気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 アンラッキー? なことに、俺はまたしても女物の下着を履くことになった。
 とりあえず、アンナが心配していたので、トイレからベッドに戻る。
 俺が「悪かったな、下着」と言うと、彼女は頬を赤らめて、視線を落とす。
「こ、今回だけだからね……帰ったら捨ててよね、絶対」
「了解した」
 絶対永久保存しとく。

 彼女は俺のことをすごく心配していたようで、とりあえず、尻はなにかぶつけたことにしておいた。
 そう説明すると安心して、またマッサージを続けたいと言われた。

 今度は仰向けに寝て、腕や脚を揉みほぐされる。
 手のひらのつぼや、指を一本ずつ関節ごとに優しく押してくれる。
「あぁ~」
 思わず、声がもれる。
 気持ち良すぎる。
「ふふ☆ タッくん気持ちいい?」
「アンナ、本当にうまいなぁ……」
 急に眠気が襲ってくる。
 ウトウトし始めること数分で、俺は寝落ちしてしまった。

 ~数時間後~

 スマホのアラームで目が覚める。
「しまった!」
 咄嗟に身を起すと、部屋には誰もいなかった。
 ベッドから立ち上がり、彼女の姿を探してみる。
 近くのローテーブルに一枚のメモが置いてあった。

 可愛らしいネッキーがプリントされたメモ紙。
『タッくんへ。気持ち良そうに寝ていたから、起さないでおくね。アンナは先に福岡に帰ってるよ☆ また取材しようね☆』

「そうか……悪い事したな」
 あれだけ長時間マッサージまでしてくれたというのに。
 別れも告げられなかったのか。

 ん? ということは、本体のミハイルはどこにいるんだ?
 スマホで現在の時刻を見れば、『7:32』
 朝食の時間だ。
 昨晩食べたレストランで、ビュッフェが用意されていると聞いた。
 この部屋にアンナがいないのなら、彼も今頃朝食を取りにいっているのだろう。

「俺もそろそろ飯を食いに行くか」
 と部屋を出る前に、尿意を感じた。
 トイレに向かう。

「ほわぁ~」
 あくびをしながら、ガチャンと扉を開く。

「あ」
 目の前にいたのは、ポニーテール姿のミハイル。
 便座に座っていた。
 俺と目が合うと、
「あぁ……」
 と嘆く。
 真っ青な顔で。

 俺も身動きが取れずにいた。
 ドアノブに手を回したまま、硬直している。
 当のミハイルと言えば。
 左手でトイレットペーパーを手に取り、右手で丸めている最中だった。
 いつも履いているショートパンツは、膝あたりまで降ろされている。
 もちろん、下着もだ。ライムグリーンのボクサーブリーフ。
 しかし、それよりも俺は、とあるものに釘付けになってしまう。

 それは彼の股間。
 一言で表現するならば、粉雪。
 草が一つも生えてない未開拓地。
 そこに真っ白な雪が積もり、キラキラと輝く。

 小さすぎる……手乗りぞうさん。
 15歳にしては、あまりにも矮小な短刀。
 か、カワイイ。

 気がつくとその言葉が、頭の中に浮かんだ。
 俺はノンケだし、バイセクシャルでもない。
 なのに、なんだ。この胸の高鳴りは……。

 こんなに小さくてパイテンなおてんてん、見たことないよ!
 可愛すぎる、ミハイルの!
 
 なにか似ている。
 はっ! わかった。
 博多銘菓の『白うさぎ』だ!

 紅白饅頭で、マシュマロと白あんで作られたうさぎの形の和菓子。
 もちろん、白い方だ。
 となればどこからか、聞こえてくる。
 あのCMの歌が。

『白うさぎ~ 白うさぎ~ あなたのお目めはなぜ青い~?』

 とここまでの体感時間、10分ぐらいなのだが。
 実際は、お互いに固まっていること、数秒に過ぎない。

 ミハイルは俺の顔を見て、咄嗟に太ももを内側に寄せ股間を隠す。
 驚きの表情から、顔を真っ赤にさせて、近くにあったものを俺目掛けて投げまくる。
「なに、開けたままにしてんだよ! 早く閉めろよ、タクトのバカバカッ!」
 石鹸や歯磨き、シャンプーのボトルなどが、次々と俺の顔面にブチ当たる。
 が、俺は未知の小動物を発見してしまったので、身動きが取れない。
「白うさぎ……」
「何言ってんだよ、バカッ! 早く出てけ!」
「ああ、すまん……白うさぎ」
 そう言って、トイレのドアを閉めた。

 閉めても未だに、扉の向こうからはミハイルの怒号がこちらにまで響き渡っている。
 しかし、彼の声が俺の耳に届いてくることはない。

「白うさぎ……白うさぎ」
 気がつけば、ずっと連呼していた。

 それからの意識は、ない。

 後々、ミハイルから聞いたが、俺の状態がおかしくて、ろくに歩けなかったらしい。
 朝食も彼に引っ張られて食べに行ったものの、ピクリとも動かないので、彼が献身的に介護したらしい。
「あーん」とスプーンを俺の口に寄せても。
「うさぎだぁ~ うさぎさん~」
 と笑っていたらしい。

 
 気がつくと、俺は福岡に帰っていた。
 心配したミハイルが自宅まで送ってくれたらしく。
 意識を取り戻したのは、次の日の朝だ。

 自室の学習デスクに紙袋が一つ置いてあった。
 博多銘菓『白うさぎ』

 妹のかなでが、俺に向かって訊ねる。
「おにーさま? やっと正気に戻りましたの?」
「はっ!? 俺は一体今までなにを……」
「ミーシャちゃんが心配してましたわよ。別府温泉に行ったのに、わざわざ博多銘菓の『白うさぎ』を買う買うっていう事を聞かなくて、困っていたらしいですわ」
「え、マジ?」
「はいですわ。帰って来てもずぅーっと、あれを食べてましたわね。普段食べないのに。5箱も食べてましたわ……」
「……」
 なんだか、急に胃が痛くなってきた。

