気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 断るはずだった。
 親父から借りたスーツのポケットに入れておいた退学届を、帰り際に出そうと思っていたのに。
 俺があいつに出会ってしまったのが、予想外だったんだ。

「おい、お前! さっきオレにガン飛ばしたろ?」

 あいつはいわゆるヤンキーで、初対面の俺にケンカを売ってきた。
 俺が勘違いじゃないか? と答えたが、あいつはそんな答えでは満足しない。

「じゃあ……じゃあ、なんでオレの方を見てた!」
 あいつは入学式だというのに、肩だしのロンT。中にはタンクトップが見える。そして、ショーパン。
 という……露出の激しい格好で来やがった。
 正直いって俺のどストライクゾーンだった。

「かわいいと思ったから」
「……」

 一言。そのたったひとことが俺の失敗でもあり、はじまりでもあった。
 
「オレは……オトコだぁぁぁぁぁ!」
「へ?」

 そうしてあいつは、俺めがけて奇麗なストレートパンチをお見舞いした。

「な、なにをする! 初対面の人間に向かって!」
「うるせぇ! お、お前がオレに……オレにか、かわいいとか言いやがるからだ!」
「かわいいと思ったことが何が悪い!」

 あいつが男だとは思えなかった。
 声も女のように甲高いし、見た目は100パーセント、女だ。

 そう俺だけがそう見えていたのかもしれない。
 こいつはまごうことなき、男子だったのだ。

 なのに、俺の胸は高鳴っていた。
 あいつとの出会いに……ぼっちの俺でも、こいつとなら何か変われそうだって。
 そう思ってしまう自分がいた。


 何度もガッコウをやめようと思っていた。
 だけど、それをあいつが阻止するように、俺にグイグイ来やがる。
 その積極的な行動に、社交的なあいつに圧倒されていた。

 気がつけば、俺はあいつに告白されて、男だからって断って、女だったら良かったなんて……。
 酷いことを言っちまった。
 なのに、なのに。
 あいつはあきらめない。俺のことを見捨てなかった。

 今まで出会って来たどんなヤツよりも、逞しくて、すごいやつだってことに気がついた。
 その時は、もう遅かった……。


「あ、あの……わたし……」

 目の前には妖精、天使、女神……どの言葉でも表現が足りないぐらいの美人が立っていた。
 胸元に大きなリボンをつけて、フリルのワンピースをまとった女の子。
 カチューシャにも同系色のリボンがついている。
 美しい金色の髪を肩から流すようにおろしていた。
 時折、風でフワッと揺れる。

「キャッ」とスカートの裾を手で必死に押さえる姿はとても女の子らしい仕草だ。


「わたしじゃ……ダメですか?」


 そう。あいつはこんな俺のために、自分を押し殺して女のふりまでして、ずっと一緒にいてくれる……そんな憎めないやつだった。

 だから、俺は退学届を破って捨てた。
 こいつとなら、しばらく学園生活をやっていけそうな自信がわいたから。
 もう少し、もう少しだけ、頑張ってみよう。
 ミハイルと一緒なら……

 五月も終わりを迎えるころ、自宅に一通の手紙が届いた。
 送り主は、一ツ橋高校の宗像 蘭先生。

 なんか久しぶりだな。この人。
 最近はミハイルとキャッキャッやってたから、存在感が薄すぎるわ。
 そうかわいそうに思いながら、封を破る。
 中に入っていたのは、一枚の用紙。

 手書きで殴り書きしてある。

『次回のスクリーングから春期試験を始める! 二回やるからしっかり勉強しておけ! 尚、出題範囲は返却されたレポートのみ!』

「あ、もうそんな時期か」

 いわゆる期末試験ってやつだ。
 一ツ橋高校は、レポートとスクリーングの出席。それから期末試験で一定の成績を残すことで、今期の単位が取得できると聞いた。
 スクリーングに行く度に、提出したレポートが返却される。
 大体6枚ぐらいの小テストだ。
 こんなものは暗記するまでもない。
 それに中学生時代のおさらいだしな。下手したら、小学校より低レベルな問題も多い。
 

 アホらしいと、俺は宗像先生の手紙をゴミ箱に捨てようとした。
 すると、用紙の裏に何かがクリップで挟んであることに気がつく。

「なんだ?」

 クリップを外してみると、そこには一枚の写真が……。
 恐る恐る覗いた。

 セーラー服姿の宗像先生が、一ツ橋高校いや、三ツ橋高校の教室内で股をおっ開けていた。
 仮にも教師だというのに、日頃全日制コースの生徒が勉強している机の上に、尻を乗っけて、グラビアアイドル顔負けのなまめかしいポーズをとっている。
 紫のレースパンティーが丸見え。
 しかも、自身の唇で襟を掴み、裾をまくり上げている。
 つまりパンティと同系色のブラジャーが露わになってしまうのだ。

「おえええ!」

 俺は自身の部屋のゴミ箱にゲロを吐いてしまう。

 それを聞きつけた妹のかなでが、部屋に飛び込んできた。

「おにーさま! どうなされましたの!?」
 涎を垂らしながら、肩で息をする。
「ハァハァ……セクハラテロだ……」
 そう言って、写真をかなでに手渡す。
「あら、この方で使ったんですの?」
「んなわけあるか! 捨てておいてくれ……」
 もう見たくないので、妹に処分をお願いしておいた。

「捨てるなんて勿体ないですわ……そうですわ! この写真をネットオークションに出品して、お小遣いにしましょう♪」
 そう言って、かなでは自室のパソコンを起動し、宗像先生をスキャンし出す。
 マジで出品されてて草。
 ざまぁねーな。
 俺は知らん。

 
   ※

「ま、一応、レポートを見直しておくか」
 気を取り直して、久しぶりに机に座る。
 返却されたレポートに目をやると、全問正解で余裕だった。
 幼稚すぎる問題ばかりだからな。
 こりゃ単位取得も楽勝ってもんだ。
 鼻で笑い、机の引き出しにレポートを直そうとしたその時。

 スマホからアイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が流れ出す。
 俺のお気に入りソング、『幸せセンセー』だ。
 ああ、癒される。

 着信名はミハイル。

「もしもし?」
『あ、タクト☆ 捕まってよかったぁ☆』
 え? 俺、逮捕されたの?
「な……なんのことだ?」
『あのさ、宗像先生から手紙きた?』
「きたぞ。試験のことでだろ」
『う、うん……それで困ったことがあってさ…』
 なんだ? まさか試験勉強を一緒にしようってか?
 この低レベルなレポートは勉強するまでもないぞ。
 暗記してオワタ! なんだから。

「それで? なにが困ったんだ?」
『あ、あのね……返してもらったレポート。試験に出るって知らないで捨てちゃったの……』
 ファッ!?
「な、なるほど……。つまり俺のを貸してほしいわけか?」
『うん☆ いい、かな?』
 顔を見えんがきっと、ミハイルのことだ。上目遣いで頼みごとをしているのが想像できる。
 ダチだからな。仕方ない。
「構わんぞ。いつ取りにくる?」
 自然と笑みがこぼれる。
 学校以外で会えるってのが嬉しいんだろうな。
『ありがと☆ じゃあ、今からタクトん家に入るね☆』
「え?」
『オレ、今家の下にいるからさ☆』
「な、なに?」

 そう言った時には、もう既に足音が階段から聞こえてきた。
 トタトタと子供のような可愛らしい小走りで。

 バタン! と音を立てて、自室の扉が開かれる。

「タクット~☆ 久しぶり~!」
「お、おう……」
 相変わらずの馬鹿力で、ドアを開けたため、少し歪んでしまった。
 初夏も近づいたこともあり、彼の装いも一層露出が増す。
 薄い生地のタンクトップにショートパンツ。
 思わず生唾を飲みこんでしまう。

 先ほどの宗像先生とは違って、俺はリバースしない。
 その美しい姿を学習机のイスに腰をかけたまま、見とれていた。

「ねぇ、タクトのレポートってどこにあるの?」
 固まっていた俺を無視し、ミハイルはズカズカと部屋に入り込む。
 俺の机に手をつき、腰をかがめる。
 自ずとタンクトップの襟元が緩み、胸元が露わになる。
 ピンクの可愛らしいナニかが見えそうだ。
 視線をそらす俺に対し、首をかしげるミハイル。

「タクト? 聞いてる? オレ、早く帰ってべんきょーしないと……タクトと一緒に卒業したいからさ」
 そう言って、口をとんがらせる。
 もちろん上目遣いだ。
 彼のエメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝く。
 クッ! 犯罪的な可愛さだ。
 抱きしめたいぜ、ちくしょうめが。

 俺は咳払いしてから、引き出しにおさめようとしたレポート一式を彼に手渡す。

「ほれ」
「ありがと☆ この借りは絶対に返すからな☆」
 いや、なんか復讐されそうな言い方やめてね。怖い。
「いらぬ気遣いだ。俺とミハイルの仲だろが……」
 言いながらもちょっと照れくさい。
「だよな☆ オレたち、マブダチだもんな☆」
 太陽のような眩しい笑顔がはじける。
 フォトフレームにおさめたいぜ。

「ところでタクトってさ……」
 笑ったかと思うと、急にもじもじし出すミハイル。
 なんだ? 聖水か?
 お花畑なら部屋を出て、廊下の奥にあるぞ。
「あん? なんだ?」
 顔を真っ赤にして、何か言いづらそうだ。
「あのね……タクトの誕生日っていつ?」
「なんだ。そんなことか…」

 取材のためにチューしたい! とか言うのかと期待してしまったじゃないか。
 返せよ、俺の心の準備。
 しかし誕生日なんて聞いてどうするんだ?
 俺のぼっちを笑いたいのか?

