「お、おまえは……」
俺は言葉を失っていた。
「よう、タク! ひとりの女の子も助けられないのか?」
黄ばんだタンクトップにボロボロのジーンズ。
つぎはぎの肩掛けリュックを背負っている。
身長は180センチほど。
黒くて長い髪を首の後ろでくくっている。輪ゴムで。
見るからにホームレスといった風貌だ。
「オヤジ……」
そうこの汚いおっさんが俺の父親、新宮 六弦だ。
実に数年ぶりの再会だった。
「話はあとだ。とりあえず、その娘を助けるぞ!」
俺が抱きかかえているアンナに身を寄せ、おでこに手を当てた。
同時に左腕の脈も計っている。
「かなりの熱だな……脈も乱れている…」
親父は至って冷静だった。
俺はなにもできず、黙ってアンナを抱えていることしかできないでいた。
「タク、俺が車を用意してくる! その間、お前はこの子を雨風をしのげる場所まで移動させておけ!」
親父の指示はもっともだった。
アンナの変わりはてた姿を見て、パニックになっていた俺は彼女をずっとびしょ濡れのままにしていた。
熱もあるらしいし、早く移動させねば。
黒田節の像の近くには交番があった。
すぐにアンナを抱えて中に入る。
交番の中は誰もいなかった。
何回か声をかけたが、反応なし。
きっとパトロールにでも出ていっているのだろう。
ひとまず、彼女を長いすに寝かせた。
受付の前に『ご用の方は電話してください』とプレートがおいてあり、電話機もある。
「あれ、これ使って救急車呼べばいいんじゃないか?」
俺がそう思っているうちに、親父が戻ってきた。
「タク! 車を回しておいた! 早く彼女を連れてこい!」
「でも……救急車とか呼べば…」
そう言いかけると親父は激怒した。
「バカヤロー! 救急車なんておせーんだよ! とりあえず、家に連れていくぞ!」
「えぇ……」
俺は親父の勢いに圧倒されて、言われるがまま、アンナを交番から連れ出した。
親父の言った通り、博多駅のロータリーに一台の車が用意されていた。
「お、おい……この車」
「早く彼女を後部座席に寝かせろ!」
「い、いや、さすがにこの車はダメだろ……」
みーんな大好き正義の味方。パトカーだよ、しかもサイレン付き。
「バカヤロー! お前の彼女と警察どっちが大事なんだ!」
と叫びながら公用車をドカン! と拳で叩く。
非常識なやつだとは思っていたが、ここまでとは……。
「わ、わかったよ」
俺はしぶしぶアンナを後ろのシートに寝かせる。
それを確認すると俺は助手席へ座ろうとした。
だが、また親父に叱られる。
「おい、なにやってんだ! 急いで運転するんだぞ! お前は彼女をしっかりおさえていろ!」
「で、でも俺が座れないだろ?」
「バカ! 膝枕すれば問題ないねーだろ!」
「なるほど……」
「そんなチキンに育てた覚えはないぞ、タクッ!」
いやあなた年がら年中、家にいないじゃないですか。
そもそも育ててもらった覚えがないのはこっちですよ。
俺はアンナの頭を自身の膝に乗せると、彼女が落ちないようにしっかりと抱きしめた。
冷たい……こんなになるまで俺を待ち続けたのか?
バカだな…。
「クソ」
気がつくと頬に熱い涙が流れていた。
親父が運転席に乗ると「急ぐからな」と言って、慣れた手つきでパトカーのボタンをいじりだす。
するとけたたましいサイレンが「ウーウー!」鳴りだす。
「しっかり捕まってろよ!」
エンジンをかけると文字通り猛スピードで出発。
博多駅を出ると大博通りを突っ切る。
メーターを見ると時速120キロ。
走り屋じゃねぇか。
「このパトカー、古い型だな。おせーな」
いや充分すぎるほどに速度オーバーだよ。
よく捕まらないね。
大博通りをすぎるとハンドルを思いっきり回して、急カーブ。
アンナの細い脚がゴロンと落ちた。
「しっかり支えておけ!」
言いながら親父はアクセル全開で都市高速に入る。
料金所が見えたがETC側に入りすっ飛ばす。
高速に入ると更にスピードは加速した。
気がつけば150キロオーバー。
アンナは脚をバタバタさせている。
さすがにかわいそう。
数分で博多インターから梶木インターへたどり着くと国道に降りる。
だが、それでも親父の運転は荒々しい。
台風が幸か不幸か、車が少ないのが災いして、事故を起こしてないのが奇跡だ。
博多駅を出て10分で我が地元、真島につき、商店街にサイレンが鳴り響く。
自宅兼美容院の『貴腐人』にパトカーを止めると、親父からすぐさまアンナを家に入れるように指示される。
久しぶりにあった親父には圧倒されっぱなしだったが、なんとも頼もしい男だと痛感した。
さすが自称ヒーローだな。無職だけど。
家の扉を開こうとしたら、向こう側から開く。
サイレンの音に気がついてか、母さんと妹のかなでが玄関まで出てきたのだ。
「タクくん! 一体どうしたのその女の子……」
いつも物事にどうじない母だが、俺が初めてつれてきた『カノジョ』に動揺していた。
ていうか、彼なんだけども。
「大変ですわ! その子、キツそう……」
かなではすぐに危険を察知し、俺に「さ、早く二階へ」と誘導してくれた。
「ああ」
戸惑う母さんを置いて、かなでと共に自室へ向かう。
病院という二文字は頭になかった。
自室に入るとかなでが二段ベッドの下に「アンナを寝かせるように」と促す。
俺は言われるがまま、アンナをそっと寝かせる。
アンナを見れば、息遣いがかなり荒くなっていた。
熱がさらに上がっているのかもしれない。
「さ、おにーさまは部屋から出ていってくださいまし!」
「は? なんで?」
俺がそう問いかけるとかなではブチギレた。
「女の子の着替えを見る気ですの? 許しませんよ!」
そうだった……今はアンナという女の子の設定だった。
かなでは彼女の正体をまだ知らないからな。
このまま脱がされたら「おてんてん」にビックリしてしまうだろう。
「あ、いや、あのな……かなで。この娘はお前が思うような女の子じゃないんだよ」
言いながらすごく困った。
なんと説明したらいいものか。
この子はミハイルだよーんとでも言えばいいの?
「おにーさま! 気をしっかり持ってください! 今はかなでに全てお任せください!」
「いや、そういうことじゃなくてだな…」
「大切な彼女様なんですよね? かなではおっ父様に看護の知識を習っています! 安心してくださいな!」
「だからそうじゃなくて……」
俺とかなでで押し問答していると、部屋の扉がダーン! と勢いよく開く。
「タク! なにやってんだ! 女の子に恥をかかすな! そんなにその子の裸を見たいか!」
六弦さんの登場である。
ていうか、もうミハイルの裸なんて見たことあるし。
「親父、勘違いしてないか? 俺はただ……」
と言い訳していると親父に首根っこを掴まれ、強制的に部屋から追い出される。
親父は去り際にかなでへ「あとは頼むぞ」と言い、かなでは「ラジャッ!」と答えた。
さすが震災や災害を生き抜いたふたりである。
連携プレーがすごい。
扉が閉まると、俺は廊下にボトン! と身体を落とされる。
「いってぇ」
尻もちをついてしまった。
「タク、ところでお前、なんでそんな寝巻き来てんだ?」
言われて自身の身体を眺めるとネットカフェのパジャマを着たままだった。
いやん、恥ずかしい。
「こ、これは……」
俺が口ごもっていると親父がニヤニヤ笑いだす。
「なんだぁ? あの子とお楽しみだったか? 色気づきやがって」
違うわ!
「断じて違う!」
「ハハハッ、我が家はいいなぁ。タクも元気だし、かなでも相変わらず巨乳だし!」
最低パパ。
「あとこれ忘れもんだぞ」
そう言ってカゴを出された。
「俺の着替え……」
ネットカフェで乾燥機にかけて使い物にならなくなったTシャツ。
「タク、こんなこと言いたくないが、アオ●ンやるなら天気のいい日にしろよな……」
親父は俺を汚物をみるような目で見下していた。
もうどうでもいいです……。
アンナが俺の自室に入って数時間が経とうとしていた。
リビングの時計の針を見れば、既に夜の11時。
空腹すら忘れていた。
なぜならアンナの身が心配だし、何より妹のかなでが彼女の正体に気がつくことが一番の懸念だ。
俺はひたすらリビングと廊下をウロウロしていた。
座っている気分ではないからだ。
まだか、まだか……とまるで出産を待つ夫のようだ。
それを見兼ねてか、風呂上りの親父が上半身裸でこう言った。
「タク……みっともないぞ。男だろ」
「男は関係ないだろ…」
突っ込む余裕すらなくなっていた。
俺のせいでアンナが高熱を出すまで博多駅でひとり……暴風雨の中、待ち続けたんだ。
責任は重々感じている。
「いいか、タク。こういう時は酒でも飲むに限るぞ? なあ、琴音ちゃん」
「そうよね、六さん♪」
と言って互いに微笑んで見つめあうアラフォー夫婦。
いい歳なんで、イチャつくのやめてください。
母さんはいつもよりか化粧が濃い。痛いBLエプロンではなく、花柄の可愛らしいエプロンを着用していた。
そして、なぜかデニムのミニスカート。
女感がパない。
「タク、なにも食ってないんだろ? 琴音ちゃんのメシを食って待とう」
親父はそう言うとテーブルにどっしり座り込む。
笑顔の琴音ちゃんがビール瓶をおぼんにのせて、六さんのところまで持ってくる。
おぼんの上には枝豆もある。
無職の旦那にVIP待遇でかっぺムカつく。
「タクくん、六さんの言う通り、一緒にご飯でも食べましょ♪」
なんかアンナのこと置き去りにしてません?
