気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 ひとり拳を作って、苛立ちを露わにしていると、女子アナが俺に話しかけてきた。
 カメラマンと照明つきで。

「あのぉ~ 彼氏さん……ですよねぇ?」
「え、えっと……俺は、その……」
 ヤバい!
 この女子アナのせいで、俺とアンナは、付き合っているという関係になってしまう。
 早く弁解せねば……。

「ち、ちがい……」
 
 素人の俺からすると、カメラを向けられただけで緊張し、まともに喋ることができなくなってしまう。
 それにローカルとはいえ、生放送だ。
 少しでも言葉を間違えれば、俺の今後……人生に関わる問題にもなりかねない。

「え、お二人はカップルさんじゃないんですか? だって、タワーから仲良く出てこられましたし……」
「それは……アンナが誕生日で」
 たくさんの大人に囲まれ、インタビューされるのがここまで、恥ずかしいとは……。
 頬がすごく熱くなっている……。きっと顔が真っ赤なんだと思うと、尚のことダサい。

 俺が言葉に詰まっていると、タマタマくんと遊んでいたアンナが間に入る。
「タッくんとアンナは、真剣に付き合っているカップルさんですよ☆」
「ブーーーッ!」
 目の前のカメラに向かって、大量の唾を吐き出してしまった。
 しかし、撮影しているカメラマンが、驚くことはなく。ジーパンからタオルを取り出して、すぐにレンズを拭き上げる。

「これ、今。生放送なんですよね?」
 勝手に司会を始めるアンナ。
「あ、そうですよ。お天気予報ですけど」
「うわぁ、すごい~☆ タッくんとテレビデビューだぁ☆」
 そんな呑気な……あなたの正体がバレちゃうよ。
「ところで、アンナさんは今日、お誕生日だったんですか?」
「そうなんですぅ☆ タッくんがこのキレイなピアスをくれて、最高の1日になりました☆」
「いいなぁ~ それって、タンザナイトですよね? 私もそんな優しい彼氏が欲しい~」
 なんか女子トークが始まっている。
 天気予報、どこ行ったの?

「あと、アンナの……私の彼って、作家なんです」
「え、小説家さん。なんですか? お若いのに……」
 急に俺を見る目が変わった。
 だが、次の瞬間。女子アナの目つきが変わる。

 アンナが良かれと思って、言ってくれたのだと思うが。
「はい☆ ペンネームは、DO(どぅ)助兵衛(スケベ)
「す、スケベ!?」
 汚物を見るかのような目つきで、俺を睨む。
 アンナは女子アナを、無視して話を続ける。
「小説のタイトルは『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』で。1巻から3巻まで、好評発売中です☆」
 めっちゃ宣伝してる……。
 ていうか、福岡中に俺のペンネームがバレちまったよ!
 顔出しで。

  ※

 結局、アンナが1人で喋り倒し。
 俺と彼女は、付き合っている関係になってしまった。
 アホなペンネームを聞いた女子アナは、引きつった顔で、一度スタジオに返す。
 どうやら、コマーシャルを挟むようだ。

 その間、女子アナから軽く説明を受ける。
 明日の天気予報を読み上げるから、隣りに立って笑っていて欲しいそうだ。
 最後に俺たちへ何か話を振ると、忠告を受けた。

 コマーシャルがあけて、また女子アナがペラペラと喋り始める。
 パネルを持って、明日の気温や天候を説明していた。

 俺とアンナは、タマタマくんと一緒に立っているだけ。
 正直、引きつった笑顔だと思う。

 忠告通り、コーナーの終わりに女子アナから話を振られる。
「ところで今日、とても素晴らしいお誕生日を、過ごせたカップルのアンナさんとスケベくん」
 それ、名前じゃねー!
「はい? なんでしょう☆」
 アンナも、そのまま通すなよ。
「明日はクリスマス・イブですよね? やっぱりイルミネーションを見ながら、デートされますよね?」
 その言葉が胸にグサリと刺さる。
 せっかく、傷ついていたミハイルを楽しませようと、今日を精一杯祝っていたのに。
 急に現実へと戻されてしまう。

 そうだ。明日、俺はイブをマリアと過ごすことになっているんだ……。
 アンナも、きっと落ち込んでいるだろう。
 隣りに立っているアンナの顔を覗き込むと……なぜかニコニコと笑っていた。

「それがぁ~ 彼ったらイブだって言うのに、お仕事が入っていて。明日はデートできないんですよぉ」
「へ?」
 思わず、アホな声が出てしまった。
 アンナのやつ、なにを考えているんだ?
 なぜこんな他人事みたいな、話し方ができるのだろう……。

 女子アナも、その話を鵜呑みにする。
「そうなんですか? スケベくんは作家さんだから、打ち合わせとか、なんですかね?」
 ヤベッ。俺に話を振ってきやがった。
「ま、まあ……そうですね。ちょっと、取材が1件ありまして……」
「え? 先ほどのタイトルからして、取材が必要な作品には、感じませんが?」
 この女子アナ。ムカつくな。
「編集部から言われているんですよ。ははは」
 笑ってごまかそうとしたら、女子アナの目つきが鋭くなった。

「あの、まさかと思いますが……アンナさんの誕生日を祝っておいて。仕事とはいえ、別の女性とイブを過ごされるんじゃないですよね?」
「……」
 女子アナとカメラマン、照明さん。それからメイク係。
 たくさんの大人の視線が、一気に俺へと向けられる。
 ついでに、テレビの向こう側。
 大勢の福岡県民が見ているんだ。

 そんな中……俺は嘘をつくのか?

「お、俺は……」
 そう言いかけた時。隣りに立っていたアンナが、代わりに話し始める。
「アンナ……私は、信じています。大好きな彼のことですから。私を傷つけるようなことはしません。それに彼って嘘が大嫌いなんです。イブを一緒に過ごせなくても、2人の気持ちはずっと一緒です☆」

 そう言い切ると、カメラに向かって天使の笑顔を見せた。
 これには、他のスタッフも思わず声を上げる。

「かわいい」
「アイドルみたいだ」
「明日から、この子を天気予報に使いたい」

 最後のやつ、ふざけんな。

 アンナの言葉を聞いた女子アナは、最初こそ驚いていたが。
 すぐに落ち着きを取り戻す。

「素晴らしい! 離れていても、このアンナさんとスケベくんの愛は、永遠だということですね! では、テレビをご覧になっている方も、明日は良いイブをお過ごしください~♪」

 そう言って、勝手に話を纏めやがった女子アナは、番組が終わると、さっさとテレビ局へと帰っていく。
 ついでにスタッフ達も、機材を集めて立ち去る。
 着ぐるみのタマタマくんだけ、照明さんと一緒に置いていかれた。周りにいた子供たちと記念撮影をするため。

 
 残された俺とアンナも、帰ることにした。
 バス停へと向かう際、彼女の顔を見たが、やはり満面の笑みだ。
 この余裕ぷりが、心配で仕方ない。

「なぁ。アンナ……本当に明日のこと。大丈夫か? イブなのに」
「大丈夫だよ☆ だって来年があるし☆」
「そうか……」

 立ち直りが早いのか、それとも今日が楽しすぎたのか。
 分からんな、女って生き物は。あっ、男だった。

 博多駅から小倉行きの電車に乗り込む。
 年末だから人が多く、座ることはできない。
 しかし、それもアンナとの時間を楽しむための口実になる。

 30分ほど、今日の出来事を振り返って、話が盛り上がる。
 俺の地元。真島駅についたことで、彼女とは別れることに。

「タッくん。今日は本当にありがとうね。明日……寒いかもしれないから、気をつけて」
「ああ。俺も楽しかったよ」

 列車の自動ドアが閉まるまで、手を振り続けるアンナ。
 別れが惜しいようだ。

 ドアが閉まり、ゆっくりと列車はホームから走り去っていく。

「よし……」

 列車が去ったことを確認した俺は、駅舎に上がろうとはせず。
 近くにあったホームのベンチに座り込む。

「30分ぐらいでいいか」
 
 スマホのアラームを、30分後に設定する。
 アンナに帰ると見せかけて、次のミッションを遂行するのだ。
 女装したあいつも誕生日だが、もうひとりの……ミハイルをまだ祝えていない。

