俺はミハイルを連れて、ついに禁忌の地へとたどり着いた。
そう、18歳未満立ち入り禁止のBLコーナーだ。
昔からこのブースは地獄門と呼んでいる。
赤子の頃からくぐってきた修羅の道だ。この先は死ぬ覚悟をした者だけがくぐれる門だ。
「ミハイル、いいか。うかつに知らないサークルに近寄るなよ?」
俺は左右に出店しているサークルのご婦人たちを指差す。
「え、なんで?」
見てわからんのか……各ブースには裸体の男たちが絡み合っているポスターがデカデカと貼っているというのに。
「まあ俺から離れるな。絶対だぞ?」
「タクト……そんなにオレが心配なのか☆」
笑顔で喜ぶミハイル。
けど違うからね。
俺はあくまでもあなたを守っているだけなの。
「よし、行くぞ!」
生唾をゴックン。
ここはいつ来てもピリッとした空気が流れる。
だって、俺が男子だからね。
100パーセント女子の中に男が二人。
完全にアウェイ。
目的のサークルまで何人もの腐女子に睨まれたり、クスクス笑われたりする。
「なんやあいつ……なめんとかぁ!」
「ワシらのシマに入っといて、ただじゃすまさんぞ、ゴラァ!」
「うふふ……隣りのハーフの子、使えそうじゃね? 写メっとこ♪」
だから嫌だったんだ。
鬼のような目をしたご婦人たちをかいくぐり、どうにか母さんの言っていたサークル“ヤりたいならヤれば”に着いた。
「こ、これは……」
今まで見たブースの中で一番酷い。
デカデカと看板が立てられており、『ようこそ! 抜いていってください!』とメッセージ。
それに左右には等身大のフィギュアが飾られている。
もちろん、裸体の美青年だ。
しかもスピーカー装備で常に「あぁぁぁぁ!」「兄ぃさん!」「ぼく、もう我慢できないよぉ!」などというセリフが爆音で流されている。
「いらっしゃいませ! ゲイの方ですか?」
30代ぐらいの大人の女性で、地味な格好だが、言葉は桁違いだ。
「違います、ノンケです」
「あらぁ、残念ですね♪ お似合いのお二人なのに」
ニッコリ笑うが底知れぬ闇を感じる。
ヤベェよ、サイコパスじゃん。
「え? オレとタクトがお似合い……」
頬を赤く染めるミハイル。
真に受けちゃダメですよ。
「ええ、とってもお似合いですわ。絡み合っている姿を想像すると久々に生モノへとまた手を出したくなりますわ」
「生モノ……?」
危険、危険! それ以上はダメ!
俺が助け舟を出す。
「すいません、“今宵は多目的トイレで……”っていう作品を50部ほどください」
その発言に今までクールだったサークルの女性が慌てだす。
「ご、50部っ!? な、なぜそんなに……」
気がつけば、他のサークルの女性陣も身を乗り出してざわつく。
「なんなの、あのガキ。まさかガチホモ?」
「ガチよ、絶対。教本として買う気ね!」
「この後二人でめちゃくちゃ……」
やらねーよ、バカヤロー!
「いえ、俺は母さんに頼まれて買いに来たにすぎないんすよ」
一応、言い訳しとかないと汚名を被ったままは嫌だからな。
「お母さん…? ひょっとして私のサークルのファンの方ですか?」
「そう言えば、ツボッターでいつもお世話になっているケツ穴裂子っていうバカです」
言っていて自分で顔から火が出そうだ。
クソみたいなアカウント名にしやがって。
「なんですって!? あの伝説の……ケツ穴さんが私なんかの同人誌をっ!?」
驚きを隠せない腐女子。
周りの女性たちも群がりだす。
「ウッソ! 界隈でケツ穴さんに目をつけられるとバズるっていう伝説の!」
「マジ? 裂子さんに宣伝されると書籍化率、100パーセントらしいね」
「つまり、あの子はサラブレッドね。BL界の王子よ」
いらない、そんな称号。
「ちょ、ちょっとお待ちください! ただちにBL本を揃えますので!」
席から立ち上がると、後ろにあるダンボールをガサゴソ探し出す。
「あの、急いでないんで。慌てなくても大丈夫ですよ?」
一応声をかけたのだが、耳に入っていないようだ。
「ヤ、ヤバッ! ケツ穴さんに認められちゃったよ! あのBL四天王の一人に!」
あんな気持ち悪い女性がまだ3人もいるんですか?
しんどいです。
「タクト……これって」
気がつくとミハイルはテーブルに置いてあったサンプル本を手に取っていた。
いかん! 見てしまったのか!?
「ミハイル、すぐに元に戻せ。今なら引き返せる」
思わず、声が震える。
18禁のBL本をまじまじと見つめるミハイル。
顔は赤いが真剣そのものだ。
「男同士なのに、なんで裸で抱き合っているの……」
くっ! 守れなかった、ミハイルの操をっ!
「それはだな、あくまでもフィクションだからな? だから、もう読むのはやめておけ、なっ」
俺が彼の肩をポンッと軽く叩いたが、ミハイルは気にも触れない。
BL本に熱中しているヤンキー少年。
「なんか胸が…ドキドキしてきた……」
ダメダメ、したらアカンて!
「あらぁ、そっちの彼は私の作品に興味がありますか?」
ニヤニヤ笑う腐女子。
両手には大量の薄い本。全部、俺が持って帰ることになるんだよね。
「え? 興味があるっていうか。なんか男同士なのになんでその…キ、キスとかしてんのかなって……」
言いながら途中で恥ずかしくなったようで、サンプル本をテーブルに戻す。
「それは至極当たり前のことです。好きになった人がタマタマ同性だったのです。男だけにですね♪」
うまくないから、ただの下ネタだから。
「そんなのおかしいよ! だって男は女しか好きにならないじゃん……」
その話し方にはどこか悔し気に感じる。
時折、俺をチラチラ見て。
「あらあら、見たところ、金髪のあなたは未成年ですよね? まだ本当の愛を知らないんですね」
さっきまで生モノ発言していた人に言われたくない。
「じゃ、じゃあ……男同士がキスしたり…好きになってもいいの?」
ミハイルは悲痛な叫びをあげる。
やはり以前俺が彼に「男のお前とは恋愛関係にはなれない」と言ったことを気にしているのだろうか。
「いい、ボク。この世はすべてにおいて愛で包まれた世界なんですよ。そこに性別や人種、年齢。全て関係ありません。あなたが『スキ』になった気持ちがあるのなら、それは本物の愛です」
おいおい、ここは同人誌の売り場だよね?
痛々しいBLのポスターやフィギュアの前でなに語っているの? コイツ。
怪しい宗教の勧誘みたい。
ま、教祖っぽいよね。
「スキ…ホンモノ?」
言葉を失って、腐女子のお姉さんの洗礼を受ける信者。
「そうです、BLの神は言っています。あなたが自然体であられることを……」
どこどこ? その腐って生臭い神様、おっさん? おばさん?
「そっか……オレの知らない神様はそんなことを言っているんだ」
鵜呑みにしちゃダメ。でたらめだよ。
「きっと、あなたも真実の愛に気がついたのでしょう。ならばこそ、この本をあなたに」
と言って、目を覆いたくなるような薄い聖書が。
「いや、オレは……そんなつもりじゃなくて」
腐女子のお姉さん、いや教祖は優しく微笑んでこういった。
「これも何かの縁です。ケツ穴裂子さんに在庫全部買ってもらえたので、そのサンプルはあなたに差し上げます」
いや、俺の母さんのせいなの?
「あ、ありがとう……大事に勉強します」
顔を赤くして薄い本を受け取るミハイル。
勉強しなくていいから、君は早く一ツ橋のレポートをやりなさい。
「はい、良い心掛けですね。私の作品はネット上にもあるので是非チェックされてください。きっとあなたの愛に対する考えが変わるでしょう」
「うん。スマホで見てみるよ☆」
知らね、もう俺は知らん。
「あ、ケツ穴さんによろしく言っておいてください。袋はサービスしておきますね♪」
ドシンッとテーブルに出されたのは痛々しいBL紙袋が4つ。
これ持って帰るの? しんどい。
「良かったな、タクト☆」
「うん……」
俺の頭は真っ白になっちまった。
燃え尽きた、殺されたのさ。腐女子の皆さんに。
ミハイルはBL神によって洗礼されてしまい、神の子として生まれ変わったのである……。
「こ、これ帰ってねーちゃんにも見せていいかな?」
なにやら嬉しそうに語る15歳。
それ、言っとくけど成人指定食らってるから。
見せたら捨てられるんじゃない?
「やめとけ。そう言うものはコソコソ見るもんだ」
古来からベッドの下、机の引き出しの隙間、押し入れ、本棚にまぎらせる。
などのテクニックがあるが、お母さんというバケモノにかかると掃除ついでに整理整頓されてしまう。
「そうなの? でもさっきの女の人は堂々と売っていたよ?」
「アレはもうこの世の理から外れた人外のものだ……俺らと一緒の目線で生きてない」
人として終わっているんだ。
「ふーん。じゃあさ、ここで店を出している人ってお父さんとお母さんには伝えてないの?」
ファッ!?
