理で、一週間分ぐらい過ごせそうな量だった。
ここまでしてくれて、俺もさすがに悪い気がしたので、「家にあがらないか?」と提案したが。
「ねーちゃんのおつまみを、作らないといけないから」
と断れてしまった。
料理だけ俺に渡すと、彼は「また来年ね~☆」と足早に、地元の真島商店街を走り去ってしまった。
今年最後だってのに、なんか寂しい別れ方だな……。
と思いながら、俺は彼のレザーヒップを、目に焼き付けるのであった。
ミハイルからもらった大量のおせち料理とお雑煮などを、複数回に分けて、二階へと持ってあがる。
こんなに豪華なお正月は、初めてだ。
最近の年末年始と言えば……母さんが料理どころじゃないから。
精々妹のかなでが、近所のスーパーで買ってきたオードブルぐらい。
テーブルの上に、全て並べてみたが。
「こ、これは……」
試しに重箱を開いてみたら、なんと煌びやかな料理が、ギッシリと詰まっていた。
数の子から田作り。たたきごぼうと紅白のかまぼこ。
だてまきに、くりきんとんまで。
それから、鯛の塩焼きに、大きな海老。
他にも、色んな野菜を使った酢の物や昆布などが、盛りだくさん……。
愛がっ……愛が溢れ出ている!
俺はそれに気がついた時、瞼が熱くなり、涙がこぼれそうになった。
だって、こんな人間味のある料理は、久しぶりだから!
母さんだって、こんなおせちは、作ったことないもん。
ありがとう、ミハイルママ!
大しゅき。
いかんいかん、あまりの感動から、幼児退行しそうになっちまったぜ。
※
明日というか、もう来年だが。ミハイルの料理を食べるのが、とても楽しみになってきた。
テーブルに並んだおせち料理を眺めながら、ひとり頷いていると……。
一階の方から、何やら物音が聞こえて来た。
なんだろう……と階段の方を覗き込むと。
背の高い大きな男が、のしのしと音を立てて、階段を昇って来る。
泥棒かと思ったが、違う。
半年ぶりの再会で驚きはしたが。
「親父……」
「よう、タク! 元気してたか?」
久しぶりに会った親父は、相変わらず、汚かった。
黒く長い髪を首元で結っているが、汗でベタついている。
くたびれた皮ジャンに、色あせたジーパン。
つぎはぎの肩掛けリュックを背負って、ニカッと笑っていた。
忘れていた。
このニート親父が、年末年始に帰宅することを。
※
「おろ? この料理は琴音ちゃんが作ったのか」
そんな訳ないだろ! と叫びたかった。
しかし親父は、あまり母さんの“そういう姿”を見たことがない。
ちゃんと説明しないとな。
「違うよ。ダチが……その、俺のために作ってくれたんだ……」
なんか言っていて、すごく恥ずかしかった。
「タクのために? どうして野郎同士で、こんな愛のこもった料理を作るってんだ?」
「うぅ……それは」
返答に困っていると、親父は急にリュックを投げ捨て、俺の肩を強く掴んだ。
そして、俺の顔をじっと見つめる。
普段のチャラついてる親父とは違う。とても真剣な眼差しだ。
「タク。お前、ひょっとして……」
何かを言いかけたところで、廊下の奥から母さんが現れた。
「六さん! 帰っていたの!?」
母さんも一人の女性だ。
毎晩、BLで寂しさを紛らわしていたのだろう。知らんけど。
親父を見るや否や、愛する旦那様の胸に飛びつく。
それを見た親父も優しく頭を撫でて「ただいま」と囁く。
母さんは、親父の胸の中で涙を流しながら「おかえりなさい」と答えた。
なんだかな……こういうのは、息子の前でやって欲しくないね。
※
母さんがまだ親父に甘えようとしていたが、珍しくそれを断る。
「悪い、琴音ちゃん。ちょっと、タクと大事な話があるんだ」
「え? タクくんと?」
「ああ。男同士、裸の付き合いってやつさ。風呂沸いているかい?」
「ええ……沸いてますけど。お風呂なら、私と一緒に入ってくださいよ」
とアラフォー女子が、唇を尖がらせる。
「まあまあ、二人の時間はあとでたっぷりね。琴音ちゃん♪ それにお風呂でキレイにしないとさ」
「やだぁ~ 六さんたらっ!」
そう言って、母さんは親父の頬を軽くペシっと叩く。
ごめんなさい。
とても、しんどいのでこの場から早く離れたいです。
結局、なんでか知らないが、親父が言うので。
二人で一緒に、お風呂へ入ることになった。
※
狭い脱衣所だ。
大きくなった俺と親父が二人で服を脱ぐだけでも、お互いの肌がぶつかってしまう。
ふと、親父の背中を見ると、傷だらけだった。
なんだかんだ言って、このおっさんもヒーローだってことを痛感する。
その分、自分の家族が苦労しているんだが。
親父の後ろ姿を眺めていると、視線に気がついた六弦が、目を丸くした。
「どうした? そんなに俺のおてんてんが、気になるか?」
「そんなわけあるか!」
ミハイルのなら、別だがな。
怒りを露わにする俺を見て、ゲラゲラ笑い始める。
「ハハハッ! 相変わらず、タクはおもしれぇな!」
「どこがだよ!?」
軽く身体を洗い終えると、湯船に浸かる。
それは別に、普段と変わらないんだけど……。
親父の野郎が、目の前に座っている。
つまり狭い湯船に男たちが、仲良くつかっているということだ。
おかしくね?
