次の日の朝、私は、昨日のあの人が、同級生であることを知って、びっくりした。
何で知ったかというと、朝、編入してきた生徒として紹介されてたから。担任の高田は、みんなに話すとき首がクラクラ動くので、私は心の中で首振扇風機と呼んでいる。
その首振扇風機が
「あのー、今日からみんなのクラスメイトになる夏木紗々(なつき ささ)さんです。夏木さんは、病気のため一年間療養していたので、年齢はひとつ上だけど、学校も久しぶりなので、普通に同級生としてみんな仲良くしてください」
という長台詞を、首を左右に振りながら紹介していた。
夏木紗々………私の金田麻衣っていう平凡な名前と比較してみてよ、なにこのステキな名前。それに、あの人の雰囲気にピッタリだな。
そんなことを思いながら、あの人のことをボーっと眺めてた。周りの子も、
「顔ちっさ!」
「すごい黒髪、つやつやじゃん」
「背高いね、モデルみたい」
「なに?芸能人なの?」
など、ザワついてる。男の子なんて、みんな足を貧乏ゆすりしてるか、机の上で指をトントンしてる。というか、トントンってしてるつもりだけど、興奮しすぎて、トトトトトになっちゃってるんだよね。
わかる、わかるよ。私もそうだった、昨日。一瞬で恋しちゃうよね。
え?恋?これ、恋なの?
と思いつつ、自分の中から出た言葉にびっくりして、思わず立ち上がってしまった。首振扇風機が今度は、首を上下に振りながら
「お、何だ、金田、お前が学校案内してくれんのか?じゃあ頼んだぞ」
と言って、教室のドアから差っていく。どうやら、私が聞いていなかっただけで、だれか学校案内してくれる人挙手!、とか言ってたみたい。
その日の放課後に、授業が終わったら昇降口で待ち合わせをして、学校内を案内することになった。男子が靴箱の前あたりでたむろって、チラチラ私を見ながら、案内に参加したさそうだった。だけど、今までロクに私と挨拶も会話もしたことないから、話しかけられないでいるみたい。
でも、こっちから「ご一緒にどう?」って誘うのも変だし、なんか面倒だから放置した。そしたら、すごい良い香りがしてきて、あの人、夏木紗々が現れた。
「忙しいのにごめんね。案内をお願いします」
「全然!暇だから無問題であります」
なぜか私は緊張してしまって、軍隊みたいな口調になってしまった。
「そうなんだ。ふふ、昨日もここで会ったよね」
「うん。うちの学校の先輩かと思ってたよ」
ドキドキしながら、そっと見上げた。
「ふふ、同級生でしたー」
笑うと大きな目が弧の字になってカワイイ。昨日はワンピースだったけど、今日は同じ制服を着ているから、もっと若く見える。
近くで見ると、肌が陶器みたいに光を跳ね返しながら、肌の表面がうっすらと透明になって光っている感じで、すごくきれい。
髪も一本ずつが意志をもって美しく生えようと思っていないと、こうはならないだろうというほどまっすぐで、艶がある。
私の髪質は悪くはないけど、手入れをしてないからボサボサ。今夜からはしっかりトリートメントした後にブローをしてから寝ようと心に誓った。
私は一通り、今の自分たちが使う教室を案内して、2つある体育館とプール施設と、たまに体育で使う陸上トラックなどを見せた。小中高の正門は同じ、幼稚園は親の送り迎えがあるから、別の入口がある。
正門から見たときに、最も遠い場所に2つの体育館、運動トラック、プール、テニスコートなんかがまとまって建ててあり、小中高で共同で使っている。
正門から一番近いところに小学校校舎があり、これは桜の木で区切られてる。正門から見てすぐ東が中学校の校舎で、銀杏の木で区切られてる。
私たちが使っている高校の校舎は、中学校校舎の奥、体育館などの手前で、もともと生えている欅やクヌギの群生に囲まれるように建っている。
基本的に校舎と校舎の間は木々で隠れるようになってるので、生徒はたくさんいるんだけど、あまり音がしない。生徒たちが静かだっていうのもあると思うけど。
小学生が使う校庭にはブランコや砂場があり、それ以外のところは、ところどころに園芸部が作ってるガーデニングガーデンがある。それ以外にも、季節を感じさせる木々が植えられているので、春には桜、梅雨にはアジサイ、秋はモミジが真っ赤になり、晩秋にはイチョウがたくさん色づいて、とてもきれいなことを、歩きながら説明した。
歩き疲れたので、高校校舎にだけある自動販売機でドリンクを買って、運動トラックなどがあるほうへと歩き、2人でテニス部が練習試合をしているのが見える観戦席に座った。
観戦席の後ろならばフードもついてて日焼けしないし、ゆっくり座れるから、たまに私はここで、1人で本を読んでたりすることがある。
他にどっか見てみたいところある?と聞いたら、あの人は少し黙ってから
「1人になれる場所、ある?」
と聞いてきた。
「こことか、そうだけど」
「あ、うん。ここも良いけど、ここだと、私がここにいるのは見えているでしょ?そういうんじゃなくて、誰にも見つからないようなとこ」
「あー、えーと、それだと………」
実は、私のとっておきの場所だったので、誰にも言わないで卒業まで行こうと決めていたんだけど、なぜかこの人には秘密を分け合いたいと思って、教えてあげることにした。
