※
日が暮れるまで、僕は親戚たちとの話を表面上は楽しんだ。
話して、笑って、呑んで、食べて、そして、また話して呑んで。
用意していたおつまみが無くなる頃、十年前に買い替えて今でも現役の壁掛け時計が、十七時を知らせる。
夕方。
萩上のことを思い出した。
まだ夜も来ていないのに、親戚と兄貴は、その場に仰向けになって幸せそうにいびきを立てていた。これなら、抜けても大丈夫だと思い、僕はおもむろに立ち上がった。
キッチンで食器を洗っている母さんに「ちょっと、散歩してくる」と一声をかけてから、埃塗れのサンダルを履いて家を出た。
夕方にまでは帰る。
彼女はそう言っていたが、どこか心配が拭えなかった。僕が迎えに行かないと。という、謎の使命感に襲われたのだ。
「………」
田舎の日照時間は短い。見れば、西の空が血のような陽光に浸食されていた。その内、後を追うようにして黒が上空を埋め尽くすだろう。
山から吹き下ろす風が頬を撫でるのを心地よく感じながら、僕はサンダルを履いた足をぺたぺたと踏み出した。
ざあっと、視界の隅にノイズが走った。
さっきの母さんの顔がフラッシュバックする。
母さんは、泣きはしなかったが、目をうるうるとさせて、親孝行な息子を想う慈愛に満ちた顔をしていた。まだ反抗期真っただ中の僕には、母親のあの姿はただただ違和感だった。
親孝行?
僕は、いつ親孝行をしただろうか?
金の掛からない大学に進学して、親への負担をやわらげようなんて、微塵と思っていなかった。ただ、いつの間にか心血注いで勉強をしていて、大学に合格しただけだった。
自分のためにとった行動が、結果的に親への孝行になっただけだ。それを、「親孝行な息子で」と、涙を浮かべながら周りに言いふらされたら、手柄を横取りされたような気分がしてならなかった。
悪い母親ではないことはわかっている。
ああ、そう言えば…。
立ち止まった時、田んぼを吹き抜ける風が、青臭い香りを運んできた。
帰ってこない萩上を探して、薄暗くなった路地を歩いていると、背後から眩い光で照らされた。振り返ると、黒いプリウスがエンジン音を立てずに、のそのそと近づいている。
車一台が通れるくらいの隙間は開けているんだけどな。
そう不思議に思いながら、路地の塀に背中を貼りつけて道を譲る。しかし、プリウスは僕の前の前で停車した。
ウインカーが開いて、見知った男が顔を出した。
「よお! 正樹!」
思わず「あ」と声が洩れた。
プリウスを運転していたのは、中学時代に仲が良かった友人だった。高校を中退して、地元のホームセンターに就職したと聞いていたが、まさかここで再会するとは思っていなかった。
久しぶりの再会を、友人は笑いながら喜んだ。
「正樹、久しぶりだなあ!」
「なんで僕だってわかったんだ?」
「お前の母ちゃんが近所中に言いふらしてたんだよ。『息子が彼女を連れて帰ってくる!』って、そしたら、見覚えのある後ろ姿だったから、まさかなって!」
くそ、母さん、絶対に文句言ってやる。
友人はにやつきながら僕を見た。
「あれ、彼女さんは?」
「全部母さんの妄言だよ」
「あは! そうか! そうだよな! お前みたいな奴に彼女ができるわけないか!」
事実だが、失礼な奴だな。
田舎と言えど通行人はいるので、僕たちは手短に話を終えた。
「じゃあ、オレは帰るわ。またいつでも寄ってくれな」
「うん、また今度」
「今日は変な日だぜ、萩上も見かけるし、正樹とも再会するし」
「え…」
不意に友人が洩らした言葉に、僕は食いついた。
「萩上が? 何処にいたの?」
「ん? ああ、公園だよ」
「ありがとう」
公園か。
友人はにやっと笑った。
「まさか、あいつを見るとは思わなかったよ。高校でやらかして、引きこもっているってうわさもあったからな」
「高校で?」
高校で何をしたの?
