「お、おい…」
「早くしてよ…、痛いんだから…。あと、布団に落ちたらダメでしょうが」
「あ、わかった」
僕は蹴り飛ばされたように、部屋の隅に置いていた彼女のショルダーバッグに駆け寄り、開けた。中には、神社でもらったお守りやら護符やらが入っている。
「え、ええと…、どれ?」
「内側のポケットに、ポーチが入ってると思う…」
「これ?」
「あ、違う…、それはナプキン…、逆側に無い? ピンク色のやつ」
「あ、あった…」
僕は、バックの内ポケットから、ピンク色のポーチを抜いた。開けて確かめると、絆創膏や包帯、ガーゼが入っている。
それと、僕の鞄からタオルを取り出し、脂汗をかいている如月千草のもとに戻った。
流れ出た血はタオルで吸い取り、傷口にガーゼを押し当てて止血した後、剥がれた爪と一緒に絆創膏を巻き付けた。
如月千草は「ありがとね」と言うと、布団の上に腰を落ち着かせた。
「いやあ、ちょっと焦った」
そう明らかに動揺した顔で言って、指を閉じたり開いたりする。
「おい、大丈夫なの?」
「大丈夫よお。油断した私が悪い!」
如月千草は明るい表情を作った。
「私の霊力と、ここの温泉の霊力を合わせれば、何とかなるんじゃいかって思ったけど…、うーん、ダメね。ちょっと深入りし過ぎた」
「深入りって…」
「リッカ君の後ろの『何か』が、怒ったのよ。まさか、霊力を封じて、呪力を返してくるとは思わなかった…」
呪力を返してきたって…、つまりは、「呪われそうになった」ってことだろう?
僕はたちまち嫌な汗をかいて、如月千草に詰め寄った。
「おい! 大丈夫なんだろうな? 如月…、死んだりしないだろうな?」
「しないよ…。身体に流れ込みそうになった呪力は、咄嗟に浄化したし」
「でも…」
心配だった。
僕の心を読んだように、如月千草はふふっと微笑んだ。
「私のこと、心配してくれたの?」
「当たり前だろう!」
僕は思わず声を荒げた。
「今まで、色々な人が…、僕のために動いてくれたんだ! 僕のこの『何か』を祓おうと、賢明に努力してくれた…! だけど、みんな返り討ちにあったんだ!」
感情の爆発が、富士山の噴火みたいに唐突に訪れる。
潤んだ視界に、今まで僕のために動いて、不幸な目に遭っていった者たちの顔が浮かぶ。事故に遭った者、病気になった者、家族の誰かを亡くした者、突然、首を吊った者。
「そう言うのは、もう見たくないんだよ!」
思わず、如月千草の華奢な肩を掴み、上下に揺さぶった。
「僕はお前のことを信用しているんだ! だって、お前が『大丈夫』って言うから! 大丈夫なのか? 大丈夫なんだろうな! もし、お前が死にそうになったら、僕はすぐにお前の元から離れるぞ!」
「馬鹿ねぇ、取り乱し過ぎ」
荒ぶる僕とは対照的に、如月千草は平和っぽい笑みを浮かべ、僕の額を小突いた。
「大丈夫って言ったでしょ? 私、天才なんだから」
「天才って…」
何言ってんだ?
彼女の間延びした声に、高ぶった感情が、一瞬にして鎮まる。
「あ…」
如月千草の肩に指が食い込んでいたことに気づき、さっと手を引いた。そして、気恥ずかしさから、何事も無かったかのように、そそくさとその場の救急セットを片づける。
如月千草は乱れた浴衣を、怪我をしていない左手で直しながら言った。
「ごめん、私の方も、ちょっとやり過ぎた。こういうのって、慎重にやらないとダメなの。だから、反撃喰らううのは自明の理だね。次はうまくやるね」
「そうだな…」
いまいちぴんと来なかったが、僕は頷いた。
如月千草は布団の上に仰向けになると、両手足を投げだした。
「ふへえ、疲れた! 今日はここまでだね! 続きは明日! 明日やろうは馬鹿野郎!」
「うん…」
曖昧に返事した後、絆創膏が入っていたポーチをもどすべく、彼女の鞄に近づいた。
しゃがみ込み、ファスナーを開ける。内側のポケットにポーチを押し込んだ時…、僕の指先に静電気のようなものが走った。
「え…」
如月千草には聞こえない声が出る。
そこで何もせずに、そのままファスナーを閉めていればよかったものを、僕はポケットの中で指を這わせ、奥に入っていた何かを掴んだ。すると、また指先に痺れるような痛みが走る。
まるで、湯の中から何かを取り出すように、それを引っ張り出す。
「……」
なんてことない。それはただの護符だった。だが、今日行った三つの神社でもらったものとは違う。蚯蚓が這ったような文字の上に、何か、家紋のような朱印がされていた。
何だろう…?