「親父……話ってなんだよ」
俺から切り出してみた。
「そのことだが……タク、お前。童貞、捨てたろ?」
いきなりそんなことを言われたので、大量の唾を親父へ吹き出してしまう。
「ブフーーーッ!」
息子に唾を掛けられても、怯むことなく。真剣な眼差しで、俺を見つめる。
どうやら、答えが知りたいらしい。
「タク。今のお前を見て、すぐに分かったんだ。童貞を捨てた時の俺と、同じ顔をしている」
えぇ……。
捨ててないけどなぁ。
親からすると、そんな風に見られているのか?
「い、いや……捨ててないよ?」
視線は逸らしたまま答えた。
「んん? その顔つきで童貞だと? 嘘くせぇな。じゃあアレか? キスとかハグとか?」
鋭い!
全部当たってる。でも、相手はミハイルなんだよ。
言えるか……男としただなんて。
「そ、それは……」
言いかけたところで、親父が急に笑い始めた。
「ハハハッ! 悪い悪い! タクも18歳だよな? そんな年頃だろう。野暮なことを聞いてすまん」
「なんなんだよ、いきなり……」
「悪いって。思い出したんだよ。俺と琴音ちゃんが、初めて出会ったあの頃を」
「へ?」
照れくさそうに、鼻を人差し指で擦りながら、話し始める。
「俺は東京生まれでさ。中学校を卒業した後、日本中を旅していてな。日雇いのバイトで食いつないでたのよ。その時、たまたま博多駅で女子高生に一目惚れしてな」
なんか急に語り出したけど。まさか……。
「その時に口説いたら、琴音ちゃんが『腐女子ですけどいいですか?』って言うから。関係ないねって、駅前のラブホテルに連れ込んでさ」
えぇ……。
「俺も童貞だし、琴音ちゃんも初めて。それでお互い燃え上がって、出来たのが。お前だ。タク」
「……」
絶対に聞きたくないエピソードだった。
「ところで、ラブホテルの前にあったラーメン屋って、まだあんのかな? 夜明けに琴音ちゃんと食ったら、まあ美味くてよ。また行きてぇな」
こいつが18年前にやったことを、息子の俺が。繰り返していたなんて。
認めたくない!
「うまい……」
新年初めて、口にしたのは暖かい汁。
ミハイルが作ってくれたお雑煮だ。
魚のかつおなど一切、入っておらず。
彼が熱弁していたものは、福岡県の特産野菜で。
かつお菜という、緑色の小松菜みたいなものだ。
ひと口食べてみたが、特に辛くもないし、苦くもない。
だが、風味というか……だしとして、良い野菜だと感じる。
気がつくと、頬から涙が溢れ出る。
「こんな……優しい料理は、久しぶりだ」
愛情たっぷりのお雑煮と豪勢なおせち料理が、とても嬉しかった。
作ってくれたのは、男だけど。
それでも、こんなに愛を感じる食事は、生まれて初めてだ……。
正月といえば、家族でおせち料理を囲み、みんなで仲良く喋りながら、ゆっくり過ごす。
そんなドラマみたいなお正月は、我が家にはない。
リビングで一人、ミハイルが用意してくれたお雑煮を暖めて、静かに食べる。
そばには、誰もいない。
妹のかなでは、受験勉強でダウン中。
久しぶりに帰ってきた親父だが……。
廊下の奥にある書斎で、一晩中『母さんの相手』をしている。
もう朝の10時だってのに、終わる気配がない。
こっちにまで、聞こえてくる始末。
「琴音ちゃん! 今年もよろしくぅ!」
「あああっ! あけおめっ、ことよろ~!」
なんて酷い新年の挨拶をしているんだ。この夫婦は……。
「最高だよ、琴音ちゃん! 18年前を思い出しちまうよ!」
子供を使って、興奮するとか最低な親父だ。
「六さん、私。もう……壊れちゃうぅぅぅ!」
とっくの昔に、壊れてるだろ。
この叫び声と激しい振動で、俺はろくに眠れなかった。
かなでも、うなされていたから、親父と母さんのせいだろう。
「あほらし……」
餅を咥えて、箸で伸ばしてみる。
久しぶりに食う雑煮だから、喉に詰まらせないよう、慎重に食べていたら。
テーブルの上に置いていたスマホが鳴る。
甲高い声で歌を唄うのは、アイドル声優のYUIKAちゃんだ。
年末に発売した新曲、『ピーカブースタイル』。
今回の曲は、なんとYUIKAちゃんがラップにチャレンジしている。
最高かよ。
と曲を楽しんでいる場合ではない。
着信名は、アンナだ。
「もしもし?」
『あ、タッくん! あけましておめでとう☆』
