一週間後。
 僕が部屋でウイダーゼリーをちびちびと吸っていると、部屋のインターフォンが鳴った。
「開いてるぞ」
 そう大声で呼びかけると、扉が無遠慮に開き、如月千草が入ってきた。
「お邪魔しまーす」
「よお…、って、あれ?」
 いつもと違う彼女の姿に、思わず目を擦る。
 如月千草は、白いVネックシャツの上に、デニムシャツを羽織り、下はニットスカートを履いていた。鎖骨が浮き出た首元に、銀色のネックレスが光っている。リラックスした感じを漂わせているが、一目で「他所行き」の格好であるとわかった。
 唇にピンクのリップを塗っていることに気づき、思わず頬が熱くなる。
「お…、お前…、誰?」
「失礼な、お友達の如月千草ちゃんですよーだ」
 恥ずかしさを隠すためのボケに、如月千草はしっかりと乗っかって、僕の頭を殴った。
「どう? 似合う? せっかく出かけるんだから、ちょっと本気だしてみた」
 彼女はニヤッと笑うと、僕の前で一回転した。遠心力でショルダーバッグは外に投げだされ、僕の右頬を打つ。
 彼女の唇には、薄い口紅が施されていた。
「…うん」
 僕は素直に、彼女の服装を褒めた。
「似合うよ」
「そう、良かった」
「普段、手抜きの服を着ているから、錯覚を起こしているだけかもしれないけど」
「うん、一言余計だね」
 如月千草は表情を変えずに僕の頭を殴る。もし、殴ったのが一般人だったら、そいつは今に事故か病気で死んでいただろう。彼女は、僕…じゃなくて『コイツ』に無礼を働いて許される唯一の人間だと思った。
「で、言った通り、支度はしたの?」
「ああ、ちゃんとやった」
 僕はベッドの上に置いたナップサックを鼻で指した。
「ハンカチ、ティッシュ…、財布には二万円くらい入っている。一応、水とガム、あとキャンディーは買っておいたけど」
「ええ~、『着替え』も用意しとけって言ったじゃん」
「いや、たかが一日出かけるだけだろ? そんな大げさな」
 彼女に「着替えも用意しておいて」と連絡を受けた時、いくら何でも馬鹿にし過ぎだと思った。一日ぐらい、着替えが無くてもいける。って。
 すると、如月千草は、「あ、しまった」と言って、指をパチンと鳴らした。
「ごめん、言い忘れてた」
「なんだよ」
「今日のお出かけ、一泊二日なんだわ」
「え…」
 頬から冷たい汗が滑り落ちた。
 如月千草は、「ごめーん」と謝ったが、目は笑っている。こいつ、絶対にわざと言わなかったんだ。
「いや! なんで一泊二日なんだよ!」
 と反論する間もなく、如月千草は押し入れの扉を開け、中からゴミ袋に包まれたリュックサックを取り出すと、そこに、僕のTシャツやハーフパンツ、ジャージ、パンツ、タオルを詰め込んでいった。その上から、ナップサックに入っていたものを入れる。
 程よいふくらみになったそれを、僕の胸に突きつけた。
「はい、持って」
「はい、持ちました」
「じゃあ、行くよ」
「何処に?」
「決まってんでしょうが、駅よ、駅」
 如月千草は僕の手を強引に引っ張り、外へと連れ出した。
「ちょっと、時間が危ない、急ごうね」
「いやいやいやいや! 駅って! 僕を何処に連れ出すつもりだよ! 場所によっちゃ、テロを起こしに行くようなものだろ! やだよ! 大量殺人犯になりたくないよ!」
「もー、うるさいなあ」
 如月千草は鬱陶しそうな顔をした。
 くるっと、黒い髪の毛を翻して振り返ると、僕の頬を優しい力で、ぺちっと叩いた。
「大丈夫よお、私が一緒にいる限り、他の人間に手出しはさせないから」
「い、いや、心配だね!」
 他の人間が大丈夫だったしても、如月千草が大丈夫かどうかわからなかった。
 僕の言いたいことを悟ったのか、彼女はいたずらっぽく笑った。
「私のこと、心配してくれてるの?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「大丈夫! 前にも言ったでしょ? 私の霊力を舐めないでくれる?」
 自信満々に頷く如月千草に、それ以上反論はできなかった。僕はため息をつき、彼女の言葉を信じることにした。
 僕が渋々頷いたのを見て、如月千草はにこっと笑った。
「それに、もう少し明るくいなさいよ。暗い顔してたら、幽霊が寄ってくるから」
「……わかったよ」
「さ! 行こう!」
 ということで、僕と如月千草の二人旅が始まった。