八月に入り、お盆が近づいてきた頃、僕は萩上にある相談をした。

「親に呼ばれてね、お盆の間は、実家に帰ることになったんだ」
「ああ、そう」

 案の定、萩上は眠たげな目をして、興味の無さそうに頷いた。
「勝手にすればいじゃない」
「とりあえず、食べ物と着替えとかは用意しておくから、その間だけは凌いでくれ」
 そう言って、僕はぱんぱんに膨れ上がったナップサックを彼女の前に置いた。
 八月十三日から十六日までの四日間分の食料が入っていた。きっと、レトルト食品を温めることも、カップ麺に湯を注ぐことも萩上には億劫だろうから、エネルギーゼリーとか、固形食糧を中心に買った。
 萩上は目を細めて、ナップサックの中を覗き込む。
「なにこれ、まるで冬越えじゃない」
 僕の買ってきた味気の無い食料に指摘を入れながら、エネルギーゼリーを一本取りだす。そして、ちびちびと吸い始めた。
 僕がいなくなる十三日から食べてほしかったが、まあいい。食べた分は買い足せばいいか。
 それから、僕はユニクロで買ったレディースのTシャツとジャージを萩上に渡した。
「それで、こっちが着替え。クーラー効いているから不必要かもしれないけど、汗をかいたら着替えるといい。三着用意したから。もしも足りなかったら、ベランダの洗濯機を使うといい。洗剤は、まあ、スプーン一杯分が目安かな? 洗濯ものを入れて、スタートボタンを押すだけで洗濯してくれるから。洗えたらすぐに取り出せよ? 生乾き臭くなるから。ベランダの物干し竿で乾かしてくれ。もし人の目が気になるなら、部屋に取り込んでもいい」
 コインランドリーの使い方も教えておこうか? いや、たったの四日間だから、別にいいか。
 くどくどと説明していると、萩上の顔がみるみる不機嫌になるのがわかった。
 そろそろ怒りそうだから、簡潔的に言うか。
「ゴミは、袋の中に入れるだけでいい。帰ったら僕が捨てに行くから」
「長い」
 萩上はエネルギーゼリーをきゅうっと飲み干すと、そのゴミを、僕の額に投げつけた。
「めんどくさいから、私もついていく」
「ああ、そうか」
 絨毯の上に落ちたゴミを拾い上げて、かさばらないように小さく折り曲げた。
「え?」
 自分で頷いたあとで、間抜けな声を洩らす。
 思わず萩上の顔を凝視すると、彼女は相変わらずの不機嫌顔で「なに?」と食い気味に言った。
「いや、さっき、なんて言ったの?」
「だから、めんどくさいから、私もついていく」
「いやいやいや」
 さすがに、実家に萩上を連れていくことはできない。
「勘弁してくれよ。実家には母親がいるんだ」
「なに? なんでダメなの? 母親がいたらダメなの?」
「いや、ダメだろ」
「なんで?」
「なんでって…」
 そりゃあ、恥ずかしいだろ。それに、息子が同い年の女の子を連れて帰省するんだぞ? いろいろ勘違いされても困るじゃないか。
「とにかく、来るのだけはやめてくれ」
「だったら殴る」
「殴るのもやめてくれないかなあ」
 萩上はナップサックの中に手を入れて、固形食料を取り出した。それを、パッケージの上から、指で砕く。絨毯の上に置いて、拳を叩き込んだ。
 パンッ! と、圧迫された拍子に封が破れて、粉々になった固形食糧が飛び散った。
「あー、もう、やめてくれよ。掃除大変なんだからさ」
「連れてって、連れてって、そうしないと、このナップサックごと壊すから」
 これ以上固形食糧を粉々に砕かれて、部屋の中を粉塗れにされるのも敵わないので、僕は折れた。
「わかったよ」
 頷くと、萩上は壊すのをやめた。
「帰省は一日だけにしよう。母さんには適当に話をつけるから、萩上は粗相の無いようにしろよ」
「うん」
 えらく素直に頷いたな。
 その日の内に、僕は母さんに電話して、萩上を連れていくことを連絡した。「友達を泊める」「泊まる場所が無くて困っているみたいなんだ」と、小学生が考え付きそうな言いわけをしたものの、やはり変な勘違いをしたようで、電話を奥の声はにやにやと笑っていた。「一日だけじゃなくて、いつまでもいなさいよ」と言われた。
 勘弁してくれよ。
 僕は通話を切ってから、深いため息を着いた。
 振り返ると、萩上は押入れの中に上半身を突っ込んで、何かを探していた。
「なにしているの?」
「探しているの」
「いや、それはわかるんだけど。何を探しているんだ?」
「服」
「服?」
 僕が首を傾げると、萩上が顔を埃塗れにして振り返った。
「なに? この格好で行ってほしいの?」
 萩上は、よれた薄紅のパジャマを一張羅としていた。
 僕は、萩上がこのパジャマ以外の服を着ているところをほとんど見たことが無かった。洗濯するときは、しぶしぶ僕が用意したジャージに着替えてくれるのだが、乾くとすぐに脱ぎ捨てて、そのパジャマを着てしまうのだ。
 確かに、その恰好のまま外を出歩かれるわけにはいかない。
「ったか、萩上お前、他の服は持っているの?」
「失礼ね。持っているわ」
 萩上はむすっとして、再び、押入れに身体を滑り込ませた。
 「あった、あった」と言いながら、服を引きずり出す。
 彼女が取り出したのは、黒いワンピースだった。しかし、ナイフでズタズタに裂かれていた。これでは、着ても、何も隠すことができないだろう。
「………」
「忘れていたわ。前にナイフで切ったことを」
 ワンピースを放り出して、萩上はさらに押入れの中を探った。ジーパンやスカート、カットソーに、ブランド物のTシャツなど、意外にも、彼女は多くの衣服を所持していた。
 しかし、そのすべては、昔の彼女の手によって、ズタズタに引き裂かれていた。
「………」
「…………」 
 これには、二人とも腕組みをして黙りこくった。
 まともに着れるものが一つも無い。
「買いに行くか」
「そうね」