ひとり拳を作って、苛立ちを露わにしていると、女子アナが俺に話しかけてきた。
カメラマンと照明つきで。
「あのぉ~ 彼氏さん……ですよねぇ?」
「え、えっと……俺は、その……」
ヤバい!
この女子アナのせいで、俺とアンナは、付き合っているという関係になってしまう。
早く弁解せねば……。
「ち、ちがい……」
素人の俺からすると、カメラを向けられただけで緊張し、まともに喋ることができなくなってしまう。
それにローカルとはいえ、生放送だ。
少しでも言葉を間違えれば、俺の今後……人生に関わる問題にもなりかねない。
「え、お二人はカップルさんじゃないんですか? だって、タワーから仲良く出てこられましたし……」
「それは……アンナが誕生日で」
たくさんの大人に囲まれ、インタビューされるのがここまで、恥ずかしいとは……。
頬がすごく熱くなっている……。きっと顔が真っ赤なんだと思うと、尚のことダサい。
俺が言葉に詰まっていると、タマタマくんと遊んでいたアンナが間に入る。
「タッくんとアンナは、真剣に付き合っているカップルさんですよ☆」
「ブーーーッ!」
目の前のカメラに向かって、大量の唾を吐き出してしまった。
しかし、撮影しているカメラマンが、驚くことはなく。ジーパンからタオルを取り出して、すぐにレンズを拭き上げる。
「これ、今。生放送なんですよね?」
勝手に司会を始めるアンナ。
「あ、そうですよ。お天気予報ですけど」
「うわぁ、すごい~☆ タッくんとテレビデビューだぁ☆」
そんな呑気な……あなたの正体がバレちゃうよ。
「ところで、アンナさんは今日、お誕生日だったんですか?」
「そうなんですぅ☆ タッくんがこのキレイなピアスをくれて、最高の1日になりました☆」
「いいなぁ~ それって、タンザナイトですよね? 私もそんな優しい彼氏が欲しい~」
なんか女子トークが始まっている。
天気予報、どこ行ったの?
「あと、アンナの……私の彼って、作家なんです」
「え、小説家さん。なんですか? お若いのに……」
急に俺を見る目が変わった。
だが、次の瞬間。女子アナの目つきが変わる。
アンナが良かれと思って、言ってくれたのだと思うが。
「はい☆ ペンネームは、DO・助兵衛」
「す、スケベ!?」
汚物を見るかのような目つきで、俺を睨む。
アンナは女子アナを、無視して話を続ける。
「小説のタイトルは『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』で。1巻から3巻まで、好評発売中です☆」
めっちゃ宣伝してる……。
ていうか、福岡中に俺のペンネームがバレちまったよ!
顔出しで。
※
結局、アンナが1人で喋り倒し。
俺と彼女は、付き合っている関係になってしまった。
アホなペンネームを聞いた女子アナは、引きつった顔で、一度スタジオに返す。
どうやら、コマーシャルを挟むようだ。
その間、女子アナから軽く説明を受ける。
明日の天気予報を読み上げるから、隣りに立って笑っていて欲しいそうだ。
最後に俺たちへ何か話を振ると、忠告を受けた。
コマーシャルがあけて、また女子アナがペラペラと喋り始める。
パネルを持って、明日の気温や天候を説明していた。
俺とアンナは、タマタマくんと一緒に立っているだけ。
正直、引きつった笑顔だと思う。
忠告通り、コーナーの終わりに女子アナから話を振られる。
「ところで今日、とても素晴らしいお誕生日を、過ごせたカップルのアンナさんとスケベくん」
それ、名前じゃねー!
「はい? なんでしょう☆」
アンナも、そのまま通すなよ。
「明日はクリスマス・イブですよね? やっぱりイルミネーションを見ながら、デートされますよね?」
その言葉が胸にグサリと刺さる。
せっかく、傷ついていたミハイルを楽しませようと、今日を精一杯祝っていたのに。
急に現実へと戻されてしまう。
そうだ。明日、俺はイブをマリアと過ごすことになっているんだ……。
アンナも、きっと落ち込んでいるだろう。
隣りに立っているアンナの顔を覗き込むと……なぜかニコニコと笑っていた。
「それがぁ~ 彼ったらイブだって言うのに、お仕事が入っていて。明日はデートできないんですよぉ」
「へ?」
思わず、アホな声が出てしまった。
アンナのやつ、なにを考えているんだ?
なぜこんな他人事みたいな、話し方ができるのだろう……。
女子アナも、その話を鵜呑みにする。
「そうなんですか? スケベくんは作家さんだから、打ち合わせとか、なんですかね?」
ヤベッ。俺に話を振ってきやがった。
「ま、まあ……そうですね。ちょっと、取材が1件ありまして……」
「え? 先ほどのタイトルからして、取材が必要な作品には、感じませんが?」
この女子アナ。ムカつくな。
「編集部から言われているんですよ。ははは」
笑ってごまかそうとしたら、女子アナの目つきが鋭くなった。
「あの、まさかと思いますが……アンナさんの誕生日を祝っておいて。仕事とはいえ、別の女性とイブを過ごされるんじゃないですよね?」
「……」
女子アナとカメラマン、照明さん。それからメイク係。
たくさんの大人の視線が、一気に俺へと向けられる。
ついでに、テレビの向こう側。
大勢の福岡県民が見ているんだ。
そんな中……俺は嘘をつくのか?