気にはなったものの、女の子の鞄の中をこれ以上漁るわけには行かず、僕は護符をそっとポケットの奥に押し込んだ。
ファスナーを閉め、振り返る。
如月千草は「ふかふか~」と言いながら、二つ並んだ布団の上を転がっていた。おかげで、僕の陣地までもがぐちゃぐちゃになっている。
僕はため息をつくと、端にあったテーブルに行き、備え付けてあった急須で茶を淹れた。
如月千草がばっと身体を起こす。
「あ! 私のも淹れて!」
「はいはい」
僕は如月千草の分の茶も淹れた。
せっかくなので広縁に行き、置いてあった椅子に二人で向かい合って座った。
湯気の立つお茶と、この旅館の名物の饅頭で、寝る前のティータイムとする。
「カンパーイ」
「この状況に『乾杯』が似合うのかは甚だ疑問だな」
と言いながら、僕は如月千草と湯飲みを突き合せた。
ずずっ…と飲むと、舌先から喉の奥に掛けて、甘みが広がる。
「あ…、美味しい…」
「でしょ? この近くに、いいお茶っ葉畑があるんだよ。パワースポットめぐりとは関係無いけど…、明日、一緒に行ってみる?」
「ほんと、よく知っているよな」
彼女の提案を無視して、僕は饅頭を齧った。甘い。
「如月って、何者?」
単刀直入の質問。
如月千草は、困ったように苦笑いを浮かべた。
「やだなあ、しがない大学生ですよ」
「って言う割には、霊力高いし、神社の人と知り合いだったりするんだよな」
「あはははは…」
如月千草はテーブルの上に湯飲みを置き、気まずそうに頭を掻いた。
何となく彼女の正体はわかっていたが、追及して欲しくないような雰囲気を漂わせているので、あえてそれ以上聞かなかった。
代わりに、僕は夜景を横目に、自分の半生を語った。
「こういうのって…、久しぶりだな」
「どういうこと?」
「いや…、こうやって、誰かと一緒に、遠くを訪れて、色々楽しむこと」
「よかった、嬉しい」
「うん、楽しかったよ」
湯飲みの中の、若葉色の液体がとぷんと揺れた。
「早くしてよ…、痛いんだから…。あと、布団に落ちたらダメでしょうが」
「あ、わかった」
僕は蹴り飛ばされたように、部屋の隅に置いていた彼女のショルダーバッグに駆け寄り、開けた。中には、神社でもらったお守りやら護符やらが入っている。
「え、ええと…、どれ?」
「内側のポケットに、ポーチが入ってると思う…」
「これ?」
「あ、違う…、それはナプキン…、逆側に無い? ピンク色のやつ」
「あ、あった…」
僕は、バックの内ポケットから、ピンク色のポーチを抜いた。開けて確かめると、絆創膏や包帯、ガーゼが入っている。
それと、僕の鞄からタオルを取り出し、脂汗をかいている如月千草のもとに戻った。
流れ出た血はタオルで吸い取り、傷口にガーゼを押し当てて止血した後、剥がれた爪と一緒に絆創膏を巻き付けた。
如月千草は「ありがとね」と言うと、布団の上に腰を落ち着かせた。
「いやあ、ちょっと焦った」
そう明らかに動揺した顔で言って、指を閉じたり開いたりする。
「おい、大丈夫なの?」
「大丈夫よお。油断した私が悪い!」
如月千草は明るい表情を作った。
「私の霊力と、ここの温泉の霊力を合わせれば、何とかなるんじゃいかって思ったけど…、うーん、ダメね。ちょっと深入りし過ぎた」
「深入りって…」
「リッカ君の後ろの『何か』が、怒ったのよ。まさか、霊力を封じて、呪力を返してくるとは思わなかった…」
呪力を返してきたって…、つまりは、「呪われそうになった」ってことだろう?
