俺とミハイル、花鶴 ここあの三人で各生徒のスマホを無断で使用し、本人を偽って、『学校に泊まる』と連絡した。
その後、宗像先生が食堂に来ると、両手にたくさんのスーパーの袋を手にしていた。
「よう、おつかれさん! 差し入れ持ってきたぞ!」
ビニール袋を食堂のテーブルに置く。
中身をのぞくと大半が酒とつまみ。
「宗像先生、まだ飲む気ですか?」
「バカモン! 夜通し飲むのがいいんじゃないか」
よくねーよ。
生徒たちを急性アルコール中毒にしやがって。
「でも、宗像センセ。晩ご飯とかお布団とかどうするんすか?」
ミハイルがお母さんに見えてきた。
「ああ、それなら問題ない」
と言いつつ、ハイボールをガブ飲みする。
「晩ご飯は食堂の冷蔵庫から適当に使え。布団なら私があとで持ってくるからな」
こいつは、学校をなんだと思っているんだ。
「じゃあ、オレがみんなのご飯作ってもいいっすか?」
やけにノリ気ですね、ミハイルママ。
「お、古賀は料理ができるのか。ついでに先生にもなんかつまみを作ってくれるか?」
こんの野郎、てめぇは反省しとけ。
「了解っす☆ 嫌いなものはないですか?」
嫁にしたい。
「ああ、ないぞ。古賀の作った料理楽しみにしておくからな」
ニカッと歯を見せて笑う残念アラサー女子。
一応、ミハイルは男の子なんですよ?
花嫁修業としてあなたが作るべきじゃないですか。
「楽しみに待ってくださいっす☆」
そう言うと彼は鼻歌交じりに厨房へと入っていた。
というか、無断で食材を使って料理するのって窃盗罪及び不法侵入に該当しませんか。
隣りのギャルと言えば、スマホをずっといじっている。
「花鶴、お前は料理とかするのか?」
俺がたずねると顔をしかめた。
「はぁ? あーしが料理とかするわけねーじゃん。料理って男が作るもんだべ」
え、近代的な回答。
私が間違っていました。
「なるほど……さっきお前のご両親は子供に無関心みたいなこと言ってたよな?」
「うん、そだね。あーしが深夜に遊んでも友達ん家に泊まっても全然心配されないっしょ」
超ポジティブに家庭問題を語るギャルちゃん。
「それ問題じゃないのか? お前のお父さんお母さんは普段なにをしているんだ?」
「は? そんなんフツーは知らないっしょ」
普通の解釈に僕と誤差が感じられます。
「マジか」
「うん、生まれてからずっとそんなんだったからさ。ミーシャの家とかでメシ食べさせてもらってたなぁ。というか、ミーシャがよく料理を持ってきてくれてたし……」
最強お母さん、ミハイル。
優しい世界だ。
「千鳥もそんな感じか?」
床でいびきをかいているハゲを指差す。
「うーん、力はちょっと違うかな。あそこは父子家庭でおっちゃんは優しいハゲだよ?」
劣性遺伝子を受け継いでしまったのか。可哀そうなハゲ。
俺らが駄弁っているとミハイルが厨房から大きな鍋を持ってきた。
「晩ご飯作っておいたぞ☆ 今日は大勢だからバターチキンカレーな☆」
この短時間でどうやって本場インドカレー作ったんだ?
「今から宗像センセのおつまみ作るぞ☆」
笑顔でキッチンに戻る。その後ろ姿、早く嫁に欲しい。
「さっすが、ミーシャ。男の子だよね」
失われる日本男子たちよ。
「ミハイルは特別だろ……」
~数時間後~
ようやく酔いが覚めたようで、床に転がっていた生徒たちがチラホラと目を覚ます。
みんな頭を抱えて、しかめっ面で起き上がる。
「いったーい、ここどこ?」
未だにブルマ姿の赤坂 ひなた。
「おお、ひなた。目が覚めたか」
「センパイ!? 私、今までなにしてましたっけ?」
さすがに酔っぱらって俺のナニに顔を突っ込んでいたとは言えない。
「ん? そのあれだ。みんな宗像先生が間違えてジュースに酒を混入させて振舞っちゃって……で倒れてた」
言葉に出すと事件性が悪質であることを再確認できる。
「ええ、私倒れてたんですか……ってか、ここ三ツ橋の食堂ですよね? 誰がここまで私を運んでくれたんですか?」
首をかしげるひなた。
「俺だよ」
そう答えるとひなたは顔を真っ赤にして、モジモジしだす。
「セ、センパイが? 嫌だな、ヨダレとか出してませんでした? 恥ずかし」
いや、あなたの場合、そんな可愛らしい寝相とかそういう次元じゃないんで。
露出ぐせがパなかったです。
「その件なら問題ないさ」
「良かったぁ」
胸をなでおろすひなた。
事実を知ったら不登校になり兼ねないので、事実は隠ぺいしておく。
そこへミハイルが現れる。
「ひなた、起きたか? ほら、水飲めよ☆」
ミハイルはいい嫁になりますね。
「あ、ありがとう……ミハイルくんは大丈夫だったの?」
「うん☆ オレとタクトは大丈夫☆」
花鶴はノーカンか、かわいそうに。
「腹減ったろ? 今、カレーあたためてってからな」
ミハイルがどんどんみんなのお母さんになっちゃう。
そして、次々と生徒が目を覚まし、起きる度にミハイルがコップに水を入れて持っていくその姿は正に聖母である。
全員、目が覚めたところでテーブルに一列に並ぶ。
ミハイルは一人ひとりにランチョンマットとスプーン、フォークを置き、最後に白い大きな皿を配る。
スパイシーな香りが漂う。
「じゃあ、おかわりもたくさんあるし、あとタンドリーチキンも別に作ったから、みんなたくさん食ってくれよ☆」
おいおい、タンドリーチキンがつまみかよ。
ミハイルの高性能ぶりに多くの女子たちがガクブルしていた。
「ちょ、ちょっと古賀くんってあんなに女子力高かった?」
「女子より女子じゃん。プロレベルだし」
「くやしー! 私もこんなに料理上手かったら彼氏にフラれなかったかも!」
ドンマイ!
その後はみんな「うまいうまい!」と連呼しながら、ミハイルの料理を味わった。
時には涙を流すヤンキーまでいた。
「うめぇ、死んだおふくろの味だぜ」
嘘をつけ! お前は絶対日本人だろ!
俺も料理を食べ始めるとミハイルが隣りに腰をかける。
「タクト、うまいか?」
「ああ、安定のプロレベルだな」
「そっかそっか、良かったぁ☆」
自分は食べずに俺の食う姿をニコニコと笑って見つめる。
食っている姿を見られるのもこっぱ小恥ずかしいもんだ。
「あれ、オタッキーってミーシャの料理食べたことあんの?」
スプーンを口に加えたまま、喋る花鶴。
「え……」
ヤベッ、アンナとミハイルがごっちゃになりつつあるな。
「いや、お昼に弁当もらったし、それでな」
「ふーん、ミーシャと仲良いんだねぇ」
どこか不服そうだ。
「そう言えば、宗像センセはどうしたの? オレ、つまみ作ったのに」
「あんなバカ教師、放っておけ。つまみなんて作ってやる義理はない」
至極当然な答えだ。
「誰がバカだって? 新宮」
振り返るとそこには鬼の形相で見下ろす宗像先生が。
「あ、いや……宗像先生。ミハイルがつまみにタンドリーチキン作ったらしいっすよ」
「え、マジ!? やったー!」
ほら、やっぱバカじゃん。
しばしの夕餉を各々が楽しんだ後、時計の針は『22:21』に。
「さあ、そろそろ寝るぞ。みんな!」
と宗像先生はタンドリーチキンを片手に叫ぶ。
こいつはミハイルの味をしめやがって。
「寝るってどこに寝るんですか? 床は汚いし冷たいですよ」
俺がそう言うと、宗像先生は「へへん」とどこか自信ありげに答えた。
「布団を持ってきたぞ!」
そう言って、先生はどこから持ってきたのか、薄汚れた体育マットを何枚も食堂に持ってきた。
「どれでも使え!」
それを見た生徒たちは一斉に静まり返る。
「先生、帰ってもいいですか?」
「バカモン! まだ酒くさいやつもいるだろが! 証拠隠滅に手を貸せ」
こんの野郎が。
「タクト、オレこんな布団で寝るの初めてだよ☆」
いや俺だって初体験だわ。
クソが。
俺たちは食堂の重たいテーブルをみんなで壁に寄せた。
スペースを確保して後、宗像先生が用意したきったねぇ体育マットを床に広げる。
正直、毎日掃除されてそうなフローリングの方がキレイに感じる。
だが、床に寝るのも肩や腰を痛めそうだし、我慢しよう。
「あの、先生」
宗像先生の方を見ると食堂のカウンターで立ち飲みしていた。
ミハイルが作ったタンドリーチキンをうまそうに頬張る。
「うめっうめっ……」
泣きながら食してらっしゃる。
よっぽど普段から貧しい食事を摂取しているようだ。
ハイボールを一気飲みすると俺に気がついた。
「どうした? 新宮」
「いや、枕とかないんですか?」
俺の質問に宗像先生は顔をしかめた。
「あ? 枕だぁ? 私なんか毎日事務所のソファーで寝ているんだぞ? そんな高価なものはお前らには必要ない!」
枕うんぬんの前にお前の家がないことに驚きだよ。
事務所を自宅にするな!
