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 少し前のことを思い出す。
 千草に出会う前、ある神社を訪れたことがあった。
 そこは、僕のアパートから電車に乗って一駅行った山の奥にあり、鬱蒼としたところに建っていたので、一年を通して訪れる人が少なく、知る人ぞ知る場所だった。
 名を「黒縄神社」と言った。
 神社を訪れると、出迎えてくれた神主(クロナワさん)に、僕は相談していた。「僕の背後にいる『何か』をどうにかしてほしい」と。
 神主さんは僕を見るなり、眉間に皺を寄せて険しい顔をした。そして、「無理です」と言った。今までに、何十人もの神主や僧侶に言われてきた言葉だったので、がっかりしなかった。だけど、あまりにもはっきり言われたので、僕はその根拠が知りたかった。
「どうしてですか?」
「その悪霊には、誰も勝つことはできません」
「どうして、そんなことがわかるのですか?」
「わかります」
 神主さんは目元に力を入れて言った。その、深い黒色の瞳を見た時、僕は確信した。この人は本物だと。今まで相談してきたどんな神主よりも力を持っていると。
 この人は、僕の背後にいる『何か』の、さらに深い『何か』を見た。そう、直感的に悟った。
 四十代前半くらいの若い神主は、苦いものを噛んでいるかのように言った。
「生まれながらに障害を抱えている子供がいるでしょう? 手足が無かったり、知能に問題があったり…。貴方に宿っている『ソレ』は、それと同じ類なのです。それは、人の手によって何とかできるものではありません。心霊スポットに行って連れ帰ったわけでもない。誰かに呪われたわけでも無い。生まれながら、貴方に憑いているものだ。だからと言って守護霊の類ではありません。これは完全に『悪霊』だ。貴方だけでなく、他の人間を地獄に引きずり込もうとしている、悪霊だ…」
 神主はそう言い、脂汗をつうっと流した。
「こんなことは言いたくない。ですが…、貴方は一生、普通の人生を送ることができません。貴方が生きるたびに、誰かが不幸になります。貴方は人間と関わってはいけない…」
「人間と関わらない。なんてできるでしょうか?」
 僕はぼそっとそう言った。
「僕は、普通に生きたいと思っています。身分不相応にも大学にだって行っています。勉強をしたいと思っています。友達百人なんてものは望みませんが、十人くらいは、僕のことを理解してくれる人間んが欲しいと思っています…」
 拳を握り締めた。
「こんなに生きたいと思っているのに、どうして、思い通りにいかないんですか?」
「わかりますよ。貴方の気持ちはわかります」
 神主は絞り出すように言った。
「見たらわかる。貴方はとても優しい方だ。魂に汚れが無い。だけど…、いずれわかるときが来ます。自分の存在が人にどれだけ悪影響を及ぼすのか…。そして、大好きな人を失う事の悲しさを…」
 もう知っていた。
 神主さんは、「終わりなんです」と言った。
「もう、終わりだ。貴方はもう、『死んでいる』と言っても良い状態だ。これ以上、事態が好転することはありません…。誰も、貴方のことを救うことができない…」
「じゃあ、僕はどうすればいいんですか?」
 僕の意地悪な質問に、神主さんは押し黙った。
 そして、静かに本殿の奥に引っ込むと、あるものを取って戻ってきた。
 神主さんが僕に渡したもの、それは、装飾のされていない小刀だった。
「これは、貴方と、他者を救うお守りです」
「………」
 暗喩だということは、すぐにわかった。
 神主さんは小刀を柔らかい布で包むと、そっと、僕の手に握らせた。
「この神社を出て、少し下ったところに看板があります。そこから細道に入り、ずっと進めば、霊水が湧き出ている池があります…。もし、もう無理だと感じた時…、そこでこれを使いなさい。神がきっと、貴方を救ってくれるはずです」
「………」
 僕は静かに頷いた。