お宅ら夫婦水入らずで食べれば?
俺が舌打ちしてイラついていると、親父がブチギレる。
「タク! なんだその態度は!? 琴音ちゃんのメシが食えないってか! 反抗期か?」
なわけないだろ、バカが!
「違うよ……彼女が…アンナが心配で」
俺がそうもらすと親父は「ガハハハ」と口を大きく開けて笑った。
「あの童貞のタクもついに彼女デビューか!? こりゃ赤飯ものだな、琴音ちゃん?」
「そうね、六さん♪」
気がつけば、母さんはなぜか親父の膝の上に尻を乗っけていた。
そして、そのままビールをグラスに注ぐ。
どこのキャバ嬢ですか?
「ハァ……この夫婦は」
俺が呆れていると自室のドアが開く音がした。
ハッとして、廊下に駆け寄る。
かなでは疲れた顔をしていたが、笑っていた。
思わず詰め寄る。
妹の両肩を強く掴んで、揺さぶる。
「かなで! どうなんだ? アンナの様子は!?」
「お、落ち着いてくださいませ。おにーさま」
驚くかなでを見て我に返る。
「す、すまない……」
「彼女でしたら、もう大丈夫です♪ 解熱剤をお尻からぶっすり指しておいたので」
「え……」
絶句する俺氏。
お尻から入れたの?
てことは、パンティ脱がせたんだよね……見ちゃった?
「それから濡れていた服は脱がせて暖かいタオルで拭いてあげました。着替えはかなでのものを代用させてもらいましたわ♪」
「ま、マジか?」
「ええ、とってもキレイな方ですわね」
笑顔が怖い。
いつもなら「キーーーッ!」とブチギレる反応を示すのに(特に女関係は)
今日はいつになく嬉しそうだ。
「そ、そのかなで……彼女のことなんだが…」
妹のかなでにならバレても仕方ないと腹をくくった。
続けて正体を告白しようとしたその時だった。
かなでが人差し指を立てて、俺の口元に当てる。
「しーっ、おにーさま。おっ父様やおっ母様がいますわ……」
小声で呟く。
その目は真剣そのもので、全てを知っている上で語っていた。
「かなで…おまえ」
「とにかくかなでも疲れましたわ♪ 彼女が目を覚まされるまでご飯をいただきましょ」
そう言って笑顔で俺の手を引っ張る。
なんとも頼もしい妹だ。
俺は強引にリビングへと戻され、数年ぶりに家族4人そろって食卓を囲むことになった。
いつになく、食事が豪勢に見える。
普段見慣れない巨大なエビ、イカの活け造り、鯛の塩焼き、下駄サイズのステーキ、キャビア……などなど、テーブルに乗り切れないぐらいの高級食材。
「母さん、まさかと思うがこの食材は親父が帰ってきたからか?」
ちょっと睨んで言ってやった。
「もう~タクくんたらいつもこんな感じでしょ~ 六さんに嫉妬しないでぇ」
するかぁ!
そう言う母さんはずっと親父の膝の上だ。
親父は当然のようにそれを受け入れ、なんなら母さんの腰に左手を回している。
反対の右手で器用にビールをジョッキグラスで一気飲み。
「プッハー! 琴音ちゃんの作ったビールはいつもうまいなぁ!」
「やだぁ、六さんったらぁ」
と言って年がないもなく頬を赤らめ、頭を左右にブンブン振り回す。
ていうかさ、ビールは工場で作ったやつに決まってんじゃん。
「いつ見ても羨ましいですわ、おっ母様」
俺の隣りに座るかなでに目をやると、反対側に座るラブラブ夫婦をじっと見つめていた。
頬がピクピクと痙攣し、心なしか眉間に皺が寄っている。
「かなで、嫉妬しているのか?」
俺がそう言うとかなではギギギッと軋んだような音を立てて首を回す。
「なんのことですの? おにーさま」
引きつった笑顔で答える。
「いや、なんでもない……」
かなでは家族であり、俺の妹なのだが、大前提として血がつながっていない。
震災孤児のかなでは幼いころ、目の前でイチャこいている親父に助けられ、しばらくの間、避難所で一緒に暮らしていたと聞いたことがある。
自称ヒーローで無職の六弦だが、かなでにとっては世界で一番尊敬している人間であり、また淡い恋心を寄せている男でもあるのだ。
俺は父親似だ。
きっとかなでにとって俺は六弦の代替えのようなものだろう。
親父が帰ってきてはこの夫婦のやりとりを見て憤慨している。
それを表すかのように今も握った箸を片手でへし折る。
いつもバカな妹だが、六弦がいるときだけは怖い。
「そう言えば、タク。あの子の名前はなんていうんだ?」
「ああ、あの子はアンナだ」
「金髪だったが外国人か?」
「違うよ、ハーフだ」
「ほう、そりゃカワイイわけだ」
親父が枝豆をつまみながら微笑む。
「ちょっと六さん? 私が世界で一番カワイイんじゃなかったけ?」
眼鏡が怪しく光る琴音ちゃん。
六弦のほっぺをギューっとひねる。
「いてて、違うよ、琴音ちゃん。‟カワイイ”の意味が違うよ。ペットとかお花的な意味だよ」
「なぁんだ、六さんは優しい人だものね」
言いながら自身がつねって赤くなった頬にキスする。
うぉえ! しんどっ!
俺が吐き気をもよおしていると、隣りに座っていたかなでがグラスを床に落とす。
ガシャンと割れる音がした。
「あらやだぁ、かなでったら粗相ですわぁ」
謝ってはいるがキレている。
「おっちょこちょいだなぁ、かなでは」
親父がそう言うと、かなではやっと嬉しそうに笑った。
「ごめんなさい、おっ父様」
「気にするな、かなでは相変わらず無駄に乳がデカいな」
と言って高笑いする。
義理の娘とは言え、堂々とセクハラ発言すな。
「おっ父様たら……」
え? めっさ嬉しそうやん、妹ちゃん。
そして束の間の団らんを家族で楽しんだ。
と、言っても俺はアンナのことで頭がいっぱいだったんだが……。
今は彼女が目を覚ますまで、問題はあとにしておこう。
色々とアンナにも聞くことがあるし、かなでが真実を知ってしまったことも。
ピンポーン!
チャイムが鳴った。
「あら誰かしら?」
母さんがインターホンに出ると、うろたえた。
「琴音ちゃん誰?」
後ろから親父が問うと母さんは「警察の人」と答えた。
忘れてた、博多駅で親父が盗んだパトカーを自宅の前に放置していたことを……。
「親父、どうすんだ?」
「なんだ、ポリ公か……ちょっくら片づけてくるわ」
そう言って六弦は肩をブンブン振り回して一階へ降りていった。
まさかとは思うが、警察官をブッ倒す気じゃないよね?
マジで捕まるよ? 六さん……。
警察官が我が家に、恐らく初めて足を踏み入れた。
応対する親父がどうしても心配…というかおっかないので、俺は階段を降りて一階の様子を見てみることにした。
制服を着た警察官が二人。
屈強な身体をしている男たちだ。
一人の警察官が威圧的に物を言う。
「あなた、パトカーを盗むとか立派な犯罪ですよ!」
と怒鳴り散らす。
するともう片方の警察官は手錠を既に用意していた。
マジか……親父ってばブタ箱行きか。
ま、それはそれでいいかも。
無職のごくつぶしだからね。
だが肝心の親父は彼らの罵声にうろたえることなく、逆に怒鳴り返す。
「うるせぇな! お前らこそ仕事しろよ、バカヤロー!」
ヤクザかな?
警察官の方こそ、親父に圧倒されつつある。
「ちょ、ちょっと私たち警察ですよ?」
「あぁ!? 見りゃわかるよ。威張るだけがポリ公の仕事か!?」
「そういうわけでは……」
「逮捕するなら早くしちまえ。ただお前らあとで後悔することになるぞ」
親父はなぜかほくそ笑む。
なにか裏がありそうだ。
「後悔するのはあなたでしょ!? 窃盗罪で逮捕します!」
警察官は啖呵を切ると親父に手錠をかけた。
それを見て、俺は慌てて階段を駆け下りる。
「お、親父!」
うろたえる俺を見て親父はニカッと歯を見せて笑う。
「心配するな、タク。秒で帰ってくるぜ」
なぜか自信満々でお縄にかかる毒親だった。
「俺のせいで……」
「バカヤロー、てめぇの女を守ることに理由なんていらねぇんだよ」
格好つけてるけど、あなた今逮捕されているからね?