それ、一番ダメなやつじゃん。
「あ、あのな……全部が“オトナの商品”ってわけじゃないが、両親に作品を見られるほど屈辱はないと思うぞ。特にコミケなんてもんは」
ウェブ小説時代に母さんが必死にググって俺の作品にたどり着いた時は恐怖すら覚えた。
「でも、いいものは自慢して良いと思うけどな……」
ミハイルは納得していないようで、不満げだ。
「その“良い”っていう表現が限定的すぎるんだよ。いくら素晴らしい作品でも人によっては楽しめないものだ。ミハイルにも好みってのがあるだろ?」
俺がそう言うとミハイルは手のひらをポンと叩いた。
「そっか! タクトがブラックコーヒー好きだけど、オレは飲めないもんな。イチゴミルクとブラックコーヒーの違いみたいなもんか☆」
レベルが段違いですよ。
そんな健全なもので比較しないでください。
ブラックコーヒーに謝って。
BLコーナーを抜けて、俺とミハイルは「次どこに行こうか?」と相談していた。
すると、背後から何やら「ハァハァ……」と荒い息遣いが聞こえた。
振り返ると、すっかり忘れ去っていた腐女子の北神 ほのかが立っていた。
大きな紙袋を6つも両肩にかけ、重そうなキャリーバッグを二つも握っていた。
ちなみにキャリーバッグからポスターやらタペストリーがはみ出ている。
顔色が悪く、真っ青だ。
「ビックリした……ほのかか。お前、大丈夫か?」
「ええ……狩りは終了したわ」
その前にあなた死にそうだよ。
「だ、大丈夫? ほのか。またいつものビョーキ?」
心配して優しく声をかけるミハイル。
というか、BLが病気になってて草。
「だいじょうぶよ……ミハイルくん。いつものことだから…」
毎回そこまで自分を追い詰めてまで、買ってるんですか?
ちょっとバカじゃないですか。
「なんか、キツそうじゃん。オレ、水買ってくるよ!」
そう言って、ミハイルは先ほど買った大きな猫のぬいぐるみを抱えて、去っていった。
放っておけばいいのに、こんなアホ。
~10分後~
「プッハーーー! 生き返ったぁ!」
ミハイルが持ってきたペットボトルを飲み干すとベコベコと握りつぶす。
「良かったぁ、ほのか。病気治った?」
いや一生完治しないから。
「ええ、これで持ち直せたわ。さあ、今度は私のターンよ!」
拳を作って立ち上がるほのか。
「おい、お前もコミケで出店するつもりなのか?」
「ううん、私は商業狙っているから!」
無理だろ。
「しょーぎょう? 学校でも変えるの?」
首をかしげるミハイル。
それ高校ね。
「ミハイル、ほのかが狙っているのはプロ。つまり書籍化だな」
俺が説明に入る。
「タクトみたいな作家さんになりたいってこと?」
「そうだな、俺はこう見えて既にプロ作家だからな」
フッ、コミケに参加している奴らとは格が違うんだよ。
俺が自慢げに語っていると、誰かがこう言った。
「明日は我が身ですよ……」
な、なんだ!? この薄気味悪い声は……。
幽霊か? コミケの落武者? 生霊?
恐る恐るその声の主へと目を向ける。
そこにはコミケにふさわしくない一人の幼女が立っていた。
どうやらコスプレイヤーのようで、日本が誇る国営放送で絶大な人気を誇ったアニメ。
『手札キャプター、うめこ』のコスチュームを身に纏っていた。
左手には大きなピンクのステッキを握っている。
だが、一つだけ訂正がある。
その生き物は幼女ではない、ロリババアが正確な表現だ。
「おい、アラサーがなにコス楽しんでだよ?」
俺は笑いをこらえるのに必死だ。
「誰も好きでやっていませんよ!」
「怒った怒った。うめこのくせして、怒ってやんの」
すかさず、スマホで写真撮っておいた。
「なに勝手に撮ってんすか!? ちゃんと許可とってくださいよ!」
ブチギレる白金 日葵(アラサー)
そこへ通りがかったオタクが白金に声をかける。
「あの、一枚いいですか?」
さっきまでの怒りはどこに行ったのやら。
白金はオタクに顔を向けると笑顔で答える。
「いいですよ~♪ ネットにあげるときは一番カワイイ写真にしてね♪」
そして数枚撮り終えるとオタクは「あざーす」と去っていった。
「大変だな、コスプレイヤーも……」
俺は汚物を見るかのような目でうめこちゃんを見つめる。
「だから違いますって! 仕事です!」
「わかってるよ、博多社の人間には黙っておいてやる」
「このクソウンコ小説家!」
キンキン声が博多ドーム内に響き渡る。
「どうしたの、タクト? この子、迷子なの?」
出た、お母さんモードのミハイルきゅん。
「誰が子供ですか!? ていうか、そんなに若く見えますぅ?」
キレたくせに後半、嬉しそうじゃん。
「若いていうか、低身長で胸がぺちゃんこだから……かな」
それただの悪口だよ、ミハイルママ。
「キーーーッ!」
ほら、怒っちゃったよ。本当のことを言っちゃダメだぜ。
「ところで仕事ってなんだよ? もっとマシな言い訳しろよ」
「いや、本当に今日は仕事で来たんですよ!」
と言って一枚のチラシを手渡す。
俺とミハイルはそれに目を通す。
『急募! 望む、卑猥なBL! その煩悩を書籍化しないか?』
とキャッチコピーと共に裸体の男たちが「アーーーッ!」している。
それを見て俺は吐き気を感じた。
「なんだ……このヤバい代物は?」
「我が博多社にも創設されたんですよ、BL編集部がね」
「ウソ……だろ?」
あの硬派な出版社がついに腐りだしたのか。
「本当ですよ。と言ってもまだ作家さんたちが少なくて、コミケでアマチュアの作家さんたちに声をかけているんです」
「なるほど……ヘッドハンティングか?」
というか下層ハント?
「ま、波に乗るしかないでしょ。このBLウェーブに」
そんな荒れきった津波知りません。
そこへ不気味な笑い声が聞こえてくる。
「フッフフフ……待っていたこの時を」
振り返ると、うつむいて笑みをうかべる北神 ほのかが。
大きな茶封筒を手に。
「この、ビィーーーエル作家の変態女にお任せあれ!」
なぜかジョ●ョ立ち。
マジか、ついにコイツの作品がプロ編集に持ち込みするときがきたのか。
あー、良かった。これで俺はもう変態女先生のネームチェックしなくていいんだよな。
合格しろ、絶対にだ。
「ん? 持ち込みの方ですか?」
「ハイッ! ぜひ、わ、わ、私の作品みでぐだざぁいぃぃぃ」
ゾンビみたい。
「ハイハイ、じゃあ奥のブースにお通ししますね」
白金に案内されて、変態女先生は「ウヒウヒ」言いながら背を向ける。
「これで良かったんだ……。ミハイル、そろそろ帰るか?」
「え? でもほのかも一緒じゃないとかわいそうじゃん」
クッ! 忘れていた。ミハイルが聖母だったことを。
「かわいそうじゃないぞ? ほのかは天国にいけるのだから」
いろんな意味で。
俺が悪だくみを企てようとしていたのが、ダダ洩れだったのか。
白金が声をかけてきた。
「なにやっているんですか? DOセンセイもこの際ですから見学していってください」
「ハア!? お、俺はもうプロデビューしてるしっ!」
言いながらも声が震える。
「今度のラブコメが売れなかったら、BL作家に転身しなくちゃいけないかもですよ? 勉強していってください。これは業務命令ですよ!」
なにそれ、パワハラで訴えてもいいですか?
「よくわかんないけど、これも取材ってやつだろ☆」
隣りを見るとそこには天使の笑顔が……。
俺は無理やり、博多社のブースに連れていかれた。
小規模だが企業として出展しているようだ。
ラノベのポスターやアニメ化決定などの告知。
宣伝も兼ねてのマンガ持ち込み企画らしい。
パイプイスが並べられて、奥に一人の女性スタッフが机の前に座っていた。
どうやらあの女性が原稿をチェックするらしい。
俺とミハイル、それに変態女先生こと北神 ほのかの3人は白金 日葵に誘導されてイスに座る。
博多社創設以来のBLマンガ雑誌が創刊されることもあって、かなりの人だかりだ。
というか、全員女性の作家さん。
「なんで俺までここにいなきゃならないんだよ……」
そう愚痴をこぼすと、そばで立っていた白金が言う。
「だってDOセンセイは取材しないとダメなタイプでしょ? 今後、マンガ家のキャラとか書くのに勉強しておいたほうがいいですよ。小説は持ち込みとかないですしね~」
すいません、マンガ家だけ優遇するのやめてもらえます?
同じ作家なんだから、小説も持ち込みOKにしてつかーさい。
「でも俺は原稿なんて持ってきてないぞ? そもそも絵心ないし、マンガ家目指してないし」
「DOセンセイは黙ってこの風景を目に焼き付けてください。それが小説家としての仕事でしょ!」
ええ……そんなお仕事はじめて聞いたんすけど。
だが、白金の言うとおり、俺はマンガ家さんが持ち込みする光景はテレビでしか見たことがない。
まあいい機会だ。見せてもらおうか、新人マンガ家の性能とやらを!