「誕生日は6月7日だよ」
「え!? もうすぐじゃんか! なんでそんな大事なことを早く教えてくれなかったの!?」
 恥ずかしがっていたくせに、急に怒り出す。
「なんでって言われてもな……別に聞かれたことないし。ミハイルになんの関係があるんだ?」
 俺がまた童貞として、一つ年を重ねるだけの哀れな記念日だぞ。
「関係あるよっ!」
 机を叩いて、怒りを露わにする。
 こわっ……。
「いや、なんかごめん」
 俺悪い事した?

「あと一週間もないじゃん!」
「確かに五月も終わりだしなぁ」
「こんなことしてられない! オレ、もう帰るよ!」
 そう言い残すと、ミハイルは当初の目的であったレポートを雑に握りしめ、嵐のように去っていた。

「なんだったんだ、一体……」

 あっという間に6月に入り、初めての期末試験となった。
 先週、ミハイルにレポートを貸したが、俺はなにも困ることはない。
 なぜならば、小中学のおさらいだから頭にちゃんとインプットされているからだ。
 勉強する必要性がない。
 むしろ、あの低レベルな勉学をするぐらいなら、小説を書いていた方がマシだ。

 だが、ミハイルは心配だ。
 あいつも頑張っているようだが、前回のレポートの結果はCぐらいだったもんな。
 このままだと、一緒に卒業って彼の夢も砕け散るかもしれない。
 しかし、こればかりはミハイル自身の努力にゆだねるしかあるまい。
 
 俺は、そう胸に不安を抱えつつ、小倉行きの電車に乗った。
 いつもなら、ミハイルの住んでいる席内駅でショーパン姿の彼が飛び込んでくるはずのなのだが……。
 虚しく、ドアの音がプシューと言って閉まってしまう。

「ん、遅刻か?」

 珍しい。
 ミハイルと言えば、おバカさんだが、俺と学校に行くのは嫌ってないし、むしろ遊ぶ時なんかは遅刻なんて絶対しない。
 下手したら待ち合わせより2時間も前に到着するような、ストーキングのスキルを持っているやつだ。
 おかしいな。
 体調でも崩したか?

 
 赤井駅に到着して、ミハイルに電話したが、それでも一向に連絡が取れない。
「どうしたんだ?」
 首をかしげながら、とりあえず、俺だけでも一ツ橋高校に向かうことにした。

 その間もずっとスマホとにらめっこ。
 着信があるのでは? とずっと待っていた。それでも全然かかってこない。

 高校の名物、長い坂道『心臓破りの地獄ロード』を登っていると、隣りの車道をバイクが走ってくる。
 千鳥 力と花鶴 ここあの二人だ。

「よう! タクオ! ミハイルは一緒じゃないのか?」

 バイクを坂道で止めて、俺に声をかける。
 
「ああ、それが連絡がつかなくてな……」
 なんとなく、隣りにミハイルがいないことに寂しさを感じた。
 いつもならずっと金魚のフンのようにくっついてくるのに……。
 一人だと、こいつらバカみたいなやつでも話しかけてくれるだけで、ホッとする。

「そっかぁ。ミハイルも年頃だからな。自家発電じゃね?」
 そう言って、朝も早くから大きな声で下ネタを吐き、笑いだす。
 なんでもかんでも、男を自家発電のせいにするのやめてください。
 仮にもミハイルですよ?
 あの純朴な。
 お宅と一緒にしないであげてください。

「それはないだろ……」
 呆れた声で否定する。
 俺がそう言うと、後部座席に座っていた花鶴がパンツ丸見えでこう言う。
「オタッキーの方が抜きすぎてバテてんっしょ!」
「ああ、そうかい……」
 もうどうでも良くなっていた。
「え~ マジで抜きすぎて元気ないじゃ~ん。あとで学校のトイレでもう一発しとけば?」
 なんで元気ないのに、また体力使うんだよ。
「はいはい……」
 俺はそう言うと、彼らを無視して、坂道を登りだす。
 付き合ってられない。

「じゃあまたあとでな~ タクオ!」
「抜きすぎ注意っしょ!」
 うるせぇ……。
 男性差別だろ。

   ※

 教室についても、俺はソワソワしていた。
 ホームルームに近づくというのに、ミハイルの姿が見えない。
 まさかと思うが、テスト勉強を徹夜でしていて、寝落ちってパターンか?
 う~ん、わからん。

 結局、ミハイルがこないまま、ホームルームが始まった。
 俺の左隣には、テストなんてそっちのけの腐女子。北神 ほのかが机で卑猥なBLマンガのネームを描いている。
「ひゃっひゃっ……描くぞ描くぞぉ。商業デビューしたら、印税で同人誌を買いまくるんじゃあ!」
 涎を垂らしながら、原稿と向き合う変態女子高生。
 ていうか、あなたデビュー前から買い漁ってるでしょ……。

 教室にツカツカとハイヒールの音が近づいて来る。
 淫乱教師、宗像先生の登場だ。
 相変わらずのいやらしい格好で、今日は何でか知らんが超絶ミニのチャイナドレス。
 胸元に大きな穴が開いていて、胸の谷間はもちろん、ブラジャーまではみ出ている。
 エグすぎる……。

「よ~し! 楽しい楽しいホームルームのはじまりだぁ! 出席を取るぞ!」

 マジか。もう始まっちゃったか……。
 ミハイルのやつ、間に合わなかったな。
 彼が遅刻したことを、自分のことのように悔やむ。

 その時だった。
 ピシャン! と勢いよく教室の扉が開かれる。
 俺はその姿を見て、思わず席から立ち上がってしまった。

 そうだ、俺がずっと待っていたその人だったからだ。
「ミハイル……」
 口からそう漏らす。
「すんません! 遅れました!」
 息を荒くして、汗だくで現れた。
 純白のタンクトップはしっとりと濡れていて、スラッと伸びた細い太ももは陽の光でキラキラと輝いている。
 天使様の降臨じゃ!

「おう! 古賀が遅刻とは珍しいなぁ」
「はぁはぁ……間に合ってよかった☆」
 手で汗をぬぐいながら、教室に入る。

「タクト! おはよう☆」
 ニカッと白い歯を見せ、笑って見せる。
 心配させやがって……。
「ああ……おはよう」
 安心した俺はミハイルと一緒に席に座りなおす。

 宗像先生が点呼を取り始める。
 その間、俺は右隣りに座ったミハイルに小声で話しかける。
 今も彼は汗だくで息が荒い。
 ピンクのレースハンカチで、頬に垂れる雫を拭う。

「なぁ、ミハイル。お前が遅刻なんて……どうしたんだ?」
「ごめん。オレ今バイトやってからさ☆」
「えぇ!?」
 思わず大きな声で反応してしまった。

 それに気がついた宗像先生が、俺めがけてチョークをぶん投げる。

「くらぁっ! 私語は慎め、新宮! ブチ殺すぞ!」
 いや、額からなんか暖かい液体が流れてくるのを感じるんすけど。
 もう死んでません?

「す、すいません……」
 冷静さを取り戻し、またミハイルに質問する。

「バイトってなんでだよ。お前はヴィッキーちゃんが働いているから、金には困ってないだろ?」
「いや、それはその……欲しいものがあって……な、な、ナイショだよ! 」
 急に顔を真っ赤にして、俺から目を背ける。
 なんだ、怪しいぞ。
 ダチの俺に話せないような、やましいことでも始める気か?