「お、俺は……」
そう言いかけた時。隣りに立っていたアンナが、代わりに話し始める。
「アンナ……私は、信じています。大好きな彼のことですから。私を傷つけるようなことはしません。それに彼って嘘が大嫌いなんです。イブを一緒に過ごせなくても、2人の気持ちはずっと一緒です☆」
そう言い切ると、カメラに向かって天使の笑顔を見せた。
これには、他のスタッフも思わず声を上げる。
「かわいい」
「アイドルみたいだ」
「明日から、この子を天気予報に使いたい」
最後のやつ、ふざけんな。
アンナの言葉を聞いた女子アナは、最初こそ驚いていたが。
すぐに落ち着きを取り戻す。
「素晴らしい! 離れていても、このアンナさんとスケベくんの愛は、永遠だということですね! では、テレビをご覧になっている方も、明日は良いイブをお過ごしください~♪」
そう言って、勝手に話を纏めやがった女子アナは、番組が終わると、さっさとテレビ局へと帰っていく。
ついでにスタッフ達も、機材を集めて立ち去る。
着ぐるみのタマタマくんだけ、照明さんと一緒に置いていかれた。周りにいた子供たちと記念撮影をするため。
残された俺とアンナも、帰ることにした。
バス停へと向かう際、彼女の顔を見たが、やはり満面の笑みだ。
この余裕ぷりが、心配で仕方ない。
「なぁ。アンナ……本当に明日のこと。大丈夫か? イブなのに」
「大丈夫だよ☆ だって来年があるし☆」
「そうか……」
立ち直りが早いのか、それとも今日が楽しすぎたのか。
分からんな、女って生き物は。あっ、男だった。
博多駅から小倉行きの電車に乗り込む。
年末だから人が多く、座ることはできない。
しかし、それもアンナとの時間を楽しむための口実になる。
30分ほど、今日の出来事を振り返って、話が盛り上がる。
俺の地元。真島駅についたことで、彼女とは別れることに。
「タッくん。今日は本当にありがとうね。明日……寒いかもしれないから、気をつけて」
「ああ。俺も楽しかったよ」
列車の自動ドアが閉まるまで、手を振り続けるアンナ。
別れが惜しいようだ。
ドアが閉まり、ゆっくりと列車はホームから走り去っていく。
「よし……」
列車が去ったことを確認した俺は、駅舎に上がろうとはせず。
近くにあったホームのベンチに座り込む。
「30分ぐらいでいいか」
スマホのアラームを、30分後に設定する。
アンナに帰ると見せかけて、次のミッションを遂行するのだ。
女装したあいつも誕生日だが、もうひとりの……ミハイルをまだ祝えていない。
きっと、今から帰宅して“彼女から彼”に戻るのだろう。
着替えるのには、時間がかかる。
だから……俺は待つ。
~1時間後~
30分間もホームで待機したせいで、身体が冷えきってしまった。
ま、それでもいいさ。
今は“こいつ”を、ミハイルに渡したい気持ちの方が強いからな。
真島駅から2駅離れた席内駅。
ミハイルの故郷だ。
年末ということもあってか、商店街は閑散としていた。
いくつか街灯が立っていたが、それでも薄暗い。
目的地である洋菓子店に着くと、俺はスマホを取り出す。
2階の窓を見ると、明かりがついていて、人影が見える。
きっと彼が着替えているのだろう。
電話をかけてみると、すぐにミハイルが出る。
『も、もしもし!? どうしたの? タクト……』
どうやら、かなり驚いているようだ。
「よう。久しぶりだな、ミハイル」
俺は下からずっと彼の影を見ながら、話している。
『うん……って、今日はアンナと誕生日デートだったんじゃないの?』
「そうだ。ちゃんと祝ってきたよ。喜んでくれた」
言いながら、彼の影があたふたしている姿を見ていると、笑ってしまいそうだ。
『じゃあ、オレに用があるの?』
「ああ……ミハイル。ちょうど、お前ん家の前にいてな。今から出てこれるか?」
『え、えええ!? 今から!? こんな遅くに?』
「すぐに終わるよ」
『分かった。待ってて!』
しばらくすると、店の裏から、ミハイルがこちらへと向かってくる。
随分と慌てているようだ。
アンナの時とは、対照的なファッション。
黒のショートダウンに、デニムのショートパンツ。
長く美しい金色の髪は首元で1つに結び、前髪は左右に分けている。
ただ、唇に違和感が残っていた。
急いで出て来たため、化粧が落ちていない。
ピンクの口紅が、目立っている。
「ど、どうしたの? タクト。オレの家になんでいるの?」
本人はそれどころじゃないようだ。
「それはな、ミハイル。お前に渡したいものがあるんだ」
そう言って、リュックサックから、小さな紙袋を取り出す。
「これって……」
「お前の誕生日だろ? 俺からプレゼントだ」
「タクトが? オレに?」
俺としては、半年前にミハイルからプレゼントを貰っているので、渡すのは当たり前だと思っていたが。
どうやら、本人は考えていなかったようだ。
小さな口を開いて、かなり驚いている。
「あ、ありがとう……プレゼントをもらえるなんて、思わなかったから……」
頬を赤くして、ゆっくりと紙袋を手に取る。
アンナの時と同じように、綺麗に包装紙をほどき、畳んで紙袋に入れる。
これも大事に、保管するようだ。
中にはミハイルの大好きなキャラクターがプリントされた、ギフトボックスが入っていた。
夢の国のストアで、購入したネッキーだ。
それを見たミハイルは、緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「うわっ! これネッキーのやつだ!」
「ああ。お前が好きなの……って探したけど、良く分からなくてな……結局、これにしてしまったよ」
そう言って、頭をポリポリとかいてみせる。
照れ隠しのために。
だが、ミハイルはそんなことを気にしていない。
「ううん! オレ、このシリーズ好きだもん! 欲しくてたまらなかったやつだ☆」
「そうなのか?」
「うん☆ 開けていい?」
「もちろんだ」
ギフトボックスを開いて、中からネッキーとネニーのピアスを取り出す。
ちなみに、ダイヤモンドが入っている……。
「すご~い! カワイイ☆ 耳につけてもいい?」
「ああ……」
と言いかけたところで、思いとどまる。
なぜかは、分からない。
ただ、身体が勝手に動いていた。
「貸してみろ」
ミハイルから、ギフトボックスを取り上げる。
「え?」
「今、手が塞がっているだろ? 俺がつけてやるよ」
これは嘘だ。
口実にすぎない。
「え、え……? お、オレに?」
いきなり、そんなことを言われて、ミハイルは固まってしまう。
顔を真っ赤にして、視線は地面に向けられる。
従順なミハイルを良いことに、俺は彼の白い肌にそっと触れる。
冷たいが嫌じゃない。柔らかくて、むしろ気持ちが良い。
「じゃあ、いくぞ」
「うん……お願い」
ピアスなんて、したこともないくせに。
勝手にミハイルの耳へ、ピアスを差し込む。
不慣れなこともあってか、何度か失敗したが、それでも両方の耳へつけることに成功した。
「よし。できたぞ」
「あ、ありがとう……」
急に積極的な行動を取ったため、ミハイルは動揺している様子だった。
それでも、プレゼントは嬉しいようで、スマホのカメラを使い、耳元を確認する。
「カワイイ☆ これ、すごく好き☆」
「そうか」
久しぶりに、彼の笑顔が見られた……。それがとても嬉しかった。
いや、やっと安心できたのだと思う。
この前の学校は、最悪の別れだったから……。
「タクト。ホントにありがとう☆ オレ、今日が今年で一番嬉しい……ううん! 人生で最高に嬉しい一日だよ!」
「……」
なんとも眩しい笑顔だった。
相変わらず、宝石のように美しいエメラルドグリーンを輝かせて……。
俺は思い出していた。
今年の4月。
高校の入学式で、彼と初めて出会った日を。
あの時、笑ってはいなかったが。
俺は初めてこいつを見た時、確かに思ったんだ。
『可愛い』と……。
今までの人生で、見たこともないぐらいの美少女。
この地球で、こいつより可愛いやつは、いないんじゃないかって。
「タクト? どうしたの?」
「……」
2週間もこいつのことばかり考えていて、頭がおかしくなっていたのかもしれない。
今年最後の学校が、あんな終わり方じゃ、嫌だ……。
失いたくない。
そう思うと、何故か胸にぽっかりと大きな穴が、開いた気がした。
これを埋めるには、どうしたらいいか分からない。
でも……きっと彼ならば。
「た、た、タクトぉ!?」
「悪い……」
気がつくと、俺はミハイルを抱きしめていた。
力いっぱい。
もうお互いが、離れることのないように……。
「タクト……なんで……」
彼の問いかけに、俺は無言を貫く。
やってしまった……ついに。
身体が、勝手に動いてしまった。
あの屈託のない笑顔を見た瞬間、身体中に電撃が走り、俺を突き動かした。
誕生日を祝ったことで、浮かれていたのだと思う。
一時的な感情で、彼を抱きしめてしまった……。それならば、すぐに離れたら良い。
だが、頭からそう指示を出しても、俺の身体は微動だにしない。
むしろ、ミハイルの身体を、もっと強く抱きしめてしまう。
「悪い。ちょっと、このままで……」
情けない声だと思った。
正直、殴られると思ったが、ミハイルは控えめに俺の袖を掴む。
「べ、別に、謝らなくてもいいけど……」
顔は見えないが、きっと彼のことだ。赤くなっているのだろう。
ミハイルの頭を、撫でてみる。
小さくて、片手におさまりそうだ。
ビッタリと密着しているから、自然と彼の長い髪が数本、鼻の前で舞っていた。
甘い香りがする。
なんだろう。こいつが普段、使っているシャンプーだろうか。
癒される。
俺がミハイルを抱きしめて、どれだけの時間が経ったのだろう。
10分ぐらい? わからない。
でも、今は時計なんて、確認する余裕はない。
このあと、どうやったらいいのか、分からない。
夜だし、静かな商店街だから、人通りは少ない。
だが駅が近いから、何人かのサラリーマンやOLがすれ違っていく。
それでも、俺がミハイルから、離れることはなかった。
※
目の前にある街灯に、小さな埃が降りかかる。
最初は埃だと思ったが、それは夜空から降ってきた白い雪だと気がつく。
“反対側”を見ているミハイルも、雪だと気がついたようだ。
「あ、雪……」
時間切れ。だと感じた。
こんなにたくさん雪が降っている中、彼をここに縛りつけてはならない。
でも……俺の身体は、言うことを聞かない。
まだ離れたくない、とわがままばかり、言いやがる。
「ミハイル。本当にすまん……身体が動かなくて」
「え……その、いいけど。寒くないの?」
「寒くない。むしろ、暖かくて心地が良い」
今の俺はどうかしている。
思っていることを、ペラペラと話しやがって。
「そっか……でも、今日のタクト。なんかおかしいよ」
「ああ。そうだな……こうやっているの、嫌じゃないか?」
「嫌じゃないよ。けど、どうして……男のオレなの?」
「!?」
痛いところを突かれた。
そうだ、彼の言う通り……なぜ男のミハイルを抱きしめたんだ?