親父は警察官たちにパトカーへ連れ込まれ、サイレンと共に行ってしまった。
数年ぶりに帰ってきたかと思えば、嵐のように去っていったな……。
「ま、犯罪はよくないからな……」
と呟いて俺は二階に戻る。
リビングでは母さんとかなでが何事もなかったかのように食事を楽しんでいた。
時折、笑顔も見える。
夫が捕まったというのになぜか笑っている琴音ちゃん。
さっきまでイチャイチャしてたのに。
「六さんったら相変わらずヤンチャなんだから」
「おっ父様ですもの」
そう言って互いを見つめっては思い出し笑いする二人。
いや、少しは心配してやれよ。
「母さん、親父が逮捕されたぞ?」
一応、情報提供しておく。
「あら、やっぱり捕まったの? ま、すぐに戻ってくるでしょ。今に始まったことじゃないし」
ええ!? 前科あるの?
「パトカーを盗んだんだ。すぐに出所できないだろ……」
俺がそう呟くと母さんは笑って答えた。
「大丈夫よ、六さんのお父様がいるからね」
「親父の? つまり俺のじいちゃんか?」
そう言えば、俺は親父側の祖父と祖母に会ったことがない。
母方の祖母ならたまに会うのだが。
「ええ、六さんのお父様は警視総監だからね。すぐにお父様の計らいで揉み消してくれるわよ」
ファッ!?
「おい初耳だぞ、俺のじいちゃんとか……」
母さんは味噌汁をずずっと飲みながら答える。
「だって私と六さんは駆け落ちしたからね」
「な、なるほど…。だから俺とじいちゃんは会ったことがないのか」
「そうね、でもおじい様はこっそり部下を使ってあなたを常時監視しているらしいわよ」
「……なにそれ」
こわっ!
聞かなかったことにしよう。
俺はあほらしいとため息をついて、食事をとった。
それからしばらくして、親父は宣言通り無事に帰宅した。
帰ってきたと同時に最愛の妻である琴音ちゃんとあつ~い接吻。
しかもディープなやつ。
エグい。
「おい、あんたらちょっとは人目を気にしろよ。年頃の子供たちがいるんだぞ?」
俺がそう言っても六弦と琴音は瞼を閉じて……レロレロレロレロ。
いい加減にしてくれ。
「おにーさま、ちょっといいかしら?」
真剣な眼差しでかなでが俺の袖を引っ張る。
「ん? どうした?」
「アンナちゃんのことで…」
「ああ…」
すぐに察した。
親父と母さんが書斎に入るのを確認してから、かなでとヒソヒソ声で話し始める。
「アンナちゃん……彼女、いえ彼ですよね?」
かなでの言葉がグサッと胸に刺さる。
「そ、そうだ……女のお前に看病させて悪かったな」
俺が頭を垂れるとかなでは「気にしてませんよ」と笑ってくれた。
「ミーシャちゃんですよね」
「なぜわかった?」
かなでは咳払いをしたあと、話を続ける。
「とにかくアンナちゃんのことは、かなでとおにーさまの秘密にしておきましょう」
そう言って小指を差し出す。
「なぜだ?」
「はぁ……おにーさま。アンナちゃん…いやミーシャちゃんがどんな想いで女の子の格好をしていると思っているんですか?」
かなでに言われて、思い出した。
数週間前、告白して俺がふったあと……。
泣きながらいったミハイルの言葉を。
『オレが女だったら……付き合ってたか?』
『じゃあ生まれ変わったら、付き合ってくれよな』
そうだ、ミハイルはあくまで女として生まれ変わったら、俺と付き合うと約束したんだ。
つまり俺に正体がバレていることを知ったら……。
俺の元から……この世界から消えてしまうかもしれない。
改めて俺は自分自身を呪った。
ミハイルがアンナであることはきっと墓場まで持っていかないとダメな気がする。
「わかった……かなで、悪いが付き合ってくれ」
そう言って俺も小指を出す。
「ふふ、二人だけの秘密ですわ」
優しく微笑むとかなでは小指を絡めて約束してくれた。
ただ一つ気になることがある。
アンナが男だというのは裸にすれば、そりゃ誰だってわかるだろう。
しかしミハイルだと断定できたのはなぜだ?
初対面の親父なら仕方ないが、母さんも気がつかなかった。
「なあ、かなで。何故アンナがミハイルだとわかった?」
俺がそう言うとかなでは尋常ないぐらいの汗を大量に吹き出した。
「そ、それはアレですわ……女の勘ってやつですわ」
なんか怪しいな。
「ふむ……まあそういうことにしておこう」
「それより、アンナちゃんの顔を見にいってあげたらどうですか?」
無理やり話題を変えられた気がする。
だが確かにアンナを心配だったのは事実だ。
「わかった。ちょっと見てくる…」
「かなではおっ母様の部屋で寝ますから、お二人で仲良くされてくださいな」
「え……」
「アンナちゃんとは一回一緒に寝ているから問題ないでしょ?」
「それミハイルだろ……」
頭がこんがらがってきた。
俺はかなでをリビングに残して、自室の扉を静かに開く。
二段ベッドの下でアンナは可愛らしいピンクのパジャマを着て寝息を立てていた。
おでこに手をやるとだいぶ熱が引いているのが確認できた。
「寝顔もかわいいな」
俺がそう呟くと、瞼がパチッと開いた。
思わずのけぞってしまう。
「タッくん……?」
アンナが目を覚ました。
しまった、聞かれたか?
「アンナ、大丈夫か?」
「うん……ここはどこ?」
まだ声に元気がない。
「俺の家だ。いきなり連れてきてしまってすまない……」
一応、初めてきたことになっている設定だからね。
貫き通さないと……。
「そっかぁ、夢にまで見たタッくんのお部屋かぁ」
よくそこまでウソつけますね。
「まあこのベッドは妹のなんだけども…」
「妹さんの?」
「そうだ、着替えも看病も俺の妹。かなでがしたから安心してくれ」
女の子の設定だから紳士的にふるまう。
俺がそう言うとアンナは目を見開いて驚いていた。
「そっかぁ……妹さんがしてくれたんだね。お礼を言わなきゃ……」
アンナは身体を起そうとしたが、まだフラついている。
それを見た俺はすぐさま彼女を枕に戻す。
「まだ寝ていろ。嵐の中ずっと雨風に打たれていたんだ」
俺はそう言うと改めて自分のやったことを後悔する。
うなだれた俺にアンナがそっと手を握る。
「でもタッくんは来てくれた。それだけで待ったかいはあったよね☆」
はにかむ彼女の笑顔を見ると俺は涙を流していた。
「す、すまない……アンナ。こんな思いはもうさせないから」
俺は人前で泣いたことなんてあまりないが、安心したせいか大声で泣きじゃくった。
するとアンナが優しく俺の頭を撫でる。
「タッくんの初めてまたもらっちゃった☆」
「え?」
「泣き顔☆」
俺はしばらくアンナの手を取り、泣いていた。
それをアンナが見つめて優しく微笑む。
彼女の方がキツいはずなのに、まるで俺の方が看病されているようだ。
「タッくん……」
まだアンナの声は元気がない。
「どうした?」
「ちょっと寝てても……いいかな?」
そう言うアンナはかなり無理していたようで息遣いが荒い。
熱がまた出てきたのかもしれない。
俺は「休んでくれ」と言い、彼女から手を離そうとした。
だが、アンナが強く引き止める。
「タッくんがいいならこのままがいい……」
「わかった……安心しろ。このままアンナを見守っているから」
俺は改めて彼女の手を両手で握りなおす。
時折、親指でアンナの指を愛らしく触れる。
「わがまま言ってごめんね……」
アンナはそう言うと、こと切れたかのように眠りに入った。
「ふぅ……」
まだ安静にしておかないと、いけないのかもしれないな。
自室の時計を見れば深夜の2時を迎えようとしていた。
俺は静かにアンナの寝顔を見つめる。
まだ苦しそうで、「ハァハァ」と息が荒く、頬も赤い。
その時、部屋の扉がノックされた。
俺が答える前にドアは開き、暗い部屋の中に現れたのは妹のかなでだった。
小声で俺に話しかける。
「おにーさま、アンナちゃんの様子はどうですか?」
「解熱剤の効果が切れたようだ。熱がまた高くなったのかもしらん」
俺がそう言うとかなでは体温計を持ってきて、「ちょっといいですか?」と俺の隣りに座る。
そしてアンナのパジャマのボタンを少し外す。
思わず俺は視線を外す。
今のアンナはあくまでも女の子なので……。
それを見てか、かなでがクスッと笑う。
「おにーさまはやっぱり、まだまだ童貞臭いですね♪」
「悪かったな」
言いながら頬が熱くなる。
かなでは熱を計り終え「39度ありますわ……」と教えてくれた。
「やはり病院に行くべきだったんじゃないのか?」
俺がそう苦言を呈すると、かなでは首を横に振る。
「確かに一理ありますが、見たところ大雨に打たれての発熱でしょうから。一時的なものですわ」
医者かよ。
かなでは人差し指を立てて、うんちくを話し出す。
「それに……この時間だと深夜の受付になりますわ。待たされるだけ待たされて出されるのは解熱剤だけですもの。患者さんからしたら横になって平日の時間帯に受診するのが一番ですことよ」
「なるほどな…」
てか、なんでこいつそんなこと知ってんの?