「そ、それより、タクト。テスト頑張ろうな! オレ、タクトから借りたレポートでしっかり勉強してきたゾ!」
 俺はそれを聞いて顎が外れるぐらい、大きく口を開いてみせた。
「なっ! ミハイルが試験勉強だと……」
「へへん、驚いたか☆」
 ない胸をはるな!
「バイトもやって、勉強もやってたから……遅刻したってことか?」
 俺がそう言って見せると、ミハイルは照れくさそうに笑う。
「ま、まあな☆ 慣れないことしたから、ちょっと疲れちゃって……」

 よく見れば、彼の目元には大きなクマができていた。
 その顔を見てすぐに理解した。
 頑張ってるな、こいつ……無理しやがって。

 お母さん、泣けてきちゃったわ。

 
 
 結局、なぜミハイルがバイトを始めたのかは聞きだせなかった。
 とりあえず、ホームルームを終えて、初めての期末試験が始まる。

 午前中の4時限目まで全部ペーパーテスト。
 午後からは音楽の試験があるらしい。内容は担当の光野先生しか知らないのだとか。

 チャイムの音が鳴り、各々が選択している科目の教室に散らばっていく。
 一ツ橋高校は単位制なので、全日制の高校を中退したり、編入してきた生徒たちがいるため、全員が全員、同じ科目を受けるとは限らない。
 といっても、俺たち00(ゼロゼロ)生はみなほぼ同期なので、自ずと固定されたメンバーだ。

 教室に残ったのは、いつも通り、俺とミハイル、北神 ほのか。
 千鳥 力に花鶴 ここあ。それに日田の双子。
 そんなもんか。

 一時限目のテストは現代社会。
 例によって、オタクっぽいもっさりとした、無精ひげの若い男性教師が「ふぅふぅ」と言いながら、プリントを持って教室に入ってくる。
 しばらく見ない間に、長髪になっていた。
 髭もネクタイまで伸びていて、どこかの尊師みたいだ。
 眼鏡が曇っていて、不審者にしか見えない。

「それじゃ、プリント配るから後ろに回してね」

 そう言うと、一番前の机に用紙を置いていく。
 受け取った生徒が次々に後ろの席へと渡していった。
 俺もそれを受け取ると、振り返って次の生徒に渡そうとする。
 だが、相手はいびきをかいて眠っていた。
 ギャルの花鶴 ここあだ。
 机に足をのせて、股をおっ開けている。
 つまりパンティどころの話ではない。

「お、おい! 花鶴! テスト始まるぞ!」
 一応、彼女の足をつかんで揺さぶる。
「ふががっ……」
 口を大きく開いて涎を垂らしていた。しかも白目向いて寝てやがる。
 なんて下品な女だ。
「起きろって!」
 ペシンと彼女の脚を叩く。
「ふごっ! ん? なぁに……オタッキーってば?」
「なにって……ほら。テストだよ。お前の分をとって後ろに回せよ」
「ハイッハイッ…」
 そう言って、プリントを受け取り、雑に後ろへと回す。
 一連の行動を終えると、あろうことか、テストを机に置いてまた眠りに入る。
「ふごごごっ」
 なんてやる気のないやつだ。
 もう、花鶴は単位取れないな。

 心配になって、右隣りのミハイルに目をやる。
 俺の不安をよそに彼は本気のようだ。
 しっかり筆箱を用意して、真剣な目つきでプリントと睨めっこ。
 ほう、やる気のようだな。

 そして、教師が「では始め」と合図を出す。
 一斉に鉛筆の「カッカッ!」という音が教室中を駆け巡る。
 もちろん、俺もそのうちの一人だ。
 
 試験の内容は、宗像先生の予告通り、レポートの復習だった。
 暗記するまでもない。
 俺はスラスラと空欄を埋めていく。
 気がつけば、10分で書き終えていた。
 
 内容も酷いが、レポートさえあれば、こんなの楽勝じゃないか。
 鼻で笑うと、俺はプリントを裏返して、教室の時計に目をやる。
 それに気がついた教師が俺に声をかける。
「あ、もう終わっちゃった? 悪いけどみんなが終わるまで待っててね」
「はぁ……」

 別にカンニングするつもりはないが、暇だったので、クラスの中をグルッと一望する。
 俺みたいにさっさと終わっちまう生徒はごくわずかだ。
 日田の兄弟は余裕だったようで、テストそっちのけで、アイドルの話をしている。

「兄者、今期のあすかちゃんのライブはどうなされますか?」
「ふむ。10万は課金しよう」

 あんな奴にそんな大金を貢ぐのかよ……。

 左隣りに座っている北神 ほのかは、かなり苦戦しているようだった。

「ん~っと……これなんだっけ。徹夜でネーム書いてたから、覚えてないよぉ」
 そんなことしてりゃ、覚えるわけないだろ。
 俺が呆れていると、以外なことに助け舟が渡ってくる。

 現代社会の尊師だ。
 試験に不正行為がないか、教室をウロチョロしていた。
 時折、立ち止まっては、生徒の書いているプリントを覗き込む。
 ただし、女子のみだ。
 男子はガン無視。

 息を荒立てて、「はぁはぁ……」上から女生徒の胸元をのぞくように、見張っている。
 キモッ。
 
 ほのかの席の前に立つと、じーっと彼女を見つめる。
 隣りから見ていると、彼女のふくよかな胸を眺めているようにしか、感じない。
 しばらく黙ってほのかを監視していたと思っていたら、急に尊師の手がサッと動く。
 彼女の指を自身の手でどかして、「これ違うよ」と言う。

「えっ……」

 俺は思わず声に出していた。
 次の瞬間、尊師は小声でほのかにささやく。

「この問題は三択だよね。答えはB。あと、こっちの問題も間違ってるよ? これはね……」

 おいおい、なに言いだしてんの? この先生……。
 不正どころか、答えを教えてやがる。
 今日って期末試験だよね?
 授業じゃないよな……。

「あっ、そっかぁ。ありがとうございますぅ~」
 すんなり受け入れるほのか。
 尊師は別に悪びれる様子もなく、「うん、いいよ。また分からないとこあったら声をかけて」なんてほざきやがる。
 どういうことだってばよ?

 その後も尊師は、教室中の生徒に声をかけては次々と答えを言ってしまう。
 だが、助言するのは女子のみだ……。
 なぜか、男子には声をかけない。
 意味がわからん。

 俺は初めて見るその光景に、呆然としていた。

「うーん……これって、えっとぉ……あっ! そっか、思い出したぞ☆」

 ふとミハイルに目をやる。
 必死になって、答えを思い出しているようだ。
 対して北神 ほのかや他の女子生徒たちは楽して、試験を終えていく。

「はぁ~ 書けてよかったぁ!」

 そう言って背伸びをするほのか。
 ブラウスのボタンがはじけそうなぐらい胸が前にのめりだす。

「えっと……これはなんだっけ? 思い出さなきゃ、タクトから借りたレポートを……」

 額に尋常ないぐらいの汗をかいて、答えを絞り出すミハイル。
 健気だ。
 あのおバカなヤンキーがここまで、真面目に勉強しているなんて……。
 よっぽど、俺と一緒に卒業したいらしい。

 しかし、なんだ。
 わかりやすいほどに、男女差別が激しいな。
 ミハイルは天使のような可愛さだというの、男だってだけで、教師は答えを教えてくれないだもんな。
 だが、こればっかりは努力でどうにか這い上がってもらうしかない。
 不正行為は良くないし。
 がんばれ、ミハイル!

