女は、異装ではあるが、騎士の地位にでもありそうな落ち着いた物腰だった。だが、被り物のない頭から癖のないまっすぐな黒髪が背中にかかり、左右の耳の前にもわずかにかかっている。女が騎士になることはないから、どういう立場の者か、皆、判断に迷っていた。聖職者でもない、領主であるはずもない、庶民でもなさそうだ。だとしたら、残る選択肢は・・・魔女か。ひとしく皆がそう思い、とりこめて聖職者の裁きにかけさせようかと、ひそひそと囁きはじめた頃、陽が沈みかけた。川面が暗くなったが、水面から130mほど突き出た岩山の頂は残照をはじいて金色に耀いている。金の指輪にも例えられるその耀きを見つめる船上の人々は、そのとき歌声を耳にした。それは美しい、そう、恐ろしいほど美しい女の歌声だった。歌声は岩山からふってきた。船客はこの世のものとも思われぬその歌声の美しさに心を奪われた。歌声がからだ中に染み渡り、魂を揺さぶった。人々は魂を奪われたように忘我の境地に陥った。歌声に心を奪われたのは船客だけではなかった。舟の舵を取るべき船頭もまた正気を失っていた。
 S字形に蛇行する川幅が狭くなり、流れが速くなった。そこは水面下に多くの岩礁が潜んでいる危険な場所だった。
 岩山の上に数人の女が座り、歌っている。歌に魅せられた人々を乗せた船が岩礁に乗り上げ、転覆した。船上の人と馬が川に投げ出された。水中に落ちても魔性の歌に心を奪われた人々は、泳ごうともせず、皆、溺死した。川底に沈んでいく人の周囲を笑いさざめきながら泳いでいるのは、さっきまで岩山の頂に座っていた女たちだった。岩山から川に飛び込んできたのだ。水に浸かった女たちのからだに変化が生じていた。二本の足が鱗に覆われた金色の尾鰭になっていた。女たちは尾鰭を打ち振りながら水中を優雅に泳いでいる。死んでいく人間の顔に手をさしのべ、微笑んでいる。彼女たちはローレライと呼ばれる人魚たちだった。
 ひとりの人魚が川底に立つ異装の女を見とめた。