「じゃあどうしたら……」
「カバンとかリュックサックでも使ったらどうだ? 私は毎日教科書を束ねて枕にしているぞ」
お前はそれでも教師か!
「わ、わかりました……」
聞いた俺がバカだった。
肩を落として、自分の寝るマットを探す。
するとミハイルが俺の左腕を掴む。
「タクト☆ 一緒に寝ようぜ」
グリーンアイズをキラキラと輝かせて、迫る可愛い子。
夜這いOKってことすか?
「ああ、かまわんけど」
こいつとは自宅でも一緒に寝たことあるしな。
「ズルい! 私もいれてください」
そこへ茶々を入れるのは赤坂 ひなた。
着替えがないのか、未だに体操服姿にブルマだ。
「いや、ひなた。お前は一ツ橋の生徒じゃないし、酔いも冷めただろ? 家に帰ったらどうだ?」
「はぁ? 嫌ですよ! 私だって同じ学園の仲間ですよ! 私も一緒に寝かせてください。心細いんです……」
確かに一人だけ全日制コースの生徒だからな。
寂しいんだろう。
「だが、ひなたは女子だろ? 一緒には寝れないよ」
寝たいけどね。
「ええ……前に寝たことあるくせに」
口をとんがらせる。
誤解を生むような発言はやめてください。
その言葉を見逃すことはないミハイルさん。
「ダメダメ! ひなたはここあかほのかと寝ろよ! それにタクトとラブホで寝たのは偶然だろ」
おい、お前が失言してどうするんだ。
「え……なんでミハイルくんがあのこと知っているの?」
顔を真っ赤にして、動揺するひなた。
そりゃそうだ、あのラブホ事件を知っているのは俺とひなた、福間。それにアンナぐらいだ。
あくまで女装中のアンナちゃんだぜ。
ごっちゃになってるよ、ミハイルくん。
「え、だって……あ!?」
思い出したかのように、口に手を当てて隠すミハイル。
だがもう遅い。
ラブホという言葉に何人かの生徒たちが耳を立てていた。
「オタッキー、この子とヤッたの?」
花鶴 ここあがなんとも下品なことを聞いてくる。
「ヤッてねーよ」
「そうなん? じゃあラブホで断られた的な?」
「あれは事故だ……説明が面倒だ。とりあえず、ただ入っただけだよ」
事実だし。
「ふーん、ひなたんだっけ? マジでヤッてないの?」
勝手にあだ名つけてるよ、この人。
話を振られて、顔を真っ赤にする赤坂 ひなた。
「し、してないかな……」
なんで疑問形?
やめてよ、あなたとはそういう関係じゃないでしょ。
「なんかスッキリしなーい。ラブホ入ってさ、ヤラないカップルとかいんの?」
いるだろう、口説くのに失敗した人とか。
「カップルだなんて…私と新宮センパイはまだそんな仲じゃ……」
おいおい、やめてよ。勝手に盛り上がるのは。
「ここあ! タクトとひなたはただの知人。ダチでもないの!」
ブチギレるミハイル。
ダチ認定は俺が決めるんで、あなたにはそんな権利ないっすよ。
「そうなん? ひなたんはどうなん? タクトとワンチャンありそうなん?」
それってどっちにチャンスがあるんですか?
「えっと、私は新宮センパイのこと、前から尊敬できる人だって思ってます」
モジモジしだす赤坂 ひなた。
「へぇ、てことはヤッてもいい男ってことっしょ」
こいつはヤるかヤラないかでしか、関係を築くことができないのか?
「もうやめろよ、ここあ! タクトが困っているだろ!」
おともだちの床をダンダンっと踏みつけるミハイル。
「別によくね? オタッキーは他にヤリたい女でもいるん?」
あの、そこは『好きな人』とかで良くないっすか。
言われて回答に困った。
「そ、それは……」
俺が口ごもっていると、ミハイルとひなたが左右から詰め寄る。
「いるよな! タクト!」
「そんなビッチがいるんですか? センパイ!」
ちょっと待てい。ミハイルはヤるって意味わかってないだろ。
それからひなたはアンナに謝れ。
俺たち4人で恋愛トークならぬヤリトークで盛り上がっていると、宗像先生がやってきて、「やかましい」と全員の頭をブッ叩いた。
「いって」
「キャッ」
相変わらず可愛い声だミハイル。
「ゲフン」
「ってぇ」
女子陣は可愛げもない。
「なーにをヤるだヤラないだってピーチクパーチク言っているんだ! 学生の本分は勉学だろ!」
教科書を枕にしているようなあなたには絶対に言われたくない。
「さっさと寝ろ!」
「それなんすけど、赤坂 ひなたが俺と一緒に寝たいって言うんです。さすがにまずくないですか?」
俺がそう言うと宗像先生は鼻で笑った。
「いいじゃないか、ガキ同士仲良く寝ちまえ。間違いはおこらんよ。私が見ているしな」
そう言う問題ですか?
「やったぁ!」
ジャンプして喜ぶひなた。
「んならあーしも一緒に寝るべ」
どビッチのギャルがログイン。
「なんでここあまで……」
涙目で悔しがるミハイル。
結局、花鶴 ここあ、赤坂ひなた、俺、ミハイルの順に一つの体育マットで寝ることになった。
「タクト、もっとこっちに寄れよ」
「ちょっと! センパイが狭くなるでしょ?」
「いいんだよ、タクトがひなたに変な気起こしたら教育上良くないだろ」
「別になにもしないわよ。ミハイルくんってなんでそんなに新宮センパイにこだわるの? なんかお母さんみたい」
だってお母さんだもの。家事ができる高スペックママ。
「オ、オレは……ただアンナのためにタクトを守っているんだ」
「え? アンナちゃんの知り合いなの?」
口論が続いているが、俺は沈黙を貫く。
なぜならば、左右からミハイルとひなたに両腕をちぎれるぐらいの力で引っ張られているからだ。
マジいってーな。
花鶴 ここあはいびきをかいて寝てしまった。
腹をかきながら夢の中。スカートがめくれてパンツはモロだし。
「アンナはオレのいとこだよ」
「だからね、身内のために私とセンパイの仲を裂こうってわけ?」
「そんなんじゃないって……タクトとアンナは仕事で取材してるから…」
「私もセンパイと取材してるけど?」
あーうるせ、こいつら。さっさと寝ろよ。
「と、とにかくタクトはオレしかマブダチがいないの! だから今もこうやって優しくしてあげないとかわいそうだろ」
なにそれ、頼んでない。それに俺はそんなことじゃ寂しくならない。
むしろ、二人に抱き着かれて暑苦しい。
「それもそうね。なら二人でセンパイを優しくしてあげましょ。かわいそうだもの。一人で毎晩シクシク泣いているんだよね……」
納得すんなよ。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
そう言うと二人とも落ち着いたようで、寝息を立てながら眠りについた。
当の俺と言えば、目がギンギンだ。
なぜならば、左から微乳がプニプニ、右からは絶壁がグリグリ。
俺の性癖が絡み合っているのだから。
「ムニャムニャ、タクトぉ……」
「しぇんぱい……」
暗い食堂の中、俺は興奮して一向に眠ることができなかった。
なんだったら下半身が元気になりそうで困っていた。
そこへ足音が近づいてくる。
「新宮、自家発電なら便所に行ってこい。黙っておいてやる」
汚物を見るように見下す宗像先生だった。
目が覚めてまず視界に入ったのはミハイルの寝顔。
すぅすぅと寝息を立てて、まだ夢の中。
俺の胸の中で。
やけに肩がこるな…と思っていたら左腕にコアラのようにしがみつく赤坂 ひなたが。
一晩中、腕をしめられていたので、血流が悪くなっているようだ。
しびれて痛む。
尿意を感じ、起き上がろうとする。
するとミハイルがそれに気がつき、瞼をパチッと開いた。
朝焼けと共に彼のグリーンアイズがキラキラと宝石のように輝く。
「おはよ、タクト☆」
「ああ、おはよう」
フフッと笑みを浮かべると、俺の胸を軽くトントンと指で叩いてみせた。
「よく眠れた?」
この状況でそれ言います?
薄汚いマットのせいで腰も痛いし、あなたに胸部を圧迫されてたし、左腕はひなたのせいでしびれているんですよ。
しんどいです。
「まあな。ところでトイレ行きたいからどいてくれるか?」
「あ、ごめん。今どくよ」
ミハイルが俺の身体から離れると、それに呼応したかのように赤坂 ひなたが目を覚ます。
「ううん……あ、センパイ! なんで私のうちにいるんですか!」
そう言い放つと朝も早くから力強いビンタをお見舞い。
「いってぇ!」
危うくおしっこ、漏らすところだったよ。
「あ、ごめんなさい。昨日はみんなで一緒に寝たんでしたね。ははは……」
笑ってごまかすひなた。
慰謝料として、朝のパイ揉みさせてください。
「そうだぞ、ひなた! タクトにくっつきすぎ! タクトの腕が痛くなるだろ」
いや、ミハイルも人のこと言えません。
「はぁ? ミハイルくんだって新宮センパイにベタベタしながら寝てたじゃん!」
朝から元気なやつらだ。
「べ、別にダチだからいいんだよ!」
それホモダチ?