 俺は両手を合わせて、祈りを捧げる。
 無神論者なくせに、こういうときだけ人間ってのは、信心深くなるんだな……。
 どうか、ミハイルが合格できますように。

 目をつぶって、そう願掛けをしている最中だった。
 背後から声が聞こえてくる。

「ねぇねぇ、キミ」
 尊師の野太い声だった。

 俺を呼んだと思って振り返る。
 すると予想は外れていて、教師が声をかけたのは、未だに夢の中の花鶴 ここあだった。

「ほがっ! ん……なに? しんしぇ?」
 相変わらず涎を垂らして、アホ面でそう答える。
「テスト中だよ。ちゃんと書いて」
 答えを教えまわるお前には言われたくないけど。
「えぇ……めんどくさいっしょ~」
「キミねぇ、ちゃんと卒業したいんでしょ? 僕が今から答えを言うから……」
 教えるんかい!
「わーったよ。なんであーしが、こんなの書かなきゃいけないっしょ」
 そうブツブツ言いながら、尊師お言葉に沿って、空欄を埋めていく花鶴。

 一方で、俺の隣りにいるミハイルは、眉間に皺を寄せて、奮闘していた。

「あともう一問……んっと、タクトはなんて書いてたっけ……」

 泣けてきた。俺の書いた字を思い出しているんだな。
 偉いぞ、ミハイル。
 そしてくたばれ、このクソ差別教師がっ!
 答えを教えて、ワンチャンJKとお近づきにでもなりたいんだろ。

「ここはね、こうだよ」
「あーマジ? 先生って頭いーね♪」
「ハハハッ! 僕は教師だからさ……」

 わからんが、この胸に沸々と湧き出る感情は、殺意ってやつか……。

 だが、一方でイレギュラーは存在するものだ。
 花鶴の隣りに、一匹の赤いタコがいる。

「クッソ~! わかんねぇ!」

 ハゲの千鳥 力だ。
 うん、君は自分でがんばりましょう。
 見た目おっさんだし、可愛くないから、俺もスルーで……。


 

 午前のペーパーテストは全て終了した。
 と言っても、一時限目の現代社会の教師と同じく、試験中にも関わらず、先生が筆記している生徒に答えを教えてしまうというチート行為。
 だが、女子に限る。

 そのため、ミハイルはかなり苦戦していた。
 お昼休みに入ると、食事を取るのも忘れて、机に伏せてしまった。
 慣れないバイトや試験勉強で、空腹より睡眠を欲していたらしい。
 俺のお手製卵焼きを食べることなく、夢の中だ……。
 かわいそうに。


   ※

 午後になり、音楽を選択していた俺は今日のスクリーング予定表に目をやる。

『音楽の試験会場は追って報告する』

 とある。

 もう授業が始まるのだが……。
 習字を選択していた千鳥と日田の兄弟は、先に教室を移動していった。

 残されたのは、俺とミハイル。それに花鶴 ここあと北神 ほのか。
 主に女子が多い。
 シーンとした教室に、ツカツカと足音が近づいて来る。
 その正体は、音楽担当の光野先生ではなく、宗像先生……。

「よぉ~し、音楽の試験を受けるやつはこれだけだな」

 腕を組んで、一人納得する宗像先生。
 すかさず、俺がツッコミをいれる。

「宗像先生。なんで先生がいるんです? 音楽担当じゃないでしょ……」
 俺がそうぼやくと、宗像先生はアゴ外れぐらい大きく口を開いて、笑いだす。

「だぁはははっははは!」

 ノドチンコが丸見えだ。そんな下品な笑い方だから、嫁の貰い手がないんだよ。

「光野先生は、急遽お休みになられたそうだ! だからこの美人教師、蘭ちゃんが代わりに試験官になってやる!」
 ファッ!?
 お前に音を楽しむことなんて、教えられないだろうが……。
 想像しただけで、寒気を感じる。

 俺が黙りこくっていると、宗像先生がそれを見て、自身のふくよかな胸をボインと叩いて見せる。
「新宮。この私じゃ、音楽を教えられないとでも言いたげだな……だが、しかぁし! こんなこともあろうかと、秘策を用意しておいたから安心しろ!」
「秘策ですか……」
「うむ! では、部活棟にある音楽室に移動するぞ!」
「は、はぁ……」

 とりあえず、俺はまだ眠っているミハイルを起すことにした。
「ムニャムニャ……いらっひゃいませ…」
 寝言か、しかし夢の中でなにをしているんだ?
 バイトの夢か……。
「ほら、起きろ。ミハイル」
 彼の細い腕を掴むと、「キャッ!」と甲高い声をあげて飛び上がる。
「しゅ、すいません! お客様!」
 立ち上がって、頭を垂れるミハイル。
「え?」
「あ……タクト…」
 やはり夢の中で仕事をしていたようで、俺を客と勘違いしていたようだ。
 目と目があい、夢から覚めたミハイルは顔を真っ赤にしている。
「あ、あの……違うから。これは違うんだよ?」
 なんか必死に訴えているが、小動物みたいで仕草が愛らしい。
「気にするな。仕事ってのは大変だからな。とりあえず、教室を移動しよう」
「う、うん……」
 久々に、ミハイルの親友『床ちゃん』とにらめっこか……。
 元気してた?


   ※

 宗像先生によって、集められた生徒一同。
 音楽室に入ると、前回とは違い、吹奏楽部の連中は一人もいなかった。
 円を描くようにパイプイスが並べられ、部屋の真ん中に大きな機械が立っていた。
 古いカラオケボックスだ。

「さ、好きなところに座れ! あと出席カードをちゃんと取っておけよ」
 ニッコリと笑って見せる宗像先生。
 いや、これのどこが試験?

「せ、先生? カラオケでなにするんですか?」
「なにってお前……そりゃ歌うんだろ」
「……」
 少しでもこのバカ教師に期待した俺が、アホだった。

 仕方なく、カードを取り、イスに腰をかける。
 ミハイルも俺の右隣りに座った。

「オレ、カラオケって初めてなんだ☆ 楽しそう☆」
「え……ウソだろ?」
 なに、この子。超かわいそう。
「ねーちゃんがカラオケは危ないところだって、行かせてくれなかったんだ」
「危ない?」
「うん、なんかね。オフ……なんだっけ? パ……」
 と言いかけたところで、俺は彼の小さな唇に手を当てる。
「ふごごっ」
「それ以上は言わなくていい……」
 あ、察し……。
 確かにヴィッキーちゃんの危険性も考慮すべきかもな。
 ミハイルがカワイイから……。


   ※

 みんなパイプイスに並んで座ったところで、宗像先生がマイクを片手に説明を始める。

「え~ 今日は音楽担当の光野先生が不在で誠に申し訳ない。光野先生は全日制コースの吹奏楽部がコンクールに出場するため、私が代理で本試験を担当することになったので、よろしく♪」
 よろしくじゃねぇー!
 光野先生って、本当に吹奏楽部のことしか考えてないだろっ!
 前の授業も全然勉強させてもらえなくて、2時間もひたすらあのオヤジの生ケツを見せつけられるという苦行だったのに……。
 てか、コンクールもあのブーメランパンツで出場するのだろうか。
 予選で落ちろ。

 俺の憤りをよそに、宗像先生は試験の説明を続ける。

「知っての通り、私は本来、日本史を教えている立場だ。だから、自慢じゃないが音符なんて一つも読めない。なので、こんなときのために、じゃじゃ~ん! カラオケボックス~!」
 って、最後に国民的な万能ネコ型ロボットの真似すな!

「ルールは簡単だ。歌って採点の点数がまあ……そうだな。5点を超えてたら合格だ」
 ファッ!?
 楽勝すぎだろ。落ちるのはどんなジャイ●ンだ。 

「じゃ、ここはまず00生の代表ともいえる新宮から歌ってもらおうか」
「え、俺からっすか……」
「ああ。お前が一番でいいだろ。出席番号も一番だし」
 そうだった。忘れてた……。
 宗像先生に笑顔でマイクを手渡される。

「がんばれ、タクト☆」
 小さな胸の前で拳を作るミハイル。
 くっ!? こいつの前では格好いいところを見せたいもんだ。
 選曲はやはり、あの曲しかあるまい。
 俺がこの世で最も尊敬する芸人であり、作家であり、映画監督でもあるタケちゃんの名曲……。

「宗像先生、‟中洲キッド”でお願いします」
 この曲なら間違いない。毎日お風呂で歌ってるし。
 俺にそう言われて、曲のファイルをめくる先生。
 しばらく調べていたが、程なくして顔をしかめる。

「すまん、新宮。その曲、ないわ」
「えぇ……」
 俺はあの歌ぐらいしか、知らんぞ。
 あとは洋楽しか好まないから、英詩なんて無理だよ。
「そうだなぁ……この機械、昔のだから古い曲しかないんだよ。軍歌とか演歌とかそんなんばっかりだな」
 昭和ってレベルじゃねー。
 どこの老人ホームだよ。
 終戦して何十年経ったと思ってんだ。
「歌う曲がないなら、無理じゃないですか……」
 そう肩を落とすと宗像先生が再度ファイルをながめる。
「んん~ あ、これなんかどうだ? 割と最近のやつだし、ヒットしたやつだから新宮でもわかるだろ」
 俺の確認も取らず、番号を機械に打ち込んでいく宗像先生。
 モニターに映し出されたのは、確かに大ヒットを飛ばした名曲。

『タンゴ四兄弟』

「……」
 絶句する俺氏。
「さ、時間も限られてる。もう歌っちまえ、新宮」
 ゲラゲラ笑って、腹を抱える宗像先生。
「ガンバッ! タクト☆」
 ええい、ままよ!