「さ、氷枕を準備してきましたので変えましょう」
「用意いいな、かなで」
我が妹ながら高スペックナースである。
かなではそっとアンナの枕を取り換え、冷えピタをおでこに貼る。
その間も俺はずっとアンナの手を握ったままだ。
「随分、大事なんですね。アンナちゃんのこと」
かなでは嬉しそうに笑った。
「ま、まあな。カノジョではないぞ、あくまで取材対象だからな」
念を押しておく、正体がミハイルとバレているだけに。
「そういうことにしておきますわ♪」
クッ! 弱みを握られてしまった……。
「ところで、かなで。お前こんな時間なのにまだ起きてたのか?」
俺がそう問いかけるとかなでは、急に態度を変えてムスッとした。
「うるさくて眠れないんですのよ……」
眉間に皺を寄せて、扉の向こうを首でクイッとさす。
「うるさい?」
俺がかなでの答えに首を傾げいていると、ガタガタッとベッドが揺れた。
「なんだ!? 地震か?」
すかさずアンナを抱きしめて守りに入る。
ほのかな甘い香りが漂い、ハプニングとはいえ、興奮してしまいそう。
だがかなでが俺の襟を掴んで強制的に戻される。
「グヘッ!」
「なにどさくさに紛れてアンナちゃんに襲ってるんですの? 病人をレ●プとかマジ鬼畜ですわ!」
いや、してないし。
「地震と思ったから……」
「そんなご大層なもんじゃありませんわ」
腕を組んで「フン!」とキレるかなでさん。
「どういうことだ?」
「おにーさまも察しが悪いですわね……おっ父様が久しぶりに帰ってきたのですわよ?」
「……まさか」
俺は一旦アンナから離れて扉に耳を当てる。
扉の向こう側、つまり廊下からなにやら騒がしく聞こえてくる。
「あーーーん! 六さぁん! すごぉい!」
「オラオラァ! 琴音ちゃん、どうだぁ! 感じているかぁ!?」
「か、快感!」
「……」
俺はすっとアンナの元に戻り、手を優しく握ってあげた。
その間もベッドというか、部屋全体に激しい振動が伝わってくる。
「かなで、母さんは親父の部屋か?」
「ええ、かれこれ3時間ほどですわ……」
「タフだな……」
年頃の息子は血の気が引き、義理の娘は激おこぷんぷん丸だった。
「おにーさまさえ良ければ、この部屋にいてもいいですか?」
「構わんぞ、なんか俺の両親が悪いな」
「いえ、かなでの両親でもありますので……」
と答えつつも声が冷たい。
~それから夜明けを迎え~
カーテンの切れ目から日差しが入り込む。
眩しい明かりで、俺は目が覚める。
気がつくと、俺はかなでと隣り合わせで仲良く毛布にうずくまっていた。
目の前のベッドを見ると彼女の姿がない。
「アンナ!?」
俺が急に立ち上がったため、もたれかかっていたかなでが床にゴロンと倒れる。
「いったい! ですわ……」
頭をさするかなでを無視して部屋を出る。
廊下に出たが人気はなくトイレかと思い、ノックしたが応答はない。
次に風呂かと思って、脱衣所をチラっと確認したがやはり誰もいない。
もしや、正体がバレたことにショックを受けて……。
最悪の予感が俺を襲う。
その時だった。
リビングの方からトントントンと、一定の拍子で何かを叩くような音がする。
俺が恐る恐る近づくと、そこにはエプロンをかけた彼女の後ろ姿が。
ピンクのパーカーとショートパンツのパジャマ。
金色の長い髪を首元で左にくくっている。大きなリボンで。
何かを鍋でぐつぐつと煮ていて、お玉で小皿に注ぐと味見していた。
「アンナ……」
俺がそう呟くと、彼女はそれに気がつき振り返る。
するとそこには満面の笑みで、元気な彼女が答えてくれた。
「タッくん! おはよう☆」
「ああ……」
俺は言葉を失っていた。
心配していたことよりも以前『夢』に出てきたような光景に。
朝早くから俺のために料理をして、可愛らしく微笑む彼女が『夢のミーちゃん』にそっくりだったからだ。
ただし違和感があるとすれば、エプロンだ。
母さん愛用の裸体男たちが「アーーーッ!」している痛いBLエプロンを着用していた……。
「もういいのか? アンナ……」
「うん、ぐっすり寝たら元気になったよ☆」
「そ、そうか……」
「ちょっと待っててね、今お味噌汁作ってるから……」
そう言うと彼女は俺に背を向けた。
鼻歌交じりにお玉で鍋を回す。
同時進行で隣りのガステーブルで卵焼きを作っていた。
俺がその姿に言葉を失い突っ立っていると、アンナは苦笑いして「テーブルに座ってて」と諭す。
「ああ……」
なんて美しい姿なんだろう。
確かに今までアンナがカワイイと何度も思ったことはある。
だが俺の自宅で、普段母さんや妹のかなでがいるだけのこの空間にアンナという一輪の華がそえられただけで世界が変わってしまった。
まるで……そうまるで…俺とアンナだけの二人きりの世界。
同棲、いや結婚しているようだ。
「うん、いい出来かな☆」
彼女は味噌汁の入った鍋に蓋をし、卵焼きを皿に移す。
すると冷蔵庫から新しい卵を取り出して、また焼きだす。
どうやら俺たち家族全員分を作ってくれているようだ。
その際、何かを思い出したかのように、俺にたずねる。
「タッくん、睡眠不足じゃない? コーヒー飲むでしょ☆」
「そ、そうだな……」
コーヒーポッドで淹れた温かいブラックコーヒーをマグカップに注ぐ。
「ハイ☆ これ飲んでもうしばらく待っててね☆」
「ああ…いただきます…」
なんだろう……このまま時間止めてもらってもいいですか?
気がつくとアンナは、テーブルに乗りきれないぐらいのおかずを並べていた。
鮭、卵焼き、ウインナー、サラダ、味噌汁、ひじき、きんぴらごぼう……。
一体、この短時間でどこまで仕込んでいたんだ。
「ふぁあ……おっ! なんだこのメシは!?」
親父はタンクトップにトランクス姿という、だらしのない格好で現れた。
「キャッ!」
思わずアンナが目を手で覆う。
「おっと。彼女ちゃんがいたか、悪い悪い」
とヘラヘラ笑いながら一旦部屋に戻る。
「すまない、アンナ。親父はデリカシーなくてな」
てか、あなたも男だから寛大になりなよ。
どこまで乙女なの?
「ご、ごめん。あの人、タッくんのパパさんなの?」
なんか言い方がいやらしく聞こえるのは俺だけですか。
パパ活しちゃダメよ。
「ああ、そうだ。無職だが」
「そうなんだぁ……タッくんに似ているね☆」
え、あんまり嬉しくない。
「よく言われるよ、不本意ながら」
テーブルに肘をつき、手のひらに顎を乗せていると、誰かが頭のてっぺんをブッ叩く。
「誰が無職だ! いつも言っているだろ、俺はヒーローだと!」
犯人は自称ヒーロー。
英雄なら暴力しちゃダメでしょ。
「いってぇ……」
「ところでタク。このお嬢さんのお名前は?」
親父がそう手のひらをアンナに向ける。
するとアンナはカチコチに固まってしまった。
こんな親父に緊張しなくてもいいのに。
「ああ、古賀 アンナだ」
「ど、どうもお父様。アンナです。タッくん……いや琢人くんとは日頃から仲良くさせていただいてます」
かしこまりすぎ。
「そうかそうか、アンナちゃんか。君はタクと付き合っているんだろ? タクのことをこれからもよろしくな。こいつバカで変態だけど」
おい! 最後の一言、人格否定だぞ!
「あ、あの……そのアンナとタッくんは…そのぉ」
頬を赤くして、しどろもどろになる。
どうやら付き合っていることを否定したいみたいだが、説明に困っているようだ。
何度か俺のほうをチラチラと見ては助けを求める。
「あのな親父。俺とアンナはそういう仲じゃないんだよ」
そう言うと、親父は目を丸くした。
「は? お前さんたちどう見ても付き合ってるだろ? 雨の中でびしょ濡れになるまでお互いを気にし続けるような仲じゃないか……って言っているこっちが恥ずかしいわ」
改めて親父にそう回想されると、俺もなんだかめっちゃはずい。
「あ、あのひょっとしてお父様がアンナを助けてくれたんですか?」
アンナがそう聞くと、親父はニカッと歯を見せて笑う。
「助けたのはタクだよ。俺は少し車を運転しただけだ」
違う、そうじゃない。
正しくは窃盗したパトカーを無断で運転しただけ。
「そうだったんですね……でもありがとうございます!」
アンナはその場で深々と頭を下げた。
「良いって良いって、俺は人を助けるのが趣味みたいなもんだから」
若い女子に褒められたもんだから、鼻の下を伸ばして頭をかく。
アンナは顔を上げると俺の方をチラッと見て、優しく微笑んだ。
「それからタッくんも……」
「お、おう……」
俺はアンナに釘付けだった。
親父の存在は無視して、アンナのグリーンアイズに引き込まれる。
彼女も俺を見つめ、声には出さなかったが唇だけを動かした。
「あ・り・が・と」
頬が熱くなるのがわかる。
俺とアンナの甘い二人だけの時を遮断したのは気色の悪い無駄乳だった。
「アンナちゃーーーん!」
妹のかなでが彼女に飛び掛かる。
そして中学生には似合わない巨乳をアンナの顔にゴリゴリとなすりつける。
「うぶ……」
息できてない!
