宗像先生とドライブすること、30分ぐらい。目的地に到着。
「よし、着いたぞ。さ、新宮。これが大人の女性のワンルームマンションだ♪」
「え……ここって」
見慣れた光景、六角形の大きな武道館、Y字型の建物、駐車場。
間違いない。
俺が通っている高校、一ツ橋高校だ。
いや、正確には、全日制高校の三ツ橋高校の校舎である。
近くでは、
「はーい!」
なんて、甲高い女子の掛け声が聞こえてきた。
夏休みだが、部活動はやっているようで。
運動場や色んな教室から、様々な声や音が漏れている。
「先生……ここ、うちの高校じゃないですか?」
車を降りて、学び舎である建物を指差す。
「ああん? なに言ってんだ。私の我が家は一ツ橋高校の事務所だ!」
白い歯をニカッと見せて、親指を立てる。
「ちょ、ちょっと、何をする気なんですか? 勝手に校舎使ったら怒られますよ」
「バカだな、新宮は。確かに三ツ橋高校の建物を無断で使用したりすれば、怒られるよな。でも、あの事務所だけは違う。我が一ツ橋高校が所有している唯一の場所だ。つまりその管理者、責任者であるこの私、宗像 蘭ちゃんなら、泊まろうがナニしようが、無問題なのだ!」
「……」
その後、宗像先生の話を詳しく聞いてみたら。
以前は近くの安いアパートに一人暮らししていたが、家賃を滞納しすぎて、追い出されたらしく、現在は事務所を自宅として、利用しているらしい。
裏口から入り、俺は下駄箱に自分の靴をなおして、上靴に履き替える。
先生は一足先に二階の事務所へと上がっていた。
俺が下駄箱から階段を登ろうとすると、制服を着た男女数人と遭遇。
「おつかれさまでーす!」
なんて労いの言葉を頂いた。
「ちっす」
と軽く会釈して、事務所へと逃げ込む。
だってもうスクリーングはないし、通信制の一ツ橋高校は終業しているからだ。
本来なら、この校舎に来るのは、校則違反だと思う。
久しぶりの事務所だが、相変わらずの殺風景で、全てがボロい。
デスクやソファー、食器棚。
貧乏なのが丸分かりだ。
宗像先生は奥にあった小さな冷蔵庫から、ハイボール缶を二つ持って来て、応接室であるソファーにダイブする。
二人がけの方だ。
寝転がってグビグビ飲みだす。
「プヘ~ッ! うめぇなぁ。生徒から搾り取った金で飲む酒はよぉ~」
最低な人間だ、こいつ。
俺は宗像先生とは、反対方向の1人がけのソファーに腰を下ろす。
「先生……ところで、こんな環境なのに、よくあんな高級車を乗り回してますね。だって家賃払えないから、事務所で暮らしているんでしょ?」
そう尋ねると下品な笑い方でこう答える。
「はーっははは! 私がベンツなんて買えるわけないだろ! あれは借りもんだよ」
「ん? 借りもの?」
嫌な予感がしてきた。
「そうだよ? 三ツ橋高校の校長さ。金持ちなんだよ。あのオヤジ……ムカつくよな?」
「いや、それとこれと、どういう関係が?」
「あのおっさんがさ、自宅に何台も高級車持っててさ。多すぎてたまに高校の駐車場に置いておくわけ。その時にちょっとな♪」
ちょっとってなんだよ。
「つまり?」
「スペアキー作って置いたんだよ。このこと、内緒だぞ~ 新宮!」
誰にも言えるか!
宗像先生が三本のハイボールを飲み終えた頃。
「さ、そろそろ……大人の魅力ってやつを取材に行くか! 新宮!」
「どこに行く気ですか?」
「そうだな。まずは、大人のデートを知りたいだろ? なら、パッチンコだ!」
「……」
こいつ、そういうことかよ。なんとなく察してきた。
「もちろん、デートなんだから、経費で落としてくれよな♪」
なんてウインクして、誤魔化そうとしていやがる。
宗像先生は、アンナやひなたのようにデートを楽しむわけではなく、経費でタダになるからと、俺を利用したに過ぎない。
クソがっ!
破天荒な宗像先生だが、さすがにハイボールを飲んだ直後なので、車には乗らず、徒歩で近くの赤井駅に向かうことにした。
だが、片手にはストロング缶を持って歩く。
「ぷっは~! 良いよなぁ、こう暑い日に愛すべき生徒と共に、健康的なウォーキングデートか。新宮、ちゃんとここ覚えておけよ、小説に使えるだろ?」
使えるか!
「いや……無理だと思いますよ。というか、本当にパチンコへ行くんですか? 俺、高校生ですよ」
俺がそう苦言を呈したが、宗像先生は聞く耳を持たず、下品に笑う。
「はーっははは! 大丈夫だっての! この蘭ちゃん先生がそばにいるんだから、安心して、先生のおっぱいに顔を埋めなさい!」
と言って、頼んでもないのに、気持ち悪い巨乳に俺の顔を押し付ける。
水着だから、生乳だし、汗もかいている。
より吐き気が増す。
「先生……ちょっと、やめてもらっていいですか……鳥肌が……」
「なんだぁ? もう興奮しちゃったのか? いいぞ~ 今夜、私がお前を男にしてやっても?」
自分のことを良いように解釈するな!