「箸に突き刺して、ナンボ……ナンボ…」

 一本調子で歌い続けた。
 採点の結果は、42点……。
 なんとも言えない採点に俺は愕然とした。

 次にミハイルがマイクを手に取ると、彼は嬉しそうにこう叫ぶ。
「宗像センセッ! オレ、『ボニョ』がいいっす」
「おお、それならあるぞ」
 あるんかい!

 そうして、ミハイルは腰をフリフリしながら、楽しそうにボニョを歌うのであった。
 彼の美しく透き通った歌声が、部屋中に響き渡る。

『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』

 癒されるぅ~ 
 結果は驚異の98点。
 ミハイルがこの日、最高の点数を叩き出したのであった。

 音楽の試験……というか、ただのカラオケ大会は無事に終了した。
 もちろん、宗像先生の言った曲の採点が「5点以上」はみんな余裕でクリア。
 全員がホッとしたのであった。

   ※

 帰りのホームルームがはじまる。

「えぇ~ 諸君! これにて本日の試験は終了だ! だが、再来週に二回目の試験が残っているからな。気を抜くなよ。んで、次回の体育の実技なんだが、前に三ツ橋から寄付してもらった体操服を持ってくるように!」
 いや、あれパクッたやつじゃねーか。

 それを聞いてなぜか隣りで喜ぶミハイル。
「そうだった☆ タクトの好きな服だもんな、ちゃんと着てくるよ☆」
 ええ……ブルマで学校に来るの?
 ちょっと、さすがにしんどい。
「それはやめておいた方が……」
「え、なんでぇ?」
 上目遣いして、緑の瞳を輝かせる。
「ま、まあ、ミハイルがいいなら良いんじゃないか?」
「うんうん☆」
 マジでいいの?
 もう人格が破綻してない……あなた。


 こうして、第一回目の期末試験は終わりを迎えるのであった。
 俺はテストの成績に自信があるのだが、ミハイルが心配だ。
 音楽の試験に関してはクリアしているけど、ペーパーテストの方がな。
 かなり苦戦していたように見える。

 試験を終えて、安心しきったのか、ミハイルは帰り道、歩きながらウトウトしていた。
 よっぽど疲れているんだな。
 帰りの電車内でも、俺の肩の上に寄っかかると、スゥスゥと寝息を立てていた。
 ふーむ、一体なんのバイトしてんだろうな。
 気にはなるが、本人が内緒にしてほしいみたいだし。
 ま、暖かく見守るとしよう。


 ~次の日~

 俺は毎々新聞へと来ていた。
 無給なんだけど、店長のこだわりで、仕事に使うバイクを洗車しないといけないからだ。
 店長曰く「日頃乗せてもらっているんだから、バイクちゃんにもご褒美をあげないと」らしい。
 別にペットじゃねーし、馬でもないのに……。
 だが、長年やっていることなので、文句一つ言わず、黙ってバイクちゃんをブラシで磨いていく。

「ほぉ~れ、ピカピカになったぞぉ~ また今週も頼むな」

 なんて愛着も湧いていたりする。自ずと名前もつけたりして。
 その名も『サイレント・ブラック』
 カッコイイ名前だ。バイクの色はブルーなんだけど……。
 ブラックの方が様になるだろ?

 その時だった。
 ズボンのポケットに入っていたスマホが鳴りだす。
 お決まりの可愛らしい歌声、アイドル声優のYUIKAちゃん。
 着信名は……ミハイルか。

「もしもし」
『あ、タクト! 今、仕事中?』
「ああ、もう少ししたら配達に出るけど……」
『仕事終わってからでいいから……今日会えない?』
「構わんが…」
『よかった☆ じゃあ、オレも仕事に戻るからまたあとでな!』 
 と言って、一方的に切られてしまった。
 電話の向こうで何やらガヤガヤとうるさかったな。
 仕事中だと言っていたので、職場か?
 まあ、とりあえず、俺も今から配達に行くか。

 彼に会えることが嬉しくて、俺は猛スピードでバイクを飛ばした。(もちろん法定速度で)

   ※

 夕陽が落ちだしたところ、俺はミハイルに言われて、彼の地元である席内に来た。
 メールでは、以前一緒に行ったことのあるスーパー、ダンリブで待ち合わせだという。
 なぜ、彼の自宅ではないのだろうか? と疑念を抱いたが、まあ行ってみるとするか。


 ダンリブに入って、しばらく店の中をウロチョロする。
「あいつはまだ来てないのか……」
 そう呟いた瞬間だった。
 背後から聞きなれた甲高い声が聞こえてくる。

「いらっしゃいませ! またのごりよーお待ちしておりますっ!」

 なんだ、このバカそうな店員は。
 振り返ると、そこには今まで見たこともないぐらいの美人店員が立っていた。

 タンクトップにショートパンツ。
 そのうえに『ダンリブ』とプリントされた青いエプロン。
 小さな頭を三角巾で覆っている。
 金色の髪は後ろで一つにまとめていた。
 時折、垣間見えるうなじに色気を感じた。

「み、ミハイル?」

 そう。あのヤンキーが甲斐甲斐しく働いていやがる。
 腰の曲がったおばあさんの客に丁寧に対応。

「あ、ばーちゃん。オレが荷物持つよ☆」
「すまんねぇ……あらぁ、ミーシャちゃんじゃない。ダンリブに就職したの?」
「ううん☆ 短期のバイトだよ☆」
 就職したら、この店潰れそう。
 だって客にタメ口じゃん。クレームの嵐で店長壊れそう。

 ミハイルはおばあさんのカートに乗っていたカゴを、軽々と持ち上げ、レジまで誘導する。
 レジ打ちさえしないが、カウンターの中で、他の女性店員と一緒に商品をスキャンしたり、ビニール袋に詰め込む。
 そして、客が去る際はしっかりとお辞儀をする。
 お客様が見えなくなるまでだ……。
 どこの老舗デパートだよ。

 ヤンキーのくせして、けっこう真面目なんだな……。
 俺がその姿に呆然としていると、彼がこちらに気がつく。

「あっ! タクト☆ 来てくれたんだ!」

 そう言って、レジカウンターから出てくる。
 太陽のような眩しい笑顔で手を振るというオプション付き。
 くっ……なんだか、仕事あがりの嫁を迎えに行っているような錯覚を覚えるぜ。
 しかもエプロン姿だもんな。
 制服フェチとしては、たまらねぇぜ……。

「ハァハァ……やっと会えたね☆」
 そう言って額の汗を拭う。
 顔をよく見れば、昨日より目の下のクマが酷くなっている。
「ああ。ミハイルのバイト先ってダンリブだったんだな」
「う、うん……短期だから今日までなんだ☆」
「へぇ」
「それで、その……」
 急に顔を赤らめてモジモジし出す。
 なんじゃ、聖水か?
 お花畑なら店にもあるだろうが。

「どうした?」
「これっ!」
 そう言ってエプロンのポケットから小さな箱を渡される。
 綺麗に包装されていて、リボンがついていた。
「ん、なんだこれ……」
「いいから受け取って、タクト!」
「はぁ……」
 とりあえず、言われるがまま、箱を受け取る。
 リボンの紐に何やらカードが挟まっていた。
 メッセージが添えられていて、
『タクト、18歳のお誕生日おめでとう☆』
 とある。

 あ……今日って俺の誕生日だったのか。
 万年ぼっちだったから、忘れてた。

「これ……もしかしてプレゼントか?」
「う、うん……」
 頬を赤くして、恥ずかしそうにしている。
「開けていいか?」
「いいよ…」
 リボンを外し、包装紙を丁寧に開けていく。
 箱を開けると中には、キラキラと輝く万年筆が入っていた。
 見るからに高そうだ。

「こんな高級なものを俺に?」
「うん……色々考えたけど、タクトは小説家だから。それがいるだろうって思ってさ」
 アナログゥ~!
 俺ってそんな文豪じゃねーよ。
 しかも今時ペンで書くやつなんているか?
 だが、こんな高級なもんをもらって、返すわけにも文句を言うわけにもいかんしな。
 実はパソコンでタイピングしているなんて、口が裂けてもいえないよ。

「ありがとな……ミハイル」
「ううん。タクトに初めてあげる誕生日プレゼントだから☆」
 やっと緊張がほどけて、優しい笑顔に戻る。
 ニカッと白い歯を見せて。
 クソがッ! 抱きしめてやりたいぜ!
 生まれてここまで想われたのは、お前だけだ。男だけど!

