※
僕は走って近くのスーパーに向かった。安いバスタオル三枚に、ジャージを一着買って帰ると、萩上は風呂場で仁王立ちして待っていた。
「遅い。私がシャワー浴び終えるまでに帰ってきてよ」
「ごめん」
たった十分の出来事なんだがな。
「ほら」
なるべく萩上の身体を見ないようにしながら、買ってきたバスタオルを渡す。
「身体拭いたら、服も着ろよ。一応、ジャージは買ってきたから」
「私のパジャマ、洗ったの?」
「うん。汗かいてたから」
「余計なことしないでよ」
イチゴミルクを買ってくるのは余計じゃないのか?
僕は彼女が着替えるまで、窓の外を見てやり過ごした。
頃合いを見計らって振り返ると、萩上はとっくの昔に着替え終えていて、シャワー後のイチゴミルクをちびちびと堪能していた。
「何さっきから窓の外見てるの? 気持ち悪い」
「いや…」
まあいいか。
とりあえず、この前と同じように、萩上の前に向かい合って座った。
「ほかにしてほしいことは?」
「無い」
「じゃあ、帰るわ」
「ダメ」
ええ、こいつ何言ってんの。
萩上は、イチゴミルクを飲み干すと、ごろんと横になった。
「お昼寝するから、エアコンの温度、三度上げて。冷えると嫌なのよ」
「ああ、わかったよ」
「出ていってもいいけど…、私が目を覚ますときにはいてよね」
「いつ頃がいい?」
彼女が眠っている間に、一度アパートに帰って、勉強道具をとってきたかった。
彼女はつんけんと言い放った。
「知らない」
「知らないって…」
「いつ目が覚めるかわからないんだもの」
「まあ、そうか」
僕は萩上と少し距離を取って座った。
僕が隣にいようがいまいが、彼女は仰向けになり、控えめの胸を上下させて息をする。目元にはくっきりと隈が出来ていた。
「…、いつも、何してるの?」
「何もしてない」
大学は? と聞こうとして、口を噤んだ。
「どこかに、行ったりしないのか?」
「しないよ」
なんで? と聞こうとして、口を噤んだ。
萩上はぱちりと目を開けて、黒目を動かして僕を見た。
「こうやって、ただ生きているだけ」
生きているだけか。
僕が萩上の言った言葉の意味を、胸のあたりで噛み砕いていると、彼女はさらに続けた。
「まあでも…、生きているのも面倒くさいけどね…」
「面倒くさいのか?」
「面倒くさい。すぐにでも死んでやりたい」
萩上は寝返りを打つと、僕の方に腕をパタンと倒してきた。ジャージの袖から覗く彼女の左手。その手首には、うっすらとリストカットの痕が残っていた。
背筋がぞっとした。
「自分でやったのか?」
「切ったら…、赤い血がたくさん出るのよ。自分が『生きてる』って実感するにはいいけど…、痛いのよね。血管が引きつるって言うか…、焼かれているって言うか…、とにかく、割に合わないからやめたの」
自殺に割に合わないってあるのか?
そんな疑問を抱きながら、彼女の、そこだけ鬱血したように青い傷跡を見ていると、まるで引き寄せられるような感覚が僕を襲った。
僕は反射的に手を動かして、萩上の手首を握っていた。
冷たい肌。血の一滴もそこに通っていないかのようだ。
「何やってんの? 気持ち悪い」
「ああ、ごめん」
僕は彼女の「気持ち悪い」という言葉によって我に返った。でも、手は離さなかった。
ざらっとした傷跡に指を這わせて、「もう、やめなよ」と釘を刺しておく。
萩上は「さあね」と他人事のように言って、僕の手を振り払った。
「私を怒らせるからいけないのよ」
「萩上は、何をされたら怒るんだ?」
「うるさい。怒るよ」
しつこく聞いたら怒られるらしい。
そこで会話は途切れた。
萩上は、部屋の中央で我が身を抱くようにして横たわり、すうすうと寝息を立てて眠った。僕はスマホでネットサーフィンをしながら時間を潰したが、一時間もすれば目が疲れて、いつの間にか、壁に背をもたれて眠った。
そして、暇つぶしで、萩上の記憶を思い起こした。
僕は走って近くのスーパーに向かった。安いバスタオル三枚に、ジャージを一着買って帰ると、萩上は風呂場で仁王立ちして待っていた。
「遅い。私がシャワー浴び終えるまでに帰ってきてよ」
「ごめん」
たった十分の出来事なんだがな。
「ほら」
なるべく萩上の身体を見ないようにしながら、買ってきたバスタオルを渡す。
「身体拭いたら、服も着ろよ。一応、ジャージは買ってきたから」
「私のパジャマ、洗ったの?」
「うん。汗かいてたから」
「余計なことしないでよ」
イチゴミルクを買ってくるのは余計じゃないのか?
