意外だった。
あの、長浜 あすかが劣悪な環境で育った苦労人だったとは。
「結局……ママもどこかで知らない男の人と一緒に暮らしているって。後から聞いたんだけど」
重い! 重すぎるっ!
「……」
俺はなにも言えなくなっていた。
この場はただ黙って話を聞くことが正解だと思ったからだ。
「でも、アタシはすごく幸せだわ。一人ぼっちになったアタシをおばあちゃんがパパとママに代わっていっぱい愛情を注いでくれたから。『あすかちゃんはお姫様だねぇ』って。可愛いお洋服とか買ってくれたし……」
そりゃ捨てられた孫を見てたら可愛がりたくなるよなぁ。
泣ける。
「それでね。アタシがテレビに映るアイドルの真似をして歌ったり、踊って見せたら、おばあちゃんが喜ぶの。『あすかちゃんはカワイイねぇ』『アイドルになれちゃうわぁ』って。たまにアタシのダンスを見て感動して泣いちゃうぐらいにね」
感動の涙じゃない!
不憫なだけだ。
「だからアタシはアイドルを目指したの。おばあちゃんが言ってくれたから!」
俺の目をじっと見つめる。
その眼差しは真剣そのものだ。
一点の曇りもないキラキラと光る美しい瞳。
壮大な夢を語るに相応しい顔つきだ。
だけど……意味を履き違えてるよ、この子。
辛いわ。
※
「つまり、おばあちゃんがアイドルになれると言ってくれたから、長浜は芸能人を目指したというわけか?」
「ええ、そうよ。これは多分ググっても出てこない話ね!」
当たり前だろ!
誰がそんな重たい話をウィキペディアに記載するんだ!
「なるほど……じゃあ今はアイドルになれたという夢は叶えたのだろ? 次の夢はなんだ? 最終目標とか」
俺が問いかけると彼女は自信満々にこう答える。
「ズバリ! ハリウッド進出よ!」
「……」
長浜のおばあちゃん。ちょっと孫を可愛がり過ぎたんじゃないの?
自信過剰すぎて、変な方向に偏ってるよ。
「アタシには売れなきゃいけない理由があるのよ! たくさんのお金が欲しいの!」
「まあ。それなら誰だってたくさん欲しいだろ。なにか買いたいものでもあるのか?」
俺がそう問いかけると、長浜は胸の前で両腕を組み、ふてぶてしい態度を取る。
てっきり「世界中のブランドものをたくさん買いたいのよ!」なんて言うと思っていたら……。
「良くぞ聞いてくれたわ! ええ、アタシには大金が必要なのよ! 白山にあるおばあちゃん家を改築したいのよ! 土地は広いんだけど、古い木造建てだから、冬はすきま風が入って寒いし、廊下の板はよく外れるし、トイレなんて和式のボットン便所だから。おばあちゃんの膝が壊れちゃいそうだわ……バリアフリーも考えた豪邸を建てたいのよ!」
「うっ……」
思わず涙腺が崩壊してしまう。
今まで堪えていた気持ちが瞳から溢れ出る。
急いでハンカチを取り出し、顔を隠すように涙を拭う。
長浜に泣いているところを見られないためだ。
「どうしたのよ? 部屋が暑いわけ?」
「ひぐっ……ああ、ちょっと今日は……暑すぎるな」
目頭がね。
長浜の苦労話を聞いた俺は、しばらくハンカチが手放せないでいた。
よし、なんだか可哀そうになってきたから、ちゃんと取材して自伝小説を書いてやろう。
俺はぬるぬるアンナ動画計画のため、長浜はおばあちゃんの家を改築するための第一歩として。
盛りに盛りまくってやろう。
両親は二人とも遊び人で浮気しまくり、金に汚いやつらで、長浜を虐待する鬼畜。
しかし、唯一彼女を守り育ててくれたのが、貧乏な祖母。
うむ。これなら芸能人とか関係なく、小説に興味を持ってくれるかもしれない。
ただ、今後彼女を可愛いアイドルとして見られなくなるだろう。
可哀想なアイドルとして応援される。
特に老人なんかに好かれるかもな。
※
応接室のドアが2回ほどノックされた。
扉を開いたのは先ほどの控え目なアイドルの一人だ。
「あ、あの……あすかちゃん。そろそろお仕事しないと納期に間に合わなくなっちゃうよ」
か細い声で遠慮がちに話す。
どうやら、俺に緊張しているようだ。
「例の仕事のことね! わかったわ、今行くわ!」
「あ、ありがと……あすかちゃんの分が一番多いから私たちだけじゃ、捌けなくて……」
「フンッ! 当然よ! なんせアタシがグループのセンター! 人気ナンバーワン! この前のグラビアもアタシがソロで何枚も特集されたほどだもの!」
この我の強さがなければ、もうちょっと可愛げがあるんだけどな。
「そ、そうだよね……あすかちゃんはボンキュッボンで美人だし……」
「左子! あなたも磨けばアタシに近づける素質あるんだから! がんばりなさいよね!」
「わ、私なんかじゃ……」
ていうか、この子の名前。左子っていうのか。
改めて見ると確かに芸能人らしくない風貌だ。
長浜と同じ黒髪で統一しているが、おかっぱのショートヘアで前髪が長いため、目が見えない。
芸能人と言われなければ、どこかそこら辺を歩いている一般人に見える。
うーん……この芸能事務所。大丈夫か?