「はぁ……」
赤井町は福岡県の北東部、白山市の中央に存在する地区である。
元々、福岡県白山郡赤井町だったのだが、色んな村や町が合併を繰り返し、近年、白山市となり、大きな街になった。
多分、『市ブーム』だったのだと思う。
福岡県は、福岡市と北九州市がビッグネームすぎて、他の地域は、何々郡というのがダサい、田舎臭い、じゃあ名前変えようぜ! 的なノリで、市になった気がする。
ミハイルが住む席内市もそうだ。
「波に乗れ、市にぃ~」
みたいな感じで、流行りだったのだと思う。
けど、街自体は、とくに変わらない気が……。
なんて福岡の歴史を振り返っていると。
赤井駅にたどり着く。
駅の長い跨線橋を渡って、反対側に降りると、『くりえいと白山』が目に入る。
白山市の代表的な場所だ。
20年ぐらい前に開発された複合商業地域であり、またそれを囲むようにたくさんの住宅街が並ぶ。
赤井町で遊ぶなら、このくりえいと白山が一番だ。
スーパーのダンリブ、ゲームセンター、100均ストア、飲食店、生活家電、文具……などなど、なんでもありの巨大ショッピングモールだ。
もちろん、宗像先生の言うパチンコ屋も複数出店している。
「よぉし! 新宮! 勝ちに行くぞ! 酒のみ代が欲しいからな!」
こんの野郎、やっぱり俺を財布代わりにしやがって。
宗像先生は俺の腕を掴んで、強引にパチンコ屋へと連れて行く。
店に入るや否や、すぐに台を決め、俺も隣りの台で一緒に打てと言う。
「ほら、取材だろ? 早く回せ!」
俺の意思は関係なく、玉貸し機にお札をぶち込まれて、俺の台にも玉が転がってきた。
「先生、まずいでしょ……」
「バカヤロー! 昔から偉人には総じて特徴があるのを知らないのか? 新宮、お前はそれでも作家の端くれか? 飲む、打つ、買う。これを極めない限り、お前は文豪にはなれないぞ?」
なに真顔で変なウソをついてんだ、このバカ。
「俺は別に、文豪なんて目指してないですよ……」
「ごちゃごちゃ言うな! さ、回すぞ! フルスロットルだ!」
勝手に回転しとけよ
しばらく、無言で回し続けること、30分。
俺の台は大当たり。
わんさか出るわ出るわ……。
「やるじゃないか! 新宮、お前センスあるわ!」
隣りでガッツポーズをとる宗像先生。
近くに立っていたスタッフが俺達に気がつく。
「ちょっと~ 宗像先生じゃないっすか~ 先生はもうこの店、出禁って店長から言われたでしょ?」
金髪の若い男性が、嫌なものを見てしまったという苦い顔で、声をかけてきた。
「あぁん!? うるさいな、お前……私が来てやったんだ。儲かってしょうがないだろ?」
どうやら、先生とは顔見知りらしい。
「そりゃ……宗像先生っていつも外ればっかだから、儲かるのは事実っすけど。何回も俺に玉をせびるじゃないっすか? だから店長が出禁にしたんでしょ?」
「なんだと、コノヤロー!? お前、それが恩師に対する態度か? 玉の一つや二つ。男だったら、わけないだろ。もっと出せ!」
酷い恫喝だ。
「勘弁してくださいよ。俺、もうクビになりそうですよ。いつまでも、生徒と教師の間柄じゃないんですから……」
どうやら、一ツ橋高校の卒業生のようだ。
「はっ! この店に就職させてやったのは、誰だっけ?」
「え、それは宗像先生っす……」
「だよな! じゃあ、玉をよこせ! はーっははは!」
鬼だ。
お兄さん、涙目で新しい玉をたくさん追加してくれた。無料で。
その際、俺にだけ聞こえるぐらいの小さな声で囁く。
(君、一ツ橋高校の子でしょ? この人と付き合うとろくな人生おくれないよ)
(肝に銘じておきます、センパイ)
俺は黙って頷き、その先輩と硬く握手を交わした。
同じ被害者同士として……。
パチンコでボロ儲けした宗像先生は、
「ヒャッハー! 換金してくるわ♪」
とスキップしながら、店の奥にある謎の建物に直行。
俺は先生を待っている間、パチンコ屋の駐車場でスマホを確認する。
通知が酷いことになっていた。
アンナの怒涛のL●NEが112件も。
次にひなたから、電話やメールが数件。
かなり心配しているようだ。
返事だけでも打っておくかと、スマホのアプリを開き、メッセージを作成しようとした瞬間。
「おい、なにやってんだ? 新宮」
と背後から声をかけられた。
「あ、いや。宗像先生、ひなたやアンナに連絡を……」
「必要ない!」
そう言うと、俺のスマホを取り上げ、電源を強制シャットダウン。
「あ……」
「バカモン! これは没収だ。デート中に女性の前でスマホをいじるなんて、最低の行為だぞ? 取材にならないだろ……それこそ、あれだ。付き合っている女性の目の前で、エロ動画見て自家発電するぐらい失礼だ!」
「ええ……」
初めて聞いたわ、そんな表現。
俺はスマホを諦め、宗像先生の言う大人のデートとやらを、再開するのであった。
先生が次に向かった場所は、ドラッグストア『森林』だ。
何か買い物をするのか? と訊ねたが、首を横に振る。
「ま、見ていろ。これが年の功というやつだ」
入口を抜けてすぐにある、カート置き場で立ち止まる。
積まれたカゴを一つ一つ持ち上げて中を確認する。
「ちっ、ないな……」
すると次は、カートを一台ずつ、出しては直してを繰り返す。
「ないな……」
なにかを一生懸命探しているようだ。
「宗像先生? なにか忘れ物ですか?」
「ああ。ドラ森は500円以上買い物をするとな。福引券が一枚出るんだよ」
「福引券? それがどうしたんですか?」
「たまに要らないって、捨てて行く客がいるんだよ」
ニヤリと怪しく微笑む。
乞食じゃねーか。
カート置き場を諦めた先生は、店内に入っても買い物はせず、また福引券を探し始めた。
「いいか、一番落ちている確率が高いのは、サッカー台だ。買い物終わりの客が商品を詰め終わったあと。捨てて行くんだ。10枚集めないとくじができないからって、諦める奴が多いんだよ。さ、新宮も探せ探せ」
「えぇ……」
俺と宗像先生はレジ近くで、コソコソと福引券を探す不審者と化してしまう。
~10分後~
「新宮、そっちはどうだ? 私は30枚もゲットしたぞ!」
よくもそんなに拾ったな。
「俺は2枚ぐらいですね……」
なにやってんだろ、俺。
「そうかぁ、じゃあ、あと8枚でくじが出来るなぁ~ よし、奥の手を使おう! レジの下やサッカー台の下を見てみよう!」
「う、ウソでしょ?」
「バカヤロー! これが大人の生き方ってもんだ。しっかり取材して覚えておけよ!」
そう言ってかがみ込むと、床の上で四つん這いになり、サッカー台の隙間に手を入れて、探し出す。
他の客から見たら、ケツをブリッとこちらに向ける痴女だ。
しかも、宗像先生はローライズのショーパンだから、ちょっと、はみ尻しちゃっている。
「う~ん……おお、あったぞ! 新宮、こっちこっち! お前も速く取れ!」
もう嫌だ。恥ずかしくて死にそう。
40枚も集めた宗像先生は満足したらしく、
「くじを楽しむぞ!」
なんて喜んでいる。
これって、犯罪なのでは?
