一瞬、蛍光灯による陰かと思ったが、よく見ると違った。彼女のくりっとした瞳のしたに、黒鉛を擦りつけたような隈ができていたのだ。
 千草はなんてことないように笑った。
「ああ、ちょっと、最近寝不足で…」
「寝不足って…、そりゃそうだろ」
 僕は仕返しと言わんばかりに、彼女の頭をコツンと小突いた。
「何日も人の部屋で寝るからだ。たまには、慣れた自分の部屋のベッドで寝たらどうだ?」
「あははは、そうだね」
「ホットミルクでも飲む?」
「あ、お願い」
 僕は冷蔵庫から牛乳を取り出すと、一番くじの景品のマグカップに注いだ。それを電子レンジに放り込み、適当な時間チンする。
「ほら、できたよ」
 湯気の立つマグカップを彼女に渡した。
 千草はマグカップをそっと受け取り、ふうふうと冷ませてから飲んだ。
「あちっ!」
「あ、熱かった? ちょっとチンし過ぎたかな?」
「いや、まあ、このくらいが丁度いいかな?」
 そっと、湯気の立つミルクを飲む彼女を見ていると、僕も欲しくなって、もう一杯チンした。
 お互い十分くらいで飲み干し、それからも他愛の無い会話を続けた。
 そうこうしていると、千草の目がトロンとしていることに気づく。
 僕はそっと立ち上がった。
「風呂、入ってくるよ」
「はーい、行ってらっしゃい」
 彼女は欠伸混じりに言った。
 千草の出汁が出た湯船で、身体の芯まで温まった僕は、バスタオルを巻いて風呂から出た。
 いつもなら「情けない身体見せないでよ」と、文句が飛んでくるところだったが、千草は僕のベッドの上に横になり、目を閉じていた。
「………」
 なんだ、寝ているのか。
 寝巻のジャージに着替えた僕は、頭をバスタオルで拭きながら千草に近づいた。
 彼女はすうすうと、安らかな寝息を立てていたが、目の下には陰のような隈が浮いている。隈くらい、大学に通って、バイトで生活費を稼いでいる学生ならできて当たり前だったが、いつも快活に笑っている彼女の目の下に隈は、やはり似合っていなかった。
 そりゃそうか、僕に構ってくれて、それで、自分のことは自分でしているんだから、疲れるに決まっているか。
 僕は悪いと思いながら、彼女の頬に手を触れ、その隈を指で拭った。
「………」
 千草の口元がぴくっと動く。僕は慌てて手を引いた。
 起きたのかと思ったが、彼女は「うーん」と眉間に皺を寄せて唸り、無意識に僕の布団を抱き寄せ、足を絡めていた。
「……」
 おい、人の寝床を奪うな。という言葉を飲み込む。
 世話になっているのは僕の方だし、しっかりと休ませてあげよう。幸い、明日は午前の授業は無かったはずだ。
 僕は座布団を並べて、その上に横になった。そのままだと寒かったので、ウインドブレーカーを羽織る。指先が冷えたが、気にならず、眠気はすぐに襲ってきた。
「……」
 僕って、もしかしたらサバイバルの才能があるのかもな。
 そんなくだらないことを考えながら、僕は眠った。

        ※

 次の日、六時半ごろに目を覚ました。
 うーん! と背伸びをして、固まった筋肉をほぐしていると、千草も「うーん」と言って起きてくる。
「あ、おはよう、千草」
「ああ、おはよ、リッカ君」
 どれだけ寝相が悪かったのだろう? ダイナマイトを喰らった漫画のキャラクターのように、彼女の髪の毛はぼさぼさだった。
 硬い座布団のせいで、安眠できなかった僕は、そのまま起きて顔を洗った。
 千草は、まだベッドの上でうとうとしていた。
「千草、まだ寝てていいよ」
「ああ、そう?」
「朝ごはんは…、コンビニで何か買ってこようか?」
「じゃあ、私、おにぎり…、梅干しと…、高菜ね」
「はいはい」
 僕が頷くと、千草はまた糸が切れた人形のようにベッドに倒れこんだ。
 僕一人で外出するのはいかがなものかと、一瞬頭を過ったが、朝だし、人も少ないだろうし、まあいいかって思って、財布を掴むと、外に出ていった。