 こうして俺の初めて旅行。
 そして、一ツ橋高校一年目の春学期は、無事に終業したのである。

 一ツ橋高校が終業して、一週間が経とうとしていた。
 今の俺と言えば、暇で暇で仕方ない。
 もちろん、仕事はしている。
 朝刊と夕刊の配達だけ。小説の方は、最近書いてない。
 勉強もない。夏休みの宿題なんて、バカ高校だから論外だ。

 入学する前は、あんなに勉強だとか、スクリーングとか、人に振り回されるのを嫌っていたのに。
 いざ、自分の時間が出来ると、退屈すぎて死にそうだ。

 唯一の楽しみと言えば、アンナやミハイルの写真をパソコンで整理しつつ、別府旅行でゲットしたパンティをクンカクンカすることぐらいだ。

 この日も夜な夜な1人で、アンナの香りを楽しんでいると……。

 しばらく、うんともすんとも言わなかったスマホが、急に鳴り響く。

「も、もしもし?」
『DOセンセイ! お久しぶりですって……なんか声が変じゃないですか?』
「は、はぁ?」
 声が裏返る。
『ひょっとして……自家発電の最中でした?』
「ち、ちげーし! 今小説の大事な資料を確認していただけだし!」
 間違ったことは何一つも言ってない。
 だって取材対象から提供してもらった資料のピンクパンティなのだから!

『そうですか。まあ童貞のセンセイの私生活とかどうでもいいっすわ。で、仕事の話なんですけどね』
 しれっと人格否定すな!
「ああ、この前送った原稿か?」
『はい。朗報ですよ! 編集長にも読んでもらって無事に許可がおり、出版決定となりました! あとは校正とか色々細かいチェック終われば、二か月後の9月ぐらいに書店に並びますよ!』
「えぇ……なんか出版まで早くね?」
 俺の他の作品なんて、打ち切りとか何回もボツにされたのに。

『そうなんですよ~ 編集長から私も褒められてましてぇ~』
 自分の功績のように嬉しそうに語るな。
 俺がどれだけ苦労して取材したと思っているんだ。
「へぇー」
『なんかあんまり嬉しそうじゃないですね?』
「別に……」
 なんで他の作品は褒めてくれないんだよぉ~!

『あとコミカライズも同時進行してますよ? 編集長がめっちゃ気に入ってて、ラブホのシーンとか胸キュンが止まらないって♪ もうあれです。“気にヤン”は博多社が総力をあげて宣伝しまくるそうですよ!』
 ファッ!?
 なんか急に恥ずかしくなってきた。ほぼ私小説だからね。

「そ、そうなの? コミカライズもしちゃうんだ……」
『ええ! 原作もコミックも売れたら、も~う止まりませんよ! アニメ化、ドラマ化も夢じゃありません! ついでにも映画化の話まで出ているんですから!』
「……」
 全世界に、俺と女装男子のイチャイチャが晒されるのかよ。
 生き恥じゃん。

『ということで、引き続きDOセンセイは取材と執筆を頑張ってください! あとはトマトさんが表紙と挿絵さえ描いたら、発売日を待つだけです!』
「そういえば、そうだったな」
 トマトさんがギャルの花鶴 ここあをモデルに、ヒロインのイラストにするとか、言ってたな。

『じゃあセンセイ。取材費なら経費で落としまくってやりますので、せっかくの夏休みなんだし、取材対象の方で、童貞でも捨てて来てくださいね♪』
「おまっ!」
 キレようとした瞬間、
「ブチッ!」と一方的に電話を切られてしまった。


「はぁ……」
 なんでこんなに私小説の方が人気でるかねぇ。

 ため息をつくのも束の間、再度電話が鳴り出す。

 着信名はアンナ。
「もしもし?」
『あっ、タッくん☆ 久しぶりだね!』
 いや一週間前にパンツくれたじゃん。
「ああ、別府以来だな」
『うん楽しかったね。ホテルの取材☆』
 その言い方だと俺と関係持っちゃってるみたいじゃん。
「まあな」
『ところで、タッくん。夏休みだよね? アンナと取材しよ!』
 気持ち良すぎるぐらいのグッドタイミングだ。
「おお、ちょうど編集から指示を出されたところだ。どこに行く?」
『ホント? じゃあ来週の大濠(おおほり)公園花火大会に取材しよ☆』
「花火大会かぁ……」
 子供の時に行ったきりで、最近はニュースでしか、映像を見ない。
 リア充どものイベントだと遠ざけていた。
『え、イヤなの?』
 受話器の向こう側から、不安そうな声が聞こえてきたので、即座に否定する。
「全然だ! 問題ない! むしろ久しぶりの花火大会にかなり期待しているぞ!」
『良かったぁ~☆ じゃあ来週にね☆』
「ああ約束だ」
 電話を切って、ふと気がつく。
 左手には未だにアンナのパンティを握っていたことに。

 ガチャンと自室の扉が開く音が聞こえた。
 妹のかなでが部屋に入ってきたのだ。

「おにーさま……とうとう下着ドロボーをされたんですの?」
「い、いや、これは違うからな? 貰い物だ」
「見損ないましたわ! ミーシャちゃんに告げ口してやりますわ!」
「そ、それは……やめておいたほうがいいと思うぞ……」
 だって、マジでくれた本人なのだから。