「友達だからってなにをしてもいいわけじゃないのよ!」
ナニをしたらダメなの、教えてひなた先生。
「ところで、タクト。ここあはどこに行ったの?」
「そう言えば、花鶴さんでしたっけ? 見ませんね」
タバコでも吸ってんじゃない、知らんけど。
「どっかにいるだろ。とりあえず、トイレに行かせてくれ……」
「あ、そうだったな。オレと一緒に行こうぜ☆」
「じゃあ私も同行します!」
お前らはいい年こいて連れションかよ。
「わかったわかった」
呆れながら、身体を起すと何か見慣れない風景が。
「お、おい……なにやってんだ。花鶴」
見当たらないと思っていたら、俺の下半身に顔を埋めていた。
しかも『もう一人の琢人くん』に唇をあてるような感じで。
「ここあ! なにしてんだよ!」
気がついたミハイルが花鶴を力づくてどかせようと試みるが、なかなか動かせない。
あの力自慢の彼ですら、花鶴は微動だにしない。
体重が100キロぐらいあるんじゃないのかな。
「そうですよ! 花鶴さん、新宮センパイから離れてください!」
ミハイルに加勢するひなた。
だが、一般女子が力を貸したところで伝説のヤンキー『どビッチのここあ』はビクともしない。
むしろ、俺の股間にグイグイと突き進む。
まるでモグラのようだ。
やだ、俺まだバージンなのに膜が破られちゃう。
「ううん……もうちょっと寝かせてよぉ~」
花鶴は朝がかなり弱いようだ。
「困ったやつだ」
俺は呟いたあと、ある異変に気がついた。
異変というか、男子ならば正常な出来事なのだが。
尿意を感じているなら、わかるだろう。
秘剣『朝の太刀』だ。
直立した俺の真剣に女の花鶴が口づけしている……これはどう言い訳したものか。
だがアクシデントだ。
平常心、平常心。
必殺技というものは常に明鏡止水を保っていないと発動できないのだ。
ここは剣に鞘が収まるまで待とう。
「ふぅ~」
ミハイルとひなたに気がつかないように息を整える。
「もうタクトのほうを引き離そうぜ、ひなた」
「そうだよね、センパイ軽そうだし、名案だよ。ミハイルくん♪」
こういう時だけ、結託しないでください。
「ま、待て……花鶴を起こしてしまうじゃないか」
言いながら、非常に苦しい言い訳だと思った。
「なにをいってんだよ、タクト。おしっこ漏れちゃうぞ」
あなたも男の子なんだから察してよ、この生理現象。
「そうですよ、センパイ。我慢しすぎると膀胱炎になっちゃいますよ」
お母さんかよ。
「いや、あの……そうじゃなくてですね。なんと言ったらいいでしょうか」
なぜか俺が敬語。
「何が言いたいんだよ、タクト。男ならハッキリ言えよ」
お前も男だろ、わかってよ。
「もう早くセンパイと花鶴さんを引き離しましょ。ミハイルくん」
「そうだな☆」
二人して、俺の両肩を持つとスタンバイOK。
「「せーの!」」
スポン! と花鶴から引き離された。
俺氏、軽すぎ。
ほんぎゃぁー!
元気な赤ちゃんが生まれましたよぉ~
大きな男の子です、ほら証拠に立派なものがついているでしょ?
「「……」」
お産が無事に済んだというのに、助産師のお二人は赤ちゃんを見て絶句。
「あ、あのお二人さん? これ、違うからね。ミハイルならわかるよね?」
見上げるとミハイルは見たこともないような冷たい顔で俺を見つめていた。
あれ、おかしいな。
寝る前もこんなことがあったような……。
「タクト、ここあにそういう気持ち持ってんだ……」
「ち、違う! わかるだろ、男のお前なら!」
「わかるわけないじゃん! タクトのヘンタイ! 見損なった!」
怒りながら泣いてるよ、この人。
「センパイ……ラブホで助けてくれたときは尊敬してましたけど、今減点になりました」
凍えるような冷たい声を投げかけるのは赤坂 ひなた。
「ひなた、お前はなんか勘違いしているぞ? 女のお前はわからないだろうけど……」
「わかりたくもありません! 結局、男の人って女の子だったら誰でもいいんでしょ!」
あの、人を性犯罪者みたいな扱いしないでください。
「ミハイル、ひなた、落ち着け。これはだな、保健の授業とかで習ってないか?」
俺が弁明すると二人は声を揃えて、叫んだ。
「「ない!」」
マジ? 教科書に追加しといて、秘剣『朝の太刀』を。
「ううん……さっきからなにをいってんの?」
瞼をこすりながら、花鶴 ここあが目を覚ました。
彼女の目の前には立派な真剣十代が構えられていた。
「ああ! オタッキーってば、朝からゲンキじゃん!」
ニヤニヤ笑って、俺の真剣と顔を交互に見比べる。
まるで「へぇ、こんなサイズなんだ」とでもいいだけだ。
だが、こいつは秘剣『朝の太刀』の存在を知っているかのような口ぶりだ。
「ここあ! タクトから離れろよ! お前のせいで、タ、タクトの……おち、おち……」
落ち着いて!
「そうですよ! 花鶴さんがセンパイのこ、股間に……その……顔を」
皆まで言うな。
「は? あーし、なんか悪い事したん?」
やっとのことで起き上がる花鶴。
だが彼女の言い分も確かに一理ある。
もちろん、俺の生理現象もだ。
「そ、それは……ここあがタクトのおち……おち…」
だから落ち着けよ、ミハイル。
「花鶴さんがセンパイにくっついたから、センパイが興奮しちゃったんです!」
してないから、一ミリもしてません。断言します。
あるとするのなら微乳のあなたの方に武があります。
「えぇ、あーしが悪いん? オタッキーのこれはフツーのことっしょ」
なぜバカでビッチな彼女に養護されているのでしょうか?
常識を持ち合わせているなんて予想外です。
「ふ、フツー!?」
目を見開いて絶句するミハイルさん。
「普通なわけないでしょ!」
解釈を間違ってますよ、ひなたちゃん。
「え? うちのパパも毎朝こんなんだよ?」
聞きたくない人の親のことなんて……。
「「ウソだ!」」
絶対に認めたくない彼と彼女。
「おう! お前ら早いな!」
そこへ現れたのは宗像先生。
「あ、宗像センセー! タクトのお股がこんなんになってんの、普通なんすか?」
人を標本にしないで。
「絶対に違いますよね? 花鶴さんに興奮したからですよね?」
急に始まっちゃったよ、保健体育の授業。
しばらくの沈黙の後、宗像先生はこう言った。
「なんだ、健康な男子の証拠だな。これは秘剣、朝の太刀というやつだ。朝太刀ともいうな」
「「……」」
黙り込むお二人さん。
それより、そろそろ膀胱が決壊しそうなので、トイレに行かせてください……。
どうにかミハイルとひなたの目を盗んで用を済ました。
トイレから戻ってくると食堂に寝ていた生徒たちがぼちぼち起き出す。
皆、足腰をさすりながら、起き上がる。
まああんな薄いマットで一夜を過ごせばな……。
食堂の時計の針を見れば、まだ朝の6時前だ。
俺が戻ってくるのを待っていたかのように、宗像先生が慌てて駆けてくる。
「新宮、ちょうどいいとこに来たな! こいつら早く食堂から連れ出してくれ!」
必死の形相で言う。
「え、なんですっか? まだゆっくりしても……」
「バカモン! もう少ししたら三ツ橋の校長が出勤してくるんだよ!」
なにを思ったのか、俺の両肩を掴むと力強く揺さぶる。
首がすわってなかったら、折れそう。
「それが何の問題なんですか?」
「怒られるだろ! あの校長、超めんどくさいんだよ! 特に一ツ橋のスクリーング後はタバコの吸い殻がないか、荒さがしするんだよ、アイツ!」
校長をアイツ呼ばわりとか。それに喫煙を公認してんのはあんただろ。
俺はタバコ吸ってないし、昨日のことはお前が招いた失態だ。
「とりあえず、三ツ橋の校長先生に見つかる前に帰れってことですか?」
ゴミを見るかのような目で呆れる俺。
「そ、そうだ! 新宮は新入生の中でリーダー的存在だろ? さ、帰れ帰れ」
こんのクソ教師が。
「わかりましたよ……」
俺は渋々、宗像先生の要請を受領する。
「よ、よし! さすが我が校の生徒だな!」
もう生徒じゃありません。退学したいので。
宗像先生はまだ寝ていた生徒も無慈悲に蹴り起こす。
「こら! お前らさっさと起きろ! そして出ていけ!」
自分で勝手に寝かせておいて、酷い扱いだ。
「えぇ? まだ早いじゃないっすか?」
千鳥 力がスキンヘッドの頭をボリボリかく。
「やかましい! 昨日の出席を欠席扱いにするぞ、コノヤロー!」
恐喝じゃん。
「ひでぇな、先生……」
宗像先生は用なしと見なすと一ツ橋の生徒たちを食堂から文字通り叩きだした。
食堂前の駐車場にみんな集まった。
「いいか、三ツ橋の教師にバレないようにコソコソ帰るんだぞ? 物音を立てず決して声は出すなよ?」
まるで俺たちは不法侵入者のようだ。
「私、三ツ橋の生徒なんですけど?」
イレギュラーが一人いた。
全日制コースの赤坂 ひなただ。
未だに昨日の体操服姿のまま。これはこれで発見されたらまずいのでは?