俺は応接室に残って早速文字起こしを始めようとしたが。
長浜が「まだ取材は終わってない」「今日は一日密着しなさい!」
と相変わらずの上から目線の命令。
ため息を吐いて、ノートパソコンを閉じた。
応接室から出て、入口近くの大きなテーブルに通された。
彼女曰く、滅多にお目にかかれないアイドル活動を見ていけるのだから、感謝しろとのこと。
絶対にしないけど。
テーブルの上には、大量のCDが山のように重ねられていた。
先ほどの左子ちゃんともう一人の大人しい子が、なにやらディスクケースに小さなカードを一枚一枚入れ込む。
気になった俺は「なにを入れているのか?」と尋ねてみた。
すると、二人が声を合わせて答える。
「「と、特典です」」
息がピッタリだ。
しかしも左子ちゃんの隣りにいる子も同じ黒髪のおかっぱ。
なんか双子みたい。
「特典? あれか? 握手会のチケットとかか?」
すると二人は顔を真っ赤にさせて、両手をぶんぶんと振って見せる。
「?」
黙り込んでしまう彼女たちを不振に思った俺は、近くにあったカードを1枚手に取ってみた。
「うっ!?」
思わず変な声が出てしまう。
ただのカードじゃなかった。
『あすかちゃんが普段履いている生下着♪ 13/500』
「……」
絶句してしまう俺氏。
それを見た長浜が胸の前で腕を組み、自慢げに語り出す。
「フンッ! さすがガチオタね! それはレアカードよ! アタシがパンツを500枚にハサミでちょきちょきしてバラバラにしたのよ! どうやら欲しくてたまらないようね! 特別にタダであげるわ!」
「長浜……お前のおばあちゃん。この仕事のこと知っているのか?」
「は? 知らないわよ?」
「そうか……このことだけは知らせないであげてくれ、な」
「?」
ここまで育ててくれたおばあちゃんを泣かせたらあかん!
寿命を縮めてしまうがな。
長浜に無理やりブルセラカードを渡されてしまった……。
マジでいらね。
その後、何故か俺までCDの特典詰めをさせられることになる。
人手不足らしい。
なんでもこの芸能事務所、『明日か明後日か』はその名の通り、長浜 あすかをデビューさせるために設立された会社で、社長こそ名義上は存在しているが、普段は事務所にいないそうだ。
社長は何個も会社を運営している成金で、長浜の地元である白山市で彼女を見つけて一目惚れ。
そして現在に至る。
だから金持ちの趣味で立ち上げた芸能事務所と言えるだろう。
所属しているアイドルグループ、もつ鍋水炊きガールズも長浜のために結成したもの。
だから他の二人は引き立て役。
先ほど俺と話した控えめの女の子、左近充 左子ちゃんは使い捨てのアイドル。
それに双子ってぐらい見た目が同じおかっぱの右近充 右子ちゃんも同様の扱い。
散り散りになったパンツの生地をカードに差し込み、ディスクケースに封入。
しんどい作業だ。
黙々と4人で内職をこなしていく。
ひとり100枚のノルマ。
やっと終わったと思ったら、長浜が今度はマジックでサインを書くと言う。
「ガチオタ! あんたも手伝いなさい!」
「いや、それはダメだろ……お前のサインをファンは欲しがっているんだろ? バレちまうぞ?」
「フンッ! キモオタにアタシのサインと素人のサインなんて見分けがつくわけないでしょ! 良いから黙ってやりさない! これがアイドルの仕事なんだから!」
えぇ……。
YUIKAちゃんのファンクラブで、以前当たった直筆サインを喜んでいた俺を幻滅させないでくれる?