別に女役のアンナでも、良かっただろう。
どうしてだ?
俺にも分からない。
「その……ミハイルでしか、俺を救ってくれないと思ったから……だと思う」
「オレしか、出来ないことなの?」
「ああ、そうだ」
俺はようやくミハイルから、身体を離した。
だが、両手は彼の肩を、がっちり掴んでいる。
逃げないように、捉まえているわけじゃない。
彼の綺麗なエメラルドグリーンを、この目に焼きつけるためだ。
「タクトはオレが必要なの?」
潤んだ瞳で訴える。
普段の俺ならば、怯むところだが、今なら大丈夫。
「必要だ」
言い切ってしまった。
「そ、そうなんだ……」
逆にミハイルの方が怯んでしまう。
頬を赤くし、視線を逸らす。
ここで1つ気になるところがある。
それは、彼の小さな唇だ。
女装した際につけた口紅が、まだ落とせていない。
卑怯だと思ったが、彼を誘うには、良い口実だと思った。
「なあ、ミハイル。お前、口元が汚れているぞ?」
そう言うと、彼の細い顎を掴む。
所謂、“顎クイ”ってやつを、やったつもりだったのだが……。
顎をガッツリ掴んで上にあげると、ミハイルの下唇がひん曲がってしまう。
「うゔ……タクト。なにするんだよぉ……」
「あ、すまん」
こういうところは格好つけられないのだと、童貞の自分を呪う。
仕切り直して、人差し指だけで、再度、彼の顎を上げてみる。
「は、ほわわ! た、タクト!?」
案の定、ミハイルの目は泳ぎ回る。
かなり動揺しているよう。
だが、俺も引くに引けない状態だ。
このまま、行かせてもらう。
「目をつぶってくれ……」
「え、えぇ!?」
「汚れを落とすために必要なことだ」
「そ、そっか。分かった」
そっと瞼を閉じるミハイル。
なんて、愛らしい顔なんだろう。
人形みたいに小さい。
散々、汚れだとか抜かしておいて。この唇は誰よりも美しいと感じる。
だからこそ、今。俺は奪おうとしているんだ。
「すぐに終わるから」
なんてキザなセリフを吐き、彼の唇に自身を重ねようと試みる。
この一線を越えたら、きっともう二度と……。
それでも、ミハイルとなら。
本当なら、彼の可愛い瞼を見つめながら、キッスしたいところだが。
やはり、ここは俺も平等に。瞼をゆっくりと閉じてみる。
ミハイルの鼻息を感じる。
でも、それは彼も同様だろう。
「タクト……」
「ミハイル」
俺の名前を呼んでくれたことで、同意とみなした。
あとはお互いの唇を重ねるだけ……。
しかし、悲劇は突然訪れる。
「こらぁあ! ミーシャ! どこだぁ!」
その叫び声を聞いた瞬間。俺は、即座にジーパンのポケットから、ハンカチを取り出す。
俺が普段から、愛用しているタケノブルーの白いハンカチだ。
まだ瞼を閉じて、目の前で待ち続けるミハイル目掛けて、ハンカチを擦りつける。
かなり強めに。
「痛いっ! いたた! タクト、痛いよ!」
「すまんな、ミハイル。かなり汚れがついていて……」
俺が彼にキスをしようとしたことも、隠さないといけないが。
女装していたことを、姉のヴィクトリアに、バレることを阻止しないといけない。
だから、ゴシゴシと力強く拭き上げる。
ピンク色に染まったハンカチを、ジーパンのポケットになおし、何事もなかったかのように振舞う。
「痛いよ……タクト。一体、なにがしたかったの?」
「いや……その……」
急に歯切れが悪くなってしまう。
きっとヴィクトリアが、登場してしまったことで、ビビったのだと思う。
「急にオレを、は、ハグしたり……意味がわかんないよ!」
そう言うミハイルの顔は、ムスっとしていた。
「すまん……」
結局、この日も俺はなにも出来ず、終わりを迎えてしまった。
後からヴィクトリアが現れて、俺たち2人に声をかけてきた。
ピンクのガウンを羽織っていたが、多分中は下着だろう。
その証拠に襟元から、胸の谷間が見えている。
動く度にボインボインいわせるから、吐きそう。
「おお~ こんなところにいたのか? ミーシャ! お前の誕生日を祝おうとしたのに、急に出て行きやがって。心配するだろが!」
ちくしょーーー!
もうちょっと、タイミングをずらせよ、お姉ちゃんっ!
「ご、ごめん……姉ちゃん。タクトが誕生日プレゼントを持って来てくれて」
ようやく俺の存在に気がつく、ヴィクトリア。
「へ? ああ、坊主じゃないか。なるほど、わざわざミーシャにプレゼントを届けてくれたんだな。お前もパーティーに参加したらどうだ?」
そう言って、2階の窓を指差す。
嬉しい誘いだったが、正直、今はそんな気分じゃなかった。
散々、自分からやっておいて、何も出来なかった。
それが恥ずかしくて、彼の顔をちゃんと見ることが出来ない。
「いや……今日は帰ります」
「遠慮するなよぉ~ もつ鍋を作ってるからさ。食ってけよ♪」
誕生日でさえ、もつ鍋かよ……。
「いえ。今日は本当に」
そう言って、ヴィクトリアに頭を下げる。
色々と、ミハイルをいじったし……。
罪悪感もあったのだと思う。
「そっか♪ じゃあ、また来年な!」
「はい……」
背中を向けて、駅に向かおうとした瞬間だった。
ミハイルが大きな声で、俺を呼び止める。
「タクト!」
「え?」
振り返ると、心臓の辺りを両手で抑えたミハイルが、苦しそうな顔でこちらを見つめていた。
「タクト……なんか、今日のタクト。本当におかしかったよ。悩みとかあるなら、言ってよね?」
「ああ。その時はちゃんと言うよ」
俺は……最低だ。
俺はなぜ、あんなことをしてしまったのだろう……。
この手でミハイルを抱きしめたのか?