俺はイスで待機している女性陣を一望した。
見渡す限りに真っ黒! ウーメン・イン・ブラック。
何がって? 髪の色も然り、服装も然り、全てが黒づくめ。
悪の組織かってぐらいに全員、闇落ち。
皆、大人しそうな人ばかりで、とてもBLマンガを描いているような人たちには見えない。
だが、微かに声が聞こえてくる。
「シュルルル……殺す、この原稿で他の作家を殺す!」
「フッ、どんな手を使ってもこいつらを蹴落としてやる」
「お父さんごめんなさい……勝手に親戚のおじさんと絡めちゃった」
え? 最後だけノンフィクション作家がいたけど。
肖像権、大丈夫ですか。
しばらく待っていると、俺たち……じゃなくて、変態女先生の番が回ってきた。
「では、次の方どうぞ!」
ハキハキとした物言い。
スーツ姿に眼鏡の女性が言った。
どこかで見た顔だな。
まあ博多社の社員だから会ったことかあるかもな。
「は、はいぃぃぃ!」
原稿を抱えてピンコ立ちするほのか。
さすがの変態女先生も緊張されているようだ。
「大丈夫、ほのか?」
心配そうに見上げるミハイル。
「だ、だ、だ、大丈夫だってばよ!」
全然、だいじょばない。
岸影先生に謝ってください。
「ほれ、行くぞ。ほのか、緊張するのはわかるが見せないことには評価はつけられんぞ?」
「う、うん……」
いつになく元気ないな。
「ファイト! ほのか☆」
そして、小学校の親子受験みたいに、左から俺、ほのか、ミハイルが同伴者として並んで座った。
長い机を隔てて、編集部の女性が眼鏡を光らせている。
ほのかはぎこちなく茶封筒から原稿を机の上に置くと「お願いします」と呟いた。
女性が原稿を受け取った際、ほのかを囲んでいる俺とミハイルに気がついたのか、いぶかし気に交互に睨む。
そして、俺を見つめてこう言った。
「あら? 琢人くんじゃない」
「え? なんで俺のことを……」
「私よ、倉石」
そう言うと眼鏡を取って、笑顔を見せる。
「あ、倉石さん!? なんであなたがこんなことを?」
倉石さんは博多社の受付嬢である。
俺の担当編集の白金とは同期らしいので、アラサーだ。
普段、眼鏡をかけてないので気がつかなかった。
「私、来月付けで転属することになったのよ。しかも編集長よ!」
なにやら嬉し気だ。
「へぇ……」
けど、BLマンガ雑誌の編集ですよね? すぐに廃刊しませんか?
そこへ白金が入ってくる。
「そうなんですよ、この白金を差し置いて、イッシーが編集長とかムカつきますよ」
「あらあら、ガッネーたら、嫉妬なんてみっともないわよ。そんなんだから独身なんじゃない?」
睨みあうアラサー女子たち。醜い光景だ。
イッシーとかガッネーとかあだ名がダサすぎる。
「DOセンセイ、イッシーが今回創設された"ハッテン都市 FUKUOKA”の編集長に抜擢された理由知ってます?」
いや、その前に雑誌名酷くない? 売る気ある?
「知らないよ」
超どうでもいい。
「イッシーって万年受付嬢じゃないですか。電話とお茶くみと案内ぐらいしかできない無能のくせに」
おいおい、そりゃ女性蔑視ってもんだろう。
昭和か。
「ガッネーだっていつまでも”ゲゲゲ文庫”売れっ子作者出せてないじゃない!」
倉石さん、それって俺のことですか?
「フン、DOセンセイの次回作でぼろ儲けしてやんよ!」
責任重大、こんなアラサーの出世に力を貸したくない。
ていうかさっさと原稿読んでやれよ。
「白金、それで倉石さんが編集長に抜擢された理由とは?」
「あっそうそう、ガッネーっていつも一階のカウンターで暇じゃないですか。だから受付でずっとBLマンガばっか読んでたんですよ」
職務怠慢、解雇しては?
「それに社長が目をつけて編集長になったわけです」
おたくの会社、もう終わってんだろ。
「それもスキルのうちよ。さ、ガッネーはチラシ配りを再開してね♪」
「チッ、あとでハイボール奢れよ、クソが!」
と唾を吐きながら去っていく幼児体形。
なんとも大人げない二人だ。
「部下がごめんなさいね、あとできつく叱っとくわ♪」
ええ、もう下剋上始まってんすか?
「は、はぁ……」
倉石さんは笑顔だが、怖い。
「じゃ、原稿読ませていただきますね」
「お、おなーしゃす!」
テンパりすぎだろ、ほのかのやつ。
「あの、ほのかはいいヤツなんでよろしくっす!」
お母さんじゃん、ミハイル。
じゃあ俺がお父さん?
嫌だよ、こんな腐った娘。
倉石さんは眼鏡をかけなおすとじっくり原稿を一枚一枚読む。
その目は真剣そのものだ。
時折、「ん?」と言って手が止まったりしている。
それが是か非かはわからないが。
なんだか俺までドキドキしてきたな。
小説家としての『DO・助兵衛』は白金によってウェブからスカウトされたから、俺はこういうピリッとした空気に慣れてない。
倉石さんは原稿を最後まで読み終えると、深い息を吐きだした。
「これ……本当にあなたが描いたんですか?」
ギロッとほのかを睨みつける。
「あ、はい!」
声をあげたと同時にふくよかな胸がブルンと震えた。
「評価から言いますと中の下です」
普段、受付でニコニコ笑っている倉石さんとは思えないぐらい冷たい顔で言った。
「そう……ですか」
肩を落とすほのか。
「ほのか、元気だせよ。次があるって、お前ならやれるよ」
背中をさするミハイルママ。
過保護は良くない。
「わ、私なんかどうせ読み専腐女子よ……」
それもいいんじゃない?
「ヨミセン? なんのこと? とにかくあきめらちゃダメだぞ、ほのか」
ほらぁ、ママを困らせちゃダメでしょ、腐女子のくせして。
「ゴホン」
わざとらしく咳払いでほのかとミハイルの会話を静止させる倉石編集長。
「あくまでも全体的な評価です。勘違いしないでください」
「どういうことです、倉石さん?」
俺がたずねると彼女はニッコリ笑った。
「結論から言いますとスッゲー抜けそうなマンガです♪」
「あぁ!?」
年上なのに思わずキレてしまった。
「絵の方はお世辞にも上手いほうではありません。ですが、ストーリーが実に素晴らしい。特にメインヒロインのキモいおっさんが最高ですね♪」
え? おっさんがヒロインってよくわかったね。
「じゃ、じゃあ……」
ほのかは生唾をゴクンと飲み込んで次の言葉を待った。
「残念ながら今回は見送りです」
「やっぱり……」
涙目になるほのか。この時ばかりは少し同情した作家として。
「ですが、この才能をよその編集部に獲られるのは癪です。ぜひこれからもうちの編集部に持ち込みしませんか? あなたはきっと磨けばダイヤモンドより輝くでしょう♪」
なんかその宝石、臭そう。
「やったな、ほのか!」
「うん、私これからも抜けるBL本書き続ける! ありがとう、ミハイルくん、琢人くん!」
大粒の涙を流しながら、彼女は俺とミハイルを抱きしめた。
ちょっといいですか?
おたくのデカい乳がボインボイン当たってキモいんでやめてください。
変態女こと北神 ほのかの初原稿は却下されたものの、倉石編集長の薦めでこれからも編集部に出入りすることになった。
帰り際、倉石さんは「変態女先生は原作向きかも?」とアドバイスをもらった。
要はもっと画力の高い人に描いてもらうということだ。
なんかマンガ家さんの方が書籍化のチャンス高くね? と思うのは俺だけだろうか。
そんなことはさておき、ほのかは嬉しそうに笑っている。
「よかったぁ。琢人くんとミハイルくんのおかげだよぉ」
いや、俺たち何もしてないからね?
実力じゃん、良かったね。
「まあとりあえず、一歩前進といったところだろ。商業デビューしてからが地獄だぞ?」
ソースは俺。
デビューして3年も経ったのに売れない作家ですもん。
「オレ、ほのかがデビューできたら絶対に買うよ☆」
目をキラキラ輝かせるミハイル。
やめておけ、目が腐る。
「ありがとう! ミハイルくん」
あほらし、今日って俺のラブコメの取材じゃなかったけ?
「じゃあボチボチ帰るか?」
「そうだね、今晩のおかずは全部買えたし♪」
と言って大量の薄い本を見せつける。
大半がモザイク必須である。
「オレも楽しかったぁ☆ コミケまたきたいな☆」
そう言って可愛らしいネコのぬいぐるみを大事そうに抱えるミハイル。
もう来ない方がいいよ、君は無垢なままが素敵だから。
そんなこんなでなんとか、ミハイルちゃんの初めてのコミケデビューは幕を閉じた。
バスに乗って博多駅に着くと、ほのかは「私、反対方向だから」と別れを告げた。
「またな、ほのか☆」
「うん、ミハイルくんもBL漁るの頑張ってね!」
去り際にさらっと洗脳すんな!