 花火大会、当日。
 俺は夕刊配達を終えると、シャワーで汗を流す。
 いつも通りの格好。タケノブルーのキマネチTシャツと着慣れたジーパンに着替える。 

 朝方、アンナからL●NEで連絡があり、
『午後5時の博多行き列車、3両目で待ち合わせよ☆』
 と約束した。

 地元の真島駅に向かうと、異様な光景が。
 カップルばっかり……。
 その他にも、女子中学生や女子高生らしき若い女子達が、みな色とりどりの浴衣を着て駅に集まっていた。
「クソッ、リア充共は死ね!」
 って毒を吐いてみたが。
 あれ? 俺って今年はデートしてない?
 と気がつく。
 いやいや、相手は女装男子。
 まだリア充ではない。


 駅のホームも夕方なのに、たくさんの若者でごった返していた。
 大半が浴衣女子。
 あとはそれにくっつく彼氏達。

 あまりの人混みに酔いそうになる。
 
 こんなに花火大会って人気なんだなぁと、初めて痛感した。

 しばらくして、博多行きの列車が見えてきた。
 だが、なんだか様子がおかしい。
 遅い。ホームに到着するからとはいえ、減速ってレベルじゃない。
 のろのろと、まるで老人の歩行速度だ。

 その原因は列車内の乗客だ。
 あまりの人の多さに、本来の列車の速度を出せないでいるようだ。
 車体がちょっと斜めに傾いている。

 やっとのことで、ホームに到着する。
 プシューと自動ドアが開けば、そこには地獄絵図が。
 人と人が絡み合うように、一切の隙間が与えず、ぎゅうぎゅう詰め。
 こんな満員電車見たことない。
 そして、真島駅には誰も降りないから、質が悪い。

「うう……」
「きつい……」
「乗るなら早く乗ってぇ……」

 なんてリア充共がほざく。

 乗れるのか、これ?
 とりあえず脚を進めるのだが、片脚が車内に入っただけで、それ以上は奥へと進めない。
 困っていると、後ろにいた浴衣女子たちに寄って、無理やり押し込まれる。

「むおおお!」

 首は天井を向き、右手はなぜか真っ直ぐ伸びて固まる。左手は後ろの誰かの尻に当たっている気がする。きっと男だろう。
 このまま発車するのか?

 と思った瞬間。
「タッくん! そこにいるの?」

 どこからか、アンナの声が聞こえてきた。
「ああ! ここだ。今日は仕方ないから、博多駅について落ち合わせよう」
 今も顔が変形してしまうぐらい圧迫されて、息苦しい。
 いつものように、仲良く二人で電車には乗れそうにない。
 だが、アンナはブレなかった。

「そんなのイヤァ! 初めての花火大会なんだから、二人で行くのぉ!」

 車内に響き渡るように叫び声をあげる。
 その直後、ドドッと人々が波のように倒れてしまった。
 もう一つ隣りのドアから、強制的に人々がホームへと叩き出される。
 
「グヘッ!」
「ぎゃあ!」
「痛い!」

 そして、残ったのは、1人の浴衣少女。

 長い金髪をお団子頭にして、桜のかんざしをさしている。
 紺色の浴衣には、かんざしと同様のピンクの桜が刺繍されていた。
 足もとは茶色の下駄。花尾はこれまた可愛らしい桜だ。

「タッくん! みんなが空けてくれたよ☆ こっちにおいでよ☆」
 ファッ!?

 お前が馬鹿力で叩き出したんだろ!
 犯罪だよ!

 ホームに倒れ込む人々を見ると、何人かの女子が膝をすりむいて、出血していた。

「えぇ……」

 さすがの俺もドン引き。

 俺の周りにいた客たちもバイオレンス美少女に震えあがる。
 こちら側はまだぎゅうぎゅう詰めだというのに、
「どうぞどうぞ」
 と俺をアンナの元へと道を開ける。
 いや、恐怖から無理やり押し出された。

「ふふっ、やっと二人になれたね☆」
 アンナが優しく微笑むと、プシューとドアが閉まる。
 あれだけの満員電車だったというのに、俺たちの空間だけ、ガラガラ。
「アンナ……」
「ん、なに?」
 キラキラと輝くグリーンアイズが今日も可愛い。
 だが、他人からしたら、恐怖でしかない。
「今度から花火大会に行くときは、タクシーで行こう……」

 重量オーバーなこともあり、電車はノロノロ運転で博多へと進んだ。
 いつもの倍の時間を要する。
 1時間ぐらいかかった。

 博多駅に着くと、そこから地下へと降りて、福岡市が運営する地下鉄に乗り込む。
 大濠公園駅で降りれば、あとは花火大会の会場まですぐだ。

 と、言いたいところだが、そうはいかない。

 俺とアンナが大濠公園駅で降りたが、一向に脚を進めることはない。
 いや、身動きが取れないのだ。

 列車から降りると、大勢の人々で駅から大行列。
 地下から出ることができない。
 それは他の人間も同様だ。
 一歩進んだと思ったら、また立ち止まる。それが延々繰り返される。
 地下から地上に出るまで、なんと45分もかかった。

「なんなんだ? 高々、花火ごときでこんなお祭り騒ぎなのか? バカじゃないのか、こいつら……」
 あまりにも時間がかかるので、俺はイライラしていた。
 それを見たアンナが、俺の肩に優しく触れる。
「タッくん。そんな怖い顔しちゃダメだよ☆ こういうのは、雰囲気を楽しまないと☆」
「楽しむ? これ苦行じゃないのか?」
 俺はこういうこと、未経験だから彼女の言う、楽しみ方とやらが理解できない。
 行列と言えば、コミケぐらいしか経験ないし。

「じゃあさ、こういうのはどう? 彼氏と彼女は仲良くしていると、どんな所でも二人の世界に入れるっていうの☆」
「は? つまり、どういうことだ?」
「こう、するの☆」
 何を思ったのか、アンナは俺の左手を握る。
 ただ手を繋ぐわけではない。
 互いの指と指を絡み合う手つなぎ。
 なっ!? こ、これは俗に言う恋人繋ぎというやつでは!?

