「最期の思い出は、小学校の林間学校だったな。あれは楽しかった…。みんなでカレーライス作ったり…、カヌーを漕いだり…、ウォークラリーしたり…。だけど…、帰ったら僕の写真全部にあの黒い影が写っているんだよ。最初は、怖いけど面白かった。自虐ネタにもできたからね。だけど…、人が死んでからは、何もかも変わった。不思議だよな…、あれだけ仲良かったはずなのに、少しずつ、少しずつ、みんなが僕を見る目に『恐怖』が宿っていくんだよ。稚魚から育てた金魚みたいにさ…、一気にじゃない。少しずつ…、毎日見ていないと気づかない小さな変化だった。放課後一緒に遊んでくれた友達は、休み時間しか遊んでくれなくなった。しばらくすると、休み時間も遊んでくれなくなって…、授業中に話かけても、返してくれなくなったね。僕はムキになって、何回も話しかけるんだ、そうしたら、泣きそうな顔で振り返る。その顔がね、訴えているんだよ、『関わらないでくれ』って。そんな顔されたら、僕も身を引かずにはいられないだろう?」 
 甘い茶を飲み、口を湿らせる。
「歳を重ねるごとに…、僕は孤立していった…。時々、変な輩に絡まれることはあったけど、ほとんど虐められなかった。もう、みんなが僕を怖がっているんだ…。僕が歩けば誰かが泣きだすってくらいに…」
 僕は湯飲みを置くと、指を折った。
「ざっと数えて、五十人だ。僕に関わったばかりに、五十人が不幸になった。そのうち、八人は死んだ。そのうち五人は、僕が死体を発見した…」
 思わず笑みが零れた。
「まるでさ…、ちょっと触ったら崩れる砂のお城を弄っているみたいなんだよ。『僕が何かをすれば、誰かが不幸になるかもしれない』って感情が常に、心臓のこびり付いているみたいなんだ。だから、何をするにしても、心の底から楽しめなかった。修学旅行に行っても…、なるべく班の人間とは離れて行動した。写真を撮るときも、うまく対処したよ…。みんな僕の噂は知っているから、すごくホッとした顔をしてたね…。ほんと…、人に気遣う毎日だった」
 饅頭を齧る。
 そして、僕の話をじっと聞いてくれる如月千草の顔を見た。
「なあ、如月…。お前はまだ、僕のことを詳しく知らないだろう? 何が好きか…、とか、どんなものを食べるとか…、どんな人間かとか」
「そうだね」
「僕はね…、『いいやつ』なんだ」 
 自分で言うと、滑稽だった。
「これは自己評価じゃないよ。他者の評価だ。みんな僕から離れるときに、口々に言うんだ。『お前はいいやつだ。いいやつなのはわかる。だけど…、お前はこれ以上人と関わらない方がいい』って」
 つい最近は、バイト先の同僚と、アパートの隣のお姉さんに言われたな。
「まあ、僕の恨みを買わないための口実かもしれないけどね…」
「いや、リッカ君は優しいね」
 如月千草はそう言った。
「別に…、気を使わなくてもいいぞ」
「いいや、優しい!」
 彼女は謎の自信を持ってそう宣言した。
 あまりにもはっきり言われたために、僕は浴衣を着た胸の辺りがむず痒くなる。
「…なんでだよ」
「だって、人に気を使って生きてきたんでしょ?」
「いや…」
 思わず目を背ける。
「嫌いだよ…、そう言う考え。『人に気を使う』イコール『優しい』だなんて…。単に、『人を傷つけるのが怖い』だけだよ。それに…、人に気を使った覚えなんて無いよ。その証拠に、僕は他県の大学を選んで進学して…、この悪霊の呪いを広めたんだ…。これの何処が優しいんだよ。自分のことしか考えていない馬鹿だろうが」
「人として生きようとするのは良いことだよ」
 如月千草はそう言った。
「時には、自分の意思を貫くことも大事ってことだよね」
「なんだ…、都合のいい頭だな」
「ううん、大事なことなんだ…」
 彼女は念を押すように言った。その目は、僕を見ず、膝の辺りを見ていた。
 僕は思わず、意地悪な質問をした。
「如月は…、将来、何になりたいの?」
「え…」
 如月が僕を見る。くりっとした目に、桜色の頬。ぽかんと開いた口が、可愛らしいと思った。
「如月には、夢があるのか?」
「いや…、その…」
 途端に歯切れが悪くなる。
「まあ、無いことはないよ?」
「教えてくれよ。如月が良いのなら」
「いや…、くだらない夢だよ」
「くだらないかどうかは、僕が決める」
「あのねえ…」
 如月は逃げ場を失くしたようにうなだれた。
 少し間を置いて、彼女は言った。
「その…、『普通に生きたい』の…」
「普通?」
「リッカ君の考えと似ているのかもね…、悪霊にも何にも縛られずに、悠々と生きていきたいの」
「そう…」
 何と返せばいいのか、わからなかった。
 変な沈黙が部屋を包み込む。
 如月千草は、「ああ、もう、変な空気になっちゃった」とわざとらしく言うと、まだ熱い茶をぐいっと飲みほした。
 椅子から立ち上がり、伸びをする。
「そろそろ寝ようよ。明日も歩かないとダメだし」
「……うん、そうだな」
 歯を磨いてから、僕たちは布団に入った。
 部屋の灯りを落としてもすぐには眠れなかったので、備え付けのテレビを付けて、クイズ番組を眠る前のBGM代わりにした。
 淡く光るテレビの液晶を眺めながら、如月千草が言った。
「あの人…、憑かれてるね」
「え…」
「ほら、司会者…。女の霊が憑いてる。すごく恨んでるね…。早めに対処しないと…大変なことになる…」
「そう…。僕のやつと比べたら?」
「…月と鼈」
 僕の背後にいる『何か』が、RPGの裏ラスボスだとしたら、その司会者に憑いている霊は中ボスらしい。
 瞼が重くなった。
 隣を見れば、如月千草も目をとろんとさせている。
 僕はおぼつかない声で聞いた。
「指…、大丈夫?」
「大丈夫」
 布団の中から、彼女の手が伸びてきて、僕の目の前にぽんっと置かれた。
 どういう意図でそうしたのかはわからない。どうすればいいのかわからなかった僕は、とりあえず、自分の手を、彼女の手の上に重ねていた。指を這わせ、絆創膏が貼られた爪の辺りに触れる。
 彼女はびくっと肩を震わせた。
「痛いの?」
「まあね」
「ごめん」
 テレビから発せられる音がはっきりとしなくなった。
 瞼がずっしりと重くなり、僕は抗わずに目を閉じた。思考が鈍る。泥に沈むみたいに、感覚が消え失せる。
 重ね合わせた手を離さないまま、僕と彼女は夢の中に吸い込まれていった。