「はぁん、カワイイ、カワイイよん。アンナちゃんってば~」
そう言うとアンナの白くて柔らかそうなほっぺに自身の頬をすりすり。
「あっ!」
思わず声が出てしまった。
俺でさえしたことないのに!
「く、くるし……」
本当に苦しそうだったので、さすがに止めに入る。
「おい、かなで。アンナが苦しそうだ。そろそろやめてやれ」
俺がそう言うとかなでは「ハッ」と我に返る。
「おいたが過ぎましたわね……ごめんなさいまし」
かなではやっとのことで彼女から離れると、スカートの裾を軽くたくし上げて、頭を下げる。
「はじめまして。私、おにーさまの妹、かなでと申しますわ」
言うて二回目の自己紹介だけどね…。
「え……何を言っているの? かなでちゃ……」
とアンナも設定を忘れていたようで、言いかけた途中で口に手をあてる。
それを見ていた親父が、すかさずつっこむ。
「おん? アンナちゃんはかなでと知り合いか?」
ヤバい、もうボロが出だした。
「あ、いえ、その……」
尋常じゃないぐらいの大量の汗が、額から吹き出すアンナ。
俺が助け舟を出す。
「違うんだよ、親父。アンナのいとこに俺のダチがいてな。そいつからかなでのことを聞いてたらしい」
アンナ=ミハイルなんだよなぁ。
「なるほど……」
いとも簡単に納得してくれたバカ。
しばしの沈黙のあと、お袋がよろよろしながらリビングに現れた。
腰が曲がっていてなんか逝く前の老人みたい。
「六さんや……私を座らせておくれ……」
いや話し方まで老けちゃったよ。
「おお、琴音ちゃん。腰がブッ壊れたか」
「え、腰?」
俺はそのワードにしばらく囚われた。
かなでがそれにいち早く気がつき、俺に耳打ちする。
「おにーさま、昨晩の例のやつですわよ……」
そういうかなでの声は凍えるような冷たい声だった。
あ……察し。
母さんは親父に介護されながらテーブルのイスに座った。
ヤリすぎて腰をぶっ壊したらしい。
「いやぁ、昨日はスッキリしたなぁ」
親父はゲラゲラと品のない大声で笑い、それを見たかなでは「フン」と不機嫌そうに首を横にやる。
「そうですねぇ……六さんはまだまだ若いですからねぇ……」
琴音おばあちゃん、認知症入った?
「なんかすごくいいご家族ですね☆」
何も知らないアンナが屈託のない笑顔でそう言った。
事実を知っている俺とかなでは苦笑い。
「そうか?」
「……」
無言の圧力をかけてくる妹氏。
「だろ、俺の自慢の家族だよ! いつまでもカワイイ琴音ちゃん」
と言って、ヨボヨボ母さんにほっぺチュー。
「うわぁ大胆☆」
アンナはなぜか嬉しそうだ。
「それにオタクのタク!」
と言って失礼な紹介をするクソ親父。
「うんうん」
なぜか納得するアンナちゃん。
「最後は無駄に乳がデカいかなで!」
と言ってかなでの顔ではなく乳を指差す。
「え……」
これには絶句するアンナだったが、例外が一人。
かなでだ。
「も~う! おっ父様ったら~!」
「じゃあ自己紹介が済んだところで、アンナちゃんお手製の朝ご飯をいただくとするか!」
なぜお前が仕切っている六弦?
仕方ないので俺は親父に従って、長いすにアンナ、俺、かなでの順で座る。
反対側には弱り切った母さんと親父。
「よしみんな手を合わせて~」
一人、合掌したら死にそうなご婦人がいるんだけど。
「「「「いただきまーす!」」」」
俺はアンナが愛情たっぷり注いで作ってくれたご飯を堪能する。
「うむ、アンナの料理はいつ食べてもうまいな」
「ただの卵焼きだよ、それ☆」
言いながらも嬉しそうに笑うアンナ。
「いや、俺好みの甘い卵焼きだ……俺は卵焼きのプロだが、それを凌ぐ腕だな」
ソースは俺。
卵焼きだけを焼き続けて早十年。
この境地に至るまでにどれだけのひよこたちを犠牲にしたのやら。
悔しいがアンナは俺と同等かそれ以上だ。
かなでも「う~ん、おっ母様よりもおいしいかも~」とアル中のように喜ぶ。
ふと反対側を見ると、親父が母さんに「あーん」と鮭を口に運んでいた。
いつもなら、こんなことはないのだが……。
逆に母さんが親父に「あーん」してあげることは多い。特に夜。
だが今日の母さんは弱りきっているため、ただの介護だ。
「もしゃもしゃ……アンナちゃんはこんなおいしいご飯作れるんだねぇ。タクくんを……お嫁さんにしておくれぇ」
いや、逆だろ? 俺がアンナを嫁にしないと。
マジでボケた……?
「は、はい! お母さま、必ずや!」
なぜか真に受けるアンナ。
そして、何を思ったのか、鮭を箸で取り俺の口元へ。
「ん? どした?」
「あ、あ~ん……」
頬を赤くしながら上目遣いで、箸を俺に向ける。
しばらく俺はその行動に困惑していた。
すると隣に座っていた、かなでから肘うちを食らう。
「グヘッ!」
かなでは味噌汁を啜りながら呟いた。
「女の子に恥をかかせないで」
俺は従うしかなかった。
「あむっ」
「ど、どう?」
「うまい……」
「良かったぁ」
緊張がほぐれるアンナ。
しかし俺が懸念していることは鮭の中に骨があったことだ。
出したいが失礼かと思い飲み込んだ。
俺はアンナお手製の料理を、終始お口に「あーん」してもらっていた。
まあ対面の熟年夫婦も同じことしてたんだけど。
例外なのは妹のかなでだけ。
ひとりイライラしながら黙々と食べていた。
あれほどテーブルに乗り切れなかった豪勢な食事を5人でペロッと食べてしまった。
「アンナちゃん、ごちそうさま!」
親父が豪快に手をパチンと叩いて礼を言う。
「うう……おいしかったですよ…アンナちゃんや」
腰が曲がった母上も。
「ホントですわ♪ 毎日アンナちゃんに作ってもらいたいぐらいですわ! おにーさまのお嫁さんになっていただけたら一番です♪」
かなでがそう褒めちぎると、アンナは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「あ、あのお粗末様でした……」
と呟いたあと、隣りの俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で囁いた。
「お嫁さん、か……」
間に受けているぅ~!
食事を終え、アンナはボロボロの母さんを見て、「食器の片付けしておきます」と言い、俺たちが食い散らかした皿を全てキッチンのシンクに入れる。
そして洗剤をスポンジにつけて泡立てると、器用に洗い出す。
「随分、慣れているんだな……」
俺はテーブルで食後のコーヒーを楽しみながら、アンナの後ろ姿を見つめる。
彼女は洗いながら上半身だけ振り返る。
「うん☆ パパとママがいなかったから、どうしてもアンナがやらないといけなかったし、それにこういうの大好きだから☆」
と満面の笑顔で答える。
ヤバい、有能すぎるこの子。
早く嫁に欲しい。
「そうか……アンナは頑張り屋だな」
俺が感心していると、母さんが「私は横になりますよぉ……」と曲がった腰に手を当てて、自室へと戻る。
かなでも「アンナの服を洗濯してくる」と去っていった。
リビングに残ったのは俺とアンナ……それにニコニコ笑っている親父。
邪魔だな、こいつ。
「なあタク」
「ん?」
俺に用があるときは決まっている。
一つしかない。
「お父さん、今からまた旅に出ないといけないんだ……たくさんの人々を助けるからな」
と言いながらどこか遠い目をして、格好つける。
「はぁ……金か?」
俺がため息交じりに答えると、親父は目の色を変えて喜んだ。
「そうなんだよ! 金がないとさ、どうしてもヒーローはやってられないからなぁ」
やめちまえ。そしてさっさとハローワークに登録してこい!
「はぁ……いくらだ?」
情けない、実の子に金を無心するとは。
「10万ぐらいあったら……」
神頼みするように手を合わせて、目をつぶる。
俺は汚物を見るかのように、六弦というクズを見下す。
「高い!」
無職にくれてやる金額ではない。
「じゃあ、8万で……」
どんどん親父としての威厳がなくなっていく。
これではどちらが子供かわからない。
「はぁ……こっちも親父が無職だから、家庭は火の車なんだよ」
主な収入源は母さんの美容院と俺の新聞配達から成り立っている。
それでもカツカツ。
たまに少ないライトノベルの印税が入るぐらいだ。
「いつも苦労かけてすまんな、タク! だがさすが俺の息子だ、父さんがいなくてもしっかり母さんを守ってくれるし、可愛い妹のかなでをおかずにするし……」
してねぇ!