「そっか……大事に使わせてもらうよ」
 なんだか悪いことをした気分になる。
 ていうか、バイトを短期でする意味って……まさかっ!

「ミハイル。もしかして、このプレゼントのために、バイトをしたのか!?」
 思わず彼の細い肩をギュッと掴む。
 瞬間「キャッ」と可愛く声をあげる。
「う、うん……だって、ちゃんと自分で働いて、自分のお金でタクトに……プレゼントしたかったんだもん」
 そう言うと、今度はダンリブの床ちゃんがお友達に追加されてしまった。
 
 ヤバい。泣けてきた……。
 ミハイルママが俺のことを思って、夜なべしながら、試験勉強して、朝も早くからスーパーでバイトかよ!
 自分がちっぽけに感じる。

「タクト、その万年筆でたっくさん小説書いてくれよな☆」

 なんだろう……急にこのプレゼントが重たく感じてきた。


 
 俺は生まれて初めてもらった誕生日プレゼントに感動していた。
 いや、家族からもらったことはあるんだけど。
 母親からは薄い同人誌、妹からはエロゲ、父親は逆サプライズで金を要求してきやがる。
 そんな酷い環境だったから、万年筆だなんて。
 誕生日ってこんな思いやりがある品物をもらえるイベントだったんすね。
 泣けてきました。

 嬉しかったから、彼に一緒に帰ろうと言ったが、「まだ仕事が残っている」と断られた。
 健気もんだ。
 だが、しかし今日が俺の誕生日なのは仕方ないことだけど……。
 俺だけがプレゼントをもらいぱなしってのも、なんか気になる。

「ミハイル、お前の誕生日っていつだ?」
 やられたら、やり返す! 倍返しだ!
「オ、オレの……? し、知ってどうする気?」
 頬を赤くして、もじもじする。
「そりゃ、もちろんダチの誕生日なんだから祝うに決まってんだろ」
「オレは12月の23日生まれだよ……」
 耳元にかかった毛先を指で触って見せる。
 照れているようだ。
「よし、認識した。じゃあミハイルは何が欲しいんだ?」
 だってこいつの趣味ときたら、カワイイもんばっかだから、俺には分からん。

「え……タクトが選ぶものならなんでも……それにオレはタクトが、一緒に祝ってくれることが、一番のプレゼントだもん……」
 なにいってんの、キミ。
「そうか。まあまだ半年もあるから。考えておくよ」
「うん☆ 約束だゾ! オレ、残りの仕事があるから、もうひと頑張りしてくるよ☆」
 俺に背を向けると、レジへと走っていく。
 その後ろ姿ときたら、ただの天使。
 女の子のように両腕を左右に振り、桃のような小さな尻をプルプル震わせる。
 
「よし、俺も頑張るか」
 ミハイルからもらった万年筆をギュッと掴む。
 俺はタイピング派なのだが、この万年筆を持っていると、創作意欲が湧いて来るってもんだ。
 確かな手ごたえを感じると、踵を返す。

   ※

 帰宅するとセーラー服姿のかなでが抱きついてきた。
「おにーさまっ!」
 無駄にデカい乳が俺を襲う。
 プニプニした感覚がとてつもなく気色悪い。
 自ずと呼吸ができなくなる。
「ふごごっ」
「お誕生日おめでとうございますわっ!」
 こいつ、また乳が発育してないか。
 中三でこのデカさとか、もう乳がんじゃね?
「いいから離せ!」
「あーん、おにーさまのいけず……」
「やかましい!」
 人がせっかくミハイルのプレゼントを喜んでいたというのに……台無しだよ!


 リビングに入ると、辺りは一変していた。

『HAPPY BIRTHDAY! TAKUTO』
 という文字がデカデカと壁に貼られていた。

 それに部屋中にリボンや造花で埋め尽くされている。
 ただし、合い間合い間に裸体の美男子やランジェリーを着用した男の娘がパーティーに参加していた。

「はぁ……」


 これだから、俺の誕生日パーティーは嫌なんだ。
 ただの虐待。
 かなでと母さんの趣味に付き合わせられているだけ。
 主賓は俺じゃないんだよ。
 こいつらはただ遊びたいだけ。
 その証拠が眼前にある。


「タクくん、18歳おめでとう!」

 そう言う母さんの手には、手作りのショートケーキが。
 しかしだ。白い生クリームの上で、裸体の男同士でチャンバラごっこしているんだよなぁ。
 こんな卑猥なケーキを作れるのって、母さんだけだと思う。

「はぁ……」

 俺もそろそろ児童相談所に行くか。


   ※

 宴もたけなわ、というか、乱痴気騒ぎがやっと治まる。
 母さんがハイボール飲み過ぎて、裸で踊りだすし、妹のかなでも大音量でエロゲーをやりだす。
 もう誕生日パーティーどころじゃない。
 誰か、僕を助けて……。


 そう思っていた瞬間だった。
 スマホのベルが鳴る。
 久しぶりに見る着信名だった。
 その名も、「アンナ」


「もしもし?」
『あっ、タッくん☆ 今いいかな?』
「構わんぞ。ただ、ちょっとうるさいから外に出るわ」
 だってバカ女たちがギャーギャーうるさいから。

「ヒャッハー! BL祭りじゃヒャッホー!」
 と、裸のおばさん。
『ああんっ! おにーちゃん、ボクはおとこのこなのに……ああん!』
 をガン見しているJC。

 カオスすぎるので、外に出て話しますわ。

 一階に降りて、裏口の玄関から外に出る。
 気がつけば、空に月がのぼっていた。
 もう夜も遅い。
 スマホを持って、真島商店街に出た。
 外の空気を吸いたいと言うのもあったけど、アンナの声を静かに聞きたかったから。


「もしもし、悪かったな」
『ううん。ひょっとして、お家でパーティーしてた? 電話してていいの?』
「問題ない。ありゃバカの末路だ……」
『バ、バカ?』
「こっちの話だ。気にするな。ところでどうしたんだ?」
『あ、あのね。今、アンナ真島駅にいるの』
「えっ!?」
 驚いて、スマホを耳から離す。
 時刻を確認すると、『11:20』
 
「アンナ! お前、今真島駅に来てんのかっ!?」
『うん、どうしても今日中に渡したいものがあって……』
「と、とりあえず、急いでそっちに向かうから、駅のコンビニにでも入って待ってろ!」
『え? 急がなくてもいいよ?』
「バカッ! 女の子がこんな時間に歩いてたら危ないだろっ!」
 って言いながら、俺自身もアンナが男だってことに忘れてた。


 俺はスマホで通話しながら、全速力で商店街を走り抜け、真島駅に3分もしないうちにたどり着く。
 ピザの配達より早いね!

 必死になって、アンナを探す。
 コンビニの窓から手を振る一人の女の子がいた。

 赤いチェックのワンピースに、リボンのついたローファーを履いている。
 髪は後ろでハーフアップしていて、ワンピースと同じ柄のチェックの大きなリボンでまとめいていた。

 俺が肩で息をしていると、慌ててコンビニから出てくるアンナ。

「タッくん……そんなに急がなくても良かったのに」
 優しく微笑みかける。
 気がつけば、俺の背中をさすってくれていた。
「だ、だって……女の子がこんな……深夜に危ないだろ……」
「ありがとう☆ 優しいね、タッくんは☆」
 アンナの髪から甘いシャンプーの香りがした。
 なんだか、ドキドキしてしまう。


 息を整えると、彼女に問いかける。
「ところで、俺に渡したいものって?」
「ミーシャちゃんから聞いたんだけど、今日ってタッくんのお誕生日なんだよね?」
 あの、自分から自分にものを伝えるってどうやってんの?
 乖離した人格と精神の部屋みたいなとこで、ペチャクチャ話すの?
 まあそれはさておき、話を合わせる。

「ああ、そうだが……」
 さっきくれたじゃん。高い万年筆を。
 ミハイルからだけどさ。
「アンナもね、プレゼントあげたかったけど、無職だから、お金ないの……」
 ウソつけ! おまえ、さっきまでスーパーで働いてだろ!
「そ、そうか……まあ気を使わなくていいぞ?」
「そんなわけにはいかないよ☆ だって、タッくんとの初めてのお誕生日なんだから☆」
 はにかんだ笑顔を見せる。
 だが、久しぶりに見る彼女の姿には違和感を感じた。
 化粧で隠しきれないほどの、大きなクマが瞼の下にあるからだ。


「アンナ、一生懸命考えて、プレゼントをこれにしたの☆」
 俺に向かって大きな紙袋を差し出す。
「これを、俺にか?」
「うん、開けてみて☆」
 紙袋から出てきたのは、丸い包み紙。
 手に持ってみると、柔らかくて軽い。
 なんだろうと思い、包装紙を丁寧に開いていく。
 中には、紺色のボタンシャツとズボンが入っていた。

「ん? パジャマか」
「当たり☆」

 広げて見ると、ただの寝巻きじゃないことに気がついた。
 襟元と袖口にハートと星のプリントがいっぱい刺繡されている。
 背中には
『TAKUTO  FOREVER☆』
 とある。

 いや、俺まだ死んでないよ?