 思わず頬が熱くなる。
「あ、アンナ!? いいのか、こんなことして?」
「だって、タッくんってさ。ドキドキする体験をしたら小説に使えるかなって☆ これも取材だよ☆」
 緑の瞳がキラリと輝く。
 繋いだ手をちょっと宙に上げて見せ、「ねっ?」と微笑む。
「ああ……確かに。待ち時間も二人なら楽しめてしまうのか、カップルてやつは」
「ふふ☆ あ、そろそろ公園が見えてきたよ」

   ※

 結局、博多駅を出てから会場に着くまで一時間半もかかった。
 で、肝心の会場である大濠公園なのだが。


 元々は福岡城の外堀であって、その城跡を再利用し、舞鶴(まいづる)公園と大濠(おおほり)公園として市民に長年愛されている。
 巨大な湖を中心にして、周辺に様々な施設が設置されている。
 ちょうど公園を一周すると二キロぐらいあるので、サイクリングやジョキングとしても利用されるし。
 春には桜並木が立派に咲き誇る。
 他にも池にボート。
 また、かの有名なマリリン・モンローが新婚旅行で立ち寄った老舗の高級レストランもあるらしい。

 と、ここまでは、歴史ある都市公園なのだが……。

 いつもなら、スタスタと中に入って、湖を泳ぐ留鳥や渡り鳥を目にするはずなのに。

「なにも見えん!」

 お祭りの醍醐味とも言える屋台ですら、近づけないほど、人混みでなにも見えない。
 背伸びしても、公園の内部が確認できない。

「はぁ……これじゃ、花火大会の取材にならんぞ」
 俺が愚痴を吐いていると、アンナが苦笑する。
「はは。仕方ないよ。それだけ、みんなこの花火大会が大好きなんだよ……」
「しかし、これじゃ花火を近場で見れんぞ?」
「う~ん……あ、あそこなら見れそうじゃない!」
 そう言ってアンナが指差したところは、湖からだいぶ離れた茂み。
 正直、暗いし蚊も飛んでいるし、ゴミも地面に転がっているし……。
 ムードなんて皆無だ。
 しかも、数日前に雨が降ったこともあって、芝生がちょっと濡れている。

「あそこから花火を見るのか?」
「うん☆ ほら、さっきも言ったけど、カップルはどこでも楽しめるでしょ☆」
 そう言ってウインクしてみせる。
「まあ、アンナがそう言うなら……」

   ※

 ドーン! と大きな音と共に、夜の空に煌びやかピンクの花が描かれる。
「たまや~ かぎや~」
 なんて叫べれるか!

 花火が遠すぎる。
 これなら、どっか近くの高層レストランで晩飯食ったほうが、キレイに見えるだろ。

「アンナ。なんかショボくないか?」
「ううん☆ そんなことない。大事なのは、タッくんと初めてきたこと。初めて見れたことなんだから」
 そう言って、瞼を閉じ、胸の前で手を組んで見せる。
 この空間を彼女なりに楽しんでいるようだ。

 しかし、かれこれ一時間ぐらい立って、花火を観ている。
 ちょっと疲れてきた。
 座りたいところだが、地面が汚い。
 
「お、そうだ」
 俺はジーパンの後ろポケットから、タケノブルーのハンカチを取り出し、芝生の上に置いてみる。
 そして、アンナに声をかける。
「なあ。疲れたろ? これに座ってくれ」
「え?」
「せっかくの浴衣が汚れちゃ、後味悪いだろ? 俺のハンカチは洗えばいいんだから」
 俺がそう言うと、アンナは遠慮がちに腰を下ろす。
 だが、その顔はどこか、嬉しそうだ。

「ありがと、タッくんって優しい☆」
「男として当然のことをしたまでだ。アンナは女の子だからな」
 しれっと紳士アピールしておく。

 って……あれ?
 隣りにいる浴衣美少女は、少年だったぁ!
 俺ってば、洗脳されてるぅ!

 かれこれ、花火を観ること、二時間ほどか。
 辺りは蚊が飛び交い、所々にビール缶が捨てられていて、少し酒臭い。
 最悪の花火大会じゃん!

 それにせっかく屋台もたくさんあるのに、近づくことさえできないでいる。
 スマホを見れば、現在『20:04』だ。
 いい加減、腹が減ってきた。

 アンナと言えば、俺のハンカチの上に小さなお尻をのせて、上空を満足そうに眺めている。
 見ていて、なんだか哀れだ。

「あ、アンナ。そう言えば、報告しておきたいことがあるんだ」
「ん? なんのこと?」
「その、おかげさまで単行本の販売が決まったんだ。9月ぐらいに発売されるらしい。今までたくさん取材に付き合ってくれたおかげだ。礼を言う」
 一応、頭を軽く下げておく。
 すると、彼女は自分のように喜んでくれた。
「ホント!? タッくんと取材した思い出がついに紙の本になるんだね! おめでとう☆ でも、アンナは特になにもしてないよ。書いたのはタッくんでしょ☆」
 なんて健気な女の子なんだ……って男の子だった!