 きっと、今から帰宅して“彼女から彼”に戻るのだろう。
 着替えるのには、時間がかかる。
 だから……俺は待つ。

 ~1時間後~

 30分間もホームで待機したせいで、身体が冷えきってしまった。
 ま、それでもいいさ。
 今は“こいつ”を、ミハイルに渡したい気持ちの方が強いからな。

 真島駅から2駅離れた席内(むしろうち)駅。
 ミハイルの故郷だ。

 年末ということもあってか、商店街は閑散としていた。
 いくつか街灯が立っていたが、それでも薄暗い。

 目的地である洋菓子店に着くと、俺はスマホを取り出す。
 2階の窓を見ると、明かりがついていて、人影が見える。
 きっと彼が着替えているのだろう。

 電話をかけてみると、すぐにミハイルが出る。
『も、もしもし!? どうしたの? タクト……』
 どうやら、かなり驚いているようだ。
「よう。久しぶりだな、ミハイル」
 俺は下からずっと彼の影を見ながら、話している。
『うん……って、今日はアンナと誕生日デートだったんじゃないの?』
「そうだ。ちゃんと祝ってきたよ。喜んでくれた」
 言いながら、彼の影があたふたしている姿を見ていると、笑ってしまいそうだ。

『じゃあ、オレに用があるの?』
「ああ……ミハイル。ちょうど、お前ん家の前にいてな。今から出てこれるか?」
『え、えええ!? 今から!? こんな遅くに?』
「すぐに終わるよ」
『分かった。待ってて!』

 しばらくすると、店の裏から、ミハイルがこちらへと向かってくる。
 随分と慌てているようだ。

 アンナの時とは、対照的なファッション。
 黒のショートダウンに、デニムのショートパンツ。
 長く美しい金色の髪は首元で1つに結び、前髪は左右に分けている。
 ただ、唇に違和感が残っていた。
 急いで出て来たため、化粧が落ちていない。
 ピンクの口紅が、目立っている。

「ど、どうしたの? タクト。オレの家になんでいるの?」
 本人はそれどころじゃないようだ。
「それはな、ミハイル。お前に渡したいものがあるんだ」
 そう言って、リュックサックから、小さな紙袋を取り出す。
「これって……」
「お前の誕生日だろ? 俺からプレゼントだ」
「タクトが? オレに?」

 俺としては、半年前にミハイルからプレゼントを貰っているので、渡すのは当たり前だと思っていたが。
 どうやら、本人は考えていなかったようだ。
 小さな口を開いて、かなり驚いている。

「あ、ありがとう……プレゼントをもらえるなんて、思わなかったから……」
 頬を赤くして、ゆっくりと紙袋を手に取る。
 アンナの時と同じように、綺麗に包装紙をほどき、畳んで紙袋に入れる。
 これも大事に、保管するようだ。

 中にはミハイルの大好きなキャラクターがプリントされた、ギフトボックスが入っていた。
 夢の国のストアで、購入したネッキーだ。

 それを見たミハイルは、緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「うわっ! これネッキーのやつだ!」
「ああ。お前が好きなの……って探したけど、良く分からなくてな……結局、これにしてしまったよ」
 そう言って、頭をポリポリとかいてみせる。
 照れ隠しのために。
 だが、ミハイルはそんなことを気にしていない。

「ううん! オレ、このシリーズ好きだもん! 欲しくてたまらなかったやつだ☆」
「そうなのか?」
「うん☆ 開けていい?」
「もちろんだ」

 ギフトボックスを開いて、中からネッキーとネニーのピアスを取り出す。
 ちなみに、ダイヤモンドが入っている……。

「すご~い! カワイイ☆ 耳につけてもいい?」
「ああ……」
 と言いかけたところで、思いとどまる。
 なぜかは、分からない。
 ただ、身体が勝手に動いていた。

「貸してみろ」
 ミハイルから、ギフトボックスを取り上げる。
「え?」
「今、手が塞がっているだろ? 俺がつけてやるよ」
 これは嘘だ。
 口実にすぎない。
「え、え……? お、オレに?」
 いきなり、そんなことを言われて、ミハイルは固まってしまう。
 顔を真っ赤にして、視線は地面に向けられる。
 従順なミハイルを良いことに、俺は彼の白い肌にそっと触れる。
 冷たいが嫌じゃない。柔らかくて、むしろ気持ちが良い。

「じゃあ、いくぞ」
「うん……お願い」

 ピアスなんて、したこともないくせに。
 勝手にミハイルの耳へ、ピアスを差し込む。
 不慣れなこともあってか、何度か失敗したが、それでも両方の耳へつけることに成功した。

「よし。できたぞ」
「あ、ありがとう……」

 急に積極的な行動を取ったため、ミハイルは動揺している様子だった。
 それでも、プレゼントは嬉しいようで、スマホのカメラを使い、耳元を確認する。

「カワイイ☆ これ、すごく好き☆」
「そうか」

 久しぶりに、彼の笑顔が見られた……。それがとても嬉しかった。
 いや、やっと安心できたのだと思う。
 この前の学校は、最悪の別れだったから……。

「タクト。ホントにありがとう☆ オレ、今日が今年で一番嬉しい……ううん! 人生で最高に嬉しい一日だよ!」
「……」

 なんとも眩しい笑顔だった。
 相変わらず、宝石のように美しいエメラルドグリーンを輝かせて……。

 俺は思い出していた。
 今年の4月。
 高校の入学式で、彼と初めて出会った日を。

 あの時、笑ってはいなかったが。
 俺は初めてこいつを見た時、確かに思ったんだ。

『可愛い』と……。

 今までの人生で、見たこともないぐらいの美少女。
 この地球で、こいつより可愛いやつは、いないんじゃないかって。

「タクト? どうしたの?」
「……」

 2週間もこいつのことばかり考えていて、頭がおかしくなっていたのかもしれない。
 今年最後の学校が、あんな終わり方じゃ、嫌だ……。
 失いたくない。

 そう思うと、何故か胸にぽっかりと大きな穴が、開いた気がした。
 これを埋めるには、どうしたらいいか分からない。

 でも……きっと彼ならば。


「た、た、タクトぉ!?」
「悪い……」

 気がつくと、俺はミハイルを抱きしめていた。
 力いっぱい。
 もうお互いが、離れることのないように……。

「タクト……なんで……」

 彼の問いかけに、俺は無言を貫く。

 やってしまった……ついに。
 身体が、勝手に動いてしまった。
 あの屈託のない笑顔を見た瞬間、身体中に電撃が走り、俺を突き動かした。

 誕生日を祝ったことで、浮かれていたのだと思う。
 一時的な感情で、彼を抱きしめてしまった……。それならば、すぐに離れたら良い。
 だが、頭からそう指示を出しても、俺の身体は微動だにしない。
 むしろ、ミハイルの身体を、もっと強く抱きしめてしまう。