いや、長浜だけだ。YUIKAちゃんはあの可愛くて小さな指で一生懸命、徹夜で書いたに違いない!
※
一連の作業が終わり、休憩することに。
疲れた肩をマッサージしていると、左子ちゃんが「お、お疲れ様です。お茶を入れてきますね」と事務所の給湯室へと向かった。
良い子だ。
長方形の大きなテーブルに、俺、長浜と並んで座っている。
向い側に右子ちゃんがいる。おどおどした様子で、どこか落ち着きがない。
「あ、あの……良かったら、こ、この前出演したテレビ番組を見てくれませんか? そ、その新宮さんは作家さんなんですよね? 是非プロの作家さんに私たちの歌と踊りを見て欲しいんです」
「まあ、俺でよければ」
そう答えると、彼女はパーッと顔を明るくして喜ぶ。
「う、嬉しい……じゃあ今からDVD持ってきますね」
と近くにあったロッカーへと走って行く。
隣りで座る長浜は特に何をするわけでもなく、相変わらずふてぶてしい態度だ。
「フンッ! 右子も左子もガチオタに優しすぎよ! こいつはただの一般人なんだから、塩対応で良いのよ! それがファンサービスってやつだわ!」
あ~! 殴りてぇ~!
女じゃなかったら、ボコボコにしてぇ……。
成り行きで上映会が始まった。
俺の後ろには、巨大なテレビモニターが壁に掛けられていて、その下にはDVDプレーヤーが設置されていた。
右子ちゃんがディスクを挿入し、録画されていた深夜番組『ボインボイン』が始まった。
俺はあまり見たことないが、福岡のローカル番組だとコマーシャルで存在は知っていた。
給湯室からおぼんを持ってきたのは左子ちゃん。
4つのマグカップと小さなお皿に洋菓子を載せて「お、お口に合うかどうか」と遠慮がちにテーブルの上に置く。
「ありがとう」
と礼を言うと、はにかんで笑う。
もうこの二人が推しでいいのでは?
※
『さあ今夜も始まりましたよ~! 福岡の23時はボインボイン~!』
モニターに映し出されたのは、若いローカル芸人だ。
福岡の芸人はどちらかというと、緩いお笑いが多く感じる。
なんというか、あまり毒を吐かない。
ロケ重視で美味しいと噂の飲食店にインタビューする……まあ食レポだ。
でも、そこからのし上がっていく芸人さんも多い。
今では東京で大活躍し、全国的に有名な大物芸能人へと化ける人もいるとかいないとか。
そんな福岡芸人の歴史を振り返っていると、画面は変わり。
『今日はレギュラーボインガールの長浜 あすかちゃんがお友達を連れてきてくれたんだよね~』
司会の芸人がひな壇に座る若い女の子たちへ話を振る。
全部で10人ぐらいのローカルアイドルが勢揃いだ。
悪いが誰も知らん。
『そ、そ、そうなんですぅ~ きょ、きょ、今日はぁ~ アタシの所属しているアイドルグループで新曲を歌わせてもらおうと思ってぇ~』
ガチゴチに固まってるじゃん、長浜のやつ。
『へぇ、そうなんだぁ。あすかちゃんってアイドルだったんだね! では準備できたら歌ってもらおうか!?』
おいおい、司会までアイドルって知らなかったのかよ。
『は、は、はいぃぃぃ!』
緊張しすぎだ。
そこから右子ちゃんと左子ちゃんが登場。
ステージと言っても、後ろに司会の芸人とひな壇の女の子が座っている。
テンポの悪い手拍子の中、BGMが流れ出し、三人がぎこちなくダンスを始める。
見ていてかなり辛い。
だって、後ろの芸能人たちが特に興味を示すことなく、死んだ顔で長浜たちを見つめている。
『も、も、もつもつ……ぐつぐつさせ、ちゃ、ちゃうぞ!』
グデグデやないか!
