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「お前は悪くないよ」

 いつの日か、父さんと母さんが僕に言ってくれた言葉だった。

「お前は悪くない。ただ…、運が悪かっただけなんだ」

 母さんが僕の震える身体を抱きしめた。そして、肩の辺りに顔を埋め、泣いていた。

「ごめんなさい…、ごめんなさい…」

 ただひたすらに謝っていた。

 次の日、父さんと母さんは、荷物を持って家を出ていった。その一週間後、九州のとある崖で、車ごと転落して死んでいるのを発見された。

「あんたは悪くないよ」

 いつの日か、姉が僕に言った言葉だった。

「あんたは悪くない。私は、アンタを恨んでいない。だけどね…、やっぱり、『命』は惜しいと思うんだ。だから、私はあんたを辛い目に遭わせるよ」

 家を出ていこうとする姉を、僕は必死で引き留めた。
 姉は悲しそうな顔をして、でも、笑っていた。

「生きろ」

 それが、姉が最期に言った言葉だった。
 それから一週間後、姉は瀬戸内海の上で、真っ裸で浮かんでいるのを発見された。

 高校二年生にして、僕は天蓋孤独となった。

 「幸福と不幸はプラスマイナスゼロ」という言葉がある。それをいう奴は大抵…自分がどれだけ幸福な身にあるかを知らない。
 「生きているだけで幸せ」という言葉がある。そういう奴は大抵…自分が「生」以外の何かを恵んでもらっていることを知らない。 
 二十年間、人を「不幸」にしてきた僕だからわかるのだ。
 この世界には、「幸福」と「不幸」が存在する。それは、「幸福と不幸はプラマイゼロ」なんて言葉がただの妄言に聞こえる程、非情にも偏り、そして差別的に僕たちに分配される。 
 幸せには偏りがある。もちろん、不幸にも。
 僕は「不幸」を得た人間…、いや、不幸の「寵愛」を受けた人間なのだ。
 幸福なことがあれば不幸なことがあるのではない。誰かが幸福になるから、誰かが不幸になるのだ。幸福量保存の法則は、「垂直的」ではなく「平行的」に作用するのだと。
 これは直感だった。
 これは「詰み」だった。
 幸福を分配された人間は、幸福に人生を楽しめばいい。
 不幸を得た人間は、「幸福」を際立たせるために、不幸のまま生きていけばいい。
 それが世界の仕組みだ。「運命」の仕組みだ。
 僕は「不幸」に選ばれてしまった。
 このまま、不幸に生きていけ。

 それができないなら、不幸のまま死んでいけ。

 その時だった。

 何もかも諦めて、抵抗することを辞め、悪霊に命を捕られるだけだった僕の視界に、砂漠のオアシスのように、あるものが浮かんだ。

 千草の姿だった。
 千草が、笑っていた。
 千草が言っていたんだ。

「私は、リッカ君と一緒にいられて、楽しいよ。幸せだよ」

 あ…。って思う。
 その瞬間、僕は動いていた。