「悪い。ちょっと、このままで……」
 情けない声だと思った。
 正直、殴られると思ったが、ミハイルは控えめに俺の袖を掴む。
「べ、別に、謝らなくてもいいけど……」
 顔は見えないが、きっと彼のことだ。赤くなっているのだろう。

 
 ミハイルの頭を、撫でてみる。
 小さくて、片手におさまりそうだ。
 ビッタリと密着しているから、自然と彼の長い髪が数本、鼻の前で舞っていた。

 甘い香りがする。
 なんだろう。こいつが普段、使っているシャンプーだろうか。
 癒される。


 俺がミハイルを抱きしめて、どれだけの時間が経ったのだろう。
 10分ぐらい? わからない。
 でも、今は時計なんて、確認する余裕はない。
 このあと、どうやったらいいのか、分からない。

 夜だし、静かな商店街だから、人通りは少ない。
 だが駅が近いから、何人かのサラリーマンやOLがすれ違っていく。
 それでも、俺がミハイルから、離れることはなかった。

  ※

 目の前にある街灯に、小さな埃が降りかかる。
 最初は埃だと思ったが、それは夜空から降ってきた白い雪だと気がつく。
 “反対側”を見ているミハイルも、雪だと気がついたようだ。

「あ、雪……」

 時間切れ。だと感じた。
 こんなにたくさん雪が降っている中、彼をここに縛りつけてはならない。
 でも……俺の身体は、言うことを聞かない。
 まだ離れたくない、とわがままばかり、言いやがる。

「ミハイル。本当にすまん……身体が動かなくて」
「え……その、いいけど。寒くないの?」
「寒くない。むしろ、暖かくて心地が良い」
 今の俺はどうかしている。
 思っていることを、ペラペラと話しやがって。
「そっか……でも、今日のタクト。なんかおかしいよ」
「ああ。そうだな……こうやっているの、嫌じゃないか?」
「嫌じゃないよ。けど、どうして……男のオレなの?」
「!?」

 痛いところを突かれた。
 そうだ、彼の言う通り……なぜ男のミハイルを抱きしめたんだ?
 別に女役のアンナでも、良かっただろう。
 どうしてだ?
 俺にも分からない。


「その……ミハイルでしか、俺を救ってくれないと思ったから……だと思う」
「オレしか、出来ないことなの?」
「ああ、そうだ」

 俺はようやくミハイルから、身体を離した。
 だが、両手は彼の肩を、がっちり掴んでいる。
 逃げないように、捉まえているわけじゃない。
 彼の綺麗なエメラルドグリーンを、この目に焼きつけるためだ。

「タクトはオレが必要なの?」
 潤んだ瞳で訴える。
 普段の俺ならば、怯むところだが、今なら大丈夫。
「必要だ」
 言い切ってしまった。
「そ、そうなんだ……」
 逆にミハイルの方が怯んでしまう。
 頬を赤くし、視線を逸らす。

 ここで1つ気になるところがある。
 それは、彼の小さな唇だ。
 女装した際につけた口紅が、まだ落とせていない。

 卑怯だと思ったが、彼を誘うには、良い口実だと思った。

「なあ、ミハイル。お前、口元が汚れているぞ?」
 そう言うと、彼の細い顎を掴む。
 所謂、“顎クイ”ってやつを、やったつもりだったのだが……。
 顎をガッツリ掴んで上にあげると、ミハイルの下唇がひん曲がってしまう。
「うゔ……タクト。なにするんだよぉ……」
「あ、すまん」
 こういうところは格好つけられないのだと、童貞の自分を呪う。
 仕切り直して、人差し指だけで、再度、彼の顎を上げてみる。

「は、ほわわ! た、タクト!?」
 案の定、ミハイルの目は泳ぎ回る。
 かなり動揺しているよう。
 だが、俺も引くに引けない状態だ。
 このまま、行かせてもらう。

「目をつぶってくれ……」
「え、えぇ!?」
「汚れを落とすために必要なことだ」
「そ、そっか。分かった」

 そっと瞼を閉じるミハイル。
 なんて、愛らしい顔なんだろう。
 人形みたいに小さい。
 散々、汚れだとか抜かしておいて。この唇は誰よりも美しいと感じる。
 だからこそ、今。俺は奪おうとしているんだ。

「すぐに終わるから」

 なんてキザなセリフを吐き、彼の唇に自身を重ねようと試みる。
 この一線を越えたら、きっともう二度と……。
 それでも、ミハイルとなら。

 本当なら、彼の可愛い瞼を見つめながら、キッスしたいところだが。
 やはり、ここは俺も平等に。瞼をゆっくりと閉じてみる。

 ミハイルの鼻息を感じる。
 でも、それは彼も同様だろう。

「タクト……」
「ミハイル」

 俺の名前を呼んでくれたことで、同意とみなした。
 あとはお互いの唇を重ねるだけ……。
 しかし、悲劇は突然訪れる。

「こらぁあ! ミーシャ! どこだぁ!」

 その叫び声を聞いた瞬間。俺は、即座にジーパンのポケットから、ハンカチを取り出す。
 俺が普段から、愛用しているタケノブルーの白いハンカチだ。
 まだ瞼を閉じて、目の前で待ち続けるミハイル目掛けて、ハンカチを擦りつける。
 かなり強めに。

「痛いっ! いたた! タクト、痛いよ!」
「すまんな、ミハイル。かなり汚れがついていて……」

 俺が彼にキスをしようとしたことも、隠さないといけないが。
 女装していたことを、姉のヴィクトリアに、バレることを阻止しないといけない。
 だから、ゴシゴシと力強く拭き上げる。

 ピンク色に染まったハンカチを、ジーパンのポケットになおし、何事もなかったかのように振舞う。

「痛いよ……タクト。一体、なにがしたかったの?」
「いや……その……」
 急に歯切れが悪くなってしまう。
 きっとヴィクトリアが、登場してしまったことで、ビビったのだと思う。
「急にオレを、は、ハグしたり……意味がわかんないよ!」
 そう言うミハイルの顔は、ムスっとしていた。
「すまん……」

 結局、この日も俺はなにも出来ず、終わりを迎えてしまった。


 後からヴィクトリアが現れて、俺たち2人に声をかけてきた。
 ピンクのガウンを羽織っていたが、多分中は下着だろう。
 その証拠に襟元から、胸の谷間が見えている。
 動く度にボインボインいわせるから、吐きそう。
 
 
「おお~ こんなところにいたのか? ミーシャ! お前の誕生日を祝おうとしたのに、急に出て行きやがって。心配するだろが!」
 ちくしょーーー!
 もうちょっと、タイミングをずらせよ、お姉ちゃんっ!
「ご、ごめん……姉ちゃん。タクトが誕生日プレゼントを持って来てくれて」
 ようやく俺の存在に気がつく、ヴィクトリア。
「へ? ああ、坊主じゃないか。なるほど、わざわざミーシャにプレゼントを届けてくれたんだな。お前もパーティーに参加したらどうだ?」
 そう言って、2階の窓を指差す。
 嬉しい誘いだったが、正直、今はそんな気分じゃなかった。
 散々、自分からやっておいて、何も出来なかった。
 それが恥ずかしくて、彼の顔をちゃんと見ることが出来ない。

「いや……今日は帰ります」
「遠慮するなよぉ~ もつ鍋を作ってるからさ。食ってけよ♪」
 誕生日でさえ、もつ鍋かよ……。
「いえ。今日は本当に」

 そう言って、ヴィクトリアに頭を下げる。
 色々と、ミハイルをいじったし……。
 罪悪感もあったのだと思う。

「そっか♪ じゃあ、また来年な!」
「はい……」

 背中を向けて、駅に向かおうとした瞬間だった。
 ミハイルが大きな声で、俺を呼び止める。

「タクト!」
「え?」

 振り返ると、心臓の辺りを両手で抑えたミハイルが、苦しそうな顔でこちらを見つめていた。

「タクト……なんか、今日のタクト。本当におかしかったよ。悩みとかあるなら、言ってよね?」
「ああ。その時はちゃんと言うよ」

 俺は……最低だ。

 俺はなぜ、あんなことをしてしまったのだろう……。
 この手でミハイルを抱きしめたのか?