もうテレビ消して。
辛すぎる。おばあちゃん、これ見てまた泣いているんじゃないか?
10分間にも満たない映像だったが、すごく胸が痛かった。
あまりにも不憫で……。
こんなアイドル売れるわけないだろ。
リモコンでテレビを消した長浜が自信満々にこう言う。
「どうだった! ガチオタ。アタシたちアイドルの本気を見て、萌えたでしょ!? 推したくて課金しまくりたいでしょ!」
「……長浜。お前もうちょっと自分を見つめ直した方がいいぞ?」
「ハァ? 最っ高のステージだったでしょ!?」
最低最悪のライブでした。
苦言を呈した俺が見ても、長浜の自信が折れることはない。
むしろ、俺の反応に怒っているようだ。
だが他の二人はオドオドして、不安気だ。
「「あの、どこが良くなかったのでしょうか」」
綺麗に揃えて話すな、この子たち。
さすがに全部だ、とは言えない。
どこから改善したら良いものか。
正直、もつ鍋水炊きガールズは悪いところだらけだ。
トーク下手。歌が下手。ダンスも下手。
良いところと言えば……特にない。
俺が黙って唸り込んでいると、痺れを切らしたかのように、長浜がテーブルを叩いて叫ぶ。
「アタシたちのどこが悪いっていうのよ! 福岡のトップアイドルよ!」
いや、福岡でも認知されてないだろ。
「……」
どうしたものか。正論を叩きつけても自信過剰な長浜には通用しない。
右子ちゃんと左子ちゃんなら……ちゃんと話を聞いてくれそうだが。
ん? この二人ならば、双子の大人しいシンクロアイドルっててことで売れそうだ。
脚を引っ張っているのは、リーダーの長浜かもな。
しかし、三人で売れたいというのが本音だろう。
確かにルックスだけ言うならば、長浜 あすかは可愛い部類だろうな。
黙っていればの話だが……。
「……そうか。黙っていればいいのか!」
閃いたぞ。
ダンスも下手。歌も下手。トークも緊張してダメ。
なら、何もさせなければ良いんだ!
俺はあまり触らないが、聞いたことがある。
若者の間で流行っているアプリ。
『トックトック』だ。
あれならば、多少踊りが下手でもルックスさえ良ければ、売れる可能性がある。
トックトックのフォロワー数が多ければ、面接にも有利とギャルが豪語していたしな。
よし、これで行こう。
確かあれだ。
あの動画サイトは承認欲求の塊ばかりだろう。
つまり、ミニスカや露出度が高い衣装でも着て、パンチラとかパイチラがあれば、再生回数上がるだろう。知らんけど。
俺は椅子に座り直して、3人にプレゼンを始める。
「おほん! 君たちの良いところを俺なりに考えてみた。それはルックスと若さだ!」
「「ルックスと若さ?」」
声を揃えて驚く左右コンビ。
対して長浜は当然だと言わんばかりに、鼻で笑う。
「フンッ! アタシが美人だって福岡市民は全員知っているわよ!」
クソが。
「まあ話を聞け。言っちゃ悪いが、長浜はテレビ慣れしていないように見える。以前もテレビに出演した時、緊張してちゃんとトークできていなかったな」
「な、なによ! ガチオタのくせして!」
顔を真っ赤にさせる。どうやら正論を言われて動揺しているようだ。
「本当のことだろ? どんな人間でも緊張するのは仕方ない。慣れだからな」
「うう……」
なにか言いたそうな顔をしているが、俺は無視して話を続ける。
「ならダンスはどうだ? 本業だろ? トックトックという動画アプリを知っているか? 」
長浜の代わりに左右コンビが反応する。
「「知ってます」」
良い子たちだ。
「あれならば、この事務所でもどこでも撮影できる。また喋りも必要ない。スマホ一台でやれるから緊張することもないだろう。グループでやるのもいいが、ソロでやってみるのもいいかもな」
俺がそう説明すると、長浜を除く二人は「うんうん」と頷いて見せる。
「あと、撮影する時は衣装を着た方がいいだろう。特にミニスカとか、あと女子高の制服とかもあれば、もっとバズれるだろう」