「よくわかんないけど、頑張るよ☆」
頑張らなくていいから。
ほのかの後ろ姿を見送ると、俺とミハイルは二人っきりになった。
なんだかこっぱずかしい気持ちになった。
最近はミハイルと一緒にいることが少なかった。
どちらかというと女装したアンナといることが多い気がする。
「なあミハイル、小腹でも空かないか?」
何となく、会話が途切れそうで怖かった。
話題なんてどうでもよく、腹も別に空いてないのだが。
「オレ? そうだなぁ、じゃあどっかでお菓子でも買う?」
首をかしげるミハイル。
あの、お菓子って遠足じゃないんだから……。
「お菓子……。そうだな、この辺でアイスでも買って電車で食うか」
「それいい☆」
えらくご機嫌だな。
まあ俺もミハイルの笑顔が見れて嬉しかった。
博多駅前広場には季節限定の屋台がたくさん並んでいた。
ゴールデンウィークということもあって、北海道の物産展が開かれていた。
「あ、白いミルクをたくさん使ったソフトクリームだってよ☆ タクト!」
のぼりを指差してテンション爆上げミハイルさん。
「なるほど、限定ものか。あれにしよう」
「うん☆」
お目当ての店についたが、若い女性やカップルで長蛇の列だ。
かなり待たないといけないな。
~10分後~
ようやく、俺たちの番だ。
そう思ったその時、若い女性店員が申し訳なさそうな顔でこういった。
「お客様、申し訳ございません。もう在庫がなくて、あとお一人様分しか販売できません。どうされます?」
「え、マジか……」
さすがに男同士でアイスを共有するのはしんどい。
ミハイルには悪いが断っておこう。
俺が店員に返答しようとしたその時だった。
「全然OKっすよ☆ オレらダチなんで☆」
隣りを見れば満面の笑顔で答えるミハイルの姿が。
「ああ、助かります。では、380円になります」
俺が呆気に取られているとミハイルが財布から小銭を取り出し、支払いを済ませる。
気がつけば、彼の手には真っ白な北海道産ミルクで作られたソフトクリームが。
「さ、食いながら帰ろうぜ☆」
「え……」
さすがにその発想はなく、俺の頭がフリーズしていた。
「一つしかないんだから、一緒に食べるしかないじゃん☆」
「ま、まあそうだが……いいのか? 俺とその…食べることに抵抗はないのか?」
俺の疑問を吹っ飛ばすかのように、ミハイルは高笑いした。
「アハハハ! ダチなんだからこんなことフツーじゃん☆」
「そうなのか…」
俺は依然と彼の行動に驚きを隠せずにいた。
女装時のアンナならここまで積極的なこともできそうだが、男装時のミハイルがこんなに優しいなんてな。
意外だ。
「はい、タクトから舐めていいよ☆」
小さくて細い指で大事そうにソフトクリームを俺の口の前に差し出す。
「お、おう」
俺は遠慮がちに一口パクッと食べた。
「おいしい?」
「そうだな、濃厚なミルクの味がなんとも……」
と俺がグルメインタビューに答えようとしていたら、ミハイルはソフトクリームをペロリンと舌でひとなめ。
「ペロ…ペロペロ……んぐっ、んぐっ。ふぅ大きくて太いから顎が疲れちゃいそう☆」
あの、そういう表現やめてもらえません?
「じゃあ電車に向かうか?」
「うん、タクトも遠慮しないでちゃんと食えよ☆」
そう言って、彼がなめまわした部分を口に寄せられる。
思わず、生唾を飲んでしまった。
間接キスになるまいか?
「ほら、早く食えよ? 溶けちゃうぞ?」
ええい、ままよ!
俺はあむっと一口でいっぱい食べてしまう。
恥ずかしさもあってかだろう。
「ああ、タクト。ずっこいぞ! オレは口が小さいからゆっくりなめるのが好きなのに!」
頬をふくらますミハイルも可愛い。
「わ、悪い」
俺とミハイルはそのまま電車に乗ると、車内で立ったまま、交互にソフトクリームを舐めあう。
「ペロペロ……チュパッ。はい、タクトの番☆」
おちつけ、落ち着くんだ琢人。
こいつはミハイル。俺の男友達。アンナちゃんじゃないのよ!
「ああ……」
俺も恥ずかしながら、レロレロなめる。
「ハハハ、タクト。唇にクリームがいっぱいついちゃったな☆」
ミハイルはそう言うとピンク色のレースのハンカチで俺の口を拭う。
「あ、ありがとう」
「いいって。それより早く食べちゃおうよ☆」
そして、また俺がレロレロ、ミハイルがペロペロ……が延々と続いた。
辺りに立っていた若い女性たちがこちらを見て何やら囁いていた。
「ちょっ、あの二人やばくね? 車内でなめあうとかホテル帰りじゃね?」
「絶対、抜きあったあとだよ。そのあと、栄養補給にミルク摂取とか、どんだけ元気なんだか」
「どっちがタチでネコかな?」
貴様ら! 勝手に想像すな!
俺が腐り疑惑のある女性陣に目を取られたその時。
電車が急ブレーキで激しく揺れた。
「うぉっ」
「キャッ!」
咄嗟にミハイルの身体を抱きしめた。
身体の軽いでは倒れそうだと不安だったからだ。
時間としてはたった数秒だったのだが、何時間にも感じた。
俺の首元に伝わる彼の唇はほのかに冷たい。
だが、とても心地よかった。
小さくて少しこそばゆいミハイルのやわらかくて小さな唇。
そして微かに感じる体温。
このまま抱きしめていたい……そう思っている俺は頭がおかしくなってしまったのではないか?
そう思っていると車内にアナウンスが流れる。
『大変申し訳ございません。踏切の前に猫が入ってきまして、なんとか事故は防げました。お客様にはご迷惑をおかけしております』
車掌の声で俺は我を取り戻す。
ミハイルから身を離すと、彼は顔を真っ赤にしていた。
「あ、あの……守ってくれたの?」
上目遣いでどこか恥ずかしそうに俺を見つめる。
「いや、その咄嗟で悪かった…」
俺もどこか歯切れが悪い。
「いいよ……タクトがオレのこと大事に思ってくれたんだよな? ダチとして」
「まあ…な」
先ほどまで仲良くソフトクリームをシェアしていたというのに、ぎこちなくなってしまう。
しばらくの沈黙のあと、彼はこう言った。
「なあタクト……一つだけ言っていいか?」
「お、おう。なんだ? 何でも言ってみろ」
彼の答えに俺は密かに期待と不安を覚えた。
「言いにくいんだけど……」
顔を赤くしちゃって、可愛いやつだ。
「ダチだろ? 何でも言え」
ミハイルのことだ。「もう一回抱きしめて」なんて言うんじゃないのか?
「あのな……タクトのTシャツにソフトクリームぶつけちゃった……」
「え?」
俺は自身の胸元を見ると、べったりと白く染まったTシャツに気がつく。
その後、肌にぬるくて気持ち悪いの感触が伝わってきた。
列車が真島駅に着く。
「じゃ、俺帰るわ」
ちなみにTシャツが白濁液でびちゃびちゃなんだけどね。
ミハイルが申し訳なさそうに言う。
「あ、あの、タクト。ご、ごめんな」
「気にするな。それより、気を付けて帰れよ」
「う、うん……またな☆」
俺が列車から降りると、ドアがプシューと音を立てて閉まる。
振り返るとミハイルが胸元で手を組み、今生の別れを惜しむように俺を見つめていた。
俺は大量のBL本をえっさほいさと自宅に持って帰る。
自宅兼美容室である『貴腐人』のドアノブに手を掛けると例のイケボ声優の甘ったるい声が流れる。
「ここが……いいの?」
セリフ変わってやがる。
店に入ると珍しくたくさんのお客さんでごった返していた。
狭い店内に10人ぐらいは集まっていた。
全員マダム。
母さんの美容室は基本一人ひとり丁寧に対応することを売りにしているため、客は完全予約制、こんなに人がいるのはおかしい。
「あら、おかえり♪ で……例のブツは?」
眼鏡を鋭く光らせる真島のゴッドマザー。
なるほど、そういうことか。
「ただいま……これだろ」
やっとのことでクソ重いBL本を手から離すことができた。
俺が床に紙袋を置いた瞬間だった。
近くに立っていたマダムだちが豹変する。
さっきまでニコニコ笑っていたのに、奇声をあげる。
「きしぇぇぇ!」
「グルァァァ!」
「あは……アハハハ!」
ヤクでもキメてます?
それからは餌にむらがる獣のようにBL本を漁りまくる。
もちろん、俺の母親も例外ではない。
その醜態を確認すると、俺はどっと疲れが出た。
腐った女性陣をあとに階段を昇り、自宅である2階へと向かう。
シャワーを浴びて、汗を流すとエアコンをつけて涼しい部屋で泥のように眠った。
~次の日~
夜明けにスマホのアラームで目が覚める。
朝刊配達へと向かうのだ。
自宅の扉を開けようとしたそのときだった。
吹き飛ばされそうな強風が襲う。
「うわっ!」
思わず声が出てしまうほどだ。
おまけに頬に叩きつけるような大雨。
「こりゃ今日は荒れるな……」
嫌な予感がする。
長年、新聞配達をしていると嵐の日ほど苦労するものだと熟知している。
とにかく、朝刊配達というものはどんなことがあっても休みなどないのだ。
自身の身体が壊れない限り……。
なんてブラック企業。
俺は暴風と大雨に身体を揺さぶられながら、自転車のペダルをこぎ出す。
といっても道中何回もこけるので、途中から下りて押して歩いた。
いつもより3倍も時間をかけて、毎々新聞の真島店にたどり着く。
中に入ると店長があたふたしながら新聞を大型の機械に入れていた。
この機械は新聞紙をビニール包装するものだ。
そして奥では別の配達員が新聞紙の間にチラシを素早く織り込んでいく。
「あ、琢人くん! よく来れたね!」
配達店についたときは既に全身びちゃびちゃに濡れていた。
「まあ、いつものことですから」
大雪に比べたらましだ。
「さすが琢人くん。今日は一日台風みたいだよ?」
「え、マジっすか? 昨日まで天気よかったのに……」
ここで俺はなにかを忘れているような気がした。
ん? 今日って何か予定があったような……。
俺が必死に思い出そうとしたその時だった。
店長が奥からバイクを出してきた。
「はい、琢人くんの分! 真島は海が近いから波に飲まれて死なないようにね♪」
優しい笑顔で怖い事いうのやめてくれます?