 ミハイルと別れてから、もう半日近く経っているが、身体が燃えるように熱い。
 風邪でも引いたかと、体温計で確認したが、特に症状はない。
 じゃあ、なぜ。俺の頬はこんなにも熱いんだ。
 何度も何度も……脳内で繰り返し流れる映像。

 雪が降る寒空の中、抱きしめ合う2人。
 人目も気にせず、力いっぱい抱きしめて、キッスする……はずだった。

 思い出すだけでも、恥ずかしさがこみ上げてくる。
 それと同時に、後悔も残っているが。
 なんで、あの時もっと早くミハイルの唇に、自身の唇を重ねなかったのかと……。


 俺は家に帰ってから、そのことばかりで頭がいっぱい。
 飯も喉を通らず、ベッドの上で一人、放心状態だ。

 瞼を閉じているわけではないが、視界が悪い。
 それは俺の顔面に、とある布切れをかぶせているからだ。

「すぅ~」

 深く息を吸い込み、一気に吐き出す。

「ぶっはぁーーー!」

 そうすることにより、布切れは空中に舞い上がる。
 だが、あくまでも一瞬だ。
 重力には勝てない。

 ふわっと、俺の顔目掛けて、戻って来る。

「ちゅっ!」

 どこからか、可愛いらしい音が聞こえてくるのは、気のせいだろうか?

「すぅ~ はぁ~!」

 落ちて来た、布切れに残る甘い香りを、楽しむ。
 いや、正確には、脳内で相手の唇を味わっているのだ。

 この布切れは、俺が一番気に入っているブランド。タケノブルーの白いハンカチだ。
 そして、昨晩ミハイルの唇を、拭いたものでもある。
 女装していた時の口紅が、べったりとハンカチについている。

 洗ってはいない。
 アンナの……いや、ミハイルの唇が味わえるから。
 間接キッス。

 違うか。重力によるエアーキッスといえるな。
 ヤベッ……またすごいものを、開発してしまったぞ。
 天才すぎる自分が怖いぜ。
 自分の息を使い、何度も意中の相手と、キッスを繰り返し出来るなんて、めちゃくちゃエコじゃん。
 

 そんなことを昨晩から、10時間近くやっている。
 頭の中では、常にアンナとミハイルが頬を赤くして、唇を俺へと捧げる。
 アンナの方が可愛く感じるのに……。どうしても、ミハイルに目が行ってしまう。
 放っておけないからだ。

「俺は一体、どうしちまったんだ……なんでアンナじゃなく、男のミハイルを」

 ベッドの上で、一人そう呟くと、誰かが顔に被せていたハンカチを取り上げた。

「おにーさま! なにやっているんですか? 昨日から、ずっと『すぅ~ はぁ~』言って過呼吸なんですの!?」

 瞼を擦り、声の主をよく見てみると、妹のかなでだ。

「ああ……悪い」
「元気ありませんねぇ。今日はクリスマス・イブですよ? アンナちゃんと、デートとかしないんですか?」
「そうだったな……イブか……」

 正直、クリスマス・イブという存在すら、忘れていた。
 昨晩起きた出来事が、余りにも衝撃的で……。

 とりあえず、かなでにハンカチを返してもらい、学習デスクの引き出しに保管しておく。
 もちろん、チャック付きのポリ袋を使用し、鮮度を保つ。
 次のお楽しみに。

 マリアと取材か。なんか気が乗らないなぁ……。
 昨日の今日で、別の女とデートって。
 
 机の上に放置していたスマホの画面が、白く光っていた。
 どうやら、メールが入ったらしい。
 スマホを手に取り、画面を確認すると、数十件も通知が入っていた。
 電話やら、メールなど。

 相手は、本日クリスマス・イブを一緒に過ごす女の子、冷泉 マリア。
 一番最初のメールまで遡るのは、時間が掛かるから、とりあえず最新のメールに目をやる。

『タクト。今日の約束、忘れてないわよね? イブなんだから、2人きりで仲良くイルミネーションを楽しみましょうよ♪ でも、夜まで長いから夕方に、いつもの場所で会わない?』

 というと、やはり定番である、黒田節の像か?
 俺は即座に彼女へ返信メールを送信した。

『了解』とだけ。

 すると、すぐにまたマリアからメールが送られてきて。
『やっと起きたのね♪ まさかと思うけど、ブリブリアンナとキッスしたり、してないわよね? 取材と称して』
 
 ギクッ! 昨晩、素のミハイルにしようとしたんだけどなぁ……。
 まあ、アンナとはしてないから、セーフ!

『してない。俺は嘘が嫌いだ』
 と返信。
 うむ、嘘は言ってないもの。
『そう。なら、夕方に会いましょう♪ 今日が楽しみで仕事を頑張っていたの。タクト、大好きよ』

「……」

 最後の一言には、俺は何故か罪悪感を感じていた。
 
 好きか……。
 そんな簡単に相手へ想いを伝えられたら、どれだけ気持ちが楽になるんだろうな。

 夕方と言っても、ちゃんと時刻は指定されていなかった。
 しかし、少なくとも16時ごろには、博多駅でデートをするんだろう……。
 と思った俺は、昼食を取った後、早めに電車へ乗って、博多に向かった。

 博多口を出た瞬間から、人でごった返していた。
 こんなにもイブの博多駅は、大勢の人で賑わっているとは……。
 万年童貞だった俺には、見たことのない光景だ。

 やはり若者が多く感じる。
 特にカップル。ていうか、カップルしかいねーじゃん!
 クソがっ! イチャイチャしやがって。
 こいつら、あれじゃないか?
 もう事後なんじゃないの……。
 だって、こんな寒い日だってのに、彼女たちはみんなマイクロミニのスカートだぜ。

 意味がわからん。
 お腹はちゃんと、暖めておけよ。

 クリスマス会場でもある駅前広場は、いつもと違い、そこだけ幻想的な空間と化していた。
 右手には、たくさんのイルミネーションがキラキラと輝いている。
 家族連れやカップルで賑わっており、早くも写真撮影で盛り上がっていた。
 
 反対側の左手に、巨大なツリーが飾られており。
 そこを中心にクリスマス会場が、設けられている。

 様々な屋台が並んでおり、主に海外の伝統工芸品を販売している。
 クリスマスにまつわる物。キャンドルやアートグラス。アクセサリーに、鹿の角まで……。

 本当ならすぐに、いつもの待ち合わせ場所である、黒田節の像へ向かいたいところだが。
 特設のフードコートで、像が封鎖されていた。

 参ったな……と思い、とりあえず、人ごみを搔き分けて、像の近くまで辿りついた。
 近づけないから、仕方ないと思い。マリアがここに来るのを待つ。

 しかし、こんなに人が多いのに、像の前で待ち合わせなんて……できるのか?
 俺たちがやっていることって、昭和なんじゃないの。

 ~30分後~

 目の前で美味そうに、チキンを頬張るカップルを見て、苛立ちを隠せずにいた。

「クソ。あ~、寒いし腹減ったなぁ……」

 それにしても、マリアのやつ。
 遅いな……ちょっと連絡してみるか。

 ダッフルコートのポケットから、スマホを取り出した瞬間、着信音が流れ出す。
 相手は、マリア。

「もしもし?」
『タクト。ごめんなさい。もう博多駅にいるのよね?』
「ああ、マリア。お前、今どこにいるんだ?」
『私も博多にいるのよ……でも、ちょっとトラブルがあってね』
「ん?」

 マリアも博多にいるのに、駅にいないだと?
 意味が分からん。
 渋滞とかかな?