ひなたを見てうろたえる宗像先生。
「う! お前は『あらやだ、私ったら教室で寝ちゃった♪』ってことにしとけ」
酷い言い訳だ。
「ええ……家に帰っちゃダメなんですか? お風呂にも入ってないし……」
「バカモン! 手洗い場かトイレで洗っちまえ! 石鹸も無料であるし」
ホームレスじゃん。
「そんな! トリートメントとかしないと髪、痛みますよ?」
女子特有の悩みですね。
「トリートメントだぁ? 上品ぶってんじゃねーぞ、ガキのくせして! 来い、私が隅からすみまで洗ってやらぁ!」
導火線に火がついたようで、ひなたの頭をおもちゃのように片手で掴むと校舎へ連れ込む。
「いやぁ! 新宮センパイと一緒に帰りたい~!」
宙で足をバタバタさせる。
「やかましい! 学生は学校の石鹸で充分だ!」
酷い校則だ、この時ばかりは通信制で良かったと思えた。
「センパイ~ 助けて~!」
涙目で俺に助けを呼ぶひなた。だが、俺も早く帰りたい。
「悪いな、ひなた。ブルマのまま授業を受けてくれ」
「センパイのいじわる! 薄情者!」
なんとでも言うがいい。
俺は彼女に背を向けた。
「さ、帰るか。ミハイル」
「そだな、一緒に帰ろうぜ☆」
ミハイルってどんなときも落ち着いて対処できるよな。
感心します。
俺たちは宗像先生から言われたように、三ツ橋の関係者にバレないよう、正門からではなく裏門からコソコソ帰っていった。
なんやかんやで初めてのお泊り。というか未成年拉致事案だと思うのだが。
第一回一ツ橋高校、歓迎会及び合宿は終了した。
※
最寄りの駅、赤井駅にぞろぞろと一ツ橋の生徒たちが集まる。
これはこれでかなり悪目立ちしている。
田舎の駅に朝早くから若者が集合しているからな。
謎の集団と思われているだろう。
駅のホームにミハイルと仲良く並ぶ。
「楽しかったな☆ パーティとお泊り会☆」
「そうか? 宗像先生が一人でパーリィしてただけだろ……」
早くクビになんないかな、あのバカ教師。
「お二人さん♪ 私も混ぜてよ」
振り返ると後ろにはナチュラルボブの眼鏡女子、北神 ほのかが立っていた。
すっかり酒も抜けているようで、血色もよい。
「ほのかか。二日酔いとかないか?」
「うん、あれぐらい徹夜の同人制作に比べたら問題ないっす!」
親指立てて笑顔で答える。
「そうか、よかったな……」
そうこうしているうちに電車が到着。
三人で同じ車両に並んで座った。
朝早いこともあって、車内はガラガラ。
「ところで琢人くん、明日何時に待ち合わせする?」
「え? なんのことだ?」
「何って取材でしょ。コミケだよ」
ファッ!?
忘れてた……変態女先生に取材と言う名の拷問を強要されていたんだ。
それを隣りで聞いて黙っているミハイルくんではない。
「なんだよ、それ! タクトはアンナと取材するんだぞ!」
拳を作って、怒りで震えている。
「ええ? 私が先約だよぉ。ねぇ琢人くん?」
俺に振るなよ。
「そうなのか!? タクト、アンナがいるのにほのかとデートすんのかよ!」
ギロッと俺を睨みつける。
「ま、待てミハイル。ほのかとはデートじゃない。あいつの趣味に付き合ってるだけだよ」
「趣味ってなんだよ!」
朝からBLの説明はしんどいです。
「なんだ、ミハイルくんも私の同人活動に興味あるの?」
目を輝かせる腐女子。
「え? 興味っていうか……そのタクトがやることなら知りたい…かな?」
頬を赤く染めるヤンキー。
だが、お前が知りたいのものは恥じるものではない。
全力で逃げるべきものだ。
興味本位で立ち入るな、死ぬぞ。
「フフッ、ミハイルくんも私の『国境なき同人活動』に参加したいのね!」
眼鏡が怪しく光る。
「ほ、ほのか? なんか怖いよ?」
伝説のヤンキーも腐女子の変態オーラには勝てないようだ。
「なら、3人で行きましょ! コミケに!」
「こ、こみけ? なにそれ?」
ほらぁ、この子はピュアなんだからやめてくれる?
うちの子はまだ汚れてないのよ、どっかほかでやってくれないかしら。
「大丈夫、私に任せて。幼稚園のころからコミケに出入りしてるからね」
ヤバいよ、この人イッちゃってるんですけど。
「ふーん、小さな子でも気軽に遊びにいけるところなんだ……」
ダメだって! それ幼児虐待!
「そうそう、なんだったら妊婦さんにもオススメ!」
酷い胎教だ。
「じゃあ遊園地みたいなところ?」
首をかしげるミハイル。
「いい例えだね。そうだよ、ミハイルくん。君も行けばわかるよ。コミケの素晴らしさが!」
頭痛い。
「タクト、もちろんオレも行っていいよな☆」
テンション高いな。
どうしたものか……。
「止めてもついてくるんだろ? 俺は構わんよ、正しヴィッキーちゃんに許可をもらえ」
あのねーちゃんがコミケの存在を知っているとは思えんが。
「わかった! 帰ったらねーちゃんに頼むよ!」
「フッ、これでまた一人、落ちたか……」
なに格好つけてるんだ。この変態が。
しばらく電車に揺られてその後もほのかとミハイルは雑談で盛り上がっていた。
というか、ほのかが一方的にコミケの知識をひけらかしてるだけだが。
ズボンのポケットに入っていたスマホが振動する。
メールが一件。
宗像先生と学校に残った赤坂 ひなただった。
『センパイ、酷いじゃないですか! トイレで全身洗われましたよ!』
草。マジでやられたんだ。
さらにもう一件。
『罪滅ぼししてください! 明後日、一緒に博多どんたくに行きますよ! 取材です!』
ええ……ゴールデンウィークなのに俺には休みがないんですか?
地獄のようなスクリーングはなんとか終わりを迎えた。
翌日、俺は朝刊配達を終えると家族を起さないように静かーに食事を済ませ、支度を終える。
なぜならば、奴らに気づかれる危険性があるからだ。
階段を足音立てずに玄関までたどり着けた。
スニーカーに足を入れ、紐を結ぼうとしたその時だった。
背後に人影を感じる。
「タクくん? こんな朝からどこへ行くの?」
振り返るとそこには、裸の男たちが絡み合っているBLパジャマを着た母さん、琴音が立っていた。
「え……ちょっと、友達と遊びに」
「タクくんがゴールデンウィークにお友達と? 何か隠してない? そうねぇ、例えば同人とか」
眼鏡をかけなおして、微笑を浮かべる。
こ、こえぇ。
「嫌だな、母さんったら。俺は博多ドームで野球観戦するだけだよ」
「タクくんって野球に興味あったかしら? それに今日は博多ドームは違うイベントがあるみたいねぇ」
スマホを取り出し、何やら検索しだす。
「あらあら、今日はコミケの日じゃない~♪ 母さんも行こうかしら?」
ヤバイ! この人とだけは行きたくない。
「か、母さん。お店があるだろ? 予約ドタキャンしたらダメじゃないか」
「ええ、そんなのお客さんも一緒に連れていけばいいじゃない?」
そうだった、俺の育った真島はこのゴッドマザーによって腐りきってしまったのだった……。
「と、とにかく! 俺は仕事で行くんだよ! だから母さんとは行けないよ」
「なにその天職? ひょっとしてタクくんたらBL作家に転向したの?」
そんな仕事、こっちからごめんだ!
「違うよ……ミハイルとそれから、前に話した変態女先生と取材に行くんだ」
「なんですって! あのBL界隈で期待のエース、変態女様と現地調達するわけね! それなら母さんんは邪魔になるわ……いってきなさい! そして変態女先生のお力になるのよ!」
急に態度が変わりやがった。
「あ、そうそう。今日のコミケに母さんの推しているサークルも出展するのよ。お金あげるから買ってきてちょうだい。保存用、閲覧用、配布用に50部ほど」
と言って、諭吉さんを3人ももらえた。
「わかった……善処するよ」
俺はリュックサックを背負って、家を出た。
50冊持って帰るとかしんどいな。
※
朝早くだというのに、ゴールデンウィークという時期も重なってか、電車の中は人混みでいっぱい。
博多駅に降りてもたくさんの人で溢れかえっていた。
事前に待ち合わせ場所はミハイルとほのかの三人で決めていた。
『黒田節の像』の前。
「おーい、タクト☆」
両手を振って、元気いっぱいなミハイルきゅん。
相も変わらず露出度の高い服装だ。
可愛らしいネッキーがデカデカとプリントされたチビTとショーパン。
珍しくキャップ帽を被っていた。
ネッキーの耳つきね。
今からどこに行くのかわかってんの、こいつ?
「おう、ほのかはまだか?」
「そだな☆ オレが一番乗りだぞ☆ 朝の5時半から待っていたからな」
ない胸をはるな! そして怖いわ!