どっかのマンガかアニメで、似たような事をしていたような……。
あ、アレだ。ジ●ジョのしげちーのスタンドじゃん。
宗像先生は今日のくじ引きのために、他にもくまなく探しまくったらしく、駐車場や近くの自動販売機の下も這いつくばって、福引券を大量にゲットしたと誇らしげに自慢していた。
「はーっははは! 見ろ、新宮! 100枚だ! ふっ、こんなに集めらるのは、私だけだな」
「でしょうね」
冷めた目で、アラサーの女を見つめる。
よく見れば、大半の福引券は、汚れたり、雨で濡れてグニャグニャに歪んでいるもので占めている。
これ、持って行くのかよ。恥ずかしい。
店内の奥にあるくじコーナーに向かい、宗像先生は、大量の紙切れをカウンターへと放り投げる。
若い男性店員が、数えるのに必死だ。
「ひゃ、100枚なので、10回くじを回せます……」
店員さん、拾っているのに気がついているだろ。めっちゃ、ドン引きじゃん。
「はーっははは! そうかそうか、新宮。今日は先生のおごりだ。お前が回していいぞ。その代わり、商品は全部先生がもらうからな!」
いらねーよ。
並べられている商品がそんなに大したもんじゃないもん。
ティッシュ、トイレットペーパー、シャンプー、タオル、アメとか……。
俺は抽選器を計10回も連続で回した。
こんなに回すの、生まれて初めて。
玉が出る度に、店員がベルを鳴らす。
「一等大当たり~! トイレットペーパーでーす!」
なにこれ、全然うれしくない。
「……」
無言の俺に対し、宗像先生はその場でジャンプして大喜び。
もちろん、バカみたいにデカい乳がブルンブルン震えて。
「しゃあーっ! これでトイレに困らないな!」
その後も、シャンプーが当たったり。
「よっし! でかした、新宮。これで髪のパサつきが、しばらく無くなるぞ!」
「……」
なんか一周回って、この人が可哀想に思えてきたのは、俺だけでしょうか?
宗像先生は、ドラッグストアで大量の生活必需品をゲットして大喜び。
店から外に出ると、もう陽は暮れ、辺りは真っ暗になっていた。
「うーん! いい大人のデートが出来たな~ 新宮」
「え、今までのデートなんですか? 大人の中で?」
「あん? そりゃそうだろ……大人ってのは、ガキと違って、必死に毎日を生きるもんだ。それこそ、這いつくばってもな」
あんた、文字通り、這いつくばって福引券を漁ってたもんな。
間違ってはないよ。
「さ、ショッピングデートは済んだし、次はロマンティックなディナーデートと洒落込むか♪」
「ディナー? どこかで夕食ですか?」
「ああ、私の行きつけの店でな。あそこに行けば、どんな女でもイチコロだぞ♪」
「へぇ」
なんだろ? イタリアンレストランとかかな。
くりえいと白山を出て、赤井駅に戻る。
駅周辺には、小さな飲食店がたくさん並んでいて、夜だから看板や提灯に灯りがついている。
主に赤井町の住人やサラリーマンが、仕事帰りに一杯といった感じの大衆食堂や居酒屋が多い。
俺の住んでいる真島商店街とあまり変わらないな。
しかし、最近は時代ということもあって、田舎でも若い人々が狭い敷地を活かして、お洒落な店を開店している。
小規模でも流行れば、充分儲けられるんだから、すごいよな。
要は工夫だ。
しばらく、先生と一緒に歩いていると、一つの店の前で立ち止まる。
「さ、着いたぞ」
「え……ここですか?」
「はーっははは! しゃれとーだろ?」(洒落ているだろ?)
「いえ、普通ですばい」(普通ですね)
宗像先生が急にコテコテの博多弁を使ってきたので、俺もエセ博多弁で突っ込む。
店の名前は、『やきとり、鳥殺し』
酷いな……鳥さんたちに謝れよ。
どこが洒落ているんだ? ただの居酒屋、焼き鳥屋じゃないか。
困惑する俺を無視して、先生は店の赤いのれんをくぐり抜ける。
「おおい! 来てやったぞ! 今日はカレシも連れてきたからな!」
誰が彼氏だ!
店内に入ると、がたいの良い若い男性店員が何人もいて、大きな声で俺達をおもてなし。
「「「いらっしゃいませぇ~ どうぞ、どうぞ!!!」」」
バカみたいに叫ぶので、思わず耳を塞いでしまう。
店員たちは、皆同じ色の黒いTシャツを着ていて、黄色の文字でデカデカと店名である『鳥殺し』とプリントされていた。
小さな店だが、活気がある。
炭で肉を焼いているため、少し煙が目に染みるが、それよりもチリチリと立つ音が心地よく、また店中に漂う旨そうな香りが、腹の音を鳴らす。
俺達は、カウンターに通された。
店員からおしぼりを受け取った宗像先生は、メニューを見もせず、一言。
「いつものくれ、二人分」
なんて常連ぶりをアピール。
「はいよ! 宗像先生! いつもあざっす!」
若い大将だ。金髪のお兄さん。まだ20代前半か。
周りの店員もみな同じぐらい。
なんていうか、元ヤンって感じの風貌。
だが、感じは悪くない。
「新宮。お前はなにを飲む?」
「え、俺ですか? じゃあ、アイスコーヒー、ブラックで……」
と言いかけたら、先生に一喝される。
「バカヤロー! そんなもん、居酒屋にあるか! 酒を頼め!」
「い、いや、それは……俺、まだ未成年ですよ?」
「関係ないだろ! 今はデートという設定なんだ! 私と飲め! 大人のデートを味わないとちゃんとお前は小説に還元できないんだろ? じゃあ、飲め!」
なんて無茶苦茶な発想だ。
しかも、教師の言う事じゃない。
「ですが……法律は守らないと……」
「うるせぇ! タマの小さい野郎だ! もういい。私が頼む。おい、ハイボールを二つくれ!」
勝手に頼まれてしまった。
俺達の会話を聞いていた大将が苦笑いで「あいよ」とハイボールを作り出した。
マジで作るの?