「じゃ、いってきまーす」
俺はバイクのエンジンを吹かすと出発した。
配達中ゴミ袋が風に乗ってブッ飛んできたり、木が折れたり、この世の終わりのような風景を目の当たりにした。
例年にないような台風だな……。
※
何度もバイクを倒したりしたが、無事に配達を終えることができた。
だが、その間もずっと嵐はおさまることがない。
なんとか帰宅すると、シャワーを浴びる。
そして、スマホの通知画面を見ると41件もあることに驚いた。
「誰だ?」
メールとL●NEのコンボ。
ミハイルとアンナの二人からだ。
というか、ひとりでよく使い分けるよな。
『大丈夫か、タクト死んでないか?』
『新聞配達気をつけろよ!』
『オレも一緒に配達しようか?』
その前にきみが真島までこれないでしょ。
お次はアンナさん。
『タッくん、台風だいじょうぶ?』
『お仕事終わったらホットミルクでも飲んで身体を暖めてね』
『アンナ、泣いてるよ。タッくんが上半身裸でバイクに乗っているところを想像すると……』
ちょっと、なんで卑猥な妄想入ってるんすか?
さては昨日のBL本を読んだせいだな……。
俺はため息と共に苦笑する。
なんだかんだ言って、こいつ……いや、こいつらは俺のことを慕ってくれているんだな。
悪い気分じゃない。
無事に仕事を終えたことを"ふたり”に返信しておく。
すると一秒もしないでほぼ同時にメールとL●NEが送信されてきた。
ハッカー並みのタイピングでもしているんですかね?
『おつかれ! タクト☆』
『えらいね、タッくんってば☆』
ちょっとここまで来ると恐怖を感じますねぇ……。
それからしばらくミハイルとアンナの順に交互に連絡を取り合う。
リビングに来ると母さんが朝食の準備をしていた。
妹のかなでも眠そうにテーブルの前に座っている。
ちなみにノートPCを置いて朝から大ボリュームで男の娘もののASMRを流していた。
『はあああん! お兄ちゃ~ん、ボクなんかで……あああああ!』
これだからこの家は嫌なんだ。
「かなで。いつも言っているだろ。ノートPCは自室だけにしろと」
「なんでですの? BGMに最適でしょ?」
屈託のない笑顔で返すかなで。
「アホか、死ぬわ」
俺はコーヒーを淹れながら汚物を見るような目で見下す。
「そう言えば、死ぬといえば……タクくん大丈夫だったの?」
キッチンから母さんが目玉焼きを乗せた皿を二つ持って現れる。
「ん? なんのことだ?」
「あれよ」
そう言うと母さんはリビングの奥にあったテレビを指差す。
ちょうどローカル番組が放送されていて、若い女子アナが暴風のなか、ヘルメットにレインコート姿で映っていた。
『今年初めてとも言っていい……台風5号ですが、きょ、きょう…一日続くようです』
細い身体の女性は何度も身体を強風で揺さぶられ、フラフラしていた。
それはカメラも同様だ。映像がグラグラと不安定だ。
モニター越しでもヤバい天気だということがよくわかる。
『視聴者のみなさんは……不要不急の外出はおやめください……それではスタジオにお返しします』
中継先から静かなスタジオに映像が移り変わると、福岡では有名な男子アナ、島々浩二がこう言った。
『今日は‟博多どんたく”ですが中止でしょうね……』
「ん……」
俺は博多どんたくという言葉が引っかかった。
「残念ですわね、どんたくの男の娘パレード楽しみにしてたのに」
「そんなものやるか」
ツッコミを入れたが、今のご時世ならあるかも。
「あらあら、ゴールデンウィークの醍醐味だというのにね……」
母さんがそう言うと俺は微かな記憶がよみがえる。
そうだった。
今日は三ツ橋高校のJK、赤坂 ひなたと博多どんたくをデートするという取材の日だった。
「フッ、勝ったな」
俺は小さく拳を作り、ガッツポーズを決める。
めんどうくさいあのJKとのデートは台風という一大イベントで潰れたのだ。
すると、そのときスマホにメールが入る。
噂をすれば、赤坂 ひなただ。
『センパイ、台風ですね。でもどんたくは中止したとしても取材はしましょうね♪』
ファッ!?
命がけのデートですか……。
ちょっと、僕。遺書書いときますね。
「それじゃ行ってくる……」
そう言うと俺はリュックサックを背負い、スニーカーを履く。
珍しく一階の玄関には妹のかなでと母さんが見送りに来ていた。
「タクくん…本当に行く気? 電車も動いてないかもよ」
滅多なことじゃ動じない母さんがここまで心配するとは…今回の台風が凄まじいことを表している。
「おにーさま! 死なないで!」
かなでに至っては泣きながら俺の腕を掴む。
「死なないよ、たかが台風だろ? 新聞配達している方がヤバイんだぞ?」
ソースは俺。
バイクが倒れるほどの強風だぞ。しかも生身なんだから。
ガチで死ぬ危険性考えたら、配達しているほうが危ない。
「でも、せめて死ぬ前に、かなでで童貞を捨ててくださいな!」
そう言って、無駄にデカい乳を押し当ててくるJC。
鳥肌立ってきた。
「人を死ぬ前提で見送るんじゃない!」
俺は少し乱暴にかなでを振り切ると立ち上がった。
「あ……おにーさま」
「じゃ、行ってくる」
雨傘を持って玄関をあけた瞬間だった。
暴風で扉が吹っ飛び、右側の外壁にガンッと当たった。
「うわ……」
風と共に激しい雨粒がビシビシと頬にあたる。
「タクくん、真島駅まで歩けないんじゃない?」
「これぐらい……いつものことだ」
なんか俺も死ぬ覚悟をしつつある。
こんなところでまだ死にたくない。
直木賞と芥川賞取ってから死にたい。
「おにーさま、生きてかえっておくんなまし……」
まるで戦場に出向く武将に声をかける妹君だな。
「お、おう」
自信ない声で呟くと開きっぱなしの扉を無理やり閉めて、自宅をあとにした。
家から最寄りの真島駅までは普段なら5分とかからない近距離なのだが、今日は違った。
傘をさして歩きだすがものの数秒でぶっ壊れ、既にびしょびしょ。
迫りくる強い風が、前へと進む俺の足を邪魔する。
「死んでたまるかぁ!」
なぜか俺はブチギレていた。
新聞配達でもこういうことはよくある。
バイクのエンジンが起動しなくなったり、倒れて新聞紙がぐちゃぐちゃになって、「あーもうどうにでもしやがれ!」と自暴自棄になるのだ。
だって天候だから仕方ないよなって。
真島駅にやっとのことで着いた。
徒歩で20分。
あれ、おかしいな。
俺ん家、少し遠くなった?
エスカレーターに乗り、二階で乗車拳を買う。
改札口にはたくさんの人だかりができており、駅員のアナウンスがひっきりなしに流れている。
ダイヤが大幅に遅れており、現在の時間は『10:12』なのだが、二時間前の列車が未だに到着していないそうだ。
「マジかよ…」
思わず絶句する俺氏。
周りに立っていた人たちを眺めると大半がスーツを着たサラリーマンばかりだった。
「もう職場に電話して休むわ」
「これ行っても帰れないだろ」
「台風の中で……ハァハァ。濡れたキミが、‟ソニック”がス・テ・キ」
いや最後の歪んだ撮り鉄だろ。ちな『ソニック』てのは九州の特急列車ね。
一応、赤坂 ひなたに電話してみた。
彼女も真島駅から近い梶木駅にいるだろうから乗るとしたら同じ列車だろうから。
だって2時間前の電車が動いてないんだぜ?
「もしもし、ひなたか?」
『ブフォーーー! も、もし……もし。バハァーーー!』
ダメだ、風の音で全然聞こえん。
電話を切ってメールで連絡をとる。
『今どこだ? 梶木駅か?』
とメッセージを書いて送信するもなかなか完了できない。
よっぽど電波が悪いのか?
数分後、送信完了するとこれまた十分後ぐらいに返事が来る。
ダイヤル回線ですか?
ひなたからはこう返事が返ってきた。
『今、梶木です。真島も動いてないですよね?』
やはりそうか。
俺が同じ状況だということを伝え、「中止にするか?」とメールで提案したが、ひなたは断固として「博多にいきます!」と宣言した。
いや、明日でよくね? と思ってしまう俺だった。
~30分後~
奇跡的に電車が真島駅に到着するというアナウンスが流れた。
その時はもう既に改札口で待っているのは俺だけだった。
切符を自動改札機に通して、博多方面のホームへと降りる。
すると凄まじい雨風がまたしても襲ってくる。
傘はぶっ壊れたので邪魔なだけだ。
ホームにあったゴミ箱に捨ててやった。
ようやく来た列車はものすご~くゆっくりとホームへ入ってきた。
おじいちゃんかよ。
どうにかして車内に入るとガラッガラで席は座り放題。
わぁい!