「またそんな早くから……ヴィッキーちゃんにはなんて言ってきたんだ?」
「え? ねーちゃんには遊園地みたいなところって伝えといたけど」
お前が今から行くところは地獄だよ。
片道きっぷだけのな。
「ミハイル、今から行く場所なんだけどな。ビニール袋を常に携帯しておけ」
「ん、どうして?」
「吐き気を感じることも多々あるだろう」
酒池肉林だからな。
「ふーん。絶叫系てことかな?」
ある意味、スクリームだよ。
「わかった☆ タクトがそう言うなら気を付けるよ」
十二分に気を付けてください。
しばらく、俺とミハイルが雑談していると、北神 ほのかが現れた。
汗だくになって、ドデカいキャリーバッグを二つも転がしていた。
「お、お待たせ! 戦闘準備、完了であります!」
普段通りのJK制服を着ているのだが、なぜか額にはハチマキが。
『BL・百合・エロゲー募集中!』
と書いてある。
力寄らないでください。変態がうつりそう。
「おはよう☆ ほのか、今日の遊園地はどこなの?」
屈託のない笑顔で問いかける少年。
「フフッ、よくぞ聞いてくれました。ミハイルくん! 遊園地は博多ドームよ! 今日だけのね」
あの、もう遊園地って表現するのやめません?
うちのミハイルくん、ピュアなんで、汚さないでください。
「おお! 一日だけの遊園地とかすごいな☆」
ほら見ろよ、勘違いしてテンション爆上げじゃん。
「ええ、年に4回はあるから、ミハイルくんも今日で慣れてね」
慣れるな!
「うん、頑張る☆」
頑張っちゃダメだよ。
「さ、行きましょう! 博多ドームへ!」
「えいえいおー☆」
「おぉ……」
オーノー!
※
博多駅の隣りにあるバスセンターから百道行きのバスに乗る。
車内の中をよく見ると、ほぼというか全員オタク。
痛Tシャツを着る猛者や既にコスプレをしている女子まで。
こいつら、全員コミケ目的か。
地獄へのバスだな……。
バスで揺られること30分ほど。
ドーム近くの百道浜のバス停に到着した瞬間だった。
「おらぁ! ドケやぁ!」
「わしが先じゃボケェ!」
「どかんとぶち殺すぞ、ゴラァ!」
注意:全員女性の方です。
奥から婦女子の皆さんが無理やり前の乗客を押し出す。
俺たちは文字通り、バスから叩きだされた。
料金も払えずに……。
「あっ、ちょっと俺、払ってないんすけど」
そう言いかけたがバス内は怒号で荒れていた。
俺が必死に金と切符を空にかかげる。
それに気がついた運転手がマイクでこういった。
「あんちゃん、今日はもういいよ。帰りのバスの運転手に渡しておいてや。今日はダメや……」
首を横に振る中年のおじさん。
かわいそう。
「で、でも……」
俺が戸惑っているのを静止したのは北神 ほのかの手だった。
肩にポンポンと優しくたたく。
「琢人くん、察してあげなさい。今日はお祭りなんだから……」
無駄に優しい顔で微笑まれたんすけど。
女じゃなかったら、ブン殴りたい。
「わ、わかったよ……じゃあ帰りの運転手さんに事情を伝えて払っておこう」
「そうそう、そんなことより会場までダッシュだぜ!」
親指を立ててウインクする変態女先生。
「遊園地なのにお祭り……?」
未だにイベントの内容を把握されておられないミハイル氏。
「ミハイルくん、私についてきて! 博多ドームまでかけっこよ!」
ほのかはそう言うと重たそうなキャリーバッグをガラガラと音を立てて走り出した。
火事場のクソ力である。
いや、変態パワーか。
「あ、ほのか。ちょっと置いてかないでよ」
ミハイルは何が起こっているのか、わからずにいる。
あたふたして、ほのかのあとを急いで追っかける。
「はぁ…急ぐ必要性あるか?」
二人からはぐれないように俺も走った。
「ほっ、ほっ、ほっ!」
帰ってくる、オタクと腐女子たちが福岡に帰ってくる!
がんばれ同人界!
博多ドームの地下駐車場に皆集まっていた。
大きな看板が立っていた。
『第41回 めんたいコミケ』
俺はこのコミケに何度も来たことがある。
嫌って言うほど叩きこまれていた。
まだ右も左もわからないうちに真島のゴッドマザーから英才教育を受けていたのだから。
入場料を払い終えると、長蛇の列が待っていた。
開館するまでまだ2時間もあるというのに、もう何千人という人だかり。
「すっげーな、こんなに人が集まるなんて……どんなアトラクションが待っているの? ほのか」
目をキラキラと輝かせる無垢な少年。
「それはもう血湧き肉躍るパーリーだぜ!」
なぜか両腕組んで仁王立ちするほのか。
「だろ、DO先生よ!?」
俺に振るな。
「まあ界隈の人間からしたら、そんなもんかな」
正直どうでもいい。
「一狩り行こうぜ!」
お前だけ戦場に行って死んで来い。
「ワクワクしてきたよ、タクト☆」
かわいそうなミハイルくん……大丈夫、俺が守ってやっからよ。
「ええ、あと3分後にを開場しまーす」
メガホンを持った若い男性スタッフが、大きな声で叫ぶと歓声がわく。
「ヒャッハー! ショタ狩りじゃあ!」
「ヒョォォォ! 今期の薄い本はたまらねぇぜ」
「てめーら、他の組の奴らに取られるんじゃねーぞ! タマ獲る覚悟で行けや!」
注意:全員女性の方です。
「な、なにが始まるんだ? タクト……」
ヤンキーでもこの狂乱を見れば、後退りしてしまうのだな。
「ふむ、これは彼女たちの戦争だからな」
間違いではない。
「戦うの? 激しいアトラクションなんだな……」
顔面真っ青で辺りの女性陣にドン引きするミハイル。
「フッフフ……ハッハハハハ! 時は来た!」
股を広げて、両手を宙にかかげる北神 ほのか。
「おめぇら、死ぬんじゃねーぞ」
眼鏡をかけなおし、ドヤ顔で拳をつくる。
どうぞ、あなただけで死んできてください。
アナウンスがかかる。
『ただいまより、第41回めんたいコミケを開始します。どうか慌てずに入場してくださ……』
だが、そんな注意を気にするハンターは誰もいない。
「グオオオオオ!」
「ガルルルルル!」
「ワンワンワン!」
注意:人間です。
北神 ほのかも例外ではない。
「キシャアアアア!」
ビーストモードに変身されたようです。
「タクト、怖いよ。周りの女の子たち、病気なの?」
永遠に治らない不治の病なので、そっとしてあげておいてください。
彼女たちには認知療法も有効ではないのです。
今、現在症状を緩和したり、ワクチンなどないに等しいのです。
「まあ俺にしがみついとけ。ここは修羅場と化す」
「え……」
絶句するミハイル。
「辺りをよく見てみろ。彼ら彼女たちは普段は大人しいが、一たび同人界に現れると皆バケモノと化す。そう、ここは戦場なのだよ。オタクにとってな」
俺に言われてミハイルは周りの紳士や淑女を眺める。
皆、目が血走り、息が荒い。
手負いの獣のように。
「なんか怖い……みんな病院行かなくてもいいの?」
俺の左腕にしがみつき、身体をブルブル震わせる。
「もう手遅れさ。ここが奴らにとっての一番の治療方法だ」
前列から奇声と共に、人波がドバァッと流れ出す。
もちろん俺たちが前に進もうとするが、その前に後列の人たちが無理やり押し出す。
「止まってんじゃねーぞ! ゴラァ!」
「早く行けよ、バカヤロー!」
「チンタラしてんじゃねー、ぶち殺すぞ!」
注意:全員女性です。
「ご、ごめんなさい……」
謝る伝説のヤンキー『金色のミハイル』
「ミハイル、謝るぐらい暇があったら早く進め。それがここのマナーだ」
「う、うん」
健気にも俺の指示に従うミハイル。
そうだ、ミハイルは俺が守る。
命に代えても。
「どけどけ! ワシの邪魔する奴は許さんのじゃあ!」
白目をむきながら、口から泡を吹きだす北神 ほのか。
新種の危険ドラッグでも使用されてません?
