少女マンガを原作にした『おめぇに届きやがれ』
 略して『おめとど』の実写映画を観ることやく6時間。
 既に夜になろうとしていた。

 隣りをみれば、赤坂 ひなたはクライマックスシーンということもあってか、号泣していた。
 鼻水をすすりながらハンカチを両手に持つ。
「うう……良かったぁ。二人がくっついて……」
 俺はといえば、終始無言、無反応。
 なぜならば、恋愛映画が嫌いというか興味がないからだ。
 特に邦画はタケちゃんの映画しかみない。

「センパイも良かったでしょ? ‟おめとど”」
 ティッシュで鼻をチーンとかみながら話を振ってくる。
 きったねぇな。

「え? ごめん、あんまり頭に入らなかったわ」
 俺がそう言うとひなたはブチギレ。
「はぁ!? この名作でキュンキュンしないなんて……センパイ、頭おかしいんじゃないですか!」
 酷い、強引に見せられておいてサイコパスとして脅威にされちゃったよ。

「あのな……俺は恋愛もの苦手なんだよ」
 むしろ6時間も付き合ってあげたんだから褒めてほしいところです。
「じゃあなんでセンパイはラブコメの小説書いているんです?」
 ジロッと睨まれた。
「あくまで仕事だからな。商業に出れば、書きたくないものも書かないとダメなんだよ」
 楽しさで言えばウェブ作家時代の方が良かったかも?
 大人の事情で前作『ヤクザの華』も打ち切りになったし。
 不完全燃焼だよ。
 自家発電しようとして、おっ立った割には出させないみたいな?


「ふーん……なら勉強になるでしょ。名作ラブストーリーなんだし……」
 不服そうに口をとんがらせる。
「どうだろうな。俺は直接人や物事を目に焼きつけるタイプでな。インパクトが強ければつよいほど作品に還元できるんだ。この作品が仮に名作だとしてもフィクションだろ? 俺はノンフィクションの方が好きだな」
 リアル重視で。
「インパクト……じゃ、じゃあ…」
 なにを頭に浮かべたのかはわからないが、ひなたは言いかけて黙り込んでしまった。
 顔を真っ赤にして。

「どうした?」
「センパイがドキドキしたら小説にも影響があるんですよね……ヒロインとして」
 気がつくとひなたは俺に身を寄せていた。
 俺の両肩を掴み、じっと見つめる。
「ひなた?」
「キス……しませんか?」
 ファッ!?

「何を言っているんだ! な、なぜそうなる?」
 思わず声が裏返ってしまった。
「だって……これも取材…でしょ?」
 瞳を潤わせ、頬を朱に染める。
 小さなピンク色の唇が輝いて見えた。

「ま、待て! こういうことは付き合ったもの同士でないと……」
「センパイ、怖いんですか?」
「べ、別にこわくなんかないんだからね!」
 なぜかツンデレキャラで答えてしまった。
「じゃあいいでしょ……」
 両肩への手の力が強くなり、俺は床に押し倒されてしまった。
 自然とひなたも俺に覆いかぶさる。
 彼女の太ももが股間に当たった。

 胸が破裂しそうなぐらい鼓動が早くなる。
 ひなたは尚もぐりぐりと膝を押し当ててくる。
「センパイ、私も初めてだから……」
 垂れた前髪が俺の頬にかかり、くすぐったい。
「ひ、ひなた……おまえ」
「何も言わないで…」
 そう呟くとひなたは目をつぶり、首を少し右に曲げるとゆっくり唇を近づける。
 俺は黙ってその光景を見守ることしかできなかった。
 ひなたの積極的な行動に圧倒していた。
 腕力なら俺の方が勝つ。
 だが、彼女のシャンプーの甘い香り、小麦色に焼けた素肌、細くて少し筋肉質な腕。

 全てが女性として魅力的だった。
 俺はひなたのことをまだ好きではない。
 だが経験としてなら、『取材』と言い訳してこのままキスしてもいいんじゃないだろうか?
 そう思えた。

 人生で一番長く感じる数秒間だった。
 あと数センチ、1ミリ……で、俺の唇とひたなの唇が触れ合う。
 俺もひなたと同様に目をつぶったその時だった。

 ブーーーッ!

 何かが俺たちの行動を制止した。
 俺は瞼をパチッと開く。
 ひなたも同時に目を開いていた。

 ブーーーッブーーーッ!

