一発だった。
 ワンパンチ……というか、かる~く小突いた程度。
 攻撃する方も相手が弱いと分かった上で、配慮してくれたのだと思う。
 それに汗でベトベトの身体には、あまり触れたくないし。

「ぎゃふん!」

 まだ幼さが残る一人の少年に、片手で軽く押されただけで、アスファルトに叩きつけられる25歳。
 それを見たヤンキー君たちはうろたえる。

「えぇ……俺、軽く押しただけだぜ?」
「ああ。ちょっと弱すぎだべ」

 確かに彼らの言う通りだった。
 正直、入学式で殴ってきたミハイルの方が遥かに強い。

 しかし、トマトさんは地面に倒れ込み、うめき声をあげている。

「ぐふっ……ぼ、暴力で物事を解決する君たちは……最低だっ!」

 ケンカを売ったのは、トマトさんだし、まだ始まってもないのに、少年たちは大の大人に罵られる。

「いや、挨拶程度に胸をちょっと触っただけど……」
「そ、そうだよ……それにおっさんからケンカを売ってきたべ?」

 なんだ。この茶番劇は?
 

 自分から吹っ飛ばされに行ったトマトさんだったが。
 確かに強く倒れ込んだ為、肩にかけていたトートバッグが、投げ飛ばされてしまう。
 少年達の足元に。

 地面に転がったバッグの中からは、スケッチブッグがはみ出ていた。
 きっと、仕事に使っているものだろう。
 それに気がついたヤンキーくんが、拾って中を開いてみる。

「なんだこれ? 女の子?」
「うわっ……オタクの絵じゃん。キモッ……」


 確かにトマトさんはキモいが、彼の描くイラストは一級品だ。
 それは俺が認めるほどだ。
 どんな理由があったとしても……人が頑張って作ったものを馬鹿にするなんて。
 黙って見過ごそうと思っていたが、俺も腹が立ってきた。

 彼らの元へと近づき、「おい!」と叫ぼうとした瞬間だった。
 俺より前に一人の少女が叫ぶ。

「ちょっと! あんたらさぁ~!」

 ギャルの花鶴 ここあが見たこともないぐらい、険しい顔で二人を睨んでいた。
 のしのしとゆっくり歩く姿は、伝説のヤンキーと言われる迫力を感じる。

「あーしのダチに、なにしてくれてんの? “バイブ”はマブダチなんだわ!」
 そう言って少年達を交互に睨みつける。
 怒ってるのは見たら分かるけど、バイブっていうトマトさんのあだ名がね。

 ここあの剣幕にうろたえる少年達。
「いや……別にそういうわけじゃ……」
「そうだよ。あのおっさんがキモい絵を持ってたから、笑っちゃっただけだべ」
 この一言が更に、ここあを怒らせた。
 少年達が持っていたスケッチブックを取り上げて、中身を開いて見せつける。
「あんさぁ……この絵は、モデルがあーしなんだわぁ」
 低い声で脅しに入る。


 重たい空気が流れる。
 少年達も別に悪意があって言ったわけじゃない。
 知らなかっただけだ。

 しかし、ここあの怒りは止まらない。
 彼女は友情を何より大切にする人間だから。


 緊迫した状況を壊してくれたのは、1つの音だった。

 ドドドッとバイクの音が近づいてくる。
 千鳥 力が駐車場にやってきたのだ。
 腐女子の北神 ほのかと一緒に。

 何も知らない彼は、呑気に笑顔で挨拶してくる。

「よう! タクオにミハイル!」

 後ろに好きな女の子を乗せているせいか、上機嫌だ。
 気まずい空気だが、思わず挨拶を返してしまう。

「おう……おはよう。リキ」
 続いてミハイルも便乗する。
「おはよ~☆ 今日も2ケツしてんだね、ほのか☆」

 この人、さっきのやり取りを見ても、なんて思ってないんだね……。
 アイアンメンタルで怖すぎ。

 だが、ここあは相変わらず、少年達を睨み続けている。
 今すぐにでも、殴りかかるような怖い顔で。
 少年達はどうしていいか、わからず固まっている。

「あの……俺たち、別にそういう意味じゃなくて」
「そうそう。おねーさんが可愛かったから、仲良くなりたかっただけだべ」
 弁解する彼らに対して、メンチをきかせるここあ。
「あぁん!? あんたらさぁ。あーしら、なめてっと痛い目みるっしょ!」

 怖っ! 普段はアホそうなギャルのくせして。
 こういう時は、やっぱりヤンキーらしいのね。

 ここあの怒鳴り声を聞いて、リキが異常を察知する。

「おいおい。ここあ、なにガキ相手にキレてんだよ?」
 バイクから降りてここあの肩を掴む。
 興奮している彼女は振り返ると、苛立ちを露わにする。
「リキはちょっと黙っててくんない? 今、ダチのバイブがヤラれて、ムカついてんだわ!」
 なんか、彼女の熱意はしっかりと伝わってくるけど。
 その会話だと、ヤンキーくんがトマトさんをバイブ責めしたみたい……。
「だからって、ケンカすることないだろ? 見たところ、バイブだったけ。ケガもないようだし。な、ミハイル?」
 困ったリキがこちらに話を振ってくる。

 この状況でもずっとニコニコと笑っているのは、ミハイルだけ。
 彼は嬉しそうに答える。
「そうそう。トマトなら、ボコられても大丈夫☆ 好きな人のためなら、骨折しても我慢できると思う☆」
 鬼畜よ! この人!


 ずっと黙っていた少年達がようやく話し始める。

「え……ここあって、まさか。“どビッチのここあ”!?」
「ってことは、あっちにいるハゲは、“剛腕のリキ”」

 伝説のヤンキーだと知って、驚きを隠せないようだ。
 ここあとリキの顔を交互に見て、口をパクパクと動かしている。

 そして最後に目が行ったのは、俺の隣り。

「「あいつは“金色(こんじき)のミハイル”だぁ!」」

 と指をさして、震えあがる。
 なんかもうさ……そのあだ名、聞き飽きたよ。
 んで、こう言うんだろ?

「「伝説のヤンキー、それいけ、ダイコン号だぁ!」」

 俺はその名前を聞いてため息が出る。
「はぁ……」


 ナンパした相手が、伝説のヤンキーの一人だと分かった二人は、慌てて車に乗り込む。
 後ろのトランクは開いたまま、急発進する。
 もちろん、巨大なウーハーからは、爆音でアイドルソングが流れている。

『萌え、萌え♪ 君を釘付けさせたいのよ♪ スキ、スキ、ビーム♪』

 かくして、一ツ橋高校に平和が戻ったのである。
 しかし、後に宗像先生から聞いた話では、少年たちはこの日に自主退学を決めたそうだ。
 もう……経営難で廃校するかも。