※
会場内に入るとあっという間にオタクや腐女子たちがドーム内の各ブースに散らばる。
お目当てのサークルや人気アニメコーナーに走り出す。
全員、手には複数の野口英世を手に握りしめている。
北神 ほのかも俺たちを残して、一人で勝手に狩りをはじめだした。
博多ドーム、本来は野球を主に利用される施設だ。
だから球場の中は客とサークルで埋め尽くされているが、観客席は誰もいない。
この混乱の戦場に初心者のミハイルを連れていくのは至難の業だ。
少しほとぼりが冷めるまで待とう。
「なあミハイル、お前買うものか決めているのか?」
「え? 今日は遊園地で遊ぶんでしょ」
まだ騙されていたのか。
「いいか、このアトラクションは健全なものではない。よって幼い子供が気軽に近づいてところじゃないんだ」
言うて俺も赤ん坊の頃からおんぶされて来ていたんだけどね。
「そうなの? 危険なの?」
「当たり前だ、ちゃんと資格を持った人だけが許される。甲乙丙、全ての危険物を取り扱いできる人だけだ」
「そっかぁ……すごいんだな、コミケの人たちって!」
いや感動しちゃダメでしょ。
「まあとりあえず、買うものは決まっているわけでもあるまい。しばらく俺たちは観客席で休もう」
「やったぁ! オレ、博多ドームに来たの初めてなんだ☆」
ヤダ、泣けてきたわ……こんなところに純情な少年を連れてきてしまった自分が愚かであることに。
俺たちはオタクや腐女子たちとは逆行して、観客席の方へ進む。
その際、近くにいたスタッフから今日の参加サークルやイベントが記されたマップやスケジュールをもらった。
今日は野球もライブもない。内野席も取り放題だ。
誰もいない席に二人して仲良く座る。
「なあ、なんであの人たちってあんなに必死なの? なにを買っているの?」
ナニかを買っているんだよ。言わせるなよ、恥ずかしい。
「ミハイルは知らなくていいと思うぞ。ま、しばらくすれば人は減る」
俺はあほらしいとドームの上を見上げた。
博多ドームは開閉式の屋根だ。だが、普段は閉まっている。
天候がいい時や地元の球団『南海ホークス』が勝利したときは青空やたくさんの星が拝めるのだが。
コミケの時はどこか空気がどんよりしている。
というかむさ苦しい。
「タクト、さっきのマップ見せて☆」
「おお、ほれ」
ミハイルは目をキラキラ輝かせて、マップを見る。
「うーん、ギャルパン? 俺ギャイル? キメセク? なんのことだろう……」
作品自体は興味を持っていいが、ここのは二次なんで聞かないであげておいてください。
「あっ、見て見て、タクト!」
「どうした?」
「これ、オレの大好きな『ボリキュア』がある!」
ミハイルが指差したマップの中には確かにその名があった。
「ああ、それな……」
どう説明したもんか。
「抱き枕が売っているんだって☆」
急にテンションあがったな。
だが、お前の知っているボリキュアではないと思う。
「ミハイル、あんまり期待するな……公式が売っているわけではないんだよ」
というかお前、抱き枕で寝たいの? ガチオタじゃん。
「そうなの? ボリキュアストアが出展してるんじゃないの?」
首をかしげるミハイル。
「公式が出展できるわけないだろ。社内問題だし著作権侵害だよ」
「ふーん、じゃあファンの人が好きで作ってんの?」
「そう言うことだ。ここは無法地帯、一歩でも足を踏み外してみろ、作品にトラウマができちゃうぞ」
ソースは俺。
というか、かーちゃん。
「よくわかんないな。でも、ボリキュアなら見てみたい!」
ヤバい、連れてくるんじゃなかった……。
「ま、まあいいんじゃないか? 実際の商品が見本として飾られていると思うからあとで行ってみるか」
「うん、いこいこ☆」
しーらないっと。
ミハイルの熱意に負けてしまい、俺たちはボリキュアのブースに行くことにした。
マップに載っていたサークルを見つけると、既に長蛇の列。
「すごいな! さすがボリキュアだよ、タクト☆」
いや、真のボリキュアファンなら公式で買えよ。
ミハイルは何も知らず、紳士たちの後ろに並ぶ。
俺はしれっと前の方に飾ってあった抱き枕を覗いてみる。
やはり不安が的中した。
ボリキュアのラブリーな戦士たちがぐっしょぐっしょに濡れており、衣装が破れていた。
18禁か……ミハイルにはハードルが高すぎる。
どうしたものか、俺が頭を抱えて悩んでいるその時だった。
「すいませーん。ただいまで売り切れになりました! ありがとうございます! ネットでも販売してますので!」
良かったぁ、なくなって。
「ええ! 売り切れちゃったよぉ、タクトぉ」
唇をとんがらせるミハイル。
「そう落ち込むな、今度ボリキュアストアに連れてってやるから」
「ホント!? なら許す☆」
許されてよかった……。
在庫がなくなったことを知って、ため息や舌打ちをする紳士たち。
皆、肩を落として散らばる。
その中に見慣れた姿が……。
「あ、トマトさん」
そう俺の小説のイラストを担当している絵師、トマトさん(25歳、童貞)
「げっ! DO先生! なんでこんなところに!?」
こういう時なんて答えを返したら良いのでしょうか。
「ボリキュア、好きだったんすね……」
汚物を見るように見下す。
「こ、これはイラストの勉強のためにですね…」
抱き枕で?
「トマトさん……ボリキュア、残念でしたね」
俺は言葉に詰まっていた。
普段、トマトさんが描くイラストは硬派な男キャラが多く、女の子キャラや女性キャラを不得意とする絵師さんだ。
勝手なイメージだが、彼はアクションものの作品とか好きそうと思っていたのに。
まさかゴリゴリのロリコンだったとは。
別に差別しているわけではないが、見ちゃいけないものを見た気がした。
「あ、いや違うんだよ? DO先生、抱き枕は…そう! 今度の先生のイラストのために」
おいおい、裸体を描く気だったの?
「へぇ……」
苦笑いで答える。
「ところで、DO先生は何しにきたの?」
こいつ、絶対矛先を変えるために話題を変えているな。
「俺は……なんと言ったらいいか、ま、取材ですよ」
奇しくもトマトさんと同じ理由じゃん。
「コミケに取材!? それ必要あります?」
至極当然なリアクションであった。
「ま、まあ今は他のサークル漁っていると思うんですけど、腐女子のJKに強引に連れてこられたのが本音ですよ」
「じぇ、じぇ、じぇ……JK!?」
そこだけ食いつきすごいな。
はい、お巡りさんここです。
「おい、タクト! オレを忘れるなよ!」
隣りを見下ろすと腰に両手をやって、頬を膨らますミハイル。
「ああ、そうだったな。こいつ、ミハイルっていうんです。高校の同級生で」
俺が紹介するとミハイルは絶壁の胸を張る。
「ふふん、オレがタクトのダチだぞ! この世で一人だけのな☆」
なにを勝手にアピールしてやがるんだ、こいつ。
それに俺のダチはまだ一人と決まってないんだからね!
「なるほど、ミハイルくんですね。僕はフリーのイラストレーターのトマトです。DO先生の表紙や挿絵を担当してます」
笑顔がとても眩しい。
しかし、それよりも額に巻いているバンダナの方が気になる。
2頭身の萌えキャラがパンチラ全開なんだもの。
「DO先生のお友達とは珍しい」
「だろ☆」
あの、トマトさんも俺のことそんな可哀そうな人間だって思ってたんですか?
それからミハイル、お前は敬語を使え。
彼は豚だが年上だ!
「ところでミハイルくんは今期アニメで何が推しですか?」
「え? こんき? 結婚のこと?」
それ婚期だから。
俺がすかさず説明を入れてあげる。
「今放送しているアニメで好きなものはないか? とトマトさんは言いたいんだよ」
「うーん、オレはデブリとネッキーが一番好き☆」
そこの企業、二次創作したら訴えられません?
「ほほう、ミハイルくんはいいセンスしてますねぇ。僕ので良かったら今度薄い本お貸しましょうか?」
え!? マジであるの?
「うすい本? なんのこと…」
首をかしげるミハイル。
その辺で勘弁してあげてください、この子まだコミケ処女なんで。
「同人誌のことですよ。ミハイルくんはコミケ初めてですか?」
「うん、なんか楽しいってほのかが言ってたからついてきた☆」
満面の笑みで答えるミハイル。
何も知らないっていいですねぇ。彼の笑顔が太陽に見えます。
このむせ返るような18禁コーナーでは。
「ほほう、ならば僕で良ければ、コミケを紹介しましょうか?」
トマトさんの眼鏡が怪しく光る。
こ、こいつ、布教する気だな。
危険を察知した俺はすかさず止めに入る。
ミハイルの操はこの琢人くんしか守れないのだから!
「い、いえ、ミハイルは俺が案内するので、でーじょぶです!」
「そうですか……それは残念。ミハイルくんとは同志になれそうな気がするのですが……」
うちの子はあんたとは違うのよ、この萌え豚が!
「では、僕はそろそろ他のサークルに向かいますね」
そう言って背を向ける汗だくのおデブ紳士。
既にTシャツはびっちょびっちょでピンクの乳首が丸見え。
相変わらずの破壊力だ。
その場を去ろうとしたその時だった。
何かを思い出したかのように振り返る。
「あ、そうそう。ミハイルくん、今度会える時があったら、ネッキーとネニーのNTR本貸してあげますよ♪」
親指を立てる変態絵師。
一生家から持ち出すんなよ、そんな危険な本。
「ネトラレ? なんかわかんないけど、ありがとう☆」
お礼しなくていいのよ、ミハイルちゃん。
トマトさんは背を向けたまま、「同人界に幸あれ」と手を振って去る。
「おもしろいヤツだな、トマトって」
だから、あれでも年上だからね? 見たらわかるじゃん。おっさんだもん。
一応、敬ってあげてね……。
「ま、まあな。ところでボリキュア以外で好きな作品はないのか? もちろん、デブリとネッキー系以外でだ」
彼の夢を壊してはいけないので。
「うーん、そうだなぁ。たまにレンタルで『セーラ美少女戦士』とか観るぐらいかな」
それ、めっちゃありそう。1990年代ぐらいから。
ていうか、ボリキュアとあんま変わらないジャンルでしょ?