「おお……そうだったな。おめでとう。今年もよろしく」
我が家では、こんな新年の挨拶もしないので、動揺してしまう。
『うん、よろしくね☆ ところで、タッくんは今日、家族と過ごす感じ?』
「え、俺が家族と?」
『だってお正月だからさ。普通はみんなで一緒に初詣とか』
「ああ……そういう話か……」
アンナに指摘されるまで、全然思いつかなかった。
そうだよな。
普通の家族なら、みんなで初詣とかするもんね。
俺ん家が、おかしいんだよ。
赤ん坊の頃から、コミケに連れて行くような家庭だ。
1歳になった時。“選び取り”をさせられたらしいが。
普通は、そろばんとお金か、筆を選ばせるのに……。
お袋とばーちゃんのいたずらで、百合とBLの同人誌を並べられ。
見事、BLを掴んだという、写真を見せられた時は絶句した。
『もしもし、タッくん? 大丈夫、なんか息が荒い気するけど……』
電話の向こうで心配しているアンナが、想像できた。
「はぁはぁ……すまん。嫌な過去を思い出してしまったんだ」
『え? お正月にあまり良い思い出がないの?』
「ま、まあな。うちはちょっと変わっているから」
『ならさ。アンナと今日、いい思い出を作ろうよ☆』
「へ?」
『初詣に行こうよ☆』
「あぁ……初詣か。そうだな、行ってみるか」
俺がそう答えると、アンナは嬉しそうに笑う。
『やったぁ~☆ タッくんと初詣だぁ。お母さん達とどこかに行くんじゃないかって、不安だったから、嬉しいな☆』
「そんな気を使うなよ。アンナの頼みなら、いつでも大丈夫だ」
だって、うちの親だよ?
未だに廊下の奥から、喘ぎ声が止まらないんだ。
むしろ、すぐにでも家から飛び出たい。
正月からJRを使うのか……。
なんとも不思議な感覚だ。
ここ数年は、家にこもりきりで。
寝正月ばかりだった。
そんな俺が博多行きの列車に、乗り込むとはね。
地元の真島駅は普段と違い、とても静かだった。
平日なら、サラリーマンやOL。それから学生が多く。
通勤や通学に使われる。
しかし、今日はお正月だ。
みんな休み。だから、そんな暗いスーツや制服は着ていない。
むしろ、煌びやかな振り袖や、気合の入ったミニスカの女子が多い。
男子も普段と違う。
なんていうか、お洒落しているんだけど……。
利用している店が同じところだからだろう。みんな同じ服装に見える。
量産型男子……。
男はつらいね。選択肢が少なくて。
その点、俺は違う。
初詣に行くと、母さんに言ったら「じゃあこれを着て行きなさい」と着物を渡された。
話を聞けば、昔親父が着ていたものらしい。
紺色のウール製で、冬用だ。
羽織もセットでついており、なかなか暖かい。
足もとは、下駄。
これぞ、日本の男だ。と胸を張りたいところだが……。
実は今着ている着物は、俺のばーちゃんがデザインしたもので。
羽織の裏地に全裸の男たちが、汗だくになっているBLイラストが、プリントされている。
そして、羽織を脱いで背中を見せれば、絶頂している男子が……。
ああ……おぞましい。
だから絶対に、俺は家に帰るまで、この羽織を脱ぐことが出来ない。
※
ホームで列車を待っていると。
やはり、俺と同様にみんな初詣に行くようで。似たような格好ばかり。
振り袖を着ているのは、当然女の子たち。
しかし羨ましい。
だって、裏地に痛いBLがプリントされてないんでしょ?
うちがおかしいんだよな……。
そうこうしていると、列車が到着し。
プシューという音を立てて、自動ドアが開く。
中は思った通り、多くの人でごった返していた。
この中から、アンナを探すのかと迷っていたら。
「タッくん~! こっち、こっち~☆」
と一人の少女が手を振っていた。
アンナだ。
しかし、彼女の周りだけ、人が少ない。なぜだろう……。
あ、思い出した。
夏に花火大会へ行った時、アンナが乗客の大半を、馬鹿力でホームに押し出したから。
他の客が、避けているんだろう……。
少し離れたところで、ヒソヒソと耳打ちをしているカップルがいた。
(あの子、見た目あんなんだけど、マジでやばいよ。友達が夏に膝を怪我させられたの)
(マジかよ? 普通に可愛い女の子なのに)
(ホントだって! 膝の皮がめくれて、肉が見えてたんだよ!)