「いや、アンナの取材がなければ、ここまで作品を仕上げることはできなかった」
「そ、そう? ふふ……嬉しい」
 頬を赤くして視線を落とす。
 だが、芝生はめっちゃ汚いけどな。

「なあ。ボチボチ腹が減らないか? 屋台で何か買いたいけど、この人出じゃ無理そうだ。夜もだいぶ遅いし、博多に戻って晩飯でも食わないか?」
 もう限界、今すぐ店を探したい!
「そ、そうだね。アンナも少しお腹空いてきたところ……」
 かなり我慢していたな。
 その証拠に花火の音をかき消すぐらい、腹からグーグー鳴ってうるさい。
「じゃ、行くか」
「うん☆」

  ※

 初めての花火大会はショボくて残念だったが、アンナが楽しそうにしていたから、良しとしよう。
 俺たちは足早に会場を跡にした。

 まだ会場に人々が残っているせいか、帰りの地下鉄は割と空いていた。
 博多駅について、店を探す。
 だが、どこも浴衣を着た若者やカップルで、普段ならすぐに入店できるレストランも満席。店の外に並べられたイスも埋っていてるし、その後ろにも行列が……。
 一時間以上は待たないと、入れない状態。

 こんな博多駅は初めて見た。
 どこを回っても、同じ。

 その間も、腹が減って仕方ない。
 あまりの空腹で頭が回らない。アンナもヘトヘトになっていた。
 お互い中身は10代の男子だからな。

「なあ、アンナ。博多駅内じゃ無理そうだ。ちょっと離れてもいいか?」
「う、うん……タッくんに任せるよ」
 こりゃ、もうすぐHP尽きそうだな。

 俺は近くの『はかた駅前通り』をまっすぐ進み、ちょっと人気のない通りに入り込む。
 そうだ。この裏通りは、以前に二人で取材した場所。
 例のラブホ通りだ。
 だが、今日の目的はホテルじゃない。
 俺の行きつけのラーメン屋。博多亭。

 ここは地元民でもなかなか発見できない隠れた名店だから、リア充共は寄り付かない。
 精々が仕事帰りの中年サラリーマンぐらいだ。

 長年の脂で汚れたのれんをくぐって、カウンターに座る。
 大将が俺の顔を見て、すぐに声をかけてくる。
「おっ、琢人くん! らっしゃい! 今日もどうせ映画帰りだろ?」
 このおっさん。ちょっと殴りたい。
「いや。今日は違うよ。連れと大濠公園の花火大会に行ってきた」
 隣りで腹を抱える浴衣美少女を親指で指す。
 すると大将は顎が外れるぐらい大きく口を開いた。
「ひぇぇ! 万年童貞、根暗映画オタクの琢人くんが、浴衣美人と花火大会だってぇ!?」
 もうこの店、来るのやめようかな。
「大将。前に会っただろ?」
「あ、連れって……あ、あの時の! アンナちゃんかい!」
「そうだよ。めっちゃ腹減ってるから、豚骨ラーメン二つ、バリカタで。あと餃子も」
「あいよ! 餃子はサービスにしておくよ! 美人のアンナちゃんだからね!」
 ひでっ。アンナだけ優遇すぎだろ。

   ※

「スルスル……んぐっ、んぐっ…ゴックン! はぁはぁ、おいし☆ 生き返るぅ」
 うん。そのいやらしい咀嚼音は、生き返ったね。
「アンナちゃん、浴衣似合っているね! 今日は替え玉無料にしてあげるよ」
「え、悪いですよ~」
「いいっていいって。ほら、琢人くんとデートしてくれたから。ね、おいちゃんからの感謝だよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
 その後も食べる食べる。今4杯目。
 俺はさすがに3杯で箸を止めた。

 ま、アンナが美味しそうに食べる横顔が見れて、満足かな。

 ジーパンのポケットが振動で揺れる。
 手を入れて見ると、スマホが鳴っていた。

 着信名は、赤坂 ひなた。

 だが、ここで電話に出れば、アンナさんがブチギレること必須。
 ちょうど大将と談笑しているし、店の外で電話に出ることにした。


「もしもし」
『あ、新宮センパイ! 今、暇でしょ!?』
 いきなり失礼な奴だ。
「いや。あいにくだが、博多なう」
『ハァ!? センパイのくせして、こんな時間に?』
 どいつもこいつも、俺を何だと思っているんだ。
『ま、どうせセンパイだから映画帰りでしょ。そんなことより、取材しませんか?』
 勝手に設定作り上げるな!
「取材だと?」
『はい♪ 水族館“マリンワールド”です! 来週、行きましょ♪』
「水族館か、了解した。予定を空けておこう」
『じゃあ、また連絡しますね♪』

 電話を切って、ふと振り返る。
 窓から店内を覗くと、こちらを見つめている金髪の美少女が1人。
 や、やべっ! 感づかれた!
 優しく微笑んでいるけど、目が笑ってない。
 急に悪寒が走り出した。

 ひなたと次の取材先を決めたは良いものの……。
 店に戻ると、アンナがニコッと微笑んで、俺を待っていた。

「タッくん。誰と電話かな?」
 声がめっちゃ冷たい。
 疑われているのは間違いない。
「はは、仕事だよ。小説の方……」
「ふーん。出版社の人じゃないよね? 誰?」
 ずいっと俺に小さな顔を近づける。
 いつもならキラキラと輝く美しい緑の瞳なのに、どす黒い闇を感じた。