18禁の臭いがプンプンするので、却下で。
「それはやめておこう。1次創作もあるかもしれん。ちょっとブラブラしてみるか?」
「うん☆」
俺はなるだけミハイルを18禁コーナーから遠ざけるようにコミケを案内した。
アクセサリーコーナーや手作りのぬいぐるみなどを見てまわった。
「うわぁ、カワイイ☆ このネコちゃん!」
ミハイルが手に取ったのは大きなぬいぐるみ。
「ほう、コミケにもこんな健全な商品があったんだな……」
いつも母さんと妹のかなでに淫らなコーナーにばかり連れていかれたからな。
「可愛いでしょ? それ大きくて中々売れないのよね」
売り子のお姉さんが苦笑いする。
「ええ? こんなにカワイイのに!?」
いや、そんなもんでしょ。
言うて素人が作ったもんだし。
「小さいのはキーホルダーとして売れたけど、大きすぎたみたい。もし引き取ってもらえるなら安くしておくよ?」
出たよ、そう言って在庫処分する気だな。
「いくらっすか?」
「1万円するところを半額の5千円にしてあげるよ♪」
元値が高すぎだろ。
「ええ、そんなに安くしてくれるの!? 買う、買います!」
慌てて財布を取り出すミハイル。
別に今更なのだが、財布も可愛らしいもので、スタジオデブリの『ドドロ』のがま口財布。
というか、騙されているのに気がついてない。
売り子のお姉さんは「占めた!」という感じで拳を小さく作って勝利を確信する。
笑いをこらえているようだ。
あくどいやっちゃ。
そして、ミハイルは野口英世さんを5人差し出すと、バカでかい猫のぬいぐるみを抱きかかえる。
「カワイイ~ 今日からオレの家族だぞ~」
モフモフを楽しんでらっしゃる。
まあ健全なものだし、これで良かったのかもな。
「ところでタクトはなんか買わないの?」
あ、忘れてた。母さんに頼まれてたな。
「母さんに同人誌を頼まれてたな……」
肝心のタイトルとサークル名を聞きそびれた。
その時だった。
アイドル声優のYUIKAちゃんの曲が流れる。
俺の着信音だ。
着信名は母さん。
「もしもし?」
『あ、よかったわ。タッくん、言い忘れたけど、サークル名は“ヤりたいならヤれば”で作品名は“今宵は多目的トイレで……”っていうのよ』
相変わらず、母さんのチョイスは酷いものばかりだ。
「わかった……買ってくる」
『あ、そうそう。サークルの人に言っておいて。いつも“ツボッター”でリプしまくっている“ケツ穴裂子”ですって』
誰だよ、そのふざけたアカウント名。
「りょ、了解」
まったく、あの母親ときたら自分の性癖を息子におしつけるんだから、たちが悪い。
俺はミハイルを連れて、ついに禁忌の地へとたどり着いた。
そう、18歳未満立ち入り禁止のBLコーナーだ。
昔からこのブースは地獄門と呼んでいる。
赤子の頃からくぐってきた修羅の道だ。この先は死ぬ覚悟をした者だけがくぐれる門だ。
「ミハイル、いいか。うかつに知らないサークルに近寄るなよ?」
俺は左右に出店しているサークルのご婦人たちを指差す。
「え、なんで?」
見てわからんのか……各ブースには裸体の男たちが絡み合っているポスターがデカデカと貼っているというのに。
「まあ俺から離れるな。絶対だぞ?」
「タクト……そんなにオレが心配なのか☆」
笑顔で喜ぶミハイル。
けど違うからね。
俺はあくまでもあなたを守っているだけなの。
「よし、行くぞ!」
生唾をゴックン。
ここはいつ来てもピリッとした空気が流れる。
だって、俺が男子だからね。
100パーセント女子の中に男が二人。
完全にアウェイ。
目的のサークルまで何人もの腐女子に睨まれたり、クスクス笑われたりする。
「なんやあいつ……なめんとかぁ!」
「ワシらのシマに入っといて、ただじゃすまさんぞ、ゴラァ!」
「うふふ……隣りのハーフの子、使えそうじゃね? 写メっとこ♪」
だから嫌だったんだ。
鬼のような目をしたご婦人たちをかいくぐり、どうにか母さんの言っていたサークル“ヤりたいならヤれば”に着いた。
「こ、これは……」
今まで見たブースの中で一番酷い。
デカデカと看板が立てられており、『ようこそ! 抜いていってください!』とメッセージ。
それに左右には等身大のフィギュアが飾られている。
もちろん、裸体の美青年だ。
しかもスピーカー装備で常に「あぁぁぁぁ!」「兄ぃさん!」「ぼく、もう我慢できないよぉ!」などというセリフが爆音で流されている。
「いらっしゃいませ! ゲイの方ですか?」
30代ぐらいの大人の女性で、地味な格好だが、言葉は桁違いだ。
「違います、ノンケです」
「あらぁ、残念ですね♪ お似合いのお二人なのに」
ニッコリ笑うが底知れぬ闇を感じる。
ヤベェよ、サイコパスじゃん。
「え? オレとタクトがお似合い……」
頬を赤く染めるミハイル。
真に受けちゃダメですよ。
「ええ、とってもお似合いですわ。絡み合っている姿を想像すると久々に生モノへとまた手を出したくなりますわ」
「生モノ……?」
危険、危険! それ以上はダメ!
俺が助け舟を出す。
「すいません、“今宵は多目的トイレで……”っていう作品を50部ほどください」
その発言に今までクールだったサークルの女性が慌てだす。
「ご、50部っ!? な、なぜそんなに……」
気がつけば、他のサークルの女性陣も身を乗り出してざわつく。
「なんなの、あのガキ。まさかガチホモ?」
「ガチよ、絶対。教本として買う気ね!」
「この後二人でめちゃくちゃ……」
やらねーよ、バカヤロー!
「いえ、俺は母さんに頼まれて買いに来たにすぎないんすよ」
一応、言い訳しとかないと汚名を被ったままは嫌だからな。
「お母さん…? ひょっとして私のサークルのファンの方ですか?」
「そう言えば、ツボッターでいつもお世話になっているケツ穴裂子っていうバカです」
言っていて自分で顔から火が出そうだ。
クソみたいなアカウント名にしやがって。
「なんですって!? あの伝説の……ケツ穴さんが私なんかの同人誌をっ!?」
驚きを隠せない腐女子。
周りの女性たちも群がりだす。
「ウッソ! 界隈でケツ穴さんに目をつけられるとバズるっていう伝説の!」
「マジ? 裂子さんに宣伝されると書籍化率、100パーセントらしいね」
「つまり、あの子はサラブレッドね。BL界の王子よ」
いらない、そんな称号。
「ちょ、ちょっとお待ちください! ただちにBL本を揃えますので!」
席から立ち上がると、後ろにあるダンボールをガサゴソ探し出す。
「あの、急いでないんで。慌てなくても大丈夫ですよ?」
一応声をかけたのだが、耳に入っていないようだ。
「ヤ、ヤバッ! ケツ穴さんに認められちゃったよ! あのBL四天王の一人に!」
あんな気持ち悪い女性がまだ3人もいるんですか?
しんどいです。
「タクト……これって」
気がつくとミハイルはテーブルに置いてあったサンプル本を手に取っていた。
いかん! 見てしまったのか!?
「ミハイル、すぐに元に戻せ。今なら引き返せる」
思わず、声が震える。
18禁のBL本をまじまじと見つめるミハイル。
顔は赤いが真剣そのものだ。
「男同士なのに、なんで裸で抱き合っているの……」
くっ! 守れなかった、ミハイルの操をっ!
「それはだな、あくまでもフィクションだからな? だから、もう読むのはやめておけ、なっ」
俺が彼の肩をポンッと軽く叩いたが、ミハイルは気にも触れない。
BL本に熱中しているヤンキー少年。
「なんか胸が…ドキドキしてきた……」
ダメダメ、したらアカンて!
「あらぁ、そっちの彼は私の作品に興味がありますか?」
ニヤニヤ笑う腐女子。
両手には大量の薄い本。全部、俺が持って帰ることになるんだよね。
「え? 興味があるっていうか。なんか男同士なのになんでその…キ、キスとかしてんのかなって……」
言いながら途中で恥ずかしくなったようで、サンプル本をテーブルに戻す。
「それは至極当たり前のことです。好きになった人がタマタマ同性だったのです。男だけにですね♪」
うまくないから、ただの下ネタだから。
「そんなのおかしいよ! だって男は女しか好きにならないじゃん……」
その話し方にはどこか悔し気に感じる。
時折、俺をチラチラ見て。
「あらあら、見たところ、金髪のあなたは未成年ですよね? まだ本当の愛を知らないんですね」
さっきまで生モノ発言していた人に言われたくない。
「じゃ、じゃあ……男同士がキスしたり…好きになってもいいの?」
ミハイルは悲痛な叫びをあげる。
やはり以前俺が彼に「男のお前とは恋愛関係にはなれない」と言ったことを気にしているのだろうか。
「いい、ボク。この世はすべてにおいて愛で包まれた世界なんですよ。そこに性別や人種、年齢。全て関係ありません。あなたが『スキ』になった気持ちがあるのなら、それは本物の愛です」
おいおい、ここは同人誌の売り場だよね?
痛々しいBLのポスターやフィギュアの前でなに語っているの? コイツ。
怪しい宗教の勧誘みたい。
ま、教祖っぽいよね。
「スキ…ホンモノ?」
言葉を失って、腐女子のお姉さんの洗礼を受ける信者。
「そうです、BLの神は言っています。あなたが自然体であられることを……」
どこどこ? その腐って生臭い神様、おっさん? おばさん?
「そっか……オレの知らない神様はそんなことを言っているんだ」
鵜呑みにしちゃダメ。でたらめだよ。
「きっと、あなたも真実の愛に気がついたのでしょう。ならばこそ、この本をあなたに」
と言って、目を覆いたくなるような薄い聖書が。
「いや、オレは……そんなつもりじゃなくて」
腐女子のお姉さん、いや教祖は優しく微笑んでこういった。
「これも何かの縁です。ケツ穴裂子さんに在庫全部買ってもらえたので、そのサンプルはあなたに差し上げます」
いや、俺の母さんのせいなの?