「……」
よく訴えなかったな。
とりあえず、アンナのそばに近寄ってみる。
「よ、よう……」
「タッくん☆ 良かった。一緒の列車で☆ あ、タッくんも和服なんだね☆」
「まあな……母さんが貸してくれたんだ。そういうアンナこそ、似合っているじゃないか?」
言いながら、彼女の着物を指差す。
「え、ホント?」
緑の瞳を輝かせて、微笑む。
今日のアンナは、普段と全然違う。
ガーリーなファッションを好む彼女だが、お正月だから和服。
鮮やかな赤の振り袖で、白い梅の花びらがたくさん描かれている。
長い金色の髪は、頭の上で纏めており。お団子頭ってやつだ。
足もとは、白い足袋と草履。
いつもミニスカートを履いているから、今日は露出度が少ない。
精々がうなじぐらいだ。
しかし、その見えない所が色っぽく感じる。
正直、後ろから襲いたいぐらいだ。
あ~れ~! って腰の帯を回してみたいのが、男ってもんだ。
俺が彼女の着物姿に、見惚れていると……。
「タッくん? どうしたの?」
「あ、悪い……その着物って、ひょっとして……」
「そうだよ、タッくんのおばあちゃんから頂いたもの☆ すごく可愛いよね?」
「うん……着物は可愛いし、似合っているんだけど」
1つだけ、違和感を感じさせるオプションがついていた。
彼女が手に持つ、小さなバッグ。
俺が隠している羽織の裏地と同じく、裸体の男たちが激しい絡みを、繰り広げていたからだ。
ばーちゃん、なにしてくれてるんだよ!
人の女に変なものを、送りつけやがって……。
「そのバックは……」
「あ。これ、すごく便利なの~☆ 着物に合わせるバッグが無くて、タッくんのおばあちゃんに相談したら。すぐに送ってくれたのぉ~」
俺のばーちゃんに、相談したらダメだよ。
「そ、そうなんだ……」
「スマホもお財布も入って、着物に似合うし。ホントにいいおばあちゃん☆」
「……」
あのババア。アンナも沼に落とす気じゃないだろうな?
よし、初詣の願い。決まったぜ。
『早くばーちゃんも、枯れますように』
これだな。
『次は、箱崎~ 箱崎駅です』
車内からアナウンスが流れ、目的地へ着いたことに気がつく。
乗客の大半が、初詣だったようだ。
それもそのはず。俺たちも筥崎宮を目指しているからだ。
福岡県における三社参り。
学問の神様で全国的にも有名な太宰府天満宮。
それから、近年若者から人気を得ている、宮地嶽神社がある。
なぜ、若者から人気かというと……。
国民的なアイドルグループが、ここでCMを撮影した際。
その日は天気が悪かったにも関わらず。5人のメンバーが神社の参道を歩いた瞬間。
近隣の海岸から、眩い光りが差し込み。
ちょうど神社までの一本道を、神秘的な光景に変えてしまった。という伝説がある。
そのため、CMを見たファンや若者が殺到し、お正月とか関係なく。
平日でも多くの人で、賑わっている。
またパワースポットとしても、人気だ。
だから、宮地嶽神社と迷ったが、三つ目の筥崎宮を選んだ。
博多に近く、駅からも近い。
あと、出店が多いことも、狙いの一つだ。
大食いのアンナには、嬉しいことだろう。
と、駅から降りて、アンナに三社参りの意味や、神社の情報を説明したが。
聞いている本人はチンプンカンプンのようだ。
「えっと……今から行くのは、太宰府?」
「違うよ。筥崎宮」
「アンナ、違いがわかんない~ 福岡の歴史って、難しい~」
散々、かつお菜のことで、熱く語ったくせに。
興味がないものは、全然知識に入れないのか。
※
駅から10分ほど、歩いたところで目的地へたどり着く。
筥崎宮だ。
幼い頃に母さんと何回か来たことはあったが……。
元旦に来たことはない。
大勢の人々で、賑わっており。
境内に入ってみたが、どこも行列ばかりで、全然前へ進む気配がない。
たぶんアルバイトの神子さんだと思うが、プラカードを持って立っている。
『本殿に着くまで、約45分』
「マジかよ……そんなに待たないと行けないのか」
お賽銭して、お祈りするだけだってのに、1時間も拘束されるのかよ。
長すぎだろ。
深いため息をつくと、隣りに立つアンナが優しく俺の手を掴んだ。
「タッくん☆ 初詣、楽しみだね☆」
テンションの低い俺とは違い、アンナは笑顔だった。
「え?」
「だって……今年初めてを、タッくんと迎えられたんだよ? これ以上、嬉しいことはないと思うな☆」
「そ、そうだが……1時間も立って待つんだぞ? 苦じゃないのか?」
「全然、嫌じゃないよ☆ どんなところでも、タッくんと一緒にいることが大切だよ☆ それにその1時間は、こうやって手を繋ごうよ☆ 恋人ぽいでしょ?」
そう言って、繋いだ手を宙に浮かせてみる。
「ま、まあ……そうだな……」
頬が熱くなるのを感じた。
アンナの言う通りかもしれない。
この待機時間こそ、恋人同士の甘いひととき……かも。
~約1時間後~
やっと、俺たちの番になった。
とりあえず、千円札を取り出し、賽銭箱へ投げ込む。
そして、鈴を鳴らしてみる。
しばらく来ていないから、祈り方を忘れてしまった。
周りの人を見ながら、真似てみる。