『前に言ったと思うけど、私ってアメリカで、ファッションブランドを立ち上げたじゃない?』
「ああ……そう言えば、そんなこと言ってたな」
『それで日本にも支店ていうか、オンラインストアをオープンしたり、色々と事業を拡大しようと思ってね。とりあえず福岡に事務所を借りたのよ』
「ほう」
『博多って何かと便利だから、小さなビルの一室を借りたのだけど。最近、嫌がらせが多くてね』
「嫌がらせ? どんなことだ?」
『かなり悪質ね。頼んでもないピザを30人分、頼まれたり。高級寿司を数十万円も持って来られたり……たまに、火事の誤報で消防車や救急車まで』
 ストーカーってレベルじゃない……犯罪じゃん。
 しかし、この犯行。誰かに似ているような。
 
「マリア。お前、その事務所ってホームページとかに、住所を記載しているか?」
『もちろんよ。会社だもの』
「……」

 なんかすごく嫌な予感がしてきた。

「それで、マリア。なぜ博多駅に、まだ来られないんだ?」
『本当にごめんなさい、タクト。私と初めてのイブなのに……』
「え?」
『両親とまだホテル暮らしなんだけど。私だけ事務所で缶詰したりするのよ。それで昨日から徹夜して、寝落ちしたら……事務所のドアが、強力な接着剤でガチガチに固められて、開けられないの』
「あ……」
 そんな悪質なストーカーは、1人しか思い浮かばない。

『今、業者さんに開けられるように、頼んでいるんだけど。6時間以上はかかるそうよ。ドアの鍵穴は接着剤で埋められたし、ドアの隙間も全て埋められて、ビクともしないんだって』
「そ、そうなんだ……」
『おまけにね、ビルの廊下に段ボールを山のように、置き配されてね。業者さんも通りづらいの、もう嫌になっちゃうわ!』
「こ、怖いな……」
 そこまでやるとはね。
 
『はぁ……タクトとの、イブデートが楽しみだったのに。ごめんなさいね、悪いけど今日は帰ってくれるかしら? 埋め合わせは必ずするから、ね?』
「ああ。マリア、あんまり気を落とさないでくれ……またいつか取材しよう」
『ありがと、優しいのね。タクトって。好きよ、チュ♪』
「……」

 いや、マリアが寛大すぎるんだよ。
 普通に通報レベルなのに……。
 しかし、彼女を八方塞がりにしたということは。
 犯人は恐らく、この近くにいるんじゃないか?

 恐怖からスマホを持つ手が、ガタガタ震え始める。

「まさか、アン……」

 そう言いかけた瞬間、視界が一気にブラックアウトする。
 冷たいが柔らかい。
 この感触、なんか覚えがあるんだけど。

「だーれだ?」

 この甲高い声の持ち主は……。

「あの、もしかして……アンナさんですか?」
「ブブーっ! でも、おしいかな☆」

 そう言うとようやく顔から、手を離してくれた。
 振り返れば、サンタさんの仮面を被った女の子が1人、立っている。

「正解は、サンタアンナでしたぁ~☆」
「……」

 ぎゃあああ!
 やっぱり、いたぁ~!
 昨日の余裕ぷりは、これだったのか!?
 最初から、マリアとのデートを潰すつもりでいたんだ。

 仮面を外すと、特に悪びれることもなく、ニコニコ微笑むアンナの姿が見えた。

「タッくん☆ こんなところで、何しているの?」
 あんたこそ、なにしているんだよ!
「いや……マリアと取材だったんだけどさ。ダメになって」
「そうなんだぁ~ きっとマリアちゃんは悪い子さんだから、サンタさんから、天罰を食らったんだよ☆」
「サンタさんが……?」

 あなたがしたんでしょ。全部……。

「タッくん☆ 改めて、メリークリスマス!」
「め、メリークリスマス……」
 
 今日のアンナ。
 いつもとは、全然違うファッションだ。

 普段と色合いが異なる。
 全身、赤と白でコーディネート。
 というか、コスプレだ。

 女性向けのサンタコス。
 ミニのワンピースで、肩にケープを羽織っているが、肘から先は素肌なので、すごく寒そう。
 頭には小さなサンタハット。足もとは、厚底の赤いショートブーツ。

 完全なパーティー仕様。
 めっちゃ気合が入っているというのが、ビシビシと伝わってくる。

 しかしだ……。偶然を装うには、無理があるってもんだ。
 昨日からいや、もっと前から……今日のために入念な計画を練っていたに違いない。


「アンナ……その、お前こそ、なんで博多にいるんだ?」
「え? イルミネーションを見ようと思って、博多に来たんだよ☆ そしたら、たまたまタッくんを見かけて、1人だから声をかけてみたの☆」
 絶対にウソだ。
「そ、そうなのか。じゃあ俺は、今からどうしたらいいんだ?」
「もちろん、2人で仲良くイブを取材しようよ☆ タッくん、クリスマス・イブを女の子と過ごすの、初めてでしょ?」
 脅しにしか聞こえん。
 マリアには悪いが、あんな犯罪まがいの工作まで行ったアンナを、敵に回したくない。
 ここは、彼女の言うことに従おう。

「了解した。じゃあ、今からクリスマス・イブを取材しよう」
「やったぁ~☆ 博多に来て良かったぁ~☆ 偶然、タッくんに会えるんだもん! サンタさんって、やっぱりいるんだねぇ」
 そう言って、俺の顔を嬉しそうに見つめる。
 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて。
 
 今日はその美しい輝きが、一段と怖く感じる……。

  ※

 とりあえず、博多駅をウロウロしてみることに。
 色んな屋台も気になるが、やはり最初に目が行くのは、イルミネーションだろう。
 アンナが「まずはツリーを見たい」と言うので、手を繋いでゆっくりと歩き出す……が、人が多過ぎて、なかなか前へと進めない。

 それもあって、お互いがはぐれないように、と手を繋ぐことにした。

「人多いね、タッくん」
「ああ……俺もイブを博多で過ごすなんて、初めてだからな。こんなに人が多いとは思わなかったよ」

 ちょこちょこ歩いてはいるが、所々で立ち止まっては、撮影を繰り返すカップルや家族連れ。
 そんなんだから、俺たちまで立ち止まり、相手の撮影を待ってあげる。

 やっとのことで、ツリーの前に着いても、これまた撮影する奴らばかりだ。
 順番でカメラを構えているとはいえ、待機時間が長すぎる。

「アンナもタッくんと一緒に写真を撮りたいな……」
 そう彼女がぼやくので、俺は1つ提案してみた。
「なら、俺がスマホを持つから、それでツーショットを撮らないか?」
 だがアンナは、その提案に不満気だ。
「ダメだよ! それじゃ、ツリーと一緒にタッくんもしっかり撮れないじゃん……」
「別に、撮れるなら良くないか? フレームから少しはみ出るぐらい」
「イヤっ!」
「……」

 わがままっ子だな。
 確かにこんな時のため、自撮り棒を持って来たら良かったな。
 辺りを見れば、大半の観光客が自撮り棒で、撮影している。

 参ったなと、頭を搔いていたら……誰かが後ろから声をかけてきた。

「あの……良かったら、私が撮影しましょうか?」
「へ?」

 振り返ってみると、俺の背後に巨人が立っていた。

「うあああ……」

 俺の身長は、170センチほどだ。
 首を真っすぐ上に向けないと、相手の顔が見えない。
 多分、190センチ以上はある。

「こんばんは♪ 素敵な聖夜ですね。今日は中学校のみんなと、募金活動をしていたんですけど……迷子になっちゃって」
「え? 募金?」

 よく見れば、胸元にはセーラー服のリボンが。
 このなりで中学生だと?