デジタルタトゥーになりがちだけど。
それまで黙っていた長浜が大きな声で叫ぶ。
「わかったわよ! 素人と芸能人の格を見せてやるわ! 右子、左子! あなたたち、高校の制服持ってる?」
おいおい、乗っちゃったよ。
「あ、私お姉ちゃんのがあるよ」
「ちゅ、中学生の時のでもいいかな? ブルマもあるけど」
ファッ!? どこか別の変な動画サイトに転載されそう。
「いいわね! 全部持って来て! 色んなコスプレを事務所に持って来て撮影しましょ!」
し、知らねっと……。
なんだかんだあったが、アイドル長浜 あすかの密着取材は無事に終わった。
苦労人であることを売りにして書けば、同情した人々が興味を持ってくれるかもしれない。
それに、俺が提案したトックトックの動画で、デジタルタトゥー……いや、バズる可能性を手にした3人は大はしゃぎ。
ノリノリでアカウントを作っていた。
事務所の窓から夕陽が差してきたころ、俺は長浜に別れを告げる。
「長浜。お前の芸能活動ってやつか? 大体把握できたつもりだ。納期は一週間なんだろ? 帰ってすぐに執筆に入りたい」
「フンッ! 精々がんばりなさいよね!」
相変わらず、上から目線でムカつく。
「ああ……完成したら連絡する。じゃあな」
そう言って、彼女に背を向けようとした瞬間だった。
「「新宮さん」」
綺麗に揃えた二人の声。
右子ちゃんと左子ちゃんだ。
「ん? どうした?」
「あの、今日は色々とありがとうございました」
「私たち自信がなかったので、新宮さんにアドバイスを頂けてすごく励みになりました」
なんて健気な女の子達なんだ……。
この子たちの方を小説にしてあげたい。
「いや、俺は特になにもしてないよ。右子ちゃんと左子ちゃんは、既にアイドルとしての素質があると思うぞ。磨けば光るさ」
親指を立てて応援してやる。
「「新宮さん」」
二人は胸の前で手を合わせて祈るように、はにかむ。
フッ、アイドルを二人も惚れさせてしまったかな。
「じゃあ、俺はこれで」
と改めて背を向け、立ち去ろうとする。振り返ることはなく、右手だけを挙げて。
格好良く決まったな。と思った瞬間、襟元を背後から引っ張られる。
「ぐへっ!」
「ちょっとガチオタ待ちなさいよ!」
喉を絞められ咳き込む俺を見ても、長浜 あすかは心配などしない。
むしろ怒っているようにみえる。
「な、なんだ……長浜」
「あんたね! なんで右子と左子だけはちゃん付けなのよ! あんたはアタシのガチオタでしょ? 永遠にアタシを推しなさいよ! ファンならアタシにも……その……」
怒ったかもと思えば、急に恥ずかしがり出した。身体をもじもじさせる。
「なにが言いたいんだ?」
「だ、だから……アタシのことも、あすかちゃんって言いなさいよ!」
「え……」
予想外の言葉に絶句してしまう。
ていうか、絶っ対に嫌だ。
こいつをちゃん付けで呼ぶのは……。
そもそも、メインヒロインであるアンナだって、ちゃん付けしてないのに。
右子ちゃんと左子ちゃんは、控えめな女の子だから良いんだよ。
困惑した俺はしばらく黙り込む。
「……」
「な、なによ! 早く言ってごらんなさい!」
「……あ、あ、あすか」
嫌々彼女の名前を口から吐き出すと、結果的にだが、呼び捨てになってしまう。
まるで親しい間柄のようだ。
「!?」
だが、長浜じゃなかった……あすかの反応は意外にも悪くなかった。
自分で命令したくせに顔を真っ赤にさせて、固まっている。
「あすか。これからはそう呼ばせてもらう。いいのか? これで」
「い、いいわよ! あ、あんたみたいなキモオタに下の名前を呼ばせてあげる……こ、ことを光栄に思いなさい……よね」
あらあら、ツンデレ属性を所持していたのか。
「じゃあな。あすか、また連絡するよ」
「わ、わかったわよ! タク……ヒト」
驚いた。俺にも下の名前で呼んでくれるとは。
ん? こいつ、名前を間違えて覚えてるじゃねーか!