ふと、アンナの方を見てみたが。既に瞼を閉じ、手を合わせていた。
ハーフの美少女が、和服姿なので、自然と絵になる……。
見惚れている場合ではなかった。
俺も瞼を閉じて、お祈りを始める。
「……」
願い。
今の俺には、そんなもの見当たらない。
ミハイルとアンナのおかげで、書籍化やコミカライズも出来たし。
一ツ橋高校に入学して、色んな奴らとダチになれた。
これ以上、俺が望むものなど……。
いや、一つだけあるか。
それは、今が無くなってしまうことだ。
『今年も一年間。ミハイルとアンナがずっと隣りに、居てくれますように……』
心の中で、そう願いを呟いた。
しかし、神様からの返答はなし。
ま、そりゃそうだろな。
と瞼を開くと、目の前に大きな緑の瞳が、じっととこちらを覗き込んでいた。
「うわっ!?」
「タッくん。お祈りが長かったね? そんなにたくさんあったの?」
どうやら、アンナの方が先に済ませたらしい。
「いや……俺の願い事は一つだけだよ」
そう答えると、アンナはパーッと顔を明るくさせる。
「え? 一つだけなのに、ずっとお祈りしてたの? じゃあ、それだけ大きな願い事なんだよね? なに? 教えて☆」
見透かされているような気がした。
恥ずかしさから、俺は拒絶する。
「ダメだ! こういうのは、人に言ってしまうと願いが叶わないって、聞いたぞ」
「そうなんだぁ……タッくんのお願い。知りたかったなぁ」
唇を尖がらせるアンナ。
別に教える必要ないだろ。
俺はただ……今を失いたくないだけだ。
去年のクリスマス会。
泣きながら会場を抜け出したあいつの顔。
もう、あの時みたいな痛みは、ごめんだ。
お祈りも済んだことだし、あとは絵馬とか、おみくじをするぐらいだ。
しかし、どこも人が多く……。
1つのことをやるために、数十分も消費するのは、ちょっと面倒。
だから本殿から出て、出店を回ることにした。
ちょうど、腹も減ってきたし。
その提案に、アンナは手を叩いて喜ぶ。
「お正月の屋台って食べたことないの~ 楽しみぃ~☆」
「そうか。まあお正月だからって、特別じゃないぞ? 夏祭りと変わらないんじゃないか?」
俺がそう言うと、アンナは俯いてしまう。
「アンナ……あんまりお祭りとか行ったことないから……毎年、ミーシャちゃんと一緒にお店の手伝いしていたから」
いかん、墓穴を掘ってしまったようだ。
「そ、そうか。まあ、俺もここ10年以上は経験してないから、安心しろ。ほれ、あのデカい綿あめが見えるか?」
と1つの屋台を指差してみる。
子供向けに販売している、綿あめ屋。
今、放送している幼児向けのアニメや特撮のキャラが、ビニールにプリントされた大きな綿あめ。
その中には、アンナが大好きなボリキュアもいた。
「あ、ボリキュアだぁ!」
「そうだ。こういうのは、昔からあってだな……」
言いかけて、俺は思い出してしまった。
忘れていた……辛い過去の記憶を。
『おかあたん。綿あめが欲しい~』
『タクくん。あれより、もっと良い綿あめをお母さんが作ってあげるわよ』
『ホント!? わぁい~!』
そして、帰宅後。
母さんが持ってきたのは、巨大な綿あめだったが……。
裸体のリーマンが、びしょ濡れにされていた卑猥なもの。
しかし、無知だった俺は「おいしい」と喜び。
母さんに「嬉しい! おかあたん、大好き!」と抱きついていた。
「はぁはぁ……なにが『大好きだ』……我が子を洗脳しやがって」
激しいフラッシュバックで、我を忘れ、拳に力が入る。
「タッくん? どうしたの? なにか綿あめで、嫌な思い出でもあったの?」
心配して俺に身を寄せるアンナ。
振り袖姿の彼女を目にしたことで、理性を戻せた。
過去におきた出来事へ、怒りを向けることなど、ナンセンスだ。
今を楽しもう。
「す、すまんな。俺も正月なんて随分、楽しめていなかったからさ」
「そうなんだ……じゃあ、今年からアンナとお正月を楽しもうね☆」
ニコッと微笑み、緑の瞳を輝かせる。
彼女さえ、俺の隣りにいてくれるなら、汚れた過去など乗り越えて見せるぜ。
※
早速、綿あめ屋さんで、ボリキュアをゲットしたアンナは、嬉しそうに笑う。
「大きい~ 白い~☆」
人目など気にせず、その場でビニール袋から、綿あめを手で掴み。食べ始める。
「あま~い☆ あ、タッくんも食べる?」
「いや……俺は」
気を使ってくれているのは、わかるのだが。
素手で食べているから、彼女の手や口元は、汚れていた。
後々が面倒だからと断ろうとしたら、怒られてしまう。
「ダメだよ! ちゃんとお正月らしいことをしようよ!」
「悪い……じゃあ、頂くよ」
「はい☆ 半分こね☆」
アンナは手を袋に入れると、しっかり半分になるよう、綿あめを分けてくれた。
こんなに食えないよ。
「ありがとな……」
胃が痛くなりそう。
※
その後、アンナと色んな屋台を回った。
じゃがバターに大きなイカ焼き。
焼きそばに、たこ焼き。
フランクフルト。回転焼きなど……。
彼女の腹を満たすまで、1時間以上かかった。
「あ~ 美味しかった☆ デザートが無くて寂しいけど……」
えぇ……。綿あめと回転焼きはデザートとして、カウントされないの?