ミハイルと別れてから、もう半日近く経っているが、身体が燃えるように熱い。
風邪でも引いたかと、体温計で確認したが、特に症状はない。
じゃあ、なぜ。俺の頬はこんなにも熱いんだ。
何度も何度も……脳内で繰り返し流れる映像。
雪が降る寒空の中、抱きしめ合う2人。
人目も気にせず、力いっぱい抱きしめて、キッスする……はずだった。
思い出すだけでも、恥ずかしさがこみ上げてくる。
それと同時に、後悔も残っているが。
なんで、あの時もっと早くミハイルの唇に、自身の唇を重ねなかったのかと……。
俺は家に帰ってから、そのことばかりで頭がいっぱい。
飯も喉を通らず、ベッドの上で一人、放心状態だ。
瞼を閉じているわけではないが、視界が悪い。
それは俺の顔面に、とある布切れをかぶせているからだ。
「すぅ~」
深く息を吸い込み、一気に吐き出す。
「ぶっはぁーーー!」
そうすることにより、布切れは空中に舞い上がる。
だが、あくまでも一瞬だ。
重力には勝てない。
ふわっと、俺の顔目掛けて、戻って来る。
「ちゅっ!」
どこからか、可愛いらしい音が聞こえてくるのは、気のせいだろうか?
「すぅ~ はぁ~!」
落ちて来た、布切れに残る甘い香りを、楽しむ。
いや、正確には、脳内で相手の唇を味わっているのだ。
この布切れは、俺が一番気に入っているブランド。タケノブルーの白いハンカチだ。
そして、昨晩ミハイルの唇を、拭いたものでもある。
女装していた時の口紅が、べったりとハンカチについている。
洗ってはいない。
アンナの……いや、ミハイルの唇が味わえるから。
間接キッス。
違うか。重力によるエアーキッスといえるな。
ヤベッ……またすごいものを、開発してしまったぞ。
天才すぎる自分が怖いぜ。
自分の息を使い、何度も意中の相手と、キッスを繰り返し出来るなんて、めちゃくちゃエコじゃん。
そんなことを昨晩から、10時間近くやっている。
頭の中では、常にアンナとミハイルが頬を赤くして、唇を俺へと捧げる。
アンナの方が可愛く感じるのに……。どうしても、ミハイルに目が行ってしまう。
放っておけないからだ。
「俺は一体、どうしちまったんだ……なんでアンナじゃなく、男のミハイルを」
ベッドの上で、一人そう呟くと、誰かが顔に被せていたハンカチを取り上げた。
「おにーさま! なにやっているんですか? 昨日から、ずっと『すぅ~ はぁ~』言って過呼吸なんですの!?」
瞼を擦り、声の主をよく見てみると、妹のかなでだ。
「ああ……悪い」
「元気ありませんねぇ。今日はクリスマス・イブですよ? アンナちゃんと、デートとかしないんですか?」
「そうだったな……イブか……」
正直、クリスマス・イブという存在すら、忘れていた。
昨晩起きた出来事が、余りにも衝撃的で……。
とりあえず、かなでにハンカチを返してもらい、学習デスクの引き出しに保管しておく。
もちろん、チャック付きのポリ袋を使用し、鮮度を保つ。
次のお楽しみに。
マリアと取材か。なんか気が乗らないなぁ……。
昨日の今日で、別の女とデートって。
机の上に放置していたスマホの画面が、白く光っていた。
どうやら、メールが入ったらしい。
スマホを手に取り、画面を確認すると、数十件も通知が入っていた。
電話やら、メールなど。
相手は、本日クリスマス・イブを一緒に過ごす女の子、冷泉 マリア。
一番最初のメールまで遡るのは、時間が掛かるから、とりあえず最新のメールに目をやる。
『タクト。今日の約束、忘れてないわよね? イブなんだから、2人きりで仲良くイルミネーションを楽しみましょうよ♪ でも、夜まで長いから夕方に、いつもの場所で会わない?』
というと、やはり定番である、黒田節の像か?
俺は即座に彼女へ返信メールを送信した。
『了解』とだけ。
すると、すぐにまたマリアからメールが送られてきて。
『やっと起きたのね♪ まさかと思うけど、ブリブリアンナとキッスしたり、してないわよね? 取材と称して』
ギクッ! 昨晩、素のミハイルにしようとしたんだけどなぁ……。
まあ、アンナとはしてないから、セーフ!
『してない。俺は嘘が嫌いだ』
と返信。
うむ、嘘は言ってないもの。
『そう。なら、夕方に会いましょう♪ 今日が楽しみで仕事を頑張っていたの。タクト、大好きよ』
「……」
最後の一言には、俺は何故か罪悪感を感じていた。
好きか……。
そんな簡単に相手へ想いを伝えられたら、どれだけ気持ちが楽になるんだろうな。
夕方と言っても、ちゃんと時刻は指定されていなかった。
しかし、少なくとも16時ごろには、博多駅でデートをするんだろう……。
と思った俺は、昼食を取った後、早めに電車へ乗って、博多に向かった。
博多口を出た瞬間から、人でごった返していた。
こんなにもイブの博多駅は、大勢の人で賑わっているとは……。
万年童貞だった俺には、見たことのない光景だ。
やはり若者が多く感じる。
特にカップル。ていうか、カップルしかいねーじゃん!
クソがっ! イチャイチャしやがって。
こいつら、あれじゃないか?
もう事後なんじゃないの……。
だって、こんな寒い日だってのに、彼女たちはみんなマイクロミニのスカートだぜ。
意味がわからん。
お腹はちゃんと、暖めておけよ。
クリスマス会場でもある駅前広場は、いつもと違い、そこだけ幻想的な空間と化していた。
右手には、たくさんのイルミネーションがキラキラと輝いている。
家族連れやカップルで賑わっており、早くも写真撮影で盛り上がっていた。
反対側の左手に、巨大なツリーが飾られており。
そこを中心にクリスマス会場が、設けられている。
様々な屋台が並んでおり、主に海外の伝統工芸品を販売している。
クリスマスにまつわる物。キャンドルやアートグラス。アクセサリーに、鹿の角まで……。
本当ならすぐに、いつもの待ち合わせ場所である、黒田節の像へ向かいたいところだが。
特設のフードコートで、像が封鎖されていた。
参ったな……と思い、とりあえず、人ごみを搔き分けて、像の近くまで辿りついた。
近づけないから、仕方ないと思い。マリアがここに来るのを待つ。
しかし、こんなに人が多いのに、像の前で待ち合わせなんて……できるのか?