「あ、ありがとう……大事に勉強します」
顔を赤くして薄い本を受け取るミハイル。
勉強しなくていいから、君は早く一ツ橋のレポートをやりなさい。
「はい、良い心掛けですね。私の作品はネット上にもあるので是非チェックされてください。きっとあなたの愛に対する考えが変わるでしょう」
「うん。スマホで見てみるよ☆」
知らね、もう俺は知らん。
「あ、ケツ穴さんによろしく言っておいてください。袋はサービスしておきますね♪」
ドシンッとテーブルに出されたのは痛々しいBL紙袋が4つ。
これ持って帰るの? しんどい。
「良かったな、タクト☆」
「うん……」
俺の頭は真っ白になっちまった。
燃え尽きた、殺されたのさ。腐女子の皆さんに。
ミハイルはBL神によって洗礼されてしまい、神の子として生まれ変わったのである……。
「こ、これ帰ってねーちゃんにも見せていいかな?」
なにやら嬉しそうに語る15歳。
それ、言っとくけど成人指定食らってるから。
見せたら捨てられるんじゃない?
「やめとけ。そう言うものはコソコソ見るもんだ」
古来からベッドの下、机の引き出しの隙間、押し入れ、本棚にまぎらせる。
などのテクニックがあるが、お母さんというバケモノにかかると掃除ついでに整理整頓されてしまう。
「そうなの? でもさっきの女の人は堂々と売っていたよ?」
「アレはもうこの世の理から外れた人外のものだ……俺らと一緒の目線で生きてない」
人として終わっているんだ。
「ふーん。じゃあさ、ここで店を出している人ってお父さんとお母さんには伝えてないの?」
ファッ!?
それ、一番ダメなやつじゃん。
「あ、あのな……全部が“オトナの商品”ってわけじゃないが、両親に作品を見られるほど屈辱はないと思うぞ。特にコミケなんてもんは」
ウェブ小説時代に母さんが必死にググって俺の作品にたどり着いた時は恐怖すら覚えた。
「でも、いいものは自慢して良いと思うけどな……」
ミハイルは納得していないようで、不満げだ。
「その“良い”っていう表現が限定的すぎるんだよ。いくら素晴らしい作品でも人によっては楽しめないものだ。ミハイルにも好みってのがあるだろ?」
俺がそう言うとミハイルは手のひらをポンと叩いた。
「そっか! タクトがブラックコーヒー好きだけど、オレは飲めないもんな。イチゴミルクとブラックコーヒーの違いみたいなもんか☆」
レベルが段違いですよ。
そんな健全なもので比較しないでください。
ブラックコーヒーに謝って。
BLコーナーを抜けて、俺とミハイルは「次どこに行こうか?」と相談していた。
すると、背後から何やら「ハァハァ……」と荒い息遣いが聞こえた。
振り返ると、すっかり忘れ去っていた腐女子の北神 ほのかが立っていた。
大きな紙袋を6つも両肩にかけ、重そうなキャリーバッグを二つも握っていた。
ちなみにキャリーバッグからポスターやらタペストリーがはみ出ている。
顔色が悪く、真っ青だ。
「ビックリした……ほのかか。お前、大丈夫か?」
「ええ……狩りは終了したわ」
その前にあなた死にそうだよ。
「だ、大丈夫? ほのか。またいつものビョーキ?」
心配して優しく声をかけるミハイル。
というか、BLが病気になってて草。
「だいじょうぶよ……ミハイルくん。いつものことだから…」
毎回そこまで自分を追い詰めてまで、買ってるんですか?
ちょっとバカじゃないですか。
「なんか、キツそうじゃん。オレ、水買ってくるよ!」
そう言って、ミハイルは先ほど買った大きな猫のぬいぐるみを抱えて、去っていった。
放っておけばいいのに、こんなアホ。
~10分後~
「プッハーーー! 生き返ったぁ!」
ミハイルが持ってきたペットボトルを飲み干すとベコベコと握りつぶす。
「良かったぁ、ほのか。病気治った?」
いや一生完治しないから。
「ええ、これで持ち直せたわ。さあ、今度は私のターンよ!」
拳を作って立ち上がるほのか。
「おい、お前もコミケで出店するつもりなのか?」
「ううん、私は商業狙っているから!」
無理だろ。
「しょーぎょう? 学校でも変えるの?」
首をかしげるミハイル。
それ高校ね。
「ミハイル、ほのかが狙っているのはプロ。つまり書籍化だな」
俺が説明に入る。
「タクトみたいな作家さんになりたいってこと?」
「そうだな、俺はこう見えて既にプロ作家だからな」
フッ、コミケに参加している奴らとは格が違うんだよ。
俺が自慢げに語っていると、誰かがこう言った。
「明日は我が身ですよ……」
な、なんだ!? この薄気味悪い声は……。
幽霊か? コミケの落武者? 生霊?
恐る恐るその声の主へと目を向ける。
そこにはコミケにふさわしくない一人の幼女が立っていた。
どうやらコスプレイヤーのようで、日本が誇る国営放送で絶大な人気を誇ったアニメ。
『手札キャプター、うめこ』のコスチュームを身に纏っていた。
左手には大きなピンクのステッキを握っている。
だが、一つだけ訂正がある。
その生き物は幼女ではない、ロリババアが正確な表現だ。
「おい、アラサーがなにコス楽しんでだよ?」
俺は笑いをこらえるのに必死だ。
「誰も好きでやっていませんよ!」
「怒った怒った。うめこのくせして、怒ってやんの」
すかさず、スマホで写真撮っておいた。
「なに勝手に撮ってんすか!? ちゃんと許可とってくださいよ!」
ブチギレる白金 日葵(アラサー)
そこへ通りがかったオタクが白金に声をかける。
「あの、一枚いいですか?」
さっきまでの怒りはどこに行ったのやら。
白金はオタクに顔を向けると笑顔で答える。
「いいですよ~♪ ネットにあげるときは一番カワイイ写真にしてね♪」
そして数枚撮り終えるとオタクは「あざーす」と去っていった。
「大変だな、コスプレイヤーも……」
俺は汚物を見るかのような目でうめこちゃんを見つめる。
「だから違いますって! 仕事です!」
「わかってるよ、博多社の人間には黙っておいてやる」
「このクソウンコ小説家!」
キンキン声が博多ドーム内に響き渡る。
「どうしたの、タクト? この子、迷子なの?」
出た、お母さんモードのミハイルきゅん。
「誰が子供ですか!? ていうか、そんなに若く見えますぅ?」
キレたくせに後半、嬉しそうじゃん。
「若いていうか、低身長で胸がぺちゃんこだから……かな」
それただの悪口だよ、ミハイルママ。
「キーーーッ!」
ほら、怒っちゃったよ。本当のことを言っちゃダメだぜ。
「ところで仕事ってなんだよ? もっとマシな言い訳しろよ」
「いや、本当に今日は仕事で来たんですよ!」
と言って一枚のチラシを手渡す。
俺とミハイルはそれに目を通す。
『急募! 望む、卑猥なBL! その煩悩を書籍化しないか?』
とキャッチコピーと共に裸体の男たちが「アーーーッ!」している。
それを見て俺は吐き気を感じた。
「なんだ……このヤバい代物は?」
「我が博多社にも創設されたんですよ、BL編集部がね」
「ウソ……だろ?」
あの硬派な出版社がついに腐りだしたのか。
「本当ですよ。と言ってもまだ作家さんたちが少なくて、コミケでアマチュアの作家さんたちに声をかけているんです」
「なるほど……ヘッドハンティングか?」
というか下層ハント?
「ま、波に乗るしかないでしょ。このBLウェーブに」
そんな荒れきった津波知りません。
そこへ不気味な笑い声が聞こえてくる。
「フッフフフ……待っていたこの時を」
振り返ると、うつむいて笑みをうかべる北神 ほのかが。
大きな茶封筒を手に。
「この、ビィーーーエル作家の変態女にお任せあれ!」
なぜかジョ●ョ立ち。
マジか、ついにコイツの作品がプロ編集に持ち込みするときがきたのか。
あー、良かった。これで俺はもう変態女先生のネームチェックしなくていいんだよな。
合格しろ、絶対にだ。
「ん? 持ち込みの方ですか?」
「ハイッ! ぜひ、わ、わ、私の作品みでぐだざぁいぃぃぃ」
ゾンビみたい。
「ハイハイ、じゃあ奥のブースにお通ししますね」
白金に案内されて、変態女先生は「ウヒウヒ」言いながら背を向ける。
「これで良かったんだ……。ミハイル、そろそろ帰るか?」
「え? でもほのかも一緒じゃないとかわいそうじゃん」
クッ! 忘れていた。ミハイルが聖母だったことを。
「かわいそうじゃないぞ? ほのかは天国にいけるのだから」
いろんな意味で。
俺が悪だくみを企てようとしていたのが、ダダ洩れだったのか。
白金が声をかけてきた。
「なにやっているんですか? DOセンセイもこの際ですから見学していってください」
「ハア!? お、俺はもうプロデビューしてるしっ!」
言いながらも声が震える。
「今度のラブコメが売れなかったら、BL作家に転身しなくちゃいけないかもですよ? 勉強していってください。これは業務命令ですよ!」
なにそれ、パワハラで訴えてもいいですか?
「よくわかんないけど、これも取材ってやつだろ☆」
隣りを見るとそこには天使の笑顔が……。