ぼく、ひとりだけだぁ♪
なんてガキみたいな思考へと頭がバグり出す。
真島から列車がこれまたゆっくりと出発する。
ホームを出てもその速度は全然上がらない。
徒歩か? ってレベルだよ。
真島から梶木までは二駅で5分ぐらいの時間なのだが、こんなよちよち運転なのだ。
30分はかかった。
梶木駅に着くと俺と同様にびしょびしょに濡れた現役JKこと赤坂 ひなたが同じ車両に入ってくる。
一人だけね。
「あっ新宮センパイ!」
荒れ狂った天候とは違い、彼女の表情は日本晴れのようだ。
満面の笑みで手を振る。
迷彩柄のミニスカにタンクトップとキャミソールを重ね着している。
小麦色に焼けた素肌が露わになっている。
びちょびちょに濡れているオプション付き。
「おう、来れたか……」
なぜか彼女の姿を見るなりため息が漏れた。
だって博多駅に行ってなにすんの?
どんたくもやれんだろうし、果たして無事に帰れるのか。
「あ、なんで私のこと見てため息つくんです?」
頬を膨らますひなた。
「悪い悪い、この天気じゃな」
そういいながらとりあえず空いている隣りの席をポンポンと叩き、誘導する。
ひなたは「私みたいなピチピチJKとデートなんですよ!」と文句を垂れながらちゃっかり隣りに座る。
どうでもいいことなんだが、互いにパンツまで濡れているだろうから、自然と座っているモケットもびしょびしょだ。
JRがかわいそう。
そしてまたよちよち運転が始まる。
列車が動きだしたことを確認して、ひなたに問う。
「なあ今日ところでどんたくやるのか?」
「やるみたいですよ」
ファッ!?
死人が出やしないか。
博多どんたくというのは福岡を代表するお祭りの一つだ。
個人的にはどんたくには何の思い入れは何もない。
歴史なんぞはよくわからんが、素人が歩行者天国でパレードしてるって認識だからな。
まあ若いJKがミニスカなどで行進する姿は嫌いじゃない。
「マジかよ……」
「そりゃやるでしょうよ。一年に一回のお祭りですよ? みんなこの日のために練習したんですから!」
文字通り、命がけじゃん。
祭りで死ぬなよ。
ハッピーエンドであれ。
「解せないな…」
1時間もかかったのち、やっとのことで博多駅に着く。
圧倒的人気を誇るJR博多シティだが、今日ばかりは人っ子一人いない。
災害レベルで草。
「誰もいませんね……」
「だろうな」
改札口を出たところで、液晶モニターにこう書かれていた。
『本日の博多どんたくは中止となりました』
「ええ!? せっかく来たのに!」
顎が外れるぐらい大きな口を開けて驚くひなた。
いや、当たり前だろ。
「どうする、帰るか?」
というか帰りの電車、動いてないよね。
するとひなたは何を思ったのか、俺の左腕を強く掴むと「行きますよ!」と顔を真っ赤にして叫んだ。
細い女の子の腕とは思えないぐらいの強い力だ。
俺は引きずられるように引っ張られる。
ミハイルまではないが俺よりは力があるな。
さすが水泳部の姫。
「どこに行くんだよ……」
「そんなの博多駅なんだからどこでも遊べるでしょ!」
ひなたはそうは言うが、JR博多シティのお土産店や飲食店も軒並み臨時休業のお知らせが……。
それを見るなり、ひなたは「まだまだ他にも店があるんだから!」と俺を引きずり回す。
なにこのアホみたいな取材?
「ああ、なんでどっこもこっこも休みなのよ!」
がら~んとしたJR博多シティでブチギレる赤坂 ひなた。
大声で叫んだ声すら、やまびこのように反響して聞こえるのは幻聴か?
「仕方ないだろ。例年に見ない大型の台風らしいぞ」
俺は冷静にスマホで災害情報を確認する。
「じゃあ新宮センパイは今日のデート…取材はしなくてもいいっていうんですか!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る。
だが、それよりも気になるのがびしょびしょに濡れて、ブラジャーが透けている。
色は白と黒のボーダー。
「もう今日にこだわらなくてもいいだろ?」
別に明日で世界が終わるわけでもあるまいし。
「ダメです! センパイを放っておくとあの…忌々しいチート女が…」
「ん? 誰のことだ?」
オンラインゲームでチートはよくないが。
俺がそうたずねるとひなたは口を濁らせる。
「そ、それは……あの…センパイには関係ないです!」
いやなんでブチギレ?
「わかった。だが、このままじゃ帰ることもできないかもしれないぞ」
スマホでJRの運行状況を確認すると全て運休状態が続いている。
JR博多シティのアナウンスでも「ただいま全線運転見合わせとなっております」と流れる。
俺がそれを聞いてひなたに
「な、バスでもタクシーでもいいから早めに帰ろう」
と言うとまたもやブギギレ。
「なにもヤラないで帰れますか!? 取材になりません!」
いや台風の中、博多駅にこれただけでも奇跡じゃん。
十分取材になりました。
なんかのエッセイにでも書いときますよ。
というか、なにをヤル気?
「しかしだな、店も開いてない。外は猛烈な強風に大雨。このJR博多シティですら閉店状態だぞ? どこを見たり、遊んだりするんだ?」
俺が改めて周囲の店を見渡すがどこも開いてないし、ほぼシャッター街。
「うう……もう開いてさえいたら、なんでもいいですよ!」
ひなたはそう啖呵をきるとスマホで近隣の店をネットで探しだす。
俺はそれをしばらく隣りで見守るという……なんともシュールな光景。
おまけに濡れた服が乾くこともなく、なんだか身体が冷えてきた。
スマホとにらめっこしているひなたも例外ではない。
歯をカチカチと言わせながら全身ガタガタと震えている。
聞き分けのない女だな……とため息をついていると俺のスマホが鳴った。
アイドル声優のYUIKAちゃんが唄う『幸せセンセー』だ。
ああ、こんなときも彼女の可愛らしい歌声は俺を癒してくれる。
着信名を見れば、アンナちゃん。
「もしもし」
俺が電話に出るとアンナはかなり動揺している様子だった。
『あっ! やっと繋がった! 良かったぁ……』
後半、少し鼻をすする音が聞こえる。
泣いているのだろうか?
「アンナ。どうしたんだ?」
『心配したんだよ! ミーシャちゃんから聞いたの』
また自分と自分で対話ですか。
元々の人格と乖離してません?
「なにをだ?」
『ミーシャちゃんが言うにはタッくんが博多駅に行ったって言うから……』
俺、ミハイルにそんなこと言ったか?
「ん? 確かに博多駅には来たが、俺は誰にも伝えてないが?」
俺がそうたずねるとアンナはかなりあたふたしながら答えた。
『え、えっとね……あのアレよ! そ、そう! ミーシャちゃんがお友達のかなでちゃんていう子から聞いたらしいのよ!』
長い言い訳だこと。
というか、かなでのやつ、帰ったらおしりペンペンだな。
個人情報がダダ漏れじゃないか。
「なるほどな」
アンナは電話のむこうでわざとらしく咳払いをして、話題を無理やり変えようとする。
『そ、それより大丈夫なの? 大型の台風が福岡に直撃だってニュースで言ってたよ? 博多駅も危ないんじゃない。帰れるの』
「そうなんだが、今日は実はちと仕事で来たんだよ」
敢えて、ひなたの存在は隠しておいた。
あとあと面倒くさいので。
『仕事? こんな嵐の中で……? 出版社とか?』
う、こっちもこっちで言い訳考えないとな……。
「アレだ、取材だよ、取材…」
今度はアンナのターンになる。
さっきとは打って変わって俺があたふたする。
『取材? タッくんがアンナ以外と取材することなんて必要性ある?』
凍えるような冷たい声で問い詰められる。
や、やばい! このままでは俺は殺されてしまう。
「あ、いや……アンナの取材は特別だよ。今日は別件だ…」
自分で言っていて、かなり苦しい言い訳だった。
『ふーん。じゃあアンナも一緒についていっていいのかな?』
「そ、それはちょっと……危ないだろ」
『タッくんだって博多駅まで命がけで行ったでしょ? ならアンナもいっしょ☆』
優しい声で萌えそうだけど、なんかメンヘラ全開で怖いです。
俺が言葉に詰まっているその時だった。
「あーあ、やっぱりチート女だ」
振り返るとスマホをメキメキと握り潰す、ずぶ濡れのひなたの姿が……。
濡れた前髪がダランと下りていて、目が隠れている。
だが確かに感じる、彼女の燃え盛る炎を宿した眼球を。
まるでモンスターだ。
俺が彼女の姿を見て恐怖に震えあがっていると、スマホの受話器からアンナの声が聞こえる。
『タッくん? もしもし? 大丈夫?』
だいじょばない。
死ぬかも!
ゆらりゆらりとこちらへ近づいてくるひなた。
手の力を抜いて、ぶらぶら左右に揺らせながらゆっくり近づいてくる。
こ、これは! ノーガード戦法!?