「あ、あの…その……あれだ! 取材だよ」
 更に俺の顔を覗き込む。
 その距離、わずか一センチほど。
「アンナ以外で取材する必要ってあるのかな? ひょっとして、ひなたちゃん?」
 ぎゃあああ! エスパーかよ、こいつ。
 怖すぎ。

 ここは嘘をつくのをやめておこう。
「う、うむ。彼女もまたサブヒロインとして、ラブコメの取材対象の1人なんだ。どうしても協力してもらう必要があるんだ」
「へぇ……サブなんだ。メインはアンナなの?」
「も、もちろんだとも!」
「そっか。で、どこに行く気? まさか、またラブホじゃないよね?」
 脅しだ……誰か助けて。

 脇から大量の汗が吹き出す。
 生きた心地がしない。

 一連の会話を見ていたラーメン屋の大将が、割って入ってくる。

「なあ、ラブホにあの女子高生連れて行ったのかい? 琢人くん……おいちゃん怒るよ。アンナちゃんっていう本命がいるのにさ!」
 お前は入ってくんな! 更に話がこんがらがってくる。
 だが、アンナは冷静に対処する。
「大将さん。あの女子高生とタッくんはなんの関係もないの。ひなたちゃんっていうんだけど、悪質なストーカーでね。病的なまでの……。心を病んだあの子の妄想に、優しいタッくんが付き合ってあげているだけだよ☆」
 勝手に病人にされている!?
「そうか。あの子、元気そうに見えたけど、かわいそうな子なんだなぁ。若いのに……」
 酷すぎる。
 確かに、ひなたは度が過ぎる時もあるが。

 大将をなだめると、アンナは再度、俺を見つめて、こう言う。
「さ、ひなたちゃんとどこに行くか……教えて☆ 大丈夫、タッくんは浮気なんてしないって、信じているから☆ さぁ、教えて。教えるだけだよ☆」
「……」
 怖すぎる!
 これ、教えたらどうなるんだ? 流血沙汰にならないか?

「えっと……海の近くです…」
 間違ってはないだろう。
 この前、アンナと行った海ノ中道海浜公園の近くだからな。
 恐る恐るヒントを与えてみると、アンナの瞳に輝きが戻る。
「そっかぁ。海だね☆ 安心した☆」
 え、どう安心できたの?

   ※

 ラーメン屋を出て、博多駅に戻る。
 未だに花火大会帰りの客で溢れかえっていた。

 駅舎の中では、たくさんの駅員が立っていて、ホームまでの案内や規制などをしていた。
 アナウンスが流れてきて、列車に乗るのも人数制限しているのだとか。

 また帰るまで、時間がかかりそうだ。

「タッくん。遅くなっちゃうね」
「ああ。もう夜の11時近いのにな。家に帰ったら、12時回るかもな……」
 と、ここで、ふと気がつく。
 あれ? アンナっていつも取材する時、博多駅で待ち合わせしていたような。
 必ず別れる時は、改札口あたりで手を振っていたような。
 ていうか、行きの電車で初めて一緒に乗った気が……。

 だが、今はどうだ?
 ホームで一緒に並んで立ち、小倉行きの列車を待っている。

「なあ、アンナってどこに住んでいるんだ?」
「え? いつも言っているじゃん。アンナは遠い田舎の……はっ!?」
 俺に話を振られて、目を見開く。
「だって、いつも博多駅でお別れだったじゃないか? 家は反対方向じゃないのか?」
 そうツッコミを入れると、額から大量の汗を吹き出す。
「あ、あれだよ! 今はね。夏休みでしょ? だから、ミーシャちゃん家にお泊りしてるんだよ☆」
「なるほど……じゃあ、もういっそのこと、ヴィッキーちゃんとミハイルと三人で暮らせばいいじゃないか。遠方から来るのも大変だろうし、俺も女の子のアンナを1人で遅く帰すのは、良くないと思うんだ」
 ちょっと、意地悪してみる。
「た、タッくんは優しいね……でも、大丈夫。駅までミーシャちゃんが迎えに来てくれるし……」
 自分で自分を迎えに行くって、死ぬのか?

「そうか。まあ俺はいつでもアンナを送るつもりだから、その時は言ってくれ」
「う、うん☆ こういう時、男の子は頼りになるよね☆」
 お前も男だ。

 結局、一時間以上待って、列車が到着し、地元の真島駅に着いたのは、深夜の12時。
 俺だけ1人でホームに降り、自動ドアが閉まる。
 アンナは寂しそうに手を振っていた。

 もう席内にいるっていう設定の方が楽じゃないのか。

 急遽、三ツ橋高校の生徒と取材をすることになった。
 現役女子高生の赤坂 ひなただ。

 先週、アンナと花火大会に行ったばかりだというのに、今週も予定が埋まるとは……。
 なんか今年の夏は忙しいな。

 そんなことを思いながら、博多行きの列車に乗り、地元の駅から二つ離れた梶木駅で降りた。
 ホームに降りると、すぐに見慣れた女の子が目に入る。

「センパ~イ! 久しぶりです!」

 元気いっぱいに両手を振る。
 動きやすそうなミニ丈のデニムスカート。
 それにへそ出しの白いチビTを着こなしている。
 お腹を出すことに躊躇いがないということは、それだけ自分の身体に自信があるということだ。
 靴は動きやすいスニーカー。
 ボーイッシュなショートヘアを活かした彼女らしいファッションコーデだ。