やっぱ、可愛くねぇ!
俺は博多駅から小倉行きの電車に乗り込む。
疲れていたから、地元の真島駅まで快速列車を利用した。
快速だから客が多く、座ることはできないが、20分ほどで到着できる。
真島駅の改札口は二階にある。
電子マネーを機械にタッチさせて、出口に向かう。
出口は左右に分かれていて、左手の山側が駅に隣接している大学。
数々の有名人、芸能人、トップアスリートの出身校だ。
まあ俺には関係のない場所だから、反対側の右手にあるエスカレーターで一階に降りるのだが。
こちら側は海側、真島商店街がある。
エスカレーターの手すりに肘を置いて顎をのせる。
どうしたものか。あすかの自伝小説をたった1週間で20万文字も使用するとか。
彼女の出生から始まり、両親に捨てられた過去、おばあちゃんが一人に育てて……盛れば、どうにか文字稼ぎできるか。
そんなことを考えていると、手すりから肘が滑ってガクンと体勢を崩してしまう。
エスカレーターの終点だ。
「あいて……」
周りに若い女子高生たちが立っていて、俺のその姿が滑稽に見えたのか、クスクス笑っていた。
ちくしょう。ダサいところ見られちまったな……なんて苛立ちを覚えたが、“その姿”を見て、ドキッとしてしまう。
壁にもたれかかった一人の美少女……。
肩まで伸びた美しいブロンドの髪は首元で結い、纏まらなかった前髪は左右に垂らしている。
強い風が駅舎の中に吹き込んできた。
きっと離れた海岸からの潮風だと思う。
周りにいた女子高生たちがフワッと宙に上がるスカートを急いで抑える。
いつもの俺なら、その光景を目で追ってしまうのだろう。
でも、今はこの子に釘付けだ。
小さな顔に叩きつけられた強い風に対して、無反応。
寂しそうに地面を見つめている。
長い前髪が乱れてしまい、薄紅色の小さな唇にくっついてしまう。
グリーンの瞳はどこか潤んで見える。
大きな星がプリントされたブルーのタンクトップに、ホワイトのショートパンツ。
俺はその美しい光景に、しばらく見とれていた。
「あ、タクト……」
寂しげだった顔が一変し、明るい顔になる。
「ミハイル。お前、なんでここに……」
そうだ。美少女じゃない。
こいつは正真正銘の男の子。
しっかりついている野郎だ。
いかんいかん。
頬をバシバシと叩いて、正気を取り戻す。
「久しぶり! タクト☆」
俺に気がついたミハイルは、一気に距離を縮めた。
手に紙袋を持って嬉しそうに微笑む。
彼が低身長だから、どうしても俺が上から目線になる。
つまりタンクトップの中が見放題。
ガードがゆるゆるだから、ピンクのトップが見えそうだ。
思わず視線を逸らしてしまう。
「……」
くっ! だからミハイルモードは嫌なんだ。
「どしたの? タクト?」
「いや、なんでもない……。ところで、なぜ真島にいるんだ? お盆はヴィッキーちゃんと過ごすんじゃなかったのか?」
「ねーちゃん、ずっとお酒飲んでたから、今酔っぱらって寝てるんだ☆ だからタクトにおちゅーげんを持ってきたんだ☆」
と持っていた紙袋を差し出す。
「お中元ね……悪いな。中はなんだ?」
「オレが作った木の実のケーキ☆ ねーちゃんから新しく習ったレシピなんだ☆ ホールサイズで三段にしたから、みんなで食べてよ☆」
オシャレ過ぎるだろ!
男が作るか? そんなケーキ。
デパートでしか見たことない。
「ミハイル。このためだけに真島で待っていたのか?」
「うん☆ 5時間ぐらい☆」
熱中症で死んぢまうぞ!