それまで黙って皿を洗っていたアンナが、話を聞いてガシャン! と何かを落としてしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「大事ないか? ケガは?」
「だ、大丈夫……」
平常心を装っているようだが、苦笑い。
おかずの意味をしってしまったのかね?
親父はそれには構わず、話を続ける。
「頼む! 7万ぐらいくれ! この通りだ!」
そう叫ぶとなにを思ったのか、親父はテーブルから飛び降りるようにして、フライング土下座をかます。
額を床にゴリゴリとなすりつけて。
アンナもその姿を見てドン引きしていた。
何が起こっているのかわからず、動揺している様子だ。
アンナがいなければ、1万しかやらんが彼女のためだ。
許してやるか。
いつもならこんなに寛大ではないぞ、親父。
彼女に感謝するんだな。
「わかったわかった……もう頭を上げてくれ、六弦」
既に名前を呼び捨て。
「おお! さすが俺の息子だ!」
泣いて喜ぶ親父。
本当に俺とあなたは血が繋がってます?
繋がってないからこんなにも非情なことができるんじゃないですか?
※
自室の机から福沢諭吉を7人連れてくると、親父に差し出す。
それを奪い取るかのごとく、バシッと手にするクズ。
「おお! これでしばらくはヒーロー業を続けられるよ!」
7枚揃った万札をうちわのように広げて、目を輝かす。
「無駄遣いするなよ……」
いや、俺ってお母さんかよ。
「ああしないよ!」
親父はそう言うと、大金をぐしゃぐしゃと丸めて、雑にズボンのポケットに突っ込む。
そして、自身の書斎に戻り、クタクタになった肩掛けバッグを背負ってきた。
「じゃ、お父さんはそろそろ出発するわ!」
ファッ!?
「もう行くのか? 母さんに挨拶したらどうだ?」
「え、お父様、もうお仕事に行かれるんですか」
アンナはタオルで手を拭きながら、親父のもとへ駆け寄る。
「ああ、俺の仕事は休みがなくてな……」
いや年がら年中、お前は休みだろ。
「そうなんですかぁ…せっかく素敵なお父様に会えたのに」
心なしかアンナは寂しそうな顔をした。
こんなやつにそんな顔をするなよ、もったいない。
俺に使って?
「アンナちゃん……タクのことをよろしくな!」
そう言って彼女の華奢な肩に手を触れる。
どさくさに紛れて触るんじゃねぇ!
「は、はい☆」
天使の笑顔でお見送り。
「タクはオタクで変態だけど、いい奴だからさ」
ねぇ、けなしてる?
「あ、わかっているんで大丈夫です、お父様☆」
アンナちゃんまで!
「改めて見るとデラぁべっぴんさんだなぁ……タクにはもったいないぐらいだ!」
変な褒め方しないでください。
「や、やだぁ。お父様ったら……」
頭を左右にブンブンと振り回すべっぴんちゃん。
「じゃ、タクの子供を期待しているぜ?」
「へ……?」
絶句するアンナ。
なんて酷いセクハラ親父だ。
「タク! ちょっくら、いってくらぁ!」
「おお……」
もう帰ってくんな、このごくつぶしが。
「こ、こ、こ……」
アンナは先ほどの親父の言葉でバグっているようだ。
親父は文字通り、台風のように帰ってきて半日もしないうちに旅に出た。
母さんやかなでにも挨拶もせずに。
あんな大人だけにはなりたくない。
「タッくん……赤ちゃんもラブコメに必要……かな?」
「え……」
そもそもあなたとは作れないじゃないですか。いまのところ。
ラブコメには関係ないと思われます。
アンナが食器を洗い終わり、乾燥機のスイッチを押す。
台拭きでテーブルまできれいにしてくれる。
なんて万能な嫁候補なんだ……。
そうこうしていると洗濯機を回し終えた妹のかなでが戻ってきた。
「あれ、おっ父様は?」
俺は呆れなら答えた。
「さっき出ていったよ。また救いの旅だとよ……」
救うなら家族からにしろよって話。
かなでは特に驚くこともなく、「あ、そうでしたか」と受け流すように答える。
「それより、アンナちゃん。この後どうしますの?」
鼻歌でテーブルを拭いていたアンナが手の動きを止める。
「え? このあと?」
「そうですわ。アンナちゃんの着ていた服は、びしょ濡れだったので今外に干しています。乾くまでには一日かかりますよ?」
かなでがそう教えるとアンナは「ハッ」と驚いて口に手をやる。
「あ、そっか。かなでちゃんのパジャマじゃ、お家に帰れない……」
そういう事か、盲点だった。
「お二人とも、今日のご予定は?」
「ん? 俺は別に」
「アンナはタッくんと……昨日のデートのやり直しをしたいかな」
あなた、つい数時間前まで高熱だったの忘れてます?
タフですね。
「しかし、服がないのだろう?」
「う、うん……」
正直、今彼女が着ているかなでの服もかなり余裕がある。
女のかなでより、細い体つきということだ。
「いい案がありますわ!」
人差し指を立てて、胸を張るかなで。
より巨乳が目立ち気持ち悪いです。
「なんだ?」
「これですわ!」
かなでが後ろから取り出したのは、使えなくなった俺の愛用グッズ、タケノブルーのキマネチTシャツだった。
「小さくなったからアンナちゃんにピッタリ♪」
「に、似合っているかな?」
そう言うと、天使は恥ずかしそうにTシャツの裾をつかむ。
丈が短く、へそが丸出し。
そして、俺がこの世で一番尊敬するお笑い芸人であり、映画監督でもある世界のタケちゃんの伝説ギャグ‟キマネチ”のロゴが入っている。
ブルーのTシャツとは対照的に、下はピンクのチェック柄のミニスカートをはいていた。
ギャップ萌えである。
「か、かわいい……」
なんということだ。
俺の尊敬するタケちゃんと天使のコラボである。
ついでに、俺自身も同じロゴのTシャツを着ている。
彼女とは違い、色はブラック地だが。
「フフッ、タッくんとおんなじだね☆」
そう言うアンナは、恥ずかしそうに笑う。
俺とアンナのやり取りをそばで見ていた妹のかなでが頷く。
「うんうん、若いってのは、いいですわねぇ~」
いや、中学生のお前に言われたくない。
朝ご飯を食べ終えたアンナは、妹のかなでが用意した服を着て現れた。
別に狙ったわけではないが、俺もタケノブルーのブランドしか着ないため、自ずとペアルックになってしまったのである。
「しかしペアルック……てのは恥ずかしくないのか、アンナ?」
言っていて、俺も頬が熱くなる。
「ううん、タッくんが嫌じゃなければ、アンナは嬉しいかも……」
顔を赤らめて、リビングの床を見つめる。
「ならばいいのだが……」
男同士でペアルックってしんどくない? って意味でもあったのだが、アンナが良いのだからいいんだろう。知らんけど。
かなでが俺とアンナの肩を、トントンと交互に叩く。
「これは……アレですわ!」
眉間に皺をよせて、なにかを考えている。
「なんだ?」
嫌な予感がするが、一応聞いてみた。
するとかなでは、太陽のようなすがすがしい笑顔でこう答えた。
「取材ですわ!」
それ、言うかと思ったぁ。
「そ、そうだよね! さすがはかなでちゃん☆」
便乗すんなよ、アンナ。
「ですわ、ですわ! 童貞のおにーさまにはペアルックも経験させておかないと、小説に使えませんもの」
女の子の前で、童貞言わないでください。
いや、かなで以外に女の子はいなかったね……。
「ふむ……ま、それもいいかもな」
俺も何気にノリ気だった。
なんていうか、今までは取材対象としてアンナと街をふたりで仲良く歩いているはいるが、傍から見たら知人や友人に見られることもあるだろうと思っていた。
だが、ペアルックなら別だろう。
取材相手とはレベルが違う。
ほぼ100%、恋人として認識されるのだ。
アンナは俺のもの、俺はアンナのものという仲良しガキ大将的な発想に至る。
※
俺とアンナは貴重品だけ持つと一階の玄関に向かった。
なぜなら、昨晩、俺の所持品も彼女のバッグなどもびしょ濡れだったからだ。
一階に降りると、俺のスニーカーも濡れていたことに気がつく。
アンナも同様だ。
俺は自宅なので他の靴があるのだが……。
「あ、どうしよう。パンプスびしょ濡れだ…」
肩を落とすアンナ。
そこへ妹のかなでが、階段を降りてくる。
「これを使ってくださいな、アンナちゃん」
かなでが持ってきたのは、少し大きめの白い箱だった。
「なんだそれ?」
俺がそう言うと、かなでは胸を張って自信満々で答えた。
「フフン、よくぞ聞いてくれましたわ! こんなこともあろうかと、アンナちゃんに似合いそうなパンプスを買っておきましたの」
「はぁ?」
思わずアホな声が出てしまった。
「え、でもサイズ合わないんじゃない? アンナ、足けっこう小さいから……」
確かにアンナは女の子……いや男にしては小さな脚だ。
かなでも、別に大きいほうではないのだが。
「心配ご無用ですわ!」
自身の胸をポンと勢いよく叩く。
すると無駄にデカい乳がブルンと揺れた。
「ちゃんとアンナちゃんのサイズを計測したうえで買いましたもの!」
「え……」
絶句するアンナ。
そりゃそうだろ、初対面の設定だよ?