 確かに顔は幼いが、身体の発育が良すぎる!
 ていうか、デカすぎ!

 女子プロレスラー顔負けのたくましい筋肉を、全身に纏っており。
 今にもピチピチになったセーラー服が、破れそう。
 そして女性のシンボルとも言える、バストやヒップも、アホみたいにデカい。

 決してセクシーな体型とかではなく、全てがデカすぎるJCだ。

 謎の女子中学生の登場に、動揺していると。
 上から俺の顔を、まじまじと眺めて、何かを指差す。

「あれ、そのリュックサックに、つけているキーホルダーって……」
「これは……1年前に天神で募金して、学生にもらったものだが」
「やっぱりだ~! じゃあ、あの時の“ドスケベ先生”ですよね!?」
「は?」
「覚えていませんか? 1年前に、私がそのキーホルダーを渡したこと」
「えぇ……」
 
 ウソだぁああ!
 あの純朴な少女が、こんなにもデカく育ったというのか?
 俺が一番嫌いな巨乳だし、ていうか巨体すぎる!
 たった1年で、人はこんなにも変わるのか……。

 良かった。あの時に、口説かなくて。

 突然、俺の前に現れた少女……いや巨人。
 一年前に天神で、募金活動をしていた女子中学生だった。
 確か去年が中学2年生だったから、今は3年生か?

 いきなり声を掛けられたから、動揺してしまい、アンナを無視して、話を続ける。

「君があの時の……この、キーホルダーをくれた子なのか?」
 信じられんが、確かに顔はすごく幼い。
 垢抜けない童顔。しかし、身体が俺よりも成熟している。
 ムキッムキじゃん。
「はい! ドスケベ先生、お久しぶりです」
 礼儀良く、頭を深々と下げる。
「おお……久しぶりだな」

 俺たちが2人で勝手に話をしていたら、アンナが頬を膨らませて、間に入る。

「ねぇ、タッくん? 写真はどうするの? それにこの子、誰?」
 めっちゃ低い声で喋るじゃん。
 怖いよ……。
 ここは早めに誤解を解いておかないとな。
 咳払いして、名も知らない少女を紹介する。

「うほぉん! この子は一年前、俺が募金したら、手作りキーホルダーをくれた中学生だ」
「え、募金?」
「ああ、天神を歩いていたら、たまたまな」
「ふぅん……でも、手作りなんだ。それって」

 そう言って、俺のリュックサックを指差す。
 だが彼女の瞳は、輝きを失っている。
 
 こ、この反応は!?
 しまった。手作りってところが嫌だったのか。
 墓穴を掘ってしまったな。
 もう一度、起動修正を計ろう。

「アンナ。これはお守りとしての機能があるんだ!」
「え、お守りなの?」
「ああ、この子が願いを込めて、一生懸命作ってくれた……サンタさんキーホルダーなんだ!」
「お願い? どんな?」

 あの時、確か彼女はこう言った。

『うまく言えないんですけど……きっと、あなたにもいつか……クリスマスを一緒に過ごせるひとが現れると思います』

 これをそのまま引用させてもらおう。

「うむ。このサンタさんキーホルダーは、当時ぼっちだった俺が、『素敵なクリスマスを一緒に過ごせる人が来てくれますように……』という彼女の願いが込められている」
「えぇ!? そうなの?」
 よし、食いついた。
「そうだ。おかげで俺は今年、アンナという素敵な女の子とイブを過ごせるようになったんだ! キーホルダーをを作ってくれたこの子は言わば、恋のキューピッド的な存在だ!」
「すご~い! アンナとタッくんをくっつけてくれた良い子さんなんだ☆」

 まあ、偶然なんだけど。
 間違ってはいないかもな……。

  ※

 ムキムキJCの紹介も終わり、彼女に撮影を頼むことにした。
 ツリーの前で、ツーショット写真を撮ってもらうように。

「はーい、じゃあ私が『メリー?』と言ったら、お二人は『クリスマス』と笑ってくださいねぇ」

 身長が190センチ近くあるから、人ごみとか全然関係なく、上から俺たちを余裕で撮影できる。
 
「了解した」
「はーい☆」

 スマホのカメラを向けられたと同時に、アンナが俺の腕を掴み、自身の胸に寄せる。

「お、おい……」
「いいじゃん☆ イブだし、恋人気分を味わって☆ 小説に書くんだし」
「まあ、アンナがそう言うなら」
 と言いかけたところで、ボソボソと何かを呟くアンナ。

(まだマリアの汚い染みとか臭いが、とれてないかもだし……)
 
 根に持ってるよ。

 
 ムキムキちゃんは、相変わらず、優しくていい子だった。
 色んな角度から写真を撮りまくって、スマホ画面を確認させてくれる神対応。
 記念だからと、動画まで録画してくれた。

 撮り終わってから、俺はリュックサックにつけていたキーホルダーを外す。
 そして、ムキムキちゃんに差し出した。

「あのさ……君がくれたから、俺は今この隣りにいるアンナと出会えた……いや、仲良くなれたと思うんだ。だからこれは君に返そうと思って」
 しかし、彼女は首を横に振る。
「それはドスケベ先生に差し上げたものです。受け取れません。第一、アンナさんと出会えるきっかけになったのなら、ずっと持っていて欲しいです。お二人は最高に、お似合いのカップルですから♪」
 と、微笑むムキムキちゃん。
 性格も良いし、顔も可愛いのに、身体がデカすぎるのが難か。

 
「そうだ! 今年もキーホルダーを作ってまして……えっとここに」

 何かを思い出したようで、ショルダーバッグの中に手を入れて、ゴソゴソと探し始める。

「あ、ありました! 今年のはサンタさんじゃなくて、トナカイさんなんです。これ、良かったらアンナさんに♪」
 そう言って、小さなフェルト生地のキーホルダーをアンナに差し出す。
「え? いいの?」
「はい♪ サンタさんにトナカイさんは、必要じゃないですか? ペアルックみたいな感じでつけてもらえたら、嬉しいです」
「あ、ありがとう……」
 この神対応には、年上のアンナの方が、押され気味で。
 顔を赤くして、キーホルダーを受け取る。


 本当に良い子だな。
 だが、1つ。不思議に思うことがある。
 それは現在も、彼女が募金活動をしているということだ。
 俺はその疑問を、彼女にぶつけてみた。

「なあ、君はなんで今年も募金活動をしているんだ? 受験生だろ。それに場所は天神じゃないのか?」
 俺の問いに、彼女はニコッと笑う。
「場所はただ単に、人が多いから博多に変えただけですよ。あと、私だけじゃなく、去年の同級生も募金活動をしています!」
「そうなのか? でも受験勉強は?」
「やってますよ。去年、ドスケベ先生に『3年生になったらどうする? 当然、高校受験があるだろ。来年もやらないなら、立派な偽善行為だろが! つまりお前らが来年の今頃は、暖かい自宅で受験勉強に勤しむわけだ……』って言われたので、逆にやる気が出ました!」
「えぇ……」
 ひょっとして、俺のせい?