「そ、そうか……」
「ホントはタクトん家に行ったんだよ? でもかなでちゃんが『おにーさまなら外出中ですわ』て言われたから、駅で待ってたんだよ」
と唇を尖がらせる。
「ちょっと仕事でな……」
そう答えた瞬間、彼の目つきが鋭くなる。
ギロっと俺を睨みつけ、あんなにキラキラと輝いた瞳が一気に暗くなる。
ブラックホールのようなどこまでも終わりがない闇。
「仕事? お盆だよね? タクト、まさか取材?」
ずいっと身を寄せる。
口調こそ優しいけど脅しに聞こえる。
笑みも絶やすことはないが、目が全然笑ってない。
「あ、あの……その、そうだ。取材だ」
「なんで? オレとかアンナ以外に取材する必要あるの?」
凍えるような冷たい声で喋らないでぇ!
真夏なのに北極みたい……。
「な、ないけど……」
「どこに行ったの?」
「博多です」
その言葉を聞いた瞬間、ミハイルのこめかみに太い血管が浮き出る。
「相手は誰? ひなた? ほのかなら許すけど?」
ひえぇ!
ここは噓をつくと絶対あとが怖いぞ。
真面目に答えよう。
「あ、あすかだ! 自伝小説を書いて欲しいって、正式に頼まれたんだ。あくまでも作家としての仕事だ。やましいことなんてなにもないぞ! 実際に報酬として10万円を約束されたんだ!」
「へぇ……あの売れないアイドルの名前。もう下の名前で呼ぶぐらい仲良くなっちゃったんだ。やっぱり特別な取材なんだな。タクト、前にあいつのことをカワイイって言ってたし」
ヤベッ! 墓穴を掘っちゃったよ!
考えろ。どうにかして、この窮地を脱するんだ!
俺の作家人生、まだまだ終わるわけにはいかない。
はっ……アンナ。そうアンナだ。
「ま、待て待て! この依頼と取材は確かに特別だ! 実はハイスペックのパソコンが欲しくてな! アンナと取材したときの写真や動画を高画質で保存したり、楽しむにはどうしても金が欲しくて、仕方なくやっているに過ぎない! 信じてくれ!」
「え……アンナのため?」
彼のグリーンアイズに輝きを取り戻すことに成功した。
「そうだ! 俺だってアンナのためじゃなかったら、こんな仕事やってないぞ!」
「……そっかぁ☆ お仕事おつかれさま、タクト☆」
ふぅ、どうにか危機は去ったな。
「だよな。タクトがアンナ以外の女の子と取材を楽しむわけないもん☆」
「そうそう」
笑ってごまかす。
「ふふ……アンナのやつ、タクトが写真と動画を大切にしているって聞いたら喜ぶだろな」
なんて身体をくねくねさせるご本人。
「まあこのことは、あんまりアンナに言わないでくれよな。あいつも自分のために仕事するとか聞いたら気にするだろうし」
「うん☆ 約束な☆」
なんて指きりする。
平穏を取り戻した俺は安堵する。
ミハイルから大きなケーキをもらったので、「せっかくだから自宅で一緒に食べて行かないか?」と誘ったが、「ねーちゃんが起きるころだから今日は帰るよ☆」と断られた。
「じゃあまたな」
そう言って背を向ける。
名残惜しいが、また新学期に会えるさ。
駅舎から出ようとしたその瞬間だった。
ミハイルが俺のジーパンを引っ張る。
「なにこれ」
「え?」
振り返ると、尻ポケットに一枚のカードが入り込んでいた。
ファッ!?