相変わらずの暴食ぶりにドン引きしていたら、アンナの身体に異変が起きた。
「へっちゅん!」
随分と控えめで、可愛いくしゃみだと思った。
「どうした? 風邪でも引いたのか?」
「ううん……きっと、外でずっと立ち食いしちゃったからだと思う。身体が冷えちゃって」
言いながら、自身の肩をさするアンナ。
これは見ていて、さすがにかわいそうだと思ったので。
俺は着ていた羽織を脱ぎ、彼女の肩に着せてあげる。
「え、タッくんが寒いでしょ? いいよ、気にしなくて」
断ろうとするアンナを、俺はきつく注意する。
「ダメだ。ちゃんと着ておけ。俺なら大丈夫だ。この着物はウール製だから、そんなに寒くない」
「そ、そっか……なら甘えちゃおうかな」
頬を赤くし、俺の着ていた羽織りを大事そうに両手で抑える。
「タッくんの匂いがする。暖かい☆」
え? そんなに臭かったかな?
「嫌じゃないのか」
「うん☆ タッくんのお家って感じがする☆」
「……」
なんか、それ。
うちがBLまみれで臭そうって、思われているような。
だが、俺はこの時。大事なことを忘れていた。
すれ違う人々の声で、それに気がつく。
「おい。あれってさ。BLだろ?」
「なんで、男が背中にイッてるイラストをのっけているんだよ……キモすぎ」
「あの子。なんなのよ! めっちゃ神がかっているじゃん! どこで売っているのあれ?」
最後、ただの腐女子じゃねーか。
それから、俺はずっと我慢するのみであった。
可愛いアンナを暖めるため、自分の羞恥心など無視しなければ。
お正月から、最悪な展開だよ!
やっぱうちの環境だと、こういうのからは、逃れられないのかな……。
ばーちゃんがデザインしたBLイラストのせいで、辺りにちょっとしたギャラリーが出来てしまった。
俺を見ているわけではない。
あくまでも、俺の背中。
着物の中でイカされた漢に、注目が集まっている。
その人だかりを見て、アンナも驚いていた。
「え? なにこれ……みんながこっちを見てる」
「すまん。どうやら、俺の着物が気になるようだ。ほら、背中にばーちゃんが、イラストを刺しゅうしたからさ……」
彼女に背中を見せてやると、「あぁ~」と納得していた。
「タッくんのおばあちゃんって器用だもんねぇ。すごいよ~ マネできな~い☆」
あなたは真似しなくていいです。絶対に。
最初の頃は、ノンケじゃなかった……一般の人々。
耐性のない人たちが、それを見て言葉を失ったり。吐き気を催すこともあった。
しかし、噂を聞きつけた一部の女性陣が、スマホを持って撮影会を始めやがる。
「すごい! 神絵師!」
「これ……どこかで見たことなかったけ?」
「Oh my God!! Isn't that a phoenix?」
(なんてことだ! あれはフェニックスじゃないのか?)
ん? 最後の人って、外国人か?
あ、そうか。きっと遠い国から、日本へ旅行に来たというのに……。
お正月から汚いものを見せられて、ショックを受けたんだろう。
悪いことをしたなと、振り返ってみると……。
背の高い白人男性がこちらを指差して、口を大きく開いていた。
かなり驚いている様子で、隣りにいたパートナーの女性の肩を激しく揺さぶる。
何が起きた分からない金髪の女性が、男性の指さす方向に視線を合わせると。
「It's God……」
(神だ……)
二人して、手で口を塞ぎ。お互いの顔を確かめている。
一体、何が起きたんだ……と思っていたら。
白人の男性が、こちらに近づいてくる。
「あの……チョット。良いデスか?」
カタコトだが、日本語を話せるようだ。
「はい? なんでしょう?」
「そ、その……着物デスが。どこで買ったのデスか?」
「へ?」
「ワタシたちは、アメリカから旅行に来ました。クリスマスをコミケで祝おうとしたからデス」
「はぁ……」
なんだよ。アメリカからやって来たオタクくんじゃん。
ったく、ビビらせんなよ……。
「あなたの着物。フェニックスのデスよね?」
「え、フェニックス……?」
それを聞いて、すぐに察した。
ばーちゃんの和服って、海外のお客さんにも売っているんだった!