「あれ以来、ずっとみんなで寒さに耐えるため、筋トレしまくって、勉強する時間も5倍に。募金活動の回数も増やしました!」
 オーバーワークだよ!
「そこまでしなくても……」
「いいえ! 自分たちがしたくてしているんです! もう、先生もいないので」
「へ?」

 彼女の話では、昨年の募金活動を引率していた女教師は、現在結婚して、育休中らしく。
 赤ちゃんの夜泣きが激しく、慣れない育児疲れから、もう学校に戻ってくることは、難しいようだ。
 ていうか、時期的にあのイブに出来たんだろう……聖夜のデキ婚か。
 しんどっ!

「なるほど。苦労するな、君たちも」
「いえ、後輩にも色々と教えたいので。私は今からまた合流して、募金活動をしたいと思います!」
 先生が抜けてもやるとか……泣ける。

「おーい! 育子(いくこ)! どこだぁ~!?」

 どこからか、野太い男の叫び声が聞こえて来た。
 そして、のしのしと音を立てて、近づいてくる。

「あ、筋男(すじお)くんだ!」

 目の前に巨人が、もう1人立ちふさがる。

 デカッ! 2メートルはあるだろう、こいつ。
 首が太ももより分厚い。

「探したぞ、育子。また迷子なんて、おっちょこちょいだな~」
「ごめん、筋男くん。でも、ドスケベ先生に会えたんだ! こんなに可愛い彼女さんが出来たんだって」
「ああ! ホントだ! ドスケベ先生だっ! お久しぶりです!」
「うん……久しぶりだね……」

 これまた律儀に、頭を深く下げる筋男くん。

 最近の子って、マジで発育良すぎだね……。
 なんか俺の方が、敬語使わないと辛くなってきた。

 筋男くんと育子ちゃんは、こんな日でも募金活動に勤しむらしい。
 恵まれない子供たちのために。
 彼らは受験生だが、この日だけは、在校生と活動を頑張りたいようだ。
 なんでも、卒業してもみんなで聖夜に募金を頑張ろう! と意気込んでいるのだとか。

 これには俺も、昨年彼らに吐き捨てた『偽善行為』という言葉を、撤回しなければならない。

「筋男くん。育子ちゃん。悪かった……君たちのことを偽善だと言ってしまって」
 そう言って、頭を下げると、2人は首をブンブンと左右に振り、慌て始める。

「いいえ! 私たち、好きでやっているんで!」
「そうです! 逆にあの日、ドスケベ先生が言ってくれなかったら、きっと僕たちは活動を止めていたと思います」
「そうか……なら、俺は君たちを信じていいんだな?」
 俺がそう言うと2人はお互いの顔を見つめ合う。
「「え?」」
 
「来年も、再来年も、そのまた3年後も。毎年、お前たちが活動をしているか、見に来てやるよ」
 たった1人の言葉が、ここまで彼らを動かしたのなら、更に俺の言葉でその信念を強くしてやろうと思った。
 まあ、いじわるでもあるが……。

 だが、俺のそんな傲慢な態度すら、2人はクスクス笑い始める。

「ドスケベ先生なら、そう言うと思っていました!」
「負けませんよ! 毎年、見に来てください! ドスケベ先生」

「ハハハッ……頼もしいな。それより、君たち。いい加減、そのペンネームを使うのはやめなさい」
 最後の方は、かなり口調を強めたが。
「「分かりました。ドスケベ先生!」」
「……」
 仕方ないか。
 
  ※

 筋男くんと育子ちゃん達と別れ、俺とアンナは再度イブの取材を始める。
 アンナが「身体が冷える」と言うので、なんか暖かいものでも飲もうと提案。
 近くにあった屋台へと入ってみる。

 メニューを見るより前に、その独特な甘い香りが不快に感じる。
 しかし、これは俺個人の問題だ。
 その証拠に、アンナは手を叩いて、喜んでいる。

「うわぁ☆ チョコのいい匂いがするぅ~ ホットチョコレートだって! 飲みたい!」
「そうか……じゃあ買おう」
 チョコが嫌いな俺は、絶対に飲まない。

 屋台の中で、大きな鍋をかき回すお姉さんに声をかける。

「すいません。ホットチョコレートを1つ下さい」
「お1つで、よろしかったですか?」
「ああ……じゃあ、ホットコーヒーってあります?」
「ございますよ」
「なら、それを1つ。ミルクも砂糖もいりません」
「かしこまりました!」
 
 お姉さんとの会話を、隣りで聞いていたアンナが、クスリと笑う。

「タッくんたら、イブでもブラックコーヒーなんだね☆」
「まあな……」
「でも、寂しいな。チョコが苦手じゃなかったら、一緒に飲めたのにね☆」
「すまん」

 そうこうしているうちにお姉さんから、商品を渡される。
 アンナのホットチョコレートは、マグカップ付きで持って帰れるのだとか。
 俺は紙コップに、暖かいブラックコーヒー。

 うむ、香りはナイス……と匂いをかいでいると、どこからか、怒鳴り声が聞こえて来た。


「お客様! や、やめてください!」
 隣りの屋台からだ。
 若いお兄さんが、客に注意している。
「うるせぇな! 私は客だぞ!? ガタガタ言わずに、もっとワインを入れやがれ!」

 悪態をついている客をよく見てみると……。
 全身ツルツルテカテカなボディコンを、着た卑猥な女性が、顔を真っ赤にして叫んでいた。
 あんな立ちんぼガールは、1人しかいない。
 俺たちの担任教師、宗像 蘭先生だ。

「おかわりでしたら、有料ですので、お金を払ってください!」
「なんだと、コノヤロー!? 教師を敵に回すのか? お前の出身校を教えろ! 私はこう見えて、顔が広いんでな」
 酷い。自分のコネクションで脅しにかけてる。
 
「な、なにを言っているんですか……酔っているのはわかりますが、カスハラですよ?」
「ハラハラうるせぇな! そんなこと言ってたら、何も出来ないだろがっ! ワイン、もっとよこせ!」
「もう、この一杯だけですよ? 内緒ですからね」
 お兄さんがそう言うと、宗像先生の態度は一変し、優しい笑顔になる。
「ありがとぉ~ お兄ちゃん。優しいねぇ、今晩どう? 何時に終わるの? お姉さんが相手しようか」
 うわ……カスハラの次は、セクハラだよ。
 こんなのが担任教師だなんて、恥ずかしい。
 
 しかし、そんな発言にもお兄さんは、顔色変えず一言。
「いえ、結構です」
 目も合わせずに、マグカップにワインを注いで先生へ渡した。
「うへへへ。恥ずかしいのかな? タダでヤレちゃうんだよ?」
 まだ懲りない宗像先生だったが、お兄さんは至って冷静で。
 黙って背中を向け、別の仕事を始めだした。
「……」
 
 イブなのに、酒で寂しさを紛らわしているのか。
 ていうか、あんな大人にだけは、絶対になりたくない。

 俺がずっと隣りの屋台を眺めていた為、アンナが心配して、肩を指で突っつく。

「ねぇ、どうかしたの? 誰か知り合いでもいた?」
「いや……見間違えだ。ちょっと変な酔っ払いがいてな。ここじゃ安心して飲めそうにない。場所を変えないか?」
 宗像先生に見つかったら、面倒くさいし。
「いいよ☆ イブなのに、お酒で酔っぱらう人って、なんか寂しいよね。イルミネーションも楽しめないし、みんなでパーティー出来ないもん☆」
「そ、そうだな……」

