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「馬鹿じゃないの?」
「……」
 如月千草の声で、僕は夢から目覚めた。
「え…」
 床の上にうつ伏せになって気を失っていたようだ。咄嗟に身体を起こそうとした瞬間、全身を針で刺したような、鋭い痛みが駆け巡る。悲鳴を上げようにも、声帯すらも麻痺して動かなかった。
 煮えたぎる油の中に放り込まれたかのように、身体が熱くなる。心臓が脈動し、血液が血管の壁を滑るたびに、それは痛みとなって僕を襲った。
「っ、うう………」 
 僕は苦痛に顔を歪ませながら、声がした方を見た。
 そこには、ジーパンと白いTシャツを着て、大きめのトートバックを肩に掛けた如月千草が立っていた。玄関の鍵を閉めた覚えは無い。おそらく、そのまま入ってきたのだろう。
 如月千草は僕の部屋を見渡して、もう一度「馬鹿じゃないの?」と言った。
 彼女はくるっと、押し入れの方を向き、扉を勢いよく開けた。
 中に上半身を突っ込み、パンパンに膨れたナイロン袋を引っ張り出す。中に詰め込まれた大量の護符と鈴を見ると、また、「馬鹿じゃないの?」と言った。
 なんで…、あいつ…、あれが押し入れの中にあるってわかったんだ?
「あ…、あ、ああ…」
「喋れないんでしょ?」
 如月千草が僕を見て、くすっと笑う。
 イエスともノーとも言わない反応こそが、「イエス」と言っているようなものだった。
 如月千草はため息をつくと、ナイロン袋から黒く焦げた護符を引っ張り出し、ひらひらと振った。
「ったく、せっかくありがたみのある護符なのに、どうしてこう乱暴に扱うかな? 私が来るから、全部剥がしちゃったの? 先に言ってくれれば、気にしなかったのに」
 それから、錆びた鈴を取り出し、これもカラカラと振る。
「鈴もねえ、手軽で良い除霊アイテムだけど…、これは意味無いわ。金の無駄だね」
 そして、台所の流しの方を見た。
「それで? 盛り塩もしたんだ。盛り塩は、下手なやつがやったって意味がないよ。っていうか、逆効果。変なものばっかり呼び寄せちゃうから。実際、何回も黒く染まったでしょ? 排水溝に、まだ邪気な残ってる…」
 なんだか、如月千草が、除霊に関するありがたいアドバイスをしてくれているような気もするのだが、耳の奥でずっと、キーンキーンと耳鳴りがして、上手く聞き取れなかった。頭の痛みもさらに増している。吐き気がする。
 うっ! と、僕がえづくのを見て、如月千草は話すのを辞めた。
「ああ、ごめん、先に、リッカ君の中に入った『もの』を取り除いたほうが良いね…」
 彼女はそう言うと、床の上でぐったりとしている僕に歩み寄った。「失礼しまーす」と軽い声で言うと、僕を仰向けにし、その上に馬乗りになる。そして身を乗り出して、今に胃の中のものが噴出しそうな僕の唇を、しなやかな指でなぞった。
 眉間に皺を寄せて言う。
「うっわ! これは酷い! ぎゅうぎゅう。私が来てよかったね」
「……」
 何を言っているんだ?
 とにかく気分が悪い僕が、目を細めてげんなりとすると、彼女は唇から指を離し、それから、冷たい両手で僕の頬を挟み込んだ。
「ああ、これ、別にそういう意味じゃないからね? 変な誤解しないでよ?」
 そして、さらに身を乗り出す。その拍子に、緩いTシャツの隙間から彼女の白い胸が見えた。
 あ…、と、思った瞬間、僕の乾いた唇の上に、如月千草の柔らかな唇が重ねられていた。