気持ち悪いよ……。
「なんで会ったばかりのアンナの足のサイズを知っているんだ、おまえ……」
肘でかなでの腹を小突く。
設定を忘れてないか? という意味をこめて。
すると、かなでは「ハッ」とした顔で目を見開く。
「こ、これは……アレですわ。アンナちゃんのいとこのミーシャちゃんから聞いていて……それで買っておいたんですわ!」
いや、最後、無理やりすぎる言い訳だろ。
「そ、そうなんだ! うわぁ、アンナ嬉しいな☆」
苦笑いでその場をなんとか、おさめようとするアンナ。
時折「ねぇ」と女子同士で謎のウインクをかわす。
こいつら、やはり裏で繋がっているんじゃないのか?
「まあ細かい説明はいらんだろう。すまないな、かなで。その靴代は俺があとで払うよ」
「いいえ、かなでが勝手にやったことですので……」
珍しく遠慮するかなで。
「いや、アンナが払うよ!」
なすりつけあいが始まろうとしたので、俺が左右に立っていた二人に両手を差し出し黙らせる。
「ここは男の、俺の面子を立ててくれ。取材対象とはいえ、仮にも大事な女性のものだ。パートナーの俺が払う……いや、払いたいんだ」
そう言うと、アンナは驚いた様子だった。
「タッくん…」
アンナは俺の男気に圧倒され、頬を赤く染めていた。
「おにーさま、了解ですわ! ではあとで1万2千円くださいな!」
たかっ! 言わなきゃよかった……。
「オーライ、ローンでおけ?」
「ノン、キャッシュで一括ですわ!」
「オーノー」
※
昨日の台風はどこへやら。
地元の真島商店街は雲、一つない穏やかな空で、日差しがポカポカと俺たちをあたためる。
「うわぁ天気よくなったね☆ デート日和だね」
アンナは俺より一歩先に進んで、腰だけひねって俺に顔を見せた。
「ああ、そうだな」
俺も安心しきっていた。
昨日は本当に天気だけじゃなく、波乱の一日だったからな。
天気まで俺たちのデートを祝福してくれているかのようだった。
二人して仲良く商店街を抜けて、JR真島駅へ着く。
まだゴールデンウィークということもあって、人の出入りは激しく、みなどこかへ遊びに行く風貌だった。
ふとスマホを取り出し、ニュースを確認する。
博多どんたくが再開されたかを知りたかったからだ。
しかし、俺の思惑とは相反して、別の通知が激しく点滅していた。
「あ……やべ」
忘れていた、アンナの救助と看病で存在を忘れていたというか、脳内から消し去っていた。
通知画面にはメールと電話の履歴が200件以上。
全部、三ツ橋高校のリアルJKこと赤坂 ひなた、その人である。
メールを最後のほうを確認すると……。
『‟おめとど”のコミックス全巻読み終わりましたけど?』
『ここのたこ焼きおいしいですね』
『朝になったので、いま帰ります……』
最後のメッセージ、病んでる……。
ど、どうしよう!?
俺が駅のホームでスマホと格闘していると、アンナが声をかける。
「どうしたの? タッくん……」
ヤバい。ひなたのことを知られると、また修羅場だ。
ここは話題を変えよう。
考えろ、俺氏……。
「そ、そうだ! 今日はところで、どこに行くんだ?」
俺がそう言うと、アンナはムッと頬を膨らます。
「もう! 天神に行くって約束してたでしょ?」
「あ、そうそう! 天神、天神!」
とバカみたいに、知育玩具のCMのような発言を連呼してしまった。
「そうだよ、アンナは初めてだから、しっかりエスコートしてね☆」
どうやら話をそらすことに成功した。
俺はこっそりとスマホでメールを素早く打つ。
『ひなた、本当にすまない。この埋め合わせは必ず』
とだけ返信した。
するとすぐに「ブーッ」と振動した。
『了解』
ひとこと……その一言が怖い。
絶対怒っているよね…。
俺が冷や汗を流していると、アンナが腰を曲げ、俺の顔をのぞく。
元々、メンズのTシャツだったこともあって、胸元ザックリと開いている作りだ。
彼女のブラジャーがチラっと見える。
「もーう! 誰か他の女の子とメールしてるぅ」
「アハハ、前に話したことあるかな? 出版社のロリババアだよ」
すまん白金。
「なぁんだ、出版社の人か」
安心するアンナ。
だが、彼女も何気なくスマホを見ると、顔色が一変し真っ青になる。
スマホを持つ指が、めっさ震えてる。
「どうした、アンナ?」
「あ……あ、いや、あのアンナ、夜に帰らなかったから、ヴィッキーちゃんから連絡が入ってて……」
ファッ!? そうだった、アンナの不在はミハイルの不在だった!
「なぜミハイルんとこのヴィッキーちゃんがアンナに電話を?」
設定、設定!
「あ、それはね、ミーシャちゃんがアンナと仲良し……だからかな?」
なぜ疑問形?
あのあと、アンナは俺に背を向けると口元を手で隠しながら電話をしていた。
ヒソヒソ声だが、受話器から相手の怒鳴り声が漏れている。
「あ、あのね…。ねーちゃん、だからさ…」
女装しているが、声がワントーン下がったミハイルくんに戻っていた。
『あぁ!? ミーシャ、おめぇは今どこにいるんだぁ!』
スピーカーモードにしているわけではないのに、ミハイルの姉のヴィクトリアがその場にいるようだ。
大声で叫んでいるため、ホームのまわりの人々がアンナに釘付けだ。
「ご、ごめん、ねーちゃん……わけはあとで話すからさ…」
あたふたしながら言い訳をするアンナ(♂)
『ミーシャ、お泊りは二十歳になるまでダメったろぉ!』
どこのお母さんですか?
なら喫煙とかも注意しとかないと……。
アンナが叱られている姿を見るのも心苦しかった。
やはり俺がちゃんと対応していれば、こんなことにならなかったしな。
責任は俺にもある。
姉のヴィッキーちゃんにも俺から一言謝りたい。
心配した俺はアンナの肩をトントンと軽く叩いた。
振り返った彼女は涙目。
今にも泣き崩れそうだ。
スパルタママなんだろうね、おねーちゃんだけど。
「アンナ、俺に代わってくれないか? ヴィッキーちゃんに説明させてくれ」
「え、タッくんが? どうして……」
「まあ、俺にも任せろ」
俺がスマホに手を伸ばそうとしたその時だった。
「だ、ダメェェェ!!!」
優しいアンナが初めて俺を拒絶した。
俺の手を振り払い、スマホを隠す。
「し、しかし……」
俺がうろたえていると、アンナはすかさずスマホの電源を切ってしまった。
スマホがブラックアウトする寸前で、断末魔のようにヴィッキーちゃんの声が。
『お、おい、話はまだ……ブツッ』
知らねーぞ、あとが怖いやつだろ、これ。
「ハァハァ……」
肩で息をするアンナ。
尋常ないぐらい大量の汗を吹き出し、顔が真っ青だ。
やはり女装しているときに、ヴィクトリアと接触するのは良くないようだ。
すなわち、ミハイルとアンナが同一人物であることを、俺に証明してしまうことになるからだ。
それにアンナの存在自体を、姉に隠している様子だったし。
俺が電話に出るのも、なにかと都合が悪いのだろうな。
「ヴィッキーちゃんと電話したいときは、ミーシャちゃんといるときにしてね……」
目の色が真っ赤になっていた。
よっぽどヴィクトリアに正体がバレるのが嫌らしい。
俺にはバレているんだけど、知らないのは本人だけだしな。
ついでに妹にもバレている。
「わかったよ……。だから落ち着いてくれ、アンナ」
「う、うん」
頷くとスマホをバッグに隠すようになおした。
そうこうしているうちに、駅に博多行きの列車が到着する。
俺たちはヴィッキーちゃんの恐ろしさを互いに知っているため、電話のことには一切触れず、車内に乗り込んだ。
博多につくまでしばらく無言のままだった。
このデートのあとが怖いからだ。
博多駅につくとすぐに天神行きのバスに乗りこむ。
天神までは片道100円でいけるから西鉄バスのほうがお得だ。
バスに乗る際、入口でICカードをかざす。
するとアンナが物珍しそうに言った。
「それなあに?」
「ん? ニモカだ。これがあれば出入りが楽だしポイントも貯まるたからな。もっているとなにかと便利なんだ」
おいおい、まさかICカードも知らないのか、この子は。
昭和からタイムスリップしてきたのかな?