「お待ちどう!」
ドンッ! とデカいジョッキがカウンターに二つ置かれた。
「キタキターっ! これと焼き鳥が合うんだよぉ~」
涎を垂らすアラサー教師。いや、ただのアル中。
「これ、マジで飲むんですか……」
「そうだよ! さ、乾杯するぞ!」
反抗すると殺されそうなので、とりあえず、ここは彼女に合わせ、乾杯してあげる。
まあ、あれだ。ひと口飲んだ振りして、逃げるしかない。
恐る恐るジョッキに唇を近づけると、なにか違和感を感じる。
香りだ。
これは……ジンジャーエール?
舌で舐めてみる。
確かにジュースだ。アルコールは感じない。
カウンターの奥で焼き鳥を仕込んでいる大将の方を見つめていると、俺に気がついたようで、ウインクしてきた。
近くにいた別の店員が耳打ちしてくる。
(あのさ、一ツ橋の生徒でしょ? 大丈夫、宗像先生に付き合わなくていいから。それ、ジュース)
(え、まさか。卒業生の方ですか?)
(うん。この店の従業員、みんなそうだよ)
(あ、あざーす)
危うく犯罪を犯すところだった。
先輩たちに救われたよ……ありがとう。
居酒屋に入って、二時間ぐらい経ったか。
他にも数人の客が酒や焼き鳥を楽しんでいたが、カウンターには誰一人として、近づかなかった。
みんなお座敷に座っていた。いや、逃げたのだ。
その元凶は、俺の隣りにある。
「うお~い! おい、おいって! 聞いてんのか? このタコ!」
角瓶をラッパ飲みして、店の大将を煽るアラサー教師、宗像 蘭ちゃん。御年28歳。
「な、なんすか、宗像先生……」
肉を焼いたり野菜を刻んだり、手際よく働いているのに、この隣りの酔っ払いが一々文句を言ってくるから、大変だ。
「おめぇよ~ この店、ちゃんと売れてんのか? 出世払いったろ! 早く金返せ! 返さないと店にガソリン巻いて燃やしてやるからな!」
酷い恫喝だ。ヤクザじゃん。
「ちょ、ちょっと勘弁してくださいよぉ……他のお客さんもいるんですから。それにおかげさまで儲かってますよ。借金なら必ず返しますんで。ほら、このぼんじりでも食べてください。サービスなんで、お代は取らないんで」
と言って、ぼんじりを二つカウンターに置いてくれた。
「うひょお~ これにハイボールが合うんだわぁ~」
そう言って左手に角瓶、右手に炭酸水を持ち、交互に口の中に流し込む。
意味あるのか、あれ?
※
「んがががっ……」
ハイボールをダブルで8杯。角瓶1本を飲み干した宗像先生は、とうとう寝落ちしてしまった。いや、寝てくれてありがとう。
店が大変静かになりました。
俺は一人、カウンターで焼き鳥を楽しむ。
うん、うまいなぁ。
ジンジャーエールと砂ずりは。
なんて思っていると、大将が俺に話しかけてきた。
「ねぇ。宗像先生、もう寝た?」
「あ、もうこいつはグッスリ寝てますね。すいません、なんか色々とうるさい客が来て」
生徒の俺が謝っておく。
「いやいや、先生は常連さんだし、俺らこの店を開業する時、宗像先生が色々とやってくれたから……この人に一生頭が上がらないよ、ハハハ」
なんて照れ隠しのつもりか、頭に巻いていたタオルを撫でている。
「宗像先生がこの店に何かしたんですか? そう言えば、さっき借金がどうとか……」
「ああ、そうだよ。この店の開業資金は、先生が用意してくれたんだよ」
俺は手に持っていた串を、ボトンと皿に落としてしまう。
深呼吸した後、顎が外れるぐらい口を大きく開いて、叫び声をあげた。
「えええええ!?」
俺の悲鳴に、店中の人間から視線が集まる。
大将は苦笑いしていた。
「本当だよ。この人って無茶苦茶な生き方してるでしょ? でも、生徒には基本、優しい人なんだ。俺らが『銀行から融資してもらえない』って相談したら、宗像先生が色んなところで借金してくれてさ。前科もん就職できない俺達のためにって、ポンと大金を出して来てくれたんだ。無担保、無利子でね」
「ウソだあああ!」
信じられない。
あの破天荒で自分本意なポンコツ。クソバカ教師が、そんな聖人君子みたいなことをしていた、だと……。
じゃあ、俺たち在校生にも、その優しさをくれや!
