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 次の日曜日の朝。アパートを出る前に見ていたニュースが「本日は猛暑となりますので、熱中症対策をしっかりとしてからお出かけください」と言っていた。
 熱中症対策って何だろうな。
 僕はアパートの通路に差し込む直射日光に目を細めながらそんなことを考えた。とりあえず、百均で雑に買ったスポーツキャップを被り、首筋にひりひりとしたものを感じながら外に出る。
 駅に着くと、兵頭はもう到着していて、僕の姿を見るや否や、「遅いぞ」と首筋に浮かんだ玉の汗を拭いながら言った。
「ごめんごめん」 
 僕は心の籠っていない謝罪をしておいた。
 兵頭は、中学二年と、三年生の時に同じクラスだった奴で、成人した今でも定期的に連絡を取り合う、数少ない友人だ。
「どこ行くの?」
「隣町」
「なんの用?」
「新作のゲームが出るだろ?」
 そんなことを話ながら、駅の構内に入る。光の加減で目がちかちかと眩んだ。
 二人で券売機の前に並び、隣町への往復切符を買った。
 一か月ぶりの再会だと言うのに「暑いな」とか「そうめん食べたいな」みたいなくだらないことを話しながら、僕たちはホームに上がる。
 電車はすぐにやってきた。
 日曜ということもあってか、心なしか空いている。寒いくらいのクーラーの冷風が足元から吐き出されていた。
「お前、ゲームなんてしたっけ?」
「するわけねえだろ」兵頭はにやっと笑って、指でお金の形を作った。「ショップの開店が十一時からだから、十時に着けば間に合うよな。ちゃんと整理券を確保しとけよ」
「原価はいくらだっけ?」
「メーカー小売り価格が六〇〇〇円。だけど、早朝販売もされたみたいで、もう値段が吊り上がってるぜ」
 フリーマーケットアプリを起動して、今回買いに行く商品のページを見せてくる兵頭。
 なるほど、一つ八千円か…。
「このゲーム、こんなに人気だったっけ?」
「ハードが変わってから人気がバク上がりしたからな。メーカー側の生産が追い付いていないから、稼ぎ時だぜ」
 まだ買ってもいないのに、まだ売れてもいないのに、ほくほくとした顔でスマホの画面を見つめる兵頭。
 僕は「お前のメンタルに感服するよ」と、半ば呆れながら、シートに腰を落ち着かせた。
 兵頭は、転売をして金を稼いでいる。バイトもしているから、一応副業の扱いなんだろうけど、これが結構稼げるらしい。
 兵頭は僕の隣に座る。首元で、金色のネックレスがきらりと光った。
「この前、いくら稼いだんだっけ?」
「ああ、ゲーム売りさばくだけで十万よ」
「うわあ」
 彼いわく、現在、転売ビジネスは稼ぎ時らしい。
「恨まれるだろ」
「恨まれるね。個数制限を付けていない店側が悪いのに、買い占めたら、後ろに並んでいた女が怒鳴ってきやがった」
「一つくらい譲ってやればいいのに」
 そういう僕も、共犯者だった。
 人気のある商品とかになってくると、個数制限を付けられる場合がある。この前、とあるアニメのコラボストラップが発売された時は「おひとり様三個まで」と制限されていたので、僕も兵頭の仕入れに同行させられた。
 そして、今日もだ。
「調べたら、ツーバージョンあるから、一人二つまでらしい。オレとお前で、四個は手に入るな」
「アコギだなあ」
「稼いだもん勝ちだよ」
 隣町で電車を降りると、僕たちは炎天下の中、ゲームショップに向かって歩いた。日差しがとにかく強くて、スポーツキャップを被っていても、和らぐことは無かった。
 途中、喉の渇きを覚えて、自販機で水を買って飲んだりしていると、ショップに着いたのは開店時間の三十分前だった。
 物好きもいるものだ。
 すでに店の前には、二十人ほど並んでいて、各々、この暑さにうなだれて開店を待っていた。
「あー、もう少し余裕を持って来ればよかったな」
「この程度の人数なら買えるだろ」
「ワンチャン、並びなおしをしたかったんだよ」
「無理だろ」
 開店までの三十分間、僕たちは適当に駄弁りながら時間を潰した。店が開けば、即刻、兵頭がお目当てとしているゲームソフトを購入。ワンチャンスにかけて、もう一度並びなおしたが、間もなく売り切れてしまった。
 クーラーの効いた店内で涼んでから、外に出る。
「もう少し入荷すればいいのにな」
 そう言うと、兵頭は「これでいい」と、ナイロン袋に入ったゲームソフトのパッケージを眺めて、にやっと笑った。
「ちょうどいい供給量だから、値段も吊り上がる」