 ズボンにも目をやる。
 尻の割れ目の生地がピンク色になっていて、ハートの形。
 ここにも文字があって、
『SWEET CUTIE』
 と書いてあった。

 これを着て寝ろと?


「あ、ありがとう。アンナ」
「気に入ってくれた?」
「ああ、すごく良くできているよ。ところで、これアンナが作ったのか?」
「うん☆ ミシンで作ったんだ☆」
 
 そういうことか……。
 慣れない仕事に、試験勉強、それに裁縫まで…。
 俺のためなんかに、ここまで頑張るなんて。
 それも知らずに、俺はのほほんと一週間を過ごしていた。
 罪悪感が押し寄せてくる。

「本当にありがとな、アンナ。良かったら家に寄ってくか?」
「ううん、悪いけど帰るね。ほら、タッくんは今試験中でしょ。勉強の邪魔したら良くないから☆ また今度ね」
 そう言うと、別れを惜しむこともせず、ささっと駅のエスカレーターを昇っていった。
 俺はその姿を下から眺めていた。

 あ、今日のパンツ。ピンクだ……。

 これが、最高のプレゼントでした、と。

 俺はかくして18歳を無事に迎えることができた。
 ていうか、ミハイルとアンナに祝ってもらえてウルトラハッピー! な年だったぜ。
 ちょっと今までの人生があまりにも孤独だったせいか、彼と彼女からもらったプレゼントを毎日眺めては、涙を流していた……。
 アンナの作ってくれたパジャマを着て、胸ポケットにミハイルがくれた万年筆を入れ、執筆活動に勤しむ。
 書ける書ける! スラスラと映像が文字に変換されていく。
 ラブパワーだな。
 
 
 ある日、博多社の担当編集、白金 日葵から電話がかかってきた。
 電話に出ると、いつもふざけているロリババアがかなり慌てている。

『あ、DOセンセイ! 大変です!』
「どうした? お前の合法ロリ風俗店就職が決まったのか?」
『んなわけいでしょ!』
 されたらいいのに。今よりだいぶ稼げるんじゃない。
「なんだよ。ちょうど筆がイイ感じで進んでいたのに……」
『ホントですか!? ならちょうどいいです!』
「なにがだよ?」
『今月号の‟ゲゲゲマガジン”で発表したセンセイの拙作‟気にヤン”が大反響で、発刊以来の重版決定となりました!』
 拙作て自分で言うもんじゃないの……。
「重版?」
 耳を疑う。
 白金がとうとう頭がイカれちまったんだろって思った。

『なので、長編書いてください! 単行本発売決定で、すぐに8万文字必要です! 期限は2週間! では、おなーしゃす! ブチッ……』
「ちょ、ちょっと……」
 一方的に切られてしまった。
 それにしても、俺の作品が久しぶりに単行本化するのか。
 書いたのがラブコメってのが、ちょっと癪だけど、まあ悪くない。
 よし、書こう。
 今の俺なら来週までに8万文字なんて、訳ないぜ。

 なぜなら、アンナのパジャマとミハイルの万年筆があるからなっ!
 タイピングしていく指の速さがグンと上がる。
 その時だった。
 自室の扉がバタンと、大きな音を立てて開く。

 妹のかなでだ。
「ただいまですわっ!」
「おう、おかえり……」
 俺は振り返りもせず、机の上でパソコンとにらめっこ。
 自身に追い込みをかけているからだ。
「おにーさまったら、顔も見てくれないなんて……てか、そのパジャマ……ダセッですわ」
「……」
 この時、俺は思った。かなで、いつかぶっ殺す。


 ~2週間後~

 連日連夜、原稿に終われていた。
 ちょくちょく白金とオンラインで打ち合わせ重ね、構成を見直したり、キャラをもっと深堀したりとまあ、作家らしい仕事をこなす。
 その間、新聞配達も朝と夕方にやるから、仮眠を取る暇があまりない。
 徹夜の日々であっという間に、原稿の期日になる。
 もちろん、この天才作家のことだ。ちゃんと間に合わせたさ。
 ネットで原稿を白金に送り、あとは全部出版社に丸投げ。
 

 ふとカレンダーに目をやる。
「あ、今日はスクリーングだったか……」
 原稿のことばかりで、すっかり忘れていた。
 一ツ橋高校の二回目の期末試験。
 寝不足だが、あんな幼稚なテスト余裕だな。
 あくびをかきながら、リュックサックを持って家を出た。


 小倉行きの電車に乗り、車内のロングシートに腰を下ろすと、すぐに夢の中に入る。
 しばらくすると、どこかの駅に止まった。
 振動で目を開く。すると、ミハイルが隣りに座っていた。
「ミハイル……」
 ゆっくり身体を起そうとするが、白い手が俺の瞼を覆う。
「タクト、疲れてんでしょ? オレが起すから寝てて☆」
 耳元でそう囁く。
 その声はとても優しく、俺の疲れも吹っ飛んじまうぐらい愛らしい。
「た、頼む…」
「いいよ☆」


   ※

 スマホの振動で目が覚める。
 気がつくと、俺は身体を横にしていた。
 枕にしてはやけに柔らかい。
 なんだろうと思い、顔を下にずらす。
 すると、ぷにぷにと何かが唇に当たる。
「キャッ!」
 ミハイルの声?
 ということは、これは……。
 太ももだ!

 クンクン、思わず香りを堪能してしまう。
 だって、こいつが悪いんだ。
 毎回ショーパンなんて履いてやがるから、細くて白い太ももが露わになっちまうだろ。誰でも匂ったり、その感触を確かめたりしたいのが、人間!
 自身の唇で太ももの柔らかさを確認しつつ、鼻で石鹸の甘い香りを楽しむ。

 徹夜した甲斐があったてもんだ。
 癒されるぅ~

「ちょっ……タクト! なにふざけてんの! もう赤井駅だよ!」

 自分で膝枕させておいて、頭を叩いてきた。
 まったく困ったツンデレのダチだな。

「すまん。ここ連日徹夜していててな……寝入ってしまったようだ」
 しれっと言い訳をしておく。
「そっか……タクトも試験勉強?」
 話しながら、車内から出てホームに降りる。

 赤井駅を出ても、話は続く。

「俺は、試験勉強じゃなくて執筆の方だ」
「え、新作を書いてんの?」
「以前にアンナを……モデルにしたラブコメの短編があってな。それが人気らしくて、いきなり単行本化だそうだ」
 クソがっ! なんで俺が書いた処女作『ヤクザの華』は売れないんだよ!
 俺の思惑とは裏腹に、ミハイルは瞳をキラキラと輝かせる。
「スゴイじゃん! おめでとう、タクト☆」
 ニカッと白い歯を見せて、微笑む。
「う、うむ……。今回の作品に関しては、ミハイルにその、感謝してる」
「オレに?」
「ああ。アンナという取材対象を紹介してくれてな」
 一応、礼はしておく。
 って、目の前にいるやつなんだけど。

「そ、そんな……まだ本も発売されてないのに。気が早いよ……」
 言いながら、顔を赤くしてモジモジしだす。
「でも、オレからアンナにちゃんと伝えておくよ」
 伝えるもなにも、今面と向かって俺があなたに言ったじゃない。
 なにこの、面倒くさいやりとり?