僕は彼女が着替えるまで、窓の外を見てやり過ごした。
頃合いを見計らって振り返ると、萩上はとっくの昔に着替え終えていて、シャワー後のイチゴミルクをちびちびと堪能していた。
「何さっきから窓の外見てるの? 気持ち悪い」
「いや…」
まあいいか。
とりあえず、この前と同じように、萩上の前に向かい合って座った。
「ほかにしてほしいことは?」
「無い」
「じゃあ、帰るわ」
「ダメ」
ええ、こいつ何言ってんの。
萩上は、イチゴミルクを飲み干すと、ごろんと横になった。
「お昼寝するから、エアコンの温度、三度上げて。冷えると嫌なのよ」
「ああ、わかったよ」
「出ていってもいいけど…、私が目を覚ますときにはいてよね」
「いつ頃がいい?」
彼女が眠っている間に、一度アパートに帰って、勉強道具をとってきたかった。
彼女はつんけんと言い放った。
「知らない」
「知らないって…」
「いつ目が覚めるかわからないんだもの」
「まあ、そうか」
僕は萩上と少し距離を取って座った。
僕が隣にいようがいまいが、彼女は仰向けになり、控えめの胸を上下させて息をする。目元にはくっきりと隈が出来ていた。
「…、いつも、何してるの?」
「何もしてない」
大学は? と聞こうとして、口を噤んだ。
「どこかに、行ったりしないのか?」
「しないよ」
なんで? と聞こうとして、口を噤んだ。
萩上はぱちりと目を開けて、黒目を動かして僕を見た。
「こうやって、ただ生きているだけ」
生きているだけか。
僕が萩上の言った言葉の意味を、胸のあたりで噛み砕いていると、彼女はさらに続けた。
「まあでも…、生きているのも面倒くさいけどね…」
「面倒くさいのか?」
「面倒くさい。すぐにでも死んでやりたい」
萩上は寝返りを打つと、僕の方に腕をパタンと倒してきた。ジャージの袖から覗く彼女の左手。その手首には、うっすらとリストカットの痕が残っていた。
背筋がぞっとした。
「自分でやったのか?」
「切ったら…、赤い血がたくさん出るのよ。自分が『生きてる』って実感するにはいいけど…、痛いのよね。血管が引きつるって言うか…、焼かれているって言うか…、とにかく、割に合わないからやめたの」
自殺に割に合わないってあるのか?
そんな疑問を抱きながら、彼女の、そこだけ鬱血したように青い傷跡を見ていると、まるで引き寄せられるような感覚が僕を襲った。
僕は反射的に手を動かして、萩上の手首を握っていた。
冷たい肌。血の一滴もそこに通っていないかのようだ。
「何やってんの? 気持ち悪い」
「ああ、ごめん」
僕は彼女の「気持ち悪い」という言葉によって我に返った。でも、手は離さなかった。
ざらっとした傷跡に指を這わせて、「もう、やめなよ」と釘を刺しておく。
萩上は「さあね」と他人事のように言って、僕の手を振り払った。
「私を怒らせるからいけないのよ」
「萩上は、何をされたら怒るんだ?」
「うるさい。怒るよ」
しつこく聞いたら怒られるらしい。
そこで会話は途切れた。
萩上は、部屋の中央で我が身を抱くようにして横たわり、すうすうと寝息を立てて眠った。僕はスマホでネットサーフィンをしながら時間を潰したが、一時間もすれば目が疲れて、いつの間にか、壁に背をもたれて眠った。
そして、暇つぶしで、萩上の記憶を思い起こした。