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 少しだけ期待していた。
 僕がキッチンで料理を始めると、萩上が、例え毒舌だろうと「もっと焼いてよ」とか「下手ね。こうやるのよ」「まだなの? 遅いんだけど」といってくれることを。
 だけど、実際は違った。
 萩上は興味を無くしたようにダイニングの方に戻り、ゴロンと横になり、僕が買ってきた新聞紙を意味もなく破っていた。
 料理は、高校になって始めた。そんな大それたものは作らない。卵とか、ベーコンとかレタスで作れる簡単なものばっかり。嗜む程度だった。正直、これを「料理」と呼ぶのかも怪しいところだ。だけど、こうやって、フライパンと簡単な食材があればさっと作ることが出来る技術は、大学生活…、一人暮らしを始めて役に立つようになった。
 油を引いたフライパンに、適当な大きさに切ったレタスをベーコンを投入して、さっと炒める。ベーコンの塩気が多かったので、加えたの胡椒だけだった。
 萩上の部屋に電子レンジが無いことは把握済みだったので、ご飯だけはパック売りのものを買った。今度、百均でミニ土鍋でも買って、その時分の米を炊くのもいいかもしれないな。
「ほら、できたよ」
 部屋に机の類が無かったので、新聞を広げた絨毯の上に、直接皿を置いた。
 萩上は、おもむろに身体を起こして、僕の作った料理を眺める。渡した箸をひったくるようにして受け取り、食べ始めた。
「どうかな?」
「美味しくない」
「ああ、そう」
 そう言いながらも、彼女は食べた。白ご飯と、野菜炒めを交互に口に運んだ。時々、ボトルのお茶を飲んだ。そして、野菜炒めを三分の一ほど残して、箸を僕に返した。
「もういらない」
「うん、お粗末様」
 食事を終えた萩上は、洗面所に向かい、歯磨きをした。マウスウォッシュまでして、念入りだった。
 口をさっぱりさせて、どこかご機嫌な彼女がダイニングに戻ってきたタイミングで、僕は彼女に聞いていた。
「なんなら、毎日来ようか?」
「毎日?」
 眉間に皺を寄せて、あからさまに嫌そうな顔。
「いや、別に嫌ならいいんだ。だけど、少しでも手伝えることがあればと思って…」
「勝手にすれば?」
 反応に困る答えだった。
 そこで、僕はふと、あることに気が付いた。
「そう言えば…、萩上…、明日香と連絡とっているのか?」
「……うん」萩上は少し渋ってから頷いた。「明日香ちゃんの連絡先は、知ってる」
「ってことは…、スマホを持っているのか?」
「……うん」これも、渋って頷いた。「ほしいの?」
 察しがいいことだ。
 僕はジーパンのポケットから、自分のスマホを取り出した。
「とりあえず、連絡先は交換しておこう。これで、いつでも呼びだしてくれ。行ける日は行くから」
「わかった」
 彼女はこくっと頷くと、押入れの扉を開けた。奥にあった菓子の箱の中から、液晶に蜘蛛の巣のような亀裂が入ったスマホを取り出し、電源を入れた。
「それ、落としたの?」
「まあ、そんなところ」
 いや、多分…。そこまでで、考えるのをやめた。
 ラインを開いてもらったが、彼女の友達は数人しかいなかった。明日香と、母親、後は、電子マネーとかの公式アカウントだけ。
 コードを読み込み、真っ黒なアイコンのアカウントを登録すると、とりあえず「テストメール」と送っておいた。
「届いた?」
「うん」
「よし、これでいい」
 僕はスマホをポケットに入れた。
 彼女も、電源を落として、また箱の中に入れた。
 先ほど時間を確認したが、もう夜の七時を回っていた。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るけど…、他に何かしてほしいことはある?」
「…無い」
「そうか。わかった」
 僕は皿とフライパンだけを洗ってから、自分のナップサックを掴んで肩にかけた。
「帰るよ。クーラーで身体を冷やさないようにしろよ」
「うん」
 えらく素直に頷いた。
 それが少しうれしかった僕は、玄関先に立ったまま続けた。
「僕の部屋に、景品でもらったタオルケットが残ってたから、また持ってくる。まあ、兵頭にもらったアニメのキャラクターのものだから、お前好みじゃないかもしれないけど」
「うん…」
「じゃあな」
 軽く手を振ってから、踵を返す。
 扉に手を掛けた瞬間、萩上が僕を呼び止めた。
「ねえ、桜井くん」
「ん?」
 首だけで振り返った。
 萩上は、いつもと同じ、死人のような目をして僕に言った。
「がっかりしたでしょう?」
「がっかり?」
「私、中学の頃と、変わったでしょう?」
「ああ…」
 なんだ、こいつ、普通に覚えているじゃないか。
「がっかりはしていない…。少しだけ、びっくりしたけど…」
 彼女が何かを言おうとしたのに被せるようにして言葉を続けた。
「でも…、人は変わるものだろ」
 萩上が、開きかけた口をぎゅっと結ぶ。
「ずっと中学のままなんて、逆に目が当てられないさ。だって、餓鬼のままってことだろ?」
 今度こそドアノブを掴んで、扉を開けた。
「変わるのが当たり前だよ。実際、僕も変わった。兵頭も変わった。明日香はあまり変わらないけどな」
 とは言ったものの、やはり、萩上が変わってしまったことには違和感のようなものが付きまとった。
 萩上は完璧だったんだ。中学生にして、大人のような思考を持ち合わせていた。だから、変わる必要なんてなかった。
「じゃあな。また明日来る。食べたいものがあれば言ってくれ。買える範囲のものは買ってくるから」
「うん」
 僕は一歩踏み出す。
 萩上が何かぼそっと言った気がしたが、振り返らなかった。