店の名前も『腐死鳥』だし……。
※
白人男性の彼から、ばーちゃんのブランドが、母国で大人気だと教えてもらった。
粋な着物に卑猥なイラストが、プリントされているのが斬新で。バカ売れしているらしい。
それで、彼の隣りに立っている女性は、アメリカの腐女子らしく。
コミケのあと、初詣に筥崎宮へ来たら、俺の着物に目がいったそうだ。
やっぱアメリカにもいるのか……腐女子って。
「それで、どこに行けば。買えますデスか?」
彼氏の方は日本語を話せるようだが、彼女さんは無理みたいだ。
ニコニコと笑ってはいるが、俺の答えを黙って待っている。
「あ、えっとですね……」
俺が孫だということは伏せて、説明を始める。
中洲川端の商店街に行けば、ど真ん中にあるし。
看板も派手に『腐死鳥』と書いてあるから、間違えることはない。と伝えた。
それを教えると、彼氏さんは大喜び。
「ありがと、ございます! あなたはホントーに優しいデスね! わたしたち、ついてます! BL界のシテンノウがひとり。”キクのモンドコロ”に会えるのデスから!」
それを聞いた俺は、頭が真っ白になる。
「え……あの、今BL界の四天王って言いました?」
「ハイ! アメリカでも有名なインフルエンサーなのデェス! BLグッズを作らせたら、世界一の人デス!」
「……」
BL界の四天王。
もう一人は、うちのばーちゃんだった……。
聞いてもいないのに、彼氏さんはスマホを取り出し、自身のフォローしているインスタを見せてくれた。
確かに『腐死鳥 phoenix』という名前で活動している。
しかしだ……四天王の名前だよ。
娘がケツ穴 裂子。
母親が、菊の紋所って酷すぎだろ。
ただの下ネタじゃねーか!
ツボッターで検索したら、すぐにヒットした。
フォロワーも500万人を超える、世界的な有名人。
我が家から、どんだけの恥部を晒す気なんだ……。
これ以上、デジタルタトゥーばかり、生み出すのは止めて欲しい。
「はぁ……」
うなだれる俺とは対照的に、アンナは嬉しそうだ。
「タッくんのおばあちゃん。有名人なんだね☆ なんだか自分のように嬉しいな☆」
「ははは……そ、そうだね……」
アンナの前では、気丈に振舞っていたが。
どうしても、気持ちの整理がつかず。
彼女に一言。「トイレに行きたい」と伝えて、その場を離れる。
トイレの個室に駆け込むと、ひとりで壁を殴りながら、泣き叫ぶ。
「クソがぁっ! なんで、俺ばかりこんな目にっ!」
このあと、落ち着くために、30分を要した。
色々と問題はあったが……。
アンナとの初詣は、どうにか無事に終わりを迎えた。
故郷である真島駅へ列車がつくと、和服姿の彼女に手を振る。
「またな、アンナ」
「うん☆ 今日すごく楽しかったよ。改めて、今年もよろしくね☆」
「ああ、また今年もたくさん取材しような」
バイバイとは言わず、お互い笑顔で手を振る。
別れが惜しいけど……少しぐらいは我慢しないとな。
彼女が乗る列車は発車し、その姿が小さくなるまで、手を振り続けた。
「さ、俺もそろそろ帰るか」
ここでアンナとの余韻を、楽しむつもりだったが……。
我が家へ帰るってことはまだ親父がいるんだ。
もう夕方だし、さすがに夫婦の時間。終わってるよね?
※
自宅の裏側に回り込み、玄関のドアに手をやる。
恐る恐るドアノブを回すと、中から男の声が聞こえて来た。
「あぁ~ いいよぉ~ 琴音ちゃん!」
親父の声だ……まさか、商売道具である美容院を使って、プレイ中なのか?