俺たちがやっていることって、昭和なんじゃないの。
~30分後~
目の前で美味そうに、チキンを頬張るカップルを見て、苛立ちを隠せずにいた。
「クソ。あ~、寒いし腹減ったなぁ……」
それにしても、マリアのやつ。
遅いな……ちょっと連絡してみるか。
ダッフルコートのポケットから、スマホを取り出した瞬間、着信音が流れ出す。
相手は、マリア。
「もしもし?」
『タクト。ごめんなさい。もう博多駅にいるのよね?』
「ああ、マリア。お前、今どこにいるんだ?」
『私も博多にいるのよ……でも、ちょっとトラブルがあってね』
「ん?」
マリアも博多にいるのに、駅にいないだと?
意味が分からん。
渋滞とかかな?
『前に言ったと思うけど、私ってアメリカで、ファッションブランドを立ち上げたじゃない?』
「ああ……そう言えば、そんなこと言ってたな」
『それで日本にも支店ていうか、オンラインストアをオープンしたり、色々と事業を拡大しようと思ってね。とりあえず福岡に事務所を借りたのよ』
「ほう」
『博多って何かと便利だから、小さなビルの一室を借りたのだけど。最近、嫌がらせが多くてね』
「嫌がらせ? どんなことだ?」
『かなり悪質ね。頼んでもないピザを30人分、頼まれたり。高級寿司を数十万円も持って来られたり……たまに、火事の誤報で消防車や救急車まで』
ストーカーってレベルじゃない……犯罪じゃん。
しかし、この犯行。誰かに似ているような。
「マリア。お前、その事務所ってホームページとかに、住所を記載しているか?」
『もちろんよ。会社だもの』
「……」
なんかすごく嫌な予感がしてきた。
「それで、マリア。なぜ博多駅に、まだ来られないんだ?」
『本当にごめんなさい、タクト。私と初めてのイブなのに……』
「え?」
『両親とまだホテル暮らしなんだけど。私だけ事務所で缶詰したりするのよ。それで昨日から徹夜して、寝落ちしたら……事務所のドアが、強力な接着剤でガチガチに固められて、開けられないの』
「あ……」
そんな悪質なストーカーは、1人しか思い浮かばない。
『今、業者さんに開けられるように、頼んでいるんだけど。6時間以上はかかるそうよ。ドアの鍵穴は接着剤で埋められたし、ドアの隙間も全て埋められて、ビクともしないんだって』
「そ、そうなんだ……」
『おまけにね、ビルの廊下に段ボールを山のように、置き配されてね。業者さんも通りづらいの、もう嫌になっちゃうわ!』
「こ、怖いな……」
そこまでやるとはね。
『はぁ……タクトとの、イブデートが楽しみだったのに。ごめんなさいね、悪いけど今日は帰ってくれるかしら? 埋め合わせは必ずするから、ね?』
「ああ。マリア、あんまり気を落とさないでくれ……またいつか取材しよう」
『ありがと、優しいのね。タクトって。好きよ、チュ♪』
「……」
いや、マリアが寛大すぎるんだよ。
普通に通報レベルなのに……。
しかし、彼女を八方塞がりにしたということは。
犯人は恐らく、この近くにいるんじゃないか?
恐怖からスマホを持つ手が、ガタガタ震え始める。
「まさか、アン……」
そう言いかけた瞬間、視界が一気にブラックアウトする。
冷たいが柔らかい。
この感触、なんか覚えがあるんだけど。
「だーれだ?」
この甲高い声の持ち主は……。
「あの、もしかして……アンナさんですか?」
「ブブーっ! でも、おしいかな☆」
そう言うとようやく顔から、手を離してくれた。
振り返れば、サンタさんの仮面を被った女の子が1人、立っている。
「正解は、サンタアンナでしたぁ~☆」
「……」
ぎゃあああ!
やっぱり、いたぁ~!
昨日の余裕ぷりは、これだったのか!?
最初から、マリアとのデートを潰すつもりでいたんだ。
仮面を外すと、特に悪びれることもなく、ニコニコ微笑むアンナの姿が見えた。
「タッくん☆ こんなところで、何しているの?」
あんたこそ、なにしているんだよ!
「いや……マリアと取材だったんだけどさ。ダメになって」
「そうなんだぁ~ きっとマリアちゃんは悪い子さんだから、サンタさんから、天罰を食らったんだよ☆」
「サンタさんが……?」
あなたがしたんでしょ。全部……。
「タッくん☆ 改めて、メリークリスマス!」
「め、メリークリスマス……」
今日のアンナ。
いつもとは、全然違うファッションだ。
普段と色合いが異なる。
全身、赤と白でコーディネート。
というか、コスプレだ。
女性向けのサンタコス。
ミニのワンピースで、肩にケープを羽織っているが、肘から先は素肌なので、すごく寒そう。
頭には小さなサンタハット。足もとは、厚底の赤いショートブーツ。
完全なパーティー仕様。
めっちゃ気合が入っているというのが、ビシビシと伝わってくる。
しかしだ……。偶然を装うには、無理があるってもんだ。
昨日からいや、もっと前から……今日のために入念な計画を練っていたに違いない。
「アンナ……その、お前こそ、なんで博多にいるんだ?」
「え? イルミネーションを見ようと思って、博多に来たんだよ☆ そしたら、たまたまタッくんを見かけて、1人だから声をかけてみたの☆」
絶対にウソだ。
「そ、そうなのか。じゃあ俺は、今からどうしたらいいんだ?」
「もちろん、2人で仲良くイブを取材しようよ☆ タッくん、クリスマス・イブを女の子と過ごすの、初めてでしょ?」
脅しにしか聞こえん。
マリアには悪いが、あんな犯罪まがいの工作まで行ったアンナを、敵に回したくない。
ここは、彼女の言うことに従おう。
「了解した。じゃあ、今からクリスマス・イブを取材しよう」
「やったぁ~☆ 博多に来て良かったぁ~☆ 偶然、タッくんに会えるんだもん! サンタさんって、やっぱりいるんだねぇ」
そう言って、俺の顔を嬉しそうに見つめる。
エメラルドグリーンの瞳を輝かせて。
今日はその美しい輝きが、一段と怖く感じる……。
※
とりあえず、博多駅をウロウロしてみることに。
色んな屋台も気になるが、やはり最初に目が行くのは、イルミネーションだろう。
アンナが「まずはツリーを見たい」と言うので、手を繋いでゆっくりと歩き出す……が、人が多過ぎて、なかなか前へと進めない。
それもあって、お互いがはぐれないように、と手を繋ぐことにした。
「人多いね、タッくん」
「ああ……俺もイブを博多で過ごすなんて、初めてだからな。こんなに人が多いとは思わなかったよ」
ちょこちょこ歩いてはいるが、所々で立ち止まっては、撮影を繰り返すカップルや家族連れ。
そんなんだから、俺たちまで立ち止まり、相手の撮影を待ってあげる。
やっとのことで、ツリーの前に着いても、これまた撮影する奴らばかりだ。
順番でカメラを構えているとはいえ、待機時間が長すぎる。
「アンナもタッくんと一緒に写真を撮りたいな……」
そう彼女がぼやくので、俺は1つ提案してみた。
「なら、俺がスマホを持つから、それでツーショットを撮らないか?」
だがアンナは、その提案に不満気だ。
「ダメだよ! それじゃ、ツリーと一緒にタッくんもしっかり撮れないじゃん……」
「別に、撮れるなら良くないか? フレームから少しはみ出るぐらい」
「イヤっ!」
「……」
わがままっ子だな。
確かにこんな時のため、自撮り棒を持って来たら良かったな。
辺りを見れば、大半の観光客が自撮り棒で、撮影している。
参ったなと、頭を搔いていたら……誰かが後ろから声をかけてきた。
「あの……良かったら、私が撮影しましょうか?」
「へ?」
振り返ってみると、俺の背後に巨人が立っていた。
「うあああ……」
俺の身長は、170センチほどだ。
首を真っすぐ上に向けないと、相手の顔が見えない。
多分、190センチ以上はある。
「こんばんは♪ 素敵な聖夜ですね。今日は中学校のみんなと、募金活動をしていたんですけど……迷子になっちゃって」
「え? 募金?」
よく見れば、胸元にはセーラー服のリボンが。
このなりで中学生だと?
