頭で理解するよりも先に身体が認識し、心臓がドクンッ! と脈打った。放出された血液は、頭の先からつま先を駆け巡り、僕の体温を一度上昇させる。
 熱を持った僕の唇。逆に、彼女の唇は、水羊羹のように冷たかった。その明らかな温度さが、まるで街中を、素っ裸で立っているかのような、どうしようもない羞恥心となって僕の脳に降りてくる。その羞恥心はやがて停止した脳を刺激し、この行為が「キス」であるということを認識した。
 どのくらい経っただろうか? 長い口づけだった。
 僕の思考回路が、興奮でショートしかけた頃に、如月千草はゆっくりと身を起こした。
「どう?」
「え、どうって…、どういうこと?」
「あ、治ったみたいだね。よかったよかった」
「へ?」
 そう言われて、反射的に喉に触れた。膝に触れた。腹に、頭に触れた。そこで、、この一晩、僕を苦しめた痛みが、まるで蛍光灯の灯りを落としたように、一瞬で消え去ったことに気が付いた。
「あ、あれ…?」
 声が出る。
「ど、どうなってるんだ?」
「感謝しなさいよね」
 如月千草は馬乗りになったまま、慌てふためく僕の額を小突いた。
「私が、じょれいしてあげたんだから」
「じょ、じょれい…?」
 じょれい…、つまり「除霊」ってことだよな? 「霊を除く」ってことだよな。僕に取り憑いた幽霊を、祓ったってことだよな?
「な、なんで…?」
 僕は今までに、何度も、この背後の「何か」を祓おうとしてきた。寺や神社、祈祷師…、「幸福になれる壺」を売りつけてくる女…、頼れるものならなんでも頼ってきた。だが、どれも効果は無かった。逆に、僕の「何か」を祓おうと試みたやつは、必ず報復を受けて不幸な目に遭っていた。
 だから、もう諦めていたのだ。コイツを祓うことはできないって。
 それなのに、如月千草が祓った? こんな、何処にでもいそうな大学生の女が?
「は…、へ? なんで…?」 
 酸欠の金魚のように口をぱくぱくとさせていると、如月千草は、少し頬を赤らめてこほんと咳ばらいをした。
「ま、まあ、言いたいことはわかるよ? 『どうしてお前が祓えたんだ?』って」
「う、うん」
「答えは簡単、単純明快」
 彼女はおどけたように、指を一本立てて言った。
「私に、除霊の力が備わっているからでありまーす」
「じょ、じょれいの…、力?」
「ああ、ごめん、急に変なこと言い過ぎだよね?」
 彼女はわざとらしく、自分の頭をコツンと叩いた。
 それから、混乱する僕とは対照的に、全てを見通したような、余裕のある笑みを浮かべて言った。
「改めましてはじめまして! 私の名前は、如月千草! よろしくね! リッカ君」