そう聞こうとした時、友人の上着のポケットに入れていたスマホが震えた。彼は液晶に表示された相手を見ると、わざとらしく舌打ちをした。
「おっといけねえ、親からだ。じゃあな!」
聞く暇も無く、友人は走り去ってしまった。
取り残された僕は、とりあえず、彼が萩上を見たという公園に走った。
日が暮れるまで、僕は親戚たちとの話を表面上は楽しんだ。
話して、笑って、呑んで、食べて、そして、また話して呑んで。
用意していたおつまみが無くなる頃、十年前に買い替えて今でも現役の壁掛け時計が、十七時を知らせる。
夕方。
萩上のことを思い出した。
まだ夜も来ていないのに、親戚と兄貴は、その場に仰向けになって幸せそうにいびきを立てていた。これなら、抜けても大丈夫だと思い、僕はおもむろに立ち上がった。
キッチンで食器を洗っている母さんに「ちょっと、散歩してくる」と一声をかけてから、埃塗れのサンダルを履いて家を出た。
夕方にまでは帰る。
彼女はそう言っていたが、どこか心配が拭えなかった。僕が迎えに行かないと。という、謎の使命感に襲われたのだ。
「………」
田舎の日照時間は短い。見れば、西の空が血のような陽光に浸食されていた。その内、後を追うようにして黒が上空を埋め尽くすだろう。
山から吹き下ろす風が頬を撫でるのを心地よく感じながら、僕はサンダルを履いた足をぺたぺたと踏み出した。
ざあっと、視界の隅にノイズが走った。
さっきの母さんの顔がフラッシュバックする。
母さんは、泣きはしなかったが、目をうるうるとさせて、親孝行な息子を想う慈愛に満ちた顔をしていた。まだ反抗期真っただ中の僕には、母親のあの姿はただただ違和感だった。
親孝行?
僕は、いつ親孝行をしただろうか?
金の掛からない大学に進学して、親への負担をやわらげようなんて、微塵と思っていなかった。ただ、いつの間にか心血注いで勉強をしていて、大学に合格しただけだった。
自分のためにとった行動が、結果的に親への孝行になっただけだ。それを、「親孝行な息子で」と、涙を浮かべながら周りに言いふらされたら、手柄を横取りされたような気分がしてならなかった。
悪い母親ではないことはわかっている。
ああ、そう言えば…。
立ち止まった時、田んぼを吹き抜ける風が、青臭い香りを運んできた。
帰ってこない萩上を探して、薄暗くなった路地を歩いていると、背後から眩い光で照らされた。振り返ると、黒いプリウスがエンジン音を立てずに、のそのそと近づいている。
車一台が通れるくらいの隙間は開けているんだけどな。
そう不思議に思いながら、路地の塀に背中を貼りつけて道を譲る。しかし、プリウスは僕の前の前で停車した。
ウインカーが開いて、見知った男が顔を出した。
「よお! 正樹!」
思わず「あ」と声が洩れた。
プリウスを運転していたのは、中学時代に仲が良かった友人だった。高校を中退して、地元のホームセンターに就職したと聞いていたが、まさかここで再会するとは思っていなかった。
久しぶりの再会を、友人は笑いながら喜んだ。
「正樹、久しぶりだなあ!」
「なんで僕だってわかったんだ?」
「お前の母ちゃんが近所中に言いふらしてたんだよ。『息子が彼女を連れて帰ってくる!』って、そしたら、見覚えのある後ろ姿だったから、まさかなって!」
くそ、母さん、絶対に文句言ってやる。
友人はにやつきながら僕を見た。
「あれ、彼女さんは?」
「全部母さんの妄言だよ」
「あは! そうか! そうだよな! お前みたいな奴に彼女ができるわけないか!」
事実だが、失礼な奴だな。
田舎と言えど通行人はいるので、僕たちは手短に話を終えた。
「じゃあ、オレは帰るわ。またいつでも寄ってくれな」
「うん、また今度」
「今日は変な日だぜ、萩上も見かけるし、正樹とも再会するし」
「え…」
不意に友人が洩らした言葉に、僕は食いついた。
「萩上が? 何処にいたの?」
「ん? ああ、公園だよ」
「ありがとう」
公園か。
友人はにやっと笑った。
「まさか、あいつを見るとは思わなかったよ。高校でやらかして、引きこもっているってうわさもあったからな」
「高校で?」
高校で何をしたの?
そう聞こうとした時、友人の上着のポケットに入れていたスマホが震えた。彼は液晶に表示された相手を見ると、わざとらしく舌打ちをした。
「おっといけねえ、親からだ。じゃあな!」
聞く暇も無く、友人は走り去ってしまった。
取り残された僕は、とりあえず、彼が萩上を見たという公園に走った。