確かに顔は幼いが、身体の発育が良すぎる!
ていうか、デカすぎ!
女子プロレスラー顔負けのたくましい筋肉を、全身に纏っており。
今にもピチピチになったセーラー服が、破れそう。
そして女性のシンボルとも言える、バストやヒップも、アホみたいにデカい。
決してセクシーな体型とかではなく、全てがデカすぎるJCだ。
謎の女子中学生の登場に、動揺していると。
上から俺の顔を、まじまじと眺めて、何かを指差す。
「あれ、そのリュックサックに、つけているキーホルダーって……」
「これは……1年前に天神で募金して、学生にもらったものだが」
「やっぱりだ~! じゃあ、あの時の“ドスケベ先生”ですよね!?」
「は?」
「覚えていませんか? 1年前に、私がそのキーホルダーを渡したこと」
「えぇ……」
ウソだぁああ!
あの純朴な少女が、こんなにもデカく育ったというのか?
俺が一番嫌いな巨乳だし、ていうか巨体すぎる!
たった1年で、人はこんなにも変わるのか……。
良かった。あの時に、口説かなくて。
突然、俺の前に現れた少女……いや巨人。
一年前に天神で、募金活動をしていた女子中学生だった。
確か去年が中学2年生だったから、今は3年生か?
いきなり声を掛けられたから、動揺してしまい、アンナを無視して、話を続ける。
「君があの時の……この、キーホルダーをくれた子なのか?」
信じられんが、確かに顔はすごく幼い。
垢抜けない童顔。しかし、身体が俺よりも成熟している。
ムキッムキじゃん。
「はい! ドスケベ先生、お久しぶりです」
礼儀良く、頭を深々と下げる。
「おお……久しぶりだな」
俺たちが2人で勝手に話をしていたら、アンナが頬を膨らませて、間に入る。
「ねぇ、タッくん? 写真はどうするの? それにこの子、誰?」
めっちゃ低い声で喋るじゃん。
怖いよ……。
ここは早めに誤解を解いておかないとな。
咳払いして、名も知らない少女を紹介する。
「うほぉん! この子は一年前、俺が募金したら、手作りキーホルダーをくれた中学生だ」
「え、募金?」
「ああ、天神を歩いていたら、たまたまな」
「ふぅん……でも、手作りなんだ。それって」
そう言って、俺のリュックサックを指差す。
だが彼女の瞳は、輝きを失っている。
こ、この反応は!?
しまった。手作りってところが嫌だったのか。
墓穴を掘ってしまったな。
もう一度、起動修正を計ろう。
「アンナ。これはお守りとしての機能があるんだ!」
「え、お守りなの?」
「ああ、この子が願いを込めて、一生懸命作ってくれた……サンタさんキーホルダーなんだ!」
「お願い? どんな?」
あの時、確か彼女はこう言った。
『うまく言えないんですけど……きっと、あなたにもいつか……クリスマスを一緒に過ごせるひとが現れると思います』
これをそのまま引用させてもらおう。
「うむ。このサンタさんキーホルダーは、当時ぼっちだった俺が、『素敵なクリスマスを一緒に過ごせる人が来てくれますように……』という彼女の願いが込められている」
「えぇ!? そうなの?」
よし、食いついた。
「そうだ。おかげで俺は今年、アンナという素敵な女の子とイブを過ごせるようになったんだ! キーホルダーをを作ってくれたこの子は言わば、恋のキューピッド的な存在だ!」
「すご~い! アンナとタッくんをくっつけてくれた良い子さんなんだ☆」
まあ、偶然なんだけど。
間違ってはいないかもな……。
※
ムキムキJCの紹介も終わり、彼女に撮影を頼むことにした。
ツリーの前で、ツーショット写真を撮ってもらうように。
「はーい、じゃあ私が『メリー?』と言ったら、お二人は『クリスマス』と笑ってくださいねぇ」
身長が190センチ近くあるから、人ごみとか全然関係なく、上から俺たちを余裕で撮影できる。
「了解した」
「はーい☆」
スマホのカメラを向けられたと同時に、アンナが俺の腕を掴み、自身の胸に寄せる。
「お、おい……」
「いいじゃん☆ イブだし、恋人気分を味わって☆ 小説に書くんだし」
「まあ、アンナがそう言うなら」
と言いかけたところで、ボソボソと何かを呟くアンナ。
(まだマリアの汚い染みとか臭いが、とれてないかもだし……)
根に持ってるよ。
ムキムキちゃんは、相変わらず、優しくていい子だった。
色んな角度から写真を撮りまくって、スマホ画面を確認させてくれる神対応。
記念だからと、動画まで録画してくれた。
撮り終わってから、俺はリュックサックにつけていたキーホルダーを外す。
そして、ムキムキちゃんに差し出した。
「あのさ……君がくれたから、俺は今この隣りにいるアンナと出会えた……いや、仲良くなれたと思うんだ。だからこれは君に返そうと思って」
しかし、彼女は首を横に振る。
「それはドスケベ先生に差し上げたものです。受け取れません。第一、アンナさんと出会えるきっかけになったのなら、ずっと持っていて欲しいです。お二人は最高に、お似合いのカップルですから♪」
と、微笑むムキムキちゃん。
性格も良いし、顔も可愛いのに、身体がデカすぎるのが難か。
「そうだ! 今年もキーホルダーを作ってまして……えっとここに」
何かを思い出したようで、ショルダーバッグの中に手を入れて、ゴソゴソと探し始める。
「あ、ありました! 今年のはサンタさんじゃなくて、トナカイさんなんです。これ、良かったらアンナさんに♪」
そう言って、小さなフェルト生地のキーホルダーをアンナに差し出す。
「え? いいの?」
「はい♪ サンタさんにトナカイさんは、必要じゃないですか? ペアルックみたいな感じでつけてもらえたら、嬉しいです」
「あ、ありがとう……」
この神対応には、年上のアンナの方が、押され気味で。
顔を赤くして、キーホルダーを受け取る。
本当に良い子だな。
だが、1つ。不思議に思うことがある。
それは現在も、彼女が募金活動をしているということだ。
俺はその疑問を、彼女にぶつけてみた。
「なあ、君はなんで今年も募金活動をしているんだ? 受験生だろ。それに場所は天神じゃないのか?」
俺の問いに、彼女はニコッと笑う。
「場所はただ単に、人が多いから博多に変えただけですよ。あと、私だけじゃなく、去年の同級生も募金活動をしています!」
「そうなのか? でも受験勉強は?」
「やってますよ。去年、ドスケベ先生に『3年生になったらどうする? 当然、高校受験があるだろ。来年もやらないなら、立派な偽善行為だろが! つまりお前らが来年の今頃は、暖かい自宅で受験勉強に勤しむわけだ……』って言われたので、逆にやる気が出ました!」
「えぇ……」
ひょっとして、俺のせい?