 なんというか、見ていてとても眩しい。
 陽に焼けたが小麦色の肌が健康的で、生き生きとしている。
 リア充て感じ。

「よう。悪い、待ったか?」
「いえ、私梶木民なんで、家はすぐ近くだから」
 白い歯をニカッと見せて、微笑む。
「そうか。じゃあ、さっそく“海ノ中道線”に乗り換えるか」
「はい! 新宮センパイと久しぶりの取材。すっごく楽しみにしてます!」
 そう言えば、こいつと取材したのは、もう二カ月ぐらい前か。

   ※

 梶木駅から海ノ中道線というローカル電車に乗り換え、しばらくすると、海が見えてきた。
 潮の香りが窓から流れてくる。
「海だぁ~ あ、見てください、センパイ!」
 そう言って、イスの上に膝をのせる、ひなた。
 外の景色に夢中で、無防備だ。俺の顔あたりに尻を向けている。
 つまりは、見えちゃっている。
 シマシマのおパンツが。
「センパイ~ 海キレイですねぇ」
「ああ」
 確かに君はいつもパンツがキレイだし、柄も変えない。ブレないとこ嫌いじゃないよ。


 それから、以前アンナとも来たことがある、海ノ中道駅で降りる。
 前回は、駅を降りると目的地である海ノ中道海浜公園が目の前だったが。
 マリンワールドは逆方向にあるから、ちょっと歩くことになる。

 真夏の炎天下の中、歩くのは結構しんどい。

「あはは! 私、マリンワールド大好きなんですよ! イルカさんとか、ペンギンさんとか、小学生の頃から月一で通ってます♪」
「へえ。以外だな。ひなたは動物好きなのか?」
「見えませんか? 私、小さい頃から家にペットたくさん飼っているんですよ~ トイプードルとペルシャネコ。あと、ニシキヘビ!」
「え……」
 なんかしれっと怖い動物の名前が紛れ込んでいたような。
「そうだ! 今度、うちにも遊びに来てくださいよ、センパイ!」
「そ、そうだな……犬は嫌いじゃない。犬はな」
「約束ですよ♪」
 ちょっとその取材は勘弁願いたいな。


 しばらく歩くと、大きな扇形の建物が目に入る。
 海ノ中道海浜公園の敷地内にある水族館。
 マリンワールドだ。

 夏休みということもあってか、家族連れ、若い学生たちが多く感じる。

 受付でチケットを購入しようと並ぶ。
 しかし、ひなたは年間フリーパスを持っているらしく、
「センパイだけ買ってください」
 と断られた。

 一人虚しく、受付で生徒手帳を出し「高校生一枚」と注文する。
 するとカウンター越しから
「2500円になります」 
 と回答が出た。

 たっけぇ!
 映画二回も見れちゃうじゃん。

 渋々払い終えると、隣りで同じくチケットを一枚買う女性が目に入る。
 ハンチング帽にサングラス。大きなマスクで顔を隠しているようだ。
 それに真夏だというのに、トレンチコートを羽織っている。

 不振な奴だったので、じっと見つめていると、俺の視線に気がつき。
「ハッ!?」
 なんて大きな声を出す。
 そして、そそくさと入口に逃げるように、走りさっていく。

「ん? なんだあの子……」

 あれか、レズビアンでミニスカのお姉ちゃんでも盗撮したい変態な子かな。
 後ろ姿を目で追っていると、ひなたに注意された。

「センパイ! なにやってるんですか? チケット買ったなら早く入りましょ」
「ああ、そうだったな。水族館なんて小学生以来だよ」
 俺がそう言うと、なぜか彼女は喜んでいた。
「えぇ! じゃあ実質私と来るのが、初めてみたいなもんですね♪ フフッ、今日は最高のデートを体験しましょ」
 上機嫌になったひなたは、俺の腕を引っ張り入口へと進んでいく。
 微乳をグリグリと肘に擦り付けて。

 あぁ~ 俺の股間から、激しい水しぶきが飛び散りそうだぜ……。

 入口を抜けると、すぐにマリンワールドのスタッフのお兄さんとお姉さんが二人立っていて、チケットのもぎりをしていた。
 半券を返されたところで、ゲートをくぐると、すぐに別の男性スタッフから声をかけられる。
「ようこそ、マリンワールドへ! 記念に写真撮影をしていきませんか? 無料であとから一枚写真をプレゼントさせていただきますので!」
 それを聞いたひなたは大喜び。

「センパイ! 撮ってもらいましょうよ」
 なんて肩を引っ張るから、俺は言われるがまま、スタッフの指定した位置で、ひなたと横に並ぶ。
「じゃあいきますね~ もっとお二人とも寄って寄って~ カップルなんでしょ?」
「いや、俺たちは……」
 否定しようとした瞬間、代わりにひなたが答える。
「あ、そうです♪ まだ付き合って間もないカップルなんですぅ~ だから彼ったら恥ずかしがり屋さんでぇ~」
 俺が小声でひなたに突っ込みを入れる。
(おい……なにウソついてんだよ?)
(設定ですよ。こういうのがラブコメに必要だと思いますよ♪)

 仕方ないと、俺は腹をくくり、カップルという設定で二人仲良く肩をくっつけて写真を撮ることに。
 ひなたなんか、余裕ぶって、俺の左腕に胸を擦り付けてきやがる。

「はい、チーズ!」

「イエ~イ!」
「い、いえ……い」
 苦笑いで撮られてしまった。

「では、お帰りの際に受け取ってください。一時間ぐらいしたら、現像されてますので。あと、それとは別にまた有料の撮影も出口付近でやってますんで。良かったらどうぞ」
 なんだ。そのための勧誘か。

