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 鈴がチリンチリンと鳴る音で目を覚ますと、傍に置いてあった腐りかけの桃を齧る。それから、またベッドに横になって眠る。夜になると、護符が焦げる臭いで目が覚める。僕は風呂場に行き、シャワーを浴びて身体の皮脂や汗を洗い流した。さっぱりすると、またベッドに横になって眠る。
 そんな日々を、一週間ほど続けた。秋ということもあり、食べ物は腐りにくいし、エアコンをかける必要も無い。案外快適な日々だった。
 その日も、僕は鈴の音で目を覚まし、「ああ、朝か」と自覚すると、枕元の桃に手を伸ばした。
 桃が無かった。
「あ……」
 しまった…、昨日、全部食べきったのか…。
 僕は舌打ちすると、ベッドから降りた。
 生水のような臭いを吸い込み、背を伸ばす。薄い皮の奥で、背骨がボキボキと鳴った。
 肩が痛い。頭が痛い。これはただの肩こりと頭痛か…、それとも、別の「何か」が僕の頭と肩に喰いついているからか…。
 そんなことを考える余裕は無かった。いや、考えたくなかった。
「………」
 部屋の四隅に置いていた塩が、全て溶けていて。墨汁のような液体がそこに広がっていた。舐めてみると、しょっぱかった。でも、ちょっと苦かった。
 雑巾で黒い液体を拭うと、また新しい塩を盛った。護符も、焦げたものは剥がして、新しいものを貼り付けた。
 桃が無いので、冷蔵庫で冷やしていたウイダーゼリーを飲む。シャワーを浴びるついでに歯を磨き、さっぱりとすると、また布団の上に飛び込んだ。
 その瞬間、充電器に刺さったままの僕のスマホが震えた。
「………」
 僕は手を伸ばし、スマホを手に取る。
 相手は、「如月千草」だった。
「……」
 って、誰だっけ?
 絶えず震えるスマホを片手に、僕は首を傾げた。名前を登録しているってことは、知り合いってことだよな? でも、こんな名前の知り合い、僕にいたっけ? 
 そこまで考えた時、はっとする。
 もしかして、また、僕の背後にいる「何か」の仕業じゃないか?
「………」
 僕は液晶に表示された「如月千草」の名前をじっと睨んだ後、意を決して、スマホを耳にあてた。
「……もしもし」
『ちょっと、今どこにいるの?』
 マイクの向こうから、切り裂くような、少年っぽい女の声が飛んできた。
 その声に聞き覚えがあった僕は、一瞬で警戒を解くと、聞いた。
「え、ええと…、誰だっけ?」
『はあ?』
 女の声が裏返る。
『あんた、寝ぼけてんじゃないの?』
「ごめん…、多分寝ぼけてる…」
『とにかく、早く大学に来てよ!』
 そうか…、大学の関係者か…。
 僕は壁に貼られた護符を見ながら、スマホの向こうの女に言った。
「ごめん…、大学は、今はいけない…」
『はあ? あんた、単位取りたくないの? ってか、あんたがいないと、私の単位まで落ちることになるんだけど…!』
「へ?」
 この女の単位まで取れなくなる?
 僕がマイクの向こうでキョトンとしているのを感づいたのか、女は深いため息をついた。
『レポートがあったでしょ? グループでやるやつ!』
「あ…」
 そう言われて、僕は間抜けな声を出していた。
 そうか…、すっかり忘れていた…。
 一週間怠惰にふけっていた僕は、やせ細った身体に鞭をうち、枕元に投げ捨てるように置かれた鞄に飛びついた。ジッパーを開けて、中に入っている手帳を取り出そうとする。
 すかさず、電話の向こうの女が言った。
『締め切りは三日後ね』
「あ、そうなんだ、ありがとう…」
 確かに、今取り出した手帳には、一週間後の日付が書いてあった。
『で、どうするんの? リッカ君が単位を落とすのは別に良いけど…、私は将来がかかっているんだわ』
「どうするって言われても…」
 僕はもう人間と関わることを辞めたんだ。授業に出席しなくて単位を落とそうが、退学処分になろうがどうでもいい。レポートなんてクソくらえだ。
 と言いたいところだが、このレポートは、二人一組で取り組まなければならない。つまり、僕がバックレれば、罪のない彼女にもしわ寄せが来てしまうのだ。
 外に出るか迷っていると、スマホの向こうの如月千草が言った。
『今、何処にいるの?』
「え、ええと…、アパート…」
『アパート? そりゃ都合がいい。今から行くから、準備してて』
「え、は? 今から来るの?」
『そうしないと、できないでしょうが』
「でも…、住所は…」
『○○丁目の○○荘ってところでしょ? リュウセイ君から聞いたから、逃げられないからね。じゃあ、今から行くから』
「いや、待って! 本当に勘弁して!」
 僕はマイクに向かって、必死に懇願していた。
 如月千草が「うるさいわねえ」と鬱陶しそうに言った。
『なに? そんなに、大学のレポートをするのが嫌なわけ? 甘ったれないでよ』
「そ、そういうわけじゃないんだ! へ、部屋の中を見られたくない…」
『別に、エロ本の一冊や二冊落ちてたって気にしないわよ。まあ、内容によるけど…』
「だから、そういうわけじゃないんだ…」
 僕は背中から冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、部屋を見渡した。
 壁一面に貼られた護符。部屋の四隅には盛り塩。天井からぶら下がる百個もの鈴。あと、桃の甘ったるい匂い。
 これを見られるのはまずい。
「とにかく、部屋を見られたくない…、き、君の部屋じゃダメなのか?」
『はあ? 私が、ほとんど喋らない男子を部屋に上げるほど尻軽に見える?』
「ご、ごめん、そういうつもりじゃない! そ、そうだ…、近くに、ファストフード店があるから…、そこにしよう! 頼む、そうしてくれ!」
『ええ~、店って、騒がしいから嫌いなんだけど…。って、もうめんどくさいから、リッカ君の部屋に行くよ? 三十分、猶予をあげるから、さっさと見られたらまずいもの隠すことね! それじゃあ、三十分後! よろしくね!』
「あ、ちょっと! あ、ま…」
 通話はそこで切れた。
「あ、はあ…」
 僕は「通話終了」と表示された画面を見て、ため息をついた。
 護符や鈴、塩で埋め尽くされた部屋を見渡して、大変なことになったぞ! と、思った。