「あれ以来、ずっとみんなで寒さに耐えるため、筋トレしまくって、勉強する時間も5倍に。募金活動の回数も増やしました!」
オーバーワークだよ!
「そこまでしなくても……」
「いいえ! 自分たちがしたくてしているんです! もう、先生もいないので」
「へ?」
彼女の話では、昨年の募金活動を引率していた女教師は、現在結婚して、育休中らしく。
赤ちゃんの夜泣きが激しく、慣れない育児疲れから、もう学校に戻ってくることは、難しいようだ。
ていうか、時期的にあのイブに出来たんだろう……聖夜のデキ婚か。
しんどっ!
「なるほど。苦労するな、君たちも」
「いえ、後輩にも色々と教えたいので。私は今からまた合流して、募金活動をしたいと思います!」
先生が抜けてもやるとか……泣ける。
「おーい! 育子! どこだぁ~!?」
どこからか、野太い男の叫び声が聞こえて来た。
そして、のしのしと音を立てて、近づいてくる。
「あ、筋男くんだ!」
目の前に巨人が、もう1人立ちふさがる。
デカッ! 2メートルはあるだろう、こいつ。
首が太ももより分厚い。
「探したぞ、育子。また迷子なんて、おっちょこちょいだな~」
「ごめん、筋男くん。でも、ドスケベ先生に会えたんだ! こんなに可愛い彼女さんが出来たんだって」
「ああ! ホントだ! ドスケベ先生だっ! お久しぶりです!」
「うん……久しぶりだね……」
これまた律儀に、頭を深く下げる筋男くん。
最近の子って、マジで発育良すぎだね……。
なんか俺の方が、敬語使わないと辛くなってきた。
筋男くんと育子ちゃんは、こんな日でも募金活動に勤しむらしい。
恵まれない子供たちのために。
彼らは受験生だが、この日だけは、在校生と活動を頑張りたいようだ。
なんでも、卒業してもみんなで聖夜に募金を頑張ろう! と意気込んでいるのだとか。
これには俺も、昨年彼らに吐き捨てた『偽善行為』という言葉を、撤回しなければならない。
「筋男くん。育子ちゃん。悪かった……君たちのことを偽善だと言ってしまって」
そう言って、頭を下げると、2人は首をブンブンと左右に振り、慌て始める。
「いいえ! 私たち、好きでやっているんで!」
「そうです! 逆にあの日、ドスケベ先生が言ってくれなかったら、きっと僕たちは活動を止めていたと思います」
「そうか……なら、俺は君たちを信じていいんだな?」
俺がそう言うと2人はお互いの顔を見つめ合う。
「「え?」」
「来年も、再来年も、そのまた3年後も。毎年、お前たちが活動をしているか、見に来てやるよ」
たった1人の言葉が、ここまで彼らを動かしたのなら、更に俺の言葉でその信念を強くしてやろうと思った。
まあ、いじわるでもあるが……。
だが、俺のそんな傲慢な態度すら、2人はクスクス笑い始める。
「ドスケベ先生なら、そう言うと思っていました!」
「負けませんよ! 毎年、見に来てください! ドスケベ先生」
「ハハハッ……頼もしいな。それより、君たち。いい加減、そのペンネームを使うのはやめなさい」
最後の方は、かなり口調を強めたが。
「「分かりました。ドスケベ先生!」」
「……」
仕方ないか。
※
筋男くんと育子ちゃん達と別れ、俺とアンナは再度イブの取材を始める。
アンナが「身体が冷える」と言うので、なんか暖かいものでも飲もうと提案。
近くにあった屋台へと入ってみる。
メニューを見るより前に、その独特な甘い香りが不快に感じる。
しかし、これは俺個人の問題だ。
その証拠に、アンナは手を叩いて、喜んでいる。
「うわぁ☆ チョコのいい匂いがするぅ~ ホットチョコレートだって! 飲みたい!」
「そうか……じゃあ買おう」
チョコが嫌いな俺は、絶対に飲まない。
屋台の中で、大きな鍋をかき回すお姉さんに声をかける。
「すいません。ホットチョコレートを1つ下さい」
「お1つで、よろしかったですか?」
「ああ……じゃあ、ホットコーヒーってあります?」
「ございますよ」
「なら、それを1つ。ミルクも砂糖もいりません」
「かしこまりました!」
お姉さんとの会話を、隣りで聞いていたアンナが、クスリと笑う。
「タッくんたら、イブでもブラックコーヒーなんだね☆」
「まあな……」
「でも、寂しいな。チョコが苦手じゃなかったら、一緒に飲めたのにね☆」
「すまん」
そうこうしているうちにお姉さんから、商品を渡される。
アンナのホットチョコレートは、マグカップ付きで持って帰れるのだとか。
俺は紙コップに、暖かいブラックコーヒー。
うむ、香りはナイス……と匂いをかいでいると、どこからか、怒鳴り声が聞こえて来た。
「お客様! や、やめてください!」
隣りの屋台からだ。
若いお兄さんが、客に注意している。
「うるせぇな! 私は客だぞ!? ガタガタ言わずに、もっとワインを入れやがれ!」
悪態をついている客をよく見てみると……。
全身ツルツルテカテカなボディコンを、着た卑猥な女性が、顔を真っ赤にして叫んでいた。
あんな立ちんぼガールは、1人しかいない。
俺たちの担任教師、宗像 蘭先生だ。
「おかわりでしたら、有料ですので、お金を払ってください!」
「なんだと、コノヤロー!? 教師を敵に回すのか? お前の出身校を教えろ! 私はこう見えて、顔が広いんでな」
酷い。自分のコネクションで脅しにかけてる。
「な、なにを言っているんですか……酔っているのはわかりますが、カスハラですよ?」
「ハラハラうるせぇな! そんなこと言ってたら、何も出来ないだろがっ! ワイン、もっとよこせ!」
「もう、この一杯だけですよ? 内緒ですからね」
お兄さんがそう言うと、宗像先生の態度は一変し、優しい笑顔になる。
「ありがとぉ~ お兄ちゃん。優しいねぇ、今晩どう? 何時に終わるの? お姉さんが相手しようか」
うわ……カスハラの次は、セクハラだよ。
こんなのが担任教師だなんて、恥ずかしい。
しかし、そんな発言にもお兄さんは、顔色変えず一言。
「いえ、結構です」
目も合わせずに、マグカップにワインを注いで先生へ渡した。
「うへへへ。恥ずかしいのかな? タダでヤレちゃうんだよ?」
まだ懲りない宗像先生だったが、お兄さんは至って冷静で。
黙って背中を向け、別の仕事を始めだした。
「……」
イブなのに、酒で寂しさを紛らわしているのか。
ていうか、あんな大人にだけは、絶対になりたくない。
俺がずっと隣りの屋台を眺めていた為、アンナが心配して、肩を指で突っつく。
「ねぇ、どうかしたの? 誰か知り合いでもいた?」
「いや……見間違えだ。ちょっと変な酔っ払いがいてな。ここじゃ安心して飲めそうにない。場所を変えないか?」
宗像先生に見つかったら、面倒くさいし。
「いいよ☆ イブなのに、お酒で酔っぱらう人って、なんか寂しいよね。イルミネーションも楽しめないし、みんなでパーティー出来ないもん☆」
「そ、そうだな……」
宗像先生、愛する生徒にめちゃくちゃ言われて……かわいそう。
宗像先生から逃げるため、俺たちはフードコートへ移動することにした。
一ヶ月限定の特設会場。
普段なら、色んな人々が行き交う広場なのだが。
今は煌びやかクリスマスツリーが飾られており、その周りにステージまで設けられている。
司会の女性がマイクを持って、アーティストの名前と曲名を紹介していた。
どうやら、プロのバイオリニストとソプラノ歌手がコンビで、クリスマスソングを披露するらしい。
俺は普段、こういうのを聞かないから、良く分からないが……。
確かに、会場の雰囲気と合っている。
クリスマスらしい。
アンナがホットチョコレートをすすりながら、「そろそろお腹がすいたな☆」と言うので。
フードコートにある他の屋台を色々と物色し、気になったものを注文。
渦巻きに巻かれたぐるぐるソーセージ、パエリア、チキン。
これで終わりかと思ったら大間違いで、アンナの腹は満たされない。
大きなピザに、チーズボール。パスタにステーキ。グラタンまで……。
フードコートにあるテーブルで、食事をとれるのだが。
俺たちは2人だけなのに、購入したメニューが多すぎて。
スタッフのお姉さんが、わざわざ6人がけのファミリータイプへ案内してくれた。
そんな大きなテーブルでも、隅までギチギチ。
ちょっと、皿を動かしたら今にも、地面に落ちそう。
「うわぁ~☆ クリスマスっぽい! おしゃれだし、みんな美味しそう☆」
「そ、そだね……」
確かに全部、美味そうなんだけど、量が多すぎる。
こんなに食えない。
~30分後~
「はぁ~☆ 美味しかったぁ☆」
「……」
全部、残さず食いやがった……。
俺はチキンだけで、お腹いっぱいになったのに。
相変わらず、怖いな。アンナさんの胃袋。
「じゃあ、そろそろフードコートを出るか? 他にもお客さんが待っているみたいだし」
「うん☆ あ、でもその前にいいかな?」
「え?」
「デザートに、アップルパイを食べたいの☆」
「了解した……」
スイーツは別腹ってか?