あすかのおパンツカードをもらってたの忘れてた。
ポケットから取り出すミハイル。
しばらく見つめたあと、眉間に皺をよせる。
「これってさ。仕事のためにいるの?」
「いや、いらないです。絶対に……」
「だよね☆ タクトはちょっと待ってて」
そう言うと笑顔で近くのコンビニに入っていった。
数分後、ニコニコ笑いながら、店内からなにかを手に持って戻ってくる。
小さなライターだ。
「ミハイル。タバコはやめたんじゃないのか?」
「もうそんなの吸うわけないじゃん。タクトが嫌いなものは、オレもだっい嫌いだもん☆」
左手にあすかのカード。右手にはライター。
「そうか……嫌いになったのか」
「うん☆ タクトもオレが嫌いなものは、絶っ対、ぜっ~たい、大嫌いだよね?」
「はい。マブダチですもん」
もう敬語でしか話せません。
「じゃ、有害図書は燃やさないとね☆ ねーちゃんがいつもそう言ってるし☆」
次の瞬間、真っ赤に燃え上がるミハイルの左手。
小さなライターだというのに火力がかなりあるようだ。
数秒で黒いゴミカスと化した。
「これでよし☆ ちゃんとゴミ箱に入れておくから大丈夫☆ それじゃタクト。お仕事頑張ってねぇ~☆」
「死ぬ気で頑張ります……」
ミハイルからもらったお中元。木の実のケーキをフォークで食べながら、もう片方の手でマウスを動かす。
アイドルのあすかに依頼された大巨編、自伝小説。
『おばあちゃんのアイドル』(ハードカバーの予定)
の執筆に取り掛かる。
タイトルは俺が勝手に決めた。ていうか、これで同情してもらうしか、ないだろう。
一週間で20万文字というダーティワーク。
納期に間に合わせるためには、一日に3万文字も書かないといけない。
だが、絶対にやらなければ、ならない時があるのだ。
アンナのパンティ。胸チラ動画のためなら、問題ない!
俺はこの日以来、四六時中パソコンと向き合うことになった。
朝夕の新聞配達と食事、トイレ以外はずーっとタイピング。
だから自ずと睡眠時間も削られる。
途中、何度も寝不足による偏頭痛。タイピングのやり過ぎで肩こり、腰痛などに悩まされたが、冷えピタや湿布を使い、身体がボロボロになっても、執念でどうにかやり過ごした。
~一週間後~
無事に作品は完成。
あすかの事務所へとデータをメールにて送信。
数日後、彼女から連絡があり、
「タクヒト! 最高の仕上がりよ!」
とお褒めの言葉を頂けた。
もうこの頃の俺は、死に体と化していたが。
また、事務所の社長も偉く気に入ったらしく、追加報酬として、更に10万円を頂けることに。
何でも当初は10万文字を想定していたけど、社長の気まぐれで20万文字を俺に要求したら、本当に書いてくれると思わなかったらしい。
なんて太っ腹な社長だ。
俺がアイドルになりたいわ。
総額にして20万円もお小遣いを手にした俺。
ハイスペックパソコンだけじゃ、物足りないってもんだぜ。
追加でモニターを二台注文しておいた。
デュアルディスプレイになれば、一体ナニができると思いますか?
アンナちゃんをたくさんのウィンドウで写真や動画を同時に楽しめるんですよ、奥さん。
なんだったら、右のモニターで執筆活動しながら、左のモニターでアンナちゃんをぬるぬる動かすことも余裕なんですねぇ……ごくり。
よくぞ、ここまで頑張ったな琢人。
そんなことで時間を費やしていると、8月も終わりに入った。
夏休みなんて言うけど、身体を休める日はほぼ少なかったな。
去年まで、新聞配達と自宅でこもって執筆活動するぐらいの日常。
たまに映画館巡りするぐらいだった。
女子と触れ合うな機会なんて皆無だったのに……。
※
9月に入り、注文した大型のデスクトップパソコンとモニターが二台届いた。
巨大なダンボールをウキウキしながら開封する。
設置したあと、ノートパソコンから新しいパソコンに秘蔵動画や高画質の写真を移動。
これで素晴らしい執筆活動とナニかが、サクサク楽しめるPCライフが送れるというものだ。
妹のかなでは相変わらず、母さんにきつく注意され、リビングで監視付きの受験勉強中。
俺は二台のモニターにて色んな姿のアンナちゃんにウットリ。
20人ぐらいにアンナを多重影分身させている。
もちろん、お色気な忍法でだ。
「ふぅ……」
余韻に浸っていると、机の上に置いていたスマホが鳴り響く。
着信名は、ロリババア。
「もしもし」
『あ、DOセンセイ! 今暇ですよね?』
ふざけんな! どいつこいつも俺が毎日予定なしだと思い込みやがって!
この前まで過労死するぐらい忙しかったわ!