僕はたちまち嫌な汗をかいて、如月千草に詰め寄った。
「おい! 大丈夫なんだろうな? 如月…、死んだりしないだろうな?」
「しないよ…。身体に流れ込みそうになった呪力は、咄嗟に浄化したし」
「でも…」
心配だった。
僕の心を読んだように、如月千草はふふっと微笑んだ。
「私のこと、心配してくれたの?」
「当たり前だろう!」
僕は思わず声を荒げた。
「今まで、色々な人が…、僕のために動いてくれたんだ! 僕のこの『何か』を祓おうと、賢明に努力してくれた…! だけど、みんな返り討ちにあったんだ!」
感情の爆発が、富士山の噴火みたいに唐突に訪れる。
潤んだ視界に、今まで僕のために動いて、不幸な目に遭っていった者たちの顔が浮かぶ。事故に遭った者、病気になった者、家族の誰かを亡くした者、突然、首を吊った者。
「そう言うのは、もう見たくないんだよ!」
思わず、如月千草の華奢な肩を掴み、上下に揺さぶった。
「僕はお前のことを信用しているんだ! だって、お前が『大丈夫』って言うから! 大丈夫なのか? 大丈夫なんだろうな! もし、お前が死にそうになったら、僕はすぐにお前の元から離れるぞ!」
「馬鹿ねぇ、取り乱し過ぎ」
荒ぶる僕とは対照的に、如月千草は平和っぽい笑みを浮かべ、僕の額を小突いた。
「大丈夫って言ったでしょ? 私、天才なんだから」
「天才って…」
何言ってんだ?
彼女の間延びした声に、高ぶった感情が、一瞬にして鎮まる。
「あ…」
如月千草の肩に指が食い込んでいたことに気づき、さっと手を引いた。そして、気恥ずかしさから、何事も無かったかのように、そそくさとその場の救急セットを片づける。
如月千草は乱れた浴衣を、怪我をしていない左手で直しながら言った。
「ごめん、私の方も、ちょっとやり過ぎた。こういうのって、慎重にやらないとダメなの。だから、反撃喰らううのは自明の理だね。次はうまくやるね」
「そうだな…」
いまいちぴんと来なかったが、僕は頷いた。
如月千草は布団の上に仰向けになると、両手足を投げだした。
「ふへえ、疲れた! 今日はここまでだね! 続きは明日! 明日やろうは馬鹿野郎!」
「うん…」
曖昧に返事した後、絆創膏が入っていたポーチをもどすべく、彼女の鞄に近づいた。
しゃがみ込み、ファスナーを開ける。内側のポケットにポーチを押し込んだ時…、僕の指先に静電気のようなものが走った。
「え…」
如月千草には聞こえない声が出る。
そこで何もせずに、そのままファスナーを閉めていればよかったものを、僕はポケットの中で指を這わせ、奥に入っていた何かを掴んだ。すると、また指先に痺れるような痛みが走る。
まるで、湯の中から何かを取り出すように、それを引っ張り出す。
「……」
なんてことない。それはただの護符だった。だが、今日行った三つの神社でもらったものとは違う。蚯蚓が這ったような文字の上に、何か、家紋のような朱印がされていた。
何だろう…?
気にはなったものの、女の子の鞄の中をこれ以上漁るわけには行かず、僕は護符をそっとポケットの奥に押し込んだ。
ファスナーを閉め、振り返る。
如月千草は「ふかふか~」と言いながら、二つ並んだ布団の上を転がっていた。おかげで、僕の陣地までもがぐちゃぐちゃになっている。
僕はため息をつくと、端にあったテーブルに行き、備え付けてあった急須で茶を淹れた。
如月千草がばっと身体を起こす。
「あ! 私のも淹れて!」
「はいはい」
僕は如月千草の分の茶も淹れた。
せっかくなので広縁に行き、置いてあった椅子に二人で向かい合って座った。
湯気の立つお茶と、この旅館の名物の饅頭で、寝る前のティータイムとする。
「カンパーイ」
「この状況に『乾杯』が似合うのかは甚だ疑問だな」
と言いながら、僕は如月千草と湯飲みを突き合せた。
ずずっ…と飲むと、舌先から喉の奥に掛けて、甘みが広がる。
「あ…、美味しい…」
「でしょ? この近くに、いいお茶っ葉畑があるんだよ。パワースポットめぐりとは関係無いけど…、明日、一緒に行ってみる?」
「ほんと、よく知っているよな」
彼女の提案を無視して、僕は饅頭を齧った。甘い。
「如月って、何者?」
単刀直入の質問。
如月千草は、困ったように苦笑いを浮かべた。
「やだなあ、しがない大学生ですよ」
「って言う割には、霊力高いし、神社の人と知り合いだったりするんだよな」
「あはははは…」
如月千草はテーブルの上に湯飲みを置き、気まずそうに頭を掻いた。
何となく彼女の正体はわかっていたが、追及して欲しくないような雰囲気を漂わせているので、あえてそれ以上聞かなかった。
代わりに、僕は夜景を横目に、自分の半生を語った。
「こういうのって…、久しぶりだな」
「どういうこと?」
「いや…、こうやって、誰かと一緒に、遠くを訪れて、色々楽しむこと」
「よかった、嬉しい」
「うん、楽しかったよ」
湯飲みの中の、若葉色の液体がとぷんと揺れた。