俺がそう思った時は既に遅かった。
ひなたの左腕がムチのようにしなりをかけて、一瞬でジャブを繰り出す。
気がつくと俺のスマホはひなたにブン獲られていた。
なにを思ったのか、ひなたは俺のスマホを頬につけると勝手に話しはじめた。
かなりドスのきいた低い声で。
「おう、アンナか? 俺はよぉ。今、仕事で忙しいんだよ……」
まさかのモノマネである。
ちょっと俺に寄せてはいるが、オラりすぎだろ。
俺ってそんなヤンキーみたいなやつに見えてたの?
悲しい。
「わかったら、もうかけてくんじゃねぇぞ! いくらアンナでも俺様もオコだぞ?」
バカそうなキレかただ。
「あ? 博多に来るだ? 来れるわけねーだろ! バカかおめぇは! ニュース見てねーのか? 電車も動いてねーんだわ!」
いや、もうヤクザレベルじゃん。
俺のアンナちゃんをいじめないで。
「ヘッ、来れたら褒めてやんよ。じゃあな!」
ちょっと! なに勝手にアンナを煽ってんのよ!
しかも一方的に切りやがって。
そして前髪を奇麗に整えてから、スマイリーひなたが現れる。
「ハイ、センパイお返ししますね♪ 前も言ったじゃないですか? ストーカーを相手にしたらダメだって♪」
お前はストーカーより怖いアウトローだよ。
「ひなた……勝手に人の電話をとるな!」
アンナのことが気になってスマホを再度確認しようとすると、ひなたがグッと強い力で俺の指先を止める。
「センパイ♪ デート中はスマホお触り禁止だぞ♪」
そして、スマホのスイッチを長押ししてシャットダウン。
またこの展開かよ……。
あとが怖いんだってば。
アンナのやつ真に受けてないといいが……。
「ところでセンパイ、さっきネットで一つだけ開いている店を見つけましたよ♪」
「え、そうなの?」
アンナとひなたの恐怖のやり取りを見ていてすっかり忘れていたよ。
「はい♪ JR博多シティの隣りにある博多バスターミナルにネカフェがあるんです。そこなら時間も潰せるし、ご飯もマンガもシャワーだってあるんですから♪」
「は、はぁ……」
これってひょっとして徹夜コースですか?
俺はひなたに連れられて、しぶしぶ博多駅隣りにあるバスターミナルに向かった。
1階から2階まではバスの発着場なのだが、3階からは専門店街、全国チェーンの本屋や衣料店、飲食店、100均、ゲーセンなどの施設が8階までびっしり充実している。
JR博多シティよりは敷地が狭いけど、ここだけでも一日時間を潰せそうなビルだ。
といっても今日は例の台風によってほとんど休業中だが……。
バスターミナルに入るとすぐにエレベーターへ向かった。
最上階である8階へと向かう。
8階は複数の飲食店と献血ルーム、それにお目当てのネカフェがある。
チンと音を立てて目的地へついたことをお知らせ。
自動ドアが左右に開き、迷うことなくネカフェに一直線。
「さ、つきましたよ! センパイ、ネカフェ来たことあります?」
「いや、ないな」
「はじめてなんですね!? 良かったぁ♪」
手を叩いて喜ぶひなた。
なにがそんなに嬉しいの? わしにはさっぱりわからん。
店内に入ると根暗そうな眼鏡の若い男性店員がお出迎え。
出っ歯で眼鏡、おまけに脂ぎった長髪を額の中央でセンター分け。
雨の日だからカッパが出没したのかと思った。
「らっしゃい。この店は初めて?」
超やるきねーし、なんか感じ悪いな。
俺が店員の対応にイラッとしていると、ひなたは気にする素振りも見せず、笑顔で答える。
「はい、初めてなんです♪」
びしょ濡れのJKのスマイルだ。
これには陰気な店員も少しヘラヘラ笑っている。
だってブラ透けてるし。
「へ、へぇ……じゃあ会員手続きしてね。あと時間と席を指定して」
「わかりました」
先ほどのやる気ゼロ対応はどこにいったのか?
顔を赤くしてデレデレしながら、大きなチラシをカウンターに取り出す。
「な、何時間いたいの?」
「うーん……どうしよっかなぁ」
なんか俺抜きで盛り上がってるから帰ってもいいかな?
「き、キミ、台風で帰れなくなるかもよ? ここならシャワーもあるし着替えもあるから泊まってけば……」
ハァハァと気持ち悪い吐息を漏らしながら、ひなたの胸元をガン見する店員。
これ事件の危険性ありっすかね。
「ん~、そうしよっかな」
勝手に決めるひなた。
俺の同意は?
「ヘヘヘ、そうしなよ。この店は部屋にカギもついているし防音だからね。くししし…」
ええ!? なんかヤバくない? この店。
防音って……。
「じゃあそうします。明日の朝までお願いします♪」
勝手に決められちゃったよ。
すかさず俺がツッコミに回る。
「な、なあ、ひなた。さすがにお泊りはよろしくないだろ」
俺がそう言うと店員は舌打ちして睨む。
「邪魔すんなよ、モブが…」
小声でそう呟いた。
誰がモブじゃ!
「別に問題ないでしょ?」
目を丸くして答えるひなた。
「大ありだ。お前の親御さんにはなんて伝える気だ? 結婚前の若い女子がお泊りなんて怒られるだろう」
俺がそう言うとひなたはケラケラ笑い出した。
「センパイって結構、昭和!」
悪かったな、令和ぽくなくて!
「でも大丈夫ですよ。うちはパパとママが共働きでほとんど家にいないし、連絡さえしとけば大丈夫です。女の子なんてけっこう女友達の家に頻繁に泊まるし」
「なるほど……しかしだな」
「もうセンパイってば、説教くさい!」
なんで俺が怒られるの?
ひなたは話の途中だというのに俺に背を向けて、また例の店員と話し出す。
「えっと部屋は……」
「フフッ、女の子ならこのピンクの部屋はどうだい? 今なら入会特典でたこ焼きをプレゼント中だから、僕が部屋まで持っていてあげるよ…」
この店員、前科あるよね。
「ん~カワイイけどシングルシートだからナシで」
「えっ!? まさか隣りのヤツがキミの彼氏なの?」
またまた俺を睨む。
「か、彼氏!? 違います!」
顔を真っ赤にして全力で否定するひなた。
「だ、だよね……じゃあただの知人だ、グフフ」
あの俺を置き去りにするの、やめてもらっていいですか?
「知人でもなくて、お仕事の相手です!」
「え……」
思わず絶句する店員。
なんか別の意味のお仕事として捉えてない? ピンクジョブ。
「センパイは何も知らないから、経験豊富な私が相手になって色々教えてあげないとダメなんです」
話がどんどん歪んでいく。
「経験豊富だって? キミ、いくつ? ハァハァ…」
息遣いが荒くなるカッパ店員。
「私ですか? 16歳ですけど? ま、私もただのJKだから人並みにしか、知らないですけどね。友達とかもわりと多いほうだし、知識としてはちゃんとインプットしてるっていうか…」
「つ、つまり、キミは不特定多数の人と交流が好きなんだね。グフフ」
話が嚙み合ってない。
「ま、そうかもですね♪ 放っておけないタイプって感じ?」
「そっか……優しいんだね。無知なあの男の子に色々教えてあげるなんて…僕も教えてほしいな」
頭痛い。
両者、平行線のまま話は進み、やっとのことで部屋の選別に入る。
「じゃ、このフラットシートで♪」
「わ、わかったよ。もしなにかわからないことがあったらなんでも言って。ぼ、僕もキミに教えてほしいことあるし……フフフ」
こんなところに一泊したくない。
「りょーかいです♪」
「じゃ、じゃあ……明日の朝6時まで部屋を使えるからね」
といってカウンターにカギと受付したレシートを差し出す。
ひなたはそれらを受け取ると、俺の手を取り「いきましょ」と引っ張る。
カウンターから離れる際にカッパ店員がこう囁いた。
「3人でもアリかもね?」
意味深な言葉を吐き、不敵な笑みを浮かべていた。
背筋に悪寒を覚え、ブルっと震えた。
気持ち悪い店だなぁ。
そんな俺の不安をよそに、ひなたは終始ご機嫌だ。
鼻歌交じりに奥へと進んで途中、ドリンクバーを見つけ「部屋に持っていきましょ」と俺に促す。
こんなときでも俺は安定のブラックコーヒー。
しかし今日は雨で濡れていたのでホットで。
ひなたはメロンソーダにソフトクリームを入れて、クリームソーダにしていた。
※
俺たちの部屋はフラットシートと呼ばれ、他の個室とはちょっと違ってかなり大きな部屋だった。
カギを開けるとその広さに驚きを隠せなかった。
6畳はある部屋の中にはローデスクの上に大きなテレビが1台。パソコンが1台とゲーム機があった。
それからマットの上にリクライニングシートが二つ。
「これはかなり時間を潰せるな」
俺が感心しているとひなたは何かに気づいたようで、あたふたしていた。
「ちょ、ちょっと! センパイ、なんで言ってくれなかったんですか?」
顔を真っ赤にして何やら怒っている。
「なにがだ?」
「私の服ってスケスケだったんですか!?」
「え、そうだけど」
わかっていたのだと思っていたんだけどな。
「バカッ!」
次の瞬間、俺の首は左に吹っ飛んだ……かと思うぐらい強い平手ビンタ。
「私、シャワー浴びてきます!」
そう言うと部屋から出ていった。
「忙しいやつだ……」
俺は改めて、リクライニングシートに腰を下ろすと、どっと疲れが出た。
家から出てまだ2時間ぐらいだが、こんなに疲労する外出は初めてだ。
ひなたが不在なのをいいことに、スマホの電源を入れなおす。
どうしてもアンナのことが気にかかっていたからだ。
起動するとやはり着信履歴は213件。
全部アンナちゃん。
L●NEも未読のメッセージが1002通。
腱鞘炎にならないのかな?