「やっぱりの琴音ちゃんが一番だわ~」
「もう六さんたら、いつもそう言ってくれるけど。他の人に浮気してないの?」
「するわけないだろ……こんなテクは琴音ちゃんだけなんだから、ああっ!」
親父の喘ぎ声を聞いた俺は、即座に店の中へと駆け込む。
そこは腐っても、普段お客さんが、母さんに髪を整えてもらう場所だから。
「おい! あんたら、いい加減にしろよ!」
威勢よく、怒鳴り込んだのは良かったが。
俺が目にした光景は、予想していたものとは全然違う。
母さんが痛いBLエプロンを着て、親父の長い髪をハサミで切っていたから……。
「おう、タク。おかえり。アンナちゃんだっけ? 初詣どうだった?」
ケロっとした顔で、そう言う親父。
「ああ……うん。楽しかったよ」
「そうか。なら良かったぜ。俺の着物も似合ってんじゃねーか。へへへ、初孫を期待してっからな!」
このクソ親父。
アンナとは、お孫さんを作れません。
そのあと、母さんから事情を聞くと。
どうやら親父は、普段髪を切らないらしい。
ヒーロー業が忙しく。金もないため。
長い髪は放置して、ああなったようだ。
そして、もう一つ。
夫婦の間にルールがあるようで、母さん以外の美容師には、髪を切らせないそうだ。
だから、たまに帰って来た時。
母さんがしっかり短く整えるのだとか。
でも、また帰ってくるころには、肩まで伸びているだろう。
変わった夫婦だな。
※
部屋に戻り、着物を脱いで、部屋着に着替える。
パソコンを起動し、今日収穫した和服アンナの写真を整理する。
「またフォルダが、一つ増えてしまったな……」
これで脳内における「あ~れ~」劇場が楽しめるというものだ。
そう思うと、笑いが止まらない。
鼻息を荒くしながら、モニターを眺めていると、机の上に置いていたスマホが鳴り始める。
相手がアンナだと思い込んでいた俺は、名前も確認せず、電話に出る。
「もしもし? アンナか? 今日は楽しかったな」
『……』
ん? どうしたんだ。黙り込んでいる。
「おい、アンナ。どうした? やはり身体を冷やしたのか?」
『身体を冷やしたですって……?』
普段、優しく話してくれる、愛らしいアンナの声ではなかった。
今にも凍てついてしまいそうな、冷えきった声。
「え……アンナじゃないのか?」
恐る恐る、スマホを耳から離し、画面を確認したら。
着信名はマリアだった。
気がついた時には、もう既に遅かった。
『身体を冷やしたって……タクト。あなた、まさか元旦から、ラブホテルへ行っていたの!?』
酷い誤解をされてしまったようだ。
「ち、違うぞ! 断じて、そんなことはしていない! その……アンナとは、初詣に行っていただけだ」
『初詣ですって? どうせ、あのブリブリアンナだから、露出度の高いミニスカとかで行ったんでしょ?』
アンナに対するイメージって、そんなにアホっぽいの?
ちゃんと、和服を着ていたけどなぁ……。
「と、ところでマリア。一体、何の用だ?」
俺がそう問うと、彼女は怒りを露わにする。
『なにがですって!? それは、タクト。あなたがやった大罪のことに決まってるでしょ!』
随分、興奮しているようだ。声が震えている。
「え? 俺がマリアに? なにかしたのか?」
『とぼけないで、ちょうだい!』
「いや……本当に言っている意味が、わからないのだが」
マリアの怒っている理由がわからないので、謝罪するにもできない。
その態度が、更に彼女を興奮させてしまう。
『まだわからないの!? あなた、去年ラブホテルに2回も行ったそうじゃない!?』
「え!? なんで……そのことを」
『全部、タクトの小説に書いてあったわよ! 忘れたの!?』
「あ……」
ヤベッ、去年に同時発売された”気にヤン”の2巻と3巻のことだ。
3巻はただの腐女子が成り上がるだけだから、放っておいて……。
問題は、2巻だ。
2巻の内容は、サブヒロインである赤坂 ひなたをメインキャラとして、登場させた。
見せ場として俺が、三ツ橋高校の福間 相馬から、彼女を助け出し。
事故とはいえ、ラブホテルに入るというシーンがある。
まあ、ラストにアンナと一緒にコスプレパーティーをするのだが……。
「その、あれはちょっと色々あってだな……」
『タクト。言ったわよね? ホテルでそういうこと、したことはないって。あれは嘘だったの!?』
これは、しくじった……。
作品をリアルに仕上げるため、起きた出来事を細かく書いたつもりだ。
しかし、それが墓穴を掘ってしまうとはな。
だが、俺はひなたやアンナと、大人の関係に至っていない。
あくまでも、ラブホテルへ入っただけだ。
だって、まだ童貞だもん。お尻の処女は、リキに奪われたけど……。
「待ってくれ、マリア。確かにラブホテルへ行ったことを黙っていたが……何もしていない。ひなたは事故で、アンナとは取材だ」
言っていて、苦しい弁解だと思った。
『ラブホテルへ行って、何もしないカップルなんているの?』
「そ、それは、比較する相手がいないから、分からんが……」
『ふ~ん……』
電話の向こう側で、眉間にしわをよせるマリアの顔が想像できる。
『まあ、いいわ。なにもしていないようだし……』
「そ、そうか! なら今度、どこかへ取材に……」
と言いかけたところで、マリアが俺の声を遮る。
『そうね。婚約者である私を差し置いて、ラブホテルへ行ったことは許さないわ。だから、記憶の改ざんをしましょう』
「へ?」
『明日、私とラブホテルへ行きましょう♪』
「ウソでしょ……」
もちろん、拒否権はなかった。