第二用具室っていうのが第2体育館に隣接したプールのボイラー室の裏にある。ボイラー室の脇の階段を20段くらい下がったところ出入口があって、そこは、昔あったボート部の練習用資材がしまわれてる。
ボート部は廃部しているので、誰もここに用事がないから、誰も来ない。この学校に来て以来、私以外に人が出入りしてるのは見たことがない。私は、転校当初、プールの授業をサボって体育館の周辺をウロウロしているときに、偶然、見つけた。
普通の学校だと、こういう場所って不良のたまり場になったりするのかもしれないけど、聖レイジスって、そもそも不良が存在しないので、そういう心配がない。
鍵はなく、アルミっぽい色の引き戸があるだけ。中で静かにしてさえしていれば、出入りしていること自体、誰もわからないと思う。
だから、本当の本当に何もすることがなくなったとき、私はここにきて、ボートの中で寝そべってスマホでマンガを読んだり、前に住んでいたところの友達との昔のLINEを読み返したりしていた。
「わあ、ステキなところ。あなたの秘密だったんでしょ?ごめんね」
「いいよ、私もたまにしか使ってないし、そもそも私のじゃないしね」
一応、念のため、アルミのドアを閉めて、中に入った。
「ねえ、何て呼べばいい?」
「何が?ここの秘密の場所のこと?」
「違うよ(笑)、あなたのこと、名前なんだっけ」
昇降口で顔を合わせてからだいぶたつのに、私たちはおたがいに自己紹介もしていなかったことに気が付いた。
「私は、金田麻衣。子供のころは麻衣って呼ばれてたから、麻衣がいいな」
「うん、わかった。私は紗々だから、紗々って呼んで」
「紗々って素敵な名前だよねえ、朝、びっくりしちゃったよ」
「そお?自分の名前は耳慣れてるから、よくわかんないよね。麻衣だって、麻衣って明るくて素敵な名前じゃない?」
「え!麻衣って言った?今」
「うん。あれ?麻衣じゃなかったっけ?マミとかマオだった?間違えた?ごめん」
「いや、いい、麻衣で、合ってるの」
そう言いながら、私は不覚にも泣いちゃったんだよね。しかも、おいおいと声を出して。
自分でも、わあ、どうしたんだ私?ってびっくりした。でも、こっちきて、この学校入ってから、初めて女の子に麻衣って名前で呼んでもらえた。
すっごい嬉しい。
一瞬、頭の隅にケイが「俺だってマイマイって呼んでんじゃん」って言いながら走り去って行ったが、ケイはまた別だからさ。
「いやあ、私、中学から編入してきてさ。この学校、幼稚園からガッツリグループ出来ててさ、なかなかうまく馴染めなくて。ちょっと自分の中では苦労してたから。なんか、久しぶりに麻衣って呼ばれて感激したんだ。ごめん、変なところで泣いて、ごめん!」
「いや、全然いいよ。そっか、そうだったんだ。うん、まあ、私立のエスカレーターってこんなもんだよね。私、Aから来たんだけど、あそこも、そういえば、こんなだったわ。よそから来た子は、肩見せまいよね、基本」
そういって、紗々は私の頭を撫でてくれた。
それで、私の気持ちは落ち着いたんだけど、どうにも涙だけが止まらないので、私たちは薄暗いボート室で、そのままボートの中で座ってお喋りをすることにした。
もう普通に話したり、笑ったりしてるのに、私の目からは涙がツーツー流れ落ちて、それが自分でも不思議だった。
紗々がボートの端っこに頬杖付きながら
「麻衣、そういうことって、あるよ。生きてると。でも涙は出てくるなら流した方がいいから、止めないでおきなよ」
って、言ってくれたので、もう気にしないで、鼻水だと思って流しては拭いてをしていた。
自分でも不思議なんだけど、喜怒哀楽のどれでもなくても、人間って涙が出たりするんだなって思って、でも、心の中は戸惑っていた。
紗々は私が悲しくて泣いているんじゃないのを理解しているらしく、普通に話をしてくれていたので、私も涙を出したまま、紗々のまだ知らない学校の先生の話や、うちの学校にあるいくつかのクラブ活動の話なんかをした。
17時の町のチャイムが鳴ったので、とりあえず今日は帰ろうってことになり、一緒に帰ることになった。
桜南町の中で、学校が4丁目全部と2丁目の半分くらいを占めている。私の家は1丁目で紗々は3丁目。この町は行政と市民の街づくりに対する意欲がすごいので、きれいな条のように区画が分かれているからわかりやすい。
だから、学校から見ると、私の家も、紗々の家も南側にある。偶数の丁名と奇数の丁名の間を、桜駅からまっすぐ続く、4車線ある中央通りが走ってる。中央通りは、桜南町が終わるところで園町街道っていう道路にぶつかっていて、このその町街道を東に向かうと、大きな繁華街であるJRその町駅に15分位で出られる。
紗々の家は、私の家の裏側から見て、ちょうど反対側の区画ってことになる。
学校から帰ると、紗々の家のほうが近いから、3丁目の角で別れ、明日も遊ぼうって話になった。思えば、誰かと家まで下校するなんてことも、ほぼ、初めてかもしれない。
なんか、そのことも私にはずっしり来たというか、バイバイと手を振って、1丁目の自分ちに帰るまでのわずか数メートルの間に、また涙が出てしまった。