 俺のスマホが床で振動を立てながら踊っていた。
 画面は見てないがすぐに相手がわかった。
「アンナだ!」
 ずっと心配していたアンナからやっと着信が入ったんだ。

 我を忘れて衝動に駆られようとしていた俺は自分を自分で呪った。
 正直殴ってやりたかった。
 俺自身を。

「ひなた、ちょっとどいてくれ!」
 語気が強まる。
「ええ? 続きは…」
 しおらしくなるひなたを無理やり引っ剥がして、俺はスマホを取る。

 予想通り、電話をかけてきたのはアンナ本人だった。
 すぐに電話に出る。
「もしもし、アンナか!?」
『タッくん……』
 声にもならないようなか細い声でアンナは答えた。
 それと違和感を感じた。
 彼女の近くから聞こえる音だ。
 ザザーっと雑音が酷い。
 雨や風のそれに近い。

「おい、アンナ! 今どこだ!?」
 悪い予感が俺の脳裏をよぎる。
『しろ……だぶし……』
 暗号のような言葉を聞いて、俺は必死に脳内で考えまくる。ありとあらゆる知識を活用して。
「しろだぶし……? ハッ! まさか‟黒田節の像”か!?」
『ザザザ……』
 彼女からの反応はない。
 ただただ強い雨風の音だけが耳元に伝わってくる。

 
 俺はすぐさま立ち上がった。
 ネットカフェのパジャマを着たまま、洗濯し終えた着替えを持って部屋を出ようとする。
 すると背後からひなたの声が。
「センパイ! どこに行くんですか!? 外はまだ嵐なんですよ!」 
「悪い……ひなた。それでも俺は行かないと」
 女の子に恥をかかせて申し訳ないが、それよりもアンナの身が心配だ。
 謝罪ならいくらでもあとでしてやる。
 だから俺を早く行かせてくれ!

「わかり……ました」
 俺は背を向けたまま、「お前は明日帰れ」と言い残して走り出した。
 全速力で廊下を駆け抜ける。
 出入口付近のカウンターに立っていたカッパ店員に呼び止められる。
「お客さん! お金、お金!」
 いつもだったらキレているところだが、俺はなんとも思わなかった。
 黙って福沢諭吉を店員の顔に投げつけ「つりはいらん!」と叫び、店をあとにした。

 エレベーターを使うのも時間が惜しい。
 階段を使って8階から1階まで飛び降りるように下りていく。
 何段もある階段をうさぎのようにピョンピョンと跳ねまわる。
 着地する度に激痛が走ったが、アドレナリンが痛みを緩和する。

 一階におりたら、すぐさまバスターミナルを飛び出てタクシー乗り場を抜け、博多駅の中央広場に向かう。
 そして一番奥のビル前に見慣れたオブジェが……。
 黒田節の像、母里太兵衛が大雨で顔が濡れていた。
 まるで涙を流しているようだ。

 その下に彼女はいた。
 正確には倒れている……。
「アンナ!」
 すかさず彼女を抱きかかえる。

 いつものように俺とデートをしたかったのかもしれない。
 大きなリボンのついたピンクのワンピースを着ていた。
 ただ、その準備も虚しく、可愛らしい装いは雨と土で汚れている。
 メイクもしっかりしていたが、口紅があごに流れている。
 まるで吐血しているかのようだ。

「アンナ、アンナ! しっかりしろ!」
 俺は力強く彼女を揺さぶった。
「あ、タッくん…」
 冷たくなった手を俺の頬にやる。
 気がつくと俺は視界があやふやになっていた。
 雨のせいか、それとも涙を流しているのか……。

「アンナ……すまない!」
「来てくれるって……信じてたよ」
 そう言うと力なく笑って見せた。
「だから、そんな顔しないで」
 細く白い指で俺のまぶたを拭う。

「しゅ…ざい……」
 いいかけてアンナは気を失った。
「アンナぁ!」
 
 ど、どうすればいい?
 そうだ、救急車!

 スマホを取り出そうとしたが、雨で滑って手から転げ落ちた。
 カラカラっと地面を滑って、俺から離れていく。
 クソがっ!
 なんでこんなときに……。

 そうこうしているうちにもアンナには容赦なく大雨が襲ってくる。
 スマホを取りに戻りたいが、このままアンナを地面に寝かせるのも嫌だ。
 俺が彼女から離れることをためらい、うずくまっていると目の前に汚いブーツが現れた。
 見上げると肩まで伸びた長い髪の背の高い男が……。

「お困りのようだな。ヒーローの出番だ!」
 そう言うと白い歯をニカッと見せて笑顔を見せた。