 宗像先生、愛する生徒にめちゃくちゃ言われて……かわいそう。

 宗像先生から逃げるため、俺たちはフードコートへ移動することにした。
 一ヶ月限定の特設会場。
 普段なら、色んな人々が行き交う広場なのだが。
 
 今は煌びやかクリスマスツリーが飾られており、その周りにステージまで設けられている。
 司会の女性がマイクを持って、アーティストの名前と曲名を紹介していた。
 どうやら、プロのバイオリニストとソプラノ歌手がコンビで、クリスマスソングを披露するらしい。

 俺は普段、こういうのを聞かないから、良く分からないが……。
 確かに、会場の雰囲気と合っている。
 クリスマスらしい。

 アンナがホットチョコレートをすすりながら、「そろそろお腹がすいたな☆」と言うので。
 フードコートにある他の屋台を色々と物色し、気になったものを注文。

 渦巻きに巻かれたぐるぐるソーセージ、パエリア、チキン。
 これで終わりかと思ったら大間違いで、アンナの腹は満たされない。
 大きなピザに、チーズボール。パスタにステーキ。グラタンまで……。

 フードコートにあるテーブルで、食事をとれるのだが。
 俺たちは2人だけなのに、購入したメニューが多すぎて。
 スタッフのお姉さんが、わざわざ6人がけのファミリータイプへ案内してくれた。

 そんな大きなテーブルでも、隅までギチギチ。
 ちょっと、皿を動かしたら今にも、地面に落ちそう。

「うわぁ~☆ クリスマスっぽい! おしゃれだし、みんな美味しそう☆」
「そ、そだね……」

 確かに全部、美味そうなんだけど、量が多すぎる。
 こんなに食えない。

 ~30分後~

「はぁ~☆ 美味しかったぁ☆」
「……」

 全部、残さず食いやがった……。
 俺はチキンだけで、お腹いっぱいになったのに。
 相変わらず、怖いな。アンナさんの胃袋。

「じゃあ、そろそろフードコートを出るか? 他にもお客さんが待っているみたいだし」
「うん☆ あ、でもその前にいいかな?」
「え?」
「デザートに、アップルパイを食べたいの☆」
「了解した……」

 スイーツは別腹ってか?
 この人の胃袋、どうなってんの。

  ※

 アンナは、クリスマスマーケットの屋台で販売している、食事やデザートは、ほぼ全て食い尽くした。
 満足した彼女は、「イルミネーションが見たい」と言うので、俺もついていく。

 ツリーから少し離れたところに、光りで包まれた公園があった。
 ハートの形のイルミネーションやかぼちゃの馬車。
 若いカップルでごった返しており、みんな撮影に拘っている。
 きっと、SNSに投稿することも意識しているのだろう。

「キレイだねぇ……」
 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、イルミネーションを眺めるアンナ。
 俺には、こんな人工的に作られたものより、こいつの瞳の方が何倍も、綺麗だと感じる。
 イルミネーションを楽しんでいることを良いことに、今も俺は彼女の横顔を、じっと見つめている。

「ねぇ、タッくん」
 急にこちらへ視線を向けられたので、ビクっとしてしまう。
「お、おお。なんだ?」
「ちょっと、そこのベンチに座らない?」
「ん? あそこか?」

 アンナが指差したのは、何の飾りつけもない古いベンチだ。
 多分、このクリスマスマーケットのために置かれたものじゃなくて、普段からあるものだ。
 そんな所だから、人気が少ない。

「構わんが」
「じゃあ、ちょっと二人で座ろうよ。人が多くて、二人きりの時間が少ないもん」
 と唇を尖がらせる。
「了解した」

 彼女に言われた通り、ベンチに腰を下ろして見せる。
 するとアンナは、満足そうに隣りへ座った。
 寒いからと俺の腕をぎゅっと掴んで、胸へと押しつける。

「お、おい……」
「いいじゃん。イブなんだから☆ タッくんとの初めてを、たくさん味わいたいの☆」
 そう言って、可愛く上目遣いをされると固まってしまう。
 今日のアンナは、本当に積極的だな。
 ひょっとして、マリアへの対抗心がそうさせるのか?


「ねぇ、タッくん☆」
「ん? なんだ?」
「あのね……」
 俺の耳もとに手を当てて、そっと囁く。
 思わず、ドキッとしてしまう。
 何を言い出すのか、彼女の言葉に緊張する。

「目をつぶってくれる?」
「なっ!?」

 ま、まさか……この前の続きを、したいってことか!?
 聖夜にこんな人がたくさんいる場所で、キッスだと。

「ごくり……」

 生唾を飲まずにはいられなかった。
 昨晩、ミハイルの時には出来なかったが、女装して積極的なアンナなら、唇を重ねられるということでは?

 マジか、俺。ついにイブで、ファーストキスを経験できるんだ。
 覚悟を決めて、瞼をぎゅっと閉じる。

「つ、つぶったぞ?」
「じゃあ、アンナが良いって言うまで、ずっとつぶったままでいてね☆」
「は、はい!」
 なぜか敬語になり、カチコチに固まってしまう。

 瞼を閉じているから、何が起きているが分からない。
 どうやら、アンナは両手を俺の首に回し、抱きしめているようだ。
 彼女の吐息が、俺の頬に伝わる。

 これはマジだ。
 心臓がバクバクして、爆発しそう。
 いつになったら、彼女の唇が俺の唇に……。


「ちゅっ」

 可愛らしい音だった。
 アンナの唇は、とても小さい。
 だから、食事をする際も、あまり大きく唇を開けることができない。
 それもまた彼女の愛らしいところでもあるのだが。

「ちゅっ……ちゅっ、ちゅっ!」

 激しいキッスだった。
 なんていうか、キツツキきたいな接吻。

「ちゅ~、ちゅっ! ちゅっ! あれ? なんでかな?」

 自分からやっておいて、時折疑問を抱いているようだ。
 それもそのはず、この激しいキッスは唇ではなく、頬にされているからだ。
 左側の。

 ゲームのコントローラーを連打する子供のように、激しくキッスを重ねるアンナ。

「なあ、アンナ? 一体なにをやっているんだ?」
 瞼は閉じたまま、質問してみる。
「あ、タッくん! 目はつぶってよね! 恥ずかしいから!」
「おお……閉じているよ。なんで、こんなに頬へ……その唇を当てているんだ?」
「だって、マリアちゃんがこの前学校で、頬にキスしたって、ミーシャちゃんが言うから……汚れを落とすの!」
「えぇ、それで……」
 なんだ、あのことをまだ根に持っていたのか。

「そうか……しかし、こんなに何回も、しなくていいんじゃないのか?」
「ダメ! キスマークをつくるの!」
 ファッ!?
 この人は一体何を言っているんだ。
 今やっている控えめなキスでは、マークをつけることは、無理だろうに。

「おかしいな。今読んでいるBLマンガでは、こうしたら、すぐについたんだけどなぁ」
 そりゃ、マンガだからだろ。
「アンナ。もう良くないか?」
「イヤっ! 絶対タッくんに“しるし”をつけるの! ちょっと黙ってて!」
 怒られちゃったよ……。
「はい……」


「ちゅ、ちゅ、ちゅっ! う~ん。息を吐きながら、チューすればいいのかな?」

 逆だ、逆!
 吸うんだよ!

「すぅ~ しゅば~!」

 うん、暖かいね。それだけだよ。
 結局このあと、アンナが満足するのに、1時間も付き合わされた。
 これが、恋人らしいクリスマス・イブなの?
 僕には分かりません……。