萩上千鶴。
 中学二年生の時に、僕のクラスの学級委員を勤めていた少女の名前だ。
 容姿端麗、頭脳明晰。その二言で彼女のことを言い表すことができる。
 夜空を切り取ったように艶やかな髪は肩まで伸び、風に靡く様が一番似合う。白っぽく、桜色が差した肌を持ち、他人と話すときは鈴を転がしたようによく笑っていた。一見、制服を纏った姿は華奢だったが、体操着に着替えれば、細くしなやかに引き締まった脚に、控えめな胸がお目見えし、男子の視線を誘った。
 勉強をさせれば、模試でも校内テストでも常に上位を取ってくる。毎年行われるスポーツテストでも、いつもA判定だった。美術にも長けていて、書道をやらせれば、プロ並みの達筆で皆を驚かせた。彼女の描いた風景画は、その年の県の美術コンクールで優秀賞を獲得していた。
 神様からの寵愛を一心に受けた少女の名前を、大学生になって、つまり、約六年ぶりに目にした時、僕は、彼女の記憶の鮮明に思い出し、その記憶は、まるで自分の尻尾を追う子猫のように僕の頭の上でぐるぐると回った。
 語弊の無いように言うが、僕が思い出したのは「彼女の記憶」であって、「彼女との思い出」ではない。つまり、僕と萩上千鶴の間に接点はほとんど無かった。
 例えるなら、萩上千鶴はクラスの王女様のような存在で、僕は人の目につかないようにひたすらに床を掃除して、パーティーの食事をこっそり拝借するような、薄汚い召使。王女様と召使が一生会話を交わすことがないのは、庭で飼っている鶏だってわかる。
 中学三年生になると、クラスも別々になった。もちろん、高校だって別々だ。彼女は県内随一の進学校に進学。対して、僕は自宅から徒歩五分の底辺校に進学。
 別に意識をしていたわけではないが、二人は真逆の道を歩んだというわけだ。
 萩上は、成功しか待っていない光り輝く道へ。
 僕は、代わり映えの無い、無難な道へ。
 もう二度と、会うはずがない。
 そう思っていた。
 萩上千鶴に再会したのは、大学二年生の夏のことだった。