「そう…」
 目が完全に商人の目だった。
 それから、僕は、リサイクルショップやアニメショップを回って、兵頭の仕入れに付き合った。一つの商品を買うだけでも、あいつはかなり悩んだ。ネットの相場や、供給量、発売日などをよく確認して、慎重に買うのだ。アニメのラバーストラップを買うだけでも、三十分は費やした。
 そして、店を出るときは「いい買い物をした!」と、世間の冷たい視線を向けられる転売屋とは思えないほどのすがすがしい笑顔を見せるのだ。
「じゃあ、もう帰るか」
 自分の用事だけは済ませ、後はお構いなしの兵頭は、くるりと踵を返して、駅の方へと歩いていく。
 僕も彼の半歩後ろを歩いた。
 思わず「変わったな」と呟く。
「ん? 急にどうした?」
「いや、変わったな。って…」
「何のことだよ」
「お前が、転売に手を染めるとは思わなかったってことだよ」
「そりゃ、中学の頃は、まだフリマアプリは出ていなかったからな」
「いや、違うよ」
 中学の頃の兵頭は、一言で言えば「馬鹿」だった。定期テストの成績も下の下で、ゲームやら漫画やらを教室に持ち込んでは先生に没収され、返してもらっても、懲りずにまた持ってきて。休み時間中は同じ馬鹿どもとふざけ合って、窓ガラスを割って怒られて。
 悪い奴じゃないが…、見ていて痛々しい奴だった。
「なんか…、悪い意味で賢くなったよな」
「そうか?」
 照れ臭そうに頬の汗を拭う兵頭。別に誉めてないのに。
「まあ、確かに転売はいい目で見られないよな」
 大学に入学してから、会うたびにこれだ。「今はこれの値が吊り上がっている」とか「これが高値で売れるから買いに行くぞ」とか。アコギなことしている割には、ちゃんと物価の変動を見極めているから、損をすることがほとんどない。稼いだ金で、ラーメンをおごってくれる。その情熱を他のことに注げないのか?
「お前も転売始めたら? 儲かるぞ?」
「あいにく、僕は『あの人転売屋よ』って後ろ指さされながら転売するほど器用でも無いし、メンタルも強くないんだ」
「でも、大学の学費、高いんだろ?」
 明日香と同じことを言う。
「奨学金で何とかなるさ」
「なんだよ。奨学金って、結局借金じゃねえか。ちゃんと稼いだ方がいいって!」
「転売って、『ちゃんと稼ぐ』ことの分類に入るんだ」
 初耳だ。
「俺と一緒に、一儲けしようぜ」
「なんか、すっごく胡散臭い…」
「まあ、お前は大学に行っているもんな。世間体を気にするのもわかる! さすが、高校の時に生徒会長だった正樹様は違うぜ!」
「あのね」
 生徒会長と言ったって、底辺校の生徒会だ。あまりすごくない。
 手汗が滲んで、持っていたナイロン袋の感触が悪い。
 僕は何も言わず、それを兵頭に渡した。兵頭も「サンクス」といって受け取る。
 身軽になった僕は、兵頭の半歩前に出た。
「なあ、兵頭」
「どうした?」
「お前…、萩上って覚えてるか?」
「萩上?」
「うん、萩上千鶴。中学の時の」
 兵頭は「うん?」と首を傾げた。
 歩きながら天を仰いで記憶をたどり、ようやく「ああ、萩上ね」と思い出す。
「あいつ、可愛かったよなあ。胸もなかなかでかいし、プールの授業一緒にできた奴は羨ましいよな」
 不可抗力で見てしまった萩上の胸の形を思い出した。兵頭は萩上の記憶が中学の時で止まっているから、あの程度の大きさを「でかい」と言えるのか。いや、思い出補正か。
 あいつについて知っていることを聞こうと思ったが、見当違いだったようだ。仕方が無いか。萩上の進学した高校と、こいつの進学した高校の偏差値は、月と鼈だったから。
「で、萩上がどうかしたのか?」
「いや…、何でもない」僕は適当は嘘をついてごまかした。「そろそろ、同窓会があるだろ? そうしたら、不意に、思い出しただけだよ」
「ああそう」
 兵頭はそれ以上聞いてこなかった。
 汗だくになりながら駅に戻り、切符を買ってホームに戻ろうとしたとき、不意に、ポケットのスマホが震えた。
「どうした?」
「いや、メッセージが入った」
 見ると、明日香からだった。
『今からでもいいから、千鶴の所に行ってくれない? ちゃんと日給は出すからさ』
 とのこと。
 僕は汗ばんだ指で、「無理」と返信した。
「誰から?」
「母さんから。『熱中症に気を付けろ』だってさ」
「あっそ」
 スマホを再びポケットに仕舞う。ホームに電車がやってくる。
 二度と行くかよ。
 僕は心の中でそう吐き捨てると、兵頭と共に電車に乗り込んだ。