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 駅で兵頭と別れた僕は、熱に犯されたみたいにふらふらと歩き、気が付くと、コンビニに入って、冷えたイチゴミルクを買っていた。
 汗ばんだ背中に、「ありがとうございましたー」という言葉を受けながら外に出る。
 何やっているんだろうな…。
 もう行かない。と決めたはずなのに、僕の足は萩上のアパートに向いていた。
 金になるから。と誰かに言い訳をして、この日射でイチゴミルクが痛まないように、少しだけ歩くスピードを速めた。
 昨日と同様、扉の鍵は開いていた。
「おーい、入るぞ」
 扉を開ける。途端に、サウナのような熱気が流れ出てきた。体中から、汗がどっと拭きだす。外の方が涼しく感じた。
 僕は玄関でサンダルを脱ぐと、べたついた足でダイニングの方に向かう。
 萩上は、部屋の真ん中でうつ伏せになって倒れていた。
「萩上?」
 一転、背筋がひやりとした。
 慌てて彼女に駆け寄り、身体をひっくり返す。絨毯に、人型に彼女の汗が染み付いていた。
 死んだ人間みたいに色白かった萩上の身体は、まるでゆでだこのように真っ赤になっていて、子犬みたいに浅い呼吸を繰り返していた。
 手の中に、ぬるりとしたものが残る。塩気のある汗だと気が付いた。
「萩上、大丈夫か?」
「……」
 薄目を空ける萩上。
 唇を震わせて、言葉を絞り出した。
「水…、欲しい」
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 コンビニで買ってきたミネラルウォーターを与えると、萩上は被るような勢いでそれを飲んだ。口の端から水が零れて、彼女の首筋を伝う。一瞬で、五〇〇ミリペットの半分を飲み干した萩上は、ボトルを僕に返して、口の端を拭った。
「…、大丈夫?」
「うん。ましになった」
 頬に、黒い髪の毛がぺったりと張り付いていた。
「身体、冷やしなよ」
 僕は、万が一のために買っておいた、角氷をタオルに包んでから彼女に渡した。
 萩上は黙って受け取り、それを頭の上に乗せる。
 それから、脱力してため息をつくと、「助かったわ」の一言を絞り出した。
「停電でクーラーが切れるから…」
「うん。結構長かったな」
 僕が彼女の前に、コンビニで買った食べ物を並べながら言うと、萩上は、はっとしたように唇を震わせた。
 少し毒のある声で「なんで来たの?」という。
「なんでって…」
 僕は言葉に詰まった。
「心配だから来たんだよ…」
「なんで?」食い気味に聞かれた。「他人でしょ?」
「まあ、そうだけど…」
 僕は袋から、汗をかいたイチゴミルクのボトルを取り出して、彼女に渡した。
 萩上は「え」と面食らったように目を丸くして、そのボトルを受け取った。ほとんど反射だった。
「一度関わったんだ、放っておけるわけがなかったんだ」
「放っておけばいいのに」萩上は、イチゴミルクを開けて一口飲んだ。「イチゴミルクなんて…、いつの話をしているのかしら」
 ちびちびとイチゴミルクを飲む萩上。塩分を捕ってほしく、おにぎりを多めに買っていたが、手を付けなかった。
 ふと部屋の隅を見ると、数日前に口をきつく結んでおいたゴミ袋が置いてあった。もっとも、ナイロンはカッターナイフでズタズタに切り裂かれて、中から新聞紙や広告の切れ端が雪崩のように流れ出ていたが。
「ゴミの日、出さなかったんだ」
「それはあなたの仕事でしょ?」
 萩上はイチゴミルクのボトルにキャップをした。そして、鷹みたいに鋭い目で僕を見た。
「警告しておくけど…、私は、あなたを傷つけるわよ?」
「もう傷ついている」
 僕は額の絆創膏を押さえた。
 それを見た萩上は、どこかつまらなさそう。
「強い力で引っ掻いたつもりだったけど…、結構浅いのね」
「いや、あの後血が止まらなかったんだぞ?」
「自業自得ね」
 開き直ってふんぞり返る。
「私を怒らせるからダメなのよ」
「怒らせるって…。僕、何かお前を怒らせること言ったっけ?」
「言った」
「なんのことだよ」
 その瞬間、萩上は握っていたイチゴミルクのペットボトルを、パキッと握りつぶした。プラスチックなので割れたりはしないが、心臓がびくっと跳ねた。
 じっと僕を睨む萩上。「余計な詮索はするな」ということだろう。
「まあいいよ」
 正直、僕は嫌なことがあっても、一度眠れば忘れるタイプだ。僕が彼女に対してどんな失言をしたのか、ほとんど頭の中から消え失せていた。
 萩上は切り裂かれた絨毯に手をついて立ち上がった。そして、おもむろにパジャマのボタンに手を掛けて、外し始める。
 いきなりのことに、僕は慌てて彼女を制した。
「おい! なにやってんだよ」
「何って…、汗をかいたからシャワーを浴びるのよ…」
「僕は男だぞ!」
「男だったら何なの? 私を襲うの?」
「いや…、襲うつもりはないけど…」
 まごついた反応をすると、萩上は一気に上のパジャマを脱いだ。僕は慌てて目を背ける。
「そうだ。タオルが無いのよね」
「え…」
「買ってきてよ。この前、全部切り裂いちゃったの…。安いのでいいから」
 返事をする暇も与えず、彼女は風呂場のガラス扉を開けて入った。シャワーの流れる音が聞こえる。
 何だあいつ…、ほんと、お嬢様だな。
 僕は萩上の脱ぎ散らかした衣類を、ベランダの洗濯機に放り込んでからタオルと、着替えを買いに外に出た。