とりあえず、アンナに電話をかけてみる。
が、彼女にしては珍しく10秒以上ベル音だけが鳴り響く。
それがエンドレス。
つまり出てくれないのだ。
「あれ、ひょっとして無視られているのか?」
そう思ってL●NEでも返信を送ったが、既読にならない。
一体どういうことだ?
俺はとりあえず、ひなたにはバレないようにスマホを起動したままにしておく。
サイレントモードだ。
「まさか……な」
一つの不安が俺の脳裏をよぎる。
「ぷはー、美味しいですねぇ♪ クリームソーダ」
と言って、湯上りの赤坂 ひなたはドロドロに溶けたソフトクリーム入りのメロンソーダをがぶ飲みする。
着替えがあったようで、ネカフェのパジャマを着てきた。
半袖にショーパン。
「センパイも入ってきたらどうですか?」と促され、確かに濡れたまま部屋にいるのも気持ちが悪い。
ひなたに続いて俺もシャワールームへと向かった。
個室を出て、大量のマンガ棚を左右にして通路を奥へと進む。
突き当たってトイレがある。その隣りにシャワールームがあった。
男性用と女性用のパジャマがあり、俺はもちろん男! なので、野郎用を取る。
脱衣所には乾燥機があったので、服を全部脱いでぶち込んでおいた。
そこで気がつく。
「ん、これがあるならパジャマいらなくないか?」
まあいいか、と俺は全裸で浴室へと入る。
薄い壁で仕切られたブースが横並びに3つほどあった。
中には誰もいない。
貸し切り状態だな。
蛇口を回し、温かいお湯を肌で感じる。
冷たくなった身体が暖まっていく。
近くに備え付けのシャンプーとボディシャンプーがあったので、ついでに洗い出す。
頭をゴシゴシ洗っていると、一つのことがどうしても気になる。
アンナのことだ。
俺が電話やL●NEしたときは必ず秒で反応がするのがアンナであり、ミハイルでもある。
そんな彼女と話すことができなかったのが、すごく心配だった。
台風のせいで電波でも悪かったのだろうか?
にしても、アンナのことなら必ず着信履歴から何らかの手段で連絡を取ってくるはずだ。
ひなたがシャワーを浴びている間、30分以上も部屋で彼女からの反応を待っていたが、スマホは微動だにしなかった。
その静けさが恐い。
彼女の身になにかあったのでは? と……。
そんなことを考えていると、俺は既に全身洗い終え、ピカピカの身体になっていた。
脱衣所に戻り、濡れた身体をタオルで拭いている間もアンナのことで頭がいっぱいだった。
パジャマはボタン式だったが、考え事をしていたせいか、何度もボタンをかけちがえてしまう。
鏡があったので、自分の顔をよく見てみるとなんてしまりのない顔なんだ……と自ら落胆してしまう。
「アンナ……」
そう一言だけ、名前を呟くと俺は乾燥機でホカホカに暖まった自分の服をカゴに入れて、シャワールームを出た。
「あ、早かったですね♪」
個室に戻るとひなたは足を崩して、女の子座りで少女マンガを読んでいた。
めっちゃくつろいでるやん。
「まあな。ところで、パジャマ使う必要性あったか?」
俺がそうたずねるとひなたは眉間にしわをよせた。
「ええ? そりゃ使うでしょ。だって乾燥機に入れたらかわいい服が縮みますもん……」
「そうなのか。俺は普通に乾燥させたけど」
と言って、左手に持っていたカゴの中の服を見る。
「やっちゃったんですか? センパイの服、絶対もうダメになってますよ!」
焦るひなた。
「マジでか?」
俺はカゴを床に下ろすと自身のお気に入り、『タケノブルー』のキマネチTシャツを取り出す。
「うわ……」
女の子が着れるってぐらいのチビTに縮んでしまっていた。
ぴえん。
「あらら……もうそれ着れなくないですか?」
苦笑いで俺のTシャツを指差す。
「伸びないのか、これ?」
「無理ですよ~ 明日になれば、バスターミナルで服屋さんも開きますから、新しいの買ったらどうです? そのTシャツ、あんまり可愛くないですもん」
と言って口に手を当てて、クスクス笑いだす。
かっぺムカつく。
ふざけんな、この崇高なるタケちゃんのオフィシャルグッズに!
「おい、俺のファッションセンスをどう言おうが構わんが、タケちゃんのロゴをバカにするのは許さんぞ?」
ちと凄んでおく。
タケちゃんを軽蔑するやつらは、お弟子さんと共に襲撃せねばな。
「そ、そんな冗談ですよ……」
あまり俺が女子に怒らないせいか、ひなたも少しうろたえる。
「わかってもらえればいいのだ」
もう着れなくなっちゃって……ごめんよタケちゃん…。
と半分涙目できれいにTシャツを畳む。
その姿を見てか、ひなたは居心地悪そうにしていた。
「あの…私が先に言っておけばよかったですね」
「別にひなたのせいじゃないだろう。無知な俺が悪い」
と言いつつも、「それ早く言ってよぉ」と心の中で嘆いた。
「でも、もうセンパイには着れそうにないですね。けっこう華奢な女の子が着れるかも?」
ひなたがそう言うので、俺は改めて彼女の身体を下から上まで眺める。
確かに彼女も細い体つきではあるが、少し筋肉質だし、丈も短くなったので無理かもしらんな。
俺がひなたの顔をまじまじと見つめていると、ひなたの顔がボンッと真っ赤になる。
「な、なにさっきからじっと人の顔を見ているんですか!? やらしぃ!」
と言って、本日2発目のビンタ。
こいつ、宗像先生より暴力が多いような……。
赤く腫れた頬をさすりながら、話題を変える。
「ところでマンガ読んでいたのか?」
「あ、これですか。超おもしろいんですよ!」
そう言って、俺に手渡してきたのは普段見慣れない少女マンガ。
タイトルは『おめぇに届きやがれ』
渡されたので適当にパラパラとめくる。
王道の恋愛マンガか……あんまりピンと来ないな。
俺はマンガもどちらかというとアングラ系が好きだし、こういうのは家に一冊もないので。
だって、少女と女性は家にいるけど、こんな健全としたマンガ興味ないもん。
あいつら……。
「どうですか、おもしろいでしょ? こうなんていうか、胸がキュンキュンしてきません♪ あー思い出すだけで心がポカポカしてきちゃう……」
肺炎じゃないですか?
「ふーん」
「なんですか、その反応……つまんなぁい!」
頬をふくらませて、不機嫌そうに俺を睨む。
「いや、こういうの……苦手ってわけじゃないんだがな。俺は映画専門なんだよ」
そう言い訳して逃げようとする俺氏。
「じゃあこうしましょ♪ 実写化もされてますし、今から映画を観ましょう!」
「え……」
いらんこと言わなきゃよかった。
俺が「邦画はタケちゃんしか観ない……」と言ったが、ひなたは聞く耳を持たず、鼻歌交じりでパソコンをいじり出す。
どうやら、このネカフェは動画の定額サービスと契約しているようだ。
ひなたがキーボードでタイトルを打つと、すぐさま作品がヒットする。
「センパイ! これ全3部作で合計6時間ありますからちょうどいいですね♪」
なにが?
ふと時計の針を見ると既に『13:56』
腹も減るわけだ。
てか終わったら、夜じゃん。
「まあそれもいいが腹が減らないか?」
空腹の時、人はみな自分勝手になる……とグルメ感出しておく。
つまりはメシで逃げようって話だ。
「あ、それなら問題ないですよ♪」
ニッコリと微笑むひなた。
「え…なんで?」
「センパイがシャワー浴びてるときにご飯頼んでおきましたから♪」
勝手に頼みやがって!
注文するときは俺を待てよ! メニューを眺めるのが楽しいのに!
俺が少しキレ気味に「了解」と答えた瞬間、個室のドアがノックされた。
ドアを開けると先ほどのカッパ店員が大きな皿を3つ持って現れた。
「フフフ、楽しんでいるかい? ご、ご飯しっかり食べて体力つけといてね……」
なぜかきしょいウインク付き。
「ありがとうございます」
そう言ってひなたはキモい妖怪から皿を受け取る。
「こ、これ僕が作ったんだぁ……」
めっちゃニヤニヤしてるよ。変なもん入れてない?
「わぁ、お疲れ様です。食べるのが楽しみ♪」
恐らく0円のスマイルをカッパに提供するとひなたは扉を無慈悲にバタン! と大きな音を立てて閉めた。
言っていることとやっていることが違いすぎて怖い。
「さ、センパイ、"おめとど”みましょ♪」
笑顔でプレッシャーをかけてくる。
「おう……」
俺ってば監禁されてる?