「ともかく僅かとは言え、人魚の肉が手に入った。よくやった」
 道満は漁師の前になめし皮の袋を置いた。袋の形が崩れ、中から鈍い金属音がした。漁師は、袋を持てばずっしりと持ち重りがするだろうとほくそ笑んだ。もちろん袋の中は当分、漁に出る必要がなくなるほどの銭のはずだ。
 道満は、人魚の肉を京の屋敷に持ち帰った。 
 道満には、十七歳になる娘がいた。名を千代姫(ちよひめ)という。母親は産後の肥立ちが悪く、出産後十日でこの世を去っている。
 道満は、千代姫に人魚の肉を食べさせた。
「父上、今日の鱠(なます)はいつもと違いますね」
「若狭の魚だ」
「美味しい。何という魚ですか」
「仁羹という」
「にんかん」
 父親の言葉を娘は繰り返した。
「口の中で暴れるように舌と歯にまとわりついてきますが、噛むとすぐに柔らかくなり、雪のように溶けてしまいます」
「そうか」
 千代姫の箸が進んだ。洗いにして出された仁羹があっというまになくなっていた。

 13世紀、ライン川を下るその船に乗っていた女は、他の客からの注目を集めていた。女と言ってもまだ若い。二重の切れ長の目、細い顎、鼻筋の通ったその顔は美しいといってさしつかえなかった。だが、同乗者たちの関心を惹いたのは女の美しさではなかった。どう見ても女がこの国の者には見えなかったからだ。装束が船客たちとはまったく違っていた。幅の広いズボンのようなものを履いて、袖下が旗のように垂れた口が大きく開いた上着を太い帯でとめている。腰には反身のソードのようなものを差している。
「もし、それは何でございますかな」
 畏れよりも、好奇心が勝った客が女の腰のものを指差して言った。
「これか?」
 女は腰に差した剣の柄に手を当てて流暢にこの国の言葉で応えた。
「正宗だ」
 それが、はるか東の国、セリカよりもさらに遠い国の刀剣であることをこの船で知る者はいない。国の名は日本。世紀の終わりごろに、マルコポーロという冒険家がザイトンという、当時、アレクサンドリアと並ぶ世界最大の港市で聞き及ぶことになる黄金の国だということも知る由もない。