この人の胃袋、どうなってんの。
※
アンナは、クリスマスマーケットの屋台で販売している、食事やデザートは、ほぼ全て食い尽くした。
満足した彼女は、「イルミネーションが見たい」と言うので、俺もついていく。
ツリーから少し離れたところに、光りで包まれた公園があった。
ハートの形のイルミネーションやかぼちゃの馬車。
若いカップルでごった返しており、みんな撮影に拘っている。
きっと、SNSに投稿することも意識しているのだろう。
「キレイだねぇ……」
エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、イルミネーションを眺めるアンナ。
俺には、こんな人工的に作られたものより、こいつの瞳の方が何倍も、綺麗だと感じる。
イルミネーションを楽しんでいることを良いことに、今も俺は彼女の横顔を、じっと見つめている。
「ねぇ、タッくん」
急にこちらへ視線を向けられたので、ビクっとしてしまう。
「お、おお。なんだ?」
「ちょっと、そこのベンチに座らない?」
「ん? あそこか?」
アンナが指差したのは、何の飾りつけもない古いベンチだ。
多分、このクリスマスマーケットのために置かれたものじゃなくて、普段からあるものだ。
そんな所だから、人気が少ない。
「構わんが」
「じゃあ、ちょっと二人で座ろうよ。人が多くて、二人きりの時間が少ないもん」
と唇を尖がらせる。
「了解した」
彼女に言われた通り、ベンチに腰を下ろして見せる。
するとアンナは、満足そうに隣りへ座った。
寒いからと俺の腕をぎゅっと掴んで、胸へと押しつける。
「お、おい……」
「いいじゃん。イブなんだから☆ タッくんとの初めてを、たくさん味わいたいの☆」
そう言って、可愛く上目遣いをされると固まってしまう。
今日のアンナは、本当に積極的だな。
ひょっとして、マリアへの対抗心がそうさせるのか?
「ねぇ、タッくん☆」
「ん? なんだ?」
「あのね……」
俺の耳もとに手を当てて、そっと囁く。
思わず、ドキッとしてしまう。
何を言い出すのか、彼女の言葉に緊張する。
「目をつぶってくれる?」
「なっ!?」
ま、まさか……この前の続きを、したいってことか!?
聖夜にこんな人がたくさんいる場所で、キッスだと。
「ごくり……」
生唾を飲まずにはいられなかった。
昨晩、ミハイルの時には出来なかったが、女装して積極的なアンナなら、唇を重ねられるということでは?
マジか、俺。ついにイブで、ファーストキスを経験できるんだ。
覚悟を決めて、瞼をぎゅっと閉じる。
「つ、つぶったぞ?」
「じゃあ、アンナが良いって言うまで、ずっとつぶったままでいてね☆」
「は、はい!」
なぜか敬語になり、カチコチに固まってしまう。
瞼を閉じているから、何が起きているが分からない。
どうやら、アンナは両手を俺の首に回し、抱きしめているようだ。
彼女の吐息が、俺の頬に伝わる。
これはマジだ。
心臓がバクバクして、爆発しそう。
いつになったら、彼女の唇が俺の唇に……。
「ちゅっ」
可愛らしい音だった。
アンナの唇は、とても小さい。
だから、食事をする際も、あまり大きく唇を開けることができない。
それもまた彼女の愛らしいところでもあるのだが。
「ちゅっ……ちゅっ、ちゅっ!」
激しいキッスだった。
なんていうか、キツツキきたいな接吻。
「ちゅ~、ちゅっ! ちゅっ! あれ? なんでかな?」
自分からやっておいて、時折疑問を抱いているようだ。
それもそのはず、この激しいキッスは唇ではなく、頬にされているからだ。
左側の。
ゲームのコントローラーを連打する子供のように、激しくキッスを重ねるアンナ。
「なあ、アンナ? 一体なにをやっているんだ?」
瞼は閉じたまま、質問してみる。
「あ、タッくん! 目はつぶってよね! 恥ずかしいから!」
「おお……閉じているよ。なんで、こんなに頬へ……その唇を当てているんだ?」
「だって、マリアちゃんがこの前学校で、頬にキスしたって、ミーシャちゃんが言うから……汚れを落とすの!」
「えぇ、それで……」
なんだ、あのことをまだ根に持っていたのか。
「そうか……しかし、こんなに何回も、しなくていいんじゃないのか?」
「ダメ! キスマークをつくるの!」
ファッ!?
この人は一体何を言っているんだ。
今やっている控えめなキスでは、マークをつけることは、無理だろうに。
「おかしいな。今読んでいるBLマンガでは、こうしたら、すぐについたんだけどなぁ」
そりゃ、マンガだからだろ。
「アンナ。もう良くないか?」
「イヤっ! 絶対タッくんに“しるし”をつけるの! ちょっと黙ってて!」
怒られちゃったよ……。
「はい……」
「ちゅ、ちゅ、ちゅっ! う~ん。息を吐きながら、チューすればいいのかな?」
逆だ、逆!
吸うんだよ!
「すぅ~ しゅば~!」
うん、暖かいね。それだけだよ。
結局このあと、アンナが満足するのに、1時間も付き合わされた。
これが、恋人らしいクリスマス・イブなの?
僕には分かりません……。