 一ツ橋高校に着くまで、ミハイルは終始、頬を赤くしていた。
 どうやら自分のように喜んでくれているらしい。
 ま、そりゃそうだよな。
 小説ていうか、ただの日記みたいなもんだ。
 言わば、合作だ。
 俺とミハイル、アンナの……。


 









 一ツ橋高校の玄関に着くと、俺とミハイルは今日の予定表を手に取る。
 今回のスクリーングは、前回のようにペーパーテストと体育の実技があるだけだ。
 この前、宗像先生に言われた通り、運動会で借りパクした三ツ橋高校の体操服を持参している。
 罪深い学生だよな、俺たちって。
 前に三ツ橋の生徒の福間 相馬が言ってたが、「一ツ橋は三ツ橋の恥さらし」ってのを最近、よく痛感する。
 まあ元凶は全部、宗像先生なんだけどね……。

 
 ミハイルが上靴に履き替えながら、こう言う。
「タクトッ! オレ、今日ちゃんとブルマ履いてきたから、楽しみにしてろよ☆」
 ファッ!?
「えっ……」
 言われて、彼の下半身を見るが、いつも通りのショーパンにしか見えない。
「あ、ズボンの中に履いてるんだ☆ ねーちゃんが小学校の時はそうしてたって言ってたからさ☆」
「ええ……」
 困惑する俺氏。
 やってること、マジで女子なんだけど。
 どうせ同じ更衣室で着替えるのだから、生着替えを見せろよ。
 もったいぶりやがって……。
 だが、パンツじゃないから恥ずかしくないもんっ! て、いくらでも眺めても良いという結論に至るな。
 うむ。確かに体育は楽しみにしてるよ、ミハイルくん。


   ※

 階段をあがり、事務所を抜けて曲がるとすぐに1-1の教室がある。
 と言っても、これは全日制のクラスだから、俺たち通信制は基本バラバラのホームルームなんだけどね。

 教室の扉の前に一人の男が立っていた。
 あまり見たことのない生徒だ。
 廊下から教室の中をチラチラ見ては、サッと頭を隠し、また中を覗く。とても挙動不審だ。
 カメラでパシャパシャと誰かを撮っている。息を荒くして。
 変態だ……。

 よし、通報しよう。
 そう思った時だった。
 ミハイルが、なにを思ったのか、その男に声をかける。

「あーっ! お前はトマトじゃん!」
「えっ?」
 振り返る豚が一匹。
「あ、これは良いところに、DO先生がいた! そして、いつぞやのミハイルくんも」
 ニコッと笑ってみせるが、とても気持ちの悪い青年だ。
 こいつが20代前半とか、しんどい。
 びしゃびしゃに濡れたTシャツからは、黒い乳首が透けて見える。胸毛もおまけつき。
 額には、萌え絵のバンダナを巻いていた。

 俺の公認イラストレーター、トマトさんだ。

「トマトさん? なんでここにいるんですか?」
 不法侵入だろ。
「あ、いや……これは取材ですよ。決してJKを盗撮してたわけでは……」
 しどろもどろになっている。
 ますます怪しい。
「取材?」
「ええ、白金さんに以前、提案されたじゃないですか。可愛い女の子の絵を上手く描けるため、一ツ橋高校へ取材にいけって……」
「ああ。そう言えば、あのバカそんなこと言ってましたね。でも、トマトさんはまだ編入できないでしょ? 少なとも秋期からじゃないと」
 俺たちが今受けているスクリーングが夏期。春から夏まで。
 その次が秋期で、秋から次の年度末まで。
 

「それならば、大丈夫です。白金さんが一ツ橋高校に許可をとってもらって、今日は一日体験入学ということになってます」
「なるほど……」
「ハハハ、トマトはじゃあオレとタクトの後輩になるんだな☆」
 いや、そうかもしれないけど、年上だから敬ってあげてね。

「良きの良きですよ、ミハイル先輩。実は取材の予定が早められたのは、DO先生の短編が人気爆発して、単行本の表紙と挿絵のために、モデルさんを撮りに来たんです」
「そういうことだったんですか。俺の作品のために申し訳ないっす」
「いえいえ、僕みたいな童貞が生のJKを見れる機会は、そうそうないですからねぇ~」
 キモッ。
 てか、相手に許可取ってないで、取材とか犯罪だろ……。
 責めて教室に入って、生徒と話したりすればいいじゃないか。


「モデルってまさか……タクトの小説のヒロイン?」
 上目遣いで頬を赤らめる当のご本人。
「そうですよ。僕は基本男キャラしか描けないので……設定では、ヒロインは、ヤンキーでデートする時だけ、主人公好みになる美人さんだとか?」
 目の前で褒めちぎられる。もちろん、ミハイルの顔はどんどん真っ赤になる。
 爆発しそうだ。
「うう……そう、なんだ……主人公好みの美人かぁ」
 照れてやがる。


 そうこうしていると、背後から足音が近づいて来る。

「おはにょ~♪」
「よう、ミハイルにタクオじゃねーか」

 赤髪のギャル、花鶴 ここあと、老け顔のハゲ、千鳥 力だ。
 相変わらず、花鶴はパンツが丸見えの超絶ミニスカを履いている。
 もちろん、千鳥もいつもと変わらず、ピカピカのハゲチュウだ。

「おう、お前ら。今日は早いな」
 いつも重役出勤で、授業終わりに出席カードを教師からパクるバカ共だ。
 試験だからか?
「まあな、俺もここあも単位は欲しいし。てか、後ろのおっさん誰?」
 千鳥がビシッと指をさす。
 年上だってわかってんのに、失礼だとは思わないの?

「あ、あの……ぼ、僕は……」
 指を突きつられて、固まるトマトさん。
 どうやら、ヤンキーで柄の悪い千鳥にビビっているようだ。
 確かに、こいつらは見た目こそ、悪ぶってはいるが、根は良いヤツというか、ただのバカだから。
 怖がるような人間ではない。
 ここは、俺がフォローしておくか。

「トマトさん。こいつは俺の同級生で千鳥っていうんです。見た目はこんなんすけど、別に悪いヤツじゃないですよ」
 俺がそう言うと、千鳥が背中をバシバシと叩いて来る。
「んだよっ! そんな紹介あっか、タクオのダチか。なら、俺のダチだな」
 いや、なんでそうなるの?


「おい、トマト? 大丈夫か? なぁ、タクト。トマトの様子がおかしいぞ」
 ミハイルが俺の袖をクイッと掴む。
「ん?」
 振り返ると、彼の言う通り、トマトさんは顔を真っ青にして、震えている。
 膝をがくがく揺らせて、目を見開き、あるところを凝視していた。
 その視線を追うと、二つの長い脚。
 というか、パンツ。
 花鶴 ここあのだ。

「どしたん? おっさん、なんかウケるっしょ。あーしの顔に何かついてるん?」
 いや、顔見てないよ。あなたの股間見てるだけ。
「ハァハァ……」
 息を荒くし、ギャルのパンティーを眺める。
「ちょっと、トマトさん?」
 試しに俺が彼の肩を揺らすが、反応はない。
 返ってきたのは、べっちゃりと生暖かい汗だけ……。
 きっつ。


「き、決めたぞ!」
 急に大声で叫ぶトマトさん。
 その野太い声が、廊下に響き渡る。
 大量の唾を床に吐き出して……。

「あ、あの……あなたのお名前を聞かせてくださいっ!」
 飛び掛かるように花鶴との距離を詰める。
 彼女の胸の前で、拳を作り、鼻息を漏らす。
 その姿は、発情したオス豚である。

「え? あーしのこと? 花鶴 ここあだけど。おっさんは?」
「ぼ、僕は、筑前 聖書(ちくぜん バイブル)です! 聖書(バイブル)って言ってください!」
「ウケる~ なにその名前、じゃあ今度からバイブって呼んであげるっしょ♪」
「それでいいです! 嬉しいです!」
 よくねぇ! 神に謝れ!
 ていうか、聖書ってペンネームじゃないの? トマトが本名の方が良かったかも……。

「ところで、ここあさん。僕の絵のモデルになってくれませんか? あなたが、DO先生の小説に出てくるヒロインにぴったりです!」
「あぁっ!?」
 思わずブチギレてしまった。
 こんなどビッチと、あの天使アンナを一緒にしてほしくない。
 
「DO先生って……オタッキーのことっしょ? ダチなんだから、もちろんオッケーっしょ♪」
「や、ヤタッーーー!」
 ウソォ……嫌だわ。
 俺の単行本の表紙が、アンナが、こんなビッチに変換されるなんて……。

 ふと、気になって隣りのミハイルに目をやる。
「……グスンッ」
「泣いてんのか? ミハイル……」
「違うもん! 泣いてなんかないもんっ!」
 て言いながら、鼻をすすってやがる。

 かわいそうに……。