「センパイ! なんかホントにカップルぽいことしてません? 私たち!」
「そうか? 俺は付き合ったことなんてないから、分からんな」
「もーう。センパイったら! な~んか乗り気じゃないですねぇ。そうだ。テンションあげるために、イルカショーを見に行きましょ♪ 可愛いイルカさん見たら、センパイもイチコロです!」
 そう言って、俺の心臓辺りを人差し指でチョンと突っつく。
 あのやめてくれます? 乳首ドリルしてますよ。

「わかった。じゃあ行くか」
「はい、二階から行きましょう! 私、一番いい席知っているんですよ」

 俺たちがその場から離れようとした瞬間だった。

 ドカン! となにか大きな音が館内を響き渡った。

「チッ……クソアマ……」

 先ほど、受付で見かけたハンチング帽のサングラス女だ。
 近くにあったゴミ箱を蹴り続けている。

「あざとい、あざとい……調子乗りやがって……」

 なんだあの人。めっちゃ機嫌悪そうだな。
 家族やカップルが多い日曜日に、一人であんな格好で水族館なんて変わった女だ。
 よっぽど、イルカやペンギンが好きなのか?

 二階の階段を出てすぐ目の前に、大きなプールがあった。
 イルカショーはまだ始まってないが、何匹かのイルカやクジラが泳いでスタッフと練習している。

 博多湾をバックに円形のプールが設置されている。
 強い潮風がぴゅーぴゅーと顔に吹きつけられるが、これはこれで気持ちが良いものだ。
 プールを囲うようたくさんの座席が並ぶ。
 三階には売店もあった。

 俺とひなたは、一番前から少し後ろの席に座った。
 彼女曰く、前に行くほどショーを楽しめるが、イルカたちが目の前で泳ぐため、ジャンプした際、水しぶきが客席にかかるらしい。
 だから、ちょっと離れたぐらいが、ベストポジションらしい。

 ひなたは気をきかせて、売店でチュロスを買って来てくれた。
「はい。半分こしましょ♪」
「お、おう……」
 パキッと割って、二本にする。

 それをもしゃもしゃ食べていると、一番前のステージに女性スタッフがマイクを持って現れた。

「マリンワールドにお越しの皆さん~! 今日はイルカちゃんとクジラちゃん達のショーを楽しんでいってあげてくださいね~!」

「きゃあ~! 見てください、センパイ! イルカちゃんが出て来たぁ!」
 ひなたはかなり興奮しているようで、チュロス片手に前のめりになる。
 ミニスカートだから、シマシマパンツが丸見え。
「お、おい。ひなた、ちょっと落ち着け」
「ええ、イルカちゃん可愛いじゃないですか?」
 頬を膨らませるひなた。
「まあ、気持ち分からんでもないがな……ちょっと無防備すぎやせんか?」
 腰のあたりを指差すと。
「あ! センパイ。また勝手に見たんでしょ? エッチ!」
 そう言って、俺の手のひらをぎゅーっとつまむ。
「いってぇ!」
「フン!」
 全く、忙しいやっちゃ。


 ショーが始まり出す。
 軽快な音楽と共に、イルカが三匹、天井にぶら下がっている小さなボールへと飛び跳ねる。
 その後、巨大なクジラも豪快にジャンプ。
 イルカの時とは、段違いの迫力で、水しぶきが俺たちの足もとまで、飛び跳ねてくるほどだ。
「きゃっ、冷たい~!」
 言いながらも、ひなたは嬉しそうだ。

 そして、音楽は変わり、重低音の荒々しいロックミュージックへと変曲。

 司会の女性スタッフがマイクで注意を促す。

「ただいまから、クジラちゃんが激しいジャンプをしますので、一番前にいる人は、注意してくださいねぇ~ 5回連続でボール目掛けて、大ジャンプをします。見事、届いたら大きな拍手をお願いします~!」

「きゃあ~ クジラちゃん頑張ってぇ~」
 ひなたはスマホで撮影タイムに入っている。
 俺と言えば、懐かしいなぁなんて子供の頃を思い出しながら、見ていた。

 ショーもクライマックスに近くなり、クジラが観客席のギリギリまで近づき、飛び跳ねる。
 水しぶきが何人かの観客やスタッフに、ばしゃーんとかかり、悲鳴があがる。

 クジラは最後に俺たちの前を通り過ぎようする……その瞬間だった。
「ちょ、ちょっ……きゃああ!」
 甲高い女の悲鳴があがった。

 気がついた瞬間、隣りにいたはずのひなたは、一番前のコンクリートに転げ落ちていた。
 驚いて固まっているひなた。
 腰から床にストンと落ちたため、股は広げたまま、パンツは丸見え。
 直後、クジラが彼女の頭上を飛び跳ねた。
 びしゃーんと、大きな波が襲う。

 残ったのは、びしょ濡れのひなたが一人だけ。

「な、なによ! これぇ~!」

 一瞬だった。俺はわけもわからず、固まっていた。
 司会の女性スタッフが、
「お怪我はありませんか? ショーを中断します!」
 とスピーカーから大声を出したことで、ざわつく会場。
 
 俺はやっとのことで、我に返る。
 すぐさま、彼女の元へと駆けつけた。

「大丈夫か、ひなた?」
「ひっぐ……セン~パイ! 誰かに押されたぁ~」
「押された?」
「酷いよ~!」
 俺の胸に顔を埋めるひなた。
 とりあえず、俺は彼女の背中を優しくトントンと触れてみる。
 背中までずぶ濡れだ。

 そして、何人ものスタッフが駆け付け、ひなたの安否を確かめていると。
 一つの人影が、会場から去っていくのを俺は見逃さなかった。

「チッ……」

 先ほどのハンチング女だ。

 一体、このマリンワールドでなにが起きているんだ?