大将の話はまだまだ続き。
「ちょっと店を出てみない?」
なんて外に誘われる。
彼が言うには、見せたいものがあると。
近隣の商店街だ。
「あの店見える?」
大将が指を指した方向は、道路を挟んで反対側の小さなお店。
もう夜だから、閉店しているが、トレーディングカードの販売店みたいだ。
「ん、あれがどうしたんですか?」
「そのトレカショップも、俺達と同じ一ツ橋の卒業生が経営してる店なんだけど。あれも開業資金は宗像先生が用意したんだよ」
「う、ウソだ! ウソだウソだウソだ!!!」
俺の脳内は大パニック。
膨大な情報が処理能力に追いつてこない。
「ホントだって。あと、その二件隣りのゲーセンも宗像先生が作ったようなもんだよ。ひきこもりとかオタクの卒業生がなかなか就職できないって嘆くから、『じゃあオタクが来る店を作るかっ!』てね。トレカとゲーセンは卒業生の職場だけど、憩いの場でもあるんだよ」
「んん……ぐはっ!」
ちょっと余りの聖人っぷりに吐き気がしてきた。
「他にも先生は、積極的に子供たちへ色んな施設や場所を作っているんだよ。俺も昔ヤンチャやっててさ。シンナー中毒だったんだよ……。そん時、更生施設みたいなのを宗像先生が作ってくれてさ。元ヤンの卒業生達が管理していて、同じ境遇だから、気持ちわかるじゃん? だから、俺もそこで治療しながら、一ツ橋に通っていた感じだよ、ハハハ!」
いや、あの人ってそんな裏の顔があったの?
俺、詐欺にあってないよね? 本当に同じ人?
「な、なぜそこまで、宗像先生は他人のために金や労力を消費するんですか?」
素朴な疑問に、大将は眩しいぐらいの笑顔でこう答える。
「それがあの人の楽しみだからだよ」
「……」
なにも反論できなかった。
良い人過ぎて、俺が生きている価値が見いだせないぐらい。
大将はまだ話を続ける。
宗像先生の聖人ぷりを。
「他にもやっているよ? ヤンキーとか半グレだけじゃないじゃん? ひきこもりとかニートのためにグループホームを作ったり、その子たちが在宅でも勉学や仕事が出来るように、色んなやり方を常に模索している教師の鏡みたいな人だね。俺達のために多分、相当な借金を抱え込んでいるよ、きっと。だから、俺はあの人の想いに応えるため、この店でバリバリ働いて、借金を返すのが、夢さ」
なんて語りまくった後に、親指を立ててウインクしやがった。
元ヤンのジャンキーのくせして……くっ! 憎めない!
まぶしい! 眩しすぎる!
こんな奴が目の前にいたら、もう俺溶けて死んじゃいそう……。
宗像先生の裏の顔を知った俺は、動揺を隠せずにいた。
店内に戻って、その本人を見つめる。
カウンターに涎を垂らして寝ているこのアホが、そんな優しい教師だったなんて……。
しばらく待っても宗像先生は、起きることが出来なかったので、店の大将が車で送ってくれるという。
俺はさすがに悪いと断ろうとしたが、彼は笑顔で「いつものことだから」と手慣れた感じで、先生を抱え店裏の駐車場まで案内してくれた。
いびきをかいている宗像先生を、後部座席に寝かせて、俺は助手席に乗せられた。
大将の母校でもある一ツ橋高校へと車を飛ばす。
「いやあ、今日の宗像先生。かなり嬉しそうだったよ」
「え、そうですか?」
「うん。きっと君が一緒にいたからじゃない? 幸せそうな顔をしてたよ」
あれのどこが?
ただ、ハイボールをがぶがぶ飲んで、文句垂れてただけじゃん。
大将は、高校の駐車場に車を停めると、先生をまた抱きかかえ、わざわざ二階にある事務所まで連れて行く。
二人がけのソファーに先生を寝かせて「じゃ」と去っていった。
「ふごごご! クソが……パチンコ勝てねぇじゃねーか……」
腹をかいて寝言を言っている。
こんなバカが……ね。
人は見かけによらないもんだな。
※
一時間後、先生はなにを思ったのか、いきなりソファーから飛びあがる。
「ハッ!? また記憶飛んでる!?」
反対側のソファーに座っていた俺はその姿を見て、ため息をつく。
「焼き鳥の大将がわざわざ送ってくれましたよ……」
「ほう。ところで、領収書もらっておいたか?」
「え、まあレシートなら……」
「でかした! あとで今日使ったやつ、全部お前に渡すから、白金に経費として落としてもらえよな♪」
ただギャンブルと酒に使っただけじゃねーか!
どこが取材で、どこが大人のデートなんだよ!
なんの勉強にもならんかったわ。
「ところで新宮。お前、風呂に入りたくないか?」
「え? どこで入る気ですか……まさか、三ツ橋の部室のシャワールームを勝手に使う気ですか?」
もうこの人の思考、読めてきたよ。いい加減。
「失礼な言い方をするな! こんな暑い夜だ。もっとお洒落な大浴場に行こう♪」
「だ、大浴場?」
「うむ。私に任せろ。さ、着いて来い!」
嫌な予感マックスだが、とりあえず、黙ってついていく。
誰もいない静かで真っ暗な校舎を二人して歩く。
先生が言うには、以前ミハイル達と一泊した食堂の近くに浴場はあるらしい。
階段を降りて、校舎を出て目の前に食堂はあった。
そのすぐ裏に二階建ての大きな建物が見える。
近寄って正面から見てみると、大きな看板が目に入った。
『三ツ橋アリーナ』
「なんですか、ここ?」
「ああ、通信制ではあまり使ってないから、わからないよな。ここは普段、水泳部が利用しているプールだ! 夏には持って来いの大浴場だろ!」
んなことだと思ってたよ……。
俺と先生は、階段を昇って、二階の入口からプールへと向かった。
途中、男女別々の更衣室へと別れる。
あ、水着とか持ってないけど、どうするんだろ?
まさか、裸で入る気か!?
と思っていたら、宗像先生が勝手に男子の更衣室へとずかずか入り込む。
「ちょ、ちょっと! こっちは男子の方でしょうが!」
「ああん? お前のイカ臭い股間なんて興味ないわ! それより、これ使え」
そう言って差し出したのは、一枚の競泳水着。いわゆる、海パンてやつだ。
「いいんですか? 人のでしょ?」
「大丈夫だ。忘れていった奴が悪い。どうせ、あとでショタコン向けにネットオークションで出品しようと思っていたモンだから」
この人、本当に生徒想いの良い先生なんですよね?
さっきの話を聞いても、同じ人に見えないのだけど……。
人様の水着を勝手に拝借して、着替え終えるとプールサイドへと向かう。
アリーナの中はかなり広く、体育館ぐらいの大きさだ。
だが、それよりも気になるのはこの明るさだ。
照明が全く点いていない。
多分、近所の住人や高校の関係者にバレないため、先生が敢えて電源をつけていないのだろう。
屋根がガラス製だから、どうにか月のあかりで、ぼんやりと辺りを確認できるが。
正直、プールサイドを歩くのもベトベトしていて、滑りそうになる。
転げてしまいそうで怖いから、慎重に前へと進む。
ようやく、スタート台が見えたところで足を止める。
スタート台に腰を下ろし、宗像先生を待つ。
「なにやってんだろ、俺」
ついつい独り言を洩らしてしまう。
夜空に散らばる小さな星々を眺めて、ある人間の顔が思い浮かぶ。
左の夜空に、ミハイル。右の夜空に、アンナ。
大丈夫なんだろうか。
宗像先生があんな風に道端に放り投げて……。
あいつって結構、ストーカー体質ていうか、俺のことになると、こう真っすぐな奴だから。
このあとが心配なんだよ。
深いため息を吐くと、背後からヒタヒタと足音が聞こえてきた。
「よう、新宮。お待たせ~ 風呂入ろうぜ!」
なんて陽気に話しかけているが、先生の様子がおかしい。
暗くてよく見えないが、水着を着ていないような……。
影だが、身体のラインがくっきり確認できる。
「ちょ、先生? まさか裸っすか?」
「おお。だって風呂だろ? スク水着なんて着ていたら、身体が洗えないじゃないか。はーっははは!」
笑いごとじゃねぇ! 責めてタオルで身体を隠せ!
俺は思わず視線を反らす。背中を先生に向けて。
「ば、バカじゃないんですか!? 俺、こう見えても男なんですよ? ちゃんと配慮してくださいよ、生徒なんだから!」
緊張して声が裏返る。
「なんだぁ? 見たいのか? いいぞ、見ても。そしていつの日か、一人でシコシコやっちゃうんだろ? 健康な男子の証拠だ! はーっははは!」
セクハラだ!
お前の裸体は誰も望んじゃいないんだよ!
※
とりあえず、俺と宗像先生は少し離れたところで身体を洗うことにした。
洗い流す水は、もちろん塩素入りだから、健康的だね♪ クソが!
シャンプーで頭を洗い終わったあと、次にボディシャンプーがないことに気がつく。
「先生。ボディシャンプーありますか?」
裸は見たくなかったので、視線は床のままだ。
「ああ、あるぞ。こっちに来い」
「ええ……」
「ガタガタ言うな! そんなに私の裸を見て股間が元気になるなら、目を閉じておけばいいだろ!」
「わ、わかりましたよ……」
仕方なく、俺は瞼を瞑って、先生の元へと近寄る。
そばに寄ると先生が「このマットの上に横になれ」と促す。
足先で床を確かめると、確かにビニール制のエアーマットがあった。
ゆっくりと腰を屈めて、うつ伏せの状態になる。
偉く柔らかいマットだ。
こんなの水泳部で使うのだろうか?
「じゃあ今から洗うからな~」
「え、先生が洗ってくれるんですか?」
「もちろんだとも! 可愛い生徒だからな。裸の付き合いってやつだ!」
お前と裸の付き合いしたら、犯罪だっての。
下にいる俺からは見えないが、何やら頭上でブチュ~ッと音を立てる宗像先生。
なんだ? チューブタイプのボディシャンプーか?
次の瞬間、冷たい液体がびちゃびちゃっと背中に落ちてきた。
「つめてっ!」
「よし、今から伸ばしてやるからな、全身に」
「え?」
何を思ったのか、宗像先生は俺の腰の上に跨る。
こ、これは!?
ぎゃあああ! 先生のダイレクトお股だ! 気持ち悪い!
「なにをするんですか!」
「は? 全身を洗い合いっ子するに決まっているだろ? 動くなよ。今からスベスベのお肌にしてやるから」
~10分後~
「ほ~らほ~ら、どうだ? 新宮、気持ちイイだろ?」
「ああ、そうですねぇ……」(棒読み)
宗像先生が言うボディシャンプーとは、『ポポローション』というものであった。
多分、色んな使用用途があるのだと思うが、噂では夜の営みやらピンク系のお店で、よく使われると聞く。
だが、先生は「これが一番肌がツルツルになる」と言い張る。
確かにスベスベで気持ちが良いのだけど、それよりも先生のぬり方が問題だ。
手は使わず、自身の肉体で俺の全身にローションを塗りたくる。
背中とはいえ、先生の全てを肌で感じてしまう。
デカすぎて気持ち悪い二つのマスクメロン、それに言いたくないが、トップの干しぶどうだ。
というか、胸を左右に揺らせて俺の身体を洗いやがる。
「気持ちイイだろ? これが大人のオンナしか出来ないお風呂の楽しみ方だぞ♪ ちゃんと小説に書けよ。童貞の読者どもが歓喜して、勉強も疎かになっちゃうよな」
絶対、今日のことは書かない。書きたくない。
というか、大人の女性云々の前に、なんでこんなプレイをこいつは知っているのだろうか?
吐き気を感じ、全身に鳥肌が立つ。
「さ、次は前だ。仰向けになれ」
「ええ……」
「早くやるんだよ! コノヤロー! 恋愛小説に必要だろが!」
暗がりの中、月の灯りと小さな星々に照らされて、俺と先生の影は一つになっている。
うっすらと瞼を開いてみると、目の前に謎の生命体が腹の上を踊っている。
「ふん! ふん!」
宗像先生が声を荒げる度、それは俺の顔面に物凄いスピードで突っ走って来る。
巨大な肉の塊。
つまり、デカケツだ。
暗いことが唯一の救いだった。具が見えないから。
その後、俺はショックから失神した。
気がつくと俺は浮かんでいた。水の上で。
目の前には、真っ暗な夜空。そして、月と小さな星々。
「お、目が覚めたか?」
首をゆっくり左に動かすと、宗像先生が笑っていた。
もう裸ではなかった。競泳水着を着てくれている。
俺の左手を優しく掴み、大の字で水中にぷかぷかと浮かんでいる。
「あ……ちょっと、エグいものを見せられたせいで……」
「ちっ! なんだと千手観音様ぐらい尊いものを見せてやったのに」
なら、とっとと出家してこい!
先生が言うには、夏の暑い日、このプールでいつもこうやって、水面で浮かびながら、夜空を見上げるのが、日々の疲れを癒す場所らしい。
確かに幻想的な夜景ではある。
手を繋いだまま、俺達は黙って星を眺める。
先生は視線はこちらを向けずに、話し出した。
「ところで、新宮」
「え?」
「あのさ……今日のブリブリ女、アンナだっけ?」
「はい。それがどうしたんですか?」
「古賀はなんで女みたいな格好してたんだ? 今日は若者の間で仮装パーティーのイベントでもあったのか?」
ファッ!? ば、バレた!
一番面倒くさいやつに。
俺は水中の床に足を下ろして、先生に向かって叫ぶ。
「なんでわかったんですか!?」
動揺する俺を見て、先生は声色変えず、真顔で答える。
「は? あんなの見れば一発で分かるわ。教師を何年やっていると思ってんだよ? 女としておかしいだろ。男に媚びまくったブリブリ女がこの世に存在すると思うのか。そんな幻想は捨てろ。童貞たちは女に夢を見すぎなんだよ。古賀がやっていることは、その願望をそのまま叶えてあげた可哀そうな子って感じだな。女に嫌われること、間違いなし!」
ひでっ!
なんでうちのメインヒロイン、毎回女性に会う度にここまで酷評されるんですか。
ヤンキーの男の子が頑張って化粧して、可愛く女装してくれるのに……。
バレてしまったら、仕方ない。
俺はなぜこんなことになってしまったのか……今まで起きたこと、それからミハイルが女装している理由を先生に告白した。
「なっ! それ、マジか! だぁはははっははは!」
腹を抱えて笑っている。
人が真剣に悩んでることを。
「先生、俺。結構真面目に相談したんですけど」
「悪い悪い……いい年こいた男たちがそんな下らないことで、女装ごっこしてるとか。ヤベッ、超面白れぇ! 腹が痛い! やっぱお前ら今年一番のルーキー達だわ」
※
先生が笑いを堪えながら、一旦プールを出ようと提案した。
脚だけ水につけ、二人して肩を並べてプールサイドに座る。
「で、新宮。お前は告白を断った古賀に対し、未だに女装しているとはいえ、何故おままごとみたいな恋愛ごっこを続けているんだ?」
いつもふざけた宗像先生の目が、ギロっと鋭い目つきに変わる。
「そ、それは……俺の、性格の問題です。物事を白黒ハッキリつけないとダメな性格だから……。だから、男のミハイルを断ったのに、あいつに『女の子として生まれ変わったら付き合う』なんて言っちゃったから……あいつ、真に受けて。そしたら、なんか普通にデートを楽しむ自分もいて。俺、なにが好きで楽しいのか、境界線がわからなくなってきて……。相手は男だってわかっているのに……」
「ちゃんと自分と向き合っているんだな。良い子だ、新宮」
そう言うと俺の肩を引き寄せ、抱きしめる。
ふくよかな胸に優しく包まれる。先生の鼓動が聞こえてくる。
「お、俺。どうしたらいいんですか? なんで男が男に好意を持つんですか? おかしいでしょ?」
すると先生は俺の頭を優しく撫でる。
「考えすぎだ。人間なんだから、いつ誰を好きになってもおかしくない。ただ、このままダラダラと女装ごっこをしていると、お前たちの関係が終わってしまう可能性があるな。だったら、お前もいつか、しっかりと古賀の誠意に答えるべきだ。あいつの好意を受け止めるか、再度拒絶するか。決めるのは誰でもない。お前だ」
重たすぎる言葉、選択肢だった。
突きつけられる現実。
考えたくもなかったミハイルとアンナの消失。
嫌だ。想像するだけで、胸が痛む。
やっと出来た唯一のダチなのに……。
「なあ、新宮。一つ昔話をしてやろう。ひとりの可憐な美少女がおりましたとさ」
なんか嫌な予感。とりあえず、黙って話を聞く。膝枕状態で。
「その子はとてもグレていました。ケンカに明け暮れる毎日。大根を担いでかじって、暴走族をやっていました」
どこが可憐だ! ただのヤンキーだろ!
「ある日、とあるおっさんが少女に声をかけました。『うちの学校に来ないか?』と。そんなことを急に言われた美少女ちゃんは『ぶち殺すぞ、このクソオヤジ!』なんて可愛らしく断りました」
全然可愛くない、憎たらしい。
「ですが、そのおっさんは諦めません。毎日毎日、来る日も来る日も美少女ちゃんを説得し、どうにか学校へと入学させました。そして、美少女ちゃんは誰もが振り返るJKとなったのです」
あの、さっきからちょいちょい要らない情報あるんですけど?
「そして、ヴィクトリアとかいう外タレと日葵という貧乳と、三人でお茶目に暴走通学していました。心を閉ざしていた美少女ちゃんですが、おっさん先生に勉学を習ううちに、仲良くなっていき……次第にある一つの感情が湧き上がってきたのです」
それまで黙っていたが、つい俺は口に出してしまった。
「ま、まさか!?」
すると先生は上から俺の頭を撫でながら笑う。
「スキになったのです」
※
「つまり、初恋だったと?」
「ああ、そうだ。相手は妻帯者、可愛らしいお子さんも二人もいてな。家にまで招待してくれて……本当にいい先生。大人だったよ。でも、その美少女ちゃんはスキになったよな? だからといって、大好きな人の幸せを奪ったり、破壊したいと思うか?」
「そ、それは……できないかもしれません」
「良識のある女だったらな……でも、私は初恋とは思っていない。未だにスキのままだ。絶賛片思い中の28歳でーす!」
なんて笑顔でピースしやがる。
しんどっ!
「それって、何年前の話ですか?」
「えっと、12年ぐらい?」
「先生……かわいそうです……」
俺は涙が止まらなかった。
「ハァッ!? 別に可哀そうじゃないわ! たまにこの夜空の星を見ていると、ニューヨークにいるあのおっさんも同じ星を見上げていると思うと、胸がドキドキしちゃうしな!」
めっちゃ乙女やん! 純情すぎる。
「ニューヨーク?」
「ああ、私もおっさん目指して教師になって、隣りにいたいからって、この高校に戻ってきたのに、あいつ海外に行きたいとか言いやがって……。大学でも何人かの男と付き合ってみたけど。ダメだったな。みんなガキっぽくてさ。だから、あのおっさんが日本に帰ってくるまで、この蘭ちゃんがあいつの代わりをしてやってんのさ!」
ニカッと歯を見せて笑う、片思いをこじらせた28歳。
「え、先生……せっかく語ってくれたのは、ありがたいんですけど。正直、重いです」
「……」
俺は宗像先生の初恋の話を聞いて、正直驚いていた。
こんな無茶苦茶な人間にも、そういう大切な人がいるのだと……。
「なあ、新宮。お前、わかっているのか? 残された時間のこと」
「え、どういうことですか?」
「お前は、確かに今期一番頑張った生徒として、私は評価している。しかし、同時にそれだけの時間を消費してしまったということだ。卒業までのタイムリミットは着実に近づいている。今こうしている時も、一秒一分、常に失くしているんだ。10代の学生生活は退屈に感じるだろう。勉学なんて正直、どうでもいい。問題はお前が卒業までに、ちゃんと『次』を考えることが重要だ」
「つぎ、ですか?」
「うん。進路のことだ。もうお前は今年の半分を使ってしまったよな? 古賀との出会い、他にも色んな友人、異性……たくさんの人々と交流することで、人間として成長しているだろう。しかし、この時間は有限だ。あと2年半しかない。それにうちの高校は、離脱率が高い。お前はストレートで卒業できるタイプだが、退学する者も多い……で、課題だ」
あれ、だいぶ前にも、こんな展開があったような。
「なんですか?」
「それは卒業するまでに、夢を抱くことだ!」
なにそれ、おいしいの?
「夢ですか……この俺が、ゆめ?」
ふと考えてみる。が、なにも思い浮かばない。
今の生活に意外と満足しているからだ。
小説は書籍化成功したし、仕事は新聞配達があるし、ダチのミハイルも出来たし、映画も楽しいし……。
俺はそれら頭に浮かんだことを、先生に説明し、今の生活で満足していると伝えると……。
「バカモン! 小説だって売れなきゃ食ってけないだろ? それに新聞配達はもう終わりに近いだろう。今やデジタル社会だ。紙の時代はいずれ失くなっていくと思う。例えば、卒業して就職するだとか、大学や専門学校に進学したりとか……」
「ああ、そっち系ですか」
もう一度、将来を、最高の自分を、理想像を考えてみた。
『タクト~☆ こっちこっち!』
『おはよ、タッくん☆ ご飯出来たよ? 一緒に食べよ☆』
二階建ての一軒家の門前に俺が立っている。
左にはショーパン姿のミハイル。
右にはフリルワンピース姿のアンナ。
二人が俺を囲んで笑っている。
犬も一匹、猫も一匹……の隣りには、ベビーカーが一つ。赤ん坊がおしゃぶりを咥えている。
幸せそうな家庭だ。
『タクト! どこ見てんだよ! あんまりそういうことすると怒るゾ!』
『もう~ タッくん、大好き☆ チュッ!』
「……オーマイガッ!」
恥ずかしすぎて、思わず叫んでしまった。
その声に驚いた宗像先生がキレる。
「な、なんだ。急にやかましいな!」
「すみません。想像したものがちょっと……あまりにエグいものだったので」
なんで俺の夢にミハイルとアンナが関わっているんだよ。
しかも子供までいるとか……俺どうしたんだ?
思い出しただけで、顔が熱くなる。
「ほう、どうやらその反応。お前にもちゃんと夢があるようだな。それが何かは聞かないでおこう」
俺の表情から何かを感づいたのか、先生は怪しく微笑む。
「ちゃ、茶化さないでください!」
見透かされているようで、語気が強まる。
「なら一つだけアドバイスしてもいいか?」
俺が逃げられないように両肩を強く掴み、じっと目を見つめる。
その瞳は真剣そのものだ。
「な、なんでしょう?」
「新宮、私の過去の話は聞いたよな? だったら、可愛い生徒のお前には、同じ後悔をして欲しくはない。だから、言わせてくれ。自分の想いは相手が隣りにいるうちに、しっかりと伝えて欲しい! それが相手が拒絶しようともだ。例え、それでお前が傷つくとしても恐れるな。勇気を持て! 相手が大事なら。今の生活を当たり前だと思うな。相手が一緒にいてくれるなら……ちゃんと想いは伝えるべきだ」
先生の目にはうっすらと涙が浮かぶ。
俺は彼女の熱意に満ちた言葉が、深く胸に突き刺さった。
「わ、わかりました……必ず卒業するまで、俺の中で答えを出してみます」
そう言うと、先生はニッコリと笑って、俺を強く抱きしめる。
「良い子だ! 私はこのために教師をやっているんだ……」
「先生……」
傷のなめ合いだと思った。
でも、宗像先生の優しさはしっかりと伝わった。
ならば、俺もそれに応えたい。
そう思えた。
だから、俺のあいつへの想い。
どうするか、しっかりと真剣に考えていくつもりだ。
この心の中についた小さな火は、今にも風に吹かれて、消えてしまいそうだが。
なかなかにしぶとい、ろうそくが根元にあるのかもしれない。