「アンナ、持ってないんだ……」
寂しそうにアヒル口でこちらを睨む。
「それなら問題ない、俺が二人分支払っておく」
「ええ!? そんなことできるの?」
「ああ、降りるときに運転手に言えば可能だ」
「じゃあお願いしてもいいかな? あとでちゃんと払うから☆」
「おう」
ていうか、100円ぐらいおごらせろよ。
※
博多駅から5分ほどで、すぐに天神の渡辺通りに到着。
バスから降りるときに「二人分」と運転手に告げる。
運転手が「はいよ」と答え、機械のボタンを押す。
そして、ICカードをかざして降りようとしたそのときだった。
アンナが手を叩いて喜ぶ。
「すごぉい、さすがはタッくん☆」
後ろを振り返ると、アンナが首を右に傾けてニコニコ笑っていた。
なんかバカにされているような……。
「そうか?」
「うん☆ 二人で一緒にピッ、とか。夫婦みたい☆」
「え……」
その発想はなかった。
俺とアンナのやり取りを見て、車内からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「ヤバッ、あのふたりバカップルじゃん」
「だってペアルックだし」
「二人ともどっちも好みだ! ハァハァ……お持ち帰りしたい」
いや、最後のバイセクシャルじゃん。
無垢な顔で微笑むアンナを見て、俺は頬が熱くなる。
「夫婦……」
言われてドキドキしてしまった。
バスの階段下から俺は彼女を見つめ、少し上で微笑むアンナ。
まるでロミオとジュリエット。
そうだ、俺がひざまついて婚約指輪を出してしまえば、すぐさまOKをもらえそうな空間だった。
そんなひと時を壊したのはおっさんの咳払い。
「おっほん! あとがつかえているので、早く降りてください」
その一言で俺は我に返った。
「あ、すいません。アンナ早く降りよう」
俺はアンナに手を伸ばす。
「うん☆」
アンナは嬉しそうに俺の手を掴む。
彼女の細く白い小さな指を握ると優しく手を引く。
相変わらず、華奢な体型のせいか、軽々と身を俺にゆだねる。
フワッと宙を飛ぶように、俺へ飛び込む。
まるで天使が空を舞うかのように……。
アンナを抱きかかえるようにキャッチすると、俺は優しく地面に下ろす。
「よいしょっと☆」
何事もなかったかのように、アンナは天神の空を見上げる。
まったく、こいつが女だったらめちゃくちゃあざといやつだ。
「タッくん、まずはどこに行く?」
目をキラキラ輝かせて、俺を見つめるアンナ。
腰を屈めているため、自然と胸元が露わになる。
男性もののTシャツを着ているから、ブラジャーが丸見え。
というか、アンナが男なのにおかしな表現だわな。
「ふむ」
俺は無防備な彼女に少しドキドキしながら、考えにふける。
かくいうこの俺も福岡の繫華街、天神には仕事ぐらいで来たことしかなく、あまり店も知らない。
とりあえず、メインストリートである大通の渡辺通りを歩くことにした。
まず目に入った建物は『福岡マルコ』だ。
比較的新しいビルで、本館と新館あり、それらが連なって一つのビルだ。
本館が8階建て、新館が6階建てでかなり入り組んだ設計。
「そういえば、ここには『ボリキュア』の店があったな……」
ポツリと呟くと、アンナが俺の手を強く引っ張る。
「タッくん! それってホント?」
えらい食いつきようだ。
真剣な眼差しで俺を見つめる。
「ああ、公式のやつだ」
「ウソ~!? 行きた~い☆」
年がないもなく、地面の上でピョンピョンと飛び跳ねる女装男子。
忘れてた、アンナちゃんは大きなお友達の一人だった……。
「そうか、アンナはボリキュア好きだったな……」
ガチオタのカノジョって、ラブコメ的に取材価値あるのか?
「うんうん、アンナ大好き☆」
ニコニコ笑って、今か今かとビルの中に入りたがっている。
「よし、じゃあまずはマルコに入ってみるか」
「やったぁ!」
これまた両手を広げて、大喜びするアンナ。
なんだろう、子供みたい。
俺とアンナはマルコの本館に入り、エレベーターで7階へと直行する。
7階はアンナのような可愛らしい女子はあまりおらず、どちらかというと男性の客が多い。
それもそのはず、加入しているテナントがオタク向けが多いからだ。
ボリキュアストアの他に、模型店、アニメグッズ専門店、それからいろんな痛い萌えTシャツなどを扱っている服屋などなど……。
かなり上級者向けといえる階層となっている。
ちなみに6階まではわりと一般向けで、可愛い雑貨やおしゃれなファッションショップ、靴屋など。
若い女子高生やカップルで賑わっていた。
そう6階まではだ。
一個上にあがっただけで、急に景色が汚くなる。
煌びやかな人々がランクダウンし、くたびれたTシャツにボロボロのジーンズ、リュックサックというテンプレのようなオタク紳士で溢れかえっている。
「もふぅ~ 今日も大収穫でござった」
「次はどうするでありますか? 『2番くじ』でもコンプするでありますか?」
「奴らが来る前にいくじぇ! 転売ヤー、殺す!」
猛者たちとすれ違う。
作品への愛と一部の人間たちに対する憎悪のオーラを纏って……。
「タッくんはボリキュアストアに行ったことあるの?」
アンナが目を輝かせていう。
「ん? 俺か? いや、ないな」
俺がそう答えると、なぜかアンナは嬉しそうに笑った。
「良かったぁ、タッくんもはじめてなんだね☆」
「まあな」
そうか。アンナは俺と一緒に初めてを経験することにこだわっている傾向があったな。
しかし、その初体験ってのがボリキュアストアでいいんだろうか?
一応デートという設定なのだから、もっとおしゃれなレストランとか、可愛らしい服とか、そんなのが鉄板な気がするのだが……。
そうこうしているうちに、当の目的地へとたどり着く。
壁いっぱいにボリキュア戦士がプリントされていて、甲高い声のアニソンが爆音で流れていた。
店の前には今期ボリキュア『ロケッとボリキュア』の等身大パネルが飾られていた。
「うわぁ、ボリエールちゃんだ! カワイイ~!」
アンナは一人突っ走る。
俺は彼女の行動に驚いていた、というか引いていた。
「カワイイ、カワイイよ~ エールちゃん」
パネルに頬をすりつけるアンナ。
汚いよ、いろんな人が触ったんだろうから。
「ねぇ、タッくん! 見て見て、ボリエトワールもいるよ!」
大声で手を振るアンナ。
見ていて、少し恥ずかしいカノジョです……。
もうその世界に入り込んでしまって抜け出せないようだ。
今の彼、つまりミハイルは女装しているため、かなり目立つ。
他の紳士たちも彼女の行動に圧倒されていた。
「な! あの淑女は!?」
「まるでボリキュアの世界から飛び出したような天使じゃ!」
「ハァハァ……エトワールのコスプレ似合いそう、金髪だし」
ゴラァ! 人の彼女を視姦すな!
人だかりができてしまい、俺は頬が熱くなるのを覚えながらアンナの元へ近寄る。
「良かったな、念願の公式ストアに来れて」
少し引いたけど、アンナの喜んでいる姿を見れば、俺の恥じらいなど吹っ飛ぶというものだ。
「うん☆ タッくんが天神に連れてきてくれたおかげだよ、ありがとう!」
はにかんで見せるアンナ。
「いや、そこまで褒められることはしてないさ」
ん? というか、天神ってこんなディープな街だっけ?
なにかを間違えているような気が……。
「ねぇねぇ、タッくん」
「どうした?」
「デートの記念にボリキュアたちと一緒に写真を撮ろうよ☆」
「え?」
俺は思わず固まってしまった。
「誰かに撮ってもらお☆」
いや、遊園地じゃないんだよ?
「それはちょっと……俺がアンナとボリキュアを撮ればいいのでは?」
「ダメだよ!」
アンナは頬をプクッと膨らませる。
「なぜだ?」
「タッくんとの初めては、アンナにとっての記念なの!」
それ記念になります? 恥とか黒歴史の部類じゃないですか?
「わ、わかった……」
俺は渋々、彼女の要望をのんだ。
アンナはそうと決まると行動が早かった。
近くに立っていた一人の超巨漢紳士に声をかける。
「あの、すみません」
コミュ障なのか、いきなりハーフ美人のアンナに声をかけられて、かなり驚いていた。
「ぶ、ぶへ? おでのごと?」
なんだ豚じゃないか、声豚。
「はい☆ あのボリキュアちゃんたちと一緒に写真を撮ってもらえますか?」
ニッコリと微笑むとその豚くんは「ブヒィ」と声をあげて喜んだ。
「仰せのままに~ 神ぃ!」
神じゃない、天使の間違い。
結局、俺とアンナはボリキュアの足元に腰をかがめて、二人で仲良くピースした。
「おでが『ロケッと』っでいっだら、『ボリキュア』で写真をとるど!」
なにそれ。
俺が首を傾げていると、アンナはそれを自然に受け入れるように「OKです☆」と答えた。
「ロケッと?」
「「ボリキュア~!!!」」